74話 あの日習った数式を俺たちはまた忘れた
新章スタートです。
さらばシリアス、ただいまコメディ。
――恐れるな。引くな、一歩も。
頬を伝わるは冷たい感触。背筋に感じるは氷の刃。
――こっちか? いや、これは不味い気がする……だが、俺に残された選択肢はもうこれしか。
強張る筋肉は普段の柔軟さの欠片も見せず、小刻みに震える。
――やるしか……ないのか。
そして俺は、決断する。
答えは――
■ □ ■ □ ■
「「全然ダメでした……」」
俺と伸二の声が教室で虚しく重なる。
「当り前よ! どうしたら足利義政が京都東山に建てた建造物が通天閣になるのよ!?」
いや翠さん、俺も今ならそう思わなくもないんだけど、何というか追い詰められた時の精神は少しアレと言いますか。
「いやいや総、いくらなんでも通天閣はねえだろ」
「黙れ伸二! お前の富岡製糸場も大概だろ!」
「いや少なくとも建造された年は俺の方が近いぞ!」
「俺の方が場所的には近い!」
「どっちもどっちよ!」
翠さんの痛快なまでのツッコミが俺たちの醜い争いを両断する。
「2人ともあれだけ試験勉強したって言うのに何よこの結果! これじゃあ追試コースまっしぐらじゃない」
「「面目ない……」」
伸二と翠さんの2人とクマモトエリアで合流してすぐ。俺たちは試験という学生にとっての一大イベントに臨むべく、しばしの間ゲームを封印し試験勉強に励むことになった。
そして今日がその成果を発揮する初日になるはずだったのだが……
「その、まだ試験は始まったばかりだし、まだまだ大丈夫だよ」
「甘い、甘いわよ葵。この2人の馬鹿さ加減は私たちの想像以上よ」
ぐぅの音も出ないとは正にこのことか。正論過ぎて心に沁みる。
「放課後に図書室で勉強して、家に帰ってからも各自でやってるはずなのに……はっ、まさか」
あ、これ不味い流れだ。
「アンタたち……家に帰ってからまさかゲームとかしてないでしょうね?」
「い、いやだな~翠さん。そ、そんな訳――」
「し て な い で し ょ う ね ?」
「「申し訳ございませんでした!」」
俺と伸二のシンクロ率は100%となり、揃ってジャンピング土下座を決める。国民のこれ以上の流血を避けるためには、この無条件降伏を呑むしかない。
「あっきれた! 試験勉強中はゲーム禁止ねって決めたじゃない」
いやそうなんですけどね、何故でしょうね。試験勉強中のゲームってメチャクチャ楽しいんですよ。何故か。もうその禁忌の響きに俺の心完全にオトされちゃったんですよ。
「この試験の結果次第だと補習もあるんだからね? わかってるの?」
「安心しろ翠。俺と総は毎年補習の常連だ」
「安心する要素どこにもないわ!」
「ほぐあっ!?」
ナイスどつき漫才だ。いや、夫婦漫才かな? もうこの2人ホント何で付き合わないんだろ。不思議だ……いっそのこと学校七不思議にしてしまおうか。
「こうなったら一夜漬けの勉強会よ。葵、アンタも付き合いなさい」
「え? えぇ!?」
「ん? 翠、それはナイス提案だぞ」
「でしょ? じゃあ場所はどうしよっか」
「総の家はどうだ? 広いし、部屋も沢山あるだろ」
何だこの流れは。どうして伸二もそんなに積極的なんだ? いやだが待て。これは所謂お泊り会みたいなものじゃないか? しかも女子との。伸二は裏の山に捨てれば問題ないから、実質リスクはないに等しい素晴らしいイベントじゃなかろうか。
「わかった。ちょっと母さんに聞いてみるよ。多分大丈夫だとは思うけど」
昔伸二を家に連れて行った時、母さん泣きそうなぐらい喜んでたからな。まぁ今回は勉強会だけど、それでも友達を複数人家に連れてきたら喜ぶんじゃなかろうか。
そうして俺は母さんの携帯に連絡を入れ、ほどなくして快諾を得た。
だがこの時の俺はまだわかっていなかった。
このクエストの――難易度の高さを。
■ □ ■ □ ■
「ここが総君のお家……」
「おっきいわね」
麗しの令嬢2人が玄関前で呟く。「総君」と「おっきい」の言葉だけを抽出して録音したら逮捕されるだろうか。
「親父の教育方針のせいか、ある程度の面積が必要らしくてね。ささ、入って」
どんな教育方針なのかは言わない。言いたくもない。
「お邪魔しま~す」
「お、お邪魔します」
俺の招きに応じ2人がそれぞれにらしい反応で家の中に入る。
その直後であった。
「いらっしゃ~い」
エプロン姿の母さんが2人を満面の笑みで迎える。すると母さんは2人の顔を交互に見返すや、頬に手を当て、
「あらあらまぁまぁ。どうしましょ、こんなかわいい子たちを総ちゃんが家に招待するなんて」
「母さんやめてくれって」
いつも通りな翠さんはともかく、前髪と眼鏡で顔を殆ど隠している葵さんの美貌まで一瞬で見抜くとは流石は我が母上。相変わらず素晴らしい眼力だ。
しかし友人に親を見られるというのはよくわからないが照れるものがあるな。ホントによくわからないが、一刻も早く事態を解決したい気持ちに駆られる。
「あ、あの! 本日はお日柄もよろしくありがとうございます!」
「葵、それ色々混じり過ぎて意味不明だから。あ、初めまして。私は若草翠です。こっちのカチコチになってる子が冬川葵で、後ろにいるのが高橋伸二です」
「まぁご丁寧にどうも。総ちゃんの母親の藤堂由紀子です。今日はお泊りでの勉強会って聞いてるけど、まだ晩御飯は食べてないでしょ? 一緒に食べましょう」
「ありがとうございます」
翠さんの元気の良い返事を聞くと、母さんはニッコリとした表情をこちらに向けてからパタパタと台所へ戻っていった。
「じゃ、遠慮せずにどうぞ。靴はそこに入れておいて」
「おう、サンキュ」
いたのか伸二。女の子2人という響きが素晴らしすぎて脳内で勝手に排除していたよ。
「な、何だよ総。その顔は」
「何でもないよ。それよりも早く飯にしようぜ」
一旦荷物を部屋に置き、そのまま食事の用意された居間へと向かう。そこで待っていたのは、誰かの誕生日かなと勘違いしそうになる食事の数々と、瞳を輝かせて葵さんを見つめる瑠璃。
え? どったの瑠璃。
「皆さん、こんばんは。お兄ちゃんの妹の瑠璃です。今日はお兄ちゃんのお勉強を見てくれるそうで、ありがとうございます」
「かっわいいー! 何この子、総君、頂戴!」
「やるかぁあ!?」
瑠璃が可愛いのは全面的に同意だが、その要求は却下だ。どうしてもと言うなら俺ごと貰ってくれ。
「え~っと、あなたが翠さんで、あなたが葵さんですか?」
「そうよ。あれ、今日初めて会うわよね?」
「はい。お兄ちゃんのことは何でも知ってます」
流石マイエンジェル。そうか、俺のことだから知ってるのか。納得だ。
俺が1人で納得していると、葵さんが腰を折って瑠璃と目線を合わせる。少し前のカノンとの絵と被る光景だな。
「冬川葵です。よろしくね、瑠璃ちゃん」
「うん、葵お姉ちゃん」
天使と女神の邂逅。俺は歴史的な瞬間に立ち会ったのかもしれない。
だが次に天使の口から出た言葉は、俺を戦慄させた。
「葵お姉ちゃんは、お兄ちゃんと付き合ってるんですか?」
うぉおおおおおおい、瑠璃ぃいいいいいいいいい!?
やめてくれ、勘弁してくれ。今俺の中でそこは慎重に行きたいところなんだ!
葵さんには気になる男がいるらしいから、その辺のことをもう少し調べてからじゃないとヘタに動けないんだよ!
「る、瑠璃何言ってんだ」
「あ、お兄ちゃん、もうっ」
「ゴメン葵さん、瑠璃がおかしなことを――ってフリーズしてる!?」
目を点にした葵さんの氷像が、我が家の食卓の前で静かに建立している。
「あらら~これは完全に固まったわね。でも大丈夫、ここは私に任せて」
そう言うと翠さんは麗しい氷像の背後に立ち、その凶悪な魔手を彼女のたわわなたわわに――
「とうっ!」
「ふあうっ!?」
ふおおおおおおおおおおおお! やりおった、やりおったわこの人ぉおおお!
「み、翠ぃいいいいいい!」
「お、戻ってきたわね。よしよし」
翠さんグッジョブだ。具体的なコメントは避けるが、実にグッジョブだ。
「あらあら、賑やかね。でもそろそろお食事にしましょう。そこに腰掛けて頂戴ね」
実にカオスな様子を作り出した俺たちは、何とかその場を収め食事に移る。
その間葵さんの顔は真っ赤だったが……まぁ平和のためにはある程度の犠牲は付き物だと言うし……ゴメンよ葵さん。その代わりに俺が得た平和は必ず返すからね。
■ □ ■ □ ■
家族プラス友人3人の賑やかな食事を終えた俺は、彼女たちを自分の部屋に招き勉強の用意を始める。
「瑠璃ちゃん益々可愛くなってるな。お兄さん、またこうして勉強会開きましょうよ」
「誰がお兄さんだ。喉に銃突っ込んで尻の穴増やしてやろうか?」
「い、いやだなぁ冗談ですよ総さん」
気を付けろよ伸二。前にも言ったが俺にその手の冗談は通じない。障害は俺の全てをもって排除するからな? 幸いこの部屋にはその手の武器は仕込み済みだからすぐに実行に移せるんだぜ。
「だが相変わらず総の母ちゃんは美人だな。直接会って話したのは久しぶりだが、女優かモデルって言われても信じるぞ」
「それは私も思ったけど、どこかで見たことがある気がするのよね。総君のお母さん」
「あ、それ俺も思った。どこかって言われるとイマイチ思い出せないんだが」
「そうなのよね~。それに瑠璃ちゃんも何だか初対面って気がしないのよね……よくはわからないけど」
どうしたんだ2人とも? まぁ大方町に買い物にでも出てる母さんを見たとかそんなとこじゃないかなとは思うが。
「2人とも、そろそろ勉強しましょう」
そう言うと葵さんは俺の横に腰掛け教科書を開き始める。
「わ、私が総君について、翠が高橋君にでいいんだよね?」
「オッケーよ」
「うっし、じゃあ始めるか」
そして俺は、過去最難関のクエストに挑むことになった。
たわわ(*´ω`*)
因みに冒頭の問題の答えは銀閣寺です。
次回、『あの日言われた言葉を俺は再び思い出す』
更新は月曜日の予定です。