8、異世界転生案内所と現世(係)
階段を上るタカシの背中を見送ると、ハナは両手を上げて背中を伸ばした。この後彼は女神によって転生する。どんな未来を描くのだろうか。そればかりはハナ達にも分からない。
「ハナ、そっち終わった? 申し訳ないんだけど、この書類を現世係に持って行ってくれない?」
少し前に別の受付を済ませ、書類の整理をしていたカナ。随分とお疲れのようで、珍しく頭を抱えている。
この異世界転生案内所は、転生課に所属する異世界係の通称だ。同じ課には同一の世界へ転生する現世係が存在する。
転生課の課長がそっちにデスクを置いている為、定期的に押印をもらいに行く必要がある。普段はカナがまとめて貰ってくる事が多いのだが、それだけ疲れているという事だろうか。
「いいですよ。私が持っていきます。今しがた女神の間へ向かった男性の方の書類は……」
「ああ、それは私がやっておくわ。明日の書類とまとめて持っていくから」
ぐったりしながらも、タカシのプロフィールを受け取るカナ。彼の転生が完了した後、女神と共にいくつかの項目について確認する必要があるのだ。
「じゃあ、行ってきますね」
そう言って、ハナは階段へ向かう。トコトコと降りていくと一階のドアの向こうに『現世係』の看板が見えた。
「あら、ハナじゃない。珍しいわね。カナはどうしたの?」
「カナは疲れちゃったみたいでして……これ、今回の分の書類です。課長に渡してもらえますか」
「リョーカイ……って、あら? この人……」
現世係は書類の束を受け取ると、その一番上の写真をみて固まった。それは、先ほどシミズタカシの書類を受け取った際に、二枚目にあったものである。
「あれ、この人知っているんですか? 多分さっきまでカナが対応していたようなのですが」
それを聞いて、現世係は何かを察したように頷いた。
「そう、この人をカナが対応していたのね。それは疲れる訳だわ」
「どういう事ですか?」
プロフィール欄に書かれていた名前は黒田光クロダヒカリ。確か、この名前を捨てて、シズという名前で転生したはずだ。
しかし、彼女は異世界転生に来たはずである。なぜ現世係が彼女の事を知っているのだろう。
そのことを聞くと、なんとも苦々しい表情を浮かべた。
「この人、今回の前にも一度転生しているのよ。それも、現世への転生をね。その時私が担当したのよね。確かその時も誰かに振られたとか言ってたわね」
その話を聞いて、ハナは小首をかしげた。たしか、現世への転生は、異世界転生とは違って赤子からスタートするはずだ。そう、基本的には生まれ変わるための場所なのだ。
「あれ? でも現世への転生って、赤ちゃんからになるんじゃないんですか? もう顔も変わっているんじゃ……」
「それがね、物凄かったのよ。抗議って言っていいかわからないんだけどね。もうゴネてゴネて。私がここに来てからあんなの初めてだったわ」
「そんなに凄かったんですか」
それはもう。と呆れ顔の現世係。カナがあれだけ疲れているところを初めて見たのだから、よほどの事だったのだろう。
「特例も特例。名前も顔も変えて現世に転生したわけ。いや~、この人、恋した相手とくっつく為だったら、文字通りなんでもするんじゃないかなって噂してたのよ」
そう言いながら、現世係は笑った。その『なんでもする』の餌食になったカナの事を思えば、ハナは乾いた笑いを返すことしか出来なかった。
その後も二言三言躱し、ハナは異世界転生案内所へ戻った。先ほどまでに比べればマシになっているが、カナの顔には疲労の色がまだ見えていた。
「カナ、大変だったんだね……」
「お疲れ様。有難うハナ……って、急に何よ?」
不思議そうにハナの顔を見るカナ。ハナは、先ほど現世係との会話について語った。その話を聞きながら、カナは露骨に不機嫌になる。
「ああ、あの人の話はしないで頂戴。あんな我儘に屈するなんて、私は案内人失格だわ」
イライラしながら頭を掻くカナを見て、嬉しそうにヒナが近づいてきた。
「カナが言い負けるなんて珍し~。あの子結構可愛かったし、実はそういう女の子が好きだったり?」
「は? ふざけんじゃないわよ! 誰があんな……」
それからは、いつものように喧嘩が始まった。ギャーギャーと騒がしい二人に、ハナはおろおろとみているだけだった。
そんな騒がしい中で、奥の扉がゆっくりと開いた。
「あなた達、また騒いでいるのですか?」
「は、はいっ!」
女神が二人を一喝する。カナもヒナも。背筋をピンと伸ばして返事をした。ハナはほっと胸を撫で下ろすと、残りの仕事を片付けるために机に向かった。
カナを言い負かすほどの執念。通常、転生にはよほどの魔力量があるか、とてつもない執念が無ければならない。
彼女の心をこれほどまでに突き動かすもの。惚れた腫れたの恋心まではハナには良く分からなかったが、ただ凄い事なのだとは、何となく感じた。
思いを遂げるために転生した人の気持ちを想像しつつ、残った仕事をこなすハナ。いつもより集中出来ない程に、その恋の行方が気になるのだった。