何とも他愛もないお話
佐野と先生
がんがんがん!
登るたびに不安げな音をたてる階段を、壊れろとばかりに力いっぱい踏みつけながら登る。壊したら帰るとき下りれなくなるだろとかそんなのあたしには関係ない。あたしは今を生きているのだ。
登りきった二階の一番奥の部屋。お世辞にも綺麗とは言えないそのアパートの一角に向かって猛ダッシュする。
チャイムを押すのも面倒で(というかチャイムなんて御大層なもんはハナから壊れている)走ったその勢いのままドアを叩いた。
「先生ー! あたしです開けろこの野郎!」
そのまま10秒くらい待つ。
すると、ぎい、となんだか物悲しくなる音をたててゆっくりドアが開いた。ようやく出てきたその部屋の主に対してこんにちはと口を開く前に、光の速さで頭を叩かれる。いたっ!
「ちょっと、なにすんですか! これ暴力なんじゃないの先生サイテー! 体罰ですよ体罰!」
「うるっせーんだよがんがんがんがん他人様のアパート破壊する気かこの馬鹿生徒!」
「こんなボロアパート普通にしてたってそのうち倒壊しますよ!!」
「うるせえな声でけえよ!」
「いやあんたもな!」
「ああもう何、何しに来たの。早く帰れや」
「生徒に対する愛が足りな過ぎか!」
とりあえず話が進まないので、いいから中入れてくださいよ寒いんですよとぐいぐい先生の肩を押しやる。ひとってこんなに嫌そうな顔できるんだなってくらい壮絶な顔されたけどそんなもん知るか。わずかに出来た隙間から大阪のおばちゃんもかくやという強引さで体を滑りこませさっさと靴を脱ぎ捨てると、あたしはずんずん居間の方へ進んだ。勝手知ったる他人の家というやつである。
そしてお邪魔したその先、見慣れた狭い1Kの和室は相変わらず脱ぎ散らかした服やら食べたものの残骸やらで小汚く、惨状と言って差し支えないそれに呆れて深く溜め息をついた。
「……相も変わらずよくこんな汚い所で生活できますね。カビ生えますよ」
「大きなお世話だっつーの。文句言うなら即刻出てってくれますかねこの野郎」
「あ、一応おみやげはあるんで安心してください。ビールとおつまみ」
がさり、と手に持っていたビニール袋を持ち上げると、それなら早く言いなさいよ、と手のひらを返したような態度で言われた。なんだこいつ。このひと見てると教師ってそのへんのティッシュとかでもなれるんじゃないかなと思えてならない。適当に座るように言われたので、唸りながらごみ溜めを蹴ってなんとか居場所を作りそこに座り込む。
台所からコップとコーラを持ってきた先生が、殆どカップラーメンの容器でいっぱいのテーブルにコーラの缶を置いて、どっかりとあたしの向かいのベッドに腰掛けた。
「はい、召し上がれ」
「……なんですかこのコーラは」
「お前用。未成年にビール飲ます訳にゃいかねーだろ」
「いりません。自分用のビールがっつり買ってきたんでお気遣いなく」
「じゃ、それ俺が飲むわ。ありがとさん」
ひょい、とあたしのビールが抜き取られて思わず悲鳴が上がる。あー!あたしのおビールさまがー! 取り返そうと腕を伸ばすも奮闘むなしく、うるせえと一言また頭を叩かれた。
ぶすくれたまま未練がましく睨みつけていれば、なんだかビールのプルタブを開けるのにやたら苦労している。いつも深爪になるくらい爪を切りすぎるからですよ!バーカバーカ。隙を見計らい引ったくって一発で開けてやると、そのままビールをぐいと呷ってやった。はー、うまい!
「何飲んでんだ馬鹿」
ばしり、また叩かれる。何回叩くんだよ!
「……で? 今日はお前何しに来たわけ」
「……………………話せば長いことになります」
「どうせまた彼氏に振られたんだろ」
「……うっ……!」
「図星かよ」
「う…ううっ……」
ーーーうわああああああん!!
どしゃっとカップラーメンの容器の山を掻き分けるようにして勢いよくテーブルに突っ伏する。ぼろぼろ出てくる涙が視界の邪魔だ。ううう、ちくしょう。ラーメン臭い。
「……おい」
「なんですか泣くなとか言っても無駄ですよ今は!」
「泣くのはいいけど鼻水だけは勘弁しろ。テーブルに垂らしたらぶっ飛ばすからな」
「うっうっ……ごの人でなじーっ!」
「何とでも言えっつーの」
ことり、頭の辺りに何かが置かれた音がする。たぶんティッシュだ。恋人に振られるたびにここに来ているせいか、最近はあたしの扱いにも慣れてきたらしい。そんな慣れちゃうくらいここに来てんのあたし。そんなに振られてんの。
「なんで? あたし言っちゃなんだけどかわいいですよね? なのになんで毎回振られんの? ね、なんで?!」
「そりゃあ性格がヤバいからだろ」
「そりゃあね! 他の女の子としゃべってたらちょっとだけ嫉妬するし浮気を疑い過ぎた節はあるかもしれないけど! でもそれって普通じゃん! 普通にみんなやってんじゃん!」
「他の女とのライン見つけた途端にスマホ粉砕したり休日の行動監視したりはしないだろ、普通は」
「だってそんなの仕方ないじゃないですか! あたし彼のこと……大好きだったんだもんんんうわああああ!!」
「はいはいうるせえ」
叫んでるうちに涙と鼻水がもうほんとに脳みそ液状化してんじゃないかってくらい吹き出してきて、ぶーっと勢いよく鼻をかむと、先生がげんなりした顔をしてもう一枚ティッシュをくれた。どうやら鼻水をかみきれてなかったらしい。
「……お前仮にも女子高生なら鼻水垂らすなよ」
「うるさい!」
「ていうか、お前のそのヤバい言動を治せばいい話なんじゃねーの」
「治んないから困ってんですよ!」
「ヤバいのは否定しねえのな」
「是非もなし!」
「……じゃあもう諦めろや」
「もうちょっと慰めてくださいよ馬鹿教師ー!!」
えぐえぐと嗚咽で軽く呼吸困難になりかけながら、ラーメン臭いテーブルに再び突っ伏する。
確かにあたしは意地っ張りだし、思ったことはズバズバ言っちゃう坂上忍みたいな奴だし、ノリと勢いで我を通す自己中だけど(加えるなら嫉妬深くて疑り深いけど!)、彼のことはほんとの本気で大好きだった。
なのに何故か、あたしが好きになったひとや付き合ったひとは必ずと言っていいほど最後に、もうお前の相手は疲れた、と吐き捨てて去っていきやがるのだ。
今回だってそう。
『俺、もうお前と付き合っていく自信ないんだ、疲れたんだよ。だから、もう俺たち別れよう……好きな子もできたし』
……って明らか最後のが主な原因じゃねーか! 結局自分の浮気をカッコ良く言い訳したいだけだったんだよあの男! ちくしょうなんか思い出したら腹立ってきた!
「先生! もう今日は飲みましょう! 朝まで飲み明かしましょう! ほら、ビールどうぞ! そしてあたしもちょろっといただきます!」
「飲むな未成年」
「あいたっ」
「お前はこれです。はいコーラ」
「ケチ!」
「つーかそれ飲み終わったらマジでさっさと帰れよ。お前邪魔だから。うるせえから。近所迷惑だから」
「わかってますうー!」
面倒くさそうに首筋を掻く先生にふてくされながらそう返して、いそいそとおつまみの袋を開ける。
「先生は何がいいですか? 色々入ってますけど」
「柿ピー」
「あ、それあたし食べるんで他のにしてください」
「愚痴聞いてやってる俺に感謝しようって気はねーのかお前」
そんな、あたしたちの日常。