15話 【悲報】俺氏、やらかす
地面に逆立ちに突き刺して赤いオブジェにした男がヨロヨロと立ち上がる。首を折った上に頭も潰したはずなんだが、流石ゲーム。あれだけじゃまだ削り切れないのか。俺は解きかけていた戦意を戻し再び男を睨む。
「ひ、ひぃいい! も、もう勘弁してくれぇええ」
完全に戦意を喪失した男は倒れている仲間2人を引きずりながらその場からすごい勢いで逃げていった。
ようやくやれやれと一息ついた俺だが、冷静に考えれば町のど真ん中でとんでもないスプラッタショーを見せてしまったことに今更ながらに気付く。
その俺の考えを肯定するように、周囲を囲む人たちの反応はそれはもう戦々恐々としていた。
「3人を一瞬で……人間技じゃねえ」
「あれは絶対にその筋の人間だ。仮想世界と言えど関わるもんじゃねえ」
「うぇぇ……俺、当分トマト食えねぇ」
「あんなアーツ見たことねえぞ、チートじゃねえのか?」
うん、やりすぎたな。そしてそんなスプラッタショーを最前列で見せられた女性が俺に向ける視線は、それはもう酷いものだろう。だがそれは彼女のせいではない、俺のせいだ。こんなものを見せられれば誰だって怖がる。リアルではそれこそ何度もあった。昔暴走族に囲まれていた子を助けた時だって……。だからいいんだ、慣れている。
俺は女性に一言だけ告げて別れることにした。
「怖いもの見せてゴメンね。もう俺行くから、じゃ――」
離れようとする俺の手を、必死に掴む小さな手があった。
「……えっと、どうしたの?」
俺は女性が何を考えてそうしているのか、本気で分からなかった。
しかしさっきまでは気付かなかったが滅茶苦茶美人だなこの人。アッシュグレーの髪を、前髪は真ん中で左右に分け、後ろはポニーテールで結んでいる。肩口まで伸びる左右に分けられた前髪の間からは、瑠璃色のクリっとした瞳が覗き、桜色の唇は見ていると心をうっとりとさせる色気を秘めていた。
服装は淡い水色を基調とした和服のような格好だが、首回りや肩の一部は露出しており、和服の厳格さにスタイリッシュな要素を入れ込んだような見た目をしている。どうしたらこんな芸術品を作れるのだろうかと俺は女性の醸し出す輝きに、一瞬だが完全に意識を奪われていた。
いかんいかん、常在戦場の心構えに在って何かに意識を奪われるなど愚の骨頂。俺は後ろ髪を引かれる思いで女性の発する謎の引力から身を引き剥がすと、俺の問いに黙ってしまった女性に別の角度から声をかけなおす。
「どこか怪我でもしましたか?」
アホな質問だと思う。これはゲームだ。怪我したら治せばいい。そもそも大して痛くないし。ただ先ほどの3人は俺が殺気を込めて殺ったせいか、完全に恐慌していた。ゲームだがリアルを追及しているだけあって、自分が刺されるという恐怖も感じやすくできてるみたいだな。しかしナイフであれだと、ゾンビに蹂躙されたときやドラゴンに喰われたときなんかはもうトラウマでは済まないレベルで心を病みやしないだろうか。俺の脳裏に一抹の不安が過るが、この思考は女性が小刻みに頭を横に振る仕草を見ることで強制終了した。
「え、と……怖かった?」
そりゃそうだろう、目の前で惨殺ショー見せられたからな。案の定女性はゆっくりとだがコクリと小さく頷いた。はぁ、分かってはいたけど、ちょっと反省。
「その、ゴメン、怖いもの見せて。やり過ぎた、と思う」
女性からは肯定、否定どちらのリアクションもないが、何かを言いたそうな雰囲気は何となく感じる。う~ん、許してもらえないかもしれないな……どうしよう。
数瞬の迷い――しかし俺からしたらずっと長く感じる時間を悩み、俺は1つの決断をした。よし、もう一度しっかり謝って、去ろう。
「余計に怖い思いをさせてごめんなさい。もう関わらないように気を付けます。じゃあ俺はこれで」
俺は掴まれた手を払い今度こそ去ろうとするが、そうはならなかった。女性は瞳から滴を零しながら懸命に抵抗し俺の手を離そうとしなかった。その手からは何か強い意思も感じる。もしかして訴えられたりします? 俺。
「あっ、ち、違っ。その――違うんです!」
女性は俺に何かを伝えようとしている。それはわかる。だがそれは何をだ? あぁ、神は俺を見捨てたか。
俺は徐々に混乱の坩堝に飲み込まれようとしていた。が、捨てる神あれば拾う神あり。直後、俺たちを囲む人混みの中からその神は現れた。
「ソウ君!?」
俺は耳に届いた神の凛とした美声に心から感謝の念を飛ばし、神に視線を移した。そこにいたのは、やはり神だった。
「良かった、若――リーフさん、ちょっと助けてくれます?」
俺にとっての救世の神こと若草翠さんのご降臨。俺はこれで何とか事態の鎮静化が図れると心から安堵した。こういうトラブルに女性の存在と言うのは非常に心強い。男としては情けない限りだが、涙する女性を自分でどうにかできると思うほど俺は傲慢ではない。どうにかしたいとは思うけどな。
だが救世の神から発せられた御言葉は、俺が望むものの遥か斜め上だった。
「何やってんの? 葵」
拾う神などいなかった。俺は昨日出来たばかりの友人に、スプラッタショーを最前列で見せ泣かせるという、およそ凡人には考えもつかないような愚行を披露した。俺も泣きたい。
■ □ ■ □ ■
「あのソウ君、さっきは助けてくれてありがとうございます。それと、何だか誤解させてしまったようでごめんなさい」
冬川葵さんと無事(?)合流できた俺たちは人目のつかない宿屋の一室で事の顛末を確認しあった。その結果分かったことは、この超絶美少女は昨日俺と友達になった冬川葵さん――プレイヤー名はブルー――だということ。見知らぬプレイヤーに絡まれて非常に困っていたところを俺に助けられて感謝しているということ。泣いていたのはちょっと混乱していたからであって決して俺が怖かったからではないということだ。まぁ最後のやつは俺を気遣っての言葉だろうがな。
「いいよ、俺がスプラッタショーを見せたことには変わりないからさ」
「い、いえそんな――」
何となく謝罪合戦が始まりそうだなと俺が感じていると、冬川さんの言葉に被せるように凛とした神の声が通った。
「見たかったなーソウ君のそのショー。伸二から異常なほど強いとは聞いてるけど、やっぱり生で見たいな~」
「これから狩りに行けば見られるだろ。だが総とのPvPはやめといた方がいいぞ。モンスターにやられる時と違って、死ぬっていう感触を生々しく感じるから」
若草さんの明るいノリに、伸二が苦笑いを浮かべて告げる。そこまで違うもんかな? 自分にやられたことだけはないからな、わからん。
「そ、そう。味方として横から見るだけにしておくわ」
「そうしな。それはそうと、ビックリしたろ総。ブルーが冬川だと知って」
そう、これには本当に驚いた。昨日会ったときはこの子は絶対に美人だと思っていたが、まさかこれほどだったとは。この仮想世界では髪の色を変えたり髭を生やしたりはできるが、顔を整形することはできない。髪などの一部を除けばここの顔こそがリアルでの顔そのものなのだ。それはつまり、リアルでは前髪で顔を隠している冬川さんの素顔は、今俺の目の前で赤くなっている超絶美少女と一緒ということなのだ。首の下についている2つの素晴らしい林檎も。
「あぁ。美人だとは思ってたけど、思っていた以上に可愛くてビックリしたよ」
あ、いかん。考えながら答えたからつい本音が。
「あら、良かったじゃん葵! 美人だって! 可愛いって! 巨乳だって!」
「さ、最後のは言ってないよ翠!」
うん。言ってはいない。良かった、そこは口から出なくて。
一先ず誤解もある程度解けたということで、その後俺たちは宿屋を後にし町の外の草原フィールドへと向かった。
「なあ伸二。俺殆ど初期装備のまんまだけど大丈夫なのか?」
「まぁ、総なら何とかなるだろ。必要なら俺の剣貸してやるよ」
まぁそれなら何とかなるか。
「え? ソウ君ってガンナーじゃなかったっけ」
「あぁそこはまだ話してなかったな。実はよ――」
得意げに語りだした伸二から意識を遠ざけ、俺は腰に差したナイフに手をやる。
俺は結局なんだかんだあって昨日得た素材も換金できておらず、装備も全然揃えられていない。さっきの突発的なPvPの報酬として得たナイフが1本増えただけだ。
因みにPvPには2種類ある。互いの同意の上で行われる合意型PvPと、一方的に仕掛けるタイプの強襲型PvPだ。
合意型はPvPを受けるかどうか選択肢が出るのが特徴で、報酬の有無を自在に設定することもできる。フレンド同士だとデスペナルティもなく行うことができるから、主にPvPの練習をしたい人やフレンドと競いたい人らが利用する。俺と伸二がやったPvPもこれだな。
対して強襲型は、相手の承諾なしに一方的に挑むことができるのが特徴だ。俺が町でやったスプラッタショーがまさにこれにあたる。勝者は敗者から何かしらのアイテムもしくは装備品をランダムで奪うことができる上に、良くはわからないが何らかのデスペナルティも存在する。
ただこれを無理やり仕掛ける奴は掲示板に恨まれ晒しあげられることもある上、多くのプレイヤーから忌避される傾向にある。そのデメリットをとってまでやろうというやつはそこまで多くない。勿論いるところにはいるらしいんだが。
またPvPが嫌いなプレイヤーや低年齢層のために運営がとった措置として、プレイヤーはPvPを全面的に拒否する機能を持っている。これは女性プレイヤーや低年齢層のプレイヤーには好評であり、多くの女性プレイヤーや低年齢プレイヤーがその設定を利用している。
しかし低年齢層以外の男性プレイヤーでこれを設定していると、他のプレイヤーからの嘲笑の対象となることがあるため、殆どの男性プレイヤーはこの機能を使っていないそうだ。悲しきかな男の強がりよ。
「――ぃ、――おい、聞いてるのか総?」
「ん? あ、わりぃ」
「ったく頼むぜエース。じゃあ行こうぜ」
俺たちは伸二の先導の元、目的地まで歩いて行った。