78話 この罪の名を俺は知りたい
特に神聖な神殿というわけでもない、普通の石造りの建物の中で、彼女は申請のための手続きを行っていた。
スラスラと走らせるペンの先には、キャラネームと献上するアイテム、そして転職を希望する職業を書く欄がある。
そして彼女は、その欄に《巫女》と記入する。
「ふむ、確かに申請を承った。これで今日から汝は巫女だ。今日からは、その名を胸に深く刻み生きるが良い」
白い立派な髭の老齢な男性が渋い声でそう告げる。これで服装がスーツではなくローブだったらまさにRPGという感じなのだが、格好とリアルな手続きのせいか色々と台無しだ。しかも胸に刻めときた。葵さんの胸に何てことするんだぶっ殺すぞ。
「ありがとうございます」
無駄に貫禄のあるNPCにお礼を告げた葵さんが小走りで俺たちの下へ戻ってくる。
「ジョブチェンジ、できました」
あぁ可愛い。
初めてのお使いに成功した子供のような笑顔を咲かす葵さんに、俺の心臓は倍速で血液を送り出す。こんなのを毎日見せられたら高血圧でぶっ倒れるな。倒れたい。
「それでそれで? 巫女ってどんなことができる職業なの?」
顔にワクワクという文字を書いた翠さんが葵さんに迫る。まぁ俺の顔にも書いてるが。
「えっとね、回復が得意なほかに、相手の動きや魔法を制限したり、相手の能力を限定的に奪うことができるんだって」
な……なんじゃそりゃあ。相手の能力を奪う? 滅茶苦茶カッコいいじゃないか。さすがレア職。夢があるなぁ。
「ブルー……その力で総君の心も奪うのね? 悪女ね?」
いきなり突っ込んだコメントきたぁあ!? 内角高めに剛速球ぶち込んできたよこの人。
しかしいいぞ翠さん、もっと言ってくれ。ただ心は既にガン掴みにされてるから、できれば物理的に頼む。俺は全力で拉致られるぞ。
「し、しませんそんなこと!」
剛速球打ち返したぁあ! 腕を畳んだコンパクトなスイングで綺麗に跳ね返したよ。
「え~しないのぉ? いいの? そんなんで」
いいぞ翠さん、もっと言ってくれ。葵さんの打ち返した打球を見事止めてくれ。
「ま、いっか」
よくない! よくないぞ翠さん。もっと食い下がってくれ。そんな守備力じゃセンターオーバーのツーベースだぞ。
「あ、でも巫女になれたのは総君のお陰って言ってたわよね。じゃあそのお礼に2人っきりでデートでもしてあげてもいいんじゃない? 勿論リアルで」
ファインプレぇええ! ダイビングキャッチのスーパーファインプレーだよ翠さん。しかもリアルと来た。これってこの前のお泊り勉強会の延長戦ってことでいいんだよな!? よし、次こそは――
「わ、私とデートじゃお礼にならないよ……本当の私は見た目も地味だし……」
あかーん! グラブ突き破ったぁあ。打球の勢いが強すぎるー。いかん、イカン、遺憾、ボールが落ちる、落ちてしまううう!
「いっそのことリアルでもこっちと同じ格好すれば良いじゃねえか。今なら総が護ってくれるぜ?」
レフトォオオオオ! レフトがボールに飛びついてくれたぁあ! なんて頼れるレフトだ。お前こそゴールデングラブ賞だ。
「え、わた――え、でも」
お、これは揺れてるのかな? ならもう一押しか。よし、ここは攻めだ。
「そうだよブルー。今の格好全然綺麗だし、リアルでもその格好のほうが良いって。もっと堂々と行こうよ。なんなら髪の色も戻してみたら?」
「ちょ、ちょっと待って総君!」
翠さんが慌てた様子で間に入ろうとしてきたが、この時の俺にはその姿も声も、まともに入っていなかった。
「町に出て何かあっても俺が護るからさ。だか、ら――」
そこまで言って俺の口は凍りついたように時を止める。
その目に、彼女の涙を映しながら。
「あ、の……わたし……」
何故、彼女は涙を流しているのだろう。何故、俺は彼女を泣かせているのだろう。
そして俺は、どうして凍りついたように動けないのだろう。
「ご、ごめ、なさ、でも――」
そう言うと、彼女はそのまま俺たちの目の前から一瞬で姿を消す。
呆然と立ち尽くす俺の視界に映るのは、ブルーがログアウトしましたというシステムメッセージだけだった。
■ □ ■ □ ■
宿屋の一室で、俺はごくりと唾を飲み込む。
「これより、被告人総一郎と被告人伸二の裁判を始めます。裁判長は私翠が、検察は私翠が、弁護士は私翠が務めさせていただきます」
彼女はそう言うと卓上から冷めた目で俺を見下ろす。なお、彼女が見下ろしているのは俺が床に座っているからだ。姿勢は勿論正座だ。
「まず被告人総一郎。貴方の容疑は何かわかりますか?」
「えっと……葵さんを泣かせたこと、でしょうか?」
「そうです。では何故彼女が泣いて逃げたのか、それはわかりますか?」
さっきよりもより冷気を感じさせる目に、俺は喉がつぶれるような感触を感じながら何とか言葉を絞り出す。
「その……俺と2人でデートするのが嫌だったから、じゃないでしょうか」
「はい死刑」
うぉおおい、ちょっと待ってぇえ!? 弁護士さん仕事して! この裁判長極端すぎるんですけど!?
「み、翠……俺は――」
「アンタは最初から死刑確定よ。いいから黙ってなさい」
「……ハィ」
早くも俺の戦友が戦線離脱してしまった。まぁあいつが死刑になるのは全然いいし、俺が有罪なのもわかってる。でも、俺は自分の罪の名を知りたい。
「翠さん、教えてくれ。葵さんは……どうしてあの時」
「泣いて逃げたのか? はぁ……そんなの自分で考えなさいよね」
いや全くもってその通り。返す言葉もありません。だが、俺の単細胞脳みそではまともな答えが見つかりそうにないんだ。
「まぁ今回は助け舟を出してあげるわ」
そう言うと翠さんは軽く一息ついてから言葉を続ける。
「結論から言っちゃうと、葵は総君に正論を言われたから逃げちゃったの」
「……え?」
「総君がさっき葵に言ったことは正しいわ。誰からどんな目で見られようと、自分を偽らずに堂々とするべき。私もそう思う」
「なら――」
「でも誰もが総君みたいに強いわけじゃない」
「あ……」
「葵は臆病で、怖がりなの。人からの奇異の目が、怖くてしょうがないの。この仮想世界ですら今の姿をするのには結構な時間がかかったんだから」
……そうだ。葵さんは俺と一緒で、見た目の違いから差別を受けてきた。幼い頃から。俺にはそれらを跳ね返す武力があったから殻に閉じこもっていても何とかなっていた。でも葵さんは……
「葵言ってたわ。私も総君みたいに強くなりたい。自分を偽らずに正直になりたいって。だからあの子は頑張ってた。頑張ってたのよ。少しずつだけど、前に進もうと努力してたの」
そうだ。彼女は彼女なりのペースで前を見ようとしていた。進もうとしていた。
なら、俺はその隣で彼女を見守って一緒に進んでやるべきだったんじゃなかろうか。
「それと、髪」
「髪?」
「うん。葵の髪、こっちではアッシュグレイだけどリアルでは黒でしょ?」
「あぁ」
確か黒に染めてるって言ってたな。それがどうかしたのかな。
「本当は葵、自分のアッシュグレイの髪が大好きなのよ。お母さんと同じ髪の色が。でも、見た目が原因で絡まれることが嫌で仕方なかったあの子は、どうしようもなくなって自分の髪を黒に染めたの」
……俺は馬鹿だ。
「あの子言ってたわ。自分の黒髪を見るお母さんの顔が、凄く寂しそうに見えるって。笑ってるけど、泣いているように見えるって。純粋な日本人に生んであげられなくてごめんねって言ってるように聞こえるって」
……俺は、そこまで苦しんでる人に言ったのか。髪の色戻せって。
「葵はね、本当は髪の色を戻したいの。でも、その気持ちと同じぐらい、人から見た目で絡まれるのが――否定されるのが怖いの」
そこまで苦しんでいる人に、あんなに気軽に踏み込んだのか。俺は。
「さっきの涙は、正しいと思っている選択を取れない自分への不甲斐なさへの涙。総君や伸二がどうこうって意味じゃないの」
いや、それでも、俺は――
俺はその場から立ち上がり、翠さんへと真剣な眼差しを向ける。
「翠さん、聞きたいことがあるんだけど」
俺がそう言うと、翠さんは俺にある文字をメールで送ってくれる。
「それ、住所ね」
俺の考えなど全て見透かした彼女は、そう言うと拳を俺の胸に当て、
「ドンと決めてこい、総君」
さっきまでとは全然違う、暖かい視線で俺を送ってくれた。
次回『この日彼女の家を訪ねた俺はマジでやらかした』
更新は月曜日の予定です。




