272:さようなら、勇者たち
――【オリンピース】が発見されて五日が経った時、【人間国・ランカース】に定期報告をしにやって来たペビンの姿を見つけて大志はある頼みごとをした。
彼は当初こそ「はあ?」と大志の正気を疑っているような素振りを見せていたが、大志が本気であることを察したのか、快く受諾してくれることに。
そして今――獣王レッグルスの立会いのもと、丘村日色と青山大志が顔を突き合わせていた。
「あの糸目野郎に急ぎの用があるから来いって言われて来てみれば、これは一体何の真似だ?」
当然そこには、この現状をセッティングしたであろうペビンがいて、日色は彼と一緒に大志を睨みつけていた。
「いやぁ、勇者のたっての願いでしてね。この場をご用意させて頂きました」
「……本音は?」
「面白そうなので」
やはりペビンの行動原理は変わっていないようだ。
「しかし驚きましたよ。まさか彼が、ヒイロくんと全力で闘いたいと言った時はね」
大志がペビンを介して、まだ【オリンピース】で作業中だった日色に渡りをつけたということだ。
「……レッグルス、お前も一枚噛んでたってわけか?」
「いや、俺も昨日ペビンから聞いたんだよ。彼がヒイロくんと模擬戦をしたいと言っているから、その立会いをしてくれと」
「……おい糸目、何でレッグルスなんだ?」
「それはタイシくんが、獣人たちに思うところがあるらしいからですね。何といっても《始まりの樹・アラゴルン》を破壊したのは彼ですから」
その所業もあって、大志はいまだに獣人たちの憎しみを背負っている。
「そうだ。どんな理由があれ、俺が獣人たちの大切なものを奪ったのは確かだ。王たちが不在の時を狙ってこそこそやってな。卑怯な行為だったよ」
苦笑交じりに大志は言った。
「丘村の言ってた通り、その罪を清算することなんてできないと思う。これは俺の我が儘だ。獣人の人たちに、今の俺を見てほしいって思ったんだ」
獣人たち。そう、この場にいるのは日色たちだけでなく、その周りには多くの獣人たちが模擬戦を見るべく集まっているのだ。
そこには【獣王国・パシオン】の王族やそれに連なる者たちの顔もある。もちろんミュアやアノールドたちもだ。
「……だがお前の仲間の姿は見当たらないが?」
日色がいくら視線を動かしても、千佳たちの姿を確認できなかった。
「この闘いは、俺一人で闘いたいんだ。傍にアイツらがいたら、きっとまた甘えてしまうだろうから」
「…………」
「頼む、丘村。俺の最後の願い、聞き届けてくれないか?」
これまで見たことのある大志の瞳の中で、一番力強く、そして真っ直ぐな光を宿していた。驕りも高ぶりもない。ただ純粋に日色との模擬戦を望む姿。
それはかつて決闘したレオウードと重なるものを感じた。
「……オレに模擬戦を引き受ける義務はないよな?」
「ああ、ない。だから俺にはこうすることしかできない」
思わず日色でさえ目を見張る行動――土下座をした大志。この観衆の前で、恥も外聞も捨てた行為である。
日色の性格を知っている彼ならば、たとえどんな場所であろうとも嫌なことは嫌というと分かっているはず。
それでも大志にできることはこれくらいしかないということだろう。
(恐らく糸目野郎に本や食べ物で交渉しろとか言われたはずだ。それをせずに土下座だけ……か)
ペビンのことだから、面白いことを成就させるために是が非でも大志の側につくはず。だから本などを交渉材料にする効果は教えただろう。
しかし大志はその選択肢を選ばなかったようだ。
(コイツ……ホントに少しは変わったってわけか)
別に彼が変わろうが変わるまいがどうでもいい。日色の人生にはそれほどの関わりはないから。
しかし一人の人間として、実直に頭を下げて頼み込む行為そのものは評価してもいいと思ってしまった。
彼の申し出を受ける意味はあっても、日色には関係ないだろう。ただ……。
「……一つ聞かせろ」
「何でも聞いてくれ」
「……何でオレと闘いたいって思ったんだ?」
「……正直分からない」
「…………」
「けど、今の俺をお前にも見てほしいって思ったんだ」
「……そうか」
ここで断ることもできる――が……。
(そういや、前に戦った時は、コイツが暴走してた時……だったな)
アヴォロスの手により正気を失っていた彼と戦った時のことを思い出した。あの戦いを最後の思い出とするのも同郷として引っ掛かるものを覚えるのも事実。
日色は腰に携えている《絶刀・ザンゲキ》を抜いていく。
「お、丘村……!?」
「さっさと立って構えろ」
「あ、ああ!」
大志は笑顔を浮かべて立ち上がり、彼もまた剣を抜いて構えた。
「望み通り、今のお前を見てやる。ただあまりにも弱かったから一瞬で終わらせるから覚悟しろよ?」
「俺だってお前が月にいた二年間で必死でやってきたんだ! そう簡単にやらせないぞ!」
それはもう分かっていた。ここに彼が現れた時に、すでに『覗』の文字を使って《ステータス》を確認していたからだ。
タイシ・アオヤマ
Lv 115
HP 6800/6800
MP 5750/5750
EXP 1195004
NEXT 78966
ATK 1110(1210)
DEF 1070(1130)
AGI 1000(1045)
HIT 1025(1050)
INT 980(982)
《魔法属性》 火・風・雷・光
《魔法》 ファイアボール(火・攻撃)
フレイムランス(火・攻撃)
フレアバーン(火・攻撃)
ウィンドカッター(風・攻撃)
サイクロン(風・攻撃)
ボムド・タイフーン(風・攻撃)
サンダーショック(雷・攻撃)
サンダーブレイク(雷・攻撃)
メガ・ボルト(雷・攻撃)
ライティング(光・効果)
ライトアロー(光・攻撃)
シャインクロス(光・攻撃)
ジャッジメント・レイ(光・攻撃)
《称号》 勇者・異世界人・ハーレムクリエイター(偽)・覚醒者・魔物の天敵・ユニークジェノサイダー・攻略者・鈍感イケメン・王女落とし・踊らされた者・裏切り者・世界の敵・自分勝手・闇堕ち勇者・魔に溺れた者・殺戮者の傀儡・帰還者・救いを求める者・揺るがない意志・贖罪者・極めた者
悲しさ溢れる称号が満載なのはともかくとして、大志が言ったようになかなかに鍛えてきたのは確かのようだ。
これなら《魔王直属護衛隊》と良い勝負をすることもできるだろう。成長も早いし、さすがは勇者の称号を持つ存在である。
「行くぞっ、丘村!」
大志が真っ直ぐ突っ込んでくる。
(バカ正直に突っ込んでくるのか?)
そう思った矢先、
「――ライティング!」
かざした右手から光魔法を繰り出し、日色の視界を眩い光が覆う。
(なるほど、この隙に――)
日色はチラリと視線を背後へと送る。そこには、すでに大志が詰め寄ってきていた。
剣を振り払ってくるが、日色はサッと身を屈めて回避。同時に後ろ蹴りを放つが、その蹴りを読んでいたのか、大志もまた素晴らしい反応速度を見せて一歩後ろへと下がった。
「――サイクロンッ!」
彼がそう唱えた時、日色の周りから風の渦が出現し始め、着用している服をスパスパと刃に刻まれているかのように切れていく。
日色は『鎮』の文字を風の渦に向けて発動。すると風は一気に霧散し、視界が晴れる。
しかし目の前には、天に右手の人差し指を向けて立っている大志がいた。彼の身体からはバチバチッと、まるで帯電状態のように放電している。
「っ!?」
そのまま大志が日色に向けて人差し指を勢いよく振り下ろした。
「―――メガ・ボルトォォォッ!」
天から青紫色の光が凄まじい音とともに降り注いでくる。それは日色を直撃し、大地にも強大なクレーターを生んでいく。
観戦しているミミルやアノールドが日色の名を叫んでいる。しかし激しい土煙のせいで、日色の姿が見えない。
「はあはあはあ……どうだ、丘村ぁ」
ここまでの息もつかせぬ連続攻撃は恐らく、戦う前に大志が最初から決めていたものなのだろう。よどみのない動きでそれは理解できる。
もし相手が並みの相手なら、これで終わっていた可能性が非常に高い。それほど型にハマった良い攻撃だった。
しかし――。
突如ブオォォンッと突風が吹いて、土煙が晴れて、その中央からほぼ無傷の日色が現れる。日色の周囲には『防御壁』という文字で作った魔力壁があり、大志の魔法を弾き返していたのだ。
「はは……やっぱこの程度じゃダメかぁ」
「……次はこちらから行くぞ――《太赤纏》!」
両手をパンと叩くと同時に日色の身体から《赤気》が溢れ出す。
「げっ、きた!?」
驚いている大志をよそに、日色は素早い動きでその場から大志へと肉薄する。
「っ! させるかっ! ――ライティング!」
「――またか!」
光が視界を覆いつくし、大志の姿を見失ってしまう。
しかしながら、魔力の動きが日色を導いてくれるのだ。
(――上か!?)
反射的に上を見上げると、そこには空高く跳び上がっている大志がいた。
「っ! 気づくの早えよっ!?」
日色の感知能力を見縊っていたようだ。日色はそのまま大地を蹴って瞬時に大志の懐へ入ると、彼の腹部に拳をめり込ませた。
「ぐっ……がはぁ……っ!?」
折り曲がった彼の身体を見下ろしながら、背中に向けてハンマーのように拳を振り下ろした。
避ける間もなく、大志は真っ直ぐ大地へと直下。
地上に突き刺さり粉塵を巻き上げる大志だが、そのまま沈むわけではなく、痛みに顔を歪ませながらも立ち上がって日色から距離を取る。
そんな彼を、日色は地上に降りてからジッと見つめた。
「今ので終わったかと思ったが、咄嗟に身体力を使って防御を高めたな?」
腹部と背中、叩く瞬間に、その部分を黄色いオーラが覆ったのを日色は確認していた。
「ぐ……へへへ、それでもこのダメージって、反則だろお前」
「鍛錬の結果だ」
「チートの結果じゃねえの?」
「別に否定はしないがな」
魔法の力の恩恵によるものが大きいというのも日色は理解しているからだ。
「……はぁ。聞くべきかどうか迷ってたんだけど。今のお前のレベルってちなみに幾つ?」
「――300だ」
「規格外過ぎだろうがっ!?」
そんなこと言われても、アヴォロスやら『神族』の王やらを相手にしているとそうなっても仕方がないと思う。
ヒイロ・オカムラ
Lv 300
HP 10753/11000
MP 18370/20000
EXP 112000000
NEXT ――――
ATK 1900(2000)
DEF 1500(1515)
AGI 2000(2050)
HIT 1300(1350)
INT 2020(2030)
《魔法属性》 無
《魔法》 文字魔法(一文字解放・空中文字解放・多重書き解放・二文字解放・複数発動解放・発動操作解放・三文字解放・遠隔操作解放・範囲指定解放・自動書記解放・四文字解放・自由文字開放)
《称号》 巻き込まれた者・異世界人・金色の文字使い・覚醒者・人斬り・想像する者・ユニークジェノサイダー・グルメ野郎・横柄眼鏡野郎・我が道を行く・妖精の友・精霊の友・ミカヅキの飼い主・魔物の天敵・放浪者・瞬光サムライ・超人・幼女落とし神・魔に愛されし者・巻き込まれ体質・スーパー人タラシ・子供のヒーロー・超鈍感マイスター・読書マニア・食いしん暴君・勘違いプリンス・超絶ダイバー・テレポーター・魔神・ニッキの師匠・トラブル請負人・救世主・真の英雄・神殺し・宇宙を渡る者・創造神の後継者・最強の存在・極めた者・超越者・神域者
レベルが300になった時点で次のレベルまでのNEXTに数字が表示されなくなった。
《ステータス》を設定した『神族』の一人――ペビンに聞いてみると、表示される限界が300らしく、それ以上は設定されていないとのこと。
ゲームみたいにまさか限界があるとは思わなかったが、日色もまたこれ以上レベルを上げようとは思っていないし、300レベルで十分過ぎるとも思っているので設定し直そうとは思わない。
そもそも今まで生きてきた者たちで、300に達した者は日色だけだとペビンは言った。
ちなみにミミルやレッカのように《ステータス》がなかった者にもちゃんと現れるように日色はシステムを弄って表示されるようにしておいたのだ。
『神族』が作ったものだとしても、この《ステータス》は便利だから。
「くっそぉ……300とか、どんだけなんだよぉ」
明らかに動揺している大志だが、絶望感を漂わせているわけではない。最初から日色に敵うとは思っていないのだろう。文字通り胸を借りるつもりで模擬戦に望んでいるようだ。
「まあいいや。丘村がおかしいのは今に始まったことじゃないし、俺は俺で全力でやるだけだ! 行くぞっ!」
おかしいとはかなりの言い草だが、それに頷いている者も周りにはいる。特にアノールドやバリドあたりだ。失礼な奴らである。
大志が魔法を放ちながら休む間もなく攻め続けてくる。
時には接近して剣を振り、時には遠距離で魔法を連発。
日色はただただ彼の攻撃を回避し、隙を見つけてはカウンターを放つといった対処をしていく。
――十分後。
「はあはあはあはあ……っ」
始まる前とはうって変わって、大志の身体はボロボロで全身から滝のように汗を流していた。
「もう、終わりか?」
対して日色はまだまだ余裕である。さすがにレベル差が違い過ぎるし、戦闘経験も日色の方が圧倒的に多い。
「…………な、なあ丘村」
「何だ?」
「さ、最後に……全部の力を……込める。お前も……相手してくれ」
今までは悲壮感が含まれていた彼の瞳だったが、どこかスッキリしたような色合いをしていた。次の一撃ですべてを出し尽くすつもりのようだ。
「いいだろう。――来い」
「……サンキュ、な」
相変わらずのイケメンスマイルを見せて、大志は大きく深呼吸をする。
それから両手で剣の柄を強く握りしめると、歯を食いしばったあと、空高く跳び上がった。
そのまま剣先を天へ向ける大志。刀身に彼の魔力が生み出した光の粒子が集束していく。
(……ほう。大した力だ)
恐らくアクウィナスクラスの『魔族』でも、まともに受けると大ダメージを受けてしまうほどの光魔法の力だろう。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」
刀身がさらに眩い光を纏い始め、大志は全力を以て剣を地上に立つ日色に向けて振り下ろす。
「――――ジャッジメント・レイッッッ!」
斬撃とともに降り注ぐ光の柱。それが真っ直ぐ日色へと迫ってくる。
日色は光に弱い『魔族』でもないし、レベル的にも恐らく《赤気》を使った三文字でも使えば事足りるだろう。
しかし日色にも彼の最後の意志は伝わって来ていた。
だからこそ、日色もまた本気で相対するべきだと柄にもなく思ってしまう。
「…………《釈迦金気》」
突如――日色の全身から月のように黄金に輝くオーラが溢れ出す。それを大志のように刀――《絶刀・ザンゲキ》へと集束させていく。
刀身は凄まじい力を凝縮させ、黄金の光の刃へと姿を変える。そのまま突きを繰り出す構えを保つ。
「――――――《一刀涅槃》」
勢いよく腕を突き出した刹那――刀から放たれる巨大な黄金の刃。
それが頭上から降ってくる光の柱と激突し、光を斬り裂きながら大志のところへ向かう。
それを見た大志は確かに頬を緩めて笑った。
「はは……さすがだ」
刃は大志に直撃する瞬間に細かい粒子となって霧散した。さすがにこのまま攻撃してしまうと大志はその身を滅ぼすことになるから、日色は技が着弾する前に中止したのである。
しかし全てを出し尽くした大志はそのまま大地へと落ちてきた。日色は地面に向けて『柔』という文字を放って、地面をクッションのような状態に変化させる。
その上に大志は落下してきて、ボフゥゥゥとおよそ地面に落ちたものではない音を出して着地した。
それでもすでに大志は気絶していたようだが、その表情は笑みを浮かべて満足気であった。
「――勝者っ、ヒイロ・オカムラッ!」
レッグルスの声が響くと同時に、模擬戦を観察していた獣人たちが口々に日色を称賛し始めた。
その中に大志をいたわるようなものは聞こえてこない。やはりいくら大志が頑張ってきたとしても、数年で評価が変わることはないのだろう。
しかしその時、いつの間にかペビンが大志の近くにいて覚醒を促されたのか、大志が瞼を上げて現状を理解した後、
「……負けた、か」
「ええ、立派な負けっぷりでしたね。何もかも敵わずに」
「はは、きっついことを平気で言うよな、アンタは」
「おや、男に慰められて喜ぶタイプでしたか」
「いや、まあ……はぁ」
ペビンのからかいにもまともに返すことができていない。かなり体力を消耗しているようだ。
するとペビンは周囲に目配せしながら口を開く。
「もしあなたがこの模擬戦で獣人たちに認められたいという思いがあったのでしたら、それはどうやら失敗だったようですね」
「そんなこと考えてないよ。これは一種の俺のケジメのつもりだったし」
「ほほう、ケジメ」
「そうだ……」
突如、大志が大きく胸を膨らませるように空気を目一杯吸い込み始めた。
「――俺はっ!」
怒号にも似た叫びに、当然日色たちは彼に注目する。
「俺はっ、本当にこの世界に申し訳ないことをしましたっ!」
獣人たちもキョロキョロしながら、何事かと大志を見守っている。
「特に獣人たちには、王の居ぬ間にこっそりと国に侵入して、とても大切にしてたものを奪ってしまった! 正々堂々と戦ったわけでもなく、その後だって結局世界のせいにして逃げようとした!」
どうやら自分の行いの懺悔が始まったらしい。
声が震えているのは疲弊感だけからくるものではないだろう。握りしめた両拳を見て、彼がこの告白に一種の恐怖を覚えているのは明白だった。
もしこの告白で獣人たちが怒りを込み上げ襲い掛かって来たら、きっと今の彼では一溜りもないはず。それでも彼は皆に真意を伝えることにしたのだろう。
「俺は逃げてばっかだった! 流されてばっかだった! 自分で何も考えずに、自分なら何とかなるって考えた結果がこれだ! 本当に……情けない。情けなくて情けなくて……自分を殺したくなった」
元来彼の性格は別に悪いものでは決してないはず。人のために何かをしたいと思って行動してきたのも真実だろう。優しい――そういう性格の持ち主なのは違いない。
「けど、丘村は……ヒイロ・オカムラは違った」
「……!」
いきなり自分の名前を出されて目を見張ってしまう。
「そこにいるそいつは、最初から自分の考えを持ってて、何にも流されることなく、逃げることなく、この世界を生きてきた。多分頑張ったことも俺の比じゃないんだろうなぁ」
そう言う彼の表情には、どこか嫉妬めいたものを感じたが、やはり彼もまた悔しいのかもしれない。同郷の者が成功し、自分が失敗し続けてきたという事実が。
「だから……さ。少しでも丘村に……いや、ヒイロ・オカムラに近づきたいって思ったんです。別に英雄になりたいわけじゃない。誰かの役に立つような人になりたかったんです」
日色も別に英雄になりたかったわけではない。知らず知らずに邪魔者を排除し続けていたらそうなっただけなのだ。
しかし得てして英雄というのはそういうものなのかもしれない。なりたいと思ってなれるものではなく、自然に周りからそう呼ばれる存在なのだろう。
「この模擬戦で少しは自分が成長できたか確かめたかったけど……やっぱりあなたたちの英雄は……強いや」
自嘲めいた彼の言葉を聞いてきた獣人たちも、自然と尖っていた雰囲気が少しずつ柔らかくなってきていた。
「…………実は二日後――俺はこの世界を去ることになりました」
その衝撃告白に、獣人たちがまたざわつき始める。
日色は彼がそういう選択をしたのかと納得したが。
「ヒイロ・オカムラが力を貸してくれて、いや、多くの人たちのお蔭で、俺は元の世界に帰る切符を手にできました。もちろん帰らないって選択肢もあります。けど俺は……帰りたい。前にも一度ここから元の世界に帰った時、ようやくこの世界から逃げることができてホッとした。そう、逃げたんです。でも今回は違う。ちゃんと考えて、それで帰ることを選んだ。本当ならこの世界に残って罪を償っていかなきゃならないと……思います」
その言葉には頷く者もちらほらといた。
「だけど、俺は自分の世界に帰ってやらないといけないことがあります。それは――――俺を生んで育ててくれた両親への恩返しです」
またも若干騒ぎが聞こえるが、レッグルスが手を上げると同時に皆が静まり返った。
「勝手だと思います。親よりも償いを優先しろって言われるかもしれません。けれど俺は……ごめんなさい。やっぱりこのまま両親に何も返せないまま終わりたくありません」
どちらかの選択。
この世界を選ぶのであれば、それは親、故郷を永遠に失うことと同義。
元の世界を選ぶのであれば、それは罪から逃げたと捉われてもおかしくない事実。
どちらを選んでも結局は彼の罪悪感は一生残ってしまう。
そして大志は選んだのだ。たとえ後ろ指を指されようとも、元の世界――両親のもとに帰り親孝行をするということを。
日色にはどちらが正しいのか分からない。そもそも正しい選択などありはしないのかもしれない。
結局は自分がしたいことを選ぶ。日色ならばそうするだろう。その選択で、誰かに迷惑をかけたとしても……。
ただ意外だったのは、大志の言葉を静かに獣人たちが聞き入っていることだった。日色の予想では、誰かしらが彼の選択を侮蔑するような方向を見せると考えていたが。
するとそこへレッグルスが大志との間を一人詰めていく。その行為を誰もが黙って見守っていた。
「――一つ、聞いてもいいかい?」
「は、はい!」
大志は苦痛に顔を歪めながらも上半身だけは何とか起こすことに成功した。レッグルスの真っ直ぐな瞳が大志を射抜く。
「君は、約束できるかい?」
「約束……ですか?」
「そう。もう二度と、自分の歩む道を汚さないと。真っ直ぐ――生きると」
「っ! …………はいっ!」
「うん、言い返事だ」
同時にレッグルスがパチパチと拍手をしだす。
「それに、良い闘いだった。元の世界に戻っても、今回のことを忘れさえしなければ、きっと君は誰かを救える人になれるだろう」
「レッグルス王……!」
その時、周りにいる獣人たちの中からもばらつきながら拍手が響く。
「まだ君を許すことができない者は多いだろう。しかし君は君の世界で、存分に戦えばいい。この獣王レッグルスが、それを支持する」
「っ……は……いっ。……ありが……っ……とうござい……ます」
涙を流す大志。徐々に大きくなってくる拍手。しかしさすがに彼を応援するようなメッセージなどは飛び交ってこない。
きっと獣人たちもまた複雑な思いを抱えているのだろう。一人の人間の選択を。すべてをかけるという彼の選択を、彼らも支持するとまではいかないが認めてしまっているのかもしれない。
獣人種は基本的にこういう熱い展開に弱かったりする。その種族特性の賜と言ってしまえばそこまでだが。
それでも大志にとっては大きな一歩になったはず。
それから大志はペビンに肩を貸してもらい、獣人たちに頭を下げていた。
「丘村も……ありがとうな」
「……あと二日。最後の【イデア】を楽しむことだな」
それだけを言って、日色は再び作業を行うために【オリンピース】へと転移した。
※
転移石を使って【人間国・ランカース】へと帰国した大志だったが、当然の如くボロボロになった身体を見た千佳たちから何があったのか説明を請われた。
一緒についてきたペビンが面白げに話すと、やはりといったところか千佳には大目玉を食らう。
「何でアタシたちを連れて行かなかったのよっ」
「い、いやその……一人でケジメをつけたかったというか……」
「そういや、何かやりたいことがあるって前に言ってわね。あれってこのことだったんだ」
「ご、ごめん……みんな」
「ホンマ大志っちは水臭いで」
「そうですよ。私たちは仲間なのですから」
しのぶと朱里にも怒られてしまった。
ただ大志はやはり一人で日色と模擬戦ができたことを嬉しく思っている。自分のすべてを出し尽くせて、胸の中はスッキリしていた。
泣いてしまったのは恥ずかしかったが、それでも獣人たちにはわざわざ見に来てもらって感謝している。
模擬戦をするということ自体は、各国の王やそれに連なる者たちにはすでに報告していた。特にジュドムやイヴェアムの二人の王からは頑張れと意気込みを貰っていたのだ。
大志は思う。一人で行動したものの、やはりこうして傍に仲間がいるのは頼もしい。心地好い。
だからこそ自分は今まで頑張れてこられたのだ、と。
(【イデア】にいた数年――どちらかっていうと辛くて苦しい経験の方が際立つけど、決してそれだけじゃなかった)
こんな自分にも良くしてくれた【イデア】の人々が大勢いた。感謝してもし切れない。
だからこそ、この感謝の気持ちを忘れずに、元の世界に帰っても精一杯生きようと思った。
身勝手な選択かもしれないけれど、それが初めて自分一人で真剣に悩み考え抜いて出した答え――だから。
※
【オリンピース】のシステムを再び発動させる日が明日に迫っている中、日色はミミルとイヴァライデアとともに最後の魔法陣の調整を行っていた。
「あの、ヒイロさま、昨日はお疲れ様でした」
「あ? ああ、勇者との模擬戦のことか?」
「はい。ミミルは作業があったので行けなかったですが、ヒイロさまですから心配はしていませんでした」
「まあ、ただの手合せみたいな感覚だったしな」
大志は全力全開で向かってきてはいたが。
「こっちも悪かったな。お前らに作業を押し付けて」
「いいえ。イヴァライデアさんとウィルビーさんといっぱいお話してましたから」
「左様でありますな。ミミル様はやはり『精霊の母』の転生体。生まれ変わりとはいえ、どことなく彼女と似ているであります」
ウィルビーがそう言いながらプカプカと空を飛びながらやって来た。
「創造主様、魔法陣の綻びをチェックしたでありますが、問題はないと思うであります。あとは実際に魔力を流して発動できるかどうか試すだけであります」
「うん、分かった。ヒイロ、ミミル、力貸して」
「ああ」
「分かりました」
事前に教えられた通りに、日色はイヴァライデアを肩に乗せてちょうど魔法陣を挟んでミミルと対面するように立つ。
二人で膝を折り、ほぼ同時に両手で魔法陣に触れる。
「それじゃ、試しに力を使うから。ヒイロから魔力をもらう」
イヴァライデアの身体が淡く金色に光り輝き始めると、それに呼応して魔法陣も眩い光を放ち始める。
またミミルの身体も同様にオーロラのような光に包まれ始めた。
「どうやら問題なく発動できるようでありますな。もうよろしいであります」
ウィルビーの言葉で魔力供給を止める日色。同時に魔法陣の輝きも鎮まっていく。
イヴァライデアが「ふぅ」と小さく溜め息を吐くので「大丈夫なのか?」と日色が尋ねた。
「うん。いくらヒイロから魔力を貰うからといって発動させるのはわたしだから。今のわたしにはかなりしんどいお仕事」
「本番は《文字魔法》を使って力の底上げも行うから大分マシになると思うがな」
「はい。それにミミルも《送還の歌》を教えてもらいましたから。精一杯歌わせて頂きます!」
「二人ともありがと。じゃあ明日のためにも少し眠る……ね」
瞼を閉じたイヴァライデアが、スッと眠りの時間に入った。
今回彼女が力を使うことで、また本来の力を取り戻す時間が伸びるだろう。しかしそれでも彼女は大志たちを送り出すことを躊躇しないはず。
大志たちもまた巻き込まれた存在で、それはやはりイヴァライデアのせいなのだから。
それを痛感しているからこそ、イヴァライデアも必死に眠りの時間を削って作業をここ数日やってきたのだ。
「最後の魔法陣調整は吾輩がやっておきます故、お二人もどうか休んでくださいであります」
ウィルビーのそんな気遣いを快く受け、日色はミミルと一緒にピラミッドの外へと向かう。
すでに外は日が傾いており島から外の光景は、コバルトブルーの美しい海が悠然と広がっていた。
「わぁ~とてもキレイです~」
ミミルは両手を合わせて目を輝かせている。
彼女の夕日に照らされて赤く染まった横顔を日色は見つめた。
ここ数年で髪と身長が伸びたミミル。どこか大人っぽくなった彼女を改めて意識し、心がドクンと鳴った。
(……いやいや、何でドキッとしてるんだオレは)
確かにミミルは可愛いが、異性として好きだと断定するにはまだ早い。まだまだミミルの年齢も若いし、そもそも日色はロリコンではないのだ。必死に今の自分の胸の高鳴りを否定する。
「……どうかされましたか、ヒイロさま?」
「……何でもない」
「……? でも顔が赤いですよ?」
「夕日のせいだろ?」
「……何かミミルに隠されていませんか?」
「しつこいぞ」
「ふふ、そうですね。少し意地悪しちゃいました」
日色が照れ臭くなっていることに気づいているのか、楽しげに笑みを浮かべているミミル。女性は鋭いというが、よくもまあそんなに他人の感情を敏感に悟れるものだと感心する。
「……ヒイロさま。わたし、今とっても幸せです」
「何だ、急に」
「少し前は世界は戦争一色で、ヒイロさまも戦っておられて、ミミルも毎日が不安でした」
「…………」
「けれど今は、こうやって平和にヒイロさまと美しい光景を見ることができて、ミミルは幸せ者です」
「大げさだな」
しかしミミルは静かに首を左右に振る。
「大げさなんかではありません。きっと……ミミルの中の彼女も喜んでいますから」
「……先代の転生体のことか?」
「はい。ラミルさまのことです」
「もしかして記憶が甦ったりしているのか?」
「そうですね。この頃、彼女が生きていた時の夢をよく見ます。ヒイロさまはどうですか?」
「……オレも、そうだな。お前みたいに夢で見るというよりは、ふとした瞬間に思い出したりする」
恐らくきっかけはイヴァライデアに出会ってからのような気がする。それから少しずつ魂が震える度に思い出が甦ったりするのだ。
「でもほんとに驚きです。まさかミミルとヒイロさまの前世が、すでに出会っていてその……け、結婚していたなんて」
「しかも身ごもっていたとはな。さらにその生まれ変わりがレッカだ。どれもイヴァライデアの力によるものらしいが」
改めてそう考えると、やはり創造主という者の力は凄まじい。
「ふふ、レッカに母上と呼ばれる度に、心が喜んでいることが伝わって来ています」
彼女の言うことも理解できる。何故なら日色の魂もまた、レッカに父上と呼ばれるのは気恥ずかしいが嬉しさもその中に確実にあるのだから。
それは灰倉真紅の魂が喜んでいる証拠なのだろう。
「で、でも……羨ましいって思う時があります」
「羨ましい? 何故だ?」
「だって……その……ラミルさまは大好きな人と結婚し子供まで授かっていたのですから」
明らかに夕日のせいではない真っ赤さを顔に宿している。
「ミ、ミミルだっていつかヒイロさまの……っ、ああミミルってば何を言っているのでしょうか! は、恥ずかしいですぅ!」
ならば口にしなければ、とはとても口にできない日色。
(しかし子供……か)
自分もいつか神からの贈り物を受け取る時が来るのだろうか。
愛する女性ができて……結婚して……そして。
日色の脳裏には日色のことを好きだと言ってくれている女性の顔が浮かんでくる。
「……むぅ」
「? どうした、そんな頬を膨らませて?」
何故か不機嫌そうに彼女が口を尖らせながら言う。
「ヒイロさま、今他の女の人たちのことを考えたましたよね?」
…………鋭くて感心してしまう。
「やっぱり……もう、ヒイロさまの意地悪」
「何故分かったんだ?」
「女性はそういうところに敏感なんです!」
「そ、そうか」
そういう機微は、いまだに日色には理解しがたいのだ。
ミミルは膨らませた頬を戻し、少し寂しげに顔を伏せる。
「実はですね、ラミルさまは幸せでしたけど、やっぱり悔いもあったのです。それは……子供をしっかり生んであげられなかったこと」
そうだろう。自分の子供と一緒に死んでしまったのだから。母親としては、せめて子供だけでも幸せに生きてほしいと願ったはず。
「ですから……その願いをいつか叶えてあげたいんです」
「……は?」
思わず聞き返して振り向いた時、日色の唇に生温かい感触が張りついた。
眼前には恥ずかしげに瞼を閉じたミミルの顔がアップに移されている。ほんの数秒ほどの間、沈黙が続きそしてゆっくりとミミルが顔を離していく。
「……だから、お願いしますね、ヒイロさま」
そう告げる彼女の笑顔は、それまで見てきたどんな彼女の笑顔より魅力的だと感じた。まだまだ幼さが多分に残る表情ではあるが、それでも女性としての笑みだと思ったのだ。
「……約束はできんぞ」
「分かっています。ヒイロさまのお返事を待っている方々がたくさんおられることは。ですがヒイロさま、ミミルとしては別に本妻でなくとも、ミュアちゃんと一緒に可愛がって頂ければ満足ですよ?」
「…………はあ?」
とんでもないことを言い始めたので、さすがに愕然としてしまった。
「い、今お前何て言った?」
「ですからミミルは側室でもまったく構わないといった話です」
「…………」
「そもそもヒイロさまほどの方であれば、多くの妻を持つのは正しいのだと思うのです。お父様も元々は二人のお嫁さんを貰う予定でしたし。強く魅力的な男性なら当然のことです」
「いやいや、レオウードは王族だからだろ? オレは王族でも何でもなく一般人だぞ」
「ですが神様の後継者ですよね?」
「そ、そういうことに一応はなっているが……」
何故だろうか。まったくもってミミルを説得できる自信がなくなってきた。いや、そもそも何故彼女は一夫多妻を許すのだろうか。普通は夫の愛は自分一人に注いでほしいと思うものではなかろうか。
「神様ともあろうお人なのです。多くの妻を持っても問題ありません!」
「問題はあると思うが……。それにオレは人間だぞ」
異世界人ではあるし、神様の魂の欠片を持った存在であることは疑いようもない事実ではあるが。
そう考えれば、いくら生まれ変わりだとはいえイヴァライデアとは血が繋がっている親子のようなものなのかもしれない。こんな幼女の母親などニッキ一人で十分なのだが……。
「それに、誰か一人を選ばれると、その他の人たちはやっぱり悲しいです。祝福はしたいです……けど。でもどうせなら全員が幸せを感じられる選択があれば、と思います」
全員が幸せ……か。
今、日色はいろいろな人たちから想いのたけをぶつけられている。ここにいるミミルもその一人だ。
その中の一人を選ぶということは、他の者たちの想いを受け入れないということ。それはやはり悲しみを生んでしまうのかもしれない。
今まで日色は恋というものをしてこなかった。だから振られる気持ちも、成就する気持ちもまったく分からない。
ただ日本人の観点からたった一人を選ばなければと固執しているだけなのだろうか……。
「ミミルはヒイロさまをずっと……永遠に、この命尽きるまで……いえ、尽きてもなお愛し続けられます」
「ミミル……お前って案外積極的だったんだな」
「女の子は好きな殿方の前ではそうですよ。むしろヒイロさまが淡泊過ぎるのです」
「そういうものか?」
「そういうものなのです。……ふふ、でもこれからもずっと、こうしてヒイロさまの隣に立って、夕日を眺められたらと思います」
二人で赤々と燃え上がる太陽を見続ける。
(全員が幸せになれる選択……か)
まだ自分の中でハッキリとした答えは出ていないが、何となく彼女たち任せにし続けられることではないと日色自身考えていた。
これまで受け身ばかりだったが、そろそろ本格的に考えを纏めて動く必要があるような気がする。
(勇者の問題が片付いたら、今度はオレの問題について積極的に考えてみるか。コイツらに負けないようにな)
そう夕日に誓う日色であった――。
――翌日。
獣人界の遥か西の海――【オリンピース】には、各国を代表する数多くの者たちが顔を連ねていた。
皆が大志たちの選択を確認しに来たのである。また彼らが元の世界に戻るのであれば、それを見送りに来たということだ。
ピラミッドの中――魔法陣の傍に立つ日色は、ここへ集まった者たちを顔を一望し、その流れで四人の勇者たちの顔を見た。
「――さて、お前らの答えを聞かせてもらおうか」
それぞれ覚悟を決めているのか、スッキリした表情をしている。若干一人――朱里だけがまだ迷っているような表情をしている気がするが。
「俺は――帰る」
大志が真っ先にそう口火を切ると、続けて千佳が、
「アタシも帰るわ」
「ウチもやな」
しのぶも彼女に続いた。
そして最後の朱里だが……。
「お前はどうするんだ?」
「私は……」
日色の問いに対して俯き加減のまま。どうやらまだ確定した答えを見つけることができなかったようだ。
選択を確認しに来た者たちの一人である魔王イヴェアムが、朱里に近づきその手をそっと掴む。
「イヴェアムさん……!」
「シュリ……あなたがもし、この世界にいたいって思ってくれているのなら私は嬉しい。だってそれはこの世界を好きになってくれてるってことだもの」
「……はい」
「でもね、もし元の世界に親や兄弟がいるのなら、私はやっぱり帰るべきだと思うの」
「! ……でも」
「元の世界に少しでも未練があるのなら、私は帰る方が良いと思う。後悔しないためにも」
朱里はしばらくイヴェアムの保護下のもと仕事をしていた時期がある。そしてイヴェアムとは一緒に茶を嗜んだり、世界について話し合ったりしていたらしい。
朱里にとってイヴェアムはもう友人なのだろう。そんな彼女からの想いのこもった言葉にたまらなくなったのか、静かに涙を流した。
しかしそれはイヴェアムも同じなようで、
「……大丈夫よ。離れていても私はシュリやシノブたちのことを忘れたりしない」
彼女もまた朱里を抱きしめながら涙を流していた。
「だから、あなたはあなたの世界で必死に生きて。この世界で経験したことを糧にして」
「…………はい」
どうやら選択は決まったようだ。
「よし、なら四人とも魔法陣の上に立て。ミミル、イヴァライデア、始めるぞ」
二人も頷き返事をする。そして所定の位置へと立つ。
皆が見守る中、勇者たちは魔法陣の上に立ち、日色とミミルは魔法陣を挟むようにして体面上の位置を取る。イヴァライデアは日色の右肩に乗っている。
「それじゃ始めるぞ――《釈迦金気》!」
刹那――日色の身体から金色の光が溢れ出し、瞳の色もまた金に染まっていき。背中から生えた金色の翼は、魔法陣を優しく包み込むように覆う。
「き、綺麗……!」
「ホンマや……」
「丘村くんはもう、こちらの住人というわけなんですね」
千佳、しのぶ、朱里がそれぞれ日色を見て感想を述べた。
大志だけは黙って日色の所作を一つも見逃さないといった感じで見つめている。
「ミミル、やってくれ」
「はい、ヒイロさま」
スゥ……と息を吸い込んだミミルは、静寂が包む中で静かに口を動かし始めた。
「ラ~ラララ~、ラララララ~ラララ~」
歌を口ずさむと同時に、彼女の身体が淡く発光しだす。彼女の周りにはポッ、ポッ、ポッと精霊の核となる光の集合体が生まれ、それがどんどん増え続けていき、呼応するかのように魔法陣もまた輝き始める。
ミミルの『精霊の母』としての力を使い、そのエネルギーを送還のための力に変換していく。
イヴァライデアも瞼を強く閉じて額からは大粒の汗を浮き出させている。
そして日色は全ての力を右手の指先へと集束する。そのままゆっくりと動かすと、金色の軌跡が文字を形成していく。
『異世界地球強制送還』
世界の理を歪め、閉じていた異世界への扉を強制的に開くために使用される九つの文字。
今、日色が全力を注いで使うことのできる最大の文字数。
その一つ一つの文字がひとりでに動き、一つずつ魔法陣へと注がれていく。その度に魔法陣は更なる輝きを放つ。
(くっ、思った以上に力のコントロールが難しい!)
まるで失敗は許されず、あちこちに散らばった複数の針の穴に糸を通すかのよう。一つでも通すことに失敗すれば魔法自体が効果を失ってしまう。
送還魔法に命が対価として必要だという理由がよく分かる。神の力を持ってしても、これほどの困難さを要求させられ、失敗すれば恐らくはかなりの《反動》を受けてしまう。
それほどの至難の業。普通に考えて一人で使用すればその後どうなるかは自明の理。
ミミルも辛そうではあるが必死になって歌い続けてくれている。そして成功を祈るように、周りの者たちも固唾を呑んで見守ってくれていた。
するとそこへ、
「――ヒイロ、発動する合図は任せた」
イヴァライデアから準備が整ったということを知らされる。日色は「分かった」と言うと、再び視線を緊張に包まれている勇者四人たちに向けた。
「……何か最後に言い残したいことがあったら言え」
「丘村……」
大志が皆に顔を向けると、三人が頷き、まず千佳が口を開く。
「皆さんっ、アタシたちのために見送りにきてくれて本当にありがとうございました! アタシは絶対にこの世界で経験したことは生涯わすれませんからぁっ!」
続いてしのぶが、
「ウチもや! 辛いこともあったけど、それでもたくさんの人と知り合えてホンマに嬉しかった! ありがとうっ!」
そして朱里。
「私も! もし、もしまた会うことができたのなら、また笑顔で……笑顔でっ!」
涙を流す朱里の言葉に、イヴェアムも同じように目を潤ませて何度も頷きを見せている。
最後に大志が、集まってくれた人たちの顔を見回して静かに頭を下げた。
「今まで申し訳ありませんでした。そして――ありがとうございましたぁっ!」
気持ちの良いハッキリとした言葉で皆に声を届けた。皆もまた拍手を送っている。
「――もう、いいか?」
「ああ、ありがとう丘村。でもまだ最後に言いたいことがあるんだ」
「誰にだ?」
「お前だよ」
「は?」
「そやで丘村っち。最後の最後まで世話になって、ホンマごめんやったな。でもありがとう」
「そうね。何だかんだいってアンタには結構せわになったし。最後も…………ありがとね」
しのぶだけでなく、千佳もまた素直に感謝を述べてくるとは思わなかった。今まで反りが合わずいつも反発されていた覚えしかなかったが、恥ずかしげに目を逸らす千佳を見ると、つい呆然としてしまう。
「な、何よその顔は!」
「……お前、素直にそういうことを言えるんだな」
「し、失礼ねアンタは! やっぱりアタシはアンタのこと嫌いだからぁ!」
「ちょ、千佳」
「大志は黙ってなさい!」
「ご、ごめんなさい……」
やはりこれからも大志は千佳の尻に敷かれるのだろう。まったくもって弱気な彼だ。
「……丘村くん。最後に一つ、お願いを聞いてもらえませんか?」
朱里が懇願するような眼差しを向けてきた。
「何だ?」
「最後に、私たちの名前を呼んでもらえませんか?」
「……? 何でそんなことを?」
「実は、四人で決めてたんだ。最後に丘村に名前を呼んでもらおうって。だってお前って、日本にいた時もクラスメイトの名前とか呼んだことなかっただろ?」
大志の言う通り、それはこの世界でもそうだった。名前で呼んで必要以上に親しくしないようにしていたのだ。他人との関わりをもつのが怖かったから。
「だから……頼むよ」
大志たちが真っ直ぐ日色の目を見つめてくる。
思えばこの世界にコイツらと一緒に来て、曲がりなりにも同郷として異世界で過ごしてきたのに、一度も名前を呼んだことなどなかった。
今更何だか改めて名前を呼ぶのは気恥ずかしさも感じるが……。
日色はスッと瞼を閉じる。
「…………そんなこと言わずにさっさと意識を地球へ集中させろ」
「丘村……」
大志たちが寂しげな表情を浮かべる。断られたショックで明らかに意気消沈していた。
しかし日色は静かに瞼を上げると、
「――――達者で生きるんだな、青山大志、鈴宮千佳、赤森しのぶ、皆本朱里」
「っ!? 丘村……!」
「丘村……アンタ」
「にゃはは、ツンデレやぁ」
「ふふ、丘村くんらしいです」
四人全員が砕けた表情で笑い、その様子を見ていた者たちもまた微笑ましそうに笑みを溢している。
「それじゃ行くぞ―――発動っ!」
日色の言葉をきっかけにして、イヴァライデアが、
「―――送還っ!」
と口にした。
魔法陣から光の柱が天井を突き破る勢いで突き登り、眩い光が視界を覆い尽くす。
四人の姿が光に消されるようにしてその場から掻き消える。
最後に見たのは、彼らの嘘偽りのない心からの笑顔であった。
光が鎮まったあとは、魔法陣の上には何もない。イヴァライデアの表情を見たが、どうやら送還も上手くいったらしい。
ミミルがゆっくり近づいてきて、そっと右手に触れ、
「お疲れ様でした、ヒイロさま」
「……ああ。お前もな」
その場にいた全員が自然と天を仰ぐ。いなくなった大志たちの姿を追うかのように。
(……まあ、今のアイツらならどこの世界でも全力で生きることができるだろうな)
こうして英雄と一緒に召喚された勇者四人の異世界の旅路は終幕した――。
※
――そこは薄暗い倉庫の中だった。
ほとんど同時に四人同時が瞼を上げる。同時に飛び込んできたのは、向かい合っていたので、自分以外の三人の顔だった。
「ここ……は?」
四人の中の唯一の男性である大志が周りを見回す。
「どうやらここはアリシャがアタシたちを【イデア】に送り返してくれた場所みたいね」
千佳の言葉に大志が「そういやそうみたいだな」と答える。
ということは……。
「俺たち……戻って来たんだな」
他の三人が深く頷いた。
「とりあえず外に出ようか」
大志の先導で倉庫を出て行く。眩い陽射しが四人に降り注ぎ、全員が顔をしかめてしまう。
大きな別れを経験した後なのに、憎いほど澄んだ空から太陽が笑っているように見えた。
四人にとって見覚えのある街並み。路地を出るとそこは商店街で、行き交っている人々は、当然魔物の恐怖に怯えたり武器を携えたりしていない。
本屋で立ち読みする人や、コンビニで飲み物を買っている人、店の周りを掃除している人な様々だ。
確かな平和がそこには存在している。
「ホンマに戻って来たんやな……」
「そう、ですね……」
「っ!? 朱里っち……なに泣いてんねん」
「……っ、しのぶさんこそ」
しのぶと朱里は無意識なのか涙を流していた。それに感化されるように千佳もまた涙を流して、三人で抱きしめ合う。
大志もまた万感たる思いなのか、笑みを浮かべながら空を見上げている。
「……俺たちは、この世界で生きて行くんだ」
「……そうだね、大志」
「ウチらはウチらの世界で、精一杯生きなアカンよね」
「はい。あちらの世界に住む方たちに負けないように」
四人にはもう迷いなんてなかった。
異世界での経験はあまりに大き過ぎた。そのせいで失ったこともあるが、また得たものもたくさんある。
だからこそ、【イデア】に行く前と比べて命のありがたさを四人は知った。
そしてその命をこれからどうやって生きていくか。その道もまた見つけることができたはず。
「……そうだよな」
大志は再度、倉庫がある路地の方を振り返った。
「大志?」
「……何でもないよ」
大志は三人に向けて最高の笑顔で答える。
「これから頑張って行こうな! みんな!」
「当然よ!」
「もちろんや!」
「はい!」
もう振り返らない。四人は自分が示した道の上を歩くように、真っ直ぐ歩み始めた。
――――バイバイ、異世界。
そんな言葉を最後に、勇者だった四人は、今度は自分たちの世界で戦うことを決めた――。




