2、強面の劇団員と魔王 前編
黄昏に赤く染まるビル街を、僕は風を切って走っていた。前から来る人達は僕の顔をちらりと見るたび、恐れる様に道を開ける。
病院から友人が刺されたとの連絡が来た。共に田舎から出てきた二十年来の友人だ。しがないホストをしている彼は、以前から女性関係の問題が多かった。まったく、無事だといいが。
赤信号に足を止められ、脇のショーウィンドウに映り込む自分の顔を見ると、思わず溜息が出る。
我ながら随分と厳つい顔をしているなと思う。
焦っていたため、舞台衣装のまま飛び出して来てしまった。そのタイトなスーツ姿は僕の顔と合わさり、この平和な街から随分と浮いている。
「これじゃ、どう見てもヤクザだよなぁ……」
小学生の頃に自転車で倒れた時、頬に傷を負った。元々の顔立ちと相まって、始めて会う人々からは怖がられる事が多い。
頬に怪我をしてすぐの頃、落ち込んでいた時に見たヒーローショーで感動した僕は、役者を目指して上京した。
その後、劇団に入ってから、早くも五年が過ぎた。中々上手くはいかないもので、この強面フェイスが災いして、ヤクザや悪役ばかりをしてきた。
僕は舞台の上ですらもヒーローになれなかったのだ。
ふと我に返ると、信号が青に変わっていた。いけない、急がなければ。
――キャアアアアアアアア
甲高い叫び声が聞こえた。眩しさに目がくらみ、立ち止まってしまった。真横から照らすスポットライトは巨大な鉄塊と共に僕に衝突した。
周りが随分騒がしい。皆の声が僕に向けられている。この一瞬だけ、僕はこの場の主人公になれた気がした。薄れゆく意識の中、そんな下らないことが頭に浮かんでいた。
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目を開くと、白い天井が見えた。ゆっくりと起き上がり、周りを見回す。壁も床も白い。白以外ほとんど何もない。その中に一か所だけ、少し場違いな木のドアがある。
そうだ、僕はトラックに引かれて……とすれば、ここは病院だろうか。痛み止めが効いているようで、今は痛みも何もない。それにしても、床に直で怪我人を寝かせるなんて、随分なやぶ医者に運ばれたものだ。
「トイレ行きたいな……」
勝手に動いていいのかわからなかったが、ナースコールもないので仕方がない。場違いな木製ドアは、特に鍵はかかっていなかった。小さく深呼吸して、ドアノブをまわす。
「あ、いらっしゃーい。お兄さん、ここ初めてよね」
ドアの向こうは、まるで役所の受付のような場所であった。手前のカウンターの女性が笑顔で手を振っている。理解できない状況に、尿意も引っ込んでしまった。しかし、かなり変わった病院だ。
悪戯っぽい笑顔と、長いストレートの茶髪。座っている為はっきりとは分からないが、腰あたりまで伸びているんじゃないだろうか。
驚いて立ちすくんでいると、部屋の奥から、真面目にやりなさいと声が聞こえる。それに返事をして、茶髪の女性が不貞腐れたように言い直す。
「いらしゃいませー、こちら異世界転生案内所でーす」
なんなんだこいつは。しかし、初対面で僕の顔を見て怯まないなんて初めてかもしれない。
「ここは一体何なんですか」
「その辺も、順を追って説明するから」
タメ口だ。不貞腐れたままの彼女に雑に流され、思わず黙ってしまう。
「まず、お兄さんはイシカワ タクヤさんで間違いないよね」
「あ、はい……」
女性は手元の資料のようなものを見ている。僕の事が書かれているのだろうか。一瞬、僕の顔写真が貼られているのが見えた。
「えっと、気が付いているかもしれないけど、お兄さんは死にました」
……死んだ? 彼女は何を言っているんだ。ここは病院ではないのか。
呆けている僕見て、女性は不機嫌そうに溜息をついた。
「はいこれ。お兄さんの資料ね」
女性が見ていた書類と同じものだろうか。履歴書のようなものが手渡された。受け取って、パラパラとめくる。
思った通り、右上の端に僕の顔写真が貼られている。名前に住所、生年月日などのプロフィールが記載されていた。
この病院でこんなものを書いた覚えはないが、役所とつながりのある公的機関か何かなのだろうか。そうして上から順に眺めていくと、ある欄に目が留まった。
死因と書かれた欄に、事故死の三文字。その下の詳細枠には、先ほどまでいた交差点の情報などが書かれている。
「これは……?」
「お兄さんはトラックに轢かれて死んだの」
「なっ……」
「ま、その辺はどうでも良いからさ。とりあえず説明するよ」
どうでも良いとはなんだ。まだ頭の整理がついていないというのに。
「さっきも言ったけど、ここは異世界転生案内所。ほら、その資料の下から好きな転生内容を選んでもらってるの」
「転生……? そんなもの、神様とかがやるんじゃないのか。僕にはあんたが女神には到底見えない」
「失礼ね~。ま、その通りだけど。女神様は転生だけをしているの。私たちはその補佐。案内とか書類整理とかをしているわけ」
なんてことだ、頭のおかしい宗教にでも捕まってしまったのだろうか。このままではいけない。適当に話を済ませて早くここを出なければ。
目を合わせると取り込まれそうで、黙々と項目を読み続ける。ほぼ全ての欄が既に埋められており、記入する対象は一か所だけだった。
「この能力選択っていうのは?」
「あ~、それはね、ほらこの紙を見てもらえる?」
そういうと、女は別の書類をぱらりと置いた。
表題に能力選択と書かれた用紙。縦に十個の欄があり、それぞれに名前と詳細が書かれている。その中に一つ、気になる能力があった。
「好感度補正……?」
「お~、お目が高いねお兄さん。それは結構オススメだよ~」
なんだか、より胡散臭い気がしてきた。詳細の欄には、『好感度の変化時に補正がかかります』とだけ書かれていた。
まったく意味がわからん。これのどこが詳細だというのだろうか。
「その能力はね、例えば、街でお兄さんを見かけた相手が、ちょっと気になるな~くらいから、お話したいな~くらいにランクアップするんだよね」
「え、あんまり変わってない気がするけど……」
「それが何回も繰り返されたら、いつの間にかスキ!! ってなってるのよ。うん」
雑な説明だ。そういうものなのだろうか。
しかし、この顔面で怖がられてきた身としては、「好感度」という言葉には憧れがあった。それに、この選択肢の中では比較的争いの気配がない能力だ。
それにしても、呪いの刀だとか無限機関銃だとか物騒なものが多すぎる。こんなもの選んだ日にはどうなってしまうのだろうか。
「それじゃ~、もう一つのオススメはこれ!」
女が指した先には、威圧の二文字が書いてあった。相手を威圧し、怯ませる。随分とシンプルな効果だ。
「これがおすすめなのか? ろくなことにならない気がするんだけど」
「お兄さん、こんだけバトル感のある選択肢の中から好感度補正選ぶ物好きだからね。あんまり戦いたくない感じでしょ? これならチンピラくらいなら泣いて逃げるよ。お兄さん顔怖いし」
ひどい言われようだが、他の物騒なものに比べれば随分とましに見える。仕方がない。
「わかった。その二つにするよ」
「じゃあ、ここにサイン頂戴。そうそこ。で、書いたらあのドアから階段上がって突き当りの部屋に行ってもらえる?」
「わかった。二階のその部屋には何があるんだ?」
「女神様が、お兄さんの転生の準備をしてくださっているの。後は女神様の指示に従ってもらえれば大丈夫。あ、因みにここが二階で、上は三階。ま、覚える必要ないけどね」
いってらっしゃい、と気の抜ける声で促され、僕は三階へ向かう事にした。その女神とやらに会えば、帰ることが出来るだろうか。
階段を上がると目の前に豪奢な扉があった。金色の両開きの扉には、銀色の大樹が装飾されている。その木から伸びる蔦は、それがまるで楽園への扉ではないかと思わされるほどに煌びやかなものだった。
扉の先は小さな部屋になっていた。六畳ほどの広さだろうか。その中で白いドレスを来た美しい女性と、その足元に刻まれた魔方陣が目を引き付けた。
「よくいらっしゃいました。タクヤさん。さあ、この魔方陣の中央へ」
掌でやさしく中央を指し示す。小さく動くたびに、青くたなびく髪が僕の瞳を揺らした。それに誘われるように、ふらふらと魔方陣の中央へ足が動いた。
「あなたはこれから新たな世界で生きていくことになります。案内人のヒナから聞いているかと思いますが、転生先での第一の目的は魔王討伐です。ゆめゆめ、お忘れなきよう」
「魔王討伐? いや、聞いてない……」
「あら、ヒナったら相変わらずね。大丈夫。あなたならきっと出来るわ」
扱いがぞんざい過ぎないだろうか。抗議をしようにも、女神は何かを唱え始め、僕の周りには青い光が膜のように覆っていた。
景色が回る。懐かしい、実家にあった大きな鏡に映るあれは子供のころの僕だろうか。色々な映像が目まぐるしく変わる。そして、強い光と大きなトラック。ああそうだ。僕は死んでいたのだ。
空と地面が何度も繰り返される。トラックに弾き飛ばされたところだろうか。いやに落ち着いている。そのうち、視界は真っ白になった。
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「うう、気分が悪い……」
くらくらと頭が回る。薄目に開いた瞳に、木製の天井が映る。一つ大きく息を吐く。眩しい。光の当たる方を見ると、木枠の窓から太陽が覗いている。
今は昼だろうか。起き上がり、窓の外を見る。木製の建物が立ち並ぶそれは、明らかに現代風ではない事を感じさせた。
ここは一体どこだろうか。まったく知らない土地だ。すぐ下の道では馬車が走っている。変な宗教団体に拉致され、辺鄙なところに連れてこられてしまったという事だろうか。
「どうすんだよこれ……」
深いため息が出る。とにかく、ここが何所か確認しなければ。場所さえわかれば、帰ることが出来るかもしれない。
部屋の外に出ると、同じような木製のドアがいくつも並んでいる。各ドアの中央に、三桁の数字が刻まれたプレートが取り付けられている。
ここは、ホテルなのだろうか。全部木造とは風情があるものだ。
「そうだ、フロントに聞いてみよう」
ホテルであるならば、受付をする者はきっといるはずだ。ハナとかいう奴らとグルかもしれないが、とりあえず出来ることをやろう。
ぎしぎしと軋む階段を下りると、すぐ目の前にフロントがあった。予想どおり、受付として中年の女性が立っている。
「おや、お目覚めかい? ……ああ、あんた転生組だね。お代はいらないよ。いってらっしゃい」
ああ、この人も彼女たちの仲間なのか。一縷の望みをかけて、宿の女主人に尋ねた。
「ここは、何所なんですか? 日本にこんな場所があるなんて……」
「ニホン? そういえば、転生組は皆そこから来るね。ここは王都スティープシュライン。あんたら転生組は皆、異世界って言ってるね」
異世界だと。この女主人も頭の中はお花畑なのだろうか。信じたくはないが、話を合わせておいたほうが無難なのだろう。
少しの間、この辺りの事を質問した。ここを異世界だと言い張る以外は、至ってまっとうで親切な人だった。
「一週間くらいは自由に泊まってくれていいよ。女神さまにはお世話になっているからね」
またこの宿屋に戻ってくるというのは気が引けるが、他に当てもない。しばらく街を散策するとして、今夜もここに厄介になるだろうと思った。
街は意外に賑やかなもので、大通りはそれなりに人通りがある。時折見かける馬車の土煙にむせながらも、のどかな雰囲気に癒されていた。
「やべ、戻れるかな……?」
そんな街並を眺めながら歩いていると、いつの間にか街の外れまで来ていた。先ほどの大通りに比べると、随分と静かなものだ。
これくらい落ち着いた場所もいいなと思い、ゆっくりと辺りを見回す。すると視界の端に嫌なものが映った。
女の子が一人、若い男達に囲まれている。うずくまって頭を抱えた女の子は、可哀想に叫ぶ事も出来ないほどに怯えているようだ。助けなければ。
一歩踏み出したとき、案内所で選択した能力について思い出した。確か威圧とかいっただろうか。
――これならチンピラくらい泣いて逃げるよ。お兄さん顔怖いし
ここが本当に異世界だというのなら、能力についても試してみよう。もしも効かなくても、女の子が逃げる時間くらいは作れるはずだ。役作りのために体は鍛えてきたのだから、きっと大丈夫。
「おい、君たち、その子に何をしている」
「ああ? んだよ……」
男たちの中でも特に体が大きい、おそらくリーダー格であろう男が振り返る。目と目が合った。お互いが睨みを効かせ、火花散る戦いに……
ならなかった。
「ひ、ひぃ……バケモノだ……」
「なんなんだこの男! 糞、ずらかるぞ!」
男たちはそれぞれに情けない声を上げて、方々へ散っていった。いくら僕の顔が怖いとは言えども、尋常じゃない怯えようだった。これが威圧とやらの力なのだろうか。
確かに、こうして平和的に追っ払えるのであれば、便利な能力なのかもしれない。
「あの……」
逃げていく男たちを眺めていると、後ろから声をかけられた。振り返ると、そこには先ほどの女の子がいた。
すらりとした長身に、緩い白のドレス。ショートボブの髪が揺れる。そして、その少女の頭には漆黒の角が二本生え、耳は鋭くとがっていた。
良い処のお嬢さんといった出で立ちに、似つかわしくない頭の飾り。コスプレか、いや、とてもそうは見えない。これはきっと本物だ。どう見ても生えている。
確かに、ここは異世界なのだ。信じたくなかったことが目の前に現れ、体中の力が抜ける思いだった。
「あの、助けてくださってありがとうございます」
「い、いや、当然のことをしたまでだよ。大丈夫? 怪我は無い?」
「ええ、お陰様で。良ければ、名前を教えていただけませんでしょうか」
「別に名乗るほどの者じゃないよ」
昔から、一度言ってみたかった言葉だ。認めたくない現実と、いままで夢見ていたシチュエーションに、何か浮ついた気分になっていた。
女の子を人通りの多い処まで届けると、そのままふらつく足で宿に戻った。やはりここは異世界なのだ。そして、その現実と向き合わなければならない。
元の世界に戻れるのだろうか。また家族に、友人に会えるのだろうか。そういえば、女神様とやらが魔王を倒せと言っていた気がする。もし倒すことが出来れば、その時は元の世界に戻れるだろうか。
「魔王なんて、ハッタリだけで倒せるとは思えないよなあ」
威圧という能力はさっき使って分かったが、残りは好感度補正とやらだ。
「どう考えても勝てないよなあ」
いつの間にかオレンジ色になった空を眺めて、溜め息を一つ。そんなもやついた頭が現実に引き戻される。
ノックの音が、響いた。
「お客さん、あんたに会いたいって人が下に来てるよ」
一体誰だろうか。返事をして部屋を出る。ドアの前で、女主人がにやついていた。
「随分と可愛い娘さんだよ。お兄さんも転生初日からやるねえ! それに、この辺りじゃ珍しい魔族の娘なんて、一体どこで知り合ったんだか」
「いやあ、あはは……」
間違いなく、さっきの子だろう。やはり、多少珍しいとはいえど、この世界では魔族が当たり前にいるという事だろう。
階段を降りると、フロントの前に先ほどの少女が立っていた。何かそわそわした様子で、僕と目が合うと頬を赤くして目をそらした。
「やあ、よくここが分かったね」
「いえ、街で噂を聞きまして……先ほどはありがとうございました」
噂? 先ほど少女を助けた以外は、ただ街をぶらついていただけだと思うが、どのような噂が立っているというのだろう。
疑問に首をかしげていると、降りてきた女主人が、聞いてもいないのに答えてくれた。
「ご新規の転生組が来たときに、その容姿や特徴を皆に広めているのさ。転生組は女神様の威光の元にいるからね。お近づきになりたい奴らはごまんといるのさ」
道理で、行く場所行く場所で色々な人から声をかけられたのか。まあ、大半は僕の顔に怯えて去っていったが。その点、この女主人も少女も肝が据わっているというのか、まったく動揺が見えない。
「はあ、そうなんですか。ところで、わざわざお礼を言いに来てくれたのかい? そんなの良かったのに」
「いえいえ、もちろん直接お話してお礼を言いたかったのもあるんですが、それだけでは無くて……」
口ごもり、俯く。ドレスをぎゅっと握ると、意を決したように顔を上げた。
「あの……あなたを私のお屋敷にご招待したいのです」
女主人が、あらあらと言いながらにやけている。しかし、お屋敷とは。本当に良い処のお嬢さんだった。現世ではしがない役者だった僕として、お屋敷なんて縁もゆかりもないものでしかなかった。
「ご迷惑でなければ、是非」
少女の顔がぱあっと晴れた。女主人のにやにやが止まらない。急いで準備を整えると、少女の後を追って宿屋を出た。
「いってらっしゃい! 部屋は空けておくから、戻ったら声かけてね!」
見送ってくれる女主人に手を振り返す。夜にはまた戻ってこよう。
しばらく街の中を二人で歩いていた。夕暮れの街は、元の世界に比べると随分と静かだった。魔族が闊歩している場所だ。夜になるとモンスターが出るという事もあり得る。
それにしても、流石に城下町というだけあって広い。遥か遠くに城が見えるが、一体どこまでが城下というのだろうか。
この少女のように、魔族もここで住んでいるのだから、種族の垣根がないのだろう。土地面積だけでなく、度量も広い街という事か。
「あ、そういえば、まだ名乗ってなかったね。俺は卓也。石川卓也。君は?」
「私はレイナと申します。イシカワ様? タクヤ様? お名前を二つ持っているんですか? 変わったお名前ですね。転生されてきた方は皆そうなのでしょうか」
「いやいや、石川は苗字で名前は卓也。二つ合わせて一つの名前」
「苗字、ですか。この辺りではそのような文化はありません。とても珍しいです。私もレイナと、それだけです」
「そうか……それじゃ、俺もタクヤだけにするよ。そのほうが呼びやすいでしょ?」
「はい! わかりました。タクヤ様」
様をつけて呼ばれるのは気恥ずかしいが、この非現実感に相まって気持ちが良かった。
「ところで、君のお屋敷というのは、どの辺りにあるんだい?」
「ええっと、実はこの街の中ではないんです。ここを出て、少し外れた場所にあります。魔族はこの街に住んではいけない決まりなんです」
「なんでそんな決まりが……」
「我々魔族は、魔物を引き付けてしまいます。この国では魔物は暴力の象徴になっているのです。すべての魔物が狂暴でも人を襲う訳でもありませんし、昼間は魔物が現れないので、国に入ること自体は禁止されていないのです」
前言撤回だ。種族の垣根ははっきりあるようだ。
「一人に集まる魔物の数は大したことありませんが、それが集団になると人では太刀打ちできません。ですので、私たち魔族は魔族だけで街を作っています。ここと同じように城があり、魔王様が統括しているのです」
「へ~、魔王か……」
そういえば、女神は魔王討伐とか言っていなかっただろうか。魔王というと、もっと恐ろしいものをイメージしていたが、話を聞く限りはそう思えない。
それぞれ国に王がいて、魔族の王が魔王と呼ばれている。そうとしか思えなかった。
女神の言葉を考えていると、前を行くレイナが足を止めた。
「つきました。こちらの馬車にお乗りください」
見ると、煌びやかな装飾を施された乗り物があった。漆黒の馬が二頭。その手前に、黒いローブを羽織った男が立っていた。
フードを深くかぶっている為、顔はうかがい知れないが、その首は記号のような刺青がびっしりと描かれていた。
「お嬢様、こちらは?」
「この方はタクヤ様。私の恩人です。くれぐれも失礼の無いようにね」
「かしこまりました」
深々と頭を下げるフード男。その後馬車のドアを開けて、僕たちを促す。馬車の中はふかふかで座り心地の良いものだった。
二頭のいななきと共に、馬車が走り出す。どうやら、先ほどのフード男が操っているようだ。
「しかし、凄く豪華な馬車だね。レイナは本当にお嬢様なんだ。びっくりしちゃったよ。気品もあるし、美人だし、まるでお姫様みたいだ」
浮ついた心で、すらすらと口から言葉が出ていた。はっとした。我ながら、恥ずかしい事を言っている。
「お褒め頂き感謝します、タクヤ様。とてもうれしいです。でも父からは、まだまだ魔王の娘てある自覚が足りなりと、毎日のように叱られているんです」
自虐気味に笑うレイナ。つられて笑ってしまった僕だが、首筋から血の気が引くのを感じた。レイナは今、魔王の娘だとか言わなかっただろうか。
浮ついた気持ちから、急に地面に叩きつけられてしまったようだ。冗談にしてはたちが悪い。
「えっと、レイナさんって魔王の娘なんですか?」
「そうですが……どうして急に敬語なんです?」
「いやぁ……あはは……」
逃げ出したい。帰りたい。レイナの屋敷に行くという事は、必然的に魔王に会うということではないか。そんな事、心の準備が出来ていない。