172話 やはり俺の感性はまちがっている。
モヒカン・ボンバー。我々の記憶に焼き付いたこの名は、当分の間、我々を思い出し笑いという名の地獄へと突き落とすだろう。
なにをどうすればこんな名前にするのか。運営を小一時間は問い詰めたい衝動に駆られるが、それよりも優先することがある今は、ただ黙って足を動かすしかない。
「はやーい。ソウにいちゃん、すごいね」
背に担ぐリュックから頭だけを出したモヒカン・ボンバーの呟きが、後ろの方へと流れていく。
周囲に気配はない。
葵さん、翠さん、伸二はあの場で封印石を壊した後に、ログアウトした。予定通りに行けば、あと数時間後にはサカイの町で再会できるはずだ。
風鈴崋山の4人はあの場に残って薬草を探してからログアウトするって言ってたから、会うのは明日の朝だろうな。今日が土曜日でよかった。
「山や森の強行軍は得意なんだよ。それより、舌噛むぞ」
「う、うわぁああああああ」
十数メートルはある滝壺に落ちた辺りで、モヒカン・ボンバーが静かになった。うん、中々に素直な子だな。よし、もっとスピードを上げるか。
サカイの町のギルド会館に着き、我らがホームに彼を迎え入れたのは、日が入れ替わる寸前だった。
「おかえりなさい、総くん」「ご飯にする? お風呂にする? それとも」
扉をノックして開けて、最初に迎えてくれたのは、やはり葵さんだった。その後に素晴らしい会話を繋げてくれて、葵さんから押しのけられているのは、やはり翠さんだった。危ない……もう少しで「私で」って答えてたぜ。
「お前ひとりだとこの時間で帰ってこれるのか……バケモンだな」
「今日は特に急いだぞ。普段なら迂回する滝や崖なんかも突っ切ったからな」
「え、それってモヒくん大丈夫なのってキャアア! 気絶してる! 葵、回復術!」
「も、モヒくん!? しっかりして!」
リュックごと翠さんに抱きかかえられたモヒカン・ボンバーは、そのままテーブルの上で横に置かれ、すぐに葵さんから回復術を受ける。
その間、俺は、
「アンタは子供に対してもうちょっと手加減をしなさい!」
「い、いや、俺が子供の時はあれぐらいじゃ」
「アンタの幼少期を人類の規格に当てはめるな!」
翠さんに、こってりと絞られた。
「皆、モヒくんの目が覚めたよ」
別室でモヒカン・ボンバーを看ていた葵さんが、リビングへとやってくる。その右手には、モヒカン・ボンバーの手がしっかりと握られていた。
「総くん、次は、本当に気を付けてね」
「き、肝に銘じます……」
思えば、葵さんから真面目に怒られたのは、これが初めてかもしれない。あぁ、怒った顔も可愛いな……。
「聞いてる?」
「はい、すいませんでした!」
「まぁまぁ冬川。総も反省してるし、モヒも無事だったってことで、ここはひとつ、な?」
親友……すまない。今度、俺も援護射撃するからな。
「あ、翠。1つ気になったんだが、このギルドハウスって、メンバー以外は入れないんじゃなかったのか?」
そういえば前にそんな話を聞いたな。仕様が変わったのかな?
「少し前のアップデートの時に、ギルドが正式に招待した相手なら、誰でも入れるようになったのよ。NPCも含めてね」
そんなこともできるようになってたのか。全然知らなかった。しかし、伸二も知らなかったとは意外だな。こういった情報には耳の良いやつだと思ってたんだが。
「そうだったのか。じゃあ、NPCを雇い入れたりしてるギルドなんかもあるんじゃねえのか?」
「あるわよ。ギルドハウスの中には武器やアイテムの共同管理庫の他に、仮想訓練室やプールもあるし、ダーツやビリヤード、卓球なんかもできるプレイルームもあるから、その管理や清掃業務なんかをNPCに任せることもできるのよ」
「へ~、そうなのかそうなのか。だったら、俺たちのギルドにもそういうNPCがいてもいいかもな。うん、こういった時のためにも、これは必要だろうな。あぁ、大至急必要だ」
なんだ、この三文芝居と書かれた誘導尋問は。コイツ、最初からこれが言いたかっただけか。
「……まぁ、モヒくんは明日の朝までここで1人になるわけだし、こういう時のために誰かを雇っておくのもいいかもしれないわね」
「だろ!? よし、じゃあ人選は俺に任せておけ、とびっきりの美じ──いい人を探してきてやるぜ」
「却下。アンタに任せたら、ここが女性NPCだらけの部屋になっちゃうわ。ここで誰を雇うかは、お金と能力で決めるから。美人だからって理由だけで決めるなんて論外よ」
「な、なんだと!? そ、それぐらいいいじゃねえか。ここはゲームだぜ?」
「あら、じゃあ私が超イケメンの男性NPCを雇ってもいいのね」
「「それは駄目だ!」」
思わず叫んだ声が、伸二とシンクロしてしまった。にしても、なんでコイツが叫ぶんだ?
そんなことをしていると、
「3人とも……いつまでそうしてるの?」
「サーセンした!」
葵さんが完全にジト目でこっちを見ている。これはヤバい。なにがとは具体的に言えないが、とにかくヤバい。思わず条件反射的に謝罪してしまった。
それから俺たちは、モヒカン・ボンバーもとい、モヒくんと一緒に遅めの夕食をとった後、彼をゲストルームに寝かしつけてからログアウトした。
■ □ ■ □ ■
「……ぃちゃん、起きろ~」
「ふげふ!?」
腹部に加わった急激な衝撃から、1日は始まった。
「瑠璃……また気配を消して入ったのか」
「ふっふっふ。今日も瑠璃の勝ちー」
心配するな瑠璃。その勝負に勝てる人間は、たぶん地上に存在しない。
「今日、約束あるって言ってなかった?」
「あぁ、9時にな」
目覚まし時計さんがその時刻を告げるのには、長い針があと三周するぐらいは余裕がありそうだな。
「また瑠璃はどうしてこんな時間に? えらく早いな」
「今日はね、お友達と遊ぶ約束なの」
「そうか。あれ、でも今って雨降ってないか?」
窓とカーテンを閉めていても、外の雨音はハッキリと聞こえてくる。いくら日曜とはいえ、この天気で外に出るのは危なくないか?
「だいじょーぶ! みんなでゲームして遊ぶから」
それは家の中で遊ぶから、ということだろうか。なら友達が家に来るのかな? それとも、ネット通信? まさかVRってことはないだろうが……まぁ、母さんがしっかり見てるだろうから、ネット通信ぐらいなら大丈夫か。
「そっか。でも、この部屋には入ってきちゃダメだぞ。俺も、VRゲームで遊ぶから」
VR装置を付けて横たわっている人を見た小学生が、どんな凶行に及ぶのかは想像に難くない。念のため、鍵もかけておくか。
「うん!」
天使の笑顔が咲くたびに、雨で湿っぽいこの部屋の不快指数が10ずつ低下していくようだ。
「そう言えば、お友達はなんていう名前なんだ?」
学校でよく遊ぶ友達の名前は聞いたことがあるが、家に誘ったことはなかったからな。普通に気になる。
「ボッチさんだよ」
思わず吹き出した。
「な、なんだその名前……あだ名か?」
もし瑠璃が友達をそんな名前で呼んでいるなら、ここは兄としてしっかりと怒らないとな。
「ううん、ボッチさんが名乗ってる名前だよ」
まさかの自称!? それ自傷だよ!
い、いや、落ち着け。もしかしたら、外人さんかもしれない。瑠璃の見た目を考えれば、外国のお友達だったら、確かに瑠璃に親近感を抱くだろうし……うん、そうだな。そういうことにしておこう。
「そっか、そっか。まぁ、いろんな人がいるよな。さて、せっかく早起きしたことだし、朝のトレーニングでもしておこうか」
これは決して思考の放棄でも、ましてや逃走でもない。
自分を必死にそう納得させるほどに、さっきの瑠璃の口から出た言葉は俺の胸を深く抉った。
次回『やはりこのクエストはぶっ飛んでいる』
更新は木曜日の予定です。