3.二人目のクライアント 3-1 謎の女
翌日、僕は松井のアパートに出掛けた。
初仕事の報告が要件だったから電話でもよかったのだが、なんとなく前日の仕事の余韻が僕を興奮させていたからその話をしてみたかった。
そう思った途端、僕も自分の話を誰かに聞いてもらいたがっていたのだということに気が付いて愕然とした。そう、確かに僕は昨日の一件を語って聞かせる相手を渇望していた。ミイラ取りがミイラになってしまったのか、孫悟空のように僕は松井という男の掌に絡めとられてしまっているのだろうか。不意に、彼のにやりと笑う顔が浮かんだ。
それだったら敢えて行くべきではなかったかもしれないが、僕は昨日の成功に気をよくしていたから、こんなことならもっと仕事を回してもらえるように頼むのもいいかもしれないし、もう少しこの倶楽部の仕組みの話なんかも聞いてみたいと思い、わざわざ暑い中を出掛けていった。
もう大学が夏休みに入って二週間近くが経ち、本当に暑い真っ盛りだった。
東京という町の暑さは大学に入ってここに来る前までは想像もつかなかった。好きこのんでわざわざ熱の逃げにくい町を造り上げて、そこへ皆が寄ってたかって熱風を撒き散らし、さらに暑くさせているようだ。自業自得、それがこの非人間的な東京の夏だ。杏竹桃の赤い色が鮮やかで腹立たしいほどだった。
例のアパートに着いてドアをノックすると、中から「はーい」という女の声がした。
一瞬どうしようかと思ったが、いまさら引き返すわけにもいかない。彼女は松井という男のなんなのだろう、松井が不在なら出直そうかなどと思ってためらっていると、ドアが開いた。化粧っけのない眼鏡を掛けた女だったが、顔の造りそのものはまあまあ美人の部類だろう。でも、髪形といい服装といいあまり女っぽさを感じさせない。そんなところはちょっと恵美に似ていた。
「はい。どなたかしら」
低めの声だ。ほんの一瞬の間に人の素性を見抜こうとするような目で眼鏡の奥からじろりと睨まれて、僕はなんだか新興宗教の集会所に来てしまったような違和感を覚えた。年は僕よりは二・三才上のようだがよく分からない。
「あの、うさぎ倶楽部のバイトをしている水村といいます。松井さんにお会いしたいと思って来たのですけど……」
「ああ、バイトのメンバーさんですか。松井は今ちょっと出掛けてるんだけど、お約束?」
横柄な口調だ。
「いえ、そうじゃないんです」
「まあいいわ、お上がりなさいよ。私も同じメンバーで佐々木っていいます。汚いとこだけど、なんて私が言うことないわよね。さ、どうぞ」
女はそういうと部屋の中のほうへ戻っていった。僕は、あまり気はすすまなかったが、断って帰るのも不自然だったので上がり込むことにした。クーラーのないその部屋は、女性には本当に気の毒だった。
「失礼だけど、はじめてよね。いつからやってらっしゃるのかしら?」
「登録をしたのは二週間くらい前で、仕事は昨日初めて………」
「あら、じゃあ本当の新米さんね。なんて、ごめんなさいね。そうすると、会員番号は七十番くらいかしら」
ずいぶんと態度の大きな女だ。まあかなりのベテランなのだろう。こんなにもひとのことを子供扱いするのはちょっと許し難いが、とりあえずは松井が現われるまで無難な会話でつながなければいけない。