1-10 「うさぎ倶楽部」スタッフ心得
「ええと、いつもはこちらから一方的に説明するのだけれど、今日はあなたが非常に関心が高くて質問攻めにあったんで、ちょっと調子が狂ってしまいました。しかし、ここまでで必要な説明はほぼできたと思います。それでは最後に注意事項ですが、次の三つは必ず守ってください。
まず第一に、これはさっきも言ったのだけれど、あくまでも話を聞くだけだ、ということです。もちろん、相槌を打ったり相手が話しをつなぎやすくするために質問したりというのは必要なことです。なかなか話のペースに乗れない人に対しては水を向けるようなリードが必要なこともありますし、場合によってはあなたが感想を述べることも有り得ますが、それはすべて、あくまでもクライアントがこころゆくまで自分のことを語り、そうして、その話を真面目に聞いてくれている人がいると思うことによって満足してもらうための範囲で許されるのだということです。間違ってもクライアントと議論をしたり、なにか意見を述べてその人の生き方に影響を与えたりしてはいけません」
「はあ………」
「二番目は、絶対に個人的な関係に入り込まないということです。話が終わると、あなたのほうでもその人に対して親近感を持つこともあるでしょうし、クライアントの側でもまた会いたいという気になる可能性もあります。しかし、そこでお互いのプライベートな情報を交換したり、次に会う約束をしたりしてはいけません。場合によってはあなたに女性のクライアントを紹介することも有り得ますが、その場合には特に心してください。あなたは、そのクライアントにとっては、この大勢の人が蠢く社会の中に突然現れてきたいわば宇宙人のようなもので、その一定の時間が終わればまたどこか手の届かないところへ消えていってしまう存在でなくてはいけません」
「しかし、例えばそのクライアントがしばらくしてもう一度話を聞いてほしいと思ったときには、はじめてのメンバーよりもまえに話したことのある人のほうがいいのではないですか?」
「そのほうが良いか悪いかはケースによります。いずれにしてもそれは再度依頼があったときに僕のほうで判断することですから、あなたとしては、とりあえず今言ったことを理解して約束を守ってもらわなければなりません。このうさぎ倶楽部というのは、あくまでも聞き役派遣業なのであって、友達や恋人の紹介斡旋ではありません」
僕は、まだちょっと引っ掛かるものを感じたが、男の口調はまったく議論の余地がないほどに確信に満ちていたし、そもそもそういうシステムなのであるから、黙り込むより仕方なかった。そんな僕の気持ちを見透かすかのように、男は話を続けた。
「この点は、確かに納得しにくいかもしれません。クライアントの中にも、よく勘違いをする人がいます。しかし、まあ実際にやってみれば今僕が言っていることも徐々に分かってもらえるでしょう。
それと、三番目ですけれど、これはいまの話にも若干関係があるのだけれど、お金はすべて僕を通してください。大部分は直接の振り込みだから問題はないけれど、場合によってはその場でお金を受け取ることもあるかもしれないが、それはすべてその日のうちか、遅くとも翌日中にはこちらに通すこと、それだけはきっちり守ってください。いいですか?」
「分かりました。しかし、僕への支払いはどんな流れになるのですか?」
「一回の相談は原則として二時間だから、通常であれば基本の報酬が三千円で、それに交通費などをのせて月に一度精算をします。毎月の最終の金曜日にここで支払いをし、同時にメンバーのミーティングも行いますので、そのつもりでいてください」
「なるほど………」
「一応説明としてはそんなところですかね。そうそう、これはまったく当たり前のことだけれど、秘密は絶対に厳守してください。すべての基本です。
じゃあ、今日はこれで結構ですから、あとはこちらからの連絡をお待ちください。あ、さっき言ったうさぎのステッカーをお渡ししないといけませんね。それと、これが僕の名刺なんですが、裏がメンバーの登録カードになっています。この七十二番というのがあなたの番号ですから、仕事のときは必ず持っていてください。それと、僕のところへ電話をしてくるときにも、まずこの番号を言ってください。
あ、そうだ。大事なことを言い落とすところだった。あなたはクライアントの前では絶対に自分の名前を名乗らないでください。うさぎ倶楽部の七十二番、それがあなたがクライアントに対する時の名前です。それじゃあ、今日はこれで結構です。どうも長いことお疲れさまでした。暑いところご苦労さま」
そう言うと、男は立ち上がって部屋のドアを開けた。僕は、最後の方を一気にまくしたてられてよく飲み込めないままに、その男に促されるようにして立ち上がり、そのアパートを出た。
外は相変わらず暑く、どっと疲労が押し寄せて来た。