92話 あの日聞いたレイドボスの存在を俺たちは探した
レイドボス。
MMORPGのプレイヤーにとって、その言葉は特別な意味を持つ。
多人数、多パーティでボスと闘うその光景を、一度はテレビやインターネットで見たことはないだろうか。巨大なドラゴンと戦う勇者とその仲間たちの姿を。
生粋のMMOプレイヤーならば、心躍らずにはいられない。そんな魔法の言葉、レイドボス。あぁロミ男、あなたはどうしてレイドボスなの? どうして私はこんなにもあなたに心が揺らいでいるの? 樹里エット、それは君がMMOプレイヤーだからさ。
というのが昨日伸二から聞いた話の内容。最後の言葉は相変わらず意味不明だったが、過去最大級に強い敵が俺たちの前に立ちふさがったということは理解できる。つまり、最高かよ、ということだ。
この話を聞いた雪姫さんは自分の囲い――もといファンの人たちと共に大規模な捜索隊を組織し動き回っている。情報をいち早く掴み、大手ギルドに高値で売りつけるのだそうだ。流石の根性。恐れ入る。
モップさんはなんだか急用が入ったとのことで、しばらくインできないと言われた。良いSMクラブでも見つけたのだろうか。
だが俺が何よりも悲しいのは、葵さんも用事が入ってしまったということだ。なんでも父親の嘆願で、家族で日帰り温泉旅行に行くのだとか。葵さんの入浴シーンを脳内再生すること数百回。俺はようやくそのことを受け入れ、ゲームへとインした。
「あ、総君やっほー」
元気いっぱいの魔法少女がテンジンの町の噴水前で俺に手を振る。なんだかデートの待ち合わせっぽい感じがして、少し緊張してしまう――っとイカン。俺には葵さんがいるんだ。たとえ虚しい片想いだとしても、浮気はよくない。
手を振り返し、小走りで彼女のもとまで向かう。
「あれ、リーフだけ?」
「うん。ハイブはカゴシマで知り合ったフレンドさんからレイドボスの件で頼まれごとされたみたいで、そっちを手伝うことになったの」
「あぁ、むこうで一緒にパーティを組んでたっていう?」
「そうそう。その中の1人が物凄い情報のエキスパートって感じで、とにかくいろんな情報に精通してるの。その人からの依頼だったから、ハイブも断れなくって」
そうか。それだけ情報に精通している人とのパイプは貴重だし、何よりこちらもその情報を深いとこまで知る機会が出てくる。伸二、グッジョブだ。
「まぁその人が美人だからそれに釣られてっていうのもあると思うけどね」
爆ぜろあの野郎。
「という訳で、今日は私と2人っきりね」
向日葵のような笑顔とはこのことだろうか。葵さんの存在がなかったら、今の笑顔に俺の巡洋艦は撃沈させられていたかもしれない。恐ろしい子だ。
「えいっ」
ふおおお!? な、何をしているんだ翠さん。なぜ俺の手を抱き寄せているんだ。これは恋人同士がするような腕組みではないか。いつか葵さんにしたいと思っていた俺の超S級クエストに、なぜ君がこうも易々と挑むんだ。あれ巡洋艦よ、いつの間に海底遺跡になったんだい?
しかし、あぁしかしこの腕に伝わる感触はどうだ。プリンのような弾力と桃のような大きさのたわわこそ至高と思っていたが、どら焼きの生地に挟まれるような感触も決して悪くないぞ。
いや、もしやこれこそがユートピアという場所の正体なのではないか? だとすればこれまでの俺の人生とはいったい何だったのだ? もしや俺はこれまでただ大きいという雰囲気に思考を停止させ呑まれていただけだったのではないか?
俺は、俺は――
「まず何しよっか~」
「どら焼き!」
「へ?」
「ごめん、何でもないです」
待て待て、冷静になれ。俺は何だ? 人だ。人と獣の違いはなんだ? それは知性だ。俺は知性のある生き物、人間だ。たとえ一時の快楽に呑まれようとも、本来の気持ちを見失ってはいけない。
「この町で集められる情報は限られてると思うけど、一先ずハローワークに行ってクエストで変わったのがないか見てみる?」
「う~ん……私はいい案浮かばないし、そうしましょっか」
ふぅ……よし、少し落ち着いた。脅威のどら焼きプレスの誘惑を何とか凌いだぞ。これで――ふぉおおおお!? いかん、いかんぞこれは。歩くたびにその素晴らしきどら焼きが、どら焼き様がぁあああ!
「どうしたの、総君?」
「ナ、ナンデモナイヨ!」
「そう? じゃ、行きましょ」
「あ、あぁ」
この至福のひと時をどうして自分から捨てられようか。何故翠さんがここまで積極的なのかは分からないが、少なくとも何かの罰ゲームでやらされているという訳では無いようだからとりあえず現状維持でいいだろう。
よし、ここはまず俺の精神を落ち着かせる意味も兼ねて何気ない会話から始めよう。切り出しはどうするか。昨日のレアイベントは面白かったね~……よし、これで行こう。
「きの――」「ねぇ総君、ブルーには告白しないの?」
ふぉおおおおおお! またしても、またしても俺の精神をかき乱すかこの人は! 魔女だ、この人は魔女だ!
「いや、ブルーには好きな人がいるって言うし……」
「え、なにそれ。どこで聞いたの?」
どこで? あれ、どこで聞いたんだっけな。
「その好きな人が誰かは聞いてるの?」
腕を離し、正面に立った翠さんの視線が俺を射抜く。
「そ、そんなの聞ける訳ないだろ」
「あ~……これはちょっと面倒な拗れ方をしてるかもしれないわね」
何が拗れているんだ? 翠さんは何を言ってるんだ?
「でも、ブルーがどう思っていても総君の気持ちを伝えるのは悪いことじゃないでしょ?」
「それはそうかもだけど……」
久しぶりにできた好きな人だ。この想いは是非伝えたい。だがそれと同じぐらい、やっとできた友人でもあるんだ。この想いも大切にしたい。
「あ~、ごめん、今のやっぱナシ。私がどうこう言うことじゃなかったわ。ごめん総君、偉そうなこと言って」
「え、いや、別にそこまでのことじゃないよ。気にしないでくれ」
よくわからないが、この話はこれで終わりということでいいのだろう。何となくそんな空気を感じる。
「ありがと」
そう言って翠さんは再び俺の腕を取ると、軽い小走りでハローワークを目指した。
……どら焼き万歳。
■ □ ■ □ ■
木造建築3階建ての建物内。空中を漂うランプは火よりは明るく、しかしLEDよりは暗くな丁度良い光量で部屋を照らし、右を向けばクエストボードと書かれた巨大な掲示板が壁に吊るされ、左を向けば受付嬢の前に鎧やローブに身を包んだ集団の列が生まれている。その手に持つ依頼用紙と歩く度に生じる金属音はどこからどう見てもファンタジーそのもの。
「受付嬢の服装がスーツじゃなければなぁ……」
思わず心の声が漏れる。だが俺の声が耳に入った幾人かが目を閉じ何とも言えない表情でウンウンと頷くのを見る辺り、この考えは決して少数派ではないだろう。
「総君もやっぱりそう思う? やっぱりこの世界って、現実とファンタジーが入り混じったおかしな世界よね」
セミロングの黒髪を耳にかき上げ、翠さんが俺の心の声をより深く代弁する。基本葵さんとかが一緒だと弄られることの方が多いが、それ以外の時は気遣いの人だよなぁ、やっぱ。
「でも思ってた通り、レイドボスの情報はないみたいね」
「俺たちと同じ目的で来た人たちのあの表情を見ればもう調べる前から分かるって感じだな」
俺たちの右手には、レイドボスの情報買いますとのボードを首に提げている人たちが絶望の表情で佇んでいた。あそこまでして情報を求めても成果がなかったのでは、確かにあんな顔をしたくもなるだろう。
「これは難航しそうね」
「っていうか、考えたらそのレイドボスってオキナワにいるかもしれないってことだよね」
「まぁキュウシュウエリア全域におけるレイドボスだから、そう捉えることもできるわね」
「キュウシュウの最終エリアであるフクオカ、ミヤザキ、オオイタのどこかって思ってたけど、そこから見直す必要もあるんじゃないかな」
まだ探索が十分に済んでいないエリアでもあるから、この3エリアを捜索したいという気持ちは理解できる。だが新しくダンジョンやイベントが用意された可能性だって捨てきれない。いやこの運営なら灯台下暗しな手法を鬼畜の笑みでやりかねない。
「でも仮にそうだとしても、範囲が大きすぎて絞れないわね。ハイブが何か情報を持って帰ってくるのに期待するしかないかなー」
「まぁ、そうなるか」
わかってはいたが、こういう情報収集になると俺は無力だ。ことこういう能力に関して親父以上に抜群の能力を誇るのがうちの母なのだが、流石にゲームに身内を誘うのは気が引ける。
しかしそうなるとやることがないな。翠さんと2人でクエストに出るのも良いが、中途半端な形で終わってしまいそうだ。あ、そう言えば翠さんはカゴシマで知り合った人たちがいるんだよな。その人たちとコンタクトを取れないだろうか。
俺はそのことを翠さんに相談したが、彼女から帰ってきた返事は俺の望むものではなかった。
「残念だけどその人たちが今ハイブと一緒に行動してるの。それ以外の人は、フレンド登録せずに一緒にパーティを組んでたから連絡も取れなくて」
「そっか……俺もいつかその人たちと会ってみたいな」
「すっごくいい人たちよ。この件が終わったら私から一緒にクエスト行かないか誘ってみるね」
「あぁ、お願いするよ」
伸二曰く凄腕らしいからな。どう凄腕なのか聞いたらとにかく凄腕と返されてそれ以上詳しいことは聞けなかったが。
だがどうするか。時間を無為に過ごすのはあまり好きではない。何もやることがないのならば、町をぶらついてNPCから情報を集めてみるか、適当にクエストでも受けるべきか。
そう考えていると、俺と同じく思案顔をしていた翠さんの表情がパッと切り替わる。
「あ、ハイブからメール。ちょっと待ってね」
ナイスタイミングだ伸二。出来れば有用な情報を俺に与えたもう。
「むむむ……」
「何が書いてあるんだ?」
「ん、これ」
指を弾いてメールの文章を俺の前にスライドさせる。
そこに書かれてあったのは、
『突然で悪いが、総がナガサキで助けたっていうNPCの姉妹に会って来てくれ。テンジンの町からなら駅舎を使えば今日中に着くと思うから、よろしく頼む。着いたらメールで教えてくれ』
ナガサキで助けたNPCの姉妹。カノンとリリスのことだよな。何でこのタイミングで2人に会いに行く必要があるんだ? いや、2人に会うことには何も不満はないが、それをどうして伸二から指示されるんだ?
「ハイブは今レイドボスの情報を集めてるんだろ? それとあの2人がどう関係してるんだ?」
「さぁ……でもこれがハイブの指示じゃなくって、一緒に行動してるあの人の指示だったら私は従う価値があると思う」
やけにその人に信頼を置いているな。それだけ頼りになるということなのだろうが、その人がどんな人なのか益々気になってきたぞ。
「わかった。リーフもそう言うなら俺に異論はないよ」
それから俺たちは町の端にある駅舎に向かい、ナガサキ行きの切符を買ってテンジンの町を後にした。
目指すは勿論、カノンたちのいるサセボの町。
次回『あの日聞いたレイドボスの場所を俺たちは何故か見つけ出した』
更新は月曜日の予定です。