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金色の文字使い ~勇者四人に巻き込まれたユニークチート~  作者: 十本スイ
第七章 魔神復活編

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212/281

212:ずっと一緒

 下手に魔神を斬り裂いたところで、今のように爆発して地上に被害が出ることを把握したことにより、日色は半身になった魔神を見つめながら何とかこのまま一気に倒す方法を考察する。


(やはり少しずつ奴の身体を魔法で削っていく方がいいのか……?)


 切断された部分から再び魔力が溢れ出し元の姿に戻っていく魔神を睨みつける。


「いや、今の弱り切った奴なら――――――この力をすべて使えば倒せるっ!」


 戦法を決めたその時、魔神が再び口を開き、今度は《滅却大砲》を日色目掛けて何発も放ってくる。威力は衰えているが、凄まじい連射が放たれてくる。


「それは無駄だって言ってんだろっ!」


 翼をはためかせ《文字結界》により《滅却大砲》を防ぐ。羽毛が壁のように日色の前方に集結する。


『絶対防御』


 黄金の輝きで羽毛に書かれたその文字の効果で、次々と開いての攻撃を弾き日色へと通さない。魔神も苛立ちを覚えたのか、一旦攻撃を中断すると、耳をつんざくような奇声を発する。

 大気をも震わせるその声に普通の者なら気圧されてしまうことだろう。しかし日色にとっては、相手が追い詰められて苛立ち紛れに叫んでいるようにしか感じられない。


「もう、終わりにするぞ――――――魔神」


 ゆっくりを両腕を左右に広げると、翼もまた大きく左右に開く。右手と左手で同時に『巨大化』の文字を形成する。

 すると翼がみるみるうちに大きくなっていく。そのまま静かに両手を合わせると、翼も同時に動き同じように合掌する。


「……《釈迦の手》」


 まるで翼が手になったかのように合わさり、眩い光を放ち始める。


「……『盛者必衰』!」


 左の翼に『盛者』の文字を、右の翼に『必衰』の文字が浮かぶ。翼が伸びて魔神の身体に触れる。ドクンッと魔神の身体が脈打つ。

 シュゥゥゥゥ……ッと魔神の身体から煙のようなものが天へと立ち昇っていき、驚くことに徐々にだが魔神の身体が小さくなっていく。

 苦しそうに呻き声を上げながら、身体を動かして翼から離れようとするが、


「そのままジッとしていろっ!」


 日色は左手で『自由』、右手で『束縛』と書く。発動すると同時に、文字から放たれた金の鎖が魔神の身体を覆っていく。

 その光景を見ていた地上の者たちが一様に「すごい……」や「信じられない!」などの言葉を口にしている。


「魔神、お前はもう《釈迦の手》の上で踊っているだけの存在だ」


 金色に輝く日色をほとんどの者が呆気にとられて見つめている。あれほど手に負えなかった存在が、今では日色の前では身動きができなくなっているのだから。

 しかもドンドンと小さくなっていく魔神に対し、恐怖も和らぎ始めているのか頬を緩める者たちも出てくる。ただそれでもやはりイヴェアムやウィンカァたちなど、日色をよく知る者たちの中には心配そうに眺めている者たちがいる。


「ヒイロ……無理だけはしないで」


 イヴェアムは祈るように両手を重ねて日色を見上げている。


「師匠ぉぉぉっ! 凄いですぞぉ! まるで……まるで太陽みたいですぞ!」


 ニッキは自身の師を見つめながら嬉しそうに破顔し拳を高く突き上げている。しかし隣にいるヒメは浮かない表情のまま口を動かす。


「けれど、あれだけの力よ。アイツの身体にも相当負担がかかっているはず」

「え……それは師匠にとってよくないのでは!?」

「今のアイツ、まるで命を燃やしているかのような感じだもの。平気な顔をしているように見えるけれど、多分……相当辛いはずよ」

「ヒメ殿の仰る通りですな。今のヒイロ様は文字通り全ての力を燃やし尽くしている感じですぞ」


 ヒメに同意したのはシウバだ。彼もまた石化から戻りリリィンの傍に立っている。


「フン、それでも奴はやろうとしてるんだ。手を出すとへそを曲げるぞ。見守るしかなかろう」


 リリィンが腕を組みながら口を尖らせる。彼女も日色の羽毛のお蔭で回復した口だ。

 日色は地上でそのような会話が成されていることなど微塵も知らない。ただただ集中して目の前の敵を倒すことだけを考えている。

 ふと、頭の中にアリシャの言葉が浮かんでくる。


『……アヴォロスを、ううん、アロスを―――――――――――――救ってあげて』


 アヴォロスを救う方法など思いつかない。彼女の最後の意志を尊重してやりたい気持ちもあるが、日色は今自分ができる最高を貫くだけ。


(悪いな占い師……オレは…………全力で奴を潰すだけだっ!)


 日色はカッと目を見開くと、


「うおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!」


 力を振り絞りさらに魔力を翼へと流していく。


「消えろっ! 魔神っ!」


 翼に新たな一文字が大きく浮かび上がる。左には『浄』。右には『化』。


 そして――――――――――――パンッ!


 日色は両手を合わせる。背中から伸びていた翼も同じように魔神を包み合掌した。

 翼の中から黄金の閃が迸り、地上にいる者たちにもその光は届く。その眩さに思わず誰もが目を閉じてしまうほど。

 次第にその光が弱くなり消失すると、翼が上部から光の粒子となって崩れる。光が独りでに天へと昇っていく。それはまるで魔神の恨みや憎しみを天へと運んでいっているかのように。

 翼の中から現れたのは人型に戻ったアヴォロス。そのまま地上へと落下していく。


「アロスゥゥゥッ!」


 彼の身体を受け止めに現れたのは、魔神顕現の時に吹き飛ばされていた優花だった。彼女は彼を受け止めると、そのまま一緒に落下していく。

 日色はそれを追わない。いや、追えないといった方が正しい。日色もまたほとんどの力を使い尽くして限界を迎えつつあった。

 身体を覆っていた《釈迦金気》は翼とともに失われ、そのまま頭から落下した。


「ヒイロォォォッ!」


 イヴェアムが空を飛び日色を抱えると、ゆっくりと地上へと下ろしていく。少し離れた先にはアヴォロスと優花がいる。誰もが好機だと思い、殺気立てて彼らに近づこうとする。

 優花はアヴォロスの前に立ち庇おうとするが、


「「……待て」」


 同時に二人の人物から制止の声が聞こえる。それは言わずもがな、日色とアヴォロスからだった。

 二人は身体を起こして互いの顔を見つめる。


「「はあはあはあ……」」


 もうお互いが限界に近いことなど一目瞭然。両者に怪我などといった外傷は見当たらないが、大量の汗を体中から流し、盛大に肩を上下させている。同時に立ち上がるが足元は覚束ない。

 それぞれがイヴェアムと優花に身体を支えられる。しかし二人ともが、彼女たちの支えから抜け出し、一歩、二歩と前へ出る。


「ヒイロ……?」

「陛下……?」


 二人を見つめるイヴェアムと優花が眉をひそめながら呟くように言う。息を乱しながらゴクリと喉を鳴らすと日色が言葉を絞り出す。


「……悪いが…………コイツとは一人で決着を……つけさせてくれ」


 その言葉に周りの者から反対の声が出る。筆頭はマリオネである。


「ならんっ! 今こそ全員で奴を殺すべきだっ! 今なら確実にやれるのだぞっ!」


 彼の意見に賛同する者は多いだろう。確かに相手は二人。アヴォロスは魔神の力も失いボロボロに疲弊している。全員でかかれば呆気なく倒せるに違いない。


「……頼む」

「なっ!?」


 誰もが目を見開く。それほどの衝撃が込められていたからだ。日色が切実に誰かに頼みごとをすることはほとんど皆無に近い。誰かに頼むより、いつも自分でやってしまうからだ。

 だからこそ誰もが驚愕し言葉を失っている。


「コイツ……だけは……オレが一人でやるべきなんだ……だから……頼む」


 日色はアヴォロスの目を睨みつけながら頼み込む。アヴォロスもまた日色の目を見返したまま何も言わずに息を乱しているだけ。

 マリオネが困惑気味に視線を動かし、イヴェアムに問う。


「どう、されるおつもりですか、陛下?」


 だがイヴェアムはそれには答えずに、日色の背中を見つめながら口を開く。


「…………ヒイロ、この戦いはどうしても必要なのね?」

「……ああ」

「……そう」


 静かにそっと目を閉じるイヴェアム。そしてゆっくり瞼を上げると、背後に立つ《奇跡連合軍》たちに振り向く。


「みんな……どうか、ヒイロの願いを聞いてあげてほしい」


 ざわざわとし始める者たち。釈然としない決断なのは仕方がないだろう。


「ここまで戦ってこられたのは、ヒイロがいたからだと思う。確かにこれは戦争で、負けられない。けれど、私はヒイロを信じる。みんなも……彼を信じてあげて」


 真っ直ぐに皆の目を見回しながら言葉を紡いでいく。


「お願いします」


 魔王が頭を下げたことにより、誰も反論の言葉を述べようとする者がいなかった。誰もが分かっているのだ。ここまで戦ってこられたのが誰のお蔭なのかということを……。


「……ユウカ……貴様も下がっておれ」

「陛下……でもそのお身体では……」

「よい。これは最後の……意地だ。頼むユウカ、余は奴と……戦いたい」

「…………分かりました。ご武運を……」


 優花が頭を下げると同時に後ろへと身体を引く。日色の周りにいる者たちも皆、一様に後ろへと下がっていく。


「ククク、よいのか? せっかくのチャンスなのだぞ?」

「お前程度、オレ一人で十分だ」

「……相変わらず苛立つことを申す奴だ」


 互いに大きく深呼吸をして息を整える。ピンと張りつめた空気の中、聞こえるのは二人の荒い息遣いだけ。しかしそれも徐々に治まっていく。


「これが最後の……」

「……戦いだ、ヒイロ」


 ここに最後の決闘が始まった。






 ハッキリ言って身体が信じられないくらい重い。それに身動きもしにくい、まるで深い海の底に立っているようだ。

 これが《天上天下唯我独尊モード》のリスクなのかもしれない。

 それでもこの決着だけは、誰かに譲るわけにはいかない。状況は相手も同じ。アヴォロスも魔神の力を失い、魔力も体力も底を尽きかけている。

 条件はほぼ同じ。あとはどちらの気力が勝っているかどうか。


「おいヒイロ」


 その時、背後から声が耳に入る。大地を踏みしめ歩いてくるのは『精霊』のテンである。人型になっている。その右手には《絶刀・ザンゲキ》が携えられていた。


「黄ザル……お前も手を出すなよ」

「わ~ってるっての。けど……」


 テンが近くに来て刀を差し出してくる。


「ザンゲキちゃんは忘れんなよな」

「……そうだな」


 刀を受け取る。


「……ヒイロ、負けんなよ」

「無論だ」


 テンが離れていき、改めてアヴォロスと対峙する。武器は手に入ったが、まともに振ることができるか分からない。かつてこれほど刀を重く感じたことなどなかった。

 アヴォロスも刀に対抗して、魔力を右手から放出して剣状に形作っていく。日色は大きく息を吸う。


(…………よしっ!)


 大地を全力で蹴り上げ前進したが、それはアヴォロスもまったく同時だった。バチィッ、バチィッ、バチィッと日色の刀とアヴォロスの剣が激突し合う。


(不思議だ……)


 そう、不思議だった。先程まで重くて仕方がなかったはずの身体が、こうして動かしてみればそれほど重さを感じなくなっていく。それどころかアヴォロスの考えが自然と頭の中に入ってきて、次に何をすれば攻撃をかわせるのか無意識に身体が動く。

 だがそれは相手も同じなのだろうか。日色の攻撃もまるで最初から予測されているが如くかわされていく。


(多分、魔法はあと一発くらい……だろうな)


 しかも一文字しか書けないことは直感的に分かっている。それは何となくアヴォロスも同じような気がした。今の状態で魔力を使った攻撃は恐らく一度だけ。それを有効に使えた者だけが勝利を得るようなそんな感覚。

 しばらく互いに有効打がない状態が続き、何の予兆も無くズズンッと両者の身体が沈み汗が一気に噴き出る。

 先程まで感じていた身軽さは失われ、五感も鈍くなっていく。


 そのせいで互いに攻撃をかわすことができずに、徐々に当たり始める。アヴォロスの剣が左目の上を斬り、血が眼に入り視界を奪われる。だが日色の刀もアヴォロスの腹部に浅くない傷をつける。

 ズシュッ、ズシュッと互いの左肩に攻撃が入り鮮血が舞う。


「くっ!?」


 両者ともに一旦距離を取って睨み合う。激しく上下する肩を感じながら、日色は右手の人差し指を立てる。


「……させぬぞ、ヒイロォォォッ!」


 アヴォロスが懐へと迫って来た。日色も全力で刀を振るって相対する。互いの武器同士が合わさるが、その衝撃により二人は武器が弾かれる。日色は刀を後方へ飛ばし大地に突き刺さり、アヴォロスも魔力の剣が消失する。


「「ちぃっ!」」


 互いに舌打ち。だが状況の悪さは日色の方が上。アヴォロスは再び魔力を使って剣を生み出せるが、日色は背後まで取りに行かなければならない。素早く踵を返して刀を取りに行こうとするが、やはりアヴォロスが剣を生み出し追ってくる。

 素早さでは彼の方が速い。ドンドンと追いつかれる。パシッと刀の柄を握って振り向くと、すぐそこまでアヴォロスが迫っていた。ググンッと彼の剣が真っ直ぐ伸びて日色の胸へと吸い込まれていく。このままでは串刺しになってしまう。


(ここで『防』の文字を使えば防げる。しかしそれは恐らく奴も予想してるだろう)


 勝つためには相手の思惑から逃れないといけない。

 故に――――――ブシュゥゥッ!


「なっ!?」


 驚いたのはアヴォロスだった。日色は胸へと向かってきていた剣から、少し身体をずらして右肩を貫かせたのだ。その行為がさすがに予想外だったようで、アヴォロスはギョッとなって思考が止まっているように見える。


「うおぉぉぉぉぉぉっ!」


 左手に持っている刀を一気に上空から振り下ろし、カウンター気味にアヴォロスの身体を斬る。真っ直ぐ振り下ろされた縦一文字は、突っ込んできていたアヴォロスの右肩から腹部にかけて赤い線が走る。


「ぐぅっ!?」


 咄嗟にアヴォロスは剣から手を放すと、後ろへ跳ぶ。だがこの隙を日色は逃すわけにはいかなかった。

 右肩から走る凄まじい激痛を歯を食い縛って胸の中に押し込み、震える右手を、刀の柄にやり両手持ちに切り替えると、そのまま突っ込む。


「余は……余は――――――負けぬっ!」


 アヴォロスの瞳から魔力が溢れ出した瞬間、地面から《醜悪な人形》が一体現れる。


「――――――何故だろうな」


 日色は涼しげに呟く。


「何となく、最後にお前がその眼を使うと思ってた」


 刹那――――――何かを貫く音とともに、赤い血潮が噴いた。


「…………がはぁっ!?」


 口から血を吐いたのは、天から降り注ぐ月色の光を反射する刀身に胸を貫かれたアヴォロスだった。

 真っ直ぐ伸びた刀身。《醜悪な人形》の身体をも突き刺し、その後ろに立っていたアヴォロスの胸を見事に捉えている。

 日色は彼が《醜悪な人形》を生み出した瞬間、刀身に『伸』の文字を書いて発動させたのだ。アヴォロスの敗因は、《醜悪な人形》を作り出したことによる安心感と、そのせいで日色の姿を視界から消してしまったこと。

 アヴォロスがそのままふらつきながら後ろへ移動し、胸から刀を抜くと、そのまま膝をつく。


「アロスゥゥゥッ!?」


 優花が叫び彼に近づこうとするが、アヴォロスはそれを手を上げて制す。近づくなといった意味を込めて。


「ア、アロス……」


 アヴォロスの行為により優花は足を止める。しかしその表情は歯痒そうで見ていられない。アヴォロスから魔力が失われていき、せっかく出現した《醜悪な人形》も灰となって霧散する。同時に日色の肩に刺さっていた剣も消失する。

 また日色も魔法を使ったことで全身に強烈な脱力感を感じて膝を折る。相手に大打撃を与えることはできたが、日色もまた大怪我を負っているのだ。


「ヒイロォォォッ!?」


 こちらはこちらでイヴェアムやニッキたちが近づこうとするが、睨みつけて制止させる。この戦いだけはまだ、誰の手も触れてほしくない。


「「はあはあはあ……」」


 それは互いに睨み合う日色とアヴォロス、同じ気持ちだった。


「ヒイロ……余は…………貴様などに……負けぬ」

「ほざけ……オレは勝つために……ここにいる」


 二人は両手を膝に当てながらも無理矢理立ち上がる。すると二人を囲うように、大地から小さな光の粒子がポッ、ポッ、ポッ、ポッと浮かんでくる。まるで蛍の光のよう。


「これは……!?」


 イヴェアムが日色たちの周辺に浮かび始めた光を凝視しながら喋ると、


「『精霊』だ……」


 アクウィナスが答える。


「『精霊』?」

「ああ」

「で、でもどうして?」

「恐らく、まだ形ももたない大地に存在していた小さな『精霊』たちが、ヒイロたちの戦いに触発されて生まれてきたのだろう」

「そうなの……でも、こんな時だけど……すごく綺麗」

「ああ」


 まるで光る雪が舞っているかのように、日色たちの周囲を覆う。日色たちはその光に気づいていないが、まるで『精霊』たちが二人の戦いを応援しているかのようである。


「貴様に……世界が変えられると思うのか!」


 アヴォロスが口元の血を拭いながら叫ぶ。


「余は、この世界を支配する存在が……憎い。かつての光を奪った奴らが憎い! そいつらが居続けることで、世界は決して自由にはなれないっ!」

「それで? 今度はお前が支配するっていうことか?」

「支配ではない。守護だ」

「守護……?」

「この世界は、確かに余が征服する。しかし支配などは……せぬ。神のシステムを使って、あるべき世界に戻した後は……余は……」

「お前……」


 その時、アヴォロスの瞳の奥に感じた想い。強い覚悟の光。そして深い悲しみと痛み。また……決別の色が浮かんでいたように思える。


「だから、邪魔をするなヒイロ……部外者のくせに…………余の邪魔をするなっ!」


 アヴォロスが、瀕死に見えるその身体を動かして右拳で日色の顔を殴りつける。


「ぶふっ!?」

「余の背負っているものは、何千年もの重みがあるっ! たかが一年程度しかおらぬ貴様などに余を越えることはできぬっ!」


 再び彼の拳によって顔を殴られ転倒する日色。血の味を口の中に感じながら、日色は痛みに顔を歪めてなお立ち上がる。


「何故……まだ立つ?」

「…………簡単な……ことだ」

「……?」

「お前に―――」


 日色はギロリとアヴォロスの目を見返す。


「―――負けたくないからだ」

「なっ!?」 


 今度は日色が懐へと迫って右拳を全力で突き出す。


「ぶはっ!?」


 アヴォロスも後方へとのけぞるようにして吹き飛ぶ。だがそれでも彼もまた必死に立ち上がる。


「オレは――」

「余は――」


 互いに右拳に全神経を集中させる。力が集まっていく。傍にいる『精霊』たちが、呼応するかのように震え出し、互いの拳に吸い込まれるようにして集う。

 拳が光り輝き、周囲を淡く照らす。


「「――――――負けねえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」」


 一気に詰め寄る両者。息を呑む。周囲の音が一瞬消失し、静寂が支配する。


 ――――――――――――バキィィィッ!


 一人の人物が大地に転がった。


「――――――――――――オレの勝ちだ」


 最後まで大地を踏みしめていたのは、異世界からやって来た英雄――――――ヒイロ・オカムラだった。



     ※



 日色の拳の方が先にアヴォロスの顔を打ち抜くことができたが、日色もまたそのまま膝を折ると仰向けに倒れてしまう。


「ヒイロッ!?」


 イヴェアムたちが駆けつけてくる。


「しっかりして、ヒイロ!」

「はあはあはあ……」

「ねえヒイロ!」

「う、うるさい……そんなに声を張らなく……ても…………聞こえてる……」


 いつも通り無愛想な返しをすると、イヴェアムたちはホッとした様子で胸を撫で下ろす。日色はイヴェアムに抱えられた状態。目線だけを動かして、同じように倒れたままのアヴォロスを見る。彼のもとにも優花が駆けつけている。

 互いにイヴェアム、優花に膝枕をされて視線だけは戦った相手に向けられていた。


「……何故だ……何故貴様はそこまで……戦える?」

「はあはあはあ…………言っただろ、お前に負けたくないからだ」

「その想いなら……余も負けていないはずだ」

「知るか。オレは……この世界が潰されると困る。殺されるのも……困る」

「…………」

「まだまだこの世界には……オレを楽しませてくれるものが山ほど……ある」

「何だ……それは?」

「美味い食べ物や……本だ。前にも言っただろうが」

「……! 貴様ぁ……あれは本気だったというのか?」


 以前、初代勇者である灰倉真紅が死んだ場所である【エロエラグリマ】で、アヴォロスと一対一で対面した時、日色は同じ答えを彼に言った。


「そんな……もので……余は越えられたというのか……」


 唖然として遠くを見つめるアヴォロス。


「そんなもの……だと? オレにとっては生きがいだ。ただオレは、生きがいを守るために戦った……だけだ」

「……生きがい……」


 アヴォロスはぼんやりと天を仰ぎながら一人の少年のことを思い出す。


『生きがいを見つけるんだよアロス!』

『はあ? 生きがいだと?』

『そうさ! それがあれば、人生はもっと楽しくなる!』


 屈託なく笑う一人の少年。


「……そう言えば……アイツもそのようなことを申しておったな……」










「はあはあはあ……貴様……一体何者だ……!?」

「はあはあはあ……ははは、やっぱ……強いね。さすがは魔王だ!」


 突然現れた勇者と名乗る者たち。勇者召喚が行われたということは聞き及んでいた。しかし取るに足らない存在だと勝手に解釈して部下に排除を任せていた。

 しかしある時、驚くことに魔王城にたった二人で侵入してきた。一人が優花で、もう一人が真紅だった。

 彼は当時魔王アロスだった自分と対面すると、いきなり「友達になろう」と言ってきた。正直頭がどうかしていると思った。


 今まさに戦争中の相手のトップに対し、いきなり現れて友達になろうという彼の正気を疑ってしまった。

 何か企てているのだろう。そう判断し、相手の思惑に乗らないように即座に処刑を施そうとした。

 しかし相手からは思わぬ言葉が届いた。それは「勝負をして自分が勝ったら友達になってほしい」というような内容だった。

 一切の濁りのない瞳。周囲は敵だらけの中で無邪気に笑う彼の姿に、その時から眩しいまでの魅力を感じていたのかもしれない。


 しょせんは戯れ。勇者を自分の手で殺すのも一興。そう思い真紅の提案に乗ってやった。

 しかし真紅は強かった。本気で戦ったにもかかわらず、彼を打ち倒すことはできなかった。けれど、それは真紅も同じ。

 結局のところ勝負は引き分けに終わった。ほぼ同時に地面に倒れて仰向けのまま会話をする。


「……いやぁ~、勝てなかったよぉ。惜しいなぁ、もう少しで友達が増えたのに」

「……本気で友達になるためにここへ来たのか?」

「あれ? そう言ったでしょ?」


 馬鹿馬鹿しいと思いつつも、何だか彼を疑っていた自分が愚かしいような気分にさせられた。本気でもって戦ったせいか、彼が偽りのない真っ直ぐな人物だということは分かっていた。


「……名を」

「え?」

「もう一度、名を聞かせろ」

「ああ! オレはシンクだよ! シンク・ハイクラ!」

「シンク・ハイクラ…………覚えておこう」


 アヴォロスはゆっくりと上半身を動かす。


「ええっ!? もう動けるのっ!?」

「フン、余をそこらへんの者と同列に扱うでないわ」


 そう言ったものの、この時、すぐにでもベッドで眠りたいほど憔悴し切っていた。つまりはただのやせ我慢だ。それでも何だか悔しくて、少しでも彼の上に立てているという実感がほしかった。

 フラフラになりながらも立ち上がり、真紅を見下ろす。


「勝負は引き分け。そういうことにしてやろう」

「と、友達の件は……やっぱダメ?」

「…………次に貴様が余に勝ったら考えてやる」


 引き分け。しかし真紅の純粋な心に突き動かされ、正直に言えば内心では負けたと思っていた。彼に興味を惹かれた時点で、自分の敗北――――それを悟っていたのかもしれない。

 その後からは鬱陶しいまでに付き纏われた。自室に勝手に入ってくるやいなや、真紅の故郷である日本について聞いてもいないのに喋り始め、気がつけば部下とも仲良くなっている始末。


「貴様、一応は捕虜の身なのだぞ?」

「え? そうなの?」

「はぁ~」


 体面上は確かに捕虜なのだ。しかしアヴォロスの命で、真紅と優花に部屋を与え城で自由に過ごすことを許可していた。


(確かに自由に過ごしてよいとは言ったが…………自由過ぎやしないか?)


 アヴォロスのベッドに横になりながら本を読んでいる姿を見ていると、怒りよりも呆れが先に来て溜め息しか出ない。


「あ、シンク! もう! またアロス陛下に迷惑をかけて!」


 そこへ優花がやって来た。彼女は捕虜としての身分を理解しているのか、他の者にも礼儀正しく接しており、こうしていつも真紅の勝手な行動を咎めてくれている。


「あ、やっほー。どったの優花?」

「あなたねぇ……」


 頬を引き攣らせ怒りのボルテージが徐々に上がっていく様子を見せる優花。


「ユウカ、頼むから余の部屋で魔法は行使しないでほしいのだが……」

「あ、す、すみませんアロス陛下! す、すぐに真紅を出て行かせますから!」

「ええーっ! オレ今ここで寛いでるんだけど?」

「捕虜としての仕事をしなさい!」


 一応彼らには戦争で傷ついた城や街の修繕などの仕事を命じている。


「だってそれもう魔法で直したも~ん」

「う……そ、それはそうみたいだけど……」


 真紅の魔法は便利だ。今まであのような魔法など見たことがなかった。何故そのような強力な力が彼に宿っているのか不思議だ。本当に興味深い少年である。


「だ、だったら掃除とか料理とか、何かできることあるでしょ!」

「…………めんどくさい」

「何ですってぇぇぇ……」

「うわぁ、優花怖いよ?」

「反省しなさぁ~いっ!」

「お、おいユウ―――」


 その呟きはアヴォロスだ。優花から放たれた水の波動が室内で弾け、気がつけば部屋の中を洗ったかのようにビッショリだった。


「ええいっ! いい加減にせぬかぁぁぁぁっ!」

「「ご、ごめんなさいっ!」」


 久しぶりに怒鳴った気がした。それからは二人を正座させて二時間説教した。ただ真紅だけはプラス二時間正座をさせ続けておいた。

 ある時、懲りずに真紅が自室にやって来た。


「シンク、またユウカに怒られるぞ?」

「アハハ! 内緒にしててよアロス!」


 本当によく笑う男だった。

 彼はまたも自分のベッドのかのように飛び乗ると、少し真面目な表情を浮かべて妙なことを聞いてきた。


「ねえアロス」

「どうした?」

「アロスはさ……この世界のことどう思う?」

「は? 何だ突然?」

「いや、ちょっと気になってさ。な~んで、こんなに争ってばっかなんだろうってさ」

「それは人それぞれ価値観が違うからだろ」

「ん~そうなんだろうけどさぁ」

「それに人には感情があり、欲求がある。だからこそ人は無いものを求め、手に入れてもその渇きを潤すことができずに、また何かを求める。人は満たされたいという欲求があるものの、満たされたくないという欲求もまたあるのだ」

「……ジレンマだね」

「満たされたらそこで終わるからな。だから満たされたいと思いつつも、結局は満たされないものを求めていくのだ」

「うわ~哲学ぅ」

「馬鹿にしておるのか?」

「ううん、そんなわけないじゃん」


 少し互いの間に沈黙が流れ、真紅が静かに口を開く。


「でもさ、人が生きる上にもっと必要がものがあると思うんだ」

「……何だ?」

「あれ? 分からない?」

「だから聞いておるのだ」


 すると彼はニカッと白い歯を見せながら言う。


「生きがいを見つけるんだよアロス」

「はあ? 生きがいだと?」

「そうさ! それがあれば、人生はもっと楽しくなる!」


 彼のいう生きがいと一体何なのかそれを聞いてみた。


「オレは、この世界で皆が笑い合える場を作れればいいかなって。それを見つけることが生きがいかな」

「皆が笑い合える? それは不可能だ」


 一笑にふす。そのような現実など決して起こることはない。そう思っていた。


「……不可能じゃないよ」

「シンク……?」

「この世に不可能なんてないよ」

「戦争をしているのだぞ? それも終わることなく、長い間ずっとだ」

「うん。けど人は生きるために生きてるんだ」


 生きるために生きる。その言葉が妙に心の奥にスッと入ってくる。


「生きるためには生きがいを見つければいい。その生きがいがあれば、人は生きていける。絶対に死のうなんて思わない。だから戦争なんてしないようになるはずだよ」

「フッ、甘い戯言だな。求めるだけ無駄のような気もするぞ」

「アハハ、でも難しいからこそ、目指しがいがあるでしょ?」

「そう捉えるか……」

「うん! だってほら、オレってば一応勇者だから」

「何だそれは……」

「アハハ! だからアロスも、一緒に生きがいを見つけてほしいな」

「余に生きがい……だと?」

「もしかして、もうあったりする?」

「……いや」


 そう言えば、そのようなことを考えたこともなかった。それから激動の時代を乗り越えていき、生きがいを見つける暇などなかった。

 しかし胸の中に真紅の言葉がずっと残っていた。








「人は生きるために……生きる……か」

「アロス?」


 真紅の言葉を思い出し、アヴォロスは静かに呟く。そんなアヴォロスに対し、彼を抱えている優花が心配そうに名を呼ぶ。


「……ヒイロ、一つ聞かせろ」

「……何だ?」

「何故、トドメを刺そうとしない?」


 もし今、日色が仲間たちに頼めば、すぐにでも始末できるだろう。だが彼はジッと天を睨みつけながら横たわっているだけ。

 仲間たちも日色の考えを尊重しているのか、アヴォロスに攻撃を加えようとはしない。日色の考えを確かめておきたい。だから尋ねた。



     ※



 アヴォロスから何故トドメを刺そうとしてこないのか尋ねられた。真剣に問い質してくる相手の目を見返して日色もまた考えていた。

 確かに今、奴は瀕死。イヴェアムたちに頼めば全てを終わらせることができる。それにミュアの仇でもある相手に情などかけてやるのもおかしな話だ。

 しかし何故だろうか、勝負に勝ったと思った瞬間、何となく気持ちはもう晴れていた。


(それに……)


 日色はゆっくりとイヴェアムの支えを利用して上半身を起こし、近くにいるアノールドが抱えているミュアを見つめる。


(憎しみのままにアイツを殺しても、きっとチビは喜ばないだろうからな)


 ミュアは優しい奴だ。たとえ敵だとしても相手の命を奪うことを喜ばないことは分かっている。そういう奴だ。

 アヴォロスもまた、日色がミュアを見つめているのを黙って見ている。日色はミュアから視線を外しアヴォロスへと戻す。


「オレがトドメを刺さなくても、お前はもう……」


 そう、それもあった。アヴォロスの身体はもう終わりを迎えている。そんな感じが伝わってきているのだ。《絶刀・ザンゲキ》で、日色はアヴォロスの《核》を貫いた。

 それに魔神との一体化により、彼という器はすでにボロボロになっている。度重なる戦いで無理を通り越し、もう彼の命はすでに尽きかけていることは何となく理解できた。

 アヴォロスも、優花を支えにして上半身を起こす。胸からは大量の血液がドクドクと流れ出ている。優花がそれを悲しそうな表情で見つめている。


「……ヒイロ、貴様は余を討ち、何を成そうというのだ?」

「…………」

「余はこの【イデア】を救うつもりだった」


 ゆっくりと天に浮かぶ金色の塔を睨みつける。


「アレを手に入れるために人智を尽くした。あそこには『神族』がいる。奴らは高みから我らを見下ろし、人の意志を操作し人生を弄ぶ。それが奴らだ。奴らがいる限り、この世界に真の平和などありはしない。たとえ貴様が架け橋となって、他種族の繋がりを作ったとしてもだ。それはいずれ絶ち斬られる。他ならぬ貴様が信じた者たちによってだ」


 悲しみと痛み、そして憤りがアヴォロスから感じられる。自責の念もあるのだろう、瞳の奥には確かな後悔の光がユラユラと揺れている。


「ちょっと待って、それは私たちがヒイロを裏切るということ?」


 イヴェアムが口を挟んでくる。


「そうだ。言ったであろう。この世界の住人は、システムによって縛られておると。逃れるには『神族』を滅ぼし、神のシステムを取り返す必要がある」

「……その神のシステムとやらは何だ? ホントにあるのか?」


 日色は最初からそのようなものは信じていなかった。実際に目で見ていないのだから信じようがない。


「システムが何なのか、それは余にも分からぬ。だが、それは確実に存在する。シンクが……余に教えてくれた真実なのだからな」

「…………イヴァライデア」

「ん?」

「イヴァライデアという名前に聞き覚えはあるか?」

「貴様、その名をどこで……!?」


 アヴォロスの顔に動揺が見て取れる。彼はあの黒幼女を知っているようだ。


「いいから教えろ。そいつのことを何か知ってるのか?」

「……いや、詳しいことは知らぬ。その名もシンクに聞いただけだからな」

「そうか」

「ヒイロ、お前が何故その名前を知っているのかは定かではない。しかしシンクと同じ真実を貴様も知っているのではないか?」

「…………」

「神のシステムは存在する。このまま放置すれば、いずれまた手の届かない存在に奴らは成り果ててしまう。貴様らにその責を負えるか?」


 皆が【ヤレアッハの塔】を眺める。月を削り造られたとされる塔は、月の光を放ち大地を優しげに照らしている。


「貴様らの繋がりはいつか必ず絶ち斬られる。その前に奴らを倒すべきだ。余はかつて、その繋がりを奴らによって絶ち斬られた。故に余は奴らを潰すのを生きがいに生きてきた」


 彼から紡ぎ出された「生きがい」という言葉。口にする時に、彼が寂しそうに映った。


「たとえ世界の憎しみや痛みをすべて背負おうとも、誰に恨まれようとも、余は余の望みのままに突き進んできた。もう二度と、あのような悲しみが訪れない世界を手に入れるために……余はここまで来た」

「世界を救うためにそこに住んでいる奴らを殺す。それは本末転倒というものじゃないのか?」

「神のシステムを手に入れることさえできればどうとでもなる。死んだ者を生き返らせることも。新たな命を育むことも何もかもな」


 そんな簡単に理を捻じ曲げられるような力が本当に存在するのだろうか。もし本当に存在するのであれば、まさに神の力だ。


「だがたとえ、お前が世界のために動いていたとしてもだ……お前は多くの人を傷つけ、殺し、そして…………チビを殺した事実は覆せない」


 アノールドから嗚咽が聞こえる。彼女をそっと大地へと下ろして、涙を流してミュアに縋り泣いている。

 それを周りの者も見ていられないのか目を閉じて顔を逸らしている。


「なら、トドメを……仇を討てばいいだろ。少しは回復したはずだ。ナイフのような小さな刃物でも何でもいい。それを使って余の首でも斬ればすぐに死ぬだろう」


 挑発するような笑みを浮かべるアヴォロスに対し、日色は睨みつけながらも、そっと瞼を下ろす。


「そんなことをしても、チビは戻ってこない」

「……!」

「戦っている時は夢中だったから仕方ないが、こうしてもう決着がつけばもういい」

「……何故だ……何故余を憎しみのままに殺さぬっ!?」


 声を張り上げたせいか、彼は咳込みながら口から血を吐く。優花が彼の背中を優しく擦りながら「陛下、もう……」と呟いている。だがアヴォロスは彼女の言葉を無視して続ける。


「……余が憎いだろう? その少女が貴様にとってどれほど大切だったかは理解できている」

「…………」

「人は、何かを失って、初めてその何かが自分にとってどれほどの存在だったかを知る。あれほどの暴走を見せた貴様だ。言葉にせずとも、その少女に寄せている想いの強さは誰もが分かったはずだ。それなのに何故感情のままに行動せぬ?」

「言っただろ。そんなことをしたって、チビは戻ってこない。お前にトドメを刺したところで、気が晴れるだけだ。それに…………占い師にも託されたものがある」

「……!? アリシャに……?」

「だからもうここで終わりだ。オレはお前に…………トドメは刺さない」


 アヴォロスは僅かに視線を下へと向け、顔も俯かせる。すると何を思ったのか、アヴォロスは優花に「支えてくれ」と言うと、立ち上がろうとする。

 辛そうに顔を歪めながらも、歯を食い縛って立ち上がる彼を皆が黙って見つめている。


「……魔王、オレも立つ」

「ヒイロ……分かったわ」

「師匠、ボクもお手伝いするですぞ!」

「ウイも」


 イヴェアム、ニッキウィンカァが傍に来て支えてくれる。正直激痛のせいで立ち上がりたくなかったが、ここは立つべきだと本能が訴えてきた。

 支えがなければ絶対に立つことはできなかっただろう。時間をかけてようやく大地を足で掴むことができた。

 そこで日色はどうしてもアヴォロスに聞きたかったことを聞いた。


「おいテンプレ魔王」

「……?」

「あの時、お前がその眼を使った時…………どうして……どうしてチビを使わなかったんだ?」

「…………」

「その眼は、自分で殺した者を復活させて操作することができるんだろ? だったらチビを動かしてオレを動揺させることだってできたはずだ」


 彼が《黄泉の眼》を使ってミュアを生み出すかもしれないと考えていたのだ。もしそうなれば覚悟はしていても、彼女を攻撃することなどできなかったかもしれない。


「……答えろ」

「…………フッ、それは思いつかなかったな」

「…………」


 するとゆっくりアヴォロスが一歩ずつ進んでくる。一体何のつもりなのか、日色にも分からない。ただ敵意はもう感じなかった。

 それでも周囲の者は、近づいてくる彼に対しいつでも戦闘ができるように準備だけは怠らなかった。

 ただ驚くのは、そのアヴォロスが日色を通り越してそのまま進んだことだ。日色に用があったわけではないということに唖然とする。


 彼が向かったのは――――――――――――ミュアのもとだった。


「テメエ……何しにきやがったぁっ!」


 アノールドはバッと立ち上がり大剣を構える。しかしアヴォロスは気にする様子もなく、大地に横たわっているミュアを見下ろす。

 そこにはどう見てもただ眠っているようにしか見えない少女がいる。


「……シンクにヒイロ…………異世界人にとって、本当に獣人は特別な存在になり得るのだな」


 アヴォロスはそう呟いた後、左手をあろうことか自分の左目に突き入れていく。その行為に誰もが息を呑み言葉を失ってしまう。

 無論彼の左目からは大量の血が流れている。優花は彼が何をしようとしているのか分かっているようで、辛そうに顔を伏せているだけ。


「はあはあはあ……」


 恐らくは眼球を取り出したのだろう。血塗れの左手が浅く握られている。

 突然彼の左手の手の中から淡い光が放たれると、ゆっくりその左手を開いていく。やはり眼球だったようで、フワリと浮かんだそれが、細かい光の粒子に砕けていったと思ったら、ミュアの胸の中へと吸い込まれていく。


「なっ!? テメエッ! 今何をしやがったぁっ!」


 アノールドが詰め寄ろうとするが、ミュアの身体が発光し、目を覆うような輝きに包まれる。


「ミュ、ミュアァァァァァッ!?」


 アノールドが叫び、日色もまた目を閉じてしまったが、ふと耳元でアヴォロスの声が聞こえた。


「貴様の勝ちだ――――――――――――ヒイロ」


 ハッとなって目を開けると、そこはもう光が消失した後だった。そしてミュアの近くにいたアヴォロスと優花の姿が見当たらず、皆がざわつき始める。

 だがその中で、日色だけはある人物に注目していた。


 それは――――――ミュアだ。


 何故か聞こえる。心臓が強く脈打っている音が。ミュアの胸の奥から聞こえてくるのだ。


「オッサンッ! チビがっ!」

「え……な、何が……っ!?」


 皆もミュアに視線を向ける。すると信じられないことに、ミュアの指が微かに動いた。


「え……ミュ……ア……?」


 アノールドがこれ以上開かないようなほど瞼を広げている。その周りにいる者も皆そうだ。

 静かに、確実に命の波動が広がり始める。失われていた命の音が、皆の耳に届く。


「……う…………お……おじ……さん……?」


 奇跡が――――――起きた。


「ミュアァァァァァァァァァァァァァッッッ!」


 アノールドだけではない。その場にいた者全員が彼女の生還を喜んだ。

 日色も嘘のような現実に感謝した。


「ヒイロ……あなた……!」

「師匠……」

「ヒイロ……」


 支えてくれていた三人が驚くのも無理はない。自分でも気づかなかったのだか。

 まさか自分が、涙を流していたなんて―――。

 あの時以来、両親が亡くなってしまった時から枯れていたはずなのに……。もう涙は流せないかもしれないと思っていたはずなのに……。

 ミュアが日色に気づいてニッコリと照れ臭そうに微笑む。彼女のそんな笑顔を見て、こんな涙なら悪くないと――――――そう思えた。



     ※



 ――獣人界の西端。

 そこから少し離れたところに存在する孤島――――――【エロエラグリマ】。

 かつてここで一人の少年と少女が出会った始まりの場所でもある。


 初代勇者――灰倉真紅。

 『精霊の母』の力を受け継いだ――ラミル。


 二人の出会いは必然であり、また悲劇が約束されていた物語だったのかもしれない。その島の一番高い場所に、一本の木が立っている。

 その傍には二つの墓石。

 真紅とラミルのものである。

 今そこに二人の人物がいた。アヴォロスと優花の二人。

 優花はボロボロになって立つこともできないアヴォロスの頭を膝に乗せて、涙を浮かべていた。


「……ユウカ……もう泣くでない」

「……アロス……」

「余は……そこそこに……満足しておるのだ」


 アヴォロスの身体からは夥しいほどの血液が流れ出ている。左目を抉り出したせいもあり、顔も血塗れになっている。痩せ細った弱々しい身体。魔神と一体化した後遺症なのだろう。

 一目見て、もう長くはないと誰もが理解できるだろう。


「余の望みは……余の手で掴むことは叶わなかったが……それでも……もしかしたらと思える希望には出会うことが……できた」

「……アロス、私は知っていますよ」

「……?」

「あなたが、神のシステムを手に入れたあと、信頼できる者に後を託して自分が世界の犠牲になるつもりだったことを」

「…………」


 彼が世界のために死のうとしていたことは最初から理解していた。彼の本質が溢れんばかりの優しさでできていることなど、優花には見抜くまでもなかった。

 長い間、ずっと一緒に生きてきて、彼の苦悩や辛酸、後悔、心痛、その他いろいろな想いを傍で感じ取っていたのだから。

 ただ傍で彼を見守ることしかできなかった自分が歯痒かった。誰か一人でも彼と同じ目線で立ち、同じものを見ることができる人物が現れてほしかった。自分にはなれないから。


 シンクが死んでしまってからは、彼が楽しいと思う感情が失われたような気がしていた。いや、実際そうなのだろう。そしてもう二度と、彼は心の底から笑うことはないのだろうと思ってしまっていた。

 そんな時、久しぶりにアロスが興奮して笑いながら一人の少年の名を呼んだ時があった。優花は彼が笑ったことにビックリだった。だからその対象に非常に興味が惹かれた。


 それがヒイロ・オカムラ―――丘村日色である。自分と同じ日本人で、勇者召喚に巻き込まれてこの【イデア】にやって来たという。

 最初はただのイレギュラーだとアロスも気には止めていなかったようだが、ずっと観察していくうちに日色が真紅の後継者だということが分かった。

 日色の中に真紅を見つけた時、アロスは本当に嬉しそうだった。今すぐにでも会いに行って仲間にしたいという衝動もあったはずだ。


 しかし今は大事な時、下手に動けば計画自体が潰される恐れもある。だから隙を見て、遠目に彼を観察することしかできなかった。

 日色は瞬く間に他種族の架け橋となって、英雄と呼ばれる存在に近づいていく。その速度は異常と感じられるほどだったが、やはり真紅の後継者だと思わされるばかりだった。

 初めてアロスが日色と邂逅した後は、楽しそうに優花に今後のことを語っていた。彼の性格上、仲間にはならないと感じ取ってはいたようだが、それでもどことなく楽しそうだった。


『また《文字使い》と戦えるのかもしれない。それが不思議と楽しみなんだよね』


 まだ少年の身体をしていた時期に、アロスはそう言葉を発していた。真紅と再び手合せできるような感覚をおぼえていたのだろう。

 そして必ず自分が勝つと、信じていたはずだ。しかし、日色の力は予想以上のものだった。せっかく作り上げた【シャイターン城】も一度崩壊させられることになった。


 この瞬間、もう遊び感覚ではいられないことをアロスは理解したようだ。アロスは、アヴォロスという面を被って、戦争に勝つこと……日色に勝つことを最優先事項とした。

 だがアロスもまた、真紅と同じニオイを漂わせる日色を殺すことを躊躇っていたのか、結局彼を元の世界に戻すという選択をした。

 しかしそれさえも日色は覆してくる。本当に驚きだった。まさか再び戻ってくるとは考えもつかなかった。ただそれで、アロスは覚悟したはずだ。もう殺すしかない、と。


 彼が最後まで刃向えば、必ず計画に支障が出てくる。何百年とかけて作り上げた計画を、ここで台無しにされるわけにはいかない。

 アロスは全力で以て、彼を排除しようとした。


「強かったな……アイツは」


 アロスが呟く。そう、彼は強かった。一時は、憎しみと怒りに縛られ暴走したが、それでも彼は戻ってきた。他ならぬ、傍にいる仲間たちとの絆によって。


「《文字使い》は人を惹きつける……アイツもまた、多くの者を惹きつける翼を持っていた」


 ただ本当に背中から翼を生やしたことは驚いた。真紅にもなかった出来事。あの時の日色から伝わる優しい光は、太陽を思わせる安心感を覚えた。

 世界を包み込むような大きな器。穏やかで温かな……そしてとても強い光。


「あの少年は……アロスによく似ています」


 優花だけが感じていることかもしれない。だが、確かに日色とアロスはどことなく似ている。その意志の強さ、生き方、心の在り方までがそっくりだった。


「だからこそ、あの少年はアロスと同じ目線で戦えたんでしょうね」

「……奴は、シンクでもあり余のような存在でもあったというわけか……」

「二人分なんて、ちょっとずるいです」

「はは……そうだな。だが奴が本当に戦うべき時代は、これから起こるはずだ」


 アロスが天に浮かぶ月色の塔を見上げる。


「アレが堕ちない限り、この世界に真の平和などありはしないだろう」

「アロス……」

「余にはもう……それができぬ」


 彼の言葉を聞き、胸が締め付けられる。痛い。とてつもなく痛い。


「だが、シンクとは違う未来を……余が見えなかったものを……ヒイロなら見ることができるかもしれぬ」

「それほどの可能性が……あると?」


 あの丘村日色に。


「分からぬ。ただヒイロは余に勝った。多くのものを背負い、決して負けぬと誓った余の想いを打ち破り、奴は勝利を手にした。もしかしたら……そう思わせてくれた」

「……だからアロスはあの獣人少女を《黄泉の眼》を使って操作はしなかったんですね」

「……さあな」


 優花には分かっていた。彼が敢えてミュアを《黄泉の眼》を使って操らなかったということを。

 魔神を消された時から、もうすでにアロスは日色のことを認めてしまっていたのだろう。だからこそ、アロスは日色にすべてを託そうとした。


「最後の喧嘩……あれは、男の意地……なんですね」

「……何を言っておる。そのようなものでは……ないわ」


 少し気恥ずかしそうに言う彼の顔がとても愛しい。ふとアロスが真面目な顔をして口を開く。


「ユウカ……お前は生きてくれ」

「アロス……」

「そして、その眼で世界の答えを見てくれ」

「…………」

「もしヒイロが、世界に敗れそうになった時、少しだけでもいいから背中を押してやってくれ」


 聞きたくない。彼が喋る度に命が流れていくのを感じる。それはもう遺言だった。


「ユウカ……余は……っ」


 優花は彼の唇を自分の唇で覆った。もう何も喋らせたくない。そう思ったから。

 ゆっくりと顔を離し、ニッコリと微笑む。


「アロス……私はいつもあなたの傍にいます。どこにも行きません。ずっと一緒です」


 優花の涙がアロスの頬に落ちる。僅かに細められるアロスの瞳。


「ですから、少しだけ……少しだけお休み下さい」

「……余は……」


 アヴォロスの瞼が徐々に閉じていき、優花はそれをジッと見つめている。


「……アロス……愛しています……………………いつまでも」


 涙を流しながらもう一度口づけをする。だがそれ以降、彼の瞳を見ることは優花にはできなかった。

 静かに吹く風が二人の頬を撫でる。潮の香りと、細やかな土のニオイを運んでくる。

 かつてここは初代勇者である灰倉真紅が自ら命を絶った場所。

 三カ月後、その場所には二つしかなかった墓石が、三つになっていた。



 ――――――――――――ずっと一緒です。



 そんな声が風に乗って聞こえた。




     ※



 手記          ランコニス・サーガー


 世界の命運をかけたイデア戦争から三カ月が経ちました。

 まず大変だったのは、戦いが終わった瞬間にヒイロさんが意識を失ってしまったことでした。

 見た感じ、息をしていない様子が伝わってきたからです。皆が顔を真っ青にしてヒイロさんに駆け寄りました。


 特に復活したばかりのミュアさんやイヴェアムさんなど、ヒイロさんを慕っている方たちの慌てぶりは凄いものでした。

 ですがよくよく確かめてみると、ほんの微かに呼吸をしていることが分かって、皆もホッとしました。

 しかしそれは弱々しいもので、度重なる戦いのせいで疲弊したところに、アヴォロスさんとの一騎討ちで大怪我を負ってしまったために倒れてしまったのだと思います。それぞれの国中の医者を集めて英雄を死なさないために人事を尽くしました。


 特に助かったのはテンドクさんという元SSSランカーの冒険者がいたことでした。彼の指示は的確で、何とかヒイロさんは一命を取り留めることができました。

 私も彼の生存を心から喜びました。弟の件もありますが、これだけ皆に望まれている人が死ぬのは駄目だから。この人は生きるべきなんだと思いました。

 けれどヒイロさんはなかなか目を覚ましません。二日、三日と時間が経っても覚醒する素振りすらありませんでした。

 死んだように眠っているという言葉がありますが、まさにソレでした。

 誰もがこのまま目を覚まさないのではないかと思った矢先、ミュアさんが笑顔を浮かべながら、


『ヒイロさんは少しお休みしているだけです。そのうち絶対に目を覚まして、何か美味しいものが食べたいって言うに決まってます』


 と言って、戦争の被害にあった方たちの介抱に尽力していました。

 本当に強い女の子。私よりも年下なのに、見習うべき点が山ほどあります。

 戦争で被害にあったのは何も人だけではなく、戦地になった人間界の荒れようは酷いものでした。大地が死に絶え砂漠化が進んでいました。


 これはもしかしたらヒイロさんが暴走した時の力によるものなのでしょうか。特に人間たちは行き場所を失ったことで絶望感に苛まれていましたが、彼らの上に立ち導いた人がいました。

 それがジュドム・ランカースさんです。彼が率先して立ち上がり、目を覚ましたリリス王女、【魔国・ハーオス】にいたファラ王女と力を合わせて、この土地を再び住める土地にするべく行動を起こしました。


 ただ残念なことに、ルドルフ国王の王妃だったマーリスさんはお亡くなりになりました。元々身体の強い方ではなかったようですが、ルドルフ国王の乱心や戦争のこともあり、酷い心痛を抱えた結果、戦争から一か月後にその人生を終えました。

 ジュドムさんたちは深い悲しみを背負いながらも、今はそれを乗り越え真っ直ぐ前を向かれています。

 またアヴォロスさんの急襲によって半壊させられた【ハーオス】も、徐々にですが復活の兆しが見えてきています。


 特にイヴェアムさんに図書館を先に直してやってくれと頼まれていたそうですが、理由を聞いて納得しました。


『ヒイロは本好きだから。大部分の本は消失してしまったが、それでも残ったものもある。ヒイロのためにも図書館をまず戻してあげたい』


 彼女もまたヒイロさんのことがとっても大好きなのだと改めて理解させられました。

 ただこの戦争のお蔭といっていいのか分かりませんが、得たものもあります。

 それは人と人との繋がりです。

 今回のことで他種族同士が手を結び絆を深めたことで、それまであった他種族の溝が全部ではありませんが、少し埋まったような気がします。


 『魔人族』や『獣人族』の方たちが、『人間族』の国の復興を手伝っているのですから、昔のことを考えると驚きでしょう。

 でも中にはまだ遺恨が残っている方もおられます。ちょくちょく衝突しては、ジュドムさん、その他偉い人たちが間に入って仲裁したりしています。

 まだまだ本当の意味で手を合わせることは難しいのかもしれませんが、それでも着実に世界は一歩ずつ良い方向へと進んでいる気がします。


 それでもやはり気になるのは、空に浮かんでいる月色に輝く塔のことです。アヴォロスさんの言っていた通りだとすると、あそこには神と名乗っている者たちがいるはず。

 ですがあの戦争から不気味なほど音沙汰がないんです。ただそこに浮かび大地を照らしているだけ。

 本当にアヴォロスさんの言う通り、あれは災いの存在なのでしょうか。今のところ私には判別つきません。

 他の人たちも、今は塔よりも復興が先だと慌ただしく働いています。


 戦争から約二カ月が過ぎ、ようやく喜ばしいニュースが飛び込んできました。

 それはヒイロさんが目覚めたという報です

 ずっと眠っていた英雄が復活したのです。それはもう誰もが手を上げて喜色満面でした。

 しかし起きた瞬間、彼が口にした最初の一言。


『腹が減った。何か食わせろ』


 なのですからさすがはヒイロさんでした。しかもミュアさんがバシッと第一声を当てていたことにもビックリですよ。


 やっぱり、そ、その……キ、キスした仲だということなのでしょうか……?


 前にミュアさんにそのことを尋ねてみると、顔を真っ赤にして目を回して「うにゃにゃにゃぁ~」と言っていたのを思い出します。


 あれは何ですか? 反則です。可愛過ぎます。思わず抱きしめた私は悪くないはずです。


 本人も何であんなことをしたのか分からないようで、思い出す度に身体が沸騰してしまうようなのです。

 でも嬉しそうな彼女の顔を見ると、少し羨ましいと思います。それだけ好きな人がいるのですから、女として若干嫉妬しちゃいます。

 ただヒイロさんが目覚めてからも大変でした。一応彼は【ハーオス】の魔王城の一室で寝かされていたのですが、起きるや否や各国からのお見舞いが毎日のように来ました。

 でもさすがというか、ヒイロさんは、


『めんどくさい』

『オレは今、本を読んでるんだ』

『今から寝るから後にしろ』


 などと、やはり自分優先で見舞客を困らせていたりします。あのミュアさんが会いに来たと言っても、


『これを食べ終わってからだ』


 と言って、目の前の食事を美味しそうに頬張っていました。

 尋ねてきたミュアさんとアノールドさんは「これぞヒイロ節」と言って笑っていました。付き合いの長い彼女たちならではの反応なのでしょうか。

 あと、ミュアさんは会いにやって来たものの、例の件があるせいか恥ずかしいらしく、ずっとアノールドさんの背中に隠れていました。

 結局会いに来たその日は、ミュアさんは対面できなかったようです。ただアノールドさんは、ヒイロさんとミュアさんについて言い合っていたようです。


 何でも「ミュアと距離が少し縮まったようだけど勘違いすんなよ! 俺は認めねえからな!」と言っていたそうです。アノールドさんにとっては目に入れても痛くない義理の娘なのですから仕方ありませんね。

 ようやくミュアさんはヒイロさんと会うことを決心したようで、会ったのは会ったのですが、すぐに顔を真っ赤にして失神してしまったようなのです。本当に可愛いですね。

 何だかそのせいか知りませんが、イヴェアムさんが若干不機嫌そうでしたが、マリオネさんが必死に宥めていたようです。恋というのは難しいものですね。


 それとヒイロさんは私に弟のところに連れて行けと言ってくれました。覚えていてくれて嬉しかったです。普段は口も態度も悪い彼ですが、こういう約束を必ず守るというところがグッときたりするのでしょうか。私にはまだ分かりませんが、少なくとも彼に悪い印象はありません。むしろ……少しカッコ良いとか思ったりなんかしたことは……ある。

 恥ずかしいのでこれ以上は書きません。弟も彼のお蔭で、ずっと眠っていましたが目を覚ましてくれました。


 本当に感謝しました。あれから弟はヒイロさんの武勇伝を聞かせてくれとうるさいですが、こうしてまた弟と暮らせることが、私にとって何よりの幸せです。

 ありがとうございます。ヒイロさん。

 







 ランコニスはペンを置き、「ふぅ~」と肺から一気に空気を吐き出す。少し根詰めて書き続けていたので肩が凝ったかもしれない。

 今彼女が書いているのは、ある物語。

 それは一人の少年が、いろいろな旅を通じて身も心も成長していき、やがて英雄と呼ばれるようになる物語。

 いつかそれを日色に読ませることを楽しみに書き続けている。


(ふふ、まだタイトルが決まってないんですけど)


 ランコニスは窓の外から見える【ハーオス】の街の景色に万感の思いを寄せる。


(あれから三か月かぁ。もうこれだけ復興したんですから、人の力って凄いものですよねぇ)


 もう三か月前とは比べるべくもないほどに街は復活し活気づいている。


(あ、確か今日はレオウードさんたちが来られる日でしたね)


 ランコニスもまた日色と同じく魔王城の一室を借りている。


「そういえば、時間が来たら起こせって言われてましたね」


 誰に……それは日色にだ。

 レオウードたちが来る時間帯になるまで眠るから、時間になったら起こしてくれと頼まれている。

 ランコニスは彼の専属作家になっているが、同時に侍女のような役目もしている。


「姉ちゃん! そろそろヒイロ兄を起こしに行く時間だよ!」


 バンッと扉を開けて現れたのは、ランコニスの弟であるレンタンである。まだ八歳だが活発で好奇心旺盛なやんちゃ盛りだ。


「はいはい。あとレンタン、扉はもっと静かに開けなさい」

「は~い! なあなあ、それより早くヒイロ兄んとこ行こうよ!」


 彼が待ち切れないように手を引っ張る。日色の武勇伝を聞いて、すっかり彼のファンになってしまったのだ。ヒイロ兄と呼んで慕っている。

 いつか日色さんのような伝説の男になるんだと息巻いている。

 ランコニスとレンタンは、部屋を出て日色の自室へと向かう。この一カ月、彼が起きてから通い慣れた道である。

 いつも通り扉をノックしてから返事がないので扉を開く。

 今日も起きていないようで、ベッドで気持ち良さそうに本に囲まれながら寝ている日色を発見。

 彼の身体を揺すりながら、


「ヒイロさん、起きて下さい」


 何度も声をかけると、大体五回ほどで目覚める。


「う……うぅ……」


 目を擦りながらゆっくりと上半身を起こし欠伸をする日色。

 こうして彼はいつも通り。ランコニスにとっては変わらない日常が、一か月前から始まっている。

 しかし昔から彼を知っている者たちにとっては、大きな変化があったようだ。その大きな変化というのが……。


「……あ? ああ、起こしに来てくれたのか、悪いな……ランコニス」


 そう、彼は相手の名前を呼ぶようになったということ。

 ランコニスはよく分からないのだが、それまで彼が相手の名前を直に呼ぶことはなかったとのこと。あの時、ミュアさんが死にそうになった時、初めて名前を呼んだのだという。

 何故名前で呼ぶようになったのか、一度聞いてみたことがある。


『もう二度と、最後にあんなことを聞きたくないからな』


 それは多分ミュアさんが死んだ時のこと。彼女が言った言葉が彼にとってトラウマになったということなのか……。だから彼は自分が信頼できる者に対しては名前で呼ぶようになった。だが何故かアノールドとシウバだけ「オッサン」と「ジイサン」。……何故だろうか?


 ヒイロは奴らが変態だからだ、と言っていた。それを聞いたアノールドは怒っていたが……。ただシウバはノフォフォフォと笑いながらアノールドに「同志よぉ!」と叫んでいた。そしてその日の夜は二人でお酒を飲み交わして朝まで語り合っていたらしい。何だか似た者同士だ。


「こら、ヒイロ兄! おれだっているんだぞ!」

「ん? いたのかレンタン」

「ぶ~! 毎回来てるっての!」

「よし、褒めてやろう」

「やったぜ姉ちゃん! ヒイロ兄がほめてくれた!」

「はは、良かったね」


 単純な弟だった。


「今日は、レオウードが来るんだっけか?」

「はい。会議室で顔合わせするとのことです」

「分かった。着替えたらすぐに向かう」

「分かりました」

「早くね、ヒイロ兄!」


 日色はぶっきらぼうに「ああ」とだけ言うと、また一つ欠伸をした。ランコニスは彼の子供っぽい仕草を見てクスッと笑みを零すと部屋から出て行った。


 そして今日もまた、英雄が作り上げてくれた平和な一日が始まるのだ。





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