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喫茶店ナーサリーライムと魔法使いの少女たち

「こっちこっちー! 早く早くー!」

「ちょっ……ちょっと待ってよ……」


 八月の澄み切った空の下で少女達の声が響く。そこでは長い坂道を二人の少女が上っていた。中学校の制服に身を包み、一人は快活に笑い、もう一人は激しく息を切らせている。


「もーだらしないなー。普段運動しないからだよ」

「ここまで連れて来たのはアンタでしょうが……。そもそも……」


 ポニーテールでまとめられた髪を揺らしながらその少女――藤原明里は振り向いて再び笑いかけ、それをもう一人の少女――白波結衣は相変わらず呼吸を乱しながら不満げに睨みつける。

 ここまでならば、どこにでもありそうで実に夏らしい光景の一幕だと思えるだろう。だが、その認識は正確でない。何故ならば、


「そもそも魔法使って空飛んでるアンタが言える口か!!」


――何故ならば、その光景の中で藤原明里は空中に浮かび上がり、白波結衣の後ろには多くの黒猫が列をなして行進を続けているからだ。

 そこに広がる光景はどこにでもあるものだとは到底言えないものだった。だが彼女らにとって、それは珍しいことでも特別なことでもない。二人が住む町、上森町の少女達は誰もが魔法使いである。




 上森町で「魔法」が確認されたのは今からおよそ十年前のことである。その年の8月、

ある日を境に町に住む十四歳の少女達が一斉に不思議な力に目覚める事件が発生した。これによって町はパニック状態となり、警察が介入したことによってこの事件は世間に知れ渡り、大きな注目を集めることになった。それから現在、上森町の「魔女渡来伝承」に由来して魔法と呼称されたこの現象は未だ発生し続けていたが、町の人々は魔法の存在を段々と受け入れ始めていた。藤原明里と白波結衣の二人もまた幼少期より魔法に触れ、そして魔法に目覚めた者の一人だった。


「えー。そんなこと言ったら結衣だって荷物を全部猫に変えてるし。良いなー楽そうだなー猫ちゃん可愛いなー」

「そんな良い魔法じゃないよ。明里の魔法と交換出来るなら今すぐしたいくらい」

「じゃあ今のままで良いや。私の魔法便利だし」

「そう言うと思った……。そもそも魔法の交換なんて無理な話だもんね」


 そうだねと頷きながら明里は結衣の周りをくるりと一周する。明里の魔法は「飛行」。ある程度の高さまでならば、さも無重力であるかのように自在に飛び回れるという魔法だ。また、自分自身だけでなくどんな物でも重量に関係なく浮かばせられる。この便利な魔法は学校でも重宝されており、故に彼女はその天真爛漫な性格と併せて学校の人気者になっている。それこそ陰気で地味な自分なんかと全然釣り合わないくらいには。結衣はそんな思いを微かに抱いていた。


「そうだ! 後はこのまま真っ直ぐ行くだけだし、競争しようよ!」

「競争!? 勘弁してよ……。そもそも私どんなお店か知らない……」

「位置についてー。よーい……」

 

 由衣が立ちすくむ中、ドンというかけ声と共に明里は急加速した。距離はどんどん開き、明里の姿は小さくなってゆく。結衣は困ったように頭を掻くと、ため息をついた。


「ああ、もう……。仕方ないんだから……」


 結衣は地面に両手を突き、クラウチングスタートの姿勢をとった。幼馴染みの結衣にとってこんなことは日常茶飯事だ。明里はいつだって思いつきで突拍子もないことをする。このまま放置しても良いのだが、結衣はそんな明里の性格が好きだったし、このまま負けっぱなしなのは性に合わない。

 ――何より、結衣は明里に速さで一度も負けたことなど無いのだから。

 手をついた瞬間、結衣の体に異変が生じた。全身がバキバキと音を立て、急速にその姿を変化させていく。ショートカットの黒髪は逆立ち、

全身に灰色の体毛が生じ、目つきは鋭くなり、低く唸り声を上げていた。

 僅か数刻の間に彼女の変貌は完了していた。先ほどまでの華奢な姿とは打って変わって逞しく、獰猛だ。由衣は今、灰色の体毛で覆われた狼そのものとなっていた。


『待ってなさいよ……』


 結衣はその体勢から銃口から放たれた弾丸の如き速度で飛び出した。優に時速70㎞を超えるとされる狼の全力疾走。魔法によって狼の姿を得た結衣はしなやかに四肢を躍動させ、アスファルトを駆けてゆく。やがて結衣は飛行する明里の姿を横目に捉えた。


「えっもう追いついたの!? 分かってたけど!!」


 結衣は狼の姿でニヤリと明里に笑いかける。そのまま明里を追い越し、彼女を尻目に更なる加速を続けていった。

 ――距離が大幅に開いたところで結衣はスピードを段々と落とし、緩やかに立ち止まって魔法を解除した。体力もかなり消耗しており、息を酷く荒げながらへなへなと崩れるように座り込む。後ろから明里、黒猫達と続いて到着し、彼女の隣にしゃがみ込んだ。

 結衣の魔法、「獣化」は自分自身や物を動物に変化させるというものだった。この魔法によって結衣は自分の姿を狼に変え、持ち物を黒猫に変えていた。一見こちらも便利に見えるかもしれないが、結局疲れることには変わりないし、そもそも学校からは生徒の安全だとか何とか言ってこの魔法を使うことを禁止されている。結衣自身もこの魔法があまり好きではなかった。


「あははは。今回も結衣に勝てなかった」

「はぁ……はぁ……。ダメ私死ぬ……。もう絶対やらないからね……。絶っ対やらないから」

「分かった分かったごめんごめん。でももったいないなー。今日は休みで先生も見てないんだし、坂を上る時も初めから変身した方が楽じゃなかった?」

「持ち物を変身させるならともかく自分に使うのは好きじゃないの。何故か知らないけど狼にしかなれないし。何であんな不細工なやつに……」

「ふーん。私はカッコ良いと思うけどねー。はいお茶。」


 明里から手渡されたペットボトルの緑茶を、結衣は礼を言いながら受け取って一気に飲み干す。全力疾走したことで乾ききった喉が水分を得て潤いを取り戻していく。結衣は明里のように運動部には所属してないが、この気持ち良さは格別だという認識は同じくしている。尤も、こんな暑い太陽の下でスポーツをやるなんてまっぴらごめんだが。

 

「ところで目的地まであとどれくらいなの?」

「もうすぐだよ。すっごく良い場所なんだから。由衣も絶対気に入ると思うよ」

「本当?」

「本当本当」

「心配……」


 明里のニヤニヤとした表情に結衣は警戒心を抱かざるを得なかった。結衣は今回の目的地について何も知らされていない。とにかく良いところだからと明里に押し切られてついてきた形である。結衣には以前二人で遊園地に遊びに行った時、明里の口車に乗せられて恐ろしく高いジェットコースターに乗せられた経験があった。そのために再び明里に嵌められるようなことがあったら、今度は鉄拳制裁を食らわせてやろうと結衣は決めていた。

 

「もー結衣は警戒しすぎだよ。顔にも出てるし。今回は大丈夫なんだからね」

「ジェットコースターの件は忘れんぞ……」

「はいはい。ほら、着いたよ」


 明里が足を止めたのは小さな店の前だった。『喫茶店ナーサリーライム』と看板を掲げたその店のドアや外壁は少々老朽化しており、普段ならそのまま通り過ぎてしまいそうだという印象を受ける。結衣は訝しみ、本当にこの店で合っているのか明里に尋ねようとすると、彼女は既に扉を開けて入っていた。


「ちょっと待ってよ明里!」


 結衣も慌てて後を追うように店内に入る。ガチョウを形取ったベルがカランカランと鳴る中、結衣はそこに広がっていた空間に目を奪われていた。

 店内を彩るのは変わった装飾品の数々で、それらはどれも不思議な魅力を抱いていた。「ナーサリーライム」の名の通り童謡や童話を題材にしているのだろうか。「不思議の国のアリス」をモチーフにしたものなど結衣が知っているものも多い。本棚には書籍が並べられており、一番上の棚にはマザーグースの洋書まで置かれていて興味を惹かれた。中でも、結衣が最も目を引かれたのは壁に掛けられた一枚の絵画だ。ブロンドの髪を肩まで伸ばした西洋人の少女が白のワンピースに身を包み、こちらへ微笑みかけている。童謡や童話と唯一関係ないと思われたが、何故だか不思議とこの空間に馴染んでいた。


「ふふーん。私の言う通りだったでしょう? 結衣なら絶対気に入ると思ったんだよね!」


 その声によって結衣は現実に引き戻された。声の主こと明里はカウンター席に座り、ニヤニヤと笑いながら自慢げにこちらを見ている。そんな明里に結衣は肩をすくめながらも笑みをこぼしていた。


「悔しいけど明里の言った通り。凄く良い店ね。ここに連れて来てくれてありがとう」

「ふふ、気に入って貰えたようで何よりです」


 その声は明里のものではなく、カウンターの向こう側から発せられたものだった。そこに立っていたのは黒いエプロン姿の若い女性。上品で整った顔立ちと綺麗なロングストレートの黒髪が印象的な美人で、結衣はつい見惚れてしまう。


「紹介するよ、こちらが店長の京子さん」


 明里の紹介に合わせて京子と呼ばれた女性は丁寧にお辞儀をする。結衣も慌てて名前を言って、頭を下げた。すると、明里が身を乗り出して京子の耳元に何かをささやく。京子も明里の言葉に納得するかのように頷いていた。


「あっ、あの……。お二人は一体何を」

「白波さん」

「はい!」


 京子の言葉に結衣はつい姿勢を正してしまう。彼女はそんな結衣の様子にくすりと笑うと、結衣の目を真っ直ぐ見つめ直し、口を開いた。


「もし良かったら、どうか私達に協力してはくれませんか」

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