3-7 奇妙な符合
僕は、なんだか頭が痛くなってきた。
「彼が自分で信ずる妻の役柄を私に要求して、一応何とか私がその役をこなしちゃってるものだから、自分はそういう妻に相応しい威厳があって頼り甲斐のある夫という役柄を、なにがなんでも演じ続けなきゃならないハメに陥っているの。もちろんそのほかに父親としての役柄もあって、どっちもずいぶん無理してるなっていうのがそばで見ていて分かるくらいなのよ。あれじゃあ、会社からくたびれて帰ってきてもなかなか気がやすまらないでしょうから大変だと思うけれど、それを崩すことは彼の信念に反するし、かといって私が壊そうとしても、それは彼が期待する妻の役柄には含まれていない部分だから、やっぱり不可能なの」
要するに、彼女は夫のペースでしか生きられないということなのだろうか。ここまで分かっていながら、その役柄を変えてみるということは取りも直さず家庭崩壊へと進むことなのだろうか。
「でも……、お互いがそうやって無理を重ねて突っ張っていてもいい方には向かわないんじゃないんですか」
「そうね。そのとおりよ。だから、せめて彼が羽目を外すなりして私に心を開いてくれれば、私だって肩の力を抜いて、可愛い奥さんになれるかもしれないわよ。なんて自分でいうのも変だけど、そのほうが彼だっていいに決まってるはずだわ。でも、それは私からはできないの。やっぱり彼のほうからその一線を踏み越えてきてくれなくちゃあ無理ね」
ふーん、そうですか、といいながら僕は昨日の男を思い出していた。
まさかいくらなんでもこの女が昨日の男の奥さんということはあるまい。でも、そうだとすれば、こんなカップルが少なくとも二組、いや、もっともっと数え切れないくらいこの世の中には存在しているのかも知れない。そうして、同じような思いを抱えて、自分ではなくて連れ合いのほうがもう少し心を開いてくれさえしたらと願いながらそれがかなわず、結局のところは仕方なく、それでも粛々とその役柄を演じ続けているのだろうか。
そのようにして、心の通わない会話を食卓で交わし、儀式のように堅苦しい寝室で眠る毎日………。学芸会のお芝居のような演技を続け、ついに舞台を降りることができずにその役柄のままに重ねて行く人生………。
「あら、もういい時間ね。買い物をして帰らなくっちゃ。お陰でちょっとだけすっきりしたわ。こういうことを話せる相手って、いないものなのよね。今日はどうもご苦労さま」
女はそう言って伝票に手を伸ばした。
その時、僕の頭の中には、そんなにこだわらずに今日はあなたのほうから心を開いてみたらどうです? ご主人はきっとそれを歓迎してくれるはずですよ、という台詞が浮かんできていた。
しかし、これはおそらく、うさぎ倶楽部のメンバーとしての役柄をこえてしまうことに違いない。僕は、その台詞をぐっとのみ込んで立ち上がった。
(了)




