120話 とある農家の果実収穫
日本サーバーに存在する膨大な数のギルド。その中でも、エリアボスのファーストアタック成功チームや、緊急クエスト上位ランク者を多く抱えるギルドのことを、ここではトップギルド、あるいは攻略組と呼んでいる。
そのトップギルドの中で最強と目されているのは、強力なプレイヤーが数多く所属するギルド《蒼天》。所属人数は1000人を超えると言われる、言わずと知れた超大手ギルド。ボスに対するファーストアタック成功数の最も多いギルドでもある。
それに続く二番手と言われているのは、廃人集団のみで構成された少数精鋭ギルド《無職連合》。どれだけ死んでも決して諦めないその姿勢と、リアルを色々と犠牲にしている両面を踏まえて、別名エリートゾンビとも呼ばれる恐ろしい集団だ。彼らとは何度か衝突したこともあったが、その実力は確かにトップを走るにふさわしいものだったと筋肉が記憶している。
そして三番手と言われているのが、今回海外チームにギルドマスターを討たれたという《チェリーボーイズ》。所属人数は500人を超え、トップクラスの実力者たちも抱える大手ギルド。ただその名前のせいか、所属する者は殆どが男。それも……いや、これ以上はよそう。とにかく、哀しみを背負った男の強さを体現しているチームである、ということだ。
「という訳よ。わかった?」
以上が由紀子から改めて教示してもらったギルド、そして今回の騒動についての話。よくわかった。よくわかったよ由紀子。だから、もう正座はやめていいかい? いくら誰の目も入らない宿屋の中とはいえこれ以上は……あ、駄目ですか、はいわかりました。
「チェリーボーイズのギルドマスター、通称チェリーヘッドがやられたのはイマバリの町の北にある海に近いダンジョンの中だそうよ。町の近くだったのは意外だけど、やっぱりダンジョンの中で襲ってきたわね」
チェリーヘッド。由紀子にそう名付けられた彼を俺はよく知らないが、このあだ名は少しかわいそうだな。そう思うだけで、特になにもしてやれないが。
「もうそのダンジョンには追手がかかってるだろうし、相手も場所を移してるでしょうから、そこ以外のダンジョンに行きましょっか」
「うん、ダンジョン行くー!」
元気いっぱいに応える愛娘。それを笑顔で見つめる聖母。そしてそれを床から見つめる俺。うん、カオスだ。
■ □ ■ □ ■
「わぁ~……広~い、深~い」
やや青みがかった光が照らす、巨大な大蛇でも楽に通れそうなほどの洞窟。その中を、瑠璃は両手を広げくるくると走り回る。
「あんまりはしゃぐと転ぶわよ」
「わかってるも~ん――ふにぃ!?」
両足を天井に向けた天使が勢いよくお尻を地面に落とす。かわいい。
「ほら言ったじゃない」
「うぅ……次は気を付けるもん」
お尻を撫でつつゆっくりと起き上がる天使。それを見てため息を漏らす聖母。かわいい。
「はぁ……あなたからも言ってちょうだい」
「かわいい」
「はぁ?」
細く鋭い眼光に射られた俺の口は、たった今犯した失態を取り除くべく全力で挽回への道を手繰る。
「イル、お母さんの言うことを聞かないと駄目だぞ」
瑠璃が俺と由紀子の顔を交互に見つめる。わかってくれたかな、瑠璃。
「……わかった。お父さんも大変だもんね」
……何が分かったのかな、瑠璃。お父さんとっても気になるな。涙が出るほど気になるな。
「でも凄いねこの洞窟。海の底を走ってるなんて」
イマバリの町は海に近い位置にあり、その周囲にはいくつかのダンジョンが形成されている。そのうちの1つであるここは、入り口を海に面す岩肌に作っており、中に入ってからはひたすら下に下にと道を伸ばしていた。加えて天井から滴り落ちる海水、所々に点在する潮だまりとその中で漂う魚影が、ここが海底洞窟であることを如実に物語っている。
「あぁ、こういうのはゲームならではだろうな」
あまりにリアルすぎてここが仮想世界であるということを忘れそうになるが、ここはあくまでもゲームの世界。その気になれば、天空に浮かぶ城や地底に広がる帝国なんかも出すことのできる世界なのだから、このぐらいは朝飯前なのだろう。
「2人とも、ここはダンジョンなんだからね。一応、エリアボスが潜んでいる可能性だってあるんだから油断はしないでよ?」
「「はーい」」
「……本当にわかってるのかしら、この親子」
わかっているとも由紀子。要するに、ボスが出てきたら倒せばいいのだろう? わかってる、わかっているともさ。
「あれ、そう言えば……ここに入ってからプレイヤーの誰ともすれ違わないね」
瑠璃の言葉に、俺も由紀子もそう言えば、と一瞬だけ時を止める。
「……御菊、ここ、そんなに人気のないダンジョンなのか?」
「まさか。新エリアのダンジョンだし、ごった返すまでは行かなくても必ず誰かとはすれ違うはずよ」
だよなぁ。だとしたら、確かに瑠璃の言う通りおかしい。それとも俺たちが洞窟と思っているここは大蛇の胃で、他の奴らは既に消化されてしまったとかじゃ……ないな、さすがに。
「じゃあこれは一体――」
そこまで言いかけた口はピタリと動きを止め、代わりに殆どの神経を聴覚と視覚へと振り向ける。
「……誰か来てるな。下からだ。数は……5、いやもっと多い」
その言に由紀子は目を細め、白く細長い指を顎に当てる。
「もしかして……アタリ引いちゃった?」
アイスのアタリ棒を見つけたかのような表情を浮かべる由紀子。それを見てキョトンと首を傾げる瑠璃。かわいい。
「その可能性はあるな。どうする、向こうはこっちにまだ気づいてないかもしれないぞ」
「そうねぇ……とりあえず、イルには近くで身を潜めてもらって、私とあなたで正面から迎えてみましょうか」
こんな洞窟の中ではろくな罠もはれないし、何より見通しが良すぎる。瑠璃は色んな意味で別格だから隠れられるだろうが、俺と由紀子は無理だ。なら正面から迎え撃つしかない、か。それにもしただのプレイヤーだった場合は、そのまま素通りすればいいだけだ。
「了解だ」
「わかんないけど、わかったー」
■ □ ■ □ ■
瑠璃が姿も気配も消してから1分後。俺と由紀子の前に、それらは現れた。
「お、いたいた。この辺の奴らはあらかた狩りつくしたと思ってたけど、まだ残っていたか」
洞窟の奥から現れた男たち。その数は7。ただ昨日やりあった奴らとの相違点は、全員が翻訳機能を介さず日本語を口にしている点と、見た目も日本人そっくりに作り上げている点。やや日焼けしているが、それでも肌と髪の色は完全に日本人。着崩した和服の上に和風の鎧を付けているあたりから、おそらく現地プレイヤーに偽装でもしているつもりなのだろう。にしてもボロボロな鎧だ。経費削減かな?
だが奴らからは、隠しきれていない殺気をひしひしと感じる。やや前傾を意識してすらいる姿勢といい、もう臨戦態勢と思っていいだろうな。
「ここいらの奴らはこいつらで最後かもな。じゃあいっちょ仕事にかかるとするか」
先ほどから口を開きっぱなしの先頭の男が、由紀子を獰猛な目つきで見つめる。その眼光はさながら獲物を見つけた鷲といったところだろうか。まぁ鷲さんの見つめてるのは、ネズミの皮を被った虎だけどな。
「さぁて、身ぐるみ剥がされて泣き喚きな」
剥いだら虎が出てきて喰われるぞ。
だが俺の口から男たちへの警告が言語となって出る前に、彼らは腰に提げていた火縄銃を手に取り銃口を向ける。
「ほぉ、火縄銃。なんとも凄い骨董品が出てきたな」
「油断しないの。火縄銃なのは見た目だけで、多分性能は普通のライフル銃よ」
そうなのか。そう言えば一部のプレイヤーは昔の武器や文化などが好きで、あえて性能は最新式にした上で見た目をレトロチックにする者が一定数いると聞いたな。あれもそういうことなのだろうか。
「舐めやがって……死ね!」
お決まりのセリフを口にする男と、それに追従する男たちから、雷撃音と共に銃弾の雨が放たれる。
それに俺は横への跳躍で、由紀子は前方に炎の障壁を展開させ応える。
「な、何だアレ!?」
魔法だ、ソレ。
驚きの表情を浮かべる彼らの眼前に立ちはだかったのは、由紀子の魔法《炎壁》。彼女の得意としている炎魔法の防御手段だ。
さて、ではこっちも反撃と行こうか。
「――ファイア・ブラスト!」
背面の地へ向けた両手から噴き出した炎が、凄まじい推進力を与える。
本来は前方の敵を焼き尽くす攻撃魔法らしいのだが、この魔法は踏ん張っていないと後方へと逆に吹っ飛ばされてしまうほどに勢いが強い。そのためこういった使い方をすれば、この魔法は攻撃魔法ではなく高速移動の魔法として使うことが可能となる。まぁ多少手が焼けてダメージを受けるし、近くに味方がいた場合は巻き込んでしまうなどのデメリットはあるが、由紀子は炎の壁で銃弾からも俺の炎からも身を守っている。ならば俺は、高速ジェットと化そう。
高速で、奴の顔面を――
「ぶっ飛ばす!」
「ぃぎ!?」
男の顔の中央が窪み苦悶とも笑顔ともとれる形を作り出すと、彼はそのまま後方の壁へと背中を叩きつけた。
「――こいつっ!?」
突如自分たちの間合いに入り込まれた男たちは一斉に体を捻り、手に握るライフルを慌てて向けてくる。だが、減点1だ。
「はぐっ!?」「なぱっ!?」
これだけ接近されていて未だそんな棒切れを持っていてどうする。そんなんだから腹に蹴りを受けてしまうんだ。もしこれが総一郎なら……普通にカウンターを合わせて俺をぶっ飛ばすんだろうな。
「良い感じよ――《炎鳥乱舞》」
久しく会っていない息子に殴られる想像を働かせている間に、炎の壁の向こうから30センチほどの炎の鳥が十数羽、勢いよく飛び立つ。それらは天井すれすれを飛び交い、ほどなく彼ら目がけて落下を開始した。
「ぐお!?」
「ひ、火!?」
「な、なんだこいつら、すばしっこ――うわ!?」
さほど広くない洞窟内を飛び交う炎鳥に翻弄され、てんてこ舞いの彼ら。その様子は俺に違和感しか抱かせない。
手応えがないのだ、圧倒的に。総一郎と同じ加護持ちのプレイヤーだというから期待していたのだが、これでは先日奇襲した奴らの方が全然強かった。これは加護持ちが強いとは限らない、ということなのだろうか。まぁ確かに運も大きく絡むものだとは聞いているが……う~ん。
そう考えつつも、手と足は彼らを制圧すべく次々に動いていく。ここでHPを削り切ってしまってはまた由紀子に怒られるかもしれない。もうジャパニーズ正座は嫌だ。怯える手と足に恐怖という名の活力を送り、彼らを制圧するのだ。
「な、何なんだこいつら!?」
「つ、強い」
地面に転がる若武者たちが悔しそうな表情で睨んでくる。しかしこういっては何だが、作り物のようなリアクションを取る若者たちだな。
「ま、いいか。これで一通り、お終いっと」
最後に立っていた男の顔を上段蹴りで吹き飛ばすと、地面にはすっかり戦意の喪失した仔羊たちが震える瞳を向けていた。それから「まだやるかい?」の言葉をかけると、彼らは揃って首を横に振り不戦の意を表明した。
う~ん……何だか、
「手応えがない。そう思った?」
横へと並んだ由紀子の口から出た言葉は、まさに俺の脳内に浮かんだ文字を言語化したものだった。
「あぁ。とても腕利きのプレイヤーとは思えないな」
「もしかしたら彼ら、プレイヤーじゃないのかも」
……ん? え、それどういうことかな、由紀子さん。
「彼ら、NPCじゃないかしら。盗賊や海賊的な」
その言葉を受けても未だ理解の追い付かない俺の様子に、由紀子はさらに説明を続ける。
「これまで人間種のNPCと戦うことは殆ど無かったけど、今回のアップグレードでその辺が変わったのかも。もしかしたら、これも何かのイベントかも知れないわね」
そうなのか。では彼らはNPCだから……ん? どうすればいいんだ?
「なぁ、その場合は――」
彼らの始末をどうするのか。そう聞こうと開いた口は、直後にその目的を失う。
地面に座ってこちらを見ていた彼らが突然うめき声を上げ苦しむように喉を掻き毟り出したのだ。パッと見は呼吸困難のサインにも見える。もしや、全員でガムを噛んでいてそれが一斉に喉に詰まったのだろうか。大変だ、すぐに掃除機で吸引しなければ。
「御菊、掃除機をここに」
そう言うと由紀子は心底呆れた瞳をこちらに向けてくる。あ、あれ……
「大方餅を喉に詰まらせてとかアホなことを考えてたんでしょうけど」
「惜しいな御菊、ガムだ」
「黙れ筋肉!」
むぅ、誉められてしまった。筋肉は誉め言葉だからな。世界共通の。そんなことを考えていると、
「……む?」
苦しんでいた彼らの顔に不気味な笑いが浮かび上がってきた。一体何なんだ?
「驚くがいい人間。そして後悔するがいい。我らに本気を出させたことを」
戦場で絶対に口にしてはいけないワードの1つ、俺はまだ本気出してない。それを口にした彼の顔が、みるみるブツブツでオレンジな何かに変色していく。
『ぐぅぅ……うぉおおおお!』
一瞬だけ眩い光を体から発した彼らの姿を再び視界に捉えると、そこに既に彼らの面影はなかった。
そこにいたのは――
「……みかん?」
顔が巨大なミカンになった男たち。一応窪みで目と鼻と口は判別できるが、それが何かと言われれば、もうそれはミカンだ。ミカン以外ない。顔がミカンになった男というより、ミカンに男の生えたミカンだ。
「これ……敵モンスターね、普通に。多分、人間に擬態する新しいタイプの敵ね」
先ほどの読みが外れたことが恥ずかしいのか、視線をやや斜めに外して呟く由紀子。
だがボロボロの鎧を纏ったミカンというのは何と言うか……凄いな、絵が。多分、愛媛だからミカンなのだろうが……もう何でもありだな、ここまで来ると。ここまでミカンを前面に押されて、愛媛県民は何か思うところがないのだろうか。
「そう言えばこの辺は平家の落ち武者伝説とかがある地域だった気がするわね。大方それとミカンをくっ付けちゃえっていういつもの悪ノリね、きっと」
何だそのノリは。いやだがここの運営は――俺が言うのもなんだが――頭おかしいからな。
『はっはっはっはっは、こうなってはもう先ほどのようにはいかんぞ。貴様らを海の藻屑にしてくれる』
先ほどまでの狼狽が嘘のように元気を取り戻したミカン戦士が声高に告げると、一触即発のピリついた空気が漂う。
ミカン戦士の実力はまだ未知数。ここは先ほどよりも慎重に戦う必要が――
「イル、もう出てきていいわよ」
だが彼らと戯れる時間は、さほどなかった。このイベントにあまり興味がわかなかったであろう由紀子に、鎮魂歌を告げられることで。
「は~い」
闇が舞い降りる。
彼らの中央に、ふわり、ふわりと。
『……え?』
「――百花繚乱」
小枝のような手に持たれた大鎌が、ヌンチャクを振り回すような速度で縦横無尽に振るわれる。その様はまさに、周囲に紅い華を咲かせていた。いや、ミカンだから果汁か。
「よ~し、頑張るぞ!」
ミカン戦士たちの中央にふわりと降り立った死神は、殺る気満々の無邪気な笑みを浮かべる。
その光景に俺がミカンを収穫する農家さんの姿を重ねたとしても、それは仕方のないことだろう。
次回『とある部隊の電光石火』
更新は月曜日の予定です。