117話 とある聖母の情報収集
【何やってんの、この筋肉】
積まれた廃材の上に腰かけ、先ほどの事の顛末をチャットで由紀子に報告していると、彼女から痛烈な言葉が返ってきた。
すまない由紀子。俺のことを心配してくれたんだな。だが彼らの悪意の矛先に君たち2人がいて、俺が黙っていられるわけがないことも理解しておくれ。
そう彼女に返信すると、さらに斜め上の文字が返ってくる。
【貴方の心配なんかしないわよ。そうじゃなくて、何で情報を得ずに倒しちゃうかなってことよ】
そういうことでしたか。何でと言われると……頭に血が上った?
その返答は、むしろ由紀子の頭部の血流を加速させたらしい。
【このアホ筋肉! 何で貴方は引退してからそんなに脳筋になったの。これが過去エリート部隊の隊長を務めてたなんて……頭が痛くなるわ】
確かに引退してから昔では考えられないほどに緩くなった。だがこれには全く引け目を感じていない。これは俺が、戦場を走る兵士から子供たちの父親になったという証。
まぁ結果、総一郎も瑠璃もある意味で俺を超えるソルジャーになってしまったが、それでもあの子たちは優しい心を育んでくれた。俺には、あの子たちと妻を守る力さえ残っていれば、それでいい。それでいいんだ、由紀子。
そう返したら、由紀子から「それはそれ、これはこれ」とだけ返事が来て、以降どのような声掛けに対しても返事がこなくなった。
「……謝るか」
夫婦円満の秘訣は、どれだけ夫が妻に対して折れることが出来るか。少なくとも俺はそう考えている。妻との関係が上手く行くなら、いくらでも腰を折ろう、頭を下げよう。誠心誠意。待っていてくれ由紀子、今行くからな。
廃材置き場を背に、彼女たちの待つ岩陰へと全力で向かう。途中で空飛ぶミカン型モンスターが強酸性のジュースを吐いて襲ってきたが、ライフルで撃ち落とし斧で叩き割ると静かになった。さすがエヒメエリア。出てくるモンスターもご当地ならではだな。
そういえばレアモンスターに、真珠がベースになったやつがいるとも聞いたな。売ればかなりの金になり、加工すれば綺麗なアクセサリーにできるらしく、女の子たちがこぞって狩りに出ているとか。もし見つけたら由紀子にプレゼントして、さっきの失態を挽回しよう。
っとイカン、先を急がねば。待ってろよ、由紀子、瑠璃。父さんが、父さんがこれから謝りに行くからな!
やる気満々のこの謝罪を受ければ由紀子の機嫌も直るに違いない。だが彼女たちの姿を見る前に、もう一度由紀子から文章が飛んできた。
そしてそこに書かれてあった文字は、俺の脳内の血流を倍速で加速させた。
【敵に囲まれたわ。迎え撃つから、あなたは陰から見てて。合図を出すまでは、絶対に手を出さないでね】
そ、そんな! 君たちに魔の手が伸びるのを、黙って見ていろというのか! そんな地獄、耐えられるわけがないだろ!
由紀子の言いつけを守らないのも地獄だが、彼女たちが傷つくのはそれ以上の地獄だ。どっちも地獄なら、俺はせめて彼女たちの笑顔を守れる地獄を選ぶ。だから由紀子、俺は――
【もう瑠璃がスタンバイしてるから、邪魔したらあなたも一緒に処理するわよ】
よし、ここはおとなしく茂みの中でハウスだ。俺は忠犬ハチ丸だ。彼女たちの活躍を、黙って瞳に焼きつけよう。黙って。
「……誰だか知らないが、恐れ知らずなことを」
地面が焦げるほどの全力疾走を維持しつつも、額から流れる汗は何故か、冷たかった。
■ □ ■ □ ■
現場付近へと近づくと、茂みの中へ身を潜めスコープ越しに状況を確認する。
そにではすでに6人の男に囲まれた由紀子の姿があった。
『いけねえなぁ、こんなところにアンタみたいな美人が1人でいちゃあ』
由紀子の耳と感覚をリンクさせてある俺の耳に、自動翻訳されたと思われる男の声が入ってくる。これはフクオカエリアボスを最初に倒した際に手に入れた特殊アイテムの効果で、半径50メートル内の聴覚をリンクすることが出来るもの。そのため今俺の耳の右からは自分の周囲の音が、左の耳からは由紀子の聞こえる音が入ってきている。
しかし聞こえてくる日本語に対し、男の口元の動きは英語を喋っているみたいだから、こいつも外国人プレイヤーとみて間違いないだろう。さっきの奴らといい……一体何が起きているんだ?
そう考えを巡らせていると、同じ考えを由紀子も口にする。ただし、その口は震えていた。
「あ、あなたたち、一体……何の用なの!?」
取り乱した様子の美女は、不安で今にも泣きだしてしまいそうな顔を前面に押し出し、男たちへと言いようのない気持ちををぶつける。
……流石の演技だよ、由紀子。
『アンタが知る必要はないさ。ただアンタは、俺たちを楽しませてくれればいい』
そう答えるのは、由紀子に最も近い位置でゲスな笑みを浮かべる色黒の男。全身をアイアンプレートで固めているから少しわかりにくいが、おそらく年は20代かそこら、職業は騎士あたりだろう。
他にも5人、黒づくめのスーツ男と、味気ない無地のマント男、軽装の鎧男に、Tシャツ短パン男、サンタクロースの格好の男とバリエーションに富んだメンバーが同じく由紀子を囲んでいるが、その顔はどれも愉悦に歪んでいる。
しかし楽しませてくれ、か。それ多分、由紀子と瑠璃も同じこと考えてるだろうな……特に瑠璃。
『へへ、日本サーバー最初の犠牲者がこんな美人とはな』
その言葉に、由紀子の目が一瞬細まる。日本サーバー、か。ふむ、彼らの目的は不明だが、おおよその見当はついてきたな。
だが由紀子は今の情報だけではまだ不満のようで、むず痒くなるような演技を続ける。
「どうして私を……狙うなら他にも」
これを言う由紀子に卑しい気持ちはない。強いて言えば、男からある言葉を引き出したいのだ。そして男は、見事にそれを口にする。
『別に誰でもいいんだよ、ただアンタが目に付いたから。それだけさ』
俺たちを付け狙う怨恨の線はない、か。呼吸や眼球の動きからも嘘をついている様子はないし、ひとまず安心だな。
だがまだまだ由紀子には足りないようで、お茶を吹き出しそうになる演技を続ける。
「そんな……」
吸い込まれそうなほど澄んだ瞳が、徐々に潤いを帯びて揺らいでいき、弱々しい腰が少し後ろに折れる。男たちはその様子に生唾を飲み込み、俺は口角の上が引き攣ってきた。
「み、見逃してください! その代わり、あなたたちに協力しますから」
自らの保身を図る、卑しくも美しい女。彼らの目にはそう映っているだろう。俺の目には、獲物を前に牙を研いでいる捕食者にしか見えないが。
『協力、ねぇ……どうする?』
先ほどまで由紀子と話していた男が、後ろを振り返り確認する。なるほど、そいつがお前たちの頭か。
『ベックたちとの合流が優先だ。殺せ』
無慈悲にそう告げるのは、奴らの中央に立つ黒づくめのスーツの男。もしやあいつがベック君たちの言っていたナジンとかいう奴か? 彼らの間で共通していることと言えば、海外プレイヤーである点と、だれかれ構わずPKしようとしている点。だが、妙に意思統一されているこの感じには違和感を覚える。こいつらはどこか、これまであってきたPKプレイヤーとは異なる。
そう考えていると、指示を受けた男はアイテムボックスから取り出した槍を頭上に掲げる。
『そういう訳だ、お嬢さん。悪いね』
そのセリフとともに、彼はその鋭利で凶悪な槍の先端を我が最愛の妻へと向け、そして――膝から下を失った。彼が。
『……は? はぁああああああ!?』
膝から下を失い地面に転がる彼は、何がなんだかわからないという心の声を叫びでしか表現する術を持たなかった。
だが自分に何が起きたのか、彼が知ることはないだろう。その首にはすでに、死神の鎌がかかっているのだから。
『――はぶっ!?』
周囲の男たちが何一つ声を上げられないでいる内に、恐怖に歪んだ彼の首は宙を舞い、消えた。
そして――
「あの……死んでください」
死神は舞い降りた。
次回『とある死神の殺戮劇場』
更新は木曜日の予定です。