6、冴えないホストと愛情 前編
電話のベルが鳴る。俺は少し躊躇してその受話器を取った。
何も聞こえない。
最近ずっと続いている無言電話。原因はわかっている。二週間前に振ったあの女だろう。告白は嬉しかったが、単純に女としての興味が持てなかったのだ。
毎日ポストに入っている手紙と、この無言電話。断り方に問題があったようで、どうも彼女はこじらせてしまったようだ。
届いた手紙も酷いもので、その一面に細かい文字が大量に書いてある。
――タカシ愛してる。
まあ、その言葉だけなら悪い気もしないのだが、それが手紙の両面をぎっしりと覆っているのだから怖すぎる。
こんなもの、郵便局も受け付けてくれる訳がないのだから、ポストに直接入れているのだろう。それもまた、恐怖を助長させる。
また電話のベルが鳴る。いい加減にして欲しいものだ。
この前偶然この時間にコンビニへ行った帰り、あいつが非常階段脇から電話をかけているのを見かけた。今日もまた、どうせそこにいるのだろう。
鳴り響くベルを無視して、玄関に向かう。いい加減、ガツンと言わなければ、今後の人生めちゃくちゃになってしまう。
買ったばかりのスニーカーを履いて、ドアに手をかけた。ガチャリ、ノブを回して外に出る。その時、腹部に何か熱い衝撃を受けた。
ドアの外には彼女の姿。とても美しい笑顔で俺を迎えている。その手には包丁がしっかりと握りしめられており、その切っ先は俺の脇腹に深々と突き刺さっていた。
「ねえ、どこに行くの?」
遠のく意識の中で最後に聞こえたのは、そんな何気ない言葉だった。
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「いらっしゃいませ。何かご希望はございますか?」
目を覚ますと、目の前に女がいた。肩口にかかる金髪がふわりと揺れ、その少し目尻の下がったたれ目で、こちらを見つめていた。
ここは何所だろうか。腹を刺された後の記憶がない。
病院にでも運ばれたのだとも思ったのだが、ここは役所のように見える。目の前の女も、看護師という服装ではなく、黒のスーツのような服装をしている。
何気なく腰に手を当てる。先ほど刺されたはずの場所に痛みがない。見ると、傷口が無い。来ている服にも血や傷が見当たらなかった。
「えっと、シミズ タカシ様で間違いはございませんね」
「あ、はい。俺、隆です。ここは一体何なんですか? ちょっと記憶がはっきりしないんですけど」
「ここは異世界案内所です。案内人のハナと申します」
俺の返事を聞いて、ハナは手元の資料をパラパラとめくる。そして、一枚の紙に目を止めた。
その紙には、俺の顔写真が張り付けてあった。まるで履歴書のようなフォーマットの紙だが、そんなもの提出した記憶など無い。
「清水様は初めてのご利用のようですので、簡単にご説明いたしますね」
そう言いながら、手元の資料をこちらに向ける。その用紙のタイトルは、転生先申請用紙と書かれていた。その用紙に目を通していると、とある項目に目が留まった。
死因:刺殺
たちの悪い冗談だ。誰がこんなに凝ったドッキリを仕掛けているのだろうか。そう思いながら他の項目を眺めていると、不意に記憶がフラッシュバックしてきた。
腹を刺され崩れ落ちた後、ぼやけた視界の中で、あいつは包丁を振りかざしていた。そして、その刃は確かに、俺の首を掻っ切っていた。
そうだ。確かに俺はあの時死んだのだ。そう思ったとき、その書類の意味が分かった。
きっとこの場所は死後の世界なのだろう。そして、目の前の女は生まれ変わるための案内をしているのだ。
「――水さん! 清水さん! 大丈夫ですか? ご気分がすぐれませんか」
「いいや、少し驚いてしまって……すみません。もう一度ご説明いただけますか」
「はい、承りました。初めての方はご自身が亡くなられた事に気づいておられない場合も多いので、動揺される方も少なくありません。そんな方のために、我々転生案内人がおりますので」
そう言いながら、ハナはにこりと笑った。
異世界転生案内所。どうやらここは名前の通り、死んだ俺達を異世界に転生してくれる場所という事だろう。
「転生って、女神様とかがやるものじゃないんですか? 失礼ですが、あなたのようなお若い方が女神様だとは信じがたいです」
「いえ、私はただのお手伝いです。実際の転生呪文なんかは女神様が対応されますが、そこに至るまでの手続きを私たちがサポートしているのです」
なるほど、女神様もそんなに暇ではないという事だ。彼女たちはアシスタントスタッフといったところだろうか。
転生先と書かれた場所には聞いたことのない国の名前が記されている。恐らく俺たちが暮らしていた世界と全然違うのだろう、どんなところなのか想像がつかない。
「すみません。一つ聞いていいですか?」
自分たちの仕事について自慢気に話すハナを遮るように、俺は疑問を口にした。あることを思い出して、ある恐怖が頭をよぎったのだ。
「ええ、なんでしょうか」
「これ、転生先で偽名を使うというのは有りなんでしょうか」
「ええ、構いませんよ。皆さんあまり名前を変える方は多くありませんが、中には心機一転! といった具合に変えていかれるかたもいらっしゃいます」
せっかくの新しい人生なのだから、俺もそう思う。それに、俺を知る奴に名前でばれるなんてことは嬉しくない。まあ、知り合いなんていないだろうが。
そうだな、ミズタカシ……小学校の頃のあだ名だったタクとでも名乗っておこうか。それを伝えると、彼女は頷いて書類の名前欄を指さした。
ここに書けという事だろう。その後、他の必要事項も記入して彼女に渡した。
「では、ご記入いただきました資料はお預かりさせていただきます。この後は、右手の階段へお進みください。階段を上がった先に女神の部屋がございます」
案内に従うまま、階段を上る。通路の先には、一つの扉があった。
金色の両開きの扉。その一面には銀の蔦が広がり、両脇に描かれた銀の木は、まるで春の訪れを表現しているように葉が生い茂っていた。
横一文字の取ってを押し、ドアを開く。中には、青白いドレスを着た女が立っていた。きっと彼女が女神なのだろう。部屋の真ん中へ移動すると、女神が口を開いた。
「良く来ました。清水隆さん。あなたの次の人生は、この魔方陣の中央より始まります。タクとしての生活に、大いなる幸せがあらんことを。魔王を……」
何か言いかけた女神だったが、それを遮るように魔方陣が光りだす。体がふわふわと浮き上がるような錯覚を覚え、目の前が真っ白になった。
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目覚めたのはベッドの上だった。木製の天井が視界に入る。案内人の説明では、初めての者は皆決まった宿屋の一部屋に転生されると言っていた。それがこの部屋なのだろう。
窓から光が差し込む。上体を起こして、窓の外に目をやった。同じような木製の建物が立ち並び、その間を馬車が土煙を上げながら走っている。
街を歩く人々の中には、耳が極端に長い者や、尻尾や羽が生えたものもいる。ここが一大コスプレ会場でもなければ、確かに異世界に転生してきたのだろう。
「本当に異世界に来たんだな。まずは、辺りの様子でも見に行くか」
独り言ちて、ベッドから下りる。ふと目線を下ろすと、枕元のベッド脇に一本の大振りな剣があった。
聖剣エクスカリバー
まさか、剣を選ぶ時に名前を決めろと言われるとは思っていなかった。勢いというのは恐ろしい。随分と壮大な名前を付けてしまったものだ。
白を基調にした鞘に、ゴテゴテとした金の装飾。まあ、エクスカリバーらしいといえばらしいデザインだ。
あの申請書に書いたものがすべて実現されているのであれば、もう一つの能力である身体能力の大幅強化についても反映しているのだろう。
魔法や呪いの類も候補にはあったが、昔からあまり力が強くなかったため、筋肉的なことに憧れがあった。聖剣を振り回して無双するのはきっと気持ちいいだろう。
「あいつ、心配してるかな……」
昔からの友人に、刃物の似合う男がいた。まあ、そいつは顔が怖いだけなのだが。そいつの顔を何となく思い出し、すこし寂しく感じる。彼はまだヒーローを目指しているのだろうか。
女神が言いかけていた事は、事前に案内人から説明を受けていた。魔王討伐が使命なのだという。そのために何種類かの能力から、二つを与えられる。
魔王討伐後には色々は褒美があるとのことだったが、この強すぎる能力を活かして皆自由に暮らしているのが現状らしい。
俺は表向きだけでも、魔王討伐を目指す振りをしようと思った。案内人も可愛かったし、女神も綺麗だった。真面目にしていればお近づきになれるだろうか。
エクスカリバーを背負い、宿の階段を下る。宿屋の主人は分かっているらしく、
「転生組だね。いってらっしゃい。お代はいらないよ」
と笑顔で送り出してくれた。
建物は木製で古臭いものが並んでいるが、遠くに大きな城が見え、中々に活気のある街であることから、ここは城下町なのだろうと思う。
横を馬車が通る度に土煙が舞い、思わず咳き込んだ。先ほどから何台も通っており、お世辞にも空気が良いとは言えなかった。その土煙から逃げようと、少し細い路地に入る。少し薄暗いが、先ほどの道よりよっぽどマシだ。
その細い路地をしばらく散策する。馬車が通れるほどの大通りではないが、そこにも小さな店が並び、色鮮やかな看板が目に楽しかった。
三十分くらい歩いただろうか。何となく遠くに見える城を目指していたのだが、中々たどり着かない。この城下町は思った以上に広いらしい。
それでも、城の屋根にある飾りが見えるくらいには近づいてきた。そんな時、少し先の曲がり角から、何やら叫び声が聞こえた。
「お嬢様! お逃げください!」
「おいジジイ! 邪魔すんじゃねぇよ! 用があるのはそっちのお嬢さんなんだからなぁ!」
路地を曲がると、そこには一人の少女がいた。フリルのついたスカートに大きな赤いリボンを頭につけた少女は、それまで見てきた町人にくらべて、随分と裕福そうな印象を受けた。
そんな彼女は数人のごろつきに囲まれており、その少女を守るように、白髪の老紳士がごろつきの前に立ちふさがっていた。
その老紳士はすでに数度殴られたように顔が腫れており、今にも倒れ込みそうなほどにふらついている。
ごろつきの一人が振りかぶり、その老紳士へ向かって拳を突き出す。その拳が頬にぶつかる直前、俺はその腕を掴んだ。
「な、なんだてめ……痛い、痛い!」
その光景を不快に思っていた俺は、ついつい手に力が入ってしまったようだ。その男の手首から先は、あらぬ方向を向いていた。身体強化とは、これほどのものだったのか。
「なんで今日は化け物ばっかりいるんだ! ありえねぇよ!」
折れた手首を押さえながら、男は走り去っていった。その取り巻きだったのだろう他の男たちも、続くように逃げ去った。
そんな情けない背中を眺めていると、後ろからドサリと何かが崩れ落ちる音がした。
「じいや、ああ、じいや。私を庇ったばかりに……」
倒れ込んだ老紳士に寄り添うように、少女は涙を流していた。じいやと呼ばれているその男は、気を緩めたのか、気を失ってしまったようだ。
「お嬢さん、この辺りに病院はあるかい? 俺がそのおじいさんをそこまで運ぼう」
そっと少女の肩に手を置く。少女は涙を拭い、ペコリと頭を下げた。
負傷した老紳士を背負い、少し広い路地まで進む。病院は、すぐ近くにあった。意外にも、この世界の病院も赤い十字が掲げられていた。
急いでベッドまで運ぶと、治療が終わるまで部屋の外で待てと少女と共に追い出された。医者は随分若い女だったが、大丈夫なのだろうか。
「私たちを助けていただいて、本当にありがとうございます。私はシズと申します。あのままでは、じいやも私も命は無かったでしょう。何か、御礼をさせてくださいまし」
頬に淡く紅がさし、少し火照ったような目で俺を見つめる。
右腕に絡めてきた手は、押し当てられた胸の柔らかさと合わせて、俺の理性を責め立てた。とは言え、こんな真昼間の病院で手を出せるはずもない。
そんな悶々とした軽い拷問に苦悩していると、病院の入口から怒声が聞こえてきた。
「シズ! 大丈夫か!」
身なりの良い、豪奢に飾り立てられた服を着た男が、怒鳴り込んできたらしい。
「お父様、シズはここに居りますわ」
「おお、シズ。無事か。悪党に襲われていると聞いて、近衛兵を連れて参ったのだがな」
「ええ、シズは無事ですわ。こちらの殿方に助けて頂きましたの。……そういえば、まだお名前を教えていただいていませんでした。私はシズと申します。このスティープシュライン王国の第三皇女にございます」
恭しく頭を下げるシズ。
「俺はタク。よろしく……って第三皇女? それってお姫様ってこと?」
驚いて声に力がこもる。その問いに、シズが頷く。とすると、先ほどシズがお父様と呼んでいた隣の男は……
「余はこの国の王である。タクとやら、大儀であった。シズを守ってくれたこと、心から礼を言おう」
この古ぼけた病院に、この国の最高責任者。場違いにもほどがある。だからこそ、先ほどから周りの人間たちは固まったようになってしまっていたのか。
当の国王は愛娘の無事に安堵したのか、周りの視線が気にならないようだ。
「ふむ、ルドルフはどうした。シズの護衛であろう」
「ルドルフは、私を守るために怪我を……」
その時、背後でガチャリと音がして、扉が開いた。
「ふ~。おい、アンタ達、おじいさんは無事だよ……え、こ、国王様!?」
おじいさんの怪我を治療していた医者が、目の前で起きていることが理解できないといった表情で叫ぶ。急に王様が現れたのだから、無理からぬことだ。
「まあ、ルドルフは無事なのですね。本当に良かった」
「おお、医者よ。シズを守ったルドルフを救ったということは、余を救ったことも同じ。後日、必ず礼をしよう。これからも励むがよい」
王に言葉をかけられた医者は、喜ぶよりも緊張で強張っているようだ。
後で宿屋の女将に聞いた話だが、ここの医者は魔法を使って治療をするのだという。何でも治すのだと、何故か自慢気だった。
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その日の夜、俺は城に呼ばれた。シズの無事を祝うパーティーが開かれ、そのゲストとして参加させられてしまった。
タキシードなど着たのは初めてで、城のメイドたちに着せられた、という方が正しいかもしれない。
パーティーの話題はもちろん俺とシズの事で持ち切りだ。先ほどから何度も助けた場面を語らされるのだが、偶然見つけた上に、男の手首をつかんだだけなのだから、盛り上げることも出来ず困ってしまう。
さらに頭を悩ませるのは、シズの話の中での俺はまるでスーパーヒーローのように語られていることだ。実際の行動とのギャップが大きく、なんともむず痒いものであった。
「シズ様も良い男性を見染められたものだ。シズ様の母君も、彼女のお歳には国王と婚姻を結ばれておりましたな」
「いやいや、まだ気が早うございますよ。そんな事を国王に聞かれてしまっては、極刑に処されてしまいますぞ」
「おお、怖い怖い」
パーティーの至る所から、そんな声が聞こえてきた。一国のお姫様との結婚というのは、願ったり叶ったりではあるが、今日あったばかりなのだから流石に虫が良すぎるというものだ。
そんな中、このパーティーの主役であるシズが挨拶のために壇上へ上がった。
「皆さま。私の為にこの場に集まって下さり、まずは御礼申し上げますわ。ここにこうして立っていられるのも、こちらにいらっしゃるタク様のお力あってこそでございます」
俺に向けて、手を差し出す。その手を取り、俺も壇上へ上がった。会場の視線が一斉に集まる。
今まで経験したことのないプレッシャーに、膝が笑っている。
そして、小さく右手を挙げて挨拶すると、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。貴賓席で眺めている国王も、ゆっくりと手を叩いていた。
拍手が収まると同時に、シズは大きく息を吸い込んだ。何やら、固い決意を秘めた目をしている。
「タク様に助けていただき、私はある決心をいたしました。私、スティープシュライン王国の第三皇女であるシズは、このタク様を婿として向かい入れたいと思います」
一瞬の静寂。誰かがグラスを落とした音が響く。直後、城を揺らすほどの歓声が上がる。