107話 この日盤上に立つ彼女の姿に俺は敬礼した
困惑の表情を浮かべる女神に対し、ただただ感情の赴くままに体を動かす。と言うより、そうしなければ先ほどの醜態をどうしても思い出してしまう。
この戦いが終わったら告白はするつもりだった。だから、やろうとしていたこと自体と大きくは違わない。ただ想定と違ったのは、その告白を多くのオーディエンスが聞いていたということ。
しかも葵さんのあの反応。あれはおそらく泣いていたのだろう。つまり、泣くほど恥ずかしく、また嫌だったのだ。
つまり俺は、フラれたのだ。
返事を聞くことなく、フラれたのだ。
俺は敗残兵だ。落ち武者だ。
だが、こんな落ち武者にもまだやることは残っている。
この女神も一緒に地獄へと叩き落す。そのミッションをクリアして、せめてもの葵さんへの謝罪としよう。
勿論それで赦してもらえるとは思っていない。
彼女が望むのなら、俺はこの世界から消えよう。
それが俺にできる、唯一の償いだ。
だから女神よ、
「俺と……地獄に落ちろぉおお!」
『1人で落ちろぉおおおおお!?』
右手に刀を持ち、鬼の形相で――というか鬼の顔そのもので女神に斬りかかると、自動迎撃システムである白ローブが領域への侵入者を排除すべく動き出す。
猛然と向かってくる2本の布槍。だが反して女神の顔には困惑と恐怖の色が浮かんでいる。
まぁそう怖がるな。死ぬ時なんて一瞬だよ。本当に、一瞬だったな……。いかん、思い出すとまた心の汗が目から出てきてしまう。
今は雑念は捨てろ。ただ無心で、コイツを地獄に叩き落せ。そうすれば俺も、安らかに眠れる、はずだ。
■ □ ■ □ ■
女神と地獄のワルツを踊って2分ほどが経つ。
俺はと言うと、翠さんからそのまま暫く敵を引き付けてくれと言われ二つ返事で了解した。
一方の女神は、徐々に顔から困惑も恐怖も消え、ただ俺を殺すマシーンのように殺戮の舞台を踊っている。
『消えよ!』
女神の声に呼応して、布槍はその柔軟性を活かした多彩な角度から一層強く襲い掛かってくる。
「――っと」
赤鬼になり身体能力が格段に向上しているとはいえ、右腕だけでは迎撃に難が出てきた。ここに来て女神の布槍を操る速度も向上している。
おまけにこっちのHPは1割しかない。一撃でも貰えば終わりだ。
だがその極限の状態こそが神経をより研ぎ澄ます。
ここに来て俺は、完全にゾーンへと入っていたことを自覚する。
『これで――殺す!』
地面へと手をかざし片膝をつく女神。格好からして地面に作用する何らかの魔法かな?
だが女神の口元がそれ以上動くことはなく、代わりに俺の足元から布槍が2本。突き殺す意思を内蔵し飛び上がってきた。
「――っ」
『今のも躱すか……本当に、忌々しい。だが!』
急成長した竹の子のように伸びきった布槍が一瞬で逆再生され、再び地面へと戻っていく。
あー……そういうことか。
次の瞬間、俺は走り回った。
少し前までいた場所には、布槍が天高く突き抜けている。一瞬でも止まれば間違いなく串刺しだ。これはちょっとしんどいな。
【総君、女神の右手!】
翠さんからチャットが飛んでくる。当の本人は全員に口頭でせわしなく指示を出し続けているが、もしかしてあの最中にチャットを出したのか? 脳ミソいくつついてるんだあの人。
だが女神の右手か。そう言えば右手は終始地面に付いているな。もしかしてあのポーズを維持していないとこの攻撃はできないのかな?
――なるほど、そういうことか。
「――リロード【炸裂弾PT-07】」
スミスさんお手製の炸裂弾。相手の体組織を破壊することに長けた凶悪な弾丸を、奴の右手に叩き込む――が、
「げっ、防がれた」
忘れていた。あの布槍――というか白いローブは自動迎撃装置でもあるのだった。銃弾が放たれる直前に反応するならともかく、放たれた後に反応して間に合うなんて、どう考えても普通の生物の反応じゃない。十中八九、そういうシステムだろう。
どうする。折角翠さんから策を授けてもらったと言うのに、このままでは何も変わらないぞ。
ん、そう言えば攻撃の手が少し止んだな――っとわ!? いかん、ボーっと見てる場合じゃない。動き続けねば。
あれ、でもさっきは攻撃が少し止んでたよな……
ここで俺は、超基本的な考えに立ち返る。
あれか! 自分を防御する間は攻撃の手も緩まるとかいうあれか! てっきり攻撃と防御は分離していると思っていたが、よくよく考えれば攻撃してくる布槍も防御してくる布槍もあの2本。てかよく考えなくてもあの2本だ。
と言うことは、俺が攻勢に転じればあの女神も手数を減らさざるを得ないと言う訳だ。
――なんだ、簡単じゃないか。このミッションは。
そこから先は楽だった。
地面から突如として現れる布槍の攻撃を躱しつつ女神へ銃弾を返す。それだけで攻撃の手が3割は減少した。
互いに有効打を欠く拮抗した状態ではあるが、今の俺の役目は時間稼ぎ。翠さんから指示があるまで、この状態をひたすらキープする。
「総君、準備できた! ありがとう、下がって!」
翠さんの声が鼓膜を震わせる。
少しだけこの状態をキープするのが楽しくなっていたから、ちょっと後ろ髪を引かれる思いもあるが……まだまだ楽しいことは詰まってる。悲観することはない。
「了解、リーダー」
戦場から退避する足取りが普段よりも軽い。おそらく、この後に翠さんがどのような策を用意しているのか、そして他の皆がどんな凄いことを用意しているのかが、楽しみで仕方がないのだろう。
これが修学旅行前日の気持ちと言うやつだろうか。リアルでは修学旅行もただの苦行の1つだったから、そんなワクワク感まったく意味が分からなかったが、今なら少しわかる気がする。これが、修学旅行前日感、か。
早朝の校門前にダッシュで向かう童心を、俺は今体感していた。
しかし……何かを忘れているような……
■ □ ■ □ ■
俺の到着した瞬間、翠さんが声を張り上げる。
「ハイブ!」
「応! ――ハイ注目!」
いつの間にか女神の背後に構えていた伸二が、ヘイト操作スキルで女神の注意を自らの方へと強引に引き寄せる――だけに留まらず、ヘンテコな踊りまで披露している。スキルだけに頼らず、自分で女神の注意を引こうという努力まで見られる。涙ぐましい努力だ。その方向性に銃口の1つでも向けてやりたいが……ここはとりあえずグッジョブと言っておこう。
そして女神が後方の伸二へと振り返った瞬間、それは始まった。
「ポン太君、木の葉の舞!」
モップさんの使い魔、ポン太君がパンと手を合わせると、女神の周囲に大量の木の葉が舞い散る。さらに、
「ポン太君、葉っぱ発破!」
タヌ――ポン太君が眉間に皺を寄せ何かを強く念じると、舞い散る木の葉の全てが爆散した。
『ぬああああ!』
おお、モップさんが真面目に攻撃している。正確にはその使い魔だが、とにかくモップさんが真面目だ。凄い、これは凄いことだ。
どこか少し感動のベクトルがおかしい気もするが、それでも言おう。モップさんが真面目で怖い。
「あれ、でもおかしいな。翠さんこれって――」
高火力でボスを圧倒するのはこのゲームにおけるセオリーだ。だがそのためには、ボスの持つ防御手段をある程度無力化する必要がある。だがこの女神の持つ防御手段はとにかく多彩だ。それを部分部分では攻略している俺たちだが、未だ完全に攻略したとは言い難い。それでは火力の浪費に繋がらないだろうか。
そう声をかけようとしたが、目の前に差し出された手によってその口を止められる。
「ごめん、何を言いたいかは分かるけど、今は全員の指示で忙しいの。代わりにこれからの作戦をメールで送るから、それを確認して」
その言葉を残し、彼女は顔を戦場へと向ける。代わりに俺の視界に浮かんだのは、翠さんが書き記したと思われる作戦のメモだった。
【総君へ。このメッセージを読んでいる時、多分私は隣にいないと思います】
いるね隣に。めっちゃいるね。
【そこであなたにこのメッセージを送ります。心して聞いてください】
そんなに心強く持って聞かないといけない作戦なの!?
【まず、女神の攻撃パターンでいくつかわかったことがあります。1つは攻撃法が将棋の駒や戦術を模していること。2つはその技に順番がついていること】
確かに初手から九の手まで番号のように攻撃してきたな。
【初手が香車。二の手は銀。三の手は桂馬。四の手はもう一度銀。五の手が金。六の手が角。七と八の手が歩。九の手は飛車。どれも将棋の駒です。どう? ビックリした?】
いや分かってたよ!? あなた俺のことどんだけ馬鹿と思いか!?
【因みに最初に出した香車。白いローブを槍みたいに操るあれですが、あれは最初に出して以降ずっと出っぱなしです。多分、そういう技なんでしょう】
アーツには1度出したら暫くその場に居座るタイプのものもあるからな。恐らく女神のアレもそのタイプなのだろう。
【それ以外に、攻撃を跳ね返してきた鏡。あれはおそらく女神の武器です。出し方が私たちのアイテム召喚にそっくりでした】
なるほど。それで技名もなくイキナリ出てきたのか。
【それで、何となくそろそろ王手が来そうな気がしています】
何となく!? ここにきて何となく!? ちょっと前までの凛々しく才気溢れる貴女はどこに行った!?
【冗談です】
ふざけんな!
【そういう訳で、その辺も考慮して以下の攻撃パターンで敵を追い詰めたいと思います】
何がそういう訳なのかは分からないが、その文章の下にはこれからのそれぞれの動きと役割が簡単に記されていた。
ふんふん……なるほどね。
……なるほどね。
【全部は把握できないでしょうから、総君の役割だけまとめたものを下に載せます】
……ご配慮、感謝します。
俺はその辺にざっと目を通し、未だ隣で指示を出し続けている翠さんに視線を戻す。
「総君、全部目を通してくれた?」
俺はリーダー、いや、司令の声に無言で頷く。
「じゃ、行動開始よ。私たちの詰将棋、見せてやりましょう」
俺は司令からのメールの最後の一文を思い出しながら、その声に従い戦場へと駆けた。
【私、詰将棋だけは得意なのよね】
次回『この日彼女の詰将棋は始まった』
更新は木曜日の予定です。