31:謎の絵描き
「……テニー・クウェス?」
仮眠室に入って来た男はそう名乗った。アノールドが聞き返すと、テニーという男は人懐っこそうな笑顔を浮かべて頷く。
話を聞くに、彼も旅人でありこの街で宿に泊まろうとしたのだが、部屋が空いておらず日色たちと同様にギルドの仮眠室の話を聞き、こうしてやって来たらしい。
ターバンから覗く深緑色の髪は手入れが全く行き届いていないのかボサボサだった。
大きなリュックのような袋を携えていることからも、彼が旅をしていたことは理解できる。
一応皆の自己紹介はアノールドが一人で行った。日色は勝手に自分の名前を言いやがってという思いになったが、言ってしまったものは仕方ないと思い黙っていた。
「いや~、一人だったら寂しいなぁって思ってたッスけど、こんなにもお仲間さんがいてくれて賑やかでいいッスね!」
嬉しそうに破顔する彼はとても無邪気な青年に見えた。
そして彼がおもむろにターバンを脱いでベッドの上に置く。
その行動自体は別段驚くようなことではない。だが皆は唖然とした様子で、ある一部分に注目してしまった。
それは彼の頭の上に生えている、人間ではありえない獣耳だった。
「お、お前さん、獣人だったのか?」
アノールドは目を大きく開いたまま、耳を凝視しながら尋ねた。
「そうッスよ。あれ? もしかして獣人はダメなタイプの人たちッスか?」
テニーは気まずそうに聞き返してきたが、アノールドは先程よりもホッとした様子で笑みを浮かべる。
「な、何だよハハ、いやいや、獣人は大歓迎だ! 俺やこの娘もそうだしな」
アノールドはミュアの頭に手を置きながら言う。
「そうッスか……あれ? でもあなたは耳が……いや、聞くのは野暮ッスね。すみませんッス」
テニーは込み入った事情があると判断したのか、空気を読んで深くは追及してはこない。
アノールドは人間の家畜奴隷として生活していた過去があり、耳は、その時の主人に引き千切られていた。彼が今付けている人間耳は作り物らしい。
「まあ、気にすんなよ。お互い人間界で生活してたんなら、いろいろあるってことは知ってるだろ?」
「……そうッスね」
「そんな暗い話よりもよ、お前さん、テニーはこの街へ何しに来たんだ?」
「オイラッスか?」
「ああ、俺たちは国境を渡るために来たんだけどよ」
「え? 国境を? ……そちらの人たちもッスか? 人間ッスよね?」
テニーは日色とウィンカァに視線を向ける。
「まあな、ヒイロは観光でウイは付き添いみたいなもんだ。この時期に観光なんて笑えるだろ?」
「ケンカ売ってるのかオッサン?」
日色はアノールドに睨みを利かせると、
「前にも言ったろうが。今の世界情勢で人間が獣人界へ渡ることそのものが異常なんだって。しかも理由が観光なんだろ? 笑われてもおかしくねえだろうが」
確かに今、この【イデア】に存在する三つの種族である『人間族』、『獣人族』、『魔人族』の関係は非常に危険な状態にある。
何かのきっかけさえあれば、それはすぐにでも戦争に発展し、世界を巻き込んでしまうだろう。
そんな最中、観光で世界を見て回るという名目で動く日色が異常だと思われてもそれは至極当然ではある。
日色もまた客観的にはそう思ってはいるが、異世界を楽しむと決めた以上、情勢が怖くて尻込みなどしてはいられない。
「オレはオレだ。危険が邪魔するなら、押し通るまでだ」
日色はこの世界の出身ではない。【人間国・ヴィクトリアス】の王族に召喚されてやって来たのだ。
ただし一つ付け加えることがあるとしたら、望まれてではないということだ。日色の他に召喚されたのは四人いる。
その四人は勇者として召喚された。日色はたまたま召喚時に彼らの傍にいたという理不尽な理由で巻き込まれた結果、この世界へとやって来てしまったのだ。
しかし日色はこれを僥倖だと思っていた。
日本では友達もおらず、両親もいない。
読書と食べることが趣味の日色にとって、大切なものは特別日本になかった。
だからこうして異世界に召喚されて、幸運にも恵まれた魔法の力を備えていたことで、どうせなら異世界を探検して思いっきり楽しもうと考えた。
この世界にも珍しい本や美味い食べ物は数多くあるだろう。
それを制覇して、思う存分異世界ライフを満喫する。
それが、日色が掲げた目標だった。
勇者と一緒に行動することは自由を束縛されて危険だと思った日色は、一人で旅に出てアノールドたちと出会い、獣人だった彼がいれば獣人界へ行っても、貴重な情報源として利用できると思い、こうして一緒にいるのだ。
元々一人でいることが好きな日色だが、現実主義であり損得勘定で動くので、考えた結果、一緒に行動する方が便利だと思ったのでこの場にいる。
日色の物言いにアノールドは肩を竦めるが、何故かテニーは楽しそうに笑みを浮かべていた。
「変わった人ッスね、ヒイロくんは」
「お前も相当変わってると思うがな」
「え? オイラがッスか?」
「お前の他に誰がいる?」
「…………自分、変わってるッスか?」
テニーは本気で分からないようで、アノールドに答えを求めようとするが、アノールドもまた分からないのか首を傾げていた。
「だってそうだろ、もしオレらが獣人排斥派だったらと考えなかったのか?」
そうなのだ。もし日色の言う通りなら、人前で簡単にターバンを脱ぎ、獣人を明かした彼の行動はあまりにも軽率でしかない。
アノールドやミュアも日色の言葉の意味に気づきハッとなっている。
「どんな旅を送ってきたのか知らんが、お前も獣人ならそういう奴らの存在は知ってるだろ? もしオレらがそれに与する奴らだったら、今頃お前は詰んでるぞ?」
日色の言葉を受け、テニーは少しばかりキョトンとしていると、またニコッと笑う。
「それは大丈夫ッスよ」
「……?」
「こう見えても、人を見る目だけは自信あるんスよ」
えっへんと言った感じでドヤ顔をするテニー。もっとまともな理由が出てくると少しは期待していた日色も、その答えには唖然としてしまった。
誰もが奇人でも見るような目で固まっているのを見たテニーは、
「あ、あれぇ? 外しちゃいましたッスか?」
若干頬を引き攣らせていた。するとアノールドはぷっと息を吐き、
「アハハハハ! テニー、お前って面白え奴だな!」
「そうッスか? よく言われるッスよ」
二人して豪快に笑っている。
「な、何かおじさんが二人いるような……」
ミュアの言うことは間違っていない。
この短絡的思考というか、楽観的発想というか、アノールドと似たものを感じる。
(獣人の男は全員こうなのか……?)
思わず日色も溜め息が漏れる。だが、とそこで考える。
(奴の言ってることが真実かどうかは分からんが、一人で人間界を旅しているってことは、それなりにここで生きていくスキルを持っているはずだ)
特に今の情勢では無事生き残るためには、何かしらの身を守る術を持っているだろうと推測した。
しかし次の瞬間、ウィンカァの言った言葉で日色の思考は固まる。
何が目的なのか、ウィンカァはテニーに近づき、顔をジッと見つめながら気になることを口にする。
「……ねぇ、さっき丘の上……いた?」
テニーの笑顔が固まったのを日色は確認した。
(丘の上……?)
いきなりウィンカァがテニーに対して尋ねた疑問に、日色はピンときて眉をひそめた。
アノールドとミュアは、まだその真意を読み取れていないようでポカンとしている。
先程、この街へ入る時に感じた丘の上からの視線。それはウィンカァだけでなく日色も何となく感じてはいた。
だからこそ今の彼女の言葉で、日色はテニーの思惑が分からず不審さを感じて、咄嗟に身構えていつでも動けるようにした。
あの時、隠れたように消えた視線を考えて、こちらに見つからないようにしていたのは明らか。なら何故そんなことをしたのか疑問に浮かぶ。
こういう場合、相手は「何の事だ?」としらばっくれるのが常套手段。無論本当に違う場合もあるが、どう確かめるべきか日色の思考は素早く回転していた。
しかし、それも予想外の裏切りで呆気にとられた。
「はい、いましたッスよ。それでジッとあなたたちを見てましたッス。よく分かったッスね」
驚くことに一片の揺らぎもなくあっさり認めたテニー。
さすがの日色も、何度も瞬きを繰り返して正気を疑うように彼を見てしまう。
「……ん、あの時感じた空気が似てたから」
ウィンカァの鋭い感覚も驚愕すべき能力だが、それよりもやはり日色はテニーのことが気になった。何故あっさりそんなことをバラすのか不思議に思う。
「ああ、あん時にウイが気にしてたのって、テニーが見てたからなのか?」
アノールドが何でもないように言葉を出し、
「何で見てたんだ?」
簡単にその理由を尋ねていく。日色もその答えには興味がそそられた。
「見てた理由ッスか?」
するとテニーは袋の中をゴソゴソと探り、なかなかに大きな板を一枚出した。
その板には紙が貼りつけてあり、それを見たアノールドが「もしかしてお前さん、絵描きか?」と問う。
「そうッス。あの小高い丘から見える山岳を描いてたんスよ」
「へぇ、上手いもんだなぁ」
アノールドが感心するのも無理はない。
確かに絵心のない日色でも、その絵がとても上手いということは分かった。
まるで今にも飛び出してきそうなほど立体的で心を掴まれそうになる。
しかし、だ。
「おい待て、それとオレらを見ていたことと関連しないが?」
アノールドも「あ、そうだよな」と言うと、テニーに視線を向ける。
どうやらアノールドは相手が獣人だからと完全に安堵しているようだ。
気持ちは分かるが、そこまで気を抜いていい相手かどうかはまだ分からない。
日色は警戒を解くことなく、一定の距離を保つ。
「ああ、それはッスね。オイラ、実はそこの《月光》さんのファンなんスよ」
「……は? げっこう? ファン?」
思わず日色は聞き返す。
「あれ? 知らないんスか? そこの彼女、ウィンカァ・ジオ。二つ名は《月光》って言うんスよ」
そこで日色は過去にウィンカァの《ステータス》を見た時のことを思い出す。確かに称号には《月光》の名前があった。
「おいおい、ウイってそんなに有名なのか?」
「す、すごいですウイさん!」
アノールドは驚き、ミュアはアイドルでも見るような目をウィンカァに向けている。
そしてそんな目を向けられていても、よく分からないといった感じで首を傾けているウィンカァ。
「さっきヒイロくんも言ったッスけど、獣人排斥集団や古参の冒険者、特に獣人なら《月光》の名はかなり有名ッスよ」
「その割にオッサンは知らなかったよな?」
「う……いや、俺は冒険者事情には疎いんでな」
そう言えば、ずっと前に会った人間のラーブという冒険者の名前も少しだけ聞いたことがある気がすると言っていたアノールド。
ラーブもかなり有名な冒険者のようだったらしく、何故知らないんだよとアノールドに対して怒っていたこともあった。
「まあ、俺はどちらかというとクエストも一人でこなしてきたし、他の冒険者と絡む機会なんてほとんどなかったしな。特にミュアと出会ってからはずっと二人きりだったぜ」
「う、うん」
その理由は分かる。二人は獣人だということを隠しているので、誰かに下手に接触してバレてしまうことを恐れたのだろう。
無論全ての人間が獣人を蔑んだりしてはいないが、それでも隠し通せるならその方が良いと彼は判断したに違いない。
「《月光》……ウィンカァさんは……」
「ウイでいい……よ?」
「え? あ、はいッス。ではウイちゃんって呼ぶのはどうッスか?」
「ん……」
ウィンカァは了承するように頷く。
「ウイちゃんは、こう見えてSランクの冒険者なんスよ」
「そ、そうなのかウイ! すげえじゃねえか!」
アノールドの驚きは尤もだ。ウイもVサインを作って誇らしげだ。
冒険者ランクは、下からF・E・D・C・B・A・S・SS・SSSとあり、Sは上から三つの高ランクである。
SSやSSSは、ギルドに申請して特別に認めら、限られた人物しか与えられない別格なものなので、実質的に冒険者ランクではSが最高ともいえる。
無論簡単にその位置にいけるわけではない。数々のクエストをこなしたり、それ相応のレベルになることで結果として得ることができるのだ。
その道のりは険しく、ほとんどの冒険者が憧れているランクでもある。
Name:ヒイロ・オカムラ Sex:Male Age:16
Race:人間 From:Unknown Rank:D
Quest:
Equipment
・Weapon:刺刀ツラヌキ
・Guard:レッドローブ
・Accessory:
Rigin:58700
現在、日色のギルドカードに記されているのはDだ。
つまりウィンカァと比べてもかなり低いものである。
日色にとってギルドという存在は金集めや情報収集だけにのみ存在しているので、別段ランクが低くても気にしない。
しかし今、そんなランクの話よりもテニーがこちらを見ていたことについてだ。
彼がウィンカァにミーハー気分で視線を向けていたというのなら、何故彼女が振り向いた時に身を隠すようなことをしたのか……。
それを問い質してみると、テニーはにこやかな表情を見せつけながら、
「それはもう、だって恥ずかしいじゃないッスか。憧れてる人なんスよ? そんな急に見られたりしたらテンパッて丘の上から転げ落ちちゃうかもッス」
全身を使ったオーバーリアクションを見てアノールドたちは面白いのか笑ってはいるが、日色は何だか相手が話を逸らそうとしているような気になった。
(なら何故今ここにいるんだ? しかも割りと平気な様子で)
気になったのはそれだ。見ていたなら自分たちが旅をしていたことなど理解できるだろう。そしてもう日も暮れる頃だし、ここに一泊するという予測に辿り着くのは難しくない。
つまり日色たちがここに泊まっているかもしれないという推測もできる。何故なら彼も恐らく宿に蹴られてここにやって来た口なのだろうから。
このギルドの仮眠室には憧れのウィンカァがいることだって気づくはず。
(目も合わせられないほど恥ずかしいなら、ここには来ないという選択肢だってあったはずだ。仮に接触して親しくなろうと思ったとしても、奴の態度は憧れの人物と接するような感じじゃないような気がするんだがな……)
ウィンカァを見ても、ハッキリ言ってテニーの態度は普通の人に対面したかのような感じだった。
本当なら照れたり慌てたり、憧れに対するそれ相応な態度になるのではなかろうか。
(コイツ……何か引っかかる)
アノールド、ミュアと仲睦まじく談笑しているテニーを怪訝な表情で見つめる日色。
するとクイッと日色の服を引っ張る存在がある。
「ヒイロ、大丈夫」
「……何がだ?」
ウィンカァだった。彼女はいつもの無機質な表情のまま口だけを動かしている。
「あの人、悪い感じ……しない」
どうやら彼女もテニーの存在には最初から何かを感じ取っていたようだ。
しかし彼女曰く、テニーからは敵意など、こちらを害する意思を感じないとのこと。
長年旅をしてきた彼女が言うのだからそこそこ信頼はできるだろう。
しかし元々他人の評価を当てにしない日色は、とりあえずテニーを『覗』の文字で《ステータス》だけでも確認しておこうと人差し指に魔力を宿すと――。
「どうかしたんスか?」
突然日色に向けてテニーが話しかけてきた。顔には出さずフッと魔力を消失させる。
「ん? 何かあんのかヒイロ?」
アノールドもまた顔を日色に向けている。
彼の顔を……いや、彼だけでなくミュアの顔にもまるでテニーを警戒していない雰囲気が滲み出ていた。
「別に何でもない」
「そっか? あ、お前もしかしてまだ宿のこと根に持ってるとかじゃねえだろうな? 仕方ねえだろ、こうしてベッドに眠れるだけでもありがたく思えよな」
「そうッスよね~、旅なんてしてたらベッドに横になれる幸せって結構ありがたいッスから」
「お、さすがは同志! 話が分かるねぇ! な、ミュア?」
「うん、感謝しなきゃね!」
やはり同じ獣人だということでアノールドらのハードルがかなり低く設定されているようだ。獣人は他の種族と違い、絆を重んじる種族だとアノールドからも聞いている。
裏切らない種族。それが獣人だと信じ切っているようだ。だからこその態度なのだろうが、日色にとってはそんな情報は何の意味も持たない。
(裏切る奴は裏切るんだからな)
人である以上、誰にでも感情はあるし、劣等感や嫉妬、恨みや憎しみなどといった負の感情だってある。獣人だって例外でない。
もし今まで獣人が誰も裏切っていなかったとしても、これから先も裏切らない保証なんてものがあるわけでもない。
(オッサンやチビ、それにアンテナ女が信じたとしても、オレは自分の目で見たものしか信じない)
それに先程の、絶妙のタイミングで声をかけたテニーを見て増々その思いが強くなる。
お蔭で魔法を使うことができなかったからだ。強引に調べてもいいが、万が一、相手が手に負えないほどの強さを持っているとしたら、下手に刺激してここで暴れられるのは面倒だった。
(……めんどくさいな)
今もテニーはアノールドたちと話しているが、どことなく意識がこちらに向いているような気がした。迂闊に魔法は使えない……。
(……厄介なことにならなければいいけどな)
日色は珍妙な絵描きに気を回しながらも、必ずどこかでテニーを調べようと心に決めてベッドに横になった。