3、強面の劇団員と魔王 後編
いや、レイナも幼い子共ではないのだから、魔王とは別に暮らしているに違いない。一国の王なのだ。他にも大勢の子がいるだろう。わざわざそのうちの一人と住むなんてことは無いはずだ。
「レイナはさ、その魔王様と一緒に住んでいるの?」
「いいえ、そんな事ありません。父は忙しく、ずっとお城で生活しています」
「そ、そうなんだ」
よかった。魔王には合わずに済みそうだ。と、ほっとしたのもつかの間、レイナから、今一番聞きたくない提案が投げかけられた。
「そうです。よかったら、父に会っていかれませんか? 私の命の恩人として、是非ご紹介したいのです!」
「あ、ああ……そうだね。でも今日はもう暗いし、ご迷惑じゃないかな?」
オレンジ色の太陽が、遠くの山に半分程沈んでいる。着く頃には夜になってしまうかもしれない。今日は宿屋には戻れなさそうだ。
「迷惑だなんて、そんな事絶対ありません。それに、人間の国とは違い、魔族の国はむしろ夜のほうが賑やかなのです」
瞳が眩しい。じっと見つめられると、まるで逃げ場がないように思える。心は逃げたがっているが、口は真逆の言葉を発していた。
「そ、それは楽しみだね」
「では!」
「うん、会ってみるよ」
レイナの眩しい笑顔を見ながら、僕は作り笑いのまま心の中で泣いていた。
日は山向こうに消え、小さな林を二つほど抜けた頃、遠くに町が見えてきた。
先ほどの人の国に比べると幾分小さく見えるが、街全体が煌々と光っている。荷馬車の出入りも活発で、確かに夜にも関わらず賑やかさを感じた。
街に入ると程なくして、馬車が止まった。人の国同様、街全体が壁に囲まれているというのは遠目でも分かった。しかし、先ほど門をくぐった時に見えたのだが、こちらの壁は随分と分厚く丈夫そうだった。
フードの男に促され、馬車を降りる。確かに夜とは思えないほど明るく、煩い。
「ここは、なんていう名前の国なんです?」
フードの男が、しわがれた低い声で答える。
「この国は、リーヴルベアという名前です」
淡々とした物言いだ。僕の事を警戒しているということだろう。まあ、一国の姫にどこの馬の骨とも知れない男が近づいてきたら、そういう反応になるのは当たり前だ。
「タクヤ様、こちらです」
レイナの後に続いて、城の中を歩く。出会う者が皆深々と頭を下げてくる。本当に魔王の娘なのだ。なんだか、頭が痛くなってきた。
使用人の話では、魔王は謁見の間にいるという。近づくにつれ、何かオーラのようなものを感じる。なんだか、腹も痛くなってきた。
眉間に皺が寄る。いやな汗が額を流れる。そうこうしている間に、目的の場所へ着いてしまった。
「お父様、ただいま戻りました」
「おおレイナか。スティープシュラインはどうだった」
「ええ、大変有意義にございました。太陽の元で活発な街というのも大変興味深いものでした」
「して、そこの男は?」
穏やかな表情でレイナと話していた顔が一変した。冷たく鋭い眼光が、僕の体の中心を射抜いた。さらに眉間に力が入る。僕は今とんでもない顔になっているのではないだろうか。
「お父様、ご紹介いたします。この方は、街で暴漢に襲われそうになったところを助けて下さった、タクヤ様です。私の命の恩人です」
「ほう……」
じっと僕の目を見る。目を逸らすことは失礼だろうと思い、僕も必死で見つめ続けた。どれだけの時間がたったのだろう。いや、ほんの数秒なのかもしれない。
「確かに、いい目をしている。それに、余に怯むことなく睨み返すとは、豪胆な男だ。戦場での実力もかなりのものなのだろう。なんにせよ、レイナを、娘を助けてくれた事、礼を言う」
しまった。頭痛と腹痛と魔王の眼力のせいで、無意識に威圧能力を発動してしまっていた。とすれば、僕は先ほどから魔王に対してとんでもないことをしてしまっていたという事だ。
なんとか取り繕わなければと、大げさな身振り手振りで答える。
「勿体ないお言葉、有難うございます。しかし、私は戦闘などまるでできません。レイナ様をお助け出来たことも、偶然といいますか……」
「何をおっしゃいます、タクヤ様。タクヤ様の一睨みで、蜘蛛の子を散らすように逃げて行ったではありませんか。その佇まいこそ、実力の裏返しです」
レイナの中では、僕がとてつもなく過大評価されているようだ。このままではまずいことになると、僕の頭のなかで警鐘が鳴り響いた。
「いや、本当に、喧嘩もしたことが無くて……」
「よいよい、謙遜するな。貴殿程の威圧感を持つものなど会った事が無い。勇者ですらもそれ程のものは持つまいて。それに、レイナも随分と貴殿を気に入っているようだ」
「え……?」
レイナの顔を見ると、これでもかというほど真っ赤になっていた。
「お、お父様! 何をおっしゃるのですか!」
「お前は昔から隠し事が下手だからな。何も思わない相手を、わざわざ父の前に連れてきたりはしないだろう」
魔王の口が、わずかに歪む。レイナは顔を手で覆って恥ずかしそうに俯いている。それに、と続ける魔王の表情がまた真剣なものに変わった。
「それに、余も貴殿のような強い若者を求めていた。貴殿ほどであれば、皆反対しないだろう」
「それは、どういうことでしょうか」
「なに、準備が出来たら教えよう」
何か含んだような物言いに、不安がもたげる。準備というのは何だろうか。取って食われる訳ではないだろうが。
「……人の身には夜は辛かろう。今夜は城で休むがよい。使用人に案内させよう。娘と屋敷で二人きり、というのはまだ早いからな」
いつの間にか、僕とレイナの間に数名のメイドが割って入っていた。こちらへ、と促すその目は、朗らかな笑顔と真反対に笑っていなかった。
「残念です……」
心底名残惜しそうに、レイナが手を振って僕を見送った。また明日と振り返すと少しだけ笑顔が戻った気がした。
謁見の間をでて、僕は使用人の後を追うように進んだ。
外から見てもそうだが、さすが魔王の城とあって広い。迷ったら命の保証はない、と使用人。それはそれは気持ちのいいくらいの笑顔が怖かった。
「こちらが貴賓室です。ご自由にお使いください」
案内されたのは、二階の角の部屋であった。部屋に着くと、そのままベッドに横になった。
「私はリルと申します。何かございましたら、何なりとお申し付けください。では、失礼いたします」
謁見の間から相当歩かされた。複雑怪奇に入りくんだ道は、勇者を相手取るためのダンジョンなのだろう。確かに迷うと死がまっていそうだ。
窓から見える景色が無ければ、ここが角部屋だという事もわからなかっただろう。
「しかし、色々ありすぎだ……」
頭の中の整理が追いつかないまま、転生初日の夜はまどろみの中に消えた。
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顔が暖かい。薄目を開けると、光が目に染みる。窓から見える太陽は随分高い位置にあるようで、僕は昼まで寝てしまっていたようだ。
「お目覚めですか?」
不意にかけられた言葉に、体が硬直して跳ね起きた。目の前には、昨日の使用人がいる。確か、リルとか言う子だ。
「そろそろお目覚めの頃と思いましたので、僭越ながらお迎えに上がりました。ささ、身を整えてくださいませ。魔王様が首を長くしてお待ちです」
「ま、魔王様が……?」
「なんでも、タクヤ様と共に朝食を囲いたいとの事で。……そろそろお昼ですが」
頭から血の気が引いた。
「なんで起こしてくれなかったんですか!」
「そんな! 気持ちよさそうに熟睡していらっしゃるタクヤ様を起こすなんて滅相もございません!」
確かにゲストが熟睡しているときに起こす事は出来ないだろうが、どうにも彼女の言葉は大仰に聞こえる。というより、何となく嘘くさい。フードの男同様、あまり良く思われていないのかもしれない。
いずれにしても、魔王が待っていると言われれば急ぐしかない。慌てて身支度をして、また使用人の後について魔王の元へ向かった。
「うわぁ……」
使用人がドアを開ける前から、確かにいい匂いがしていた。しかし、実際にテーブルに並ぶものを見ると、声が出ない。
目に飛び込んできたもの。肉だ。山もりの肉。
朝飯とは思えない。尋常じゃなくヘビーなラインナップ。普通お城でブレックファーストと言えば、ヴィシソワーズだとか、いい感じの壺に刺さってる長めのバケットとか、フレッシュなフルーツ的なものを想像するものだ。
いや、そんな食事は今までしたことは無いが、もっとキラキラしたものを思い浮かべるはずだ。
それがどうした。肉、肉、肉、プラス酒。山賊か何かだろうか。
「おお、遅かったな。待っておったぞ。随分と疲れていたと見える」
先ほどの使用人の話が本当なら、かなりの時間待たせてしまっているはずだ。しかし、まるで意に介していないようで、ニヤリと不穏に笑いながら、やさしい言葉をかけてきた。
「申し訳ありません。大変お待たせ致しました」
「よい、気にするな。我々魔族と人間とでは時の流れが違う。この程度の時間、気にしているようでは器が知れるというものだ」
その表現、少し怒っているのではと不安になったが、この場では収めてくれるらしい。使用人に促されるまま、魔王の左隣の席に座った。逆隣のレイナと笑顔で挨拶を交わす。
「食事の前に、一杯だけ酒に付き合ってもらえまいか。魔族として、とても重要な儀式なのでな。貴殿には是非協力していただきたい」
テーブルを見ると、すでにグラスにワインのようなものが用意されていた。食前酒みたいだ。重要な儀式とは、いただきます、の習慣と同じようなものだろうか。
グラスを手に取ると、レイナや使用人たちが、何か期待を込めるような目で見てきた。いまいち良く分からない。
まるで血のように真っ赤な酒。傾けると、少しだけとろみがる様に見える。本当に血みたいだ。
「これを、余と貴殿で同時に飲む。よいか」
こくりと頷き、魔王のタイミングに合わせて酒を口に含む。強烈な香りが鼻を抜ける。甘酸っぱい、葡萄や柑橘系とも違うとがった香りだ。飲み込むと、喉が焼ける様に熱い。しかし、それが素晴らしく美味い。
たった一口で、恐ろしいほどに満足させる酒。体中が火照り、エネルギーが満ち満ちてくる。心音が聞こえる。心拍数が上がっている事が、自分でわかる。たった一口でこれだ。
「これ、すごいですね……」
「これはな、くびき酒と呼ばれているものだ。代々の魔王に引き継がれている」
「確かに、これほどの酒は飲んだ事がありません」
「まあ、確かに味も素晴らしいが、もう一つ重要な役割がこの酒にはあるのだよ」
酒に充てられるようにふわふわした心地の中で、魔王の言葉が引っかかった。もう一つの役割。周りの目に込められた期待の光が頭をよぎる。
酒の名前はなんて言ったか。そうだ、くびき酒というものだった。くびきという言葉、少し前に朝のクイズで扱っていた記憶がある。
どこかの国の独立を、テロリスト達が実行支配したことでご破算になったという話だった。確か、自由を束縛するもの、そういう答えだったはずだ。もう一つ意味があったと思うが、さらりと補足的に紹介されていただけで、フリップに書いてなかったので覚えていない。
火照る頭のは裏腹に、首筋に冷たい汗が流れる。いやな予感しかしない。魔王の顔には、これまでにないほどの笑みが胡散臭く張り付いている。
「この酒はな、名前の通り余と貴殿をくびきで繋ぐものだ」
僕ははめられたのか。最悪だ。心音がこれほど不快に思ったことは無い。自由の束縛。魔王のそれは、想像するだけで恐怖がこみあげてくる。
それにしても、レイナといい、使用人といい、嫌になるくらい笑顔じゃないか。バカな奴が蜘蛛の糸にからめとられる姿がそれ程に楽しいというのだろうか。昨日のあれは演技だったというのか。
そうであるなら、僕なんかよりよっぽど役者に向いているというものだ。
体中が熱い。その熱さが不思議と心地良い。不快な心音と合わせ、どうにも不思議な感覚が巡っていた。
「どうした、酔いが回ったか? 気分がすぐれないのならば、すぐに言うがよい」
白々しい。やさしい言葉が嘘くさい。胸を押さえて回りを見ると、レイナたちの顔に一層の笑みが広がった。
「おめでとうございます! タクヤ様!」
レイナの言葉を皮きりに、皆口々に賛辞を歌う。彼女達にとって魔王の手下になることは名誉なことなのかもしれない。
祝いの言葉と拍手が降り注ぐ。それがひとしきり済んだ頃、使用人の一人が跪いてかしこまった。頭を下げている先は、魔王ではなく、僕だ。
何をしているのか、と尋ねようとしたとき、他の使用人たちも次々と頭を垂れる。皆が膝をついたころ、レイナが一歩踏み出した。まっすぐ、そのきれいな瞳は僕を捉えている。
「おめでとうございます。タクヤ様。いえ、次期魔王様」
「は?」
思わず、間の抜けた声が漏れた。聞き間違いだろうか。レイナは何を言っているんだ。恐る恐る魔王を見ると、レイナの言葉を肯定するように、深く頷いていた。
「くびき酒というのは、飲んだものの魔力を強く結びつける。そうして余の魔力を貴殿に分け与えるという訳だ。自らの器以上の魔力は心の臓に強い負荷をかける。魔王の魔力をそのまま受けられる器などないが、なに、一月もすれば慣れるだろう」
「なぜ、僕なのですか……?」
「先にも言っただろう。あれほどの威圧感は只の人が持っているものではない。それに、余もあまり長くない。大事な一人娘を助けて貰ったというだけで充分だ」
「でも僕はそんな事望んではいない……ぐっ……」
吐きそうなほど、胸が締め付けられる。まるで体中の血が躍っているようだ。
「これは異なことを。魔の王たる資格を持つという事は、世界をも掌握せしほどの力だ。どのような事でも叶えられる。それこそ、何かはわからんが貴殿の望みも思いのままだ」
「僕はただ、平和に生きたいだけだ……」
「なに、急なことで混乱しているのであろう。魔力が体に馴染むまで、しばし眠りにつくがよい」
魔王の掌が僕の額に触れる。振り払おうとするも、手にはまともに力が入らない。魔王が二言三言何かを唱えると、目の前は暗い闇に包まれた。
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あれから数か月。魔族の国リーヴルベアは深い悲しみに包まれた。前魔王が崩御したとの知らせが、国中を覆った為だ。
そして時を同じくして、魔族の国リーヴルベアには喜びの輪が広がった。新魔王の即位と合わせ、前魔王の娘との祝言が発表されたのだ。
前魔王は死ぬとき、娘を頼むと小さくつぶやいた。口惜しいのか、その体は小さく震えているようにも見えた。レイナがその震える手を取ると、安心したように息を吐き、淡い光となって空に消えた。
レイナはその日、一晩中泣いていた。泣いて、泣いて、泣いて、そして翌日には厳かで晴れやかな顔を国民に見せた。僕の即位式典のためだ。まだまだ泣きたいだろうに、芯の強い女性だ。
そして、僕はレイナを妃として、正式に魔王となった。魔力を受け継いで数か月、どうにかものにしようと特訓をしたが、正直なところ結果は芳しくなかった。城の兵士にもタイマンで負けるくらい弱い。
ばれないように必死だった。とにかく魔王らしさを演じ続けた。皆騙されてくれていた。稀代の魔王だと、信じて疑わない。レイナは僕が弱いことを知っているようだが、それでも支えてくれていた。
僕は恐らく魔王の中では最弱だろう。ハッタリだけで身の丈に合わないことをしている。僕は異世界でも悪役を演じ続けるのだ。
僕は異世界ですらもヒーローになれなかったのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「大変です! 女神様!」
血相を変えたマナが、慌ただしく女神の元を訪れる。
「どうしました? マナ」
「こ、これを見てください……」
一枚の紙を手渡すと、切れた息を整えようと深呼吸をするマナ。受けとった紙に目を落とすと、女神は大きなため息をついた。
「あらあら、転生者の中から魔王が出てしまったのね」
「大変申し訳ありません! ヒナのやつ、いい加減なんだから……」
「異世界での在り方は、私たちの干渉すべきところではありません。しかし、困ったものですね。転生者が魔王だなんて何百年ぶりかしら」
「急ぎ、対策を立てたいと思います!」
「ん~、その必要は無いわね」
「え……?」
「いつもの仕事に戻りなさい。迷える人々を案内することが、あなた達の仕事でしょう?」
はい、と力強く返事をして、マナは女神の部屋から退出した。タクヤについて書かれた紙が薄く光ると、くるりと小さく丸まった。そのままゆっくりと部屋の角の机の上にポトリと落ちる。
その紙と入れ替わるように、その机の上に積まれた紙の、一番上の一枚がひらりと宙に舞う。そこにはまた、別の人物のプロフィール。
それに目を通すと、言の葉を紡ぎ始めた。床の魔方陣から、鳴動するように光が発せられる。もうすぐ、新たな転生者が部屋を訪れるだろう。
その者を待ちながら、女神は思い出していた。新しく誕生した、臆病な魔王の怖い顔を。