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金色の文字使い ~勇者四人に巻き込まれたユニークチート~  作者: 十本スイ
番外編1

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255/281

255:乙女たちの二年間

 英雄――ヒイロ・オカムラ。


 彼の名は、月の墜落から【イデア】を守った直後にすぐに広まることになった。誰かが率先して広めたわけではない。

 遥か上空に位置する月に生えた金色の翼。それを目にした者たち全員が翼の持ち主を知りたいと口にしだしたのだ。


 知っている者は、尋ねられて異世界からの救世主であるヒイロ・オカムラの名を教える。その名が蔓延するのに大して時間はかからなかった。

 各国の王たちが、ヒイロ・オカムラのお蔭で世界が救われたことを発表する時には、もうほとんどの者はその名を知り得ていたのだ。


 その名に対し、憧れを抱く者、祈りを捧げる者、恐れを抱く者、妬む者など様々だったが、口々に英雄ヒイロという言葉を民たちが発した。

 無論【イデア】を守ったのは日色だけではない。彼をサポートし、ともに戦ったミュアたちも称賛の嵐の直中にいた。


 しかし皆に感謝され笑顔を浮かべるミュアの表情には、本気の喜びは宿ってはいなかった。

 それもそのはずだ。世界を救った英雄であり、ミュアの愛しい人の存在が消失してしまったのだから。

 それまでどれだけ離れていても、何となく日色の存在を感じることができていたミュアだったが、金色の翼が消えるとともに、その感覚も消えていった。


 同時にミミルが腕にしている――《ボンドリング》。髪で編むことにより、その髪の持ち主といつでも心の中で会話をすることができる。

 それにはミミルと日色、そしてミュアの髪で編まれていたはずだった。しかし、ミュアはアヴォロス戦で一度死んだこともあり、編まれていた髪は消失。


 そして日色の髪もまた――――消えていた。

 それは彼がもうこの世にいない……死んでしまったことを告げていたのだ。だがミュアたち、日色を慕っている者たちは、何かの間違いだと思い、他に彼の生存を確かめる方法はないかと探したところ、彼と契約した『精霊』であるテンの言葉により、皆に絶望が走った。


 日色の愛刀――《絶刀・ザンゲキ》。それを媒介にして、テンと契約していた日色。テンもまたミュア以上に、日色の存在をいつでも感じることができていたのだ。

 しかし……。


『……契約が破棄……された……!』


 テンは信じられない面持ちでそう言った。一方的に契約を破棄することは普通できないらしい。あるとすれば、どちらかが死んだ時、と。

 またペビンも日色とは契約しており、彼もまた一方的に契約が破棄されたことを告げた。彼と日色がした契約もまた、死ななければ破棄されないものだということ。


 これで揺るぎの無い証拠になってしまったのだ。その真実を知った時、戦いに勝った喜びよりも、日色を失った悲しみの方が大きく、誰も勝利を味わうことはできなかった。


(……ヒイロさん……)


 今、ミュアは戦いが終わり、【獣王国・パシオン】へと帰ってきていた。死んだレオウードを弔うためでもあり、早々に獣人たちと帰還を果たしていたのだ。

 国民たちも、誰もが尊敬してやまないレオウードの死と、何度と無く雄姿を見せてくれた日色の死を知って、火が消えたかように静まり返っていた。


 ミミルも部屋に引きこもり、ミュアもアノールドと一緒に、ララシークの地下施設で過ごし、日の当たらない生活を続けていたのだ。


「……はぁ。気持ちは分かるが、レオ様の葬式以降、少しくらい外に出てみたらどうだ、お前ら」


 時刻は夜中。

 いつもと変わらないように見えるララシーク・ファンナルが、白衣のポケットに手を突っ込みながら、ミュアとアノールドに言った。


 ここ数日、ミュアは溜め息ばかりを吐く生活しかしていない。朝起きてても食事をする気分にならず、一口二口食べるとすぐに与えられた自分の部屋へと戻っていく。


 そして夜、寝る時はいつも日色のことを考えて涙を流すのだ。そんな生活。

 アノールドは、玄武との戦いで土壇場に発揮した《現象の儀》により召喚した『精霊』である――ブルゥと修業ばかり。しかもいつも限界ギリギリまでやって、まるで身体を動かして余計なことを考えないようにしているかのよう。


 いや、実際にそうなのだろう。彼もまた、日色のことを聞き涙を流した一人なのだから。


「…………お前ら、ちょっとついてこい」


 そう言って、ほとんど無理矢理外へと引っ張り出される。空気は冷たく人の気配がなくとても静かだった。

 その静けさがまた不安を掻き立ててくる。また悲しい夜が来た。そう思うと、涙が……。


「……っ……ぐすっ……ひっぐ」

「……ミュア」


 アノールドが、悲しげに眉をひそめ頭を撫でてくれるが、悲しみは増すばかり。以前より少し【イデア】と離れて小さくなった、空に浮かぶ【ヤレアッハの塔】が地上を照らしている。


「さっさと来い!」


 ララシークの一喝。どこ行くのか分からず、彼女のあとをついていく。王族が住む、《王樹》に向かっているようだ。 

 そのまま見覚えのある部屋の前に立った。すると扉の向こうからすすり泣いている声が聞こえてくる。誰の声かはすぐに分かった。

 ララシークがトントンとノックをしてから返事を待たずに入る。


「……やっぱり、あなたもこのバカどもと同じですか、ミミル様」


 そう、ここはミミルの自室だ。彼女はベッドの上で枕を抱きしめ泣いていた。何故か、そんなことは一目瞭然だ。彼女も日色のことを大好きなのだから。

 そんなミミルの小さな手を取り、ララシークは有無を言わさずに部屋から連れ出す。


「ラ、ララシーク……さん……!」


 涙で顔をグチャグチャにしながらも、抗うことができずに部屋から引っ張り出されるミミル。

 そのまま無言を貫き、《王樹》のテッペンへと移動していく。そこにはミミルがよく行く庭園よりも広い空間があり、幾つもの石碑が立てられてある。 

 中央には一際大きな慰霊碑が存在感を際立たせていた。ララシークに連れられて、ミュアたちはその巨大な慰霊碑の前まで行く。


「…………ここにレオ様が眠っているのは分かっているな?」


 冷たい風に乗り、ララシークの言葉が耳に流れてきた。


「いや、レオ様だけじゃねえ。ここには国のために殉職した者たちの名前が、魂が刻みつけられてある。今回の戦いで死んだ者たちのもな」


 知っている。レオウードや、彼の父、そのまた父や、獣王に仕えて亡くなった者たちの名前が石碑に刻まれてあるのだ。勇士たちの墓。


「……もしかしたら、ここにはもっと多くの……それこそ、お前らのものもあったかもしれねえ」


 誰もが彼女に言葉に耳を傾けて押し黙っている。


「いや、もし月が墜落してたら、この世界そのものが……すべての奴らが死んじまってた」


 何を言いたいのか分からず、ミュアはつい僅かに眉をひそめ、ララシークの小さな背中だけを見つめてしまっていた。


「けどな、お前らはここでこうして【イデア】に息づいてる。そして…………それは誰のお蔭だ?」


 そこで初めてララシークが振り返る。ドキッと心臓を鷲掴みされたような痛みが走る。


「お前らが今もなお、笑って泣いて、日々を過ごすことができてるのは誰のお蔭だ?」

「そ、それは……」

「玄武との戦いの時に、レオ様は命をかけてワタシたちを守ってくれた。そしてヒイロが月の墜落から世界を守ってくれた」


 そんなこと、言われなくても分かっているのだ。ここにこうして無事に時間を生きることができていることが何よりも幸福なことであり、それが誰のお蔭なのか。

 だけど……けど……。


「命を救われた奴らが、救った奴らに報いることができるとしたら、それは日々を精一杯生きることなんじゃねえのか?」


 正しい。彼女が言うことは正しいことだ。


「それなのにお前らは、いつまで塞ぎ込んでいるつもりだ? 泣いてりゃ、落ち込んでたら何かが変わるのかっ!」

「分かって……っ……ます……っ! だけど……! だけどぉ……!」


 ボロボロと涙が零れ出て、膝が折れる。それはミュアだけでなくミミルも同じだ。顔に両手を当てて嗚咽を漏らしている。アノールドも悔しげに天を仰いでいた。


「でもっ! 辛いんですっ! 悲しいんですっ! わたしたちは、ずっと信じてましたっ! あの人が……ヒイロさんが帰ってくることをっ!」


 そこでハッとなる。何故なら、ララシークもまた涙を流していたから。


「し、師匠……!」


 思わずアノールドが目を丸くして呟く。


 ――そうだ。忘れていた。彼女もまた大切な人を失っていたのだ。ずっと昔から傍にいた親友であるレオウードを。

 それでも彼女は少しでも国のためになるように、日々を過ごしていた。


(そういえば……お師匠様があれからお酒を呑んでるところを……見てない)


 彼女も心の中で気持ちの整理がついていないのだ。だがミュアたちのように塞ぎ込んだり、自身の好きな酒に逃げるようなことはしていない。

 前を向いているのだ。辛くとも、悲しくても、託されたものが……あるから。他ならぬ、レオウードに。

 フッと、ララシークがミュアとミミルの頭を優しく抱きしめる。


「……託された奴らが前を向かねえでどうすんだよ。お前らが悲しいのは誰だって分かってる。けどよぉ、ヒイロが望んでるのは、お前らのこんな姿じゃねえはずだろ!」

「「うっ……うぅ」」

「別に忘れる必要なんてねえ。ただ歩みだけは止めんな。アイツに誇れるような生き方をしろ。それが、命を救ってもらった奴ができる恩返しなんだからな」

「「う……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!」」


 ミュアとミミルは泣いた。身体の中からもやもやしていたものをすべて吐き出すように大声を上げた。


「やだよぉっ! ヒイロさんに会いたいよぉぉぉぉっ!」

「ヒイロさまぁぁっ! お会いしたいですぅぅぅっ!」


 答えの返ってこない叫びを幾度となく繰り返す。ララシークは黙って抱きしめてくれている。アノールドもまた、金色の塔を見つめながら人知れず涙を流していた。










「何? 魔王に会ってくる……だと?」


 翌日、ミュアはララシークに【魔国・ハーオス】へ行って、魔王イヴェアムに会う決心をしていた。彼女もまたきっと悲しみに打ちひしがれているはずだ。

 ただ彼女は王という立場にあり、簡単に胸に秘めているものを出すことはできない。皆を導かなければならないという使命感と、日色を失った悲しみに板挟みにされているのではないかと思ったのだ。

 少しでも彼女の力になればと、会いに行こうと思った。


「わたしはお師匠様の言う通り、ヒイロさんを失った辛さでハッキリ言ってどうでもよくなっていました」

「…………」

「ですが、ヒイロさんが何のためにわたしたちを救ってくれたのか。それを考えると、わたしはこんなところでジッとしたくなんてないんです。ミミルちゃんだって、あれから精力的に各地を回り歌を捧げて、民たちを元気づけています。わたしも、誰かの救いになりたいんです!」


 ララシークが自分を救ってくれたように。自分も誰かの救いになれれば、と。


「…………小娘が、生意気なことを言う」

「や、やっぱりダメでしょうか?」

「ナハハ! いいに決まってんだろ! けどアノールドはワタシの手伝いだから、一人で行くことになるぞ?」

「は、はい! ありがとうございますっ!」


 許可を得たミュアはさっそく【魔国・ハーオス】へと出発した。数日をかけることになったが、問題無く辿り着くことができた。



     ※



 あれからどれくらい経っただろうか……。

 毎夜見上げる金色の月を眺めては、何度溜め息と涙を溢したことだろうか……。


「嘘つき……」


 その言葉は一人の少年に向けて放たれたものである。


「帰ってくるって…………私の告白の答えを返してくれるって言ったじゃない……っ!」


 魔王城――イヴェアム・グラン・アーリー・イブニングの自室にあるテラス。

 そこでイヴェアムは静かに月を眺めて、少年――日色のことを思い出していた。彼が死んだという事実に大きなショックを受けた。しかしとても信じられず、すぐさま月へ向かい調べたい衝動にかられたが、王という立場もあり、また行く方法も分からず、結局は受け入れることしかできなかったのだ。


 いや、受け入れることなどできていない。彼の死を受け入れられず、毎夜に月を見上げながら涙を流していた。


「どうして……私の大切な人は……私の傍からいなくなるの……?」


 キリアにしろ、日色にしろ、ずっと傍にいてほしいと思った人たちが命を散らしていく。

 こうして星空を見上げていると、大好きな人とかわした約束を思い出す。

 月下の約束。


『…………ねえ、ヒイロ』

『あ?』

『……絶対に帰ってきてね?』

『……願いごとは一つじゃなかったのか?』

『そんなことヒイロ言ってないもん』

『……その願いは願うまでもないってさっき言ってなかったか?』

『そんなこと覚えてないもん』

『子供か』


 そんな会話をしたことが鮮明に甦ってくる。


『……イヴェアム、オレがいない間、この世界を頼んだぞ』

『……うん』

『オレは絶対に奴らをぶっ潰して帰ってくる』

『うん』


 そう言ってたのに……。


「何でよ……何で…………何でよぉぉ……っ」


 ガクッと膝を折り、そのまま夜中の間、ずっと泣き続けた。



 翌日、イヴェアムは早目に業務を終えて、いつか日色と一緒に来た丘の上にやって来ていた。ここも思い出の場所。

 初めて自分の想いを日色に伝えた大切な。

 眼前に広がる海が、夕日に照らされて鮮やかなコバルトブルーに染まっていた。いつもはこの光景を見て、その穏やかさと美しさに癒されていたが、今は何故か憎々しく思ってしまう。


(これもヒイロが守ってくれたものだっていうのに私は……)


 素直に喜べない自分に気づいていた。


『なら覚悟してなさいヒイロ!』

『……?』

『私のことを好きって言わせてあげるんだからっ!』

『…………劇的だな』

『え?』

『そんな劇的なセリフを言われたのは初めてだ。一生忘れそうもない』

『わ、忘れそうもない……そっかぁ……えへへ』


 ここで、彼に宣言をした。必ず彼の心を掴んで離さないと。振り向かせてみせると。


「けど……あなたがいないんじゃ……しょうがないじゃない……っ!」


 初めて本気で人を好きになったイヴェアムの初恋。好きで好きでたまらなくて、自覚してからは毎日彼のことを想っていた。そしてどうやったら、彼が気持ちに応えてくれるのかをシュブラーズに相談もしたりしたのだ。

 それが楽しくて、毎日が充実していた。『神族』を倒した後は、そんな幸せな日々がもっと続くのだと疑っていなかった。それなのに……。


「バカァ……嫌いよぉ……裏切る人なんか…………嫌いなんだからぁぁぁ」


 誰もいない丘の上でイヴェアムは涙とともに声を嗄らすように泣く。心にも思っていないことが次々と言葉として出てきてしまう。

 抱きしめてほしい、頭を撫でてほしい、笑いかけてほしい、愚痴を溢してほしい、叱ってほしい。そして―――またデートをしてほしい。

 それが奪われた現実に絶望を感じてしまう。

 その時、背後から風に乗って誰かの声が流れてきた。


「――――――イヴェアムさん」


 そこにいたのは、自分と同じく日色のことを想っている少女――ミュアだった。



     ※



 【魔国・ハーオス】へやって来たミュアは、すぐに魔王城へと向かっていた。


「――あれぇ? ミュアちゃん?」

「へ? ……あ、シュブラーズさん!?」


 そこには《魔王直属護衛隊》の一人、《序列五位》のシュブラーズだった。傍にはミュアの友達であるイオニスもいた。


「どうしたの、一人?」


 ミュアは彼女たちに、ここへ来た目的を告げる。


「……そう。あなたは乗り越えようとしているのね」


 そう言うシュブラーズの表情は悲しげだ。


「ミュアは……強いの」

「イオちゃん……ううん、そんなことはないよ。わたしだってお師匠様に言われなかったら、いつまでも腐っちゃってたもん」

「それでもミュアは立ち上がったの。それが強さなの」

「イオちゃんだって、こうして街の視察とか頑張ってるじゃない」

「……けど、悲しいの。お兄ちゃんともっとお話してみたかったの……」


 イオニスもまた日色のことを大切に思っている。


(う~ん……、よく考えてみれば、ヒイロさんっていろんな女の子に想われてるんだよね……)


 本人は優しくしているつもりなどないのだろうが、何故か彼のすることは結果的に女の子を救ったりすることが多く、イオニスもその一人なのだ。


「それでミュアちゃん、陛下に会いに行きたいんだったわよねぇ?」

「あ、はい」

「なら、良いとこを教えたげるわぁ。今ぐらいの時間なら、そこに多分いると思うからぁ」

「分かりました」


 申し訳なさそうに顔をしかめるシュブラーズに対し、「どうかしたのですか?」と尋ねると、彼女は力なく溜め息を吐き出す。


「本当はねぇ、私たちが何とかするのが筋なんだろうけどぉ。陛下の悲しみを本当に分かってあげられるのは、同じ舞台に立っている人だけなのよねぇ」

「え?」

「あなたも気が付いているんでしょう? 陛下がヒイロくんに対して抱いてる気持ち」

「…………はい」


 そんなことイヴェアムを見ていたら一目瞭然である。気づいていないのは日色だけなのではないだろうかと、ミュアは思った。


「私たちも何とか陛下に言葉はかけたわ。通常業務も支障はないの。でも陛下の心はもうズタズタのはずなの。このままだと壊れてしまうわ」


 シュブラーズがそっとミュアの手を握ってくる。


「だから、お願いするわ。どうか、陛下を元気づけてあげてぇ」

「もちろんです! そのために来たんですから!」

「~~~っ!? あ~もう!」

「うっぷ!?」


 いきなりシュブラーズに抱きつかれた。柔らかな感触が顔いっぱいに広がる。


(う……お、大きいよぉ……!)


 落ち着くような温もりと包み込まれるような柔らかさに溺れそうになるミュア。


「ふふふ、やっぱりあなたも良い子ねぇ。本当にヒイロくんは、最高の女の子ばっかり落としてぇ」

「ミュア、イオからもお願いするの。陛下を助けてあげてなの」

「うん!」


 ようやく安心したように笑みを浮かべてくれたシュブラーズとイオニスの顔を見てホッとするミュア。

 それから彼女に教えてもらった場所へ向かった。そこは小高い丘であり、絶壁の向こう側に広がる水平線には、夕日が半分だけ顔を出していて、とても美しい。

 丘の上には大岩があり、その上には涙ながらに叫んでいるイヴェアムの姿があった。


 そしてミュアは、思い切って声をかけた。



     ※



 イヴェアムは、何故ミュアがこのようなところにいるのか定かではなかったが、すぐに目に溜めていた涙を拭い去って無理矢理笑顔を浮かべた。


「ど、どうしたの? もしかして【パシオン】で何かあった?」


 そう問うが、ミュアは悲しそうに眉をよせたままジッと見つめてきているだけ。


「ほ、本当にどうしたの……ミュア?」

「……そっちへ行っていいですか?」

「え? あ、いいわよ」


 今、イヴェアムがいるのは大岩の上。必然的にミュアを見下ろす形になってしまっている。ミュアが耳を《銀耳翼》に変えてフワリと身体を動かすと、そのまま浮かびながらイヴェアムの隣へ降り立つ。


「いつ見ても、ミュアの耳は不思議ね」

「確かに最初はわたしも戸惑っちゃいましたけど、今では立派なわたしの武器です」


 ミュアが水平線に浮かぶ夕日に視線を移す。


「……キレイですね」

「ええ」

「……もしかして、ヒイロさんもここに来たことがあるんですか?」

「っ!? …………そうよ」


 いきなり日色の話題を出されて動揺してしまった。


「……羨ましいです」

「へ?」

「こんな素敵な景色をヒイロさんと見ることができて」

「そ、そんなの……ずっとヒイロと旅をしてきたミュアが言うセリフじゃないわよ」


 少しの嫉妬。だから言葉も若干強めになってしまった。だがミュアは気分を悪くするどころかフッと頬を緩めて、イヴェアムの顔を見つめてくる。

 その真っ直ぐ過ぎる瞳に見つめられると、今の情けない自分を見透かされているようで居心地が悪い。


「……真っ赤に腫れた目と、化粧で誤魔化している目の下の隈」

「……な……にを……っ」

「……数日前のわたしと同じだから、分かります」

「……!?」

「わたしもお師匠様から叱られるまで、ずっと地下施設に閉じこもって泣いていましたから」

「ミュア……」


 そうだ。悲しいのは自分だけではない。ミュアもまた、日色のことを大好きな女の子だった。彼が死に、悲しくないわけがない。それこそ自分と一緒に、心を引き裂かれる思いをずっとし続けてきているはずだ。

 だが何故か今の彼女の表情はスッキリしている。何故……? という言葉が脳裏に浮かぶ。何故そんな顔ができるのか不思議に思う。


 日色のことを忘れたわけではないはず。忘れられるわけがないのだ。それなのに、どうして悲しみを吹っ切ったような顔をしているのか分からなかった。


「わたしは…………ヒイロさんが大好きです」

「!」


 いきなりの告白に目を丸くするイヴェアム。


「そして、イヴェアムさんも……ですよね?」

「っ…………ええ」


 ここで負けてはいけないと思い、しっかりと彼女に答えを返した。


「ヒイロさんが死んだって聞かされてから、わたしは世界が終わったかのように感じました。せっかくヒイロさんが救ってくれた世界なのに、どうでもよくなっていたんです」


 気持ちは分かる。きっとイヴェアムも、王という立場でなく、いち民としてだったら、きっと彼女と同じように思っただろう。


「ある日、塞ぎ込んでいたわたしを、お師匠様……ララシーク様が外に連れ出してくれました。そしてレオウード様たちの墓前で、こう言いました。今、お前たちが生きているのは誰のお蔭だって」

「そ、それは……」

「はい。ヒイロさんやレオウード様が、守ってくれたお蔭です」


 その通りだ。彼らが命を懸けて救ってくれたから今のイヴェアムたちがいる。


「そして次に、命を救われた者が、救った者たちに報いることができるとしたら、それは日々を精一杯生きることなんじゃないのか……と。とても耳が痛い話でした」


 ララシークが言ったという言葉は、イヴェアムの心にも突き刺さった。耳が痛いどころの話ではない。


「報いる……」

「難しい……ですよね。……うん、とても難しい。だって、やっぱり悲しいから、辛いから……この想いは増すばかりで、ヒイロさんへの愛しさも決して消えてはくれません」

「……そうね。その通りだわ」


 だからこそ苦しいのだ。彼を想うからこそ、失ったという痛みが日を追うごとに強くなってくる。誤魔化すように仕事に没頭したとしても、ふと夜になると彼を思い出して求めてしまうのだ。


「でも、わたしは決めました。ヒイロさんに誇れるような生き方をしようって。ううん、しなければならないんだって」

「ミュア…………強過ぎるわよ、あなたは」

「はは、いいえ。そう決めても、まだやっぱり辛いんですけどね。でも、わたしが前に進むのを止めたら、歩みを止めてしまったら、きっとヒイロさんが悲しむ。何のためにヒイロさんに救われたのか分からなくなってしまう」

「っ!?」


 彼女の言葉を聞きイヴェアムの心臓がドクンと脈を打つ。

 そうだ。確かに彼女の言う通りだ。今の自分を見たら、きっと日色は怒るだろう。悲しむだろう。日色が認めてくれたイヴェアムという存在は、決して今のような弱々しい姿ではないのだから。


「……ミュアは、あの人のことを忘れられるの?」

「いいえ! 絶対に忘れてなんかあげませんっ! ヒイロさんとの出会いから別れまで、全部が全部、わたしにとっては大切な思い出ですから! イヴェアムさんもそうでしょ!」

「……ええ、まったくもってその通りよ。彼は私にとって希望で、光で、太陽みたいな存在だったもの。いつも温かく、そして強く私を照らし導いてくれた。だから、そんなヒイロが、私は…………大好きだもの」


 イヴェアムの右眼からツーッと涙が一滴流れ落ちる。


「……わたしもです。だからこの想いは捨てません。いつか、あの人と再会した時に、全部ぶつけるためにも」

「え……再……会?」


 耳を疑うような言葉が聞こえた。


「はい。ヒイロさんはわたしたちを最後まで信じてくれました。だからわたしも死ぬまで信じることにしたんです。きっとヒイロさんは帰ってくるって」

「で、でも……」

「分かってます。ヒイロさんが死んだ証拠はたくさんあります。だけど、ヒイロさんが言ってました。どんな状況証拠があろうと、他人に何を言われようと、自分は自分の目で見たものしか信じないって」

「……!」

「だから、わたしもそうすることにしたんです。わたしはヒイロさんが死んだところは見てない。だから……信じない。わたしは……彼の生を信じます!」


 ……何て強い娘なのだろうか……。イヴェアムは自分が物凄く小さい存在だということを実感させられてしまう。

 これほど強くなれるのは……一体何が彼女をそうさせるのだろうか……。


 このまま彼女に何も言い返さず負けたままでいいのか? 勝ち負けではないだろうが、このまま沈黙を貫けば、それは彼女の日色に対する想いに負けたような気がする。


(そんなの……っ、絶対嫌っ! 私だって、ヒイロのことで負けたくないものっ!)


 イヴェアムは涙を拭くと、それまで見せたこともないような力強い瞳で、ミュアの瞳を見返す。


「私だって信じるわ! だって、約束してくれたもの! 必ず私の傍に帰って来てくれるって! こ、こ、告白だってしたんだからっ!」


 するとミュアの表情が固まった。


「…………へ、へぇ、ヒイロさんにこ、告白したんですか」

「そうよ! ヒイロはいつか答えを聞かせてくれるって言ったわ。そ、それに私の告白にも、その……満更でもないようだったし」


 ピキッとミュアの額に青筋が浮かんだような気がする。頬は完全に引き攣っていた。


「そ、それは言い過ぎなんじゃないですか? だってあのヒイロさんですよ? 超常級に鈍感で、女心を微塵も分かってくれないダメな人ですよ?」


 酷い言われようである。


「そんなヒイロさんがイヴェアムさんの告白に満更でもない? いいえ、それはきっとイヴェアムさんが勝手にそう思っているだけだと思いますけど?」


 その言葉に今度はイヴェアムがムッとなる。


「そ、そうかしら? だって私は彼と何度も約束してるもの。その度に絶対叶えてくれたし。きっとヒイロも心のどこかで私のことをす、す、好きに決まってるわ!」

「ち、違うもん! ヒイロさんの一番はわたしだもん! そ、それにわたしはヒイロさんとキ、キ、キ、キスだってしてるんだからっ!」

「あ、あんなのノーカウントよっ! だってヒイロからしたわけじゃないし! あれは卑怯よ! だから無し! 絶対無し!」

「あるもん! あれがきっとヒイロさんの初めてだもん! わたしが初めてをもらったんだもん!」

「な、なら私だって初めてくらいあるわ! 二人っきりでデートにだって行ったし! そ、それにその……は、裸だって……み、みみみ見られてるものっ!」

「う、嘘だよっ! わたしに勝とうとして嘘を言ってるに決まってるもんっ!」

「嘘なんかじゃないわよっ! なら他の人たちにも聞いたらいいわよ!」

「そ、そんな……デートだなんて……! それに裸ってどういうこと……?」


 明らかに顔を青ざめて困惑しているミュア。そんな彼女を見て、“勝った!”と思った。

まあ裸を見られたのは本当にただの偶然というか事故みたいなものだ。決して色気のある話ではない。


「…………ズルい……ズルいよっ!」

「ふふふ、大人の女性なんだから、デートなんて当然よ。街でいろんなところに行って、服とかも見て、とても楽しかったわ。ヒイロだって喜んでくれたわね。ああそうそう、デートの最後にここへ来て一緒に夕日を眺めたわ。そして告白したの。ロマンティックだったわね」

「む、むぅ~!」


 風船のように頬を膨らませているミュア。そしてビシッと指を突きつけてくる。


「だ、だったら勝負だもんっ! ヒイロさんは絶対わたしがもらうもんっ!」

「渡さないわっ! 私にとってヒイロは必要だものっ!」

「わたしにも必要だよっ!」

「「むむむむむっ!」」


 何故か途中から物凄い言い合いになり、ミュアと火花を散らしているイヴェアム。

 しばらく睨み合っていると、不意にプッと二人は笑う。


「「あはははははははははっ!」」


 それまでの鬱憤を晴らすかのように二人は笑い続けた。

 そしてひとしきり笑った後――。


「……ねえ、ミュア」

「何ですか?」

「……ありがとうね」

「……いえ」

「あなたのお蔭で、いろいろ吹っ切れたわ」

「イヴェアムさん……」

「イヴェアムでいいわよ。それに敬語も無し。さっきだってそうだったでしょ?」

「あ、あのすみません! さっきはその……興奮してまして」


 恥ずかしそうに顔を背けるミュア。夕日に照らされた彼女の顔はとても可愛らしい。


(あ~もう、何でヒイロの傍には、こんなに可愛い子が多いのよ!)


 そう思いつつ嘆息する。


「いいから敬語は止めて。ここで一緒に思いのたけを言い合った仲じゃない」

「……分かりまし……ううん、分かったよ」

「ヒイロは絶対戻ってくる。あなたはそう信じているのね?」

「は、はい……うん!」

「私も信じるわ。ヒイロは絶対戻ってくる。そしてその時は正々堂々と戦いましょう」

「イヴェアム……!」

「これからはライバルで……友達よ!」

「……はい!」


 固く握手を交わす。


「ねえ、聞いてもいい?」

「あ、うん」

「ここに来たのは、私を元気づけようと思ったからなの?」

「うん」

「それは誰かに頼まれたから?」

「それもあるよ。……だけど、同じヒイロさんを想う人を、助けてあげたかったから。だってわたしも救われたんだもん」

「……そっか。でももう大丈夫。これからは、真っ直ぐ月を見つめることができると思う。そして、彼を待つことができる」

「うん。わたしもずっと待ってる」


 二人は同時に【ヤレアッハの塔】へと顔を向ける。

 いつか必ず大好きな人が戻ってくることを信じて――。




     ※



 リリィン・リ・レイシス・レッドローズは誰にも屈しない胆力の持ち主である。その心の在り様も、他と比べると頑丈にできているのだ。

 少なくとも、本人であるリリィンはそう思っていた。

 日色が死んだと聞かされた時も、急速に熱が冷めていくような気がして、ただただ「そうか」とだけしか言葉を出していない。

 自分の中で、興味深い玩具が一つなくなった。ただそれだけのこと。そう思った。いや、思うようにしたのだ。


 そして日色のことを考えないようにした。そのためにはどうすればいいか。簡単だ。考える時間などないくらい動けばいい。そう考えたリリィンは、レオウードから【ヴァラール荒野】の土地権利を貰っていたので、すぐさま行動に移すことにした。

 かねてから計画していた【万民が楽しめる場所】に着工したのだ。シウバやシャモエたちにも多くの人を呼び込むように言い、建設に取り掛かった。無論リリィンも目を回すほどに動き、夜は疲労ですぐに眠り、また起きてすぐに仕事という生活を繰り返したのだ。


 仕事で頭の中をいっぱいにすれば、嫌なことを考えずに済んだから。ある時、ほとんど強制的に手伝わせていたニッキに、


「リリィン殿は、師匠のことを忘れたのですかな?」


 と、問われた。その時、グラリと目眩を覚えた。歯を食いしばり「そんなことよりも働け」と口にしようとしてニッキの顔を見た瞬間、彼女の悲しげな表情を見て何かが切れたかのように意識がフッと消えた。

 ベッドの上で目を覚ましたリリィンは、医者から過労で倒れたということを聞かされる。久しぶりにゆったりとした時間を持つことになった。シウバが無理矢理にでも休むようにさせていたからだ。


「……計画は順調だ……。そうだ……順調なんだ。何も問題など…………っ」


 その時、窓の外を見ていた自分の目から冷たいものが流れていることに気づく。


「こ、これは……っ!?」


 その時、扉にノック音が聞こえて、慌てて涙を布団で拭き取った。


「お嬢様、よろしいでしょうか?」

「ちょ、ちょっと待て! …………よし、入れ」


 体裁を整え、彼に涙を流していたという動揺が伝わらないように気丈に振る舞う。


「何か問題でもあったか?」

「いえ、建設の方は、各国の王たちからも支援があり順調でございます」

「そうか。なら引き続き事に運べ。ワタシもすぐに現場に戻る」

「…………」

「……む? どうかしたのか?」


 いつまでも去らずに見つめてきている彼に訝しむ。いつものお茶らけた抱擁でもしにくるかとでも思ったが、彼の目は真剣にリリィンの目を捉えていた。


「……お嬢様、お辛くございませんか?」

「はあ? 何を言っているのだ貴様は」

「ですが、わたくしには、お嬢様がご無理をなさっておられるとしか思えません」

「そのようなことはない。確かに少し働き過ぎたかもしれないが、ワタシもようやく念願の夢が叶うと思って少し興奮していたようだ」

「果たして本当にそうでございましょうか?」

「……何だと?」


 ギロリと彼を睨みつける。


「わたくしには、必死に何かを忘れようとなさっているようにしか思えません」

「っ!?」

「……ニッキ殿も申しておりました。お嬢様は明らかにヒイロ様のことを忘れようと――」

「黙れっ!」

「ですがお嬢さ――」

「黙れと言っているっ!」


 リリィンは怒りに任せて枕を投げつけると、シウバは避けもせずに顔で受ける。パサッと枕が地面に落ちた。


「ワ、ワタシは忙しいのだ! 死んだ者をいちいち考える余裕など…………ワタシから離れていった者のことなど…………っ」


 シウバが枕をそっと拾い上げ、ベッドの上に置く。そのまま一歩下がって頭を下げる。


「出過ぎた真似を致しました。食事はこちらへお運び致しますので」


 それだけ言うと、彼はそのまま部屋から出て行ってしまった。


「――――っ!?」


 再度枕を取って、扉に向かって投げつけた。


「はあはあはあ………………くっ」


 この胸の中のもやもやと、キリキリと引き千切られるような痛みは何だ……。


「ワタシは……ワタシにはやるべきことがあるのだ。かねてからの夢の成就にようやく手を伸ばせているのだ。何も問題はない……。そうだ…………順調なのだ!」


 しかしリリィンは気づいていなかった。また自分の目から涙が流れていたことを。



     ※



「どうでしたかな、シウバ殿?」

「……ニッキ殿?」


 リリィンの部屋を出ると、通路の先にニッキが待っていた。シウバは首を左右に振る。


「そうですか……。ですが、リリィン殿のお気持ちも分かるですぞ」

「それにしては、ニッキ殿はヒイロ様の死を受け入れているように思えますが?」

「違うですぞ。だって師匠は必ず生きているから」

「……?」

「テン殿やミミル殿、それにペビン殿は、師匠が死んだという証拠を伝えてくれましたが、ボクは何となくそれでも師匠が生きている気がしてならないのですぞ」

「何の根拠がおありで?」

「むむむ……よく分からないですぞ。ですが、ここにこうやって手を当てて目を閉じると……」


 ニッキが手を胸に当てて目を閉じる。


「感じるんですぞ。誰かが……ボクに伝えてきてくれるのですぞ。大丈夫、あの子は絶対戻ってくるって」

「あ、あの子?」

「……ほえ? あの子って何のことですかな?」

「あ、いえその、今ニッキ殿が仰ったのですが」

「むむむ? そのようなこと言いましたかな?」


 不思議そうに小首を傾げるニッキ。惚けているようには見えない。なら今のは一体何なのだろうか……?


「よく分からないですが、ボクは信じるですぞ! 師匠は必ず戻って来てくださると! それに、レッカ殿もボクと同じようなことを言っておりましたですぞ」

「レッカ殿が?」


 今は魔軍で隊長の任に就いて忙しく仕事をこなしているという。


「左様ですか。彼はヒイロ様の子供のような存在ですから、何か感じるものがあるのやもしれませぬな」

「ですぞ!」


 しかし……と、シウバは困ったようにリリィンの部屋がある方向を見つめる。


「お嬢様は気丈に振る舞われているようでございますが、ここ最近、お嬢様の笑顔を見たことがございません」

「そ、そうですな……」


 ニッキも同じように、リリィンが笑う姿を見ていないのだ。


「あのようなお嬢様を見ているのは辛いですな。いえ、それよりも何もできない自分が腹立たしい」

「シウバ殿……」

「ノフォフォ……。そういえば、ミカヅキ殿にはまだバレておりませぬか?」

「そのようですぞ」


 実はミカヅキには日色の死を告げていないのだ。彼女はまだ幼く、彼の死を受け入れることなどできないだろうから。

 だから日色は少し遠いところで仕事をしているということだけを伝えている。彼女の傍にいつもいるシャモエにもそのように接するように頼んでいるのだ。


「……あの、シウバ殿、いっそのことこうしてみてはどうですかな?」


 そう言うと、ニッキはシウバにあることを提案した。



     ※



 数日後、肉体的には全快したリリィンは、ある建設現場へと足を踏み入れていた。そこはまだ建設予定地であり、土地の確保だけがしてある広々としている場所。何を建てればいいか、決まればすぐに仕事に入れるように準備だけはしてある。

 そこへ一人ポツンと立って、空をジッと眺めていた。シウバの言葉に心を抉られてから、夜になると疲れよりもある感情が勝り眠れなくなっていたのだ。


 その感情とは――――――寂しさ。


 その対象は、シウバの言う通り、一人の少年のことだった。


「馬鹿者……せっかく、思い出さぬようにしておったというのに……っ」


 そのまま天を仰ぎながら愚痴を溢す。顔を俯かしてしまえば、無意識に涙が零れ落ちそうな気がするから下を向けない。

 視界の先にあるのは――金色の塔。


(ヒイロ……。貴様も手伝ってくれると言ったのだぞ……っ! だからワタシは……っ)


 初めて彼に出会った時は、ただの興味深い人物だと思っただけだった。態度や言葉遣いなど、苛立たせるような相手だったが、それ以上に彼は面白い存在だったのだ。

 考え方や生き方なども何となく自分と似通っており、それは一緒に旅をしている間にさらに強く感じるようになった。


 最初は自分の野望のために彼を利用してやろうと思っていたが、その考えは次第に変わっていった。そしてそのきっかけが、自分の夢を彼が認めて手伝ってやると言った時……だったかもしれない。

 その時から、自分の夢は、日色と重なったのだと思い嬉しく思えた。いつもぶっきらぼうで、掴みどころのない容易ならざる相手だが、傍に彼がいることが段々当たり前になり、それが心地好くなっていたのだ。


 自分と同じ舞台に立ち、同じ目線で物を見ることができる日色という存在に、リリィンは次第に惹かれていった。

 自覚した時はとても気恥ずかしく、つい彼と目を合わせるだけでも胸が跳ねるような気持ちにもなったが、初めての感覚……それが恋だということはすぐに分かった。

 だからこそ、誰にも渡したくなかったのだ。下僕だと決めつけて、彼の傍から離れなかった。


 だがその彼はもう――いない。一生。二度と隣に立つことはない。

 そう知った時、リリィンの心が軋んだ。心が否定した。このままでは自分は壊れてしまう。そう直感した。だから忘れようと仕事に心を置こうとしたのだ。


 たとえ過労で倒れたとしても、その方が心が保たれるから。だが先日の出来事で、もう悟ってしまった。自分はやはり、この想いを捨てきれないのだということを。


「ヒイロォ……馬鹿者ぉ……っ、何でワタシの傍に……おらんのだぁ……」


 天を仰いでいるというのに、とめどなく涙が流れ出てくる。


「ワタシがどれだけ…………ワタシがどれだけ貴様を必要としているか……分かっておるのかぁ……っ!」


 一度流れ出した涙はもう自力では止められなかった。嗚咽とともに身体が震え、悲しさと寂しさが溢れる。


 会いたい。会いたい。会いたい。


 それだけが脳を支配する。顔を俯かせ、自身の身体を抱きしめる。ポタポタと涙が地面を濡らしていく。

 すると後ろからフワッと優しい香りが包んだ。思わずハッとなって顔を振り向かせると、そこには――


「―――ウ、ウイッ!?」


 そこにいたのは、【魔国・ハーオス】の近くに小屋を建てて、父親のクゼルと一緒に暮らしているはずのウィンカァ・ジオだった。


「ん……泣かないで、リリィン」

「は、放せ、馬鹿者!」

「……やっ」


 彼女は腕の力を込めて頑なに抱きしめ続けている。リリィンも暴れるが、力が入らずに、結局諦めてしまう。


「…………何しにきたのだ、貴様は」

「ウイだけじゃ、ないよ?」

「は?」


 するとそこへ、見知った顔ぶれが続々と現れる。


「リリィン……悲しいのは……同じ。だから……頼って」


 そう言うのは、『アスラ族』のカミュだ。


「それに、わたしたちはまだ、諦めていませんから!」


 揺るぎない瞳で伝えてくるミュア。


「そうだぜ、アイツのことさ。きっとそのうちひょっこりと現れるさ」


 日色の死の証拠を突きつけたはずの、日色の契約『精霊』であるテンまでそこにいた。


「確かに俺とヒイロの契約は切れちまったけど、アイツは元々が規格外の存在なんだぜ? 普通の常識が当て嵌まるわけがねえさ」

「テンの言う通りだな。世界を救うほどの英雄だ。皆が望めば、英雄は必ず現れる。そういうもんだぜ!」


 テンの隣で発言するのは、【人間国・ランカース】の国王ジュドム・ランカースだ。他にも日色のことを知っている者たちが顔を並べている。


「な、何だこれは……っ!?」


 日色を慕う各国の者たちが集っている。凄まじい顔ぶれに、現実感が湧かずに固まってしまうリリィン。そこへ一歩前に出たのはイヴェアムだ。


「リリィン、喜びも悲しみも、一人で背負う必要はないわ。だって、私たちは……仲間だもの」


 その場に集まった者たちが笑みを浮かべてコクンと頷く。


「こ、これは現実……なのか?」

「ん……現実、だよ? ニッキたちが、ここにみんな、呼んだ」

「ニッキたち……?」


 ニッキの顔を見ると「テヘへ」と照れたように笑っている。


「本当のリリィンを取り戻したいって。シウバも、頭を下げに来た」


 リリィンは言葉にならない想いが胸いっぱいに広がる。


(何だ……これは……っ)


 温かく、穏やかで、心地好い何かが全身を震わせる。自然に涙が溢れた。しかしそれは先程のような悲しさで流れる冷たいものではなく、嬉しさで温められていた。


(そうか……ワタシだけが、辛いわけではないのだったな)


 自分は一人ではない。希望を持とうとしても、すぐに絶望が脳裏に過ぎって希望を塗り替えていく。だが……。


「貴様らも……ヒイロを信じているのだな?」


 全員が頷きを返す。

 自分一人の絶望。日色はやはり死んでいるのだという考えが、ここに集まった者たちの希望で埋め尽くされていく。


「そう……か……っ、ワタシは……まだ期待して……いいの…………だな」


 ウィンカァが身体の前に回り、優しく抱きしめてくれる。


「ん……一緒に待とう」

「そう……だな」


 これだけ希望があれば大丈夫だ。待てる。願える。信じることができる。

 大好きなアイツが帰ってくることを――。

 不安定ではあるが、まだ希望を持ち前を向くことができる。まだ信じていいのだということが、全身を喜びで満たされていく。 


 ……しかしそんなリリィンの頭に何かが置かれる。


「…………何をしている、貴様?」

「いえ、泣いているお嬢様もそそられるなと、頭を撫でさせて頂いております」


 スーッと空気を読んだようにリリィンから離れるウィンカァ。


「むほ!? さすがはウイ殿! おほん! では今度はこの不肖シウバ・プルーティスが、愛ある熱き抱擁をば! ああもう辛抱たまりませんぞっ! おっ嬢様ぁぁぁへぶんずどぅわっ!?」


 抱きつこうとしたシウバの股間目掛けて全力で蹴り上げるリリィン。死んだ魚のような眼になったシウバはそのまま地面へと倒れる。その場にいる男たちは痛々しそうに自身の股間に手を当てていた。


「ったく。去勢するぞ愚か者めっ!」

「ノフォフォフォ……それでこそ……お嬢……さ……ま……っ」


 ガクッと力尽きた変態執事。

 しかしリリィンは、沈黙するシウバをチラリと一瞥すると、顔を背けながら、


「……ありがとう、シウバ」


 誰にも聞こえないように感謝の言葉を述べた。

 同時に思いついたことがあったので、ちょうどいいと思い、ここに集まった者たちに宣言した。


「そうだ! いいか、よく聞け! 今思いついたのだが、ここに建てるものは―――」


 まだ建設予定だったこの地。

 そこには、いずれできあがる【太陽の色】の目玉になるものが建てられることになった。

 約一年半以上をかけて造られた――《アウルム大博物館》の誕生、その第一歩である。






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