216:正体
アダムスが放浪の旅に出た後に、ドゥラキンと出会う。
そして彼と意気投合し、アダムスが彼に対し協力者となってくれるように頼んだそうだ。
「ひとえにその理由は、ワシにも《不明の領域者》の因子があったからじゃて。まだ覚醒はしてなかったがのう」
「それで、アダムスはアンタに協力を仰いだってわけか? でもそもそも《不明の領域者》の因子ってやつは、どういう奴が持っているんだ?」
「そうじゃのう。まず確実に因子を持つのは精霊じゃて」
「そうなのか?」
「うむ。『精霊の母』はイヴァライデアの分身とも呼べる――彼女が力の一部を授けた存在なんじゃて。そしてそんな彼女が生み出した精霊たちは、イヴァライデアの加護が強いせいか《塔の命書》の理から外れることのできる因子を持っておる」
「む? なら『神人族』とやらは精霊を捕獲して《不明の領域者》に育てれば良かったんじゃないのか?」
そうすればわざわざ因子を持つ者を探さなくてもいいはず。
「それは無理なんじゃて」
「……何故だ?」
「精霊は【イデア】との繋がりが強い。この世界以外の場所へ出ると消滅してしまうんじゃて」
「つまり【ヤレアッハの塔】には連れていけないってことか」
「うむ。じゃから精霊を利用することができんかったんじゃて。そもそも『神人族』の伸ばした手を、アダムスが悉く潰しておったからのう。それでも何度か『精霊の母』の転生体を守りきれずに殺されてしまったんじゃがのう」
「ん? ちょっと待て、何故殺す必要があるんだ? 転生体は最初から《不明の領域者》として覚醒してるんだろ? なら捕らえた方がいいじゃないか」
そうすれば簡単に《イヴダムの小部屋》の扉を開けることだってできたはず。
「殺された……とは言ったが、奴らの手に直接かかってと言ってはおらん。転生体たちは、『神人族』が放った追っ手に囚われる寸前に、誰もが自殺を図っておるんじゃて」
その告白には同様に転生体であるはずのミミルが衝撃を受ける。表情を青ざめさせ強張っている。
「すまんのうお嬢ちゃん。別に怖がらせるつもりはなかったんじゃて。けどのう、過去の転生体たちは、自身の力を『神人族』に奪われる前に自殺を選んでおるんじゃて。確か、先代の転生体も、真実を知った後、自ら命を絶ったと聞いておるぞい」
先代というのは、灰倉真紅が愛した獣人の少女であるラミルのことだろう。
確かアリシャの話では、アリシャは彼女を裏切るような行為をしてしまい、そのせいでラミルが死んでしまったと言っていたが……。それに殺されたとも言っていた。
(だが真実は、ラミルって奴は『神人族』の企みを知って自らの命を絶ったっていうのか……?)
確かにそれも殺されたという事実には変わりはないかもしれないが……。
それを知ったから真紅は絶望したのだろうか。仇を何故討とうとしなかったのか。やはり彼は最後まで平和を掴もうと、すべての憎しみや怒りを自分の胸の中に押し込めてしまったのだろうか……。
(だから奴は耐え切れなくなって自殺した……そういうことなのかもな)
多くの仲間を失い、それでも彼には愛するラミルがいた。
支えてくれる仲間――アヴォロスたちもだ。
しかしラミルが死んでしまい、とうとう彼は心を砕いてしまったのかもしれない。それまで耐えてきたものが一気に破裂して、生きていることに絶望した……ということ。
(悲劇だな……)
まさしく。陳腐な表現だが、その言葉しか浮かんでこない。
「アダムスは精霊たちに『神人族』の危険性を説いて回っていた。そして精霊に最も近い種族にも同様にのう」
「精霊に最も近い種族? それは?」
「いわゆる、《三大獣人種》と呼ばれる、自らの意志で《精霊化》できる存在じゃて」
ちょっと待て……その種族って……!
「『銀竜』、『金狐』、『虹鴉』。この三つの種族は『霊獣』そのもの。精霊に最も近い存在として、《不明の領域者》の因子を持つ」
つまり、日色がこれまで出会ってきた者たちの中にも、その因子を持つ者がいるということ。ミュア然り、クゼル然りだ。
だがそこでハッとなる。
「お、おいタマゴジジイ……それじゃアンタは――っ!?」
さらに思い返す。彼が名乗った時のことを。
(確か……ドゥラキン・ブラックって言っていた……! ブラック……ブラックって言えば……っ!)
脳裏に思い浮かぶのは、かつて戦った相手――――ノア・ブラック。
「アンタ……『虹鴉』なのか!?」
日色の追及。
ドゥラキンはニッと頬を緩めると、
「鋭いのう。今の話でワシが《三大獣人種》であることは気づいても、まさか種族まで当てられるとは思わんかったぞい」
「なぁに、アンタの親戚か知らんが、別に一人知ってるからな」
「! ……ノアと会ったことがあるんじゃのう?」
やはり彼はノア・ブラックと繋がりがあるようだ。
「その顔はどうやら本当にノアを知っておるようじゃて。アイツめ、ここから出て行ったっきり顔も見せにこん。元気にしておるのか?」
「さあな。だがオレとあれだけの戦いができるんだ。そうそう死にはしないだろ」
「ほう? あのノアとやり合って無事か。さすがは《文字使い》じゃて」
ドゥラキンのノアに対する評価が高い。まあ、あれだけの実力を持っているのだから、彼を知っているのなら当然か。
「アイツはのう、ワシの兄の血筋を引いておってのう。兄は天才じゃったが、その血を引くあの子もまた戦闘の天才じゃったのう。ワシにもあんな息子がいれば鼻が高かったが……」
「うん、ドゥラキン様は童貞だしね」
「だから童貞言うでないわドウルッ!」
「きゃ~レッグルス様ぁ! 怖いぃ~!」
「え? あ? ええ!?」
まったくわざとらしい様子でレッグルスの腕を掴み怖がるドウル。ドゥラキンは大きな溜め息を一つすると、やれやれと話を戻してくる。
「まあ、ノアのことはええ。ヒイロ・オカムラ、お主の言う通り、ワシは『虹鴉』じゃて。まあノアほど力は持っておらんがのう」
「つまりアンタは《不明の領域者》の因子を持つ。だからアダムスは協力を申し出たってわけか?」
「うむ。それに彼女には命を救われたこともあったしのう。その恩返しに」
「うっそだあ~! だってドゥラキン様、前に言ってたじゃないですか! アダムスさんに一目惚れしたから彼女の力になってやりたいんだって!」
「う、ううううるさいわいっ! お主はもう本当に黙っててくれんかのうっ!」
どうやら先程言っていた彼がある女性に心を捧げているという話の対象はアダムスだったようだ。彼も赤裸々になった過去が恥ずかしいようで顔を紅潮させている。顔から湯気が出ているので茹でタマゴジジイと化している。
「まあ、タマゴジジイの恋愛話なんてどうでもいい。それで? アダムスと出会ってから何があったんだ?」
正直他人の恋バナに興味など微塵もない。さっさと核心に触れる話をしてほしい。
「お主……冷めとるのう……」
「いいからさっさと話してくれ」
「ふぅ~。分かったぞい。アダムスの過去をワシは聞き、彼女に力を貸すことを決めた。そしてこの場所に陣を構えて、『神人族』からの支配を逃れる領域を増やそうと試みるようになったんじゃて」
「やっぱりここに張られた結界は重要な意味があったってことか」
「その通りじゃて。この結界は、ワシそのもので作られておる。『神人族』の力をはねのけることができる結界なんじゃて」
「力を? まさかこの中にいれば《塔の命書》からも逃れられるってわけか?」
「うむ。お主ら、《赤い雨》は知っておるかのう?」
「知ってるも何も、今降ってるだろ?」
「おお、そんな時間帯じゃったかのう。もともとあの《赤い雨》を生み出す《禁帝雲》も『神人族』が作り出した一種の玩具なんじゃて」
戯れでとんでもないものを作ってくれる。
「しかしこの結界なら《赤い雨》も無力化することができる」
「ん? そういやヒイロくん、君は外で魔法が使えたよね?」
レッグルスの疑問は尤も。《赤い雨》の周辺では魔法が使えないとされている。それなのに日色は外で魔法を使えていた事実。他の者も不思議そうに日色を見つめる。
「……お主、その顔はもう気づいておるんじゃのう。お主の魔法が精霊と同じ絶対魔法に成長しておることを」
ドゥラキンの言う通り、日色は自分の魔法がステージアップしていることは気づいていた。以前よりも文字そのものの強さが増し、魔力もまた格段に増えていたのである。
さっき、《赤い雨》の中では使えなかったはずの魔法だが、何となく使用できるのではと思い使ってみると、思った通り使用できたというわけだ。
「いずれ絶対魔法に到達することは決まっておった。しかし僅か一年ほどでここまで成長するとは、さすがのイヴァライデアも驚いていることじゃろうのう」
「《赤い雨》の中でも《不明の領域者》は全員魔法が使えるのか?」
「いいや、絶対魔法でも優劣があるのは知っておるじゃろ? この《赤い雨》もまた優劣が存在するんじゃて。とりわけここの《赤い雨》は強力。お主はそれだけ成長したということじゃて」
この激動の一年間も無駄ではなかったということだろう。日に日に成長しているようだ。
「ならここを覆っている結界も魔法か? いや、獣人だから《化装術》か……違うな、確か『虹鴉』は獣人なのに魔法が使えるチート種族だったな」
「チート? よく分からんが、この結界はワシの魔法といっても過言じゃないのう。まあこう見えても絶対魔法を使えるからのう。じゃからアダムスがワシのこの力を使おうとしたんじゃて。じゃがのう、ワシの存在の力を使っても、精々が一つの町を覆えるくらいの規模しかない。これでもアダムスと試行錯誤して大分広げたんじゃがのう」
「この結界を作ってどうしようと思ってたんだ?」
「無論最終目的は、ここから結界を全世界へ広げること。そうすれば【イデア】を《塔の命書》から解放することが可能なんじゃて」
だがどう考えてもそんなことはできそうもない。いくら膨大な力を有する存在であるアダムスでも、たった二人の力で世界を覆うほどの結界など作れるわけがなかった。
「じゃからアダムスは、結局結界拡張の計画は捨てて、《塔の命書》そのものをどうにかしなければならないと考えおった」
まあ、当然だろう。そもそも問題を取り除くには原因を消失させてしまえばいい。
「しかし敵は二人といっても、相手に《塔の命書》がある。因子を持つだけで覚醒していなければ、その理から完全に逃れることはできん。このままではいつかワシまでもが操られる可能性すら残っているんじゃて。じゃから彼女は一人で塔へと赴き、ワシの《塔の命書》を奪ってきおった。それが今、ここにある本なんじゃて」
日色は思った。今回、軽い気持ちでレオウードの依頼を受けたが、どうやらここから世界を巻き込む波乱が巻き起こるのではないだろうかと……そう思わずにはいられなかった。
「アダムスは塔に向かった時、僅かばかりじゃがイヴァライデアに力をもらったという。それは《塔の命書》に書き込める能力。それを使い、ワシの本に今後の道筋を書いた。無論ワシの立会いのもとでのう。まあその力も塔の中でもないことで時間制限があり、少ししか書き込めなかったがのう。またワシはここの結界そのものであり、ワシがここから離れると、せっかく構成した結界もすべて消失してしまう。じゃからワシがここから離れるような内容は書き込めんかったけどのう。それでも後世に真実を語る語り部として命を繋ぎとめられるような言葉を刻み込んだ」
「それがさっき見せてもらったオレとの出会いってわけか?」
「うむ」
「ん? ちょっと待て、何故オレなんだ? オレの前にもう一人先代がいたはずだ。そいつはいろんなことに失敗して死んでしまったらしいが……まさかそれも知った上での預言を書いてたってわけか?」
まだ真紅もいない世の中。《文字使い》という存在はいなかったはず。それなのに真紅を飛ばして日色との邂逅を予知できるとは思えない。
「預言書をしっかり見るんじゃて」
彼に言われた通りに、もう一度最初から目を通していくと、奇妙な事実が明らかになる。それはアダムスに《塔の命書》を手渡されてからの後、十数年に一度、必ず“文字使いとの邂逅”という文が書かれてあること。しかし文字の最後に“不達成”という言葉が刻まれてある。
「これは……?」
「そうして十数年に一回、“《文字使い》との邂逅”と書くことで、条件が当て嵌まったら《文字使い》と出会うことができることを示唆しておるんじゃて」
「つまり……どういうことだ?」
「いくらそこに書いたことが実現するといっても、この世に存在しないものとの邂逅は不可能じゃて」
「……なるほどな。つまりは、ここに書かれたことは優先的に実行はされるが、物理的、論理的に不可能な事象は起きないってことか」
「その通りじゃて。たとえばそこに“瞬時にして塔へ転移する”と書いたところで、その方法が明確に存在しない場合、理を捻じ曲げることは叶わず“不達成”になり得る。しかし“アダムスの転移魔法陣を使用して塔へと転移する”と書けば、傍にアダムスがいて、彼女が転移魔法陣を完成させている条件が整えてあるのなら“達成”になる」
ということは、この預言書はあくまでも達成できる可能性がある事柄しか実現しないということだ。無いものは決して有ることにはできないということ。
「本当は“文字使いとの邂逅”はできれば毎年に一度書き込んでおく方が確率が高いんじゃが、力の制限もあり、書くことができても数十年に一度だけじゃったのう。まあ、運が良かった……というよりは、イヴァライデアが上手く会えるように調整したのかもしれんがのう」
「ん? なら先代にも会ったのか?」
彼の言う通りだとしたら真紅にも過去に会っている可能性は高い。数十年に一度だが、その周期に真紅がいるかもしれない。彼がこの【イデア】にいるという条件が達成してあり、会う可能性だって考えられるのだから。
「無論じゃて。確かに彼に……シンク・ハイクラにも会った。しかし会った時はすでに『精霊の母』の転生体であるラミルという少女が死んだ後じゃった。もっと早く会えていれば、未来は変わったかもしれんがのう……。ワシは世界の真実を彼に教えた。優しい少年じゃったよ。……じゃが脆かった……話を聞いてずっと泣いておったぞい。《塔の命書》を越えられる自分が、どうして大切な者を守れなかったのかってのう……。ワシは見てられんかった。アダムスが言った通り、《文字使い》と出会い導くつもりじゃったが、この少年をこれ以上戦わせてはいかん……そんなふうに思ったんじゃて」
彼の目の奥には悲しげな炎がゆらゆらと燃えている。それは悔恨からか、無力感からか、それは日色には分からないが、確かな悲しみがそこに潜んでいる。
「じゃがのう、シンクは言いおった。まだやれることはある……と。そして――」
『友に託したいものがあるんだ』
「シンクはそう言い、もう戦わずにここで暮らせというワシの忠告も無視して飛び出していきおったぞい」
真紅はやはりすべての真実を知って絶望を覚えたのだ。いや、その絶望の中でアヴォロスという希望を見出し、世界を託すことを決めた。彼の背中に『絶対不変』の文字を刻み、自分の想いを彼に繋げたのだ。
「彼が死んだという報はすぐに届いた。ワシは初めてアダムスを恨んだ。こんな辛い役目があるのかとのう……。けれど不思議なことに、《塔の命書》には、まだ“文字使いとの邂逅”の文が残っている。“不達成”にもなっていない。つまりまた《文字使い》と会う可能性が残されておるということじゃて。アダムスは……イヴァライデアは……彼女たちはまだ世界を諦めていないということ。これも惚れた弱みかのう。最後までアダムスの想いを貫いてやりたいと思っておるんじゃて。志半ばで散ってしまった彼女のためにものう」
アダムスは彼に《塔の命書》を託した後、イヴァライデアを助けるために自ら作った転移魔法陣により何度も【ヤレアッハの塔】へ行ったという。
しかし『神人族』も黙ってアダムスに好き勝手やられる者たちではなかった。結局アダムスはイヴァライデアを救うことなく、返り討ちにあってしまうことになったそうだ。
ボロボロの状態で何とか【イデア】に転移したが、すでに満身創痍。そこで発見したのがアクウィナスだったということ。そして彼女は【シャンジュモン】で命を終わらせることになった。
「アダムスの転移魔法陣を解析して、『神人族』はこの世界と塔の間を行き来しておる。ただ、塔を見るんじゃて」
皆が一斉に空に浮かぶ金色の塔を見つめる。
「遠目でよく分からんかもしれんが、塔の周りに大木が蔓のように絡まって、まるで動きを封じるかのような様相を見せておる」
そうは言われても目を凝らしても何となくそんな感じというほどにしか分からない。
「アレはイヴァライデアが塔を封印しようとしておるんじゃて。恐らく転移魔法陣も活用できなくさせておるはず。じゃがあれはイヴァライデアにとって相当の負担になっておるはずなんじゃて。そう長くはもたん。壁役の月もアヴォロスによって破壊されてしまったからのう」
「そ、それはまさか……このままだと『神人族』が何かをしようと?」
レッグルスの問いにドゥラキンはコクッと頷く。
「イヴァライデアが動いたということは、これは一刻の猶予もないということじゃて。恐らく、封印されておった神王が復活する」
「――っ!?」
あのアダムスとイヴァライデアを相手取っても倒せなかった人物が復活すると聞いて、誰もの心に不安の爪痕が走る。
「神王が復活すれば、確実に《不明の領域者》であるお主らを狙ってくるはずじゃ。因子を持つ『精霊族』に関してはアダムスが海底に封印しておるから、そこから出なかったら大丈夫じゃがのう」
「ちょっと待て、それじゃ何か? 【スピリットフォレスト】と【フェアリーガーデン】がかつて海底に飛ばされた理由は、『神人族』から奴らを守るためにアダムスがやったことだったのか?」
気づいたら飛ばされていたというような話は聞いたが、まさかこれもアダムスの仕業だとは思わなかった。
「その通りじゃて。塔へ行けば精霊の存在は意味を成さないといっても、彼らを捕らえ実験される可能性もあった。じゃからアダムスは彼らを人の目に触れない場所へと移送した。まあ尤も、それも長い年月を経て徐々に大地へと還ろうとしておるみたいじゃが……。まあ今は『精霊族』のことはええ。お主らは……特にそこのお嬢ちゃんは本当ならここから出ん方がええ」
この中にいれば『神人族』の手から逃れることができると彼は言う。確かにそれならば日色としても彼女がここにいてくれれば助かる。
「だが因子を持つ奴はまだまだいるんだろ? もし奴らが自由に動けるようになったら他の奴らを使うんじゃ?」
「うむ。それに関して、奴らが一番に目をつけたのがアヴォロスなんじゃよ。彼もまた時を遡ると、アダムスの血を引いておるしのう。覚醒しておるかは定かではないが、因子を持つ者の中で一番《不明の領域者》として覚醒する可能性は高い。じゃから奴らは彼を手駒として動かし、身も心も成長させるように努めたんじゃて。それもお主の手によって阻まれたがのう。彼が死んだとなれば、奴らの矛先はお主になる。お嬢ちゃんについては、奴らが知っておるかどうかは分からんからのう」
「アンタの預言書にはこの先のことは書いてないのか?」
「うむ。ワシの役目は結界としてこの地を守ることじゃて。そして《文字使い》を導くこと」
確かに彼の預言書の中には、この先に関して重要なことは書かれていない。さすがのアダムスも未来が読めるわけではないらしい。
「それにのう、この本に“神人族を滅ぼす”と書いたところで、奴らはもともと《塔の命書》に縛られておらん存在じゃて。その預言を実現できる可能性は相当低いんじゃて」
それに実力的にも劣るらしい彼が、神王を滅ぼすことは理論的にも無理とのこと。つまりは“不達成”になる可能性が非常に高い。無駄死にするだけである。
「前にも言ったが、お主ら《不明の領域者》は《塔の命書》を書き換えることが可能じゃ。自分の意志でのう。たとえばワシの本に“今から文字使いが仲間を殺すのを見る”と今すぐ書いたところで、お主には強制力は働かん。これがそこにおる青年なら別じゃがのう」
レッグルスは指を差されたことにドキッとしたようで顔を強張らせている。
「おい心配するな。このタマゴジジイも言ってただろ。そこまでの強制力がある文を執行させるにはイヴァライデア本人の力が必要になるとな」
「あ、そういえば……ふぅ」
日色の言葉に安心したようで表情に柔らかさが戻る。
「よく覚えておったのう。その通りじゃて。じゃから『神人族』はすべてを掌握するためにイヴァライデアの力を得ようとしておる。決して、イヴァライデアの封印を解かせてはダメなんじゃて」
もし神王がその力を得れば、日色たちはともかく【イデア】に住むほとんどの者たちは自由意志を完全に失う。それこそ何の前触れもなく“恋人を殺す”や“妻、夫と殺し合う”、“友を殺す”などの命令を実現させてしまうのだ。
「ただ忘れてはいかんぞい。確かにまだ不完全な力ではあるが、奴らの手の中には【イデア】の民の《塔の命書》が握られてあるんじゃて。強制力の強い預言は確かに実行は難しいが、決して不可能ではないんじゃて」
「そ、それはどういうことですか?」
先程ホッとしていたレッグルスが食いつく。
「それは今までの歴史が証明してきておる。争いの歴史。それが奴らの息がかかってないと本当に思っておるのかのう?」
鋭い問いかけがレッグルスの胸を突き刺した。
「だろうな。もし本当に弱い預言しか実行できないんだったら、アヴォロスの暴走に説明がつかない」
日色の言葉に誰もが押し黙る。
「確かに預言書に書くだけでそれを強制的に実行させることは今の『神人族』にはできん。しかしのう、それに導くことは不可能ではないんじゃて。例えばそうじゃのう……レッグルスと言ったかのう」
「あ、はい」
「お主、今ここでおいぼれたワシに対し殺意を持ち殺すことができるかのう?」
「はい? いや……できないですが……」
当然だろう。レッグルスにとってドゥラキンの存在はそれほど重要なものではない。ドゥラキンがレッグルスに不都合な存在でもないし、憎しみを向けるような相手でもないので、突然殺意を膨らませ殺せと言われても無理な話だ。
「うむ。それが普通じゃて。しかしお主の《塔の命書》に“ドゥラキンを殺す”と書くと、まず何が起こるか……それは、ワシの存在が気になってくるというものじゃて」
そう言われても漠然としていて分からない。
「今まで無意識だったのものが意識的に変わっていく。簡単にいえば、その人物のことを知ろうとする動きに変わっていくというものじゃて。しかしあくまでも《塔の命書》の今の強制力はその程度。殺意を膨らませるほどではない。じゃが、そこへ誰かがお主に向かってワシという存在が過去に多くの人を殺していると吹き込まれるとどうなる?」
「…………」
「少なくとも、ワシを警戒しないかのう?」
「! ……それは……」
「お主に忠告する者が次々と増えればどうなる? 一人では真実味の薄かった話が、次第に厚みを帯びてくる。疑心がやがて敵意に変わっていく。ワシの近くに大切な者を傍にやるのは避けようとするはずじゃて」
「ま、まあ……そうなるかもしれません」
「そこでじゃ、もしお主の近しい者が殺されたとしよう。お主は嘆き悲しむ。そこでお主が信頼できる者から、ワシが殺したと言われたらどうする?」
「っ!?」
「ここでもし普段通りなら、本当にワシが殺したのかどうか調査して見極めるという行動に出る可能性が高いじゃろうのう。しかし《塔の命書》の僅かな強制力が感情に働きかけ、一方通行の道へと突き進むように誘導するんじゃて。つまりはこうじゃ……まずワシという存在が気になる。ワシの黒い噂が出る。お主は警戒する。お主の大切な者が死ぬ。お主の信頼できる者からワシが殺したと言われる。じゃからお主は疑いもせずにワシに殺意を膨らませ殺しにかかる。結果、ワシが死ねば《塔の命書》の預言通りになる」
だがそう上手くいくものなのか……?
「今代の《文字使い》よ。お主は今、本当にそう上手くいくのかどうかと考えておるのう?」
「……ああ、そもそもそんな話があったら誰だって疑うし、信頼できる者からそう言われれば対象に殺意を持つことは普通だろ?」
「その通りじゃて。怖いのは殺す本人じゃなく、その本人に嘘の情報を教える周りの者たちなんじゃて」
「周り……? そうか! そういうことか!」
「え? あ、あの……師匠? ボクはまったくもってサッパリ分からないですぞ」
「だろうな、お前はバカだから」
「何とっ!?」
ニッキを軽くいじったところで話を戻す。
「簡単に言うとだ。今の話の本質は、レッグルスが殺すということじゃない」
「え? 違うのですかな?」
「ああ、本質はもっと別なとこにあったんだ。そもそも、何故タマゴジジイの黒い噂が流れたのか……それは周りの奴らの《塔の命書》に、“ドゥラキンが過去に人を殺したという話を広げる”とでも書かれていたからなんじゃないのか?」
仲間たちが息を呑む。
「そして黒い噂が次々と広がっていく。十分浸透したと思ったら、レッグルスの大切な者を誰かが殺す。これは別に預言を使わなくても直接誰かが手を下せばいい。結果的にレッグルスを動かせればいいんだからな。その後、レッグルスの信頼できる……そうだな、レオウードの《塔の命書》に“ドゥラキンが殺したとレッグルスに告げる”とでも書いておけば、計画は遂行されるだろう」
「おおぉ~! さすがは師匠ですぞ! あったま良いですぞぉ~!」
「す、すごいですヒイロさま!」
ニッキとミミルがパチパチと手を叩いて感動している。レッグルスとプティスもなるほどといった様子だ。ドゥラキンが日色の言葉が的を射ていたと認めるように笑みを浮かべる。
「やはり大したもんじゃて。今の話からしっかりと本質を見極めるとはのう」
「ふん、当然だ」
考えることにかけては任せてもらいたい。
「そう、この話の本質はまさにそこ。弱い強制力といっても、要は使い方。普段悪口など言わない人物が、誰かの悪口を言わせる。それだけで、その誰かは本当に悪いのだと思わされるはずじゃて。殺すという強い強制はできなくとも、周りを動かし感情を操作することで、殺すことに向かわせ易くすることは容易いんじゃて。そうやって『神人族』は人心を弄び、世界を玩具のようにしてきおった。国のトップの感情を操作して、内部分裂を起こしたり、それを引き金にして今度は世界戦争を起こしたりと……まるでドミノ倒しのように負を積み重ねて大きなものにしていく。それが今まで『神人族』が【イデア】の民を使って遊んでいたカラクリなんじゃて」
たとえ弱い強制力でも、それが積み重なれば、また人々に影響力の強い者が行えば、それは真実となり嘘が現実化していく。
今の話のように、ドゥラキンが品行方正の人物だったとしても、《塔の命書》を使えば、いくらでも覆せることはできるのだ。
人の心理を操作できる能力。それが《塔の命書》の正体なのだろう。
「……一つ聞いてもいいか?」
「何じゃて?」
「例えばだ、アンタの預言書に“文字使いとの邂逅”と書かれていたとして、それをオレと出会う前に、それが書かれていた事実をオレが知るとする。それをオレは自分の意志で覆せる――書き換えることができるんだよな?」
「まあのう。それが《不明の領域者》の力でもあるからのう」
今回に限っては、日色も預言のことなど知らなかったし、ただ周りに流されて動いただけ。抵抗も何も思いつくはずもないので、強制力に導かれて日色はドゥラキンとの邂逅を果たすことになった。
「ならそれが《不明の領域者》じゃない場合は? そうだな、オレの立場がレッグルスだとしたらどうだ? 事前に出会うと知らされていても、コイツは抗うことはできないのか?」
「抗う方法は幾つか存在するんじゃて」
「ほう」
「まず一つ。その預言を知った瞬間、ここみたいな《塔の命書》の力を弾く結界の中に潜むこと」
「なるほどな」
「また、ワシを誰かに殺させれば会うことはできん」
「それもそうだな。逆にレッグルスが死んでも同じことか」
死ぬという言葉を聞いてレッグルスが「ええ~」という嫌そうな顔をしていたが無視して続ける。
「他には日にちが指定してあるのであれば、物理的に会えないようにするということもできる。先程の死ぬというのは究極的な方法じゃが、他にはワシの居場所が分かっているのなら、そこへ一日では行けない場所にいる……とかのう。まあ、邂逅というのはそれなりの強制力が働くから、レッグルスは是が非でもワシに会おうと、《転移石》などの一瞬で移動できる方法を死にもの狂いで探すじゃろうけどのう」
「なるほどな。生死がかかった預言に対しては強制力は弱いが、ただ会うだけならかなりの強制力が働くってことか」
「その通りじゃて」
「厄介な力だな……」
確かにそれがあれば民たちを正しく導けると考えたアダムスとイヴァライデアの考えも分からなくはない。すべてを管理すれば争いなど確かに起きはしないだろう。
しかしそれは扱う者に清い心が絶対的に必要になってくる。イヴァライデアやアダムスのような、善人ばかりが世の中にいるわけではない。
その証拠に《塔の命書》に目をつけた悪人である神王の謀反によって、アダムスたちが民を想って作ったものが、民を絶望に叩き落とすものへと成り変わってしまった。
「アダムスは後悔しておったぞい……《塔の命書》を作ったことをのう」
ドゥラキンの瞳が寂しげに揺れる。彼もまたアダムスを支え続けてきた一人なのだ。アダムスがどのような人物かこの中で一番知っているはず。
本当にイヴァライデアと同じように平和を愛する人物だったのだろう。彼が彼女の名を呼ぶ時、信じられないくらい優しい顔をする。それだけで、彼女の人となりが伝わってくるようだ。
誰も何も言わない沈黙が続く。
かなり重い話により、誰もが口を噤んでしまっている。無論ドゥラキンが語った話が真実だとは限らない。まさに突拍子もない話でもあるからだ。
だが日色は本能的に悟っていた。自分が彼とここで会い、この話を聞かせたのは、恐らくアダムスではなくイヴァライデアの意志によるものなのだと……。
彼はアダムスが預言書に“文字使いとの邂逅”と書いたと言っていたが、やはりそれはイヴァライデアに頼まれたからだと日色は思っている。
いつか、自分の意志を継いだ人物が、世界の真実を知り救ってくれることを願って――。
「ところでだ、もう一つ気になっていたことがあるんだが……」
「ワシが何故、心を読めるかといったことかのう?」
日色は言葉を返さない。それで肯定という意味に捉えることができるだろう。
「まあ、もしかしたらお主らも予測できておるかもしれんが、さっきも言ったように、ここに発現しておる結界はワシそのもの。お主らは言わばワシの腹の中にいるのと同義。じゃから読めるんじゃて」
「なるほどな。やはりそうだったか。もしかしたら何かの魔法を使ってるかとも思ったが、そういうことなら納得もいく。つまりアンタは、オレらがこの結界の中に入った瞬間、すでに何者か気づいていたってことだろ?」
「うむ。まあ、《塔の命書》に書かれた事項から、今日この日に《文字使い》――つまり来客があるのは分かっておったからのう」
「エエーッ! だったらわたしにも教えてくれていたら良かったですのに! 何ですか! イジメですかこれ!」
どうやらドウルは日色たちが来ることを聞かされていなかったようだ。頬を膨らませる感じで怒った物言いをしている。
「そういえば、アンタが何者なのかは分かった。だがそこの包帯女は何だ?」
「し、失礼ですよ黒髪少年! わたしは包帯女などではありません!」
「…………包帯女じゃないか」
全身を包帯で巻いた女性。どこが包帯女でないというのか……。
「ぶぅ~! レッグルス様ぁ~! 女の子に向かって酷い言い草だと思いませんか!」
「えっと……ヒイロくん、できればドウルって呼んであげてくれないかな?」
「そんな正体不明な奴なんて包帯女で十分だ」
「ふえぇぇぇんっ! イジメられたよぉぉぉ~! レッグルス様ぁぁぁ~!」
ガシッとこの機を逃すまいといった感じでレッグルスに抱きつくドウル。
レッグルスは優しく彼女を受け止めて背中をポンポンと叩いている。明らかに嘘泣きではあるが、レッグルスは困ったように日色に対し「女性なんだよ?」と説いてくる。
「……はぁ、次代の獣王も単純だな」
「えっと……レッグ兄さまはお優しいですから」
「……でも単純」
ミミルは弁護するがプティスは日色と同じ見解のようだ。そこへドゥラキンが一つ咳払い。皆の視線を自分に集中させる。
「その子、ドウルはのう……精霊じゃて。この大地で生まれたのう」
「そうなのか? だが精霊は誰かと契約しなければ【スピリットフォレスト】から長期間出ることはできないはずだろ? ここにいるってことは、アンタの『契約精霊』か?」
テンやヒメなど、日色やニッキといった契約者がいれば、自由にこの大地を行き来することも滞在することも可能。しかし契約者がいない状態では、形状や自我を保つ力が弱まるために、せっかく自我を持った精霊でも、時間が経つことにより形が霧散し、自我も失い自然に還っていってしまう。
「その通りじゃて。彼女はワシが契約した精霊じゃて」
そこで日色はニッキ、ミミル、プティスが驚いていないことに気づく。
「お前ら、知ってたのか?」
「はいですぞ! お料理を一緒に作っている時に教えてもらったのですぞ」
やはり別れた時に、それぞれ自己紹介を終えていたようだ。
「う~ん、わたしとしてはも~っとハンサムで~凛々しくて~逞しくて~優しい殿方の方が良かったんですけど~。まあ、何の因果かこんなおいぼれじじいだなんて……しかも童貞……情けない」
「ほっとけっ! じゃから童貞と言うなというにっ!」
「どう繕っても童貞は童貞ですよ! 悔しければ大人になったらどうですか! ジジイなのにチェリーだんて笑い話にもならないですからっ!」
「何じゃてぇぇっ! い、言わせておけばこの妄想爆弾娘めぇぇっ!」
また二人の言い争いが始まった。
「ねえ師匠?」
「何だ?」
「どーてーというのは何ですかな?」
「ニ、ニッキちゃんっ!?」
日色も若干驚いたが、ミミルの驚きはそれ以上。顔を真っ赤にしてあわあわとしている。しかしニッキはコクンと首を傾げてハテナマークを頭の上に浮かべている。
「もしかして何かの食べ物ですかな?」
まあ、食べ物と言えなくはない……ような気もするが(肉食系女には特に)、そんなたとえなど下品なだけなので日色は決して口にはしない。
「そうだな、簡単に言えば子供ってことだ」
「ほうほう、つまりはボクもどーてーなんですな!」
「いや、お前はしょ――」
「ヒイロさまっ、それはいけませんですぅっ!」
「……? 何でだ? こういう知識は無いよりあった方がいいと思うんだが?」
「で、ですがその……ニッキちゃんにはまだ早いかと……子供ですし」
「そんなことをお前が言うか? お前だってまだ十歳で子供だろ? というか十歳なのによく知ってるな。結構耳年増なんだな」
カーッと彼女の頬が紅潮し、頭から湯気が出る。
「し、知りませんっ!」
プイッと怒ったように顔を背ける彼女に対し、
「……何故怒る?」
日色は彼女が何故そのような態度をとるのか分かっていない。
「なるほど。英雄は乙女心に疎い」
プティスの突っ込み。
「当然だろ。オレは男だ。女の心など知るわけがない」
「……ミミル様たちも大変」
日色は思わず頭をボリボリとかいてしまう。思ったことを正直に口にしただけなのに、どうやら今の発言は女にとってはズレた言葉だったようだ。
(う~ん……分からん)
女心は複雑と聞くが、まさしくその通りだと改めて認識した日色だった。
「ねえねえドゥラキン様……わたしたち、蚊帳の外じゃありませんか?」
「そうじゃのう……」
「ははは……」
日色たちがドゥラキンたちをよそに盛り上がっているのを見ながら彼らはジト目で冷静を保っていた。ただレッグルスだけは、全員を見ながら空笑いを浮かべているのだが。
「あっ!」
その時、突然ドウルが大きめの声を発したことで、皆の注意を引きつけた。
「ど、どうしたんじゃて?」
「そう言えばですね、レッグルス様たちは、どうしてこちらへ来られたのですか?」
「え?」
「《塔の命書》によって出会うことを半ば強制させられたとしても、ここへ来られた理由というのは確実にあるはずですよね?」
「あ~そうですね」
「何しに来られたのですか?」
「実はですね……」
レッグルスがここ――【グレン峡谷】へ来訪した目的を話す。
「なるほどのう、あの大樹が死んだとは……」
「ご存じなのですか?」
「うむ。こう見えても獣人じゃて。それに初代獣王であるジングウードとは、拳を交じ合わせた仲でもあるからのう」
「しょ、初代様とっ!?」
「うむ。奴がここへ武者修行にやって来おった時にのう。その頃の奴は、まだ若く、獣王とも名乗っておらん一介の旅人じゃった」
過去を思い出すように遠い目をしながら語り出すドゥラキン。
「奴は強かった。まあ勝ったのはワシじゃがのう! ファッファッファ!」
上体を反らしながら自慢げに笑うドゥラキンの背中からボキッという乾いた音が響く。
「にょおうっ!? こ、腰……がぁ……っ!?」
どうやらぎっくり腰のよう。
「あ~はいはい。こちらへ寝て下さいなドゥラキン様」
そう言いながらドウルが床に向けて右手をかざすと、プクプクプクと何もないはずの床から液体が出現し、ソファのような形状を作っていく。プルンプルンとしている柔らかそうな物体。
「い、いつも悪いのうドウルや……」
そのソファに俯せになるドゥラキン。よく見ると分かるが、それは水でできているようだが、形を保ち濡れることもない性質を持っているようだ。
(これがホントのウォーターベッドか? ……ソファだけど)
きっと座るだけでも気持ち良いだろうなと思うが、ドゥラキンは腰の痛みに顔を歪めて辛そうである。これがあのノア・ブラックと同じ『虹鴉』だとは到底思えない。
「う~と、どこまで話したかのう? ああそうじゃて、ジングウードがここへ来たってことまでじゃのう」
初代獣王ジングウード。彼は【獣王国・パシオン】を建国した人物なのだから、レッグルスが驚愕に顔色を染めるのも無理はない。
彼にとってはドゥラキンはまさに生きた伝説と同じことだろう。
(一体何歳なんだか……)
気にはなるが、まあ基本的にはどうでもいい情報ではある。
「お主……レッグルスを見た時、奴の血を引いておると瞬時に感じたぞい。レオウードよりは、ジングウードに似ておるがのう」
「ち、父も御存知で?」
「うむ。何十年か前? 二百年ほど前じゃったかのう? う~ん……とにかくずいぶん前にあの子もここへ来たからのう」
「あ、あの子……!」
あのレオウードをあの子呼ばわりとは恐れ入る。いや、彼が生きてきた人生の長さを考えれば当然なのかもしれない。何せあのアダムスと同じ時代を生きてきたのだから……。
「初代からずっと、獣王になる人物はここへ武者修行にきておるんじゃて。まあ、レオウードとは会ったことはないがのう」
「そうだったんですか……。だから父は俺をここに……」
「しかしなるほどのう。《始まりの樹・アラゴルン》である《黒樹・ベガ》を探しにやって来たと言うんじゃな?」
「は、はい」
「まあ、オレは《銀米草》が目当てだけどな」
「ふむ……確かに《黒樹》も《銀米草》もこの【グレン峡谷】に存在しておる」
「ほ、本当ですか!?」
これは嬉しい情報である。足を運んだ価値もあったというものだ。
「じゃが、《黒樹》の傍にはあるモンスターが生息しておる」
「ま、モンスター……ですか」
「うむ」
「どんなモンスターなのでしょうか?」
レッグルスの顔が強張る。それはドゥラキンの声音が鋭いものに変化したために、モンスターの強さを想像したからだろう。
かくいう日色も、やはり簡単には手に入らない事実に辟易とする。
「デュークキーパー…………それがモンスターの名じゃて」




