158話 この素晴らしい関係に警告を
「総君!」
フラフラで今にも倒れそうな体に、柔らかい桃の感触がふたつ、寄せられる。
「総君、しっかりして!」
あぁ、葵さん。よかった。牢から出られたんだな。スサノオが死ぬとアレも消える仕組みだったのかな。だが……ゴメンよ。鬼神の反動で、体が動かないんだ。
あぁ、しかし、この感じ、いいな。ヒロインの腕の中で、ゆっくりと体温を失っていく主人公。その姿に、ヒロインは滝の涙を流し、心の中では彼への熱い想いが溢れてくるのだ。そしてヒロインは主人公の名をもう一度しっかりと叫び、枯れゆく命の葉を散らすまいと、すがるように彼の唇に自分の唇を重ね――
「癒しの祈り!」
気怠かった体が、浮き上がるように軽くなる。活力が戻ってくる。それに伴い、擦り切れそうなほどにしか残っていなかったHPも、徐々に太くなっていく。
ハイ、ワカッテマシタヨ。
「総君、大丈夫!?」
顔を紅潮させ、普段の彼女からは想像もつかない様な慌ただしい声が発せられる。いかんな、これ以上心配させるのは。瞳の端にうっすらと潤うものが見えているが、これ以上はダメだ。
「あぁ、大丈夫だよ。葵さんこそ、怖くなかった?」
「私は大丈夫だったよ。誘拐されたときに、運営さんからのシステムメッセージが届いて、そこに色々と書いてあったから」
聞けば、その内容は色々とムードぶち壊しなもので、この誘拐はこれこれこういった目的で行われると事細かに説明が書かれていたとか。また、それによって誘拐された者の命は散ってしまうが、代わりにデスペナなし、かつレアリティの高い報酬をも約束されていたらしい。
「もしかして……俺、余計なことした?」
「そ、そんなことないよ! 助けに来てくれて、すっごく嬉しかった!」
これが生粋のゲーマーだったら、さぞや恨まれたことだろう。だが、彼女はそんな気持ちを微塵も感じさせない潤んだ瞳で、こちらを真摯に見つめてくれた。
「そっか、なら良かった」
彼女が無事。ついでに俺も無事。色々あったが、望んだ展開の通りになった。さて、これからどうするか。とりあえず伸二たちと合流して、それから大尉たちとも連絡を取って、それから、
「総君、あれ」
服の裾をツンツン引っ張る女神。その視線の先には、宝箱。
宝箱。
「宝箱」
「開けて、みる?」
おっふ……そんな上目遣いで見なくても、開けてみますともさ。それ完全にオーバーキルだよ。葵さんにだったら、ゴキブリを見るような目で開けろって言われても全力で開けるよ。
「うん、開けよう」
しかし、やけに装飾のシンプルな宝箱だな。ザ、宝箱的な宝箱だ。
「これは……」
パカっと開いた宝箱の中には、システムメッセージ付きの紙が。
『システムメッセージ。もしこの手紙が誰かに見られている時、我々は開発室でアタフタしていることでしょう。そんな我々の血と涙の結晶を乗り越えて、この宝箱を開けし不届き者、いや勇者よ。少し我々の愚痴に付き合いなさい。
そもそもだよ? このスサノオ倒されるように設計してないのよ。レイドボスであるオロチを倒すためのお助けNPCだから、倒されるわけにはいかないわけよ。確かに封印者を誘拐して、おまけに生贄にするなんてひどいとは思うよ? でもRPGって雰囲気大事じゃん? それに誘拐された人にはちゃんとフォローもしてあるし、それなりに許してくれてもいいんじゃないかな? てかここに来るまでに色々とトラップや障害を用意してたはずだけど、それ全部突破するとか君ちょっとヤバくない? さらにスサノオ倒すとか、チートしてない?
……失礼、取り乱しました。とにかく、我々から言いたいことはひとつです。俺たちの血と汗の残業時間を返せこの野郎!!!!!』
俺はそっと閉じた。
■ □ ■ □ ■
荒ぶる心を落ち着かせてから少し。
伸二たちの方は、押し寄せる敵をなんとか凌ぎ切り、今こちらに向かっている最中だとか。スサノオを倒せばあれも消えるとは思っていたが、その通りになって良かった。
そして大尉からは、次々と各地のオロチが討伐されていっている旨の連絡が届いた。てっきり――俺のせいで――失敗しているのかと思っていたが、大尉の敷いた布陣を中心に健闘を重ねていたらしい。世のゲーマーたちを少し舐めていたのかもしれないな。
「伸二たち、もうすぐここに着くってさ」
「うん……」
どうしたのだろう。なんだか葵さんの表情が暗い気がする。皆が来るというのに。
「どうしたの?」
「へぅ? う、ううん、なんでもないよ!?」
「そ、そう? ならいいんだけど……」
あぁ、しかし、しかしだよ。かわいいなぁ……マシュマロのような肌。清廉な巫女服に包まれる、たわわなたわわ。
こんなかわいい子が俺の彼女だという事実……何度思い返しても、幸せ過ぎて爆発してしまいそうだ。心なしか、どこか別の世界からも爆発しろという声が幻聴として聞こえてくるようだ。
これでキスでも出来たら、もう最高なんだけどな。
「これでキスでも出来たら、もう最高なんだけどな」
「はぅう!?」
アアアアアアアア阿呆ォオオオオオオオオオオオ!
一番イカンとこで心の声漏れたぁあああああああ!
これをなかったことにできる魔法の言葉は何かないか!?
伸二、伸二はいないか!? タカハ神はいないか!?
俺はどうすればいい!? 何を言って誤魔化せばいい!?
落ち着け、餅つけ俺。ここは餅ついて、しっかりとコネコネするんだ。まずは中に入れるのをこしあんにするべきか、粒あんにするべきか。そこから考えるんだ。
「そ、総、くん……わたし……」
いやいやいやいや、落ち着け、落ち着かんか総一郎。一体何を考えているんだお前は。餅の中身を考える前に、もっと先に考えることがあるだろう。そう、今考えるべきなのは、もち米を新潟県産こがねもちとするべきか、佐賀名産ひよくもちにするべきかだ。王道がこがねもちだということはアメリカの子供でも知っていることだが、しかしそんな安易な手に頼ってもいいものか。ここは吟味に吟味を重ねて、最高の餅をつかなければ――
「そ、総君が、その、し、したぃ、なら……」
おや、ついに幻覚まで見えだしたぞ。葵さんの柔らかくて小さな餅がふたつ、重なってこちらに向いているぞ。
「い、いぃ、よ」
幻聴まで聞こえてきた。もう俺は駄目かもしれない。常識的に考えて、こんな状況あるわけがない。目の前でこんな……こん、な……!?
数時間ぶりに現実へと返ってきた感覚に陥る。実際は数秒かも知れないが、長い、長い夢を見ていたような感覚に。
だが、この目の前にある状況は、すべて現実だ。耳の細部まで紅潮させ、肩も小刻みに震えている彼女を、これ以上このままにしておけない。
顎を少しだけ上げ、目を瞑る彼女を、これ以上は……。
これ以上は……。
これ、以上、は……。
「…………」
す、凄まじいプレッシャーだ。まさか、葵さんは木星帰りのエリート!?
「……そう、くん?」
「あ、いや、その……本当、に?」
俺の妄言に、片目が薄っすらと開く女神。その唇は震えつつも、福音を零す。
「早くしないと……ね、寝ちゃう、よ?」
壊れた。俺の理性は壊れたよ。ミスリル製の重厚な扉が、ハイメガ粒子砲でぶっ飛ばされたよ。
……よし!
覚悟を固め、彼女の肩をがっしりと掴む。目は唇にロックオン。レーザー照射による誘導によって、互いに視界を失いながらも、目標は互いにその距離を縮めていく。
「……」
そしてついに、互いの吐息が触れる距離まで近付いたその瞬間、俺たちは――
『システムメッセージ。その行為はIEOにおける規定に抵触します。そういうのは現実でしなさい!』
怒られた。
次回『このまんざらでもなくなったパーティに解散を』
更新は来週の水曜日を予定しています。