9:実食、アクアハウンドの肉
「おいコラ待ててめえ! こんな時に魚だと! もうビックリするわ! てめえの空気の読まなさ!」
「そんなこと言ってもなぁ。ところで辛そうだな」
「そ、そう思うなら手伝いやがれ!」
「断る。何故無料働きなどしないといけないんだバカらしい」
「ぬぁんだとぉ!」
アノールドは目を血走らせながらも、モンスターたちの攻撃を上手く捌いている。そしてすかさず攻撃を弾いた勢いで体を回転させてミュアの目の前に立つ。見事な立ち回りだ。
しかし周囲は四体のバーバラスベア。一呼吸でも気を抜けば、ミュアに攻撃が降りかかってしまうだろう。
そんな様子を見ても、日色は平静を保っている。
それよりも空腹が勝ち、腹の虫がうるさいので次第に苛立ちが募ってくるのだ。
(さて、どうするか……腹の虫はうるさいし……。こっそりと食う? いやバレるか……さて)
ジィ~っと香ばしいニオイを醸し出している魚を見ていたその時、ナイフが足元に投げつけられてきた。
地面にグサッと刺さったそれを見て、投げたであろう人物を睨む。
「おい、何のつもりだオッサン」
そう、ナイフを投げつけてきたのはアノールドだった。
「よ~しよしよし、よ~く聞けよこのすっとこどっこい! そ、その魚はくれてやる! だから手を貸せ! これは取引だ! 食べたかったら言うことを聞け!」
「断る」
「なぁっ!?」
まさかこの期に及んで断られるとは思わなかったようだ。
「今ならこの魚を奪い、オレは逃亡できる!」
「鬼かてめえは!」
「冗談も分からんのかオッサン」
「この状況で何難しいことを要求してやがんだぁ!」
まさにマイペースまっしぐらな日色だった。だがしかし、このままここにいても腹は減る一方である。ここはまず、この不愉快な腹の音を止めるのが先決か。
(仕方ない、魚のために一働き……)
だがその瞬間、アノールドがモンスターの腕を剣で斬り落とし、その斬られた腕が反動でここまで飛んできて、ものの見事にたき火の上に落ちてしまった。
※
「………………あ」
「え? あ、う、うっそぉぉぉぉぉっ!?」
魚は無残にも腕の下敷きになり、食べられないほどの砂や小石などが調味料のようにガッツリとかけられていた。アノールドは物凄い形相で絶叫する。
またそれを見た赤ローブは、気持ちが段々と萎えていくのを感じたのか、
「……さて、先を急ぐか」
その場から歩き出した。
「オイオイオイオイオイオイィッ、ちょっと待てっつうの!」
「……何だ? 契約の代物がこうなった以上、オレは動く気力が出ないぞ?」
「ぐ……」
確かにこれが赤ローブの不手際だとしたら責任を押し付けることもできただろう。
しかし返事ももらえていない上に、故意では無いにしても、アノールドのせいで魚という交渉ができなくなったのも一理ある。
それでもここで赤ローブが動いてくれなければ、ミュアを守りながら凶暴なモンスターを相手にしなければならないということになる。
一人なら負ける相手ではないが、ミュアを守りながらとなると難しいのだ。できればアイツの手を借りたい。
(くそぉ、アイツを動かすには……)
物凄く不満だが、ミュアを守るためなら致し方ない。
赤ローブの実力を少しは理解しているので、何とか言うことを聞かせられないかと考えピンと来た。
「よ、よしっ! おい小僧! って聞けよ!」
無視して歩き出そうとしている。
「ああもう! こうなったら最後の手段だ! お、お前に『アクアハウンドの肉』を少し分けてやるから手を貸せぇぇっ!」
すると赤ローブの耳がピクリと動いて足が止まった。
肉と聞いて少し興味が惹かれたのか?
「…………何だそれ?」
「知らねえのかよぉぉっ! 高級肉の一種だぞ! 焼けば舌で蕩けてやみつきになるんだぞぉ!」
「…………ほう」
赤ローブの目が興味を惹かれたようにキラーンと光るのを見て、アノールドはホッと息を吐いた。
※
「やみつき……ねぇ」
その言葉を聞いて、日色は以前食べた『やみつき海鮮麺』のことを思い出していた。
あれは美味かった。とんでもなく美味かったと。もう一度食べたいと心から思っている。
だからこそ、アノールドが言ったやみつきという言葉に反応した。食べることが大好きな日色としては、美味い物が食べられるのなら願ったり叶ったりなのだろう。
「おい、その話は本当だろうな?」
「ああ? 当り前だろうが! こんな切羽詰まった状況で冗談なんか言えるか! けど勘違いすんなよ! 全部じゃねえぞ全部じゃ! うおっと危ねえっ!」
空気を切り裂くようなバーバラスベアの爪をかろうじてアノールドが避けた。
「クソが! いいか小僧! とんでもなく美味えのは保証してやる! けど分けてやるだけだからなぁ!」
しかしその直後のことだ。
アノールドが日色に意識を集中させ過ぎたため、ミュアの守りが疎かになってしまう。そこを隙だと判断したバーバラスベアの一体がミュアを大きな手で掴んだ。すぐにそのまま口へと運んでいく。どうやらミュアを食べようとしているようだ。
「きゃあっ!」
「しまったぁっ!」
ミュアが敵の手に落ちたと思った瞬間、ミュアを掴んでいた敵の腕がバッサリと斬り落とされる。
「グギャァァァァッ!?」
手から滑り落ちて少女が地面に向けて落ちていく。ミュアは体にくるであろう衝撃を覚悟して目を強く閉じる。アノールドもその光景を見て叫ぶ。だがそこへ、
「よっと」
「……え?」
日色がミュアを優しく抱えていた。
彼女が覚悟した痛みなど毛ほども無かったはずだ。
「……立てるか?」
「え、あ……はい」
「なら立て。それと戦いの邪魔だ。奥で隠れてろ」
ミュアはぼ~っとこちらを見つめていた。
アノールドもミュアの安全が確保できて安堵している。
だがそんな二人の様子が気になった日色が不機嫌そうに眉を寄せる。
「おい、早く隠れてろチビ」
「あ、はい……です」
小さく頷きを返し、何かを言いたそうな表情のままその場から去って行く。
「そしてオッサン、ぼ~っとしてないでさっさと戦え」
「う、うるせえ! てめえこそ油断して死んでも知らねえぞ!」
「ぬかせ。こんな奴らに殺られるか」
刀を構えて攻撃の準備に入り殺気を相手に向ける。完全に敵を殺すつもりだ。それが襲ってきたモンスターに対する日色の対処の仕方だった。
僅かな情さえ無くした敵意は殺意となって、周囲を支配する。それにバーバラスベアも反応して、四体ともが脅威の対象として日色に意識を集中させた。
「一体一体めんどくさいな。おいオッサン、コイツらを縦一列に誘導しろ」
「はあ? お前何言って」
「とにかくやれ。質問は後だ」
「このっ……しょうがねえな!」
諦めたように息を吐き、目つきを鋭くしてバラバラに陣取っているバーバラスベアを睨み唇を舐める。
「やってやるが、巻き込まれたくなきゃ下がってな!」
「偉そうに」
日色は愚痴を言いながらも、何をするのか興味を惹かれて大きく一歩下がっている。
改めて表情を引き締めたアノールドが大剣を逆手に持ち、
「はぁぁぁぁぁ……」
ギリギリと剣を握る手に力を込める。
すると先程まで吹いてはいなかったのに、突然風が吹き始め日色の頬を撫でていく。
その風が徐々に強くなり、驚いたことにアノールドが持つ剣へと渦を巻くように集束していく。
アノールドがフッと瞬時に息を吸ったと思ったら、突如体を捻りながら地面から上空へと、勢いよく剣を突き上げた。
「――《風陣爆爪》っ!」
――ブウオォォォォォォォォンッ!
地面から、いや、アノールドを中心にして、とてつもない爆風が下から上へと吹き荒れる。まるで小さな竜巻である。離れていた日色も、自分の体が浮くのではと思ったくらいだ。
日色でさえそうなのだから、その渦中にいるモンスターたちは、抵抗の術なく上空へと舞い上げられた。
「ほう、やるもんだな」
それを見た日色は感嘆の息を吐く。
実際アノールドはいつでもこんなふうに敵を飛ばせたみたいだが、近くにミュアがいたため使えなかったようだ。
「しかも魔力をほとんど感じなかったぞ。……アレは魔法じゃない?」
疑問を浮かべている最中にもバーバラスベアたちは、無数の真空の刃で体に傷を負いながら上空へと舞い上がっていき、やがて落ちてくる。しかも日色の要求通り縦一列にだ。
「ふん、別に空からでもいいんだろ?」
「ああ、上等だ」
返事をすると刀の先を落ちてくるバーバラスベアに向けて照準を合わせる。
「お、おい何を……?」
「黙って見てろ」
アノールドの問いを、ズバッと斬って捨てる。彼はムッとなるが、言われた通り見守ることにした。
「伸びろ、《文字魔法》!」
『伸』と書かれた刀身は、急速に伸びて落ちてくるバーバラスベアの体を突き刺していく。
重力も相まってか、それとも『刺刀・ツラヌキ』の鋭さのお蔭か分からないが、全く抵抗無くすんなりと肉体を突き進む。
その光景を見てあんぐりと口を開けているアノールド。ちなみにミュアも遠目に「す、すごい」と呟いている。
そんなことは露知らず、日色は四体分突き刺さったと判断すると、そのまま刀を体の正面へとゆっくり移動させる。
バーバラスベア四体分の重力を受けた衝撃が地面へと伝わり大地を揺らす。しかし四体はバラバラにはならず繋がったままだ。伸びた『刺刀・ツラヌキ』によって。
そして呻き声を上げながら、次第に絶命していく様を刀越しに感じ取った日色は呟く。
「バーバラスベアの串刺し、一丁上がりだ」
戦闘終了の言葉だった。
戦闘が終わり、『元』の文字を使い刀の長さを元に戻す。
それにしても、この『刺刀・ツラヌキ』の切れ味ならぬ突き味は極上としか言えないだろう。まるで豆腐を貫くように簡単に相手の体を突き進んだ。
(さすがは突きに特化した刀だな)
満足気に頷く日色を見て、それまで黙っていたアノールドがようやく口を開く。
「お、お前……今何やったんだ?」
「そんなことより、あのチビの心配はいいのか?」
説明をするつもりはないので、早々に話題を変える。
するとアノールドはハッとなりミュアの名前を叫ぶ。岩の陰に隠れていたようで、ゆっくりと姿を現した。
「け、怪我はねえか?」
「う、うん」
「よ、良かったぁ~」
心底安心したのか、アノールドはその場でへたり込む。日色はそれを一瞥した後、静かに刀を鞘に納める。
それと同時に腹がぐ~っと鳴ったので、腹を押さえながらアノールドに近づく。
「おいオッサン、約束は守れよ?」
「…………何のことだ?」
「ほう……」
シャキンと刀を少しだけ鞘から抜く。
「じょ、冗談だ冗談! だからそれをしまえ!」
「いいからさっさとそのやみつき肉とやらを食わせろ。腹が減って仕方が無い」
「…………はぁ、ごめんなミュア。まさかこんなとこでアレを食べるハメになろうとは……」
「う、ううん。助けてもらったんだもん。そ、それにご飯はみんなで食べた方がおいしいよ?」
「うおぉぉぉぉ! 何て良い子なんだミュアはぁ!」
感動したと叫びながらミュアを抱きしめる。普通ならその光景を微笑ましく見るのだろうが、日色はまたも腹を押さえながら言う。
「どうでもいいが早くしてくれ。腹が減った」
この態度である。ピキッと青筋を立てたアノールドだが、日色に何を言っても無駄だと悟ったのか、溜め息を吐きながら二人を誘導する。
「こっちに来いよ。用意すっから」
「あ、わたしが用意するよ!」
ミュアが、ここからは自分が二人のために何かをするんだと言わんばかりに動く。先程のたき火がある場所だ。
「え~っと、確かこの辺に……あ、あった!」
岩陰に手をやりゴソゴソと動かし、そこからかなり大きな袋を出す。その袋を開け、中からまた袋を取り出す。その中には重量感のありそうな塊が入っていた。
「それがそうか?」
「は、はい! この中に……コレです!」
そうして取り出したのは、糸で縛ってある肉だった。大きさはラグビーボールほどある。それなりに大きい。
「えっと、コレが《アクアハウンドの肉》です。しかも一番おいしいとされている腿の部位です!」
どうだと言わんばかりに目の前に突き付けてくる。その目が若干輝いているので、本人もその肉を手にして食指が動いているのかもしれない。
「どうでもいいから早く食わせてくれ、早くな」
「ホント偉そうなガキだなてめえな。できるまでこの果実でも食ってろ。けど俺の分は残せよ」
「……善処しよう」
「いやいや、残してよねっ!」
アノールドがミュアから受け取った袋から取り出した、拳くらいの大きさの赤い実の、六つのうち二つを両手に持ち口に運んだ。
これは《ゴリンの実》と言って、日色も幾つか食べたことがある実だった。リンゴのような味がする実だ。
「調理できるまでそれでも齧って―――――――――」
「おかわり」
「早ぇよ! しかも覚悟してたけどやっぱ全部食べたのかよっ! ああもう、肉も用意すっからちょっと待ってろ!」
そう言うと木の棒を利用して、たき火の中から大きな石を取り出す。真っ赤になった石は、見た目通りとてつもない熱を宿していることが判断できる。
「置くよ、おじさん?」
「ああ、火傷するなよ」
「うん!」
ミュアが、石の上に肉を置く。
ジュゥゥゥゥゥッと美味そうな音が響く。
しかも段々と色鮮やかに変色していき、肉汁と香ばしい匂いをこれでもかというくらい放出している。
三人が三人ともゴクリと喉を鳴らすのは仕方が無いと言える。幼いミュアも、肉に釘付けである。
「お、おい、もういいんじゃないか?」
「いやまだだ。この肉が最高に美味くなるのは、ある現象を起こした時だ」
「現象だと?」
肉から染み出ていた汁が、一旦止まる。
そこで縛ってあった糸を切る。
すると驚いたことに、肉が徐々に膨れ上がっていく。
「お、おいこれは!?」
「これが肉膨張だ! 《アクアハウンドの肉》だけが、こうして肉から余分な脂が出たら、膨らんできやがる。大体三倍くらいにはデカくなる」
三倍は凄いと思った。元々の大きさでさえラグビーボールの球くらいあるのだ。それが三倍なので、かなり大きい。
そして膨張がピークに達した時、プルンプルンと、肉らしくない様相を呈してきた。
これは本当に肉なのかと思ってしまったが、匂いは間違いなくそうだと教える。気づけば唾液の分泌が止まらなくなっている。
「よしミュア、容器を出してくれぃ!」
「うん!」
アノールドのテンションもMAXのようだ。ミュアも嬉しそうに頷きながら袋から三つの容器を取り出す。
ミュアはアノールドから、彼が腰に携帯していたナイフを受け取り、肉に素早く横一文字に刃を入れていく。
驚くべきことに、見事に抵抗なくプリンを切るような感じでナイフが進む。三等分にカットすると、それぞれの容器に入れる。
すごい重量感だった。大きさもあるだろうが、その存在感が強いのだ。普通ならこの大きさは食べられないと思うが、不思議なことにこれくらいはペロリといける予感がした。
「あ、ああ! ま、待ってください!」
日色は堪らず食べようとしたが、ミュアが止めてくる。
「何だ? これ以上待たせるのは拷問だぞ」
腹の虫がさっきから警報を鳴らしているのだ。これ以上放置しておくと、何かが生まれてきそうだ。
「あ、す、すみません! で、でもコレをかけて初めて完成なんです!」
彼女が袋から取り出したのは、細長い容器に入ったソースのような物だった。
「それは?」
「《オルチーの実》で作った特製ソースです」
「……よく分からんが、それをかけるともっと美味くなるんだな?」
「ああ、やみつきどころか、昇天しちまってもしんねえぜ? 何てったってミュアが作ったんだからな!」
「お前が?」
「あ、その……はい」
アノールドが「へへへ」と含み笑いを浮かべる。
相当ミュアが作ったソースに自信がありそうだ。ミュアは照れ笑いを浮かべている。
「ふっ、面白い。その提案に乗ってやろう!」
ソースはケチャップのような色をしてはいるが、ドロドロしているものではなく、どちらかというとサラサラしている。それからは、微かに果実の甘い香りが漂ってきた。
「よし! これでホントに完成だ!」
「うんうん!」
「ふむ」
それぞれが反応する。
「「「いただきます」」」
日色は貸してもらったフォークをナイフ代わりにして肉に入れてみるが、いとも簡単に寸断する。柔らかさ抜群だ。適当な大きさに切って口へと運ぶ。
「あむ―――――――――っ!?」
―――――――――脳天に衝撃が走るっ!
(な、無くなったっ!?)
そう、口の中に入れたのにもう溶けて無くなっていた。だが決して物足り無くはない。無くなりはしたが、舌の上では旨味が強烈に刺激を与えてくる。
(こ、これは―――――っ!)
次の肉を口に運ぶ。そしてまた運ぶ。
(止まらないっ!)
もう強制的に身体が動いているようだ。肉を食べることを全身が求めている。とても柔らかくジューシーで、一口で肉を何口も口にしたような重量感だ。
しかし決して重くは無い。まだまだイケる。これを加速させているのは――。
(このソースだな)
甘く、少し酸味が効いたソースが肉にサッパリ感を与え、更に食欲を刺激してくるのだ。幾らでも食べ続けられる。他の二人も、目の色を変えたようにがっついていた。
そしてかなりの大きさだった肉は、あっという間に無くなった。三人は恍惚の表情を浮かべている。
これほどの衝撃を与えてくれるとは正直思っていなかった。
日色はあの時、アノールドたちを助けておいて本当に良かったと心の底から思った。