7、冴えないホストと愛情 後編
シズのあまりに急な告白に、俺の思考は一時停止していた。貴賓席に目を向けると、国王も同様に目をまん丸にして固まっていた。
お付きのメイドたちが慌てて床を拭いているところから、先ほどグラスを落としたのは、誰であろう国王だったようだ。
取り乱した国王に、それを宥める側近たち。パーティー会場はちょっとしたパニックになった。城のメイドたちに促され、その日は宿に返された。
そして、翌日また城に呼ばれた。
謁見の間に通される。玉座に座っている国王は、明らかに不機嫌さがにじみ出ていた。その隣で、シズは笑顔でこちらに手を振る。流石に、それに手を振り返す勇気はない。
「よく来たな、タク。娘の心を奪った男よ」
一体シズに何をしたのだ、と怒気のこもった歓迎に、冷や汗が出る。
「シズは昔から、一度言い出したら聞かない子だ。貴様と共になりたいというのも真剣なものなのだろう。しかし、余はそう易々と認めるわけにはいかん」
国王は立ち上がると、右手を突き出した。メイド長らしきものが、羊皮紙を持って目の前に来る。
「その背にした剣が飾りではないことを証明せよ。貴様に一枚の地図を授ける。そこに記されているものはドラゴンの巣である。見事ドラゴンを打ち倒しその角を持ち帰ったとき、シズとの婚姻を認めてやろう」
何を言っているんだこの男は。正直俺はまだ、この事態についていけていない。
それにしても昨日会ったお姫様との結婚のためにドラゴンを倒せだと。バカも休み休み言ってほしいものだ。
呆れながらも、この場を取り繕うために羊皮紙を受け取る。
シズが熱い視線を俺に向けている。その豊満な胸にを見るとどうにもテンションが上がる。確かに綺麗な娘だし、とても勿体ない話だが、適当にはぐらかして逃げてしまおう。
「わかりました。確かにこの手でドラゴンを討ち果たして見せましょう」
「ふむ、その覚悟や見事。是非とも監視魔法でその活躍を確かめさせてもらおう」
監視魔法だと。おいおい、この世界にはそんなものがあるのか。
城を出た後さっさと別の町へ行こうと思っていたのに、とんだ計算違いだ。
一国の王を怒らせた上に監視が付くことになろうとは。俺は城下町の裏にある山の中腹、ドラゴンの巣を目指さざるを得なくなった。
山は崖ばかりの悪路であったが、身体能力強化のおかげで、道中は楽なものであった。
途中で出てきたモンスターたちもエクスカリバーでバサリバサリと切り捨てて行った。夕方、山頂に太陽が重なるころには、目的地である山の中腹に辿り着いていた。
先ほどまでは寂しいながらも樹木が生えていて、所々に緑があった。しかしこの辺りは岩ばかりで、生物の気配すらない。
そんな無機質な雰囲気の中にあって、目の前にある洞窟の奥からは圧倒的なオーラを感じていた。
意を決して足を踏み入れる。洞窟の中は意外にも静かなものだった。メイド長の話では、ドラゴンは夜に活発に動き、夕方頃はまだ巣で眠っているとの事だ。
数メートルごとにある白骨が、この先の脅威を示している。
街でみた近衛兵と同じ鎧の死体も散見されるが、時には仰々しい甲冑やエクスカリバーによく似た剣を抱いたものも見られ、転生者であっても命を懸けなければ倒せないものなのだと感じさせた。
そして、洞窟の奥の大きく開かれたところにそれはいた。
まだ眠っている様子のその巨大な生物は、まさしくドラゴンであった。
その爪の鋭利さは、まさに殺傷するために生まれたと思わせるほどであり、片足の小指ですら、屈強な兵士の胴体を易々と切り裂くであろうことは容易に想像出来る。
今は閉じているその口は、昨日の宿の部屋くらいなら一噛みで全壊するのではないかいうほど大きい。
後頭部から生えている二本の角は丸太ほどの太さであり、それは薄暗い洞窟の中で淡く光り、強い魔力を感じさせた。また、その背中の羽は閉じているが、太い骨の浮いたそれは、確かな力強さがあった。
そして、ドラゴンをドラゴンたらしめるもの。それはまるで炎を宿したように真っ赤な鱗に覆われた皮膚と、その圧倒的な巨躯である。
「これがドラゴンか……ハハ、まったく、本当に冗談きついぜ」
誰も頼れるものはいない。ただ一人のカミカゼ特攻である。まるでドン・キホーテだ。せめてロシナンテでもいればまだ救われただろうに。
監視魔法の向こうでは、あの豪華な城でこの様を眺めているのだと思うと、無性に腹が立つ。
しかし、ドラゴンは今寝ている。この隙に脳天をエクスカリバーで突き刺してしまえば、さしものドラゴンであっても、絶命してくれるのではないだろうか。
よし、と太ももをたたくと、ゆっくりとドラゴン向けて歩き出す。どうにか物音を立てないよう、そっと、そっと近づく。その時、
「タク様! 頑張ってくださいまし!」
唐突に、シズの声が洞窟内に響く。
「シ、シズ様、声を出してはいけませぬ。この監視魔法はあちらと音声が繋がっているのですよ」
「わかっています。シズはタク様にこの思いを届けたいのです」
「駄目です。このままではドラゴンが起きてしまいます。この声はタク様だけでなく、その周囲にも聞こえているのですよ!」
「なんですって!? そんな大事なこと、なぜ先に教えて下さらなかったの!」
その後もドタバタと騒がしい声が響く。しばらくして、急に静かになったので、もしかすると監視魔法を切ったのかもしれない。しかし、こちらはそんなことはどうでもよかった。
――グルルルル
この洞窟の主が、怒りに喉を鳴らす。俺という侵入者に威嚇をしているのだろう。チラリと見えた牙は、その一本一本が人間一人より大きいのではないかと思われた。
起きてしまった。どうしよう。
寝ている間に仕留めるつもりが、とんだ邪魔が入ってしまった。ドラゴンは首をこちらに向け、真っ直ぐ目と目があった。完全に俺がターゲットになっている。
このままでは、道すがらのしゃれこうべに仲間入りしてしまうではないか。
一か八かと強く踏み出し、ドラゴンの頭目がけて飛びかかった。のけぞった姿勢から一気に前かがみになるように、エクスカリバーを強く振り切る。
――スタッ
俺の足は、軽やかに地面を叩いた。残念ながら、俺の渾身のジャンプはまったく届かなかった。情けなさから、変な汗が出る。
――ズシン
一拍置いて、何か重い音が地面を揺らす音がした。
顔を上げると、エクスカリバーがとんでもない長さに伸びていた。そしてその切っ先は、ドラゴンの首を真っ二つに輪切りにしていた。
剣は持ち主の思いを具現化するものだと説明を受けたが、まさかエクスカリバーが伸び縮みするとは。俺の知っている剣はこんな感じでは無かった気がする。
可愛い子の前ではつい背伸びしてしまう俺を揶揄しているのだろうか。
あっけに取られて棒立ちしていた俺の耳元に、またシズの声が聞こえる。
「もしもし! タク様……まあ、あれはドラゴンの首でございますか!?」
どうやら監視魔法でまた繋がったようだ。切り落とされたドラゴンの首を見つけたようで、シズが大きな声を上げる。
「タク様、ドラゴンを倒したのですね!」
その声が呼び水になったように、あちら側では大歓声が上がる。それが洞窟に反響して、頭が痛いほどだった。
あっけない戦いだったが、こうして俺のドラゴン退治は無事に完了した。
王城に辿り着いたのは月が微かに照らす頃だった。城の中では飲めや歌えやの大騒ぎとなっており、その主役を皆待ちわびていたのだった。
険しい山登りで疲れているというのに、その日はとにかく飲まされた。それどころか、陽気に当てられて、調子に乗って自ら浴びるように飲んでしまった。
さらにテンションの上がった俺は、嘘も尾ひれも満載にドラゴン退治について語ったのであった。俺の一挙手一投足に食いつき、そのすべての言葉に頷く観衆というのはとても気持ちが良いものだった。
その夜は、城の貴賓室に泊めてもらえる事になった。何畳くらいあるのだろうか。転生前に住んでいたワンルームの数倍はあるのではないだろうか。
そんな広い空間には、天蓋付きの豪華なベッドに大理石でできたテーブル。まるで住む世界が違うこの部屋で、落ち着けと言われても難しい。
しかし、これまでの人生とこの部屋とのギャップ以上に、大きな問題があった。
先ほどの酒の所為で頭が痛い上に気持ちが悪い。あまりにも飲みすぎたようだ。ホスト時代にもそれなりに飲んでいたはずだが、こちらに来てから耐性も変わってしまったのだろうか。
ただの飲みすぎでこうなってしまうとは、酒というものは恐ろしいものだと改めて思った。
メイドに肩を支えられて、ベッドに腰かける。出された水を一気に飲み干すと、少しだけ楽になった気がする。
「有難う、メイドさん。助かったよ」
「いえ、それではおくつろぎ下さい、タク様。くれぐれも失礼のないようお願いします」
ドアを閉じるメイドを見送ると、ベッドに寝ころび、一息つく。ふかふかで気持ちがいい。そんな事を考えているときに、先ほどのメイドの言葉に引っかかりを覚えた。
聞き間違いかだろうか。失礼のないようにとはどういう事だ。そう思いながら彼女の顔を思い浮かべる。そういえば、何か含んだ笑顔を俺に向けていた気がする。
メイドが出て行った数分後、そろそろ瞼が重くなってきたころに、ノックの音が響いた。
窓の外もとっくに寝静まっており、頭痛に悩まされる俺としてもゆっくりしたいところだ。一体誰が来たというのだろう。
重怠い体を持ち上げて、ふらついた足でドアに向かう。ガチャリと開けたその向こうには、シズが恥ずかしそうに立っていた。
顔を俯きながらも、上目遣いでこちらを見ている。薄く透けたネグリジェの上に、それを隠すように一枚羽織っているだけの服装。只々エロい。それが何を示しているのかは一目でわかった。
出会ってから二日半。ドラゴンを殺したときに、国王に婚姻が認められたのだろう。彼女は俺との初夜を迎えるためにこの格好でこの部屋まで来たのだ。
雪のように白い肌に、火照りの赤が差している。煽情的に揺らめく瞳と胸元に光る汗。俺はごくりと唾を飲んだ。
目の前にいるのは一国の姫である前に、俺に惚れた一人の女の子である。そして、その女の子は俺を求めている。
この姿で通路にいさせるのはあまりにも酷いというものだろう。追い返すなど以ての外だ。赤く熱を持った彼女の肩に手を回し、部屋に招き入れた。
シズは一つ深呼吸をして、部屋に足を踏み入れる。あの国王の寵愛ぶりを見るに、男の部屋に一人で訪れるなど、初めての事だろう。その緊張がとくとくと伝わってくる。
「やあ、シズ。いらっしゃい」
部屋のドアを閉めながら、言う。我ながらわかりやすいなと、心の中で苦笑する。そんな俺の心の声を知ってか知らずか、シズは妖艶な微笑みを浮かべる。
「私がここへ来たのは他でもありません。旦那様。私を抱いてくださいませ」
あまりにも真っ直ぐな瞳に、吸い込まれてしまいそうになる。俺の理性がこんなにも立派なものだとは思っていなかった。
震える手で、シズをベッドにエスコートする。彼女は顔を綻ばせている。
「……ついに、この時を迎えられました」
ベッドに横たわり、俺の首に腕を絡めてくる。俺も、シズの頭をやさしく撫でた。それぞれが服に手を伸ばし、ボタンを外していく。シズの体は月明りに照らされて、とても美しかった。
そしてまた、シズの両腕が俺の首にそっと絡まる。耳元で、シズは甘い言葉を呟いた。
「隆、やっとあなたと一緒になれるのね――」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
先日転生手続きを完了した男性。その申請書の隣にもう一枚。
ヒナはその二枚を並べて、にやにやしながら眺めていた。チラチラと申請書とカナを交互に見る。
「カナって、意外とこういう人に弱いよね~」
「なんのことよ?」
「この人、転生先のお姫様の名前がシズって聞いて、スッゴイ喜んでたもんね、シミズに似てるって。あの時には入れ替わる気だったのかな? いや~怖いよね~」
彼女はこれで三度目の転生だ。死因はいずれも自殺。隆に振られる度に、姿を変えて新しい人生を歩んでいる。
「それに、普通宝物探索ってトレジャーハンターとかの能力なのに、想い人をターゲットにするなんてね~。お姫様に化けるっていうのも執念が凄いよ~」
次こそは、と色々細かい設定を盛り込んだ彼女は、転生した後に、一国の姫に成り変わった。それを許してしまうカナは、どうにも情や押しに弱い処があるようだ。
そんなやり取りを横目に見て、ハナは複雑そうに笑みを浮かべる。想い人と一つになれた今、彼女はもうここへ来ることは無いのだろう。