③
「『あのね、あのね、このこはキョン吉ってゆーの。キョン吉は、耳をなくしたウサギさんで、にんじんがだいきらいなのよ。それでアリクイとミートボールがすきなの。
かわいいでしょ。
このこ、とってもこわい目にあって、こんなふうになっちゃったの。
ぜんぶお母さんがわるいの。あんなこと…みーちゃんはやめてっていったのに』
はっ? な、何ですか」
少女の声色を使う条太郎を、昌雄は白い目で見ていた。
「気持ちわるッ」
「しょうがないじゃないですかー! みーちゃんがそー言ったんだから」
「みーちゃんだァ?」
「女の子の名前です。美里ちゃんって言う名前でして。これがかわいーんですよ。誰かと違って僕ロリコンとかじゃないんでわからないですけどこんなの、昌雄さん大好きな展開じゃないんですか? ロリロリ」
「うるさい。誰がだ! 大体お前さっきからずっと、どーでもいい話ばっかりしくさって要するに車はどうして爆発したんだよ」
条太郎は生意気な顔をして全く聞く耳を持たない。
「嫌だな、すぐ話の腰を折る人は。顔赤いですよ、おっと。まあもうちょっとですから聞いて下さいよ」
昌雄はもうそれはとても不機嫌そうに顔をしかめる。
「その子が大事に抱えていた縫いぐるみ、グショグショだって言ったでしょう。それがガソリンだったんです。
とんでもない。
僕をアホと思ってませんか? そんなのニオイですぐ分かるんで。煙草なんて喫いませんって。
すぐに窓を開けて投げ捨ててやりました。
えっ? ああ火を付けかけた吸い殻を、です。あんた鬼ですか。よくそんなかわいそうな事思いつくなぁ。
それから、僕は縫いぐるみの残った片耳をつかむと窓から外に出して。
違います。もーっ、ちゃんと聞けって。
乾かしたんです。
右の助手席に不安そうな顔で座るみーちゃんに、僕は聞きました。
それで、ママはどうしたの?
『どうろをはんたいにはしるのよ、ってお母さんがいったの』
はい、気色悪いとか言わない、話が進まないだろが。
ええとお母さんの言ったそれは車で高速を反対には走れないからでして、要するにみーちゃんは逃げていたんです。
誰から? さぁ、そこですよ。
じゃあ高速をこのまま走っていったらいるんだね?
と僕がギヤを一速に入れてアクセルを煽ると、『そっちにいくの? みーちゃんそっちにはあんまり行きたくない!』また怖がるんです。
いやだからそんな事言われても流石にUターンなんて出来ないし。でも何があるのか知らないけどみーちゃんは泣きそうな顔をしてるんです。
だから、こう言いました。
ママがいるのはこっちなんだろ? …不安なんだね、わかるよ。
でもどうなっているにしたって、現実から目を反らしちゃだめだ。
もし危ない目にあっているんだったらお兄ちゃんが助けてあげる。
僕がそんなに頼りなく見えるかい?
するとみーちゃんは首をふるふるさせて『ううん、そんなことない』
なっ。とこう頭を撫でて、えーっと何てったっけそうアルピニストだ。世界最高峰だって登頂されてんだぜ? 出来ない事なんてあるものか。
餓鬼なだめるなんてちょろいもんっすよ。すぐに目を輝やかせてほんと? ありがとうお兄ちゃん。
あーっ何て事を言うんですか、そんなベタな。オジサンなんて言われてないです、嘘じゃないです、もういーから。嫉妬? それはロリコンの嫉妬ですか?
うーん、でも正直に言うと…実は、ありがとうとは言われなかったんですけどね。
本当はみーちゃん、そのあと少し黙って、泣きそうな顔になって、でもきっと、もうおそいよって言ったんです。
とにかく注意しながら、僕のランボルギーニ・カウンタックで道路の左っ側をトロトロとアイドリング速度で走っていると、まぁそれでも楽勝で百二十キロくらいは出ちゃうんですけど、しばらく…。一、二十分ほどした頃ですかね、見つけたのは。ヘッドライトに照らし出された車……その、残骸を。
何だこれは、どうなってるんだ、ってなるじゃないですか。
それは路肩から、ガードレールのない道の外にまで突っ込んで、…もう燃えてはいませんでした。
そこで一体何が起こったのか!
車内にあったとんでもない物とは!
これだけは先に言っときましょう、黒焦げ焼死体だけはなかったです。でも実際は、もっとひどかった。
元は軽のワゴンだったらしいそのグシャグシャを、ちょっと追い越したところにランボルギーニを停めてハザードを焚くと、こんな遠くから歩いてきたのかい?
ううん、首を横に振って、『みーちゃんはもっとあっち』と後ろを指差すんです。
『お母さんがキョン吉をなげたの。くさむらのなかに、耳をつかんでグルグルしてなげたの。だから耳がないの』
変なとこで笑わないで下さい、不謹慎な。そりゃもちろん僕も、何でよ? って聞きましたよ。
『みーちゃんがゆうことをきかなかったから、お母さんおこったの。
車をおりて、どうろをはんたいにはしりなさい、ってゆったけど、みーちゃんやだっていったの。
それでみーちゃんがキョン吉をさがしてるうちに、くるまがはしりだしてみーちゃんおいてっちゃったの』
追い掛けなかったの? って聞くと、
『おいかけてきたのはタンクローリーよ。おっきいタンクローリーがお母さんの車にあぶらをかけたの』
まだ生乾きのキョン吉をみーちゃんに渡して、油ってこれ、ガソリンのことかい?
『うん。だからはんたいがわにはしったの』
どういう状況なのか全く掴めなかったんです。まさか家族旅行の途中に起きた悲劇、って訳でもなさそうでしょう。
パパはいなかったの? ってそんな時に聞いてしまったんですよね。
『お父さんはずっと昔に死んじゃった。でもみーちゃん平気』
気まずいんで僕、ガルウィングを開いて車を降りました。
そりゃあだってみーちゃん、下手したらお母さんまで死んじゃってるかも知れないわけですよ。そしたらきっと天涯孤独ですよ? 施設暮しでやさぐれますよ? 抜け出した場末でヤクザのヒモにつかまってシャブ中にされてできた子供も堕ろせと言われて逃げ出しますよ。詐欺まがいの事をしながら幼い娘と逃亡生活ですよ。あるとき騙し取った重要秘密書類が金にならないばかりか命を狙われるはめに、夜中にタンクローリーに追い回されたりしたら、それこそ不幸の連鎖じゃないですか。
君はカウンタックの中にいるんだよ、まだ危ないかも知れないからね、っつって車を調べる事にしたんです。
近寄るとまず、プラスチックの焼けた、体に悪そうな臭いが漂っています、煙もまだくすぶって。
何度も何度もぶつけられたみたいに車体はボコボコにへこんでて、暗くてもはっきりわかるくらい変色して黒く焼け焦げてるんです。窓ガラスも全部割れて、タイヤも熔けてバーストしていまず。
こわごわ携帯電話のライトで車内を照らすってーと中にあったのは!!」
「話しが長いっ!」
ずっと一人で喋り続けていた条太郎に、昌雄はいい加減しびれを切らせて張り倒した。
「痛ったー。もう、人の頭をポンポンとー」
「どこが『もうちょっと』だってぇの。もっと端折れ、三行で説明しろ。引っ張り過ぎだ」
「えーっと、はい。じゃあ敵は、NASAだったんです」