129話 閑話 とあるドSの進路相談
ここからは総一郎に関わってきた様々な人物の閑話になります。
本話を含めて全四話構成の予定です。
それでは最初はこの人から。
真新しい匂いのする畳の上で、静かに息を吐き出す。
柔軟剤の香りの残る真っ白な道着と、それをしっかりと結ぶ黒い帯。それに身を包む私の瞳には、同じ格好をしたゴツめの男が膝を付く姿が映る。
呆然とした表情で立ち上がったその男性と試合後の礼を交わし、正座で周囲を囲むサークル仲間の下へと帰る、と。
「すっごい、雪菜ぁ~。吉高先輩に勝っちゃうなんて」
友人で白帯のさやかが嬉しそうな声をあげ抱きついてくる。チクショウ、その豊満な胸を押し当ててくるな。
「ありがとう、さやか。そして離れろ」
「えへへ、やっだよ~。雪菜は大きすぎず小さすぎずで抱き心地がいいんだも~ん」
コロス!
「ねぇねぇ、雪菜。今日も向こうの世界とやらで遊ぶの?」
「え、うん。その予定だけど……なになに? さやかも一緒にゲームで遊びたくなった?」
「ん、違うよ? 今日合コンあるから一緒にどうって思って」
また……本当にさやかは合コン好きだな。
「ん~、私は別に「医学部だよ?」絶対行く!」
■ □ ■ □ ■
他のエリアよりも紫外線が多いのではと疑いたくなるような陽光を浴びながら、私はいまコウチエリアの町、トサを歩く。もしこれがリアルだったら、絶対に紫外線クリームを厚く塗らないと外出できなかっただろうな。
トサの街並みはキュウシュウエリアと大きな違いはない。木造や石造りが主流で、特別変わった施設があるわけでもない。道行く人もほとんどが人間で、先日実装されたビーストという種族はあまり見ない。
どうもその種族が住んでいる町は一部のみらしく、シコクエリア全域がビーストの国というわけではないみたいだ。まぁ、私的には動物苦手だから助かったかな。
「でもこれはちょっとなぁ……」
代わりと言っては何だが、この町のNPCの衣装はみんな和服。それも、幕末~明治初期を意識したかのような着物を着ている。そんな町の中では、なりきりプレイヤーや歴史マニアたちが同じく仮装をして「日本の夜明けぜよ」などと口にしている。
言っとくけど、それ、坂本龍馬の残した言葉じゃないからね?
「高知と言えば坂本龍馬ってのはそうだろうけど……私は武市半平太の方が好きだなぁ。ロリコンでもフェミニストでもない方の」
せっかくならそういった細かいところにまで配慮してくれた方が、ファンとしては嬉しいんだけどなぁ。
「でも、こんなに静かに街を歩いてると、あの頃のドタバタが懐かしくなっちゃうなぁ……」
キュウシュウエリアをクリアした私たちは、あれからそれぞれの道を歩んでいった。
クソドM――もとい人類のゴミは、行き先も告げずにまたねと言ってそれっきり。
リーちゃんとハイブ君は新婚カップルの邪魔をしない程度の距離を保ちつつ、自分たちも何だか楽し気にチュウゴク観光。
ソウ君とルーちゃんは、今頃ラブラブ展開まっしぐらだろうし……。
「あんまり気を遣わずに向こうについていった方がよかったかな~……」
思わず口に出た言葉を、理性がすぐさま否定する。
――いや無理。若い熱々カップルを毎日見て砂糖を吐き出す日々なんて、私には耐えられない。そんな日が続いた日には、いつか口から呪怨が漏れ出てきちゃうわ。
あ、想像したら珈琲飲みたくなってきちゃった。丁度いいからそこの喫茶店で一休みしよう。とびっきり、苦いコーヒーで。
「ふぅ……ん」
喉を軽く潤していると、ほのかに柑橘系の香りが飛んでくる。その方向に視線を飛ばせば、隣の若い……カップルだろうか。2人が注文した果実が原因かと理解した。
「文旦か……確か、高知県の特産品だっけ」
ミカンよりも大きく、そのお日様のようなあたたかな色合いが特徴の文旦は、一粒一粒がプリッとした触感を持ち、噛むと口いっぱいに上品な甘さとほのかな酸味が広がると言われている。
「こうしてると確かに日本全国を観光している気分に浸れるわね」
今頃あのバカップルも、こうしてご当地の文化に触れているのだろうか。隣のカップルみたいに。あぁ……今日、槍の雨でも降らないかなぁ。
「……今頃なにしてるんだろ、あの子たち」
どこで何をしているのかはわからないけど、確実に何かのトラブルには巻き込まれてるだろうな。特にソウ君。
店員に文旦の盛り合わせを注文し、道行く人々の足取りを目だけで追いながら、少し、これまでの懐かしい思い出をゆっくりと思い出す。
最初にソウ君と会ったのは、ナガサキエリアで開かれたギルド主催の武闘大会だった。緊張で舞い上がってるカモだと思ったけど……カモは私の方だった。
リアルでもこっちでも、あそこまで完璧にやられたのは初めて。これでもインターハイに出たことあるぐらいには自信のある方だったんだけど、あの時はさすがに自信喪失したなぁ。
それからどうしても仕返ししたくて、何とかパーティに潜り込んだまでは上手くいったけど、その後はとんでもないトラブルのオンパレード。サセボの町をゴブリンの軍団が襲撃してきたときには敵集団に特攻したし、巨大な鬼と戦わされたときもあった。
ぐちゃぐちゃに引っ掻き回してやると思っていたら、こっちがとんでもないくらいに引っ掻き回されちゃってた。それに、彼をどうにかしようなんて気持ちもいつの間にか……。
ナガサキエリアで別れてからも、彼には色んな意味で驚かされた。フクオカエリアでは1人だけ野球と全く違うベクトルで戦うわ、レイドボス戦では自重を忘れてとんでもない動きで皆の度肝を抜くわ……あのあと蘭からソウ君のことをしつこいぐらい質問されて本当に参ったわ。
そう言えばあの子、ソウ君たちを追いかけてチュウゴクエリアを選択したらしいけど……ま、いっか。バカップルにはいい刺激になるかもね。
「お待たせいたしました。文旦の盛り合わせになります」
「わぁ、ありがとうございます」
思考を中断し、NPCが運んできてくれた皿に注意を向ける。
最近はプレイヤーのお店も増えて、こうして食べる楽しみもだんだん身近になってきている。NPCの作る料理はほとんどが無味無臭だが、プレイヤーが作ると味が出る。まぁスキルがないと超不味いらしいけど。
「ん~、甘酸っぱ~い」
誰のお店だろう、ここ。新鮮な果物をメニューに並べてるなんて珍しいな。雇われたNPCがウェイターをしてるから店主は見えないけど……ん、あれ店主かな。奥から出てきたキッチン帽の女性。うん、きっとあの人だろうな。いいなぁ~料理人のスキル。私も取ろうかなぁ――って、あれあれ?
「サクラさん!?」
「え? あ、雪姫さん!?」
そこにいたのは、いつかフクオカエリアで鳥人間相手に一緒に野球をプレーした料理人のサクラさん。ソウ君たちのフレンドという繋がりで、縁を得た女性だ。
「お久しぶりですサクラさん。ここ、サクラさんのお店だったんですね」
「お久しぶり、雪姫さん。ええ、少し前にこの店舗をレンタルしてお店をしてるの。因みに旦那はあるNPCのところに行って修行中よ」
「NPCのところへ?」
「うん。何でも土佐打刃物っていう、特別な製法で作られる刃物を学んでるみたい」
「へぇ~、勉強熱心なんですね」
確かこの夫婦、リアルでも料理人と鍛冶職人なのよね。こっちに来てまで仕事って……本当に好きじゃないとできないことね。
「まぁ、これがあるだろうからってことでシコクエリアを選んだみたいだし、私も美味しい柑橘類に触れてみたかったからね。現実では中々四国に行く暇もないし、丁度良かったわ」
筋金入りね。
サクラさんの仕事が一段落した頃合い、机を囲んでゆっくりと文旦のジュースを頂く。
「――美味しい」
「ふふ、ありがとう」
一通り料理のことで話が盛り上がった後、私たちの話題は自然と共通のフレンドへと移った。
「へ~、ソウ君とブルーちゃん、ついにお付き合いすることになったんだ」
「そうなんです――って、あれ、サクラさんも2人の関係ご存じだったんですか?」
「うん。2人と初めて知り合った時に、一緒に味噌汁作りをしたことがあって、その時にね。でもそっか~、ブルーちゃん、ついに愛しの王子様のハートを掴んだのか~、はぁ~、嬉しくて涙出てきそう」
そう零すサクラさんの顔からは、心から2人を祝福しているのがわかる笑みが、少しの涙と一緒に浮かんでいた。
「雪姫さんはそういう話題とかはないの?」
「私ですか? あ、ありませんよそんなの」
悲しいほどにありませんとも。昨日の合コンでも散々でしたよ、えぇ。
「あらそうなの? 私はてっきりあのモップさんという人と良い仲なのかと」
「大丈夫ですかサクラさん、いい眼科と脳神経外科を紹介しますよ?」
サクラさんからの超ド級のボケに、思わず素で反応してしまった。
「うふふ、そんなに必死で否定しちゃって」
「いえ、あの人はストライクゾーンがどうとかそういう次元を超えてますから。そもそものステージが違うんです。私は人類の視点で恋人を探したいんです」
必死に否定しますとも。私の人格保全のためにも。
「はいはい、わかりました。この話はお終いにします」
釈然としない言い方だけど、それでもこれ以上この話はしたくない。1秒たりとも。
「雪姫さんはこれからどうするの? このエリアのボス攻略?」
コウチエリアのボスは、巨大な土佐犬――の顔だけの化け物。名を犬神と言い、現在多くのプレイヤーを食い殺しているこのエリアの主だ。動物嫌いの私としては、ここのボスは最も敬遠したい類の1つであり、
「いえ、しばらくは、ぶらぶらと観光とかしながら他のイベントを見てみようかなって」
「ふ~ん、そうなんだ。でも楽しみ方は人それぞれよね」
本当はすることなんてあまりないんだけど……。ここだって、リアルでの鬱憤を晴らす場所の1つみたいな感じだし。
「あ、そうだ雪姫さん。たまにでいいから、私のお店を少し手伝ってくれない? 勿論お給料も出すから」
「え、お店をですか? でも私、料理スキルは……」
「大丈夫よ、リアルでのスキルがあればかな~りカバーできるから。それに、この前の大規模アップデートで、プロ級の腕前じゃなくてもそれなりの味が再現できるように難易度が緩和されてるし」
そう言えば、運営がプレイヤーに初めてデレた瞬間とかで話題になったことがあったな。これのことだったのか。
「でも私、現実でもあまり料理は……」
「あらそうなの? じゃあここで料理の練習をすれば、リアルでも料理が上手になるわよ?」
それは少し魅力的ね。でもなぁ……。
「私、料理はやっぱり――「ブルーちゃんも美味しい味噌汁で王子様のハートをキャッチしてたし」――よろしくお願いします!」
その返事にサクラさんは、お母さんがたまにするような笑みを向けてくれる。
「そうそう、やっぱり女の子はそうじゃなくっちゃね」
つまらないと思っていたシコクエリアでの旅。それはこの日から少しずつ、私の色を取り戻させてくれた。
というわけで、閑話第一号は雪姫でした。
残りはあと3人。さてさて。
次回『とある刀匠の技術習得』
更新は木曜日の予定です。