プロローグ
そこは、殺戮を観戦する場所だった。
ドーナツ型に作られた闘技場であるそこは、数百人の人間を収容できるほどの広さを擁しており、開場した瞬間から閉場する瞬間まで、常に人で満たされていた。
何故そこが常に人で満たされているのか、その理由は内部にあった。
闘技場の中へ入ると、まず左右に通路が広がっており、飲食店や様々な雑貨店が置かれていた。
更に、一定の間隔で設置されている階段を上がれば、観客席となっている二階へと行くことが出来る。
その二階こそが、この闘技場が常に人で満たされている場所であり、”殺戮を観戦する場所”なのだ。
闘技場の中央には、正方形の巨大なステージがあり、それを取り囲むように観客席が連なっている。
また、天井からは、観客席のどこからでも見えるように背を向かい合わせにして四つのモニターが吊り下げられていた。
中央のステージと観客席はドーム型の特殊強化ガラスたった一枚で隔たれていたが、人々の表情には恐怖と読み取れるものなど微塵もなかった。
……恐怖など感じなくなるほどに、それほど人々は目の前で起こる出来事に熱中しているのだ。
それは、何も知らぬ者から見れば、狂気と言えるものだった。
すると、中央ステージの左右。観客席の下から二人の人間が現れた。
観客が二人の姿を認識すると、割れんばかりの大歓声が会場中を包み込んだ。
『さぁ、始まりました! 皆様お待ちかね、遊戯の時間でございます!』
響き渡る大歓声をものともせず、会場に設置されたスピーカーから甲高い男の声が流れる。
『私、こちらの闘技場で実況を務めます、シュガーでございます! 今宵も皆様と、最高の遊戯の時間を共に過ごしていきたいと思います!』
彼の実況をちゃんと聞いている者など一人もいなかったが、何となく認識できるその声に、人々の歓声と熱気は勢いを増した。
『さぁて、今宵皆様を楽しませるのはこちらの二人!』
シュガーの実況に続いて、モニターに一人の男の姿が映し出された。
体長2mはあるであろう大男は、まさに筋骨隆々という言葉がぴったりと当てはまった。
二の腕は大木のように太く、胸板は異常なほどに盛り上がり、拳は岩石のように大きかった。
『ヴァルハラランキング第1位! 所持ポイントは463ポイント。今まで負け無し剛山勇二!』
剛山はまるでスーパースターのように観客席に向かって手を振ってみせる。
顔に浮かべる笑みからは、今の状況を存分に楽しんでいる事が見て取れた。
『そしてぇ、絶対無敵である剛山に挑むのは何とぉ! 全くの無名! 今回が初参戦のこの男!』
モニターに映し出される、ステージに立つもう一人の男。
『名は時東智!何とも貧弱そうな身体だが、果たしてこのチャレンジャー、剛山相手に何秒ステージに立つ事が出来るかぁ!』
小柄で、男にしてはやや低い身長。剛山と違い筋肉はあまりついていないように見える。
だが時東はシュガーに馬鹿にされていることなど気にする様子も見せず、ただじっと前方……剛山を見つめていた。
その顔には、何も無い。無表情で、瞳には生気が宿っておらず、まるで魂を抜かれた人形のようだった。
剛山はそれを見て、笑う。
彼の頭の中には敗北などという状況は存在しなかった。
勝った後にどうするか、観客達に一体どういうパフォーマンスをしてやるか、それだけで埋め尽くされているのだ。
例えどれだけ相手が不気味な奴であろうとも、自分が負けることは決してありえないと、ほぼ確信していた。
『では皆様、いよいよ始まります!ブザーが鳴ったら、遊戯開始です!』
シュガーのその一言に、初めて観客達が反応を見せた。
会場は一斉に静まり返り、ブザーが鳴る瞬間を今か今かと待ち望む。
剛山が歯を剥き出しにし、時東を両目でしっかり捉える。
その瞳は、”灰色”に染まっていた。
そして、それに呼応するように時東の瞳も、”深い蒼”を湛えていた。
『遊戯ィッ!スタァッートォッ!!』
ブザーが鳴り響く。
歓声が一気に爆発した。
剛山は一歩踏み出し、時東に向かって動き出す。
さぁ、殺してやる。
時東を殴り殺そうと、剛山は腕を振り上げる。
あの腕から放たれる一撃を喰らえば、時東の身体は小枝のように容易く折れ曲がってしまう事だろう。
剛山と時東の距離が一気に詰まる。
――?
その時剛山は思った。
おかしい……いくらなんでも、こんなすぐに距離が縮まるなんて……。
一瞬の思考。
そして、その疑問の答えに気づいた瞬間には、もう遅かった。
目の前から時東が一瞬にして姿を消したかと思うと
次の瞬間、鈍い音と共に剛山の視界はぐるりと180度回転し、暗転した。
*
会場は再び沈黙に包まれた。
誰もが、目の前で起きた出来事に驚愕していたのだ。
時東はステージにうつぶせに倒れる剛山を見下ろしていた。
しかし、その視線はしっかり剛山とぶつかる。
それもそのはずだった。
本来は前を見ているはずの剛山の顔は、時東によって後ろに向けられていたのだから。
誰もが唖然とし、言葉を失っていたが、会場の空気に気づいたシュガーは自らの仕事を再開した。
『な、何ということだぁ……全く無名のチャレンジャーが、一瞬にして剛山を仕留めてしまった』
シュガーも初めての体験だったのだろう、一体どうやって言葉を続ければいいのかが全く分からなくなっていた。
しかし、それは次に巻き起こった観客の歓声によりどうでもいいことに変わった。
今までよりも一段と大きい歓声。
建物が震え、シュガーの声さえも届かないほどの歓声。
『これは時東智! ヴァルハラ史上初、たった一秒で勝利を手にしたぁッ! 最強のダークホースだぁぁッ!』
どれだけ歓声が大きくなろうとも。
どれだけシュガーが褒め称えようとも。
時東は気に留めもしない。
ただ手の平を見つめ、剛山の首の骨を折った時の感触を思い出しながら、微笑んでいた。