37:VSレッドスパイダー
――――【ハニー峠】。
ここは別段日色たちにとって険しい峠ではない。
周りを岩で囲まれた緩やかな坂道が続く単調な峠である。生息するモンスターも、今の日色たちが強敵に思えるような存在はいない。
ただ岩の密集地帯も多いので、死角が多く不意打ちには気をつける必要がある。
そして峠の先にある広場にハニービーの巣があるという。
道は別れ道が多く行き止まりがあり、初めて来た者たちを惑わせてしまうかもしれない。
一本道ならススの案内も必要なかったのだが、こうも別れ道が多くては、攻略に時間をかけてしまい、下手をすればマックスたちの命が危ないのだ。
レッドスパイダーの特徴としては、捕らえた獲物は口から吐く糸でグルグルと巻いて、弱らせた後からじっくりと味を堪能するという性質を持っている。
何でもレッドスパイダーに捕らわれたのは蜜を採集した後で、帰り道に襲われたということ。
つまりは今朝の出来事だという。まだそれほど時間は経っていない。
今ならまだマックスたちは無事だと踏んで、それでもできるだけ急いで日色たちはススの案内のもと峠を進んでいく。
一度も迷わずに正しい道を突き進んでいくと、ふとススが、最後尾を歩いている日色に声をかけてきた。
「ねえヒイロくん」
「……馴れ馴れしいな熊っ子」
「くまっ子!? わ、わたしはススだよ~!」
頬を膨らませて呼び方を変えることを要求してくるが日色は変えるつもりはない。
「もう~まあいいや。ねえねえ、ちょっと聞いていい?」
「何だ?」
「もしかしてさ、ミュアちゃんのお兄ちゃん?」
「は?」
「え? 違うの? だって……」
観察するように日色の髪を凝視するスス。
そう言えば自分が今、獣人化していることを忘れていた日色。しかもその姿はミュアを参考にして作り上げたものだ。似ていて当然。
説明が面倒なので、というかそもそも最初からするつもりもないので適当にあしらう感じで話を終わらせる。
「ああ、兄みたいなものだ」
「あ、やっぱそうなんだ! ふ~ん、でもミュアちゃんってな~んかヒイロくんを見る目ってお兄ちゃんに対するものじゃなさそうな気がするな~」
よく観察していると感心する。確かにミュアとは兄妹の関係ではないので、見ていればその接し方から違和感を捉えることはできるだろう。
日色は面倒そうな感じで、
「別にどうでもいいだろ? こういう兄妹関係も中にはある」
「…………わたしが言ってるのはそういうことじゃないんだけどな……」
何だかブツブツと小声でススは呟いている。
「お前、熊のオッサンたちが心配じゃないのか? 何でそんなに明るい?」
「え…………だって、だまってたらイヤなこと考えちゃうんだもん」
なるほど、だから彼女は無理にでも明るく振る舞って最悪な結末を考えないようにしていたようだ。
「ならオッサンと話してみろ。あの男は小さい女が好きだから喜んで相手してくれるぞ」
「聞こえてんだよオイィッ!」
それはそうだろう。聞こえるように言っているのだから。
「大体いっつもお前はそうだ! どんだけ俺の社会的地位を貶めてえんだコラァッ!」
「ほう、初耳だな。オッサンに社会的地位というものがあったのか? おおそうか、幼女保護団体にでも加盟してたか?」
「お、お前なぁ……」
プルプルと身体を震わせるアノールドを見て、ススはクスッと笑みを溢す。
「あはは、二人ともおもしろ~い! うん、さいこーだね!」
暗くなっていた表情が一気に明るくなった。
それを見たアノールドも、毒気を抜かれたみたいに溜め息を吐き頭をボリボリとかく。
「……なあスス、マックスは良い親父か?」
「うん! さいこーのパパだよ!」
「そっか。よし、絶対助けるぞヒイロ!」
「そのために来たんだろ?」
「お前な、ここはガッツポーズをして拳を天高く上げてだなぁ」
アノールドがわけの分からない価値観を押し付けようとしていた時、ふと前方を歩いていたウィンカァとハネマルが足を止める。自然に日色たちの足も止まった。
「どうした、ウイ?」
アノールドが聞くと、ウィンカァがジッと前を見据えて、
「……いる」
と声を漏らし、ハネマルは「ううぅぅぅ」と唸り声を上げて警戒している。
日色はススの顔を見ると、彼女は強張った表情で頷く。
「こ、ここから少し行ったところだよ。あの角を曲がったところにちょっと広いところがあってね、そこに多分……」
ユニークモンスターであるレッドスパイダーがいるとのことだ。
「オッサン、まずはオレが様子を見てくる。お前らはここで待機だ」
「大丈夫なのか?」
「当然だ」
日色は岩場を隠れ蓑にしながら一人で曲がり角へと近づいていく。
そして少し近づいたところで『隠』の文字で存在感を薄くして気づかれにくくした。
抜き足差し足で角を曲がると、目に映った光景に思わずギョッとする。
そこは確かに少し開けた場所だった。
周囲を崖のように高い岩山が囲んでいて、グルリと円を形成している。
その円をぶった切るように、というか明らかに通せんぼするように巨大な蜘蛛の巣が張り巡らされていた。
周囲を観察すると、地面には大きな壺が幾つも転がっている。あれはマックスたちが担いでいた蜜を入れるための壺だ。どうやら蜘蛛は蜜には興味がないようで放置している。
また蜘蛛の巣には、体中を蜘蛛の糸でグルグルと全身を巻かれ頭だけを出したマックスたち熊人の姿があった。
(どうやらまだ生きているようだな)
ササッとさらに足を素早く動かして近づいていく。どうやら今、レッドスパイダーらしきモンスターの姿が見えないので、どこかへ行っているようだ。
(どうする? 今のうちにこの蜘蛛の糸だけでも破壊して――)
日色がそう思った刹那、恐らく初めてであろう凄まじく強い殺気が全身を突き刺した。それはもう反射だった。咄嗟に背後へと跳び退いた。
先程まで日色がいた場所に細長いものが突き刺さっている。
(何だっ!? ……糸っ!?)
その糸の先に素早く視線を向けると、そこには血のように真っ赤な身体をした巨大蜘蛛が日色を崖から見下ろしていた。
またもゾクッと寒気が走る。すると蜘蛛の口からまたも糸が鋭く伸びてきた。
「ちぃっ!」
岩陰に隠れてやり過ごす。
その僅かな一連の動きだけで信じられないくらいの消耗を日色は感じていた。
まだ大して動いてもいないのに心臓の鼓動が早く息が乱れる。全身からは汗がビッショリだった。
(アイツは……マズイ……)
一目見ただけで分かった。アノールドの言っていた意味が。
ドスンッと地面に降りたであろう音がする。息を殺し確認してみると、蜘蛛は興味を失ったかのように巣に昇っていった。
(アレが……ユニークモンスター…………レッドスパイダーか)
まさに別格。その衝撃は暴走したウィンカァを見た時以上のものだった。もちろんウィンカァも凄かった。
だが彼女の場合は知り合いだったということもあり、そして彼女自身が本気ではなかったことも大きくそれほど恐怖はなかった。
しかしレッドスパイダーは違う。
相対した瞬間、殺すという明確な殺意が伝わってきた。
まるで自分の命が相手に握られているような感覚に陥る。
……これが死の恐怖だった。
(あんなのがいるのか……)
しかもまだランクとしてはSランク。つまりまだ上には二つ余裕があるということ。
(はは……さすがは異世界。ビックリ箱過ぎるぞ……)
それまで相手してきた敵が霞んで見えるほどの存在感。しかも『隠』を使っていたにもかかわらずあっさり見破られてしまうほどの野生の勘。
日色はまたも息を殺し、時間をかけてゆっくりとアノールドたちのところへ戻っていった。
「おおヒイロ、どうだった?」
アノールドが戻ってきた日色に対して尋ねるが、日色の沈んだ表情を見て、
「お、おいまさか……マックスたちは……」
「いや、熊のオッサンたちはまだ大丈夫そうだった」
「な、何だよ~、ビックリさせんなっての~。んじゃ何でそんな顔してんだよ?」
「…………奴を見た」
「え? あ、ああレッドスパイダーか? ど、どうだった?」
「オッサンの言う通りだ。初めてだ。あんな化け物」
日色の言葉にアノールドがゴクリと喉を鳴らして頬を引き攣らせる。
「お、おいおい、いつものヒイロじゃねえぜ? どうしたんだよ?」
「…………」
「ヒ、ヒイロ……?」
いつまでも返事をしない日色の態度に尋常ではないものを感じたのか、アノールドも言葉を止め立ち尽くしてしまう。
「ヒイロ……怖い?」
皆が押し黙っている中、ウィンカァだけは平坦としていた。
そしてその言葉で日色は自分が微かに震えていることに気がつく。
すると彼女が日色の手を取って無表情のまま答える。
「大丈夫……だよ? ヒイロは、みんなはウイが守る」
一瞬、彼女のその強さが羨ましいとさえ日色は思った。自分にもその強さがあれば、震えることもない。自分の弱さが憎らしかった。
だがこのまま引き下がっては、せっかくの蜜菓子が食べられない。それにこれから先、冒険の先にはああいうのも相手にすることになるだろう。
ならばここで何もせずに逃げることはできない。
(逃げるならやるだけやってからだ!)
自らの震えを抑え込み……いや、誤魔化して《刺刀・ツラヌキ》を抜く。
「いいか熊っ子。お前は絶対にこれ以上近づくな。さすがに守りながら戦える相手じゃない」
「う、うん」
ススに厳命すると日色は前を見据えた。
「オッサンも気合入れろよ。ここからは死線だ!」
死ぬつもりはないが、ギリギリまでやるべきことはやる。日色には迷いはもうなかった。
どのみち奴を攻略しなければ、望みの蜜菓子は手に入らないのだ。この死線を乗り越えてやると決意を固める。
「ウイが、先行する。二人はサポート。ハネマルはススとお留守番」
「ク~ン……」
何か言いたげなハネマルだが、正直戦力になるとは思えないので、
「その方が良いだろうな。オッサン、行くぞ」
「う~よ、よっしゃっ! ここまで来たら覚悟を決めてやるっ!」
アノールドも大剣を構えて、日色の横につきウィンカァの後を追う。ハネマルを抱っこしたススは三人の背中を見送った。
岩場を上手く利用して巣へと近づいていく。
岩の隙間から確認すると巣の補強をしているのか、レッドスパイダーが糸を吐いて巣を広げている。
「うへ~、あんなのとやるのかよぉ~」
アノールドの気持ちは良く分かる。しかしこのまま放置すれば、確実にマックスたちは助からない。
「アンテナ女、作戦はあるのか?」
別段平然とした様子のウィンカァはやはり大したものだった。
愛槍である《万勝骨姫》を構え、もう目は戦う者の目だった。恐れを少しも抱いていない。強い女性だと感じた。
「ウイが敵を引きつける。その間に、ヒイロたちはマックスたちを」
「おいおい、いくらなんでもウイ一人じゃ」
「ん……だから、急いでね」
そう言うと突然飛び出して行った。アノールドは「嘘っ!?」と声を上げていたが、もう賽は投げられた。
「行くぞオッサンッ!」
「ああもう! 分かったってのっ!」
日色たちも全力で駆けた。
レッドスパイダーは十分過ぎるほど余裕をもって日色たちの存在に気づき、まずは蜘蛛の巣から先行しているウィンカァ目掛けて蜘蛛の巣を口から放つ。
そのおどろおどろしい赤い肉体は見ているだけで気分が悪くなりそうだった。血で染めたタランチュラを乗用車二台分くらい大きくしたようなデカさ。本当に気持ちが悪い。
「《一ノ段・疾風》っ!」
ウィンカァの槍から繰り出された一閃は風の刃を生み、糸を真っ二つに斬った。そして槍を一段階短くして、根元の鎖を伸ばすと、それを器用に飛んできた糸に絡める。
そしてそのまま力一杯綱引きのごとく引っ張って、巣からレッドスパイダーを岩壁へと叩きつけることに成功する。
「す、すっげぇ……!」
オッサンが感嘆するのも理解できる。あんな戦い方ができるのはウィンカァだけだろう。
(しかも槍にあんな使い方があったとはな)
彼女が持つ《万勝骨姫》は三段階に縮めることができるのは把握している。さらに縮めることで根もとの鎖が伸びることもだ。
まさかその鎖を糸に絡めて引っ張るとは予想もつかなかった。だが気になるのは絡まった糸だ。あのままでは動きが制限されてしまう。
しかし心配も必要なかった。何故なら突然鎖が赤く熱を持ち始め、ジュゥゥッと糸を溶かし始めたのだ。
「ウイの槍は……最強」
ブンブンと槍を振り回し、再びレッドスパイダーに向けて構え直すウィンカァ。槍の能力もそうだが、始めからここまでを想定していた彼女のバトルセンスに脱帽である。
日色は初めてウィンカァに強烈な嫉妬を感じた。自分もあれだけ強ければ恐怖を抱くことも、命を危ぶむ必要もない。
強くなりたい。その想いが更に日色をこれから加速的に成長させていくのだが、それはまだ先の話だ。
「オッサン、蜘蛛の糸は縦糸に粘着力はない!」
「わ、分かった!」
つまり縦糸を伝っていけば、熊人たちのところへ行ける。
「け、けど行ってどうすんだ?」
「熊のオッサンたちを包んでる糸は縦糸と同じ粘りがない糸だ。だからその糸は刃物でも簡単に切れるはずだ」
「よっしゃ!」
つまり包んでいる糸を、身体を傷つけないで切れば解放することができるのだ。
「おいマックス! 起きろマックス!」
アノールドがマックスに近づき覚醒を促すが少しも反応を見せない。
仕方なくもう少し近づいて手を伸ばし彼の頬を叩くがそれでも起きない。
「おいおい、どうなってんだよ?」
顔は温かいので死んでいるわけではない。それなのにいくら刺激を与えても起きる気配がないのだ。
「ヒイロ! そっちはどうだ! 起きたか!」
「いや、こっちもダメだ。なら!」
日色は『覚』の文字を熊人に放つ。発動した瞬間、青白い放電現象が起き、ピクリと熊人は眉を動かして目を開ける。
「あ、あれ? ここは……?」
「おいしっかりしろ!」
「え? えっと……君は確か……」
「いいから今から糸を切る。上手く着地しろよ」
「へ? 着地って……なんの……こ……と……」
驚くことにまた意識を失った。
「どういうことだ?」
さすがに動揺を隠せない。
せっかく魔法を使ってまで覚醒させたのに、ものの十秒ほどでまた眠ってしまった。
そこでアノールドの言葉を思い出す。
『ああ、しかもユニークモンスターには特別な能力や厄介な特性とかあって、普通はSランク以上の冒険者が徒党を組んで討伐するモンスターだ』
その言葉を思い出した時ハッとなり、日色の中で一つの推測が立てられた。
「オッサン! 熊のオッサンたちを包んでる糸には絶対触るな!」
「はあ? 何でだよ?」
「コイツは多分――」
日色が続きを言おうとした時
「ヒイロ、アノールド、危ないっ!」
ウィンカァの声が響いた。
咄嗟に声の方向へ二人は顔を向けると、レッドスパイダーのお尻から小さな物体が無数に噴射されていたのである。狙いは日色たちだ。
それは卵のようなもの。ちょうど握り拳二つ分ほどの球体。日色は弾丸のようなそれを受けないように咄嗟に地面へと降りた。アノールドもまた日色と同様に下へと降りる。
すると卵のような白い物体は巣に次々とくっつき、そしてヒビが入っていく。
中からは小さな赤い蜘蛛――ミニグモが現れた。やはり卵だったようだ。
何故突然こんなにも子を成せるのか分からなかったが、今はそんなことを気にしている暇はない。何故なら巣から日色たちに向かって雨のように飛び込んできたのだから。
「上等だぁ! こんなもの全部吹き飛ばして――」
「バカかオッサンッ! 熊のオッサンたちまで巻き込むつもりかっ!」
アノールドの《化装術》である《風陣爆爪》は、確かに地面から上空へ向けて広範囲に風の刃を竜巻状に放つことができる便利なものだ。一度旅の最中に見せてもらっていた。
しかし今、攻撃してしまうとマックスたちまで真空の刃で傷つけてしまうことになる。
「く、くそ! なら一匹一匹仕留めてやらぁっ!」
そうするしかないようだ。日色も刀を抜いて、落下してくるミニグモを次々と斬り刻んでいく。
だが数が多過ぎる。
地面に落ちた無傷のミニグモも今度は下から襲ってくる。このままじゃ一気に纏わりつかれて身動きを失ってしまう。
それに文字を書く時間も作れない。アノールドも小回りの利くミニグモ相手に、大剣で斬るのを苦労しているようだ。
ウィンカァはウィンカァで、相手の糸から身をかわし、即座に間を詰めて足に攻撃をするというヒットアンドアウェイを実行しているが、あのウィンカァでも足を落とせずにいる。
どうやらレッドスパイダーの身体は鋼並みに硬度があるようだ。どこまでも反則級な存在である。しかしあのレッドスパイダー相手に一歩も引かずに戦えている事実が最早凄いとしか言えない。
実際に相対していない日色でも、レッドスパイダーの存在感に恐怖を感じてしまっているというのにさすがはウィンカァである。
「うわぁぁぁぁっ!?」
アノールドが悲鳴を上げたせいでウィンカァの意識が瞬間、そちらに向いてしまう。
そのためレッドスパイダーの吐く糸に反応速度が遅かったせいか、避けられずに槍の中心を糸で絡め取られてしまった。
またも力比べのような図式になる。巨大蜘蛛と小さな少女の綱引きはどこからどう見ても少女の方が不利に違いないが、それでも両者一歩も引かずに膠着している。
アノールドはというと、ミニグモに身体に纏わりつかれてミノムシ状態になってしまっている。
どうやらとうとう捌き切れなくてそうなってしまったようだ。
助けた方が良いのだが、日色は日色で気が抜けない。徐々に体力も減っていき動きも鈍くなってきた。背後からミニグモに纏わりつかれてしまう。
「ちぃっ! 鬱陶しいっ!」
身体を大きく回転させて振り落とそうとするが、一匹二匹は落ちても全部というわけにはいかなかった。
「痛っ!?」
突然右手の甲に痛みが走る。
見ればミニグモに噛まれてしまったようだ。その痛みで刀を地面に落としてしまった。
アノールド同様に全身ミノムシのような状態になってしまった。
(ぐっ……このままじゃマズイ!)
微かに視界に映る岩壁に向かって徐々に進んでいく。大体壁から一メートルほどの距離に近づいた。
日色は微かに動く指先に魔力を宿し動かしていく。
そして歯を噛み締めて痛みに我慢するように目を強く閉じる。
その瞬間――――日色の前方で爆発が起きた。
とてつもない威力で日色は吹き飛び、爆発によって弾け飛んだ壁が小さな弾丸となって爆風に乗り無数の衝撃を身体に与えてくる。
だが今、日色の身体はミニグモの鎧を身に纏っているので、その衝撃のほとんどはミニグモが受けてしまい、身体に纏わりついていたミニグモたちは爆破の余波で日色から離れていった。
しかし『爆』の文字を使い、間近で爆発を起こしたため、日色も地面を転がり反対側の岩壁に激突してしまう。
「ぐぅっ!?」
背中に猛烈な痛みを感じながらも、どうにか鬱陶しかったミニグモを身体から引き剥がすことに成功した。ミニグモは地面の上でピクピクと虫の息である。
激痛に顔を歪めながらも、日色は爆破で飛んできていたのか、地面に落ちている刀を拾い上げ、それを支えにして立ち上がる。
そしていまだにミノムシになっているアノールドに注目する。
「ふぅ、オッサン、少し我慢しろよ」
先に断っておいて、アノールドの足元に向かって『炎』の文字を放った。一瞬の放電現象ののち、地面から上空へ向けて業火が燃え盛る。
アノールドとミニグモを紅蓮が包み込み、しばらくするとボタボタと火だるまになったミニグモがアノールドの身体から落ちてくる。
そして――――。
「アチャチャチャチャチャチャッ!?」
普段通りの喧しい声を轟かせて慌てて炎から逃げ帰ってきた。
ゴロゴロとアノールドが地面を転がって自身についた火を消している。
ひとしきり暴れた後、火は消えたがアノールドはゼエゼエと激しく息を乱し、こちらも虫の息みたいな感じだ。
「お、お前な……助けるにしても……もっと他になかったのかよぉ……」
「うるさい。助かったんだから文句言うな。それよりも……」
ウィンカァの方が問題だ。見れば徐々に力負けしているのか、ウィンカァがレッドスパイダーに引き負けているようで距離が詰まっていっている。
「何でウイは鎖みてえに糸を溶かさねえんだ?」
「できないんだろ? 恐らくその効果があるのは鎖だけだ。けど今は握り手の方に糸で掴まれてる」
「やべえじゃねえか!」
「ああ、武器を離せばいいかもしれんが、そうなれば丸腰になってしまう」
「どうすんだヒイロ?」
最初と同じようにマックスたちを助けに向かったとして、またミニグモで迎撃されたら意味がない。ならここはウィンカァのサポートをして、まずレッドスパイダーを倒した方が良いかもしれない。
「よし、アンテナ女のサポートだオッサン」
「ま、それっきゃねえか」
アノールドが歯を食いしばり立ち上がる。
「オッサンはあの糸を絶ち斬れ。オレは奴に魔法をぶっ放す」
「任せろ! おらぁぁぁぁぁっ!」
アノールドが大剣を構えてウィンカァとレッドスパイダーの間に張りつめている糸に剣を振り下ろす。
しかしボォォンと、まるでタイヤのような弾力のある物体を叩いたような感じで衝撃を受け流され切断にまで届かなかった。
「オッサン! 左を見ろっ!」
「え?」
レッドスパイダーの口から新たに吐かれた糸がアノールドの左脇腹から胸周辺に巻き付く。
「しまっ!?」
するともう用済みだと言わんばかりに、ウィンカァと接戦を繰り広げていた糸をレッドスパイダーが自ら歯で噛み切り、捕まえたアノールドに向かってさらに糸が吐かれる。
「オッサンっ!」
「アノールドッ!」
日色とウィンカァが叫ぶが、時すでに遅く、一瞬にしてアノールドの頭を残して全身を繭のように糸が覆ってしまった。
「く、くっそぉっ! こんなものぉぉぉぉっ!」
アノールドが力だけで破ろうとしているようだが、
「はわ……な、何だこれ急に力が……ヒイロ……ウイ……逃げ…………」
バタンと地面に倒れて、目を閉じて意識を失っていた。だが今のアノールドの様子で日色の予想が確信へと変わる。
「やはりそうか! アンテナ女! 奴の出す糸には絶対触れるな! 恐らく捕まったら強制的に眠らされる!」
まさにユニークな異能だった。
先程熊人を魔法で起こした日色だが、確かに魔法効果で一度は覚醒したはずなのに、すぐに熊人は意識を飛ばしてしまった。
あれも体中を覆っている糸のせいだと判断した。
(鋼のような身体に無数に産み出せるミニグモ、それに吐く糸には睡眠効果だと? やりきれないぞまったく!)
心の中で舌打ちをする。しかも巨体に似合わない素早い動きもまた厄介である。魔法を放っても野生の勘で避けられてしまうかもしれない。
だが何と言っても昆虫なのだ。火には弱いはずである。弱点をついて攻撃をすればまだ勝機はある。
「アンテナ女! 来い!」
彼女を呼ぶと、槍に絡まっている糸を『火』の文字を使い燃やした。
「ありがと、ヒイロ」
「礼はいい。アンテナ女、アイツを仕留められるか?」
「…………時間かかる」
「できるのか?」
「ん……火が弱点。ウイの《火群》使う」
「……何だか分からんが、それなら倒せるんだな?」
「多分」
日色は大きく深呼吸すると、ジワジワと距離を詰めてきているレッドスパイダーを睨みつける。
正直ウィンカァの《火群》とやらが完成するまで時間稼ぎが自分に務まるかどうかは分からない。だが彼女が倒せる可能性があるというのなら、それを主軸に行動をした方が賢い。
もう一度「ふぅ~」と肺から空気を押し出すと、日色は覚悟を決めたように表情を引き締める。
「ならオレが時間を稼ぐ」
「大丈夫?」
「いいからやれ」
「……分かった」
ウィンカァが日色から離れると、器用に岩壁を昇っていく。
彼女に焦点を合わそうとしたレッドスパイダーに向かって日色が地面から拾った石を投げつける。
カツンと跳ね返り、まるでダメージにはならなかったが、意識はウィンカァから逸らせることに成功した。
「お前の相手はオレがしてやる、赤グモ!」




