153話 この罪深き神の所業に激オコだドン!
月に照らされる出雲大社の境内。普段であれば、幻想的ですらあるはずのその光景は、ただの黒塗りの箱と化し、一切の精気を感じさせない建築物としてそこに建っていた。
「そろそろか……」
白銀の騎士が、手に持った懐中時計を見て呟く。その頬は普段よりも少しだけ硬さを増し、呼吸も若干だが早くなっている。
「そう緊張するなよハイブ。そんなんだとブルーにも緊張が移るだろ」
「……だな。それに何か急激な変化があっても、お前がいるんだからそう気張ることもないか」
「そうでありんすよ騎士殿。作戦の中心はあの髭の軍人さんたちの方でいんすし、わっちらはリラックスして待っていればいいでありんす」
いつものように軽い口調でそう言うクレインは、大きな石の上で両手を広げてステップを踏む。
月夜に照らされた黒と紫の着物が回るその様は、本当に夜の蝶が舞っているかのようですらある。
不覚にも、奇麗だと思ってしまった。
「もう少ししたらレイドボスが出現するから、今の内にやることを確認しておくわよ」
皆の視線をその一言で集めた翠さんが、指を一本ずつ立てながら説明し始める。
「まずは、レイドボスが出現する時間に合わせて、ブルーが神社に最大の回復術をかける。念のため、神社との距離は少しとってからね」
翠さんからの視線に、葵さんがコクリと頷く。
「クレインさんは、少し離れたところから神社の全景を視野に入れて、なにか異変がないかをいち早く察知する」
翠さんの指示に、クレインが元気よく反応する。
「総君は神社の目の前、私はその少し後ろで、変化があった際に真っ先に対応」
翠司令の作戦指示に、敬礼で応える。
「ハイブは万が一に備えて、ブルーの隣で待機」
俺からの視線に、伸二が背筋を凍らせる。
「し、仕方ねえだろ! てか俺に嫉妬すんじゃねえ!」
畜生、葵さんの隣というベストポジションを奪いやがって。
「はいはい、バカップルはあとで好きなだけイチャイチャしてなさい」
業火となって湧き上がっていた炎が、呆れという名のゲリラ豪雨で鎮火される。
「それより大尉の話だと、神社の封印を解いた後にモンスターの襲撃があるかも知れないってことから、クレインさんと総君は特に注意していてね」
索敵能力においてはおそらく全職業の中でも最高と言われる盗賊のクレインと、索敵能力においては全職業の中でも割とない方と言われるガンナーの俺に、翠司令から注意と期待の両方が入り混じった視線が飛ぶ。
「なぁリーフ。大尉はどうやってそんなことまで調べてんだ? カゴシマの時の御菊さんにも同じこと思ったんだけどもよ」
日本サーバーにおける最大手ギルド《蒼天》のマスターである大尉。最大手と言うだけありその情報網はさすがの一言に尽きるが、確かにその疑問はもっともだ。
「多分だけど、NPCからの情報を効率よく集めてるんだと思うわよ。師匠も似たようなことを言ってたし」
「あ~、そう言えばネットで、NPCからの情報をもっと集めたほうが良いって言われてたな」
NPCと言われ、ナガサキで出会った姉妹のことを思い出す。そう言えば、ずいぶん会っていないな。この一件が落ち着いたら、顔を見に行ってもいいかもな。
「時間よ」
翠司令の凛とした声が、静まり返った神社に通る。
それに合わせ、葵さんは瞑想に入るかのように静かに目を閉じ、両手を胸の前で組む。
「じゃあ、いくね――《救世陣》!」
全身から眩い光溢れる巫女。その光に呼応するかのように、神社の上空に、巨大な魔方陣のような光の模様が浮かび上がる。
そしてその魔方陣から、オーロラのような光のカーテンが神社へと降り注がれる。
「すっげぇ……」
これまでいろいろな魔法を見てきたが、これはそのどれも及ばないほどに奇麗だ。目を奪われるとは、まさしくこういうことを言うんだな。
「あ、主様、神社が」
夜空に浮かぶ芸術に削がれていた意識が、クレインの声に引き戻される。
「色が……落ちていってる?」
光のカーテンがなぞると、漆黒に染まった神社から闇が溶けていく。
「さすが、全職の中で回復術においては最強と言われてる巫女……半端ねぇな」
伸二から漏れ出た感想に、心中で頷く。
この回復術は、この陣の中にいる味方に対して、継続したHPの回復効果、及び状態異常回避の効果がある。これまでも範囲型のHP回復術はあったが、これはそのどれよりも回復速度、量に優れており、現時点で判明している回復術の中でも、最強の1つとして情報サイトに掲載されてある。
おそらくこれの使い手は、この広いチュウゴクエリアの中でも、そうはいないだろう。
「ハイブ、総君、そろそろ効果が切れるからね。気を付けてね!」
「はいよ」
「了解」
出雲大社の境内は、もうそのほとんどから闇が剥がれ落ちている。そろそろなにか起こるかもしれない。
そう考え身構えていると、境内の奥に、最初は無かったはずのものが姿を現す。それは、よく大きな祭なんかで見かけるタイプの、
「太鼓?」
「太鼓だな」
「太鼓ね」
「太鼓だね」
「太鼓でありんす」
全会一致でアレは太鼓だと結論付ける。
「なんで太鼓が? 最初は無かったろ、コレ」
しかも、太鼓の前には何かを映すと思われるモニターまで浮かんでいる。
「もしかして……」
なにか引っ掛かりを感じた素振りを見せる伸二が、ゆっくりとそれに近づく。そしてモニターに手を触れると、
「やっぱり……太鼓の名人か」
太鼓の名人とは、ゲームセンターでも人気の高い、太鼓を用いたリズムゲームのこと。しかし、それがどうしてここに?
「お、もう選曲が済んでる……ってことは、これを演奏しろって意味か」
おかしいな。ここには封印を解きに来たはずなのに、なぜ俺たちは太鼓の名人をする流れになっているんだ? 頼む、誰か説明してくれ。
「……よし、じゃあまずは俺が」
「あ、私これやってみたーい!」
「わっちもやってみたいでありんす!」
バチに伸びていた伸二の手が、2人の声でピタリと止まる。
「おいおい、ここは俺に任せろって。地元のゲームセンターじゃ、太鼓のハチと言われている男だぜ、俺は」
初めて聞いたぞハチさん。てかなぜにハチ。
「こういうのはリズム感が大事なのよ。音痴のアンタには任せられないわ」
「わっち、一度タイコというものをやってみたかったでありんす」
だんだん収集が付かなくなってきたな。どうするコレ。
「よーし、ならジャンケンだ! 全員でジャンケンして、勝った奴から順にやっていくぞ!」
いや待て。どうしてそこで全員になる。そもそも、これが一回限りの勝負だとは考えないのか? 駄目だ、伸二はポンコツだ。ここは冷静に対処してくれるであろう翠司令に助けを求めよう。
「よーし、乗ったわその勝負! ここで私のリズム感を見せてあげるわ」
アカーーーーン。皆ポンコツだった。こうなったら、このパーティのオアシス、葵さんに、
「ブルー、リーフに何とか言ってやってくれよ」
「……私、総君が太鼓をする姿、見てみたい、な」
よぉおおおおし、やってやんよ!
■ □ ■ □ ■
深呼吸をし、戦場で仁王立ちする1人の戦士。
俺だ。
目の前には、突如として現れた太鼓が、今か今かと挑戦者を待っている。
「くそ……運の強い奴め」
「主様……ジャンケンも強いでありんすな」
「ねぇ、総君のアレ、コンマ何秒か遅くなかった?」
「いやいや、いくら総でも……いや、総だからな。あいつならやれるかもしれない」
「主様なら、そのくらいの芸当はしそうでありんすね」
失礼な奴らだ。俺がそんな姑息な真似をするはずがないだろう。ちゃんと、どの筋肉が動くのかを見極めて、そこから急いで手を出してるから、遅出しにはなっていないはずだ。
親父とよくやったジャンケンのルールを順守して、しっかりとやっている。そこに一切の不正はないと言い切れる。
「よし、行くぞ!」
後方で始まった詮議を掻き消すように気合を入れると、目の前のモニターから黒と白の丸が楽譜のようにして流れてきた。
知ってるぜ。白が来たら太鼓の中央、黒が来たら太鼓の淵を叩けばいいんだろ。簡単だ。
「せいやっ!」
怒涛の如く流れてくる、白と黒の音符。それらが画面に出てきた瞬間、動くべき手に神経を巡らせ、あらかじめプログラミングされているかのような正確さで、力強く太鼓を叩く。
「おぉ、総はゲーム苦手だと思ってたが、こういうのはイケるのか」
「うわー、凄いわね。バチが砕けるんじゃない?」
「て、手が見えないでありんす……」
む、ちょっと強く叩き過ぎたか? ここは少し落ち着いた方がいいかもしれないな。
「総君、かっこいぃ……」
全力だドン!
そして、全ての音符を叩き終え、戦士はバチを置く。
「お、結果が出るぞ。さて、総の点数は――」
その結果に、ここにいた全員の口が開いた。
「じゅ、18点……だと……」
なぜだ、なぜなんだ! 完璧に叩いたはずだぞ!
「あ~、これはあれだな。強く叩き過ぎだな」
伸二の指摘に、翠さんも首を縦に振る。
「あれだけ強く叩けばね……」
モニターを見れば、点数の下に「痛いドドン」とコメントが書かれてある。お前、痛覚あったのか。畜生、葵さんにいいところを見せようとして焦りすぎた。
「そう気を落とすなよ、総。点数は酷いもんだが、音自体は全て合ってたし、見た目はかっこよかったぜ? なぁ、ブルー」
「うん……かっこ、よかったよ」
伸二……なんだよその絶妙のパス……お前、最高の司令塔だよ。
「そっか、ならやってよ――」「よっし! 次は俺の番だ!」
伸二……貴様……。
「IEOにハマる前は、よくゲーセンで太鼓のゲームをやってたんだ。さぁ、俺様の美技に酔いな!」
どこの太鼓の王子様かな。
一切歓声の上がらぬ王子様の宣言の後、モニターから音符が流れてきた。
「――行くぜ!」
そこから先は圧巻だった。流れ落ちてくる音符の全てを、伸二は完璧なタイミング、完璧な力加減で合わせていった。
まさか伸二にこのような特技があったとは。
そして――
「フィニッシュ!」
ドンッと一際大きな空気の振動が伝わった後、周囲に一拍の静寂が訪れる。
しかしそれは、その場で見ていた全員の拍手によって、掻き消える。
「すげえじゃねえか、ハイブ」
「本当、見直したわよ」
「ハイブ君、凄かったです」
「騎士殿もやるでありんすな」
皆からの称賛に、伸二は後ろ髪を掻きながら照れ臭そうに笑う。
「だ、だろ。まぁ、ざっとこんなもんだって。おっと、点数は――」
皆の視線がモニターに集中する。
そこには、100の数字と、「完璧だドドン」とのコメントが書かれてあり、
「よっし!」
両手を強く握りしめ、勝利を噛みしめる伸二。俺も嬉しくなり、伸二の背中をバンバン叩く。
「おいおい、総。これぐらいで騒ぐなって、まだ本番はこれから――ってちょ、痛、痛え、おま、ちょっ待、ぐわぁああ!?」
おっとスマン、つい嬉しくなって仕返し――じゃない、興奮してしまった。
「あっはっは、わりぃわりぃ」
「て、テメェ……」
恨めしそうな視線に、してやったりな視線で対応していると、その間に緑色のローブをはためかせた麗人が割って入る。
「はいはい、バカやってないで、周囲の警戒を怠らないでね。まだレイドボスの攻略が終わったわけじゃないんだから――」
確かに。ふざけるのはまだ早かったな。悪かった。そう返そうとした俺の口は、直後、違う言葉を発する。
「逃げろ、ブルー!」
「――え」
それは一瞬。
葵さんの周囲の地面が隆起し、彼女を土の牢獄に閉じ込める。
「え、な、なに、これ!?」
「ブルー、離れてろ、《冬雨》!」
すぐさま駆け寄り、彼女を閉じ込める牢に一閃を描く。
だが――
「駄目か。なら、リロード《徹甲弾PT-08》!」
貫通力重視の弾丸を装填。これでぶち抜いて――
『私の姫に何をする、下郎』
声がした。だがそんなものはどうでもいい。最優先は、葵さんを助けること。
だから、うご、け……動け。こんな……こんなもので……止まってる場合、じゃ、
「総君!!」
大きく開かれた彼女の蒼い瞳に、大粒の涙が溜まる。その瞳には、滲んでいたが確かに映っていた。
――俺のドテッ腹に、地面から隆起した石の槍が深々と突き刺さっているのが。
「……く、そ」
牢に閉じ込められた葵さんが、悲痛な表情を浮かべ何かを叫んでいる。だが、石の槍が地面へと戻ったことで、俺の体はそのまま重力に従い地面へと崩れ落ちた。
『はぁ、なんと野蛮な。このような環境、姫には相応しくないな』
その言葉と同時。目の前の地面から、1人の男が現れる。まるで湖面から空へ出てくるかのように。
『姫、お迎えに上がりました』
囚われの姫に、膝を付いて恭しくお辞儀する男。腰まで伸びる銀髪が揺らめき、格式の高そうな和装の白装束の背に覆いかぶさる。地面に向けられる顔には、亡国の王子かと思う見紛うほどの美しさと儚さがあった。
しかし、それに見とれる者は今ここにはいない。
「あ、アンタ……アンタ、ブルーと総君に何してんのよ!」
これまで見たこともないような険しい表情で翠さんが食って掛かる。しかしその剣幕に、ソレは全く動じた様子を見せず、飄々と言い切る。
『姫の救出と、下郎への攻撃。それがなにか?』
道端の雑草を踏んだかのような物言いの男に、翠さんはますます表情を厳しく変える。
『私の目的はこちらの姫だ。邪魔さえしなければ、貴殿らに用はない。おっと、そこの騎士。妙な気を起こすでないぞ? 動けばその首、地に堕ちることになる』
腰の剣に手を当てようと動いていた伸二が、男の声に身を震わせる。その首筋には、地面から隆起して形成された鋭利な鎌が添えられている。
『では姫、参りましょう』
そう告げるや、男の体が地面へと溶け込むように沈んでいき、葵さんを囲む牢獄も、それを追っていく。
「え、なんで、これ、や」
く、そ……なんで、体が、動かない……腹に穴が、開いた程度で……ふざけんな……くそ、が……。
「そ、総君、総君、総君!」
泣きそうな顔で俺の名を呼ぶ彼女。その声が、自分を助けてほしいというものでなく、俺を心配してのものだということを、俺は知っている。
「――――――っ」
手を伸ばせ。這いずってでも近付け。そう何度も何度も命じるが、体は言うことを聞かない。
くっそぉ……。
「あ、お……い……」
その声が彼女に届くことは――なかった。
次話の更新は来週水曜日を予定しています。