80話 あの日交わした約束は社交辞令ではなかった
緊急事態発生。俺の心はそう大音量で叫びを上げていた。それもそうだろう。俺は今葵さんの部屋に2人っきりでいる。2人っきりだ。
なんだこの状況は。どうしてこうなった。そもそも何故謝罪に来た俺が親父さんに襲われそれを返り討ちにして、葵さん家のリアル夫婦漫才を見せられ、結果として葵さんの部屋で2人っきり、向かい合って座っているのだ。それもこんな真夜中に。もう訳が分からん。だがこれだけは言える。
なんだこの最高のシチュエーションは。
見つめ合う男女。時刻は深夜。場所は彼女の部屋。2人っきり。
こんな好条件ばかり揃うなんて一体どういうことだ。俺は明日死ぬのだろうか。それともこれから死ぬのだろうか。
「あの、うちのお父さんがいきなり襲いかかって……ごめんなさい」
「いや気にしないでよ。家だとあのぐらいは挨拶っていうかむしろ軽いぐらいだし、結果として親父さんに手を上げちゃった訳だし」
「お父さんにはいいお灸なので、それこそ気にしないで下さい。あの、それで、さっきのお話の続きなんですけど……」
徐々に下降していく彼女の視線。それは決して俺の股間を見つめていっているのではない。そう鋼の精神で自分に言い聞かせてはいるが、俺の頭の中では今彼女に対して真摯に向き合えという自分と、彼女を欲に満ちた目で見ようとする自分が凄惨な勢力争いを繰り広げていた。
「今日はいきなりみんなの前からいなくなって、ごめんなさい」
彼女の真摯な眼差しに、俺の中で巣くっていた悪魔は一瞬で蒸発した。さらばもう1人の俺。
「いや、俺こそごめん!」
頭を下げる彼女よりもさらに深く、俺は頭を下げる。
「翠さんから言われた。葵さんには葵さんのペースがあるって。それなのに俺は自分の考えだけをズケズケと……ホントにごめん」
視界に映るのは部屋のカーペットのみ。彼女の顔は見えない。そんな俺の耳に、彼女の慌てた声が入る。
「頭を上げてください、私、気にしてませんから」
それは嘘だ。凄く気にしたはずだ。今でも心に深く突き刺さっているはずだ。
「俺、馬鹿で考えなしで……思ったことをすぐ口にしてしまう頓珍漢だけど」
「そ、そんなこと」
ある。俺は馬鹿だ。失敗してばかりだ。だけど……だからこそ、
「俺、葵さんが嫌なことは絶対したくない。でも、葵さんが成し遂げたい目標があるのなら力にもなりたい」
これは矛盾だろう。彼女の目標を成すためには、彼女の嫌がることにチャレンジしなければならない。彼女自身、その矛盾に苦しんできたんだ。
「何が言いたいことなのか上手くまとまってない。でも、俺は葵さんの力になりたい。その悩みを、俺も一緒に悩みたい」
昔俺が苦しんでいた時、伸二が言ってくれた。1人で抱え込むな。俺を頼れと。あの言葉に当時の俺は救われた。なら今度は俺が、
「俺にも相談してほしい。俺、葵さんみたいに賢くないけど、どうにかして力になりたい。だから……」
顔を上げ、彼女の瞳を強く見つめる。
「俺を頼ってくれ」
「――っ」
「1人で……苦しまないでくれ」
我ながら言葉の才に恵まれていないと思う。自分の気持ちを伝えるのも、相手の気持ちを汲み取るのも下手糞だ。だからこそ、そんな自分を変えるために常に前に進もうとしてきた。
だがそれで今回、俺は彼女のデリケートな部分に土足で上がりこみ、手を無理やり引っ張った。彼女の足元も立ち位置も見ずに。
進み続けるだけでは駄目なんだ。時には立ち止まってもいいんだ。その時間が無駄だなんて誰にわかるって言うんだ。
立ち止まって自分の姿を、立ち位置をよく見ろ。周りの人間の顔を見ろ。
そうすれば今度は、彼女の手を引っ張るのではなく、優しく握って隣で寄り添えるはずだ。
「……嫌、かな?」
俺の問いに、彼女は瞳を潤ませ首を横に振る。
「そんなこと、ない、です」
彼女は少しの間俯くと、再び顔を上げ俺の目を見つめる。
「ありがとう……」
俺の目に映った彼女は、目元を真っ赤にして鼻声にもなっていたが、その顔は――笑顔だった。
■ □ ■ □ ■
「あれだけ色々あって元通りって……何も進展なしって……何なのこのチキンハート。キングオブチキンね」
翌日、俺は仮想世界のとある空間で、翠さんから蔑みの視線を一身に受けていた。姿勢は正座だ。選択肢はない。
モップさんが見れば涎を垂らして羨ましがることだろう。クソどうでもいいが。
「まぁそう言ってやるなよ翠。確かに総のハートはチキンだが、これでも頑張った方じゃねえか。ここは生暖かい目で見てやろうぜ」
そうしたり顔で語る伸二だが、コイツの姿勢も俺と同じく正座だ。ポジションは俺の隣。罪状も俺と同じで《迂闊な発言しちゃってごめんなさい罪》だ。たった今俺にだけチキンハート罪が加わったようだが。
「アンタは黙ってなさい」
「ハイ、スミマセン」
伸二轟沈。ざまあみろ。
「翠、この話はもう……ね?」
葵さんが少し困ったような顔で翠さんを嗜める。その顔が少し赤いのは気のせい……だよな。
「まぁアンタがそう言うなら」
最初からそこまで本気ではない様子で俺と伸二を叱りつけていた翠さんも、ここが落としどころと判断したのかアッサリと引き下がる。
「そう言えばここに総君連れてきたのって初めてよね。どう? 私たちのギルドホーム」
そう言うと彼女は両手を広げ、大きな部屋の中央でくるりと回る。
「白い、広い、洋風。後は……」
「それ見たまんまの意見ね。感想というよりは報告ね」
「ゴメンゴメン。家具とかもちゃんと揃ってて、すっごく良くできてると思うよ」
「ふふっ、ありがと。一生懸命作った甲斐があったわ」
今いるのは伸二たちの作ったギルドの専用拠点、ギルドホーム。俺がこのゲームを始める少し前に作ったものらしい。
洋風の装飾と家具で統一された室内は、ちょっとした貴族にでもなった気分すら味わえる。勿論俺が貴族、葵さんはその妻、翠さんが仲の良いご令嬢だ。伸二? 犬だ。
「でもこの部屋ってどういう扱いなんだ? ギルド会館にこんな大きな部屋がいくつもあるようには思えないけど」
ギルド会館とは様々なギルドが自分たちの拠点として使っている施設だ。殆どの町にあり、多くのギルドメンバーたちがその恩恵を受けている。
だがそもそもおかしい点がある。ギルド会館の大きさはそれなりの規模だったが、それでも何百何千というギルドの拠点が入るには狭すぎる。巨大ショッピングモール級以上、下手をしたらちょっとした集落規模のサイズの広さが必要なはずだ。
「ん~、なんて言えばいいんだろうな。不思議空間? ギルド会館だけは、他の建物と扱いが全然違うんだよ」
「て言うと?」
「町で生産職の人らが自分の店を出すときは店舗をレンタルしてからその地を転々としてるだろ?」
「あぁ」
ナガサキで出会った武器職人のスミスさんはそうしてるって言ってたな。そう言えばオキナワで出会った夫婦で生産職をしてるサクラさんと半蔵さんはどうしてるだろうか。今度連絡でも取ってみよう。
「それに対して、ギルド会館の中にあるギルドホームってのはレンタルじゃなくて買取で、土地も一々変える必要がないんだ」
「……スマン、どういうことだ?」
「つまりね、ギルド会館の中身は外の空間とは別ってことなの」
伸二からのバトンを翠さんが受け取る。視覚的にも聴覚的にもプラスの変換だ。グッジョブ。
「ギルド会館に入る時、変な門みたいなのを通ったでしょ?」
「あぁ、なんかシャボン玉の膜みたいなのが張ってあったな」
「あそこが他の空間との境界線になってるの。今私たちはクマモトじゃなくて、専用の空間にいることになるわね」
なるほど。じゃあどこのギルド会館を利用したとしても自分たちで作ったギルドホームに戻ってこれるという訳か。
ん? 待てよ。
「じゃあもしかして同じギルドに所属している人は、違うエリアに居ても気軽に会うことが出来るのか?」
「出来るわよ。大手ギルドとかはこれでコミュニティが崩れずに済むって喜んでるらしいし」
じゃあ同じギルドに所属していれば別れていても簡単に会うことが出来るのか。それはいい機能だな。
それにギルド……ギルドか。
以前伸二たちから誘われて、返事をはぐらかしたままにしていたな。あの時はまだ人の輪に入ることが怖くて尻込みしていたけど、今なら……伸二と葵さんと翠さんとなら……
「あの、さ……」
「よし、良いぜ総」
重い口を開き始めた俺に、伸二は内容も確かめずに即答する。
「え? いやまだ何も」
「お前が何考えてるかぐらいわかるって」
やっぱこいつエスパーだったのか。時々そうじゃないかって思う時もあったが。
「つーかやっとかよ。ったく待たせやがって」
「……すまん」
「はっはっは、存分に働いてもらうからな?」
「何調子いいこと言ってんの。嬉しくて堪らないくせに」
「う、うっせーな」
全く……これだからコイツは……
「つーわけで、翠」
「ん」
翠さんが空中で何かをタッチした後、俺の目の前に半透明のボードが現れる。
そこに書いてあったのは【リーフからギルドへの勧誘を受けました。受諾しますか?】という文字。さらにその下には、YESとNOの選択欄が並んでいる。
俺はYESの文字へと手を伸ばし――
「……」
ボードの前で凍り付いたかのように指が止まる。今度は失敗しないだろうか。いつかの時みたいに、何もかも壊れてしまわないだろうか。どうしてもそういったことが頭を過る。もしこのメンバーでそうなってしまったら、俺は今度こそ立ち直れないかもしれない、と。
「総、君?」
葵さんの心配そうなか細い声が、俺の手を優しく引いてくれる。
そうだ、迷うな。止まってもいい。だが1人で止まるな。皆を頼れ。そして皆を支えろ。そうすれば……今度こそ上手くいくはずだ。
俺はゆっくりとボードをタッチして、
「その……よろしく」
彼らのギルド《COLORS》の一員になった。
■ □ ■ □ ■
「これでよしっと」
翠さんが俺の名前の記された銀の札を壁にかける。その横には葵さんと伸二の分が、そのさらに横には翠さんの札がかかっている。俺と伸二と葵さんの札の色が銀で、翠さんの札だけが金なのは、彼女がギルドマスターであるからだろう。
「これで私たちのギルドは4人。やっと目的を達成できたわね」
「目的? 4人揃えることが?」
「あ、いいのいいの、こっちの話。それよりも総君、今日は1日インして大丈夫な日?」
「あぁ。さっき昼飯食べたばっかりだから、夕方までは大丈夫だよ」
瑠璃も母さんも一緒に部屋にこもってまた何かしてるからな。夕飯まではフリーだ。多分だが、夕飯後もフリーだ。
「じゃあこれから皆でアソに行かない? アマクサからだと途中の中継ポイントまでしか行けないでしょうけど、今日と明日を逃したら1日インできる日はまた来週になっちゃうし」
確かにアマクサからアソまで行こうとすれば2日は欲しい。オキナワで乗ったモンスターの引く車が通っていれば良かったんだが、生憎とまだアソまでの道は開通していない。自力で行くしかない以上、今日と明日の休みを利用するのがベストだろう。
「俺は全然いいよ。伸二と葵さんにはもう聞いてる――みたいだね」
俺に向けてサムズアップする伸二と、満面の笑みの葵さん。返事は不要だな。
「じゃあアイテムを買い揃えたら行きましょうか」
「分かった。ちょっとだけ武器屋に銃弾を扱ってないかだけ見て、それから――ん?」
言っている途中で、俺にしか聞こえないピロリンという音が鳴る。
「ごめん、メールだ」
誰だ? 母さんか? いや、外部からのメールとは音が違う。これはゲーム内のアカウント同士でやり取りする時の音だ。ということは俺のゲーム内での知り合いということになるが……そんなやり取りする人なんて俺に居たっけか? 雪姫さんとモップさんはサガだし。もしやスミスさんか半蔵さん?
だが指を進める俺の目に映ったのは、その誰の名前でもなかった。
「え、大尉?」
そこに書かれてあったのは、かつてナガサキの地で俺たちに天使の涙をくれたトップギルドのマスター、大尉の名と、よかったらこれから一緒にクエストに行かないかという誘いの一文だった。
次回『この日会ったトップギルドの濃さに俺たちは圧された』
更新は月曜日の予定です。




