66話 ニジュウニで流れる少女の涙
『我ハトックニコノ娘ノ精気ヲ吸イ尽クシテイル。精気ノ無イコノ娘ハ、既ニ我ノ従順ナル下僕。ソシテ――亡者ヨ』
その言に、俺は言葉をなくした。
ではこれまでやってきたのはなんだったんだ。俺たちは、最初から助けることの出来ないクエストに挑んでいたって言うのか。
ならカノンはもう――リリスと会えないって言うのか?
「……ふざけるな」
約束したんだ、カノンに。リリスを絶対に取り戻すって。
こんなところで――
「躓いていられるかぁあ!」
上空を漂う巨大な鬼の顔面に銃口を向け、
『我ハ死ンデモ再ビ甦ル。ガ、コノ体ハ完全ニ塵ヘト消エルゾ』
「――っ」
引き金に添えた指が動かない、動けない。
どうすればいい……どうすればあの鬼の支配からリリスを助け出せる。本当にリリスはもう死んでるのか? あの鬼を倒してしまえばその存在すらも消えてしまうのか?
ち……
「畜生がぁ……」
噛み締めた奥歯から、赤いエフェクトが滴り落ちる。
奴が嘘の情報を言っている可能性に賭けるか? いや、分の悪すぎる賭けだ。リリスの存在を秤にかける訳にはいかない。
無力化して取り押さえて拷問にかけ――魔法を使う相手にそんなことできるわけがないか。
駄目なのか? もう手は無いのか? もう俺は、カノンとの約束を果たせないのか?
目の前に突如として降りかかってきた暗闇に、俺は必死に思考を巡らせ抵抗する、が……どこを探しても灯火が見つからない。くそ……
そんな時、声が聞こえた。
『……心臓に、コレを打ち込んでください』
「――え?」
声のした方を振り返れば、震える瞳に俺の姿をしっかりと写した少女がいた。差し出された手に握られているのは、女神の彫像が模られた短刀。
「カノン? いやでも声が」
カノンの口から、これまで聞いたことのない声が出ている。カノンに似ているが、それよりも少し大人びた感じを持つ、そんな声が。
『皆さん。私のために、カノンのために、ここまでしてくれてありがとうございます』
私のため? カノンのため? 何を言っているんだ、カノン。それじゃまるで、
「リリスちゃん、なの?」
呆然とした表情で葵さんが搾り出すように呟く。カノンはそれに笑顔で頷き、
『はい。私はカノンの姉、リリスです。一時的に鬼凧の支配力が弱まったお陰で、私の思念をカノンに飛ばすことが出来ました』
「思念を飛ばすだって!? そんな魔法、聞いたこともないよ」
『私は少し特殊な職業に付いてますので、こんなこともできるんです』
「そうなの、かい」
そこが論点ではないと考えたのか、モップさんはすぐさま自分の意見を引っ提げる。
『ですがそれも限界です。お願いします。私があの顔と体の動きを封じている間に、この短刀を心臓に打ち込んでください』
その言葉を肯定するかのように、空中を漂う鬼凧はその場でピタリと動きを止め、リリスの体も脱力したようにその場に立ち竦すくんでいる。
「しかし、それでは君が」
『それしかないんです。私の体や本体を倒しても、あの鬼はやがて復活します。ですがこの短刀を私の心臓に打ち込めば、あの鬼を永遠に封じ込めることが出来る。それに……私が既に死んでいるのは本当のことです。私の体は既に死に、こうして魂だけがあの鬼に囚われ続けているんです』
なんだそれ。じゃあリリスを助けることは本当にできないのか? おまけにここで鬼を倒しても後でまた復活するって……なんだよそれ。
『ですからお願いします。この鬼を……私ごと封印してください』
なんだよそれ……それはカノンの望んだ結末じゃ――俺の望んだ結末じゃない。
『私のことなら気にしないで下さい。カノンに最後の挨拶が出来ただけ、十分に幸せです』
そんなのは幸せじゃない。そう叫ぼうとした口は、もう1つの理性によって閉じられた。ただ見ているだけしか出来ない今の俺に、それを口にする資格はない、と。
『あなた方がここへ来てくれたお陰で、私はカノンともう一度会うことが出来ました。それにこの鬼を封じることも。だから……十分です』
「いや……そんなの、ダメだよ……リリスちゃん」
『私のために、カノンのために流してくれたその涙。私は忘れません』
泣き崩れる葵さんに、カノン――リリスも涙を流し、そして笑った。
『だから、お願いです。お兄さん、私を……封じてください』
こんな結末……認めていいのか。俺はこれで……カノンとの約束を守ったことになるのか。
『お願い……』
これしか……これで……こんなのが……
『バ、馬鹿ナコトハヤメロ! ソンナコトヲシテモコノ娘ハ。オイ、ヤ、ヤメ――』
定まらぬ思考のまま、俺は少女から短刀を受け取り、
そして――
『ヤメロォオオオオオオオオオ!』
『――ありがとう』
■ □ ■ □ ■
働かぬ頭を無理やり動かし、俺は学校までの道のりを進む。
「オッス、総――ってどうしたその顔。目の下、クマが酷えことになってるぞ」
「……あぁ、ちょっと調べ事に熱中しててな。気付いたら朝になってた」
「徹夜かよ。何をそんなに真剣になって調べてたんだ?」
「ん~……約束を守る方法、かな」
「は? なんだそりゃ――っておい、置いてくなよ、総!」
そのまま俺は不足していた睡眠時間を授業中に取り戻し、昼休みに葵さんと合流した。
「総君。私、悔しいです」
目を腫らした――と思われる葵さんが俺の前でそう宣言した。思うと言わざるを得なかったのは、ゲームの時と違いリアルでは彼女は前髪と眼鏡で顔を隠しているからなのだが、うすボンヤリと覗く瞳から俺はそう判断した。
「俺も……こんなに悔しい思いをしたのは、初めてかもしれない」
たかがゲーム。ただのデータ。作り物の仮想世界。そう自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど、俺は自分の胸が苦しくて仕方がなくなる。
あれから俺たちは、消沈したカノンを連れてサセボの町まで戻り、そのままログアウトした。別れ際の、カノンの言葉は今でも耳に残っている。
ありがとう。
それが少女が別れ際に零した言葉。想像のつかぬ悲しみを背負い、少女は笑って俺たちにそう言った。
あんな顔で、あんな言葉を言わせてしまった自分が情けなくなる。
それでもこれはゲームだから……だから、納得できなくても仕方がない。そういうことなのだろうか。それでいいのだろうか。
「私、諦めません」
いいわけがない。
「俺もだよ」
今の情報で足りないのならば、足りるまで集めればいい。
そのためには――
「伸二、ちょっと頼みがあるんだ」
「お、今回は自分から言えたな。よし、何でも来い」
打てる手は全て打つ。
それが悪足掻きと言われようが、それでも俺は――
少女との約束を守りたいんだ。
■ □ ■ □ ■
翌日、俺のパーティはサセボの町の宿屋である人物を待っていた。
「ねぇソウ君、本当に来るの? って言うか信じられるの?」
「信じるしかないですよ」
ソワソワした様子で雪姫さんが問いかけてくるが、俺には信じるしかないという答えしか出せない。
「僕が調べた限りでも、あれを持っている可能性が最も高いのは彼らだった。ソウ君の賭けは悪くないと思うよ」
「私も……信じます。私と総君の友達が一生懸命手伝って、調べてくれたんです。私も、この可能性に賭けてみたいです」
横長の四角いテーブルに横並びで腰掛ける俺たちに、葵さんは紅茶の用意をしながら力を込めて言い切る。こうして座っていると面接官のような雰囲気だが、気分的には試験を受けに来る側といった感じだ。
「ルーちゃん……わかった。じゃあ私も信じる」
上手くいく保障はどこにもない。モップさんはああ言ってくれたが、正直分が悪いのかどうかすらもわからない。それでも俺は、俺たちは、これに賭けるしかなかった。
「約束の時間まであと5分か、そろそろだね」
緊張した面持ちでモップさんが呟く。いや、それはここに居る全員が一緒か。なにせこれからの話次第で、俺たちの全てが決まるかもしれないのだ。
そして俺たちの視線を集中して受けていたドアノブは、この2分後にくるりと回った。
次話の更新は月曜日の予定です。




