114話 とある夫婦の寸歩不離
イマバリへの道を行く我々の足は軽い。その視界に映る全てが新鮮で、心躍るからだ。
「ネコ喫茶にどうぞいらっしゃいませ~、かわいい子がたくさん入ってますよ~」
「狼執事喫茶はいかがですか~、ワイルドなイケメンが貴女のご来店を待ってますよ~」
道行くプレイヤーたちにかけられる誘惑の声。その声にまた1人、また1人と紳士淑女が誘導されていく。いやはやなんとも面白い絵だ。
「凄い活気だな。前に見た秋葉原以上だ」
木造の建物が殆どだが、それでも軒を連ねればその迫力は大したものだ。何より、1つのジャンルで固められた通りというのはそれだけで妙な団結力と言うか競争力を生み出す。ここイマバリの町の喫茶通りもその1つだ。
頭からは動物の耳を生やし、お尻からは尻尾を生やした人を見て俺はふとそう漏らした。
「ここはビーストの町だからね。これまでの町とは雰囲気が全然違うわね」
ビーストとは先日実装された大規模アップデートの目玉の1つである、新種族のことだ。何らかの動物の特徴を持った人型の種で、ネコ科やイヌ科、ネズミ科のビーストを中心に町に溢れかえっている。まさにファンタジーワールド全開と言った感じだ。
しかし、道行くプレイヤーの顔はその種族に誘惑されつつも、どこか晴れない様子でもある。それに心当たりのある俺は、彼らへ沸き起こるの同情の念を込め由紀子へと言葉を返す。
「確かに賑やかだが、同時に飴を取り上げられた子供のような顔も見えるな、やはり」
「まぁ……あんなこと言われちゃったらね」
苦笑いでそう答える由紀子の顔には、薄く残念と書かれてあった。
大規模アップデートで実装された新種族。プレイヤーたちはこの情報に歓喜し、そして悲観した。
実装はされた。されたが、その対象は我々プレイヤーではなく、NPCだった。
新エリアではビーストと呼ばれる獣の特徴を持った人型の種族が多く生活しており、我々の目を大いに楽しませてくれている。楽しませてはくれるが、本音ではやはり自分もビーストになりたかったと声高に叫ぶ若者の数は少なくない。
この声に対し運営は、現時点ではビーストの実装はNPCに対してのみ。ただし、プレイヤーの種族を変える方法は検討している。とだけ回答した。
それを突きつけられたプレイヤーの落胆は大きかった。将来的な実装に関しては望みを持てるが、少なくとも現時点ではそれはない。だが目の前に、自分の欲しかったものは存在する。これは人によっては相当に堪えるだろう。
まぁその傷心の人々はビーストの接客する喫茶店に入って癒されている訳だから、この不満はいずれやんわりと溶けていくだろう。
「しかしビーストは我々と文化も違うようだな。酒屋のラインナップにマタタビジュースとか……思わず二度見したぞ」
他にも店に極上の骨とか毛づくろい用のブラシとかが置かれてあったな。あれ、どう考えても人用じゃないよな。
「ボールを転がすと、凄い勢いでビーストの子たちが走ってくるんだよ、お父さん」
「そっかそっか、イルはよく見ているなぁ」
瑠璃は天才だなぁ、さすが由紀子の子だ。おまけに隠密の才能まである。本当は総一郎に受け継いでほしかった才能だが、それでも我が子に才が受け継がれるというのは、嬉しいなぁ。顔も俺に似なくて本当に良かった。
「さて、もうすぐハローワークだ。どんな依頼があるか、楽しみだな、イル」
「うん!」
かわいい。
■ □ ■ □ ■
ハローワークへと足を運んだ俺たちだが、何の情報もなしに適当に動くというのは由紀子にとって思った以上の難題であったようで。
「あなた、お願~い」
そう困った顔で言われてはお願いされない訳にはいかない。妻のお願いは山をも動かすのだ。因みに夫のお願いでは埃も動かない。解せぬ。
そういう訳で、結局クエストボードに掲げられている依頼の中から、俺が適当に取ったものをやることにしたのだが……
「こんなクエスト……あるのか」
自分で取って来ておいてなんだが、実におかしなものを選んでしまった。少しくたびれた紙に書かれてる内容は、火事で燃えてしまった寺院の瓦礫撤去。しかも、時給換算だ。日給ではない、時給だ。おまけに、1日で達成できなければ報酬は半額にされるというブラックっぷりだ。
非常に引っかかるものはあるが、男が一度手に取ったものを引っ込めるなど出来ようはずもない。それに由紀子と瑠璃を見ろ。何の不満も持たずに俺の後についてきてくれているではないか。ならば俺にできることは、このクエストを一生懸命こなすことだけだ。
そう決意を固めていた俺の目に目的のものが姿を現したのは、その10分後だった。
「これは……本当に瓦礫の山だな。これを1日でやれとは」
焼け焦げた臭いのまだ残る瓦礫の山を前にして、思わず愚痴を零してしまう。が、そうこうしても始まらない。やると決めたらやらねばな。そうだろう? 由紀子、瑠璃。
「あなた、頑張ってね」
「お父さん、ファイト―」
……え?
「あなた、かっこいぃ」
「お父さん、頼りになる~」
……。
黒鉄の鎧から白のノースリーブと安全第一メットに装備を変更し、俺は一心不乱に瓦礫の山へと突撃を敢行した。
男には、黙って頷かなければならない時がある。総一郎、父は……父は今日も強く生きるぞ。
■ □ ■ □ ■
「ぃよしっ、大体こんなものか」
あらかたの瓦礫を撤去し終えると、由紀子と瑠璃がこちらへと来てくれる。
「お疲れさま、ありがとう」
「お父さん力持ち~」
疲れの吹っ飛ぶ魔法の言葉をかけられた筋肉たちが、一瞬で復活する。駄目だな、どうも俺はこの2人の言葉に弱い。
「はっはっは、これも男の役割だよ」
男の強がりとも言う。
「ところで、どうしてこんなところで火事が起きたんだろうな?」
ここは町の外れに位置し、周囲に火の気が起きそうなものは何もない。この寺院も元は誰も住んでいないらしく、自然に火が起こるとも考えにくい。
俺の問いに由紀子と瑠璃は揃って首を傾け、人差し指を下唇に押し当てる。
かわいい。
「わかんなーい」
かわいい。
「まぁ放火、不審火とみるのが妥当よね。でもNPCがこういう破壊活動をするなんて話は聞いたことがないし、プレイヤーがするには罰則が大きすぎてメリットはないし……う~ん」
今度は眉毛をへの字に曲げて考え込む。かわいいが、できればリアルと同じ顔で見たかった。違う顔でされると、少し戸惑う。
「同時期に姿を消した加護持ちのプレイヤー。これと何らかの関わりがあるのかもね」
「何かのイベントが始まってる、と?」
「多分ね。でも、今ある情報じゃどれも推測の域を出ないから、結局のところはわからないかなぁ」
「そうか」
由紀子でわからないなら、俺にわかろうはずもない。しかし折角イベントっぽいものを見つけたことだし、ここで何らかのアクションは起こしておきたいな。
空中にキーボードを展開させ指を走らせる。そしてその文書を、愛する妻へと送信する。
【見張られてる。東の方向におそらく2人。手練れだと思う。どうする?】
その文章を見て一瞬だけ由紀子の目が細まる。が、すぐに頬を緩ませ、
「もうあなたったら……イルの居る前でこんな熱いラブレターを送るなんて……もう、本当に、もう」
深追いは無用。暫く泳がせておけ、か。了解だよ由紀子。
「はっはっは、スマンスマン。ついな」
そのまま気配が遠のくまで、しばらく由紀子、瑠璃の3人で親子の会話に華を咲かせる。
そして10分が経過してようやく、
「……ようやく行ったか」
2つの怪しい気配が遠のいたのを感じて、ため息交じりにそう零す。
別に監視者に対して緊張していた訳ではない。強いて言えば、由紀子との暗号交じりのやり取りに疲れたのだ。
「何だったのかしらねー。まぁそれをこれから調べるんだけど」
由紀子の悪戯な笑みに、俺も瑠璃も頬を軽く吊り上げる。
「さてと、じゃあ早速尾行するか」
「うん、ビコー開始~」
何の目的でこちらを監視していたのかはわからないが、ろくな目的でなかった場合、彼らにはそれ相応の報いが待っているだろう。ま、今回は相手が悪かったな。
次回『とある親父の潜入捜査』
更新は月曜日の予定です。