161話 あの不器用な悪魔に恩返しを(中編)
アメリアは、あの一件がよっぽどショックだったのか、ゲームにインする様子はない。フレンド登録していないからわからないが、あの取り巻きたちも、おそらく同じだろう。
思い出したくないのか、それともただ単に飽きたのか、私の携帯にも連絡が来ることはなかった。
「なのに……私、なにやってるんだろ。こんなところで」
昨日、あのモンスターと遭遇したフィールドに、私はいま立っている。誰かに呼ばれたからではない。自発的にだ。
理由はハッキリしている。昨日遭ったあの悪魔に、叶うならもう一度会って話をしてみたいのだ。
結局昨日は、あれから話をする暇もなく、あの悪魔は姿を消してしまった。
ここに来れば、もう一度会えるかもしれない。そんな気持ちで来たまではいいが……。
「反応、ないなぁ」
盗賊の索敵スキルに、影1つ引っかからない。あの悪魔どころか、雑魚モンスターすら周囲にはいない。
これは、ハズレだったかなぁ……。
「……」
緊張が解けた反動か、期待が抜けたショックか、草の絨毯の上でそのまま横になる。ていのいいふて寝だ。
「あぁ……この世界の雲も、ゆっくりと流れるんだなぁ」
『ホントだな』
「!?」
驚いた時、人は本当に飛び上がる。私は今日、それを実感した。
「あ、あ、あ、アナタ、どうしてここに!?」
『どうしてって言われてもな……』
NPCには難しい質問だったのか、一つ目の仮面をかぶる角付きの悪魔は、その場で腕組みをしてう~んと唸りだす。
『適当にウンウン言ってたら、こんなところに飛ばされてたんだよ』
このNPCはバグってるのかな? それとも、AIが残念なのかな?
『だから、俺は1000人殺さないといけない』
サイコパスだ。このNPCは、サイコパスだ。少しでも興味を持ったのが間違いだった。今すぐ逃げよう。
『そう身構えないでくれよ。無抵抗の相手には手は出さない』
たった今1000人を殺すと発言したサイコパスにそんなことを言われても、ちっとも安心できない。やっぱり逃げよう。
『あ、そうだ。聞きたいことがあったんだ』
なにを聞かれるのだろう。切り落とされるなら右手と左手どっちからがいいとかそんなことだろうか。それとも、私を縛って色々とする気なのだろうか。あの薄い本みたいに。
『その、さ……この辺で、日本人のプレイヤーを見なかった?』
「……え?」
日本人? 見たことはないけど……どうしてそんなことを聞くのだろう。意を決し、恐る恐るそれを聞いてみると、悪魔は軽い溜息を零してから話し始めた。
『いやな、こっちに送られた同族とコンタクトでも取れたらなと思ってさ』
同族? 日本人が? この悪魔と?
確かに、あんな魅力的な芸術を世に放ち続ける日本の人を、悪魔的な才能と感性の持ち主だと思ったことは多々あるが、それでもこんな直接的に悪魔と思ったことなんてない。
わからない……この悪魔の真意が、まるでわからない。
「さぁ……見たことはない、かな」
『……そっか』
見た目にも明らかに、悪魔の両肩がストンと落ちる。よくわからないが、少しかわいそうになってきたな。
『ならどうするか……1000人なら、奇襲ありならイケるな。待てよ、折角こっちに来たんだし、外国のボスを味見するのもいいかもしれない』
いきなり独り言を始めるNPCを、興味本位でしばらく眺める。
『あー、でもこっちの地理全然わかんねぇわ……あ~、こっちの地理に詳しそうな人と仲良くできるといいんだけど、そんな都合のいい人、ポックリと現れるわけ、が――』
何やら不吉な言葉を発していた悪魔が、こちらへと視線を流すと、最後の言葉を言い淀むのと同時に、凄まじい熱気を一つ目の仮面越しに向けてくる。
『いたぁあああああああ!』
「イヤァアアアアアアア!?」
ボロ布から両手を出した悪魔が、物凄い勢いでこちらへ迫ってくる。そのスピードは、ほとんど瞬間移動だ。
あぁ、やっぱり悪魔の言葉に付き合うんじゃなかった。昔から、悪魔の会話にのめり込んだ人の末路は決まっているというのに。
『あ、あのさぁ!』
はぁ……現実でも穢され、仮想世界でも襲われるのか。でも、私にはこれがお似合いなのだろう。こうなったら、せめてもの慰めに、これまで鍛えた脳内変換能力で、この悪魔の仮面の下が、実は超絶イケメンな男性だと思うことにしよう。
そう覚悟を決め、両の瞳を閉じた瞬間、悪魔は――
『お、俺と、友達になってくれないか!?』
「…………は?」
今、この悪魔は何と言った……?
私の耳が故障していないのであれば、確か友だちになってくれとか言わなかっただろうか。
それともアレかな。悪魔と契約して、魂を寄こせとか言われるやつかな。それとも体かな……この悪魔エッチっぽいし、体かも知れないな。
そんな……どうなっちゃうの、私。
でも……でも、これだけは言っておこう。こんな時でないと言えない、あの名台詞を。
「わかった……」
『おお、受け入れてくれるのか。ありが――』
「でも、私の体は好きにできても、心までは奪えないからね!」
『友だちになるのってそんなハードル高かったっけぇええ!?』
悪魔が心底以外だと言わんばかりに取り乱している。仮面越しでもわかる。
あ、そうだ。ついでにあのセリフも言わないと。
「私のこと、もて遊ぶんでしょ? あのエロ同人みたいに!」
『女の子がそんなこと言うなぁあああああああ!』
なんてツッコミ性能の高いNPCだろう。これまでアメリアたちにこき使われてきたことしかなかったから、こんなことは初めての体験だな。
あれ、ちょっと楽しくなってきたかも。
「ねぇ、悪魔さん」
『あ、悪? え? は、はい』
歯切れが悪いけど、気にせず行こう。
「悪魔さんは、私とどうして友達になりたいの?」
『ん~、俺って、この土地に来るの初めてで、誰も頼りにできる人がいないんだよ』
ふーん、そうなんだ。そう口にしつつ、私の頭の中では「NPCも色々と大変なんだな」という感想が生まれる。
『このままじゃ、ここのボスに挑むこともできないし、プレイヤーを1000人殺すこともできないかもしれない。だから、現地の人の助けが欲しくって』
フーン、ソウナンダ。そう口にしつつ、私の頭の中では「とんでもないサイコパスと出会ってしまった」という感想が改めて生まれる。
『というわけで、俺と友達になってくれないか?』
なにがというわけなのだろう。このNPCの言っていることはメチャクチャだ。プレイヤーを殺すと宣言しているNPCを、なぜプレイヤーである私が助けると思っているのだろう。
「……いいけど、こっちにも条件がある」
『どんな?』
戦場を彷徨う傭兵のような雰囲気を漂わせているかと思えば、今みたいに少年のように素直な反応を見せる悪魔に少し戸惑いつつ、私は彼を試す。
「友だちにはなってもいいけど、あなたの欲しい情報はあげない。それでもいい?」
『いいよ』
はっ、これでいいよなんて素直に言うはずがない。我ながら意地悪な質問だと思うけど、友だちなんて言葉、私はこれっぽっちも信じてなんかいな――
「えええええええええ!?」
■ □ ■ □ ■
『よ! また会ったな』
背中越しにかけられるその言葉に興奮しつつ、私は努めて表情を崩さぬように振り返る。
「……また来たの?」
『そりゃ来るさ。友達だろ?』
ともだち。その言葉を他人から掛けられたのは、何年ぶりだろうか。いや、本当の意味では初めてかもしれない。どうしよう、泣きたくなってきた。
『いや~、あのボス、やっばいわ。メチャクチャ強い』
そう言って悪魔は普段と同じように、私の隣に腰掛け、仮面越しに一息つく。
この悪魔は、どういうわけか、ここのエリアのボスにソロで連日戦いを挑んでいる。まぁ事の発端は私がボスの居場所をポロリと漏らしてしまったことから始まったのだが、死なずに逃げ戻ってくるあたり、この悪魔の実力は計り知れない。
彼と最初に遭遇して以降、私はここで連日彼と会っている。
友達になりたいという悪魔の言葉は、偽りではなかった。
最初は何気ない会話から始まったが、私がふと日本のアニメや漫画が好きだと話すと、そこからはあっという間に意気投合できた。そして、この悪魔の正体もハッキリとしてきた。
悪魔と最初に対峙した翌日。イベントとして、外国のプレイヤーと対戦する《殲滅戦》が開催されていると知った。であれば、彼の発言からして、来ているのはおそらく日本人だ。そしてこの悪魔も、日本のプレイヤーの仮装なのだろう。確か向こうでは、この姿は鬼と表現するのかな?
しかし、不可解な点もある。この悪魔はアメリアたちを屠って以降、おそらく殆どこちらのプレイヤーを狩っていない。連日、ボスのいるとされるダンジョンにアタックして、ボロボロの姿で逃げ帰ってきている。一体何がしたいのだろうか。
「ねぇ、まだ諦めてないの? ボスアタック」
帰ってくるであろう答えをある程度予測しつつ、会話の間を持たせるように口を開く。
『あぁ。他にしたいこともないからな』
「他にって……1000人殺すって言ってなかたっけ?」
始めはサイコパスかと思ったが、何のことはない。あれは、このイベントに勝ちたいという意思表示の言葉だったのだと今なら理解できる。まさか、本当に1人で1000人を殺そうとしているなどと考える人など、いないであろうから。
『始めはそう思ってたけど、君はこっちのプレイヤーだろ? その友達の俺が、それをやるのもどうかなって思ってさ。それに、こっちのボスにも興味あったし』
「そ、そう……」
体の奥から、温かい何かが溢れてくる。目頭も熱くなってきそうだ。
おかしいなぁ……少し前まで、くだらない言葉だと思ってたのに……思ってたのに。
『だから、俺はあのボスを狩る。もうちょっとでなんとかなりそうなとこまで来てるし』
もうちょっとって、ボスを? ソロで? この悪魔は結構冗談も言うな。
『HPがレッドゲージになった時の自動回復能力が厄介なんだよ。こっちの火力と手数じゃ、どうしても回復の速度に追い付かなくてさ』
冗談じゃなかったか。
『ソロだとこういうのがキツイな。途中で時間制限を食らってボス部屋から追い出されるんだよな』
ボス部屋の時間制限って、確か6時間ぐらいなかったっけ……。え、本当に?
『だが諦めねえぞ。もう少し、あともう少しなんだ。手数と火力を手に入れられたら、絶対にあのボスは倒せる』
立ち上がり、硬い拳を天に掲げる悪魔。
「……羨ましい」
無意識に開いた口の隙間から、心の底に生まれた感情が露出する。
『羨ましい? どの辺が?』
首を傾けた悪魔が、こちらに仮面を向ける。
「あ、いや、今のは思わずって言うか……でも、そうね。なんていうか、羨ましいって思ったのよ。その真っ直ぐさが」
『真っ直ぐ?』
「うん。私は、そんな風に何かに一生懸命に挑戦するなんて、出来ない」
そんな強さがあれば、今の私はない。もっと楽しく生きられたはずだ。
「失敗を怖がって、殻に閉じこもって……」
どうしてこんなことを言っているのだろう。両親にすら吐露したことのない言葉を、どうして。
あぁ、そうか。一時的な関係だから、色々と話しやすいのかな。
私って……ダメだな……。
『ダメって、駄目なのか?』
「え」
しまった。考えが漏れてたか。変な言葉聞かれちゃった。え、でも、今なんて?
『ダメって、そんなに悪いことなのか?』
何を言ってるんだろう。これまでも何回も意味不明な発言を聞いてきたが、今回のそれは特大だ。ダメなのがいいことがどうかもわからないのか?
「決まってる。ダメなのは、悪いことよ」
『悪いことは、駄目なのか?』
「……は?」
なにが言いたいの? さっぱりわからない。
「なにを言っているの?」
『……俺もわからなくなってきた』
「…………」
なんなんだ、この悪魔。
『いや、なんて言うのかな。皆、大なり小なりそんなもの抱えてるんじゃないのか?』
「まぁ……それは、そうでしょうね。でも、私のは特別大きなダメなのよ」
友だちもいない。引きこもり。学校にも行かない。夢も諦めてる。そんな私のダメが、常人と一緒なわけがない。
「アンタみたいに、力も行動力もある人は、私には眩しすぎる。私から見れば、アンタは駄目なところが――」
これまでの一連の言動が走馬灯のように甦る。
「――少し、しかないわね」
『今、変な間があったような』
「気のせい!」
『そ、そうですか』
「とにかく、私とアンタは違う。私とは、比較にならない!」
『そんなの当然だろ』
――っ!
『国も性別も違うし、なにより別の人なんだから、違って当たり前だ』
あ、そういうこと。なんだか、話がたまにかみ合わないな。翻訳装置のせいかな。
『それに、俺だってダメなとこぐらいあるぞ。っていうか、これまでのことを考えたら、むしろダメじゃないところを探す方が難しい、ぐらい――』
最後まで言い切る前に、悪魔は何倍にも強まった重力に引き寄せられるように項垂れていった。
『俺、本当に何やってんだろ……できたばっかりの彼女放り出して、こんなところで何を……』
え、なにこの流れ。私が悪魔を励ますの?
同じく屈んで、悪魔の方へと手を伸ばす。
「ちょっと、ねぇ、大丈夫?」
『ん? うん……ちょっと充電』
意味不明すぎる。翻訳装置の不具合と思いたい。
「どういうこと?」
『いや、ダメだなってことを一気に思い出してる最中は、立ち上がるための準備期間だから』
「準備?」
『そ。これから立ち上がって、また歩くための』
……眩しい。こんな強さを持っている人は、私には眩しすぎる。やっぱり、この悪魔は、私とは何もかもが違う。そして、わかっていない。その立ち上がることこそが、強さだ。私にはないもので、私が駄目な最たる理由だ。
「……立ち上がれない人間だっているわ」
少しだけ生まれてしまった感情――苛立ちが口から溢れ出る。勝手なことを言わないでくれ。そう訴えるかのように。
「……歩くのに、疲れた人間だっている」
止まらない。それは、一度堰を切ると、濁流となって溢れてきた。
「立てないのよ! 歩けないのよ! 怖いのよ! 力のない人間は、持っている人間の下で屈みながら生きるしかないのよ! 地獄に落ちたと思ったこともある……でも、それは間違いだった。地獄に底なんてない。地獄の底は、どこまでも深くて、暗いのよ! そこには誰もいないの! 誰も見えないの! 時間が経てばゆっくりと浮上できるけど、それでももう堕ちたくないの。立ちたくないのよ! だから……無責任なこと、言わないでよ!」
『……』
悪魔はスッと立ち上がると、私の手を取り――立ち上がらせた。
『立てたぞ』
「……そ、そういうことを言いたいんじゃ――」
『一緒だろ。1人で立てないなら、誰かの手を求めろよ』
「――っ、勝手なことを言うなぁああ! 誰が手を握ってくれるのよ!? 誰が隣に立ってくれるのよ!?」
『ともだち』
――っっっっ!
「そんなの、私にはいない! 作ってこなかったから!」
『作れないのか?』
「――っ、そうよ、作れない!」
『俺は、ともだちだぞ?』
「……うぅ、なんで、うぅ、うわぁあああああああああああ」
これまで留めていたモノが、溢れ出る。それは、恐怖。それは、憎悪。それは、失望。それは、渇望。
自分の本当に欲しかったもの。それを差し出してくれた悪魔の胸で、私はありったけの涙を流す。
「……ありがとう」
どれだけそうしていたのだろう。時間の感覚がわからなくなるほどに、私は彼の胸の中で泣いていた。溜まったものを、吐き出し続けていた。
「恥ずかしいとこ、見せちゃった」
本当に恥ずかしい。穴があったら入りたい。
「でも、少し楽になったかも」
吐き出すことができた。それは、とても大事なことだ。わかっていて出来なかったのは、そういう対象がいなかったから。彼には、色々と救われた。
『よくわからないけど、まぁスッキリするのはいいことだな』
「うん……大事なことが、わかったから」
ともだちの大切さ。じかに触れたことで、その尊さが肌身に染みた。
『そっか。じゃあ、俺、そろそろ行くよ』
どこへ? そう言いかけて、口を閉じる。思い出した。この悪魔、連日ボスアタックしてた。
「そ、そう。気を付けて、ね」
『おぅ。じゃ、またな』
そう言って、彼はダンジョンの方へと走っていった。異常なほどのスピードで小さくなっていく彼の背中を見て、自分の中に芽生えた感情を、自覚する。
「――あぁ、これが、寂しいってことか」