9、最強の勇者と平穏 前編
「おや、珍しいお客さんだ」
晴れた昼下がり。いつものように畑仕事を終えると、玄関先に一人の女性が立っていた。
「お久しぶりです、アユム様。畑仕事に精が出ますね」
「ええ、お久しぶりです」
首にかけたタオルで、額の汗をぬぐう。自身も転生所の仕事で忙しいだろうに、こうして定期的に気にかけてくれている。
やさしい娘だ。何度か話をするうちに、このカナという女性の事が分かってきた気がした。
「こんな田舎まで、わざわざ様子を身に来てくださって有難うございます」
「いえ、こちらも仕事ですので。……やはりアユム様は、剣を持ってはいただけませんか」
「はい。以前からお断りさせていただいている通り、私はもう勇者として戦うつもりはありません。今はこの田畑を守り、日々を過ごすことが幸せなのです。それに、今の私の能力は戦闘向けではないですよ」
晴耕雨読の日々。質素ながらも、それがとても幸せだった。世俗にまみれて暮らすことにはもう疲れてしまったのだ。
それに、俺の手には随分と鍬が馴染むようになってしまった。今の俺には、剣を持ってもまともに振れないのではないだろうか。
「しかし、あなたは昔、魔王を倒したほどのお方です。我々としても、それほどの人材を遊ばせてはいられません。しきたりとして転生者への接触は禁止されている中で、あなただけは特例とされているのです」
「そう買いかぶらないでください。どうでしょう、コーヒーでも飲みませんか? まあ、そこの森でとれた豆を挽いただけの、なんちゃってコーヒーですが」
いただきます、とカナ。私は彼女をテラスへ案内した。手作りのコーヒーミルのレバーを回すと、香ばしい香りが辺りに広がる。
急いでお湯を沸かす。シャワーで汗を流した後に一服する予定だったが、今日は涼しい一日だ、それ程汗はかいていない。それに、お客様を待たせる訳にはいかないだろう。
「お待たせしました。さて、先ほどの続きですが……私は今の生活が気に入っています。前世で死んで、ショックで記憶を失った。そんな時に、転生所の皆さんには大変お世話になりました。おかげさまで、今ではあらかたの記憶も戻りました」
「それでは、なおの事お分かりのはずです。あなたという人物の、最強の勇者と呼ばれたあなたの重要性が」
「はは、今の私はただの農夫ですよ。それに、転生の前も別に最強だなんて思っていません。弱かったんですよ。心が」
失っていた記憶。半年前に起きたある出来事から、すっかり取り戻した。
「出来れば、お聞かせ願えますか? あながたそれ程までに勇者であることを拒む理由を」
「もちろん。あなたには話しておきたいと思っていました。……お時間は大丈夫ですか?」
ええ、と頷いたカナに、おかわりのコーヒーを用意しながら、私は記憶を思い返していた。あの日の、苦い記憶を。
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それは巨大な鬼だった。
巨人族の中でも強く魔に染まったその男は、巨人の国を暴力で治め、周囲の国へもその歯牙にかけようとしていた。
知恵が足りないと揶揄される巨人族であったが、こと戦闘においては、その知恵が必要とされない程に圧倒的な力を振り回していた。
統率する者が一人いるだけで、これ程のものになるとは思いもしなかった。それらは生きる兵器と化していたのだ。
彼らが通った後は廃墟が並び、屍が積み上げられた。他の国の民どころか、そこにある全てのものを、取るに足らないものと言わんばかりに破壊を尽くした。
私の国もまた、巨人族の侵攻に怯えていた。日に日に広がる被害の波は、その鬼を魔王と知らしめるに相応しいものだった。
ともあれ、手をこまねいている訳にはいかないと、立ち上がったのが私とその仲間たちだった。勇者と呼ばれる事は照れくさいものだったが、母国の為と心を奮い立てた。
魔王の城への侵入はたやすいものだった。彼らの身の丈は、小さいものでも十メートルは軽く超えている。私たちのような小さいものなど、視界の端にも見えていない。
全ての巨人を倒すには、数も力も足りない。それでも、彼らを統率している魔王さえ倒せば進撃は緩むだろう。私たちは精鋭十人のパーティーで、魔王の首を取ることだけを考えていた。
城の中はすべての者が巨大である以外は、地方の領主の屋敷のようなものだった。人の国ほど装飾は無く、存外質素なつくりである。
魔王の元へは、簡単にたどり着けた。警備らしい警備も無い。これならばすぐに仕留められると高をくくっていた。
一瞬だった。
魔王に対峙した瞬間、その右手に握られた巨大な鉄塊が振り下ろされた。その一瞬で三人が吹き飛び、砕け散った。
いずれも国の歴史に名をはせた屈強な戦士たちであった。過去には侵攻してきた巨人を数多く打ち倒し、その力を認められてこのパーティーの一員となったもの達だ。
それが、文字通り砕け散ったのだ。ただの一振りで、ただの一撃で。
他の巨人共の警備などいらないという事だ。魔王こそ、巨人の国の中で最も屈強であることを、まざまざと見せつけられた。
それでも、私たちには退却の二文字は無かった。ここで討ち滅ぼさなければ、さらに多くの被害が広がる。
一人、二人と仲間が命を散らすなか、最後に私の剣が魔王の額を捉えた。けたたましい程の断末魔。心の弱いものなど、聞くだけで絶命するかもしれない。
程なくして、巨人の国は混乱に陥った。統べる魔王が死んだのだ。私はその隙に、巨人の国を抜け出した。九名の犠牲の上の勝利だった。
仲間たちの遺品と共に、私は国へ帰った。魔王を打ち倒したことを報告すると、国は歓喜に沸いた。その日から私は英雄と呼ばれた。
国民すべてが、私を敬愛し、羨望の眼差しで見ていた。驕りではない。それ程までに巨人達は恐怖の象徴となっていたのだ。
しかし、偉業を成し遂げた私の心は暗いものがあった。共に旅をした仲間たちを全て失ってしまったのだから。これは屍の上の、血塗られた偉業なのだ。
彼らの遺族には、何度も何度も感謝をされた。彼らの死が無駄で無かったのだと。死んだ彼こそが英雄だと答えると、誇らしいと涙を流していた。
胸が締め付けられるようだった。
あの時油断がなければ、あの時こう立ち回っていれば。そんな考えばかりが頭を巡った。忙しいと理由をつけて、自室に籠る日も多くなった。
そんな苦悩の日々の中、一人の使用人が私の相談相手になっていた。彼女の纏う空気に、つい気が緩んでしまう自分がいた。
話をしては、共に紅茶を飲む。それが、日課になっていた。そうして少し自分を取り戻したとき、彼女に違和感を覚えた。
美しすぎるのだ。
確かに彼女を好いている心があることは否定しない。しかし、贔屓目でなくとも、あまりに美しい。
ここは王城である。他の使用人達も身綺麗なものだし、所作も素晴らしいものだ。しかし、その中にいても彼女だけが群を抜いている。
その正体に、私は驚いた。いや、むしろ当たり前の話だったのかもしれない。
彼女はこの国の姫であった。
姫という肩書のままでは、私が心を開かないだろうと案じ、使用人の振りをしていたという。何故だ、と聞いたところ、一目惚れだった、と返ってきた。
白い頬に淡く朱色が混じる。その時の照れて俯いた顔は、私の心を強く揺さぶった。
その出会いからしばしの時が過ぎて、国はまた歓喜に沸くことになる。
国を救った英雄と第二皇女の婚礼の儀は、それはそれは豪華なものだった。国中からの祝福に、私は久しく忘れていた幸せを思い出していた。
その幸せな生活も二か月が過ぎた。私は英雄としてだけではなく、次期国王としても民からの支持を得ていた。
私が歩くと、民衆は歓声を上げ、手を振った。
そんなある日、和平の使者として隣接する国へ向かう事になった。これまでも何度か城を開けることはあったが、今回は悪路を通る必要があり、長期での旅が想定された。
「あなた、今回は私に行かせてください。あの国の王子とは、幼き頃から交流がございます」
妻となった姫ナターシャが、そう提案してきた。珍しい。ここのところ忙しくしていた私を案じての事だろう。共に行こうと提案するも、休んでくれの一点張りだった。
隣の国へは往復で四日。交渉と合わせて丸一週間は城に返ってこれない。いくつかの国と緊張状態にある今、私が抜けるのは確かに厳しい状態ではあった。
和平の使者としての格を持ち、誠意を伝えるには、彼女はうってつけだった。辛い時にはいつも、さりげなく助けてくれる。私にはもったいないほどの妻だ。
その日の夜だった。少し早めに就寝していた私を、けたたましいノックがたたき起こした。
「何事だ!」
ドアを開けると、そこには兵士が息を切らせて立っていた。
「アユム様……ナターシャ姫が……」
絶望に包まれた表情に、とてつもない事が起こってしまったことを察する。
「ナターシャ様を乗せた馬車が、賊に襲われたとの報告が……」
「賊だと!? 警備の者は何をしている!」
「それが、敵に相当な手練れがいたらしく……」
「クソッ!」
私は、夜の闇の中へ馬を走らせた。間に合え、間に合ってくれ。胸が苦しい。
ナターシャを守る警備兵達も、屈強なものたちだ。それらが手練れと呼ぶほどの敵。いやな汗が背中を冷やす。
その場所に辿り着いた時には、朝日が昇っていた。傷だらけの豪華な馬車。その周りには、見覚えのる顔がいくつも並ぶ。皆、事切れて横たわっていた。
賊らしきものも何人か死んでいる。命がけで戦った事が分かる。腕の無いもの、足の無いもの。果てには口に剣を咥えた状態で死んでいるものもいるほどだ。
それにしても不自然だ。ここで倒れている賊程度のものが、彼らを殺せたと思えない。いくつかの死体に残る傷は、剣を振るったものの力を感じさせた。
「ナターシャは……」
馬車の窓。一本の長い剣が斜めに刺さっている。それを見た時、背筋が凍った。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
他に何も浮かばなかった。震える足をどうにか動かし、馬車に近づく。その剣の先に何があるか、想像などしたくなかった。
馬車の窓から覗くと、赤く染まったナターシャがうなだれるように、力なく座っている。その胸には、深々と銀の刃が刺さっていた。
「あ、ああ……」
声にならない叫びをあげて、私はその場に崩れ落ちた。涙というものは、これほどまでに止まらないものなのだ。まるで体中の水分を涙に変えてしまったように、とうとうと流れ続けた。
そのまま、私は気を失ってしまった。
その日から、私はまたふさぎ込む毎日を送った。ただ空を眺める日々。ふとした時に、あの惨状を思い出し、涙が流れた。
思い出す景色の中に、引っかかるものもあったが、それ以上の苦しみから、忘れようと必死になっていた。
空は良い。流れる雲に羽ばたく鳥。私の苦しみも悩みも全て吸い込んでくれそうで、いくらでも眺めていられる。
「それにしても、今日は馬鹿に雲の流れが早いな」
ぼんやりと眺めている雲の形が色々と変化する。そんな雲の形の一つが、何となくナターシャに重なって見えた気がした。
「ああ、何てことだ」
ナターシャが帰ってきたのだ。ああ、風に流れてしまう。この小さな窓からでは、すぐに見失ってしまう。
私は窓を開け、雲を目で追う。バタリという音に驚いたのか、近くの気に留まっていた鳥たちが一斉に飛び立つ。
一瞬、その鳥たちに気を引かれている間に、ナターシャの姿は空に溶けていた。
「ああ、ナターシャ……そんな……」
久方ぶりに見た妻の姿に名残惜しさを感じながらも、窓を閉めようと手を伸ばし、近くから聞こえる音に手を止めた。
「誰か、戦っているのか?」
目線を落とすと、そこでは数名の兵士達が戦闘訓練をしていた。木製の剣ながら、中々の気迫を感じる。随分と熱が入っているものだ。
肩のエンブレムを見ると、第一皇女の親衛隊のようだ。その後しばらく、その訓練を眺めていた。私もつくづく武人なのだと、我ながら呆れてしまった。
その中に一人、明らかに周りのものより剣の振りが冴えているものがいた。思わず息をのむほどの鋭い剣捌きに、周りの兵士達から一目置かれているのだろう事は感じられた。
他の者に比べ、倍はあろうかという長い木剣。中々珍しいものを使っているが、それに振り回される事なく、鋭い。
彼がこの隊の隊長だろうか。見ているだけで、凍り付いた心に熱いものが注がれていく気がする。
そう、沸々と沸いてくる思いがある。剣が一度振り下ろされるたびに、頭の中で何かが小さく弾けるように思えた。
この感覚はなんだ。何か、何か思い出そうだ。
「そうだ、あの剣筋は……」
あの日足元に倒れていた警備兵の傷。賊の中に紛れ込んだ手練れ。極端に長い剣。決めつける事は良くないが、私の中では二つの点がつながった。
それから、私はあの日の事について調べ始めた。思い返して見ても、不自然な点が多い日だった。
そもそも、いつも穏やかなナターシャがあれほどまでに強情たっだことは無かった。あの時に、異変に気が付くべきだったのだ。
あの日、第一皇女の兵達の一部が、城を離れていたという。細かい理由はわからないが、守るべき姫を置いて何所に行くというのだ。
そして、街の情報屋から決定的な情報を得た。皇女付きの近衛が一人、近くの山を根城にした賊相手に接触していたという。それは、ナターシャが死んだ日の昼の事であったという。
この事を、ナターシャはどこからか知ってしまったのだ。私を守るために、身代わりになったのだろう。
私ならば、賊を撃退することも出来ただろう。第一皇女の企みも未遂に終わっただろう。
それが分かっていて、ナターシャは自身の身を犠牲にしたのだ。第一皇女が次期王の暗殺を狙ったとなれば、王族の威信は地に落ちかねない。
指導者たるものを失った国は、滅びる。容易く混乱に陥り、それを見た敵国は好機とばかりに攻めてくるだろう。
私を、そしてこの国守るために、彼女は自らの命を捧げた。
何が残されている訳ではない。今となっては、私の想像の中のナターシャが、そう語っているだけだ。
力が抜ける。久しく落ち着いていた悲しみが、全身を包んだ。その波が収まった頃、心に残ったものは、純粋な怒りだった。
部屋の隅、埃の被った剣を手に取った。鞘から抜いた剣は、私の心に呼応するように、鋭く輝いていた。
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喧噪が聞こえる。大勢の者が、慌てふためいて何やら叫んでいる。
暗く濁っていた視界が、少しずつ冴えてくる。淡い光に照らされたものは、一面に咲く赤い花だった。
いくつもの腕が、いくつもの足が、いくつもの頭が、それが付いていたはずのいくつもの胴が、赤い花を咲かせていた。
そして、その中央に、青い顔の女がいた。腰を抜かしているのだろう。涙を浮かべたその女の顔は、私の心をざわつかせた。
憎しみが、怒りが、悲しみが混ざる。憎むべき目の前の女の顔は、もっとも愛した女の顔に似すぎている。
「ナターシャ……ああ、ナターシャ……」
愛した女の顔がちらつく。悲しみに包まれたナターシャの顔が、怯えた女と重なる。
女は、何か喚いている。済まぬ、と聞こえた。そんなつもりは無かったと、そんな事を言っていた気がする。
うるさい女だ。その顔で、その声で、そんな言葉は聞きたくない。
私は、右手に握る剣を構えた。両手で握ったつもりだったが、いつの間にか左ひじから先は無くなっているようだ。
知った事か。
振り下ろした剣は、女の顔を二つに裂いた。その叫び声は、いつかの鬼の断末魔にも近いものを感じた。醜いものは、同じような最後を辿るのだ。
「終わった……」
全身の力が抜け、突っ伏した。温かなものに包まれて、私は眠った。壊れた心と失った記憶を血に溶かしながら、謁見の間の中央で、私の命は尽きたのだった。