三
次の日から、ロザンネの恐れていたことが起こり始める。
ガイレルとミランダはお似合いだ、という意見が広がり、学年によっては卒業してすぐ結婚するのでは、という噂まで広まる始末。
さすがに最高学年は、ガイレル本人が無反応のため状況を見守っている者が多いが、ミランダ崇拝者の多い学年でもあるため、噂は十分広まっていた。
ミランダも満更ではない表情を浮かべており、ガイレルの姿を見つけては頬を染める。それを見た崇拝者は、俄然やる気を出すという悪循環だ。
そして今、一番恐れていた事がロザンネの目の前で起こっていた。
「ガイレル様、お隣よろしいかしら?」
「ミランダ嬢。殿下、よろしいですか?」
「あ、あぁ。私は構わないが。いいかな?シャーロ」
「わたくしは構いませんわ」
「ありがとうございます。それでは失礼いたします」
その光景を見たロザンネは、思わず手に持つ昼食を落としそうになりながら、よくないよ! と心の中で叫ぶ。しかし、ミランダは無事、最近両想いが発覚して学校でもラブラブなオーランド殿下とシャルロッテ、そしてその向かいに座るガイレルの輪の中に入っていった。
もちろん周りはその目立つ集団に興味津々だ。特に今、噂の中心にいるガイレルとミランダに注目が集まる。ロザンネは見ていられなくなり視線を逸らすも、諜報員の悲しいさがなのか、耳は情報を得ようとそちらに向いたままになっている。
「殿下とシャルロッテ様は仲がよろしくて羨ましいですわ」
「そう言ってもらえると嬉しいよ。ね、シャーロ?」
「そ、そうですわね」
「やはり愛している人と共にいられるのは幸せな事ですよね」
ミランダの言葉に思わずロザンネは振り向いた。何故なら、ミランダの言葉は『私も愛するガイレル様と共にいられて幸せなんです』そう言っているように聞こえるからである。周りで聞き耳をたてていた者達も騒ついていた。
しかし、当の本人であるガイレルは会話にも入らず、黙々と食事をしている。その事にホッとしつつも、噂を否定するような言葉を言ってくれればいいのに、とロザンネは思わずにはいられなかった。
いったい貴方様は何を考えているの? そう問いかけるようにガイレルへ視線を送る。すると、ガイレルの澄んだ橙の瞳と目があった。そして、少し眉を下げ困ったような笑みをこちらに向けてくるではないか。
ロザンネは目を離さなければと思うのにできなかった。
恐怖、嫉妬、焦り、寂しさ、欲、希望、安心感
どれが己の今の感情なのかもわからない。
その時、ガイレルの不自然な視線の先に気付いたミランダが、視線を追うようにしてこちらに振り返った。慌てて視線を外したロザンネであったが、この時のロザンネは混乱ですっかり忘れており、後からその存在を思い出すと頭を抱えた。そう、ミランダの周りに常にいるであろう崇拝者達の存在を。
****
その日、ロザンネは学校の図書館から寮へと一人で戻っていると、背後からつけてくるような複数の人の気配を感じた。嫌な予感がしたロザンネは、一人は危険と判断し、人のいるだろう庭へと向かう先を変更して歩く。
しかし、そんなロザンネの背後から声がかかった。
「ねぇ! そこの貴女、ちょっと止まってくださる?」
「……私のことでしょうか?」
ロザンネは嫌々ながらも振り返ると、吐きそうになるため息を懸命に飲み込んだ。振り返った先にいたのは、女性が六人、それも皆がミランダ崇拝者だったのだ。
「御機嫌よう。えっと、私はロザンーー」
「挨拶はいいわ。貴女のことは知っているから」
いや、私はよく知らないし! と叫びそうになるが、ロザンネはグッと堪える。大体の要件はわかっているのだ。下手に返せば面倒なことになる。
「そうですか。それで、私に何か御用でしょうか?」
「貴女、ガイレル様のことが好きなのでしょう?」
まさかの切り出しにロザンネは僅かに目を見開いた。そんなにわかりやすかったかしら、と動揺するものの、表に出すなんてヘマはしない。微笑みを浮かべたまま口を開く。
「突然、なんの話をされているのでしょうか?」
「隠しても無駄ですわ。この前の食堂でのことは知っているのよ。貴女、わかっていらっしゃるでしょうね?」
「何がでしょう?」
「ガイレル様にはミランダ様という婚約者がいるのよ。下手な希望は捨てなさい」
自然と握りしめた手に力が入る。何故目の前の者達は、ミランダが婚約者であることがすでに決まったことであるかのように話すのだろうか。噂を流す程度ならばよいが、決定事項としてガイレルに好意を抱く女性への脅しに使うとなれば話は違う。
「このような事をしているとミランダ様はご存知なのですか?」
「そんなこと貴女には関係ないでしょう?」
「確かに関係ないと言われればそれまででしょうが、婚約者とは個人ではなく、家に関係すると理解した上で、皆様はそのようなことをしているのですよね?」
「な、なにが言いたいのよ!」
だから、ガイレル様の関係者にまで迷惑のかかるような嘘をあなた達は堂々とついているのか、と聞いているのだ。ここまできたらミランダの為だなんて言い訳で済むことではない。噂だけならはっきりとした証拠はなかったが、これなら証拠は十分だろう。
放っておけ、というガイレルの言葉を無視することになるが、深く考えていない目の前の者達がこれ以上ガイレルの迷惑をかけるのは許さない。
「ですからーー」
「あら、こんなところでどうなさったの?」
「ミランダ様!」
「!」
ロザンネが口を開いたタイミングで廊下の先からミランダが突然現れ、話に割り込んできた。ロザンネは驚きと共に、ミランダの気配に気づかないほど気が立っていたのか、といっきに冷静さを取り戻す。崇拝者達はミランダの登場に喜び気づいていないが、優しげな微笑みを浮かべているミランダの目は笑っていなかった。
ロザンネはタイミングの良さから、話を聞いていたのだろうと判断する。
「廊下で騒いではいけないわよ?」
「ミランダ様! この者が立場を弁えずに」
「えぇ、貴女の言いたいことはわかっているわ。けれど、騒いでは駄目、貴女もそう思うわよね? ロザンネ・サイソニア様?」
「……はい」
確かに自分自身もヒートアップしていたので非は認める。
だが、もう少し早くミランダが出てくればこんなことにならなかったのでは? とも思う。大方、崇拝者をロザンネに仕向けたのはミランダで、上手く丸め込めればいいと考えていたのだろう。
ミランダまで絡むと事が大きくなりすぎると判断したロザンネは、その場を後にしようと挨拶をする。すると、ミランダは変わらぬ笑みを浮かべながらロザンネに囁いた。
「私、ガイレル様が好きなの。だから、諦めてちょうだいね」
その言葉を聞いた瞬間、ロザンネはカッと顔に熱が集まっていくのがわかった。
私だって好きよ! そう叫んでやりたい。でも、言ってはいけないのだ。落ち着け、と何度も己に言い聞かせれば、後からやってくるのは悲しみだった。
私だってそんな風に堂々と言えたら。この胸に秘める想いを打ち明けられたら。もっと自分に自信があったら。
そう思うと、涙が溢れそうになり、ロザンネは咄嗟に顔を伏せる。
「あの方に相応しいのは私よ」
「なんの話でしょうか?」
「!」
「ガイレル様!?」
突然、低く身体に響くような声で、会話に割って入ってきたのは話の中心人物でもあるガイレルであった。そこにいた者全員が、予期せぬ人物の登場に驚きを隠せない。
「その話、私にも聞かせてもらいたい」
そう言いながら、ガイレルは自然にロザンネの隣に立つ。そのことに一瞬ミランダが不服そうな表情を浮かべるも、すぐに完璧な微笑みへと戻った。
「そんな、ガイレル様にお聞かせする程の内容ではございませんわ」
「それでもいいのですよ? さぁ、ミランダ嬢、お聞かせください。もちろん、ロザンネ嬢でも構いませんよ」
「い、いえ。殿方にお話するにはお恥ずかしい内容ですから。ねぇ? ロザンネ様?」
「……」
「ロザンネ様!」
ミランダは表情を作るのも忘れ、ロザンネを睨みつける。一方、ロザンネは困惑していた。もしこのまま話が続けば、必然的に婚約者の話になってしまう。その話題に触れず、やんわりと噂を聞き流せば、ミランダに傷をつけることもなく、ただの噂として終わらせられるのに。
何故ガイレルは話に入って来たのだろうか。なんのために……ロザンネはガイレルの考えが理解できず、どうやって話を持っていくべきかわからなかった。
「ガ、ガイレル様、あの……」
「なんでしょう? 全て話してくれて構わないですよ、ロザンネ嬢……私はもう隠すのをやめますから」
ロザンネは驚きで一瞬固まるも、すぐに我に返り、首を横に振る。ガイレルはロザンネが婚約者だと言うつもりなのか。そんなことをしたら、今までの伝統を踏みにじる事になるし、国を裏切ったとまで言われかねない。
しかし、ガイレルはロザンネの考えはわかっている、と言いたげに小さく頷くと、ロザンネに優しく笑いかけた。
それだけでロザンネの心臓はドクンと大きくはねる。今までロザンネはガイレルの近くにいくことも、話すことも避けてきた。いつどこでバレるかわからないと気を張っていたのだ。唯一の繋がりは仕事の手紙だけ。
それなのに、今はこんなにも近くでガイレルを感じられている。ロザンネは今の状況も忘れ、細やかな幸せを噛み締めた。
「お二人は何を話されているのですか?」
ミランダの不機嫌そうな声に意識を引き戻されたロザンネは、再びミランダへ視線を向ける。そのロザンネの表情にもはや迷いはない。
「先程の話を聞きたいとガイレル様からお願いされただけです。私は構いませんが、いかがなさいますか?」
「だ、駄目ですわ! ガイレル様、申し訳ありませんが、これは女性同士の問題でございますゆえ、何卒お許し頂けませんでしょうか?」
「そうですか。そこまで言われては無理には聞けませんね」
ミランダはホッと胸をなで下ろし、感謝の言葉を述べた。ミランダが引き際を見誤らなかったことで、無事この話は終わりだろう、誰もがそう思った時、今まで空気のようだった崇拝者の一人が声を上げた。
「ミランダ様、何を恥ずかしがっていらっしゃるのですか? この機会にお伝えすればいいのですよ」
「お黙りなさい」
「何故ですか!? 私達はミランダ様のためを思って申しているのですよ? ガイレル様、ミランダ様はとても素晴らしいお方ですわ。ガイレル様の婚約者に相応しい方はミランダ様しかおりません!」
ロザンネは呆れた表情でその崇拝者の女性を見つめる。きっとこの女性は、本心からそう思っているのだろう。だからこそミランダのために動いてきたのだ。そしてミランダも、その気持ちを利用してきた。しかし、周りを見れない程愚かなことはない。
実際、目の前のミランダの目には焦りの色が見えた。どうせ噂は外堀を埋めるための手段の一つと考えていたのだろう。
「私もミランダ嬢は素晴らしい方だと存じておりますよ。しかし、貴女に勧められなくても、私の婚約者になる者はすでに決めております」
「まさかそれは!」
何故だろう、崇拝者達だけでなくミランダまでもがガイレルの言葉に期待の眼差しを向けている。
ロザンネはガイレルがどのように解決するのかわからなかったため、一歩引いてその光景を眺めていた。
だが、ロザンネがあけた距離は、ガイレルによってあっという間につめられた。ガイレルはロザンネの方に振り返ると、少しいたずらっ子のような見たこともない笑みを浮かべ、ロザンネの手をとったのだ。
「もちろん、私の愛するロザンネ・サイソニア嬢、貴女ですよ」
「へ?」
ロザンネは驚きで口をパクパクさせながら、ガイレルと彼にとられている己の手を何度も交互に見つめる。それを何とも面白そうにガイレルは目を細め見ていた。