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こんな事件さえなかったら僕なんか絶対に知ることはなかったんでしょうけど、アンリ・ルソーっていう画家がいたんです、多分フランス人で。ええ、あーいう系はまずイタリヤとかフランスで間違いないでしょう。
さあ、いつの人かはちょっと。大昔の人です。
税関吏をしてて15ペソくらい横領して捕まったり、バレたとき着服したお金で宝くじ買ってたり、頭悪いんです。
ぜんぜんモテなかった男でしてね。ハハッ昌雄さん似てますねその辺。
痛い。
死んだときにすら、片思いだった女に嫌われていて、お葬式にも来てもらえなかったという…。
ルソーは知りあいの肖像画を描いたとき、わざわざ定規で顔の、目とか鼻のサイズを計ったりしてんです。なのに、ぜんぜん似てない。
すっごい綿密に、丁寧に描くんです。でも似てない。
そう、ルソーの絵って言うのは基本、下手くそなんです。
ライオンの絵は図工の教科書に載ってなかったかな、小学校くらいのとき。詳しくは後で言いますよ。
ぱっと見そんな幼稚な絵なのに、こんな僕なんかでもふっと感じ入るような、不思議な雰囲気を描く人なんです。繊細で。
……僕は金沢の美術館でそれを見る事になったんです。
と言うのもね、先週は金曜から僕いなかったでしょう、カウンタックでドライブに行ってたんです。
もちろん一人じゃないっすよ。行きつけの高級クラブの女の子とです。
角んとこにあるエミールって店なんですけど、行ったこと…ある訳ないですよね。
もうモテちゃってモテちゃって。ん中で一番人気のマリンちゃんて娘と日本海で温泉でも浸りに行こうか、って。
顔のいい男は得でしてね。
彼氏と別れたところだって言うんですよ、「寂しいの、慰めて」なんて言うんすよ、もうウハウハで。
んでもマリンちゃんなんてどーでもいいんです。
あのクソアマ。
違います。やらせてくれなかったとかじゃないです。そんなレヴェルと一緒にされるなんて、心外だなあ。
途中、ドライブインでね。
早い時間で閉められて、後は自販機しかないようなとこです、山奥で人気のない。
夜景とか星空とかがいい雰囲気なとこがあるんです。あそこに連れてって恋の話でもしたらまず1200%落ちますよ、秘密ですけど場所は。
夕焼けが消える頃に、
「疲れたから飲み物でも買う?」
なんつって車を降りたら木製のベンチでね。
誘惑するんです。
「たまってんじゃないの」
なんて言っちゃだめですよ。台なしじゃないですか。優しく見つめながら
「俺に甘えろよ」
なんて言うんです。
じゃあ、満天の星が輝くより前にもう二人ともムラムラしちゃってる訳ですよ。
もよおしちゃってる訳ですよ。
ホテルを探すのもまどろっこしいッ! ってくらい。いや、ここだけの話、チェックはしておいたんですけどね、近くの連れ込み宿。そこんところはぬかりないです。
火照って汗ばんだ手を握って、人影のない場所に引っ張っていって一首
もどかしい腕に絡んだブラウスを
脱がせる為にボタン跳ばして
…いえ。
愛撫さえじれったい、早くっ、もう! って。
で、さあ、ってなった時ですよ。
土管。マリアナ海溝。いや違うな、ブラックホールと言っても過言じゃない。
はい。もうガバガバで。聞いたら元彼外黒人だって。
「入ってんの? えっ、本当に、今!?」
なんてゆーんですよ。もう僕、男として立つ瀬が。
何を言ってるんですか、ぼ、僕は標準です。
うるさい。もう話しませんよ。
………。
で、そのまま置いて帰りました。
カウンタックでフル加速しましたからね。アクセルべた踏みで、ズキュゥゥン!! ですよ。V十六エンジン四百六十馬力がもう吠え泣きましたって。涙目で二百四十キロをマークしましたから。自己新です。
マリンちゃん? さあ。
言ってもたまに車通るんで、そこ。大丈夫だったんじゃないですか。
そんな話はどうでもいいんです。
ここからが本題。
ただ、もう道程は半分以上来ちゃってるんで、どうせだから傷心もかねて海まで、日本海の荒波でも見て帰ろうと。
それで高速をぶっ飛ばしてたんです。
夜で、他に車なんか一台もないんで遠くからポツポツ光る常夜灯とランボルギーニのHIDヘッドライトだけが暗闇から物の形を浮かび上がらせて、他は何も見えなくて。
通り過ぎて顔を照らすそんな光に涙をきらめかせていたからすぐ近くまで気付かなかった。
小さな人影、それがライトで照らし出されたのは本当にすぐ目の前だったんです。
道路の真ん中ですよ。いえ、轢いた訳じゃなくて、横をギリギリ擦り抜けました。一瞬で通過したんで、よく確認出来なかったんですけど、子供のようでした。反射的にブレーキを踏んで道路傍に停めたんですけど、……でもちょっと待てよここは高速だ。そんな筈はない、と。
で、バックミラーを覗いてみると、何もいない。
あぁ何だ見間違いか、きっと何かのショックで気が動転していたからそんな幻でも見たんだろう、そう言い聞かせて納得しようと、その時。
いたんです。
暗くて見えなかったのが、一つ後ろの水銀灯に照らされて、やっと見えて。
歩いているんです。
振り返って、窓を開けて。あっ車、左ハンドルなんでこっちの窓をこう。
縫いぐるみを手に持った子供が一人、歩いているんです、その後ろ姿が見えて。
こっち向いてたら恐くて逃げてたかも知れないですよね。『妖怪ナントカばばぁ』でも二百キロには付いてこれないでしょうきっと。
でも反対に、…後ろに遠ざかっていたんです。ハザード炊いて、車をバックして追い掛けました。危ないじゃないですか轢かれたら。注意しないと。僕でもそれくらいの義侠心はありますよ。
ただその間、車の一台だって通っちゃいないですけどね、田舎の交通量を舐めないで下さい。
で、ランボルギーニをその子の隣に寄せて、ガルウィングを上にがっと開いて、
「危ないだろ」
って言ったら、その子裸足なんです。
年の頃は5、6才の女の子、別に貧乏な恰好をしてた訳じゃなくて、顔立ちも身なりもそれなりにいいんです。伸ばした髪をリボンで束ねて、しまなみなんかじゃない薄い高価そうなドレス風子供服を着て、泥か排ガスで汚れてはいるものの。
ただ抱えていた縫いぐるみが異様に濡れてました。
「どっから来たの?」
聞くと、怖がっていて何も言わないんです。こんな優男を見て、何を恐れるってんですかね。まぁ子供っても女の扱いには馴れてますから僕。
「お兄さんがいいところに連れてってあげるよ」
なんて言ったら誘拐じゃないですか。絶対付いてきませんから。
「君、名前は? こんなところにいたら危ないよ」
不安そうに、こっちを見るんです。
「おにいさん誰?」
「アルピニストさ」
適当な事を言って、納得させさえすればいいんです、女なんて。ちゃんと言ってもどうせ分かる訳ないんですから。
「何? それ」
「困っている人を見掛けたら助けてあげるって仕事なんだ」
したら、その子が、
「じゃあお母さんを助けて!」
僕ってほら、女難の相が出てるってよく占い師とかに言われるんですけど、これは判断に困りまして。
捨ててゆくわけにもいかないんで反対側のガルウィングを開いて乗せました。
「その縫いぐるみ、何でそんなに濡れてるの?」
と、車で、話を聞くことにしたんです。