明治よろずや、“妖退治”もいたします
まるで夢幻のような────。
男は息を呑む。胸元に押し当てられた拳銃に冷や汗を流しながらも、少女に目を奪われていた。彼女を押し倒したまま、唇を歪める。
「……何が目的だ。私の命か?」
少女は言葉短く否定した。
男が少しでも身じろぎすれば、レバーにかけた人差し指をピクリと動かす。いい反応だった。まだ16、17歳といった幼さだが並の兵士ではない。
自分が死の危機に瀕していることを棚に上げ、品定めするような視線を向ける。
ベッドに広がる漆黒の髪。その傍に落ちているのは赤珊瑚のアクセサリー。白い肌に映えるぽってりとした唇には、思わず触れたくなる。奥ゆかしい日本美人でありながら、しかし西洋のドレスに身を包む彼女は、明治という新時代を表すようだ。
ベッドに誘い込んだのは少女の方であった。
夕刻から開かれている舞踏会にふらりと現れた少女は、白いレースで彩られた両手を伸ばし男の首に絡ませた。しなだれるように身体を寄せ、耳元で色香を振りまいた。
「踊り疲れてしまったの」
男は少女を連れ、広間を後にする。この会場はそもそも男の自邸である、部屋ならばいくらでもあった。豪奢なベッドに引きずり込み、そっと白肌に触れる。名も知らず一夜限り、朝までゆっくりと楽しませてもらうつもりで────。
鎖骨をなぞるように指を滑らしたその時、少女はドレスの裾に手を伸ばした。太ももに巻き付く皮ベルト、ホルダーに収められていたのは黒光りする何か。男が飛びのくより早く、少女が拳銃を抜いた。一瞬で心臓を捉えられる。少女の正体に気が付いたのは身動きが取れなくなってからだ。
裏の顔をもつ者なら誰でも知っている────明治政府が抱える少女暗殺者。ここ三年で何人もの敵を屠ってきた彼女だが、いつからか噂にも聞かなくなった。どこぞで野垂れ死んだのだとばかり思っていたが、生きていたとは。
少女の長い睫毛を見下ろしながら、嘲笑った。
「まさか、こんなところで会えるとはな────桜花のような美しさだと聞いていたが、なるほどその通りだ。私の“商品”でないことが惜しまれるくらいだよ。……それで、政府の犬は私をどうしたいのかな?」
「……違う」
「うん?」
「違う。私はもう政府の犬じゃない」
深く澄んだ声だ。うっとりしてしまうほど心地よい。笑う男が不快だったのか、少女は銃口を強く押し付けた。
「あなたが“商品”の居場所を吐くなら殺さない。もし黙るなら、その時は考える」
「拷問でもしようって?」
「……さあ。でもこのドレス、借り物だから汚したくないの」
少女は空いた左手を伸ばし、男の頬をするりと撫でた。
「お互い、賢くなりましょう」
男はあっけないほど軽く、罪を吐き出した。銃身を思い切り叩きつけ男を気絶させると、ベッドから抜け出した。落ちていた髪飾りで髪をまとめ上げると、何事もなかったかのように歩き出す。
男の言う部屋を見つけるとノックもなしにドアを開けた。壁に取り付けられたランプを掴み、ぐっと引っ張れば本棚がひとりでに動き出す。壁には大穴が空いていた。
再び拳銃を抜き、ゆっくりと歩みを進めた。見張りはいないらしく、奥に縛られた少女たちがうずくまっているだけであった。ざっと数えて二十人、どの娘もとびきり美しい。
「もう大丈夫ですから。……私は夢路といいます、あなた達を助けに来ました」
袖から舶来物のナイフを滑らせると、少女たちの縄を断ち切っていく。彼女らは自由になった手足をもぞもぞと動かし、互いに身を寄せ合っては涙していた。その様子を見守りつつ夢路は安堵する。
もし一日でも遅れていたら、彼女らは海の向こうに売り飛ばされていたのだろう────神隠しの名のもとに。
「これで全員ですね。それでは脱出します、私の後ろを歩いてください」
解放された少女たちはゆっくり立ち上がるが、ちらちらと背後を気にしている。全員の視線が集中する先、そこには一人、洋装姿の男が転がされていた。夢路と視線が交わるとへらりと軽薄な笑みを浮かべた。
「……あの、なんで俺のこと放置してるの?」
夢路はドレスを翻し、何も見なかったと言わんばかりに立ち去ろうとする。男は懸命に引き留めた。
「ねえ待って! 待って、夢路! こんなところに俺を置いていかないで! なんで縄ほどいてくれないのさ!」
夢路はうんざりした顔で首を振った。
「そうですね……松葉様が大丈夫だからと独断先行したあげく、こんなところで無様に捕まって足手まといになっているからでしょうか?」
「思いのほか辛辣!」
松葉はめそめそと泣き真似をしようとする────が縛られたままなので身じろぎしかできなかった。
仕方がないので、夢路は冷たい視線を向けつつ、松葉の縄も切ってやる。松葉はぐーっと伸びをしながら「床が冷たくて身体が冷えた」だの「洋装って肩が凝るんだよね」だの、ぶつくさ文句を言った。
あまりの呑気さに呆れてしまいそうだが、それも悔しいので言葉半分に聞きながら、少女たちを誘導する。松葉は一番後ろをだらだら歩いていたが、隠し通路を抜けたところで夢路の隣に追いついた。
夢路がドレスの下からもう一丁の拳銃を渡すと、男は入念に確認してから、狙いも定めず引き金を引く。空砲だった。それでもすさまじい音が響き、広間の方から人々のざわめきが聞こえてくる。少女たちも悲鳴を上げる。松葉はおかしそうにカラカラ笑った。
「よし、これでじきに警官隊がやってくる。僕たちは一足先に退散するとしよう」
松葉はゆっくりと視線を動かし、少女たち全員の顔を見回す。
「────さて、君たちには悪いけど、このまま”神隠し“ということにさせてもらう。今まで怖かったろうけど、すべて忘れてくれ。それが君たちを家に帰すための条件だ。いいかい?」
少女たちは意味が分からないといった顔のままで頷いた。松葉は目を細める。
「こちらにはこちらの都合があるからね。まったく、厄介な依頼主だよ」
夜が明け、朝が来る。
まだ薄暗い時間、人目を避けるようにやってきた来客を出迎えたのは夢路だ。
「どうぞ、こちらに」
『明治よろずや』の看板を通り過ぎ、裏口から客間へと案内する。客間には松葉がいるはずだ。声をかけ、ゆっくりと障子を開ける。彼はだらしのない恰好のまま悠々と煙管を吹かせていた。
あまりの体たらくに、夢路は頭痛すら感じた。着替えるように言っておいたのに寝巻のままで、しかもはだけて胸やら足やらが丸見えだ。
「申し訳ありません、浅井少佐。すぐに準備をさせます」
来客────浅井は長いため息をついた。
「……いや、構わない。着替えさせたところで、松葉がだらしないのは変わらんからな」
「あれ、酷くない?」
へらへら笑っている松葉とは違い、浅井は苦々しい顔のまま腰を下ろす。懐から洋風な封筒を取り出すと、松葉に差し出した。
「今回の謝礼だ」
中は見るまでもないが、松葉はにやけ顔のまま封を切った。皺のない5円札が何枚も滑り出てくるので、「ひい、ふう、みい」と数え始める。「つけてた地代と酒代が払える!」という歓喜の声にはどうしようもなさを覚える。
浅井はため息をつくと、夢路に視線を移した。
「君も大変だな……」
「命運尽きたという感じがします」
夢路は静かに立ち上がり、襖を開けた。部屋の奥にはのっぺらぼうな人形が立っていて、昨夜のドレスが着せられている。
「汚れはありますが、このままお返しして大丈夫ですか?」
「ああ。小物はどうだ?」
「こちらです。手袋と、靴と、それから……」
髪飾りを差し出す。浅井が光にかざし傷などを改めているのを、名残惜しそうに見つめる。
夢路はこういったものにはとんと縁がなく、特別求めたこともないが、あの赤珊瑚のきらめきには惚れ惚れとしてしまった。小遣いで買えるだろうか、と考えたりもするがきっと足りない。
そもそも”買われた身“である自分が着飾ったところで何になるのか────夢路はそっと目を伏せた。
髪飾りが紙に包まれようとしたその時、松葉が横からにゅっと腕を伸ばした。そのまま何食わぬ顔で掠め取る。夢路も浅井も首を傾げているうちに懐に放り込んだ。
「おい、松葉、急にどうした……?」
松葉は屈託なく笑う。
「いやあ、浅井、悪いんだけどあの髪飾りはなくした!」
「は?」
「だからなくしたんだって。ね、夢路?」
「あの……? 今、松葉様が────」
言いかけるが、ぐっと身体を引き寄せられたので思わず黙る。「こういうときは知らないふりをするもんだよ」と耳打ちされるが、夢路はすっかり困ってしまった。
「合わせるも何も、丸見えだったというか」
「彼女の言う通りだ。図々しいにも程があるぞ!」
浅井はガシガシと頭を掻く。
「まあいい、今日だけはお前に乗ってやる。彼女の働きを考えればそう高いものではないし────よく似合うだろうからな」
「おっ、色男は言うことが違うねえ」
「お前はいつか海に沈める」
「洒落にならないからやめて」
2人が軽口を叩きあう中、夢路ははにかみながら髪飾りを握る。浅井も静かに微笑んだが、すぐに表情を引き締めた。わざとらしく咳払いもしてみせる。
「さて、急で悪いが次の依頼だ」
松葉はにやりと口角を上げる。
「お前の依頼は金になるからいくらでも。次は何を“退治”すればいい? 海坊主? 猫又?」
「もうすでに噂になっているが、火車だ」
浅井はぽつりと呟く────死体が奪われ、忽然と消え失せるらしい。




