71話 ニジュウナナで流れる天使の涙
「……きれい」
粉雪のように舞い散る光を見つめる少女は、口を開きっぱなしでそう呟いた。
「総君……かっこよ」「ソウくぅ~ん!」
「うぉっ、雪姫さんそんなに抱きつくと危ないですって、俺今頭に角生えてるんですから」
デジャブかな、ジーザーの時にも似たようなことがあった気が……ってあれ、葵さんどうして唇をそんなに尖らせているのかな? チュウして良い?
「ソウ君がアーツ使ってるの初めて見たけど、何あれ! 超凄いじゃない」
「それは僕も同じ意見だね。もの凄い威力だったけど、あの威力にも何か秘密があるのかい?」
「あぁ、あれは極光六連って言ってアーツの中でもちょっと特殊な――ってそんなことよりもリリス、リリスは!?」
俺の角に当たらないように絶妙な角度で頬擦りをしていただいておりまする雪姫様を腹を引き裂く思いで泣く泣く離し、カノンの方へと顔を向ける。
そこには、
「私は大丈夫です。まだ少し体が上手く動かせませんが、こうして喋れる程度には回復しました」
カノンに介抱され横になっているリリスの姿があった。まだ動くことはできないようだが、その顔色は最初に見た青白いものから仄かにピンク色を取り戻しかけていた。
「そうか、良かった」
「ブルーさんに、ずっと回復魔法をかけてもらっていたお陰だと思います」
葵さんにはリリスの蘇生後、ずっと回復を頼んでいた。効果が出るのかどうかは微妙なラインだと思っていたが、効果があって良かった。
「そっか、ブルーナイス」
「い、いえ……そんな」
あぁ、かわえぇのぉ。
「ソウくぅ~ん? 私もぉ、頑張ったと思うんですけどぉ~?」
「え、あ、そうですね。雪姫さんもナイス援護でした」
う~ん、まぁこれはこれで可愛い、のか?
「ソウ君! 僕も頑張ったよね!」
「そうですね、死ね」
「ありがとうございます!」
これは可愛くない。こんな疲れる褒め方もう御免だ。二度としたくない。
「あ、あの……」
いつもの雰囲気が戻りふざけ合っていた俺たちに、カノンは立ち上がり真剣な眼差しで向かい合う。
「みなさん……わたしの、お願い……聞いてくれて……」
その瞳は俺たちから全く逸れずにただ真っ直ぐと、しかし大粒の涙を抱えて向けられていた。
「あ、ありが、どう……ございまず……」
小さな腰が真っ直ぐに折れる。
少女の地面には、いくつもの滴が零れ落ちて……。
「本当に……ありがどう、ございまじだ」
頭を上げた少女の顔は、涙と鼻水が垂れており、そして――笑顔だった。
「どういたしまして」
俺たちは、俺は、ようやく約束を守り、少女の笑顔を取り戻した。
■ □ ■ □ ■
「リリスさん、顔を上げてください。もう十分ですから」
「いいえ、私だけでなく、カノンのことまでお世話になって……何とお礼をすればいいか。本当に、本当に感謝の念に絶えません」
あれから俺たちはリリスを担いで船へと戻った。その道中と、今こうしてサセボの町を目指して船に乗っている最中、リリスは口が開けばこの話を何度も続けている。
始めは笑いながらいえいえなどと対応していた俺たちだったが、何回も何十回も続く会話に雪姫さんが、モップさんが、そして俺がと脱落し、今では葵さんが1人でリリスの話し相手もとい、お礼相手を務めている。
そう言えばここに来るまでに聞いた話で興味深いものがいくつかあった。
何でもリリスの話によると、彼女の家は代々封印能力に優れた一族の家系であったらしく、彼女の職業は表向きには《魔術師》だが実際は《巫女》と呼称されるものらしい。
モップさんの話では、その職業はまだどの攻略サイトにも載っていないものらしく、おそらくレア職の1つだと思われるとのことだった。
その力が鬼に狙われた直接の原因なのかは今ではもう確かめようのないことだが、それだとカノンも特殊な力を持っているということなのだろうか。
興味は尽きないが、その辺についてはリリスもハッキリとした答えは持っていないようで、途中ではぐらかされてしまった。
そんなことを1人甲板で考えていると、聞きなれた足音が耳に入ってきた。
「ソウ君、どうしたんだい。そんなところでボンヤリと」
「モップさん……いえ、カノンは結局どういう意図のNPCだったのかなって」
「そうだねぇ。普通に考えればボス攻略用のアイテムを得るためのイベントキャラの1つだけど」
それは理解できる。だが、それだけでは説明がきかない部分もある。
「でもそれだとこのクエストの後半の意味って、強敵と戦えるっていうこと以外あんまりないですよね。俺はそれだけあれば十分ですけど、それだと他のプレイヤーには旨みが少ないのかなって」
「確かに。でもねソウ君。僕はそんな意味の薄いクエストも、運営の計らいなんじゃないかって思うんだ」
モップさんはそう言うと、その場にゆっくりと腰を下ろし漂う雲に目線を移した。
「1人の少女が泣いていたら、それを助けたいと思う。それはリアルだったら普通のことだろう?」
「えぇ、まぁ」
むしろ少女と涙のコンボに奮い立たない男などこの世に存在しないのではなかろうか。
「だったら、ここが仮想世界であってもそこは曲げなくてもいいんじゃないかなって思ってさ」
「……モップさん」
「勿論仮想世界ならではの遊び方もあるし、考え方もある。でもだからこそ、リアルと同じ感覚で動いて回るプレイヤーがいてもいいんじゃないかな」
「リアルと同じ……ですか」
「うん、ソウ君やブルーさんはそういう感じに見えていたけど?」
確かに……俺はゲームの中での価値観やルールとかには疎いから、現実と同じ感じでずっとプレイしていたけど。
俺の顔を確認するや、モップさんは目を細める。
「君たちのように、純粋にこのゲームを楽しんでほしい。このクエストは、運営からのそういうメッセージなんじゃないかな」
「……そういうもんなんですかね」
疑問系で答えつつも、それ以上の言葉を求めたい気持ちはなく、ただどこかがくすぐったかった。
「超今更ですけど、モップさんって変わってますよね。一体何者なんですか?」
言った直後に気付く。今のはリアル情報を聞いているようにも感じられる言葉だと。俺はそのことに気付くやすぐに言葉を撤回しようとしたが、それよりも早く、モップさんの口が動いた。
「――僕はね、仕事で君たちに近づいたんだ」
「……え?」
「正確には君にだね。少し前から君には色々な疑惑がかかっていたんだけど、その証拠がどこにも全然ないから痺れを切らして直接接触することにしたんだ」
……マジで?
「でも安心していいよ。先ほど仕事先には君が完全に白だってことを連絡しておいたから」
モップさんはそう言うとゆっくりと立ち上がり、
「――なんてね」
「へ?」
「そんな設定も面白そうだなって思ってさ。おや、どうしたんだいソウ君、そんな面白そうな顔をして」
……こ、この野郎。
「あっはっは、僕のこんな話にのめり込むようじゃソウ君もまだまだだね。男は時にいくつもの仮面を操ることも必要だよ」
この人……一緒に居ればいるほど読めないな。
「ちょっと~男2人で何してるのよ、怪しい雰囲気出してぇ」
「ほらソウ君、いいお手本が来たじゃないか。この怪人百面相ぐらいに色んな顔を使い分けて――ぐぼあっ!?」
見事な後ろ回し蹴りはモップさんの側頭部にクリーンヒットし、彼に海への旅を与えた。
「モップさぁああああああん!」
海へとダイブしていったモップさんの顔は、これまで見た中でもとびっきりの笑顔だったのだが……俺がそれを忘却の彼方へとしまい込んだのは、至極当然の権利と言えるだろう。
■ □ ■ □ ■
「皆さん、本当に、本当にありがとうございました」
「あ、ありがとうございました!」
サセボの町に着くと、カノンとリリスの2人は揃って頭を下げた。
「もし皆さんがお困りの際にはどうか私にお声かけ下さい。必ずお力になりますので」
「ありがとうリリス。その時はお願いするね」
「はい!」
リリスが言い終わると、次は自分の番だとカノンが一歩小さく前に出る。
「あの……わたし、出来ること少ないんだけど……これ……」
そう言うとカノンは雪姫さんとモップさんに箱のようなものを、葵さんには巻物を渡した。
「お姉ちゃんと2人で相談して、みんなにどうしても渡したくて……」
これはイベント報酬ってことでいいのかな? いや、モップさんが言っていたじゃないか。これを彼女たちの好意だと俺が感じるのなら、それで良いじゃないかと。
「これ……《巫女》へのジョブチェンジアイテム?」
「はい。ブルーさんには私のお話を最後まで聞いていただいたので、そのお礼です」
なにぃいいいいいいいいい!? あのしつこく何度も繰り返す話にそんなフラグがあったのかぁああああああ! 絶対魔法っぽいの使えるやつじゃん! 巫女の男版の職業に就けたかもしれないじゃん! 何やってんだ俺はぁああああ! やっぱイベントはイベントとしても見るべきだったかぁああああ!
ぶれっぶれの俺の心は、次のカノンの一言でピタリと鎮まる。
「あと……ソウお兄ちゃんには、これ……」
そう言うとカノンは手招きをして俺の顔を自分の目線まで下げさせる。
「どうしたんだ? カノ――」
俺の頬に、柔らかくてあったかい感触が優しく添えられる。
「――――っ!」
「あらぁ、うふふ、いいわねぇ」
「おっと、ソウ君が一番のご褒美かぁ」
「そそそそそそ、総君!」
あまりのことに目をパチクリさせている俺に、カノンは悪戯成功と言わんばかりの笑みで、目じりに涙を浮かべ告げる。
「ありがとう」
次回、本章最終話『ニジュウハチで終わって、また始まる俺たちの旅』
更新は木曜日の予定です。




