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201:日色、異世界を去る

 日色がアクウィナスと対峙して、アクウィナスが作り上げた炎の渦の中へと右腕を入れたところが見えた。ただその時に竜巻に巻き込まれた大岩に日色が激突して吹き飛ばされた。

その後、何故か突然炎の渦が弾け飛び、アクウィナスが雷に打たれたような光を放ちながら苦しんでいるのか理解が及ばなかった。

 だがすべてを把握しているような表情をしながらアヴォロスは口角を上げる。


「この時を待っておったぞヒイロォッ!」


 アヴォロスが石柱がある場所まで行くと、そこに手を置き膨大な魔力を注入していく。すると突然イヴェアムたちがいる戦場の空間が歪む。いや、ここだけでなく日色たちの戦場も歪み始める。


「い、一体何をするつもりだアヴォロスッ!」


 イヴェアムは叫ぶがアヴォロスはそれに応えない。見れば日色は体中を炎に包まれながら地面へと落下している。いつの間にか《合醒》も解けているようで、またアクウィナス自身も不死鳥の姿から人間の姿へと戻って同じように頭から地面へ。

 その時、キュッと近くにいるマルキスがイヴェアムの手を握った。「え?」と思ったイヴェアムだったが状況は次々と変わっていく。

 徐々に歪み始めた空間がまるでその歪みに耐え切れなくなったガラスのごとく弾け飛ぶ。その奥からは眩い光が迸りイヴェアムの瞼を瞬間的に閉じさせてしまう。

 だが一瞬。一瞬だった。気がつけばイヴェアムたちは、先程いた場所とは違う場所にいた。

 ここは―――。


「……戻ってきた?」


 そう、あのアヴォロスの作り出した結界の中にイヴェアムたちは姿を現した。そこで突如として遅いかかる憎悪や恐怖といった負の感情の塊。

 瞬時に塊がある方向へ視線を巡らせる。そこには見たこともない山のように巨大な生物が鎮座していた。


「な……あ……っ!?」


 声にならないほどの圧迫感。すぐにでもその場から逃げたい衝動が襲う。本能的に感じた。アレが――――魔神なのだと。

 だがイヴェアムの意識を移り変わらせた存在がある。それは上空から落ちてくる日色の存在だった。


「ヒイロォッ!」


 意識を失っているのか、それとも炎に包まれて身動きできないのか分からないがピクリともしない。

 やはりあの大岩に激突したショックからだろう。《合醒》も解かれているようで、手から光り輝いている《絶刀・ザンゲキ》を放している。

 イヴェアムは直下してくる日色を受け止めようと背中の翼を広げるが、目前にヴァルキリアシリーズの一人が立ちはだかる。

 彼女を前にしてそれが自分とともに人生を歩んできてくれたはずのキリアだということを瞬間的に理解した。

 またイヴェアムたちが現れたのは、一足先にここに戻ってきていたリリィンたちも気づいていた。ミュアやウィンカァも遠目に日色の姿を見て


「ど、どいてキリアッ!」

「……行かせるわけには参りません」


 相変わらずの無表情。立ちはだかるキリアのせいで日色を迎えに行けない。このままでは頭から真っ逆さまに落ちてしまう。ワナワナと震えるイヴェアムはキッと鋭い視線をキリアへと放つ。


「どきなさいっ!」


 凄まじい魔力の奔流が渦巻きキリアへと放たれ、彼女は吹き飛ばされる。そのまま大空へと舞い上がり日色を受け止めるべく突き進む。

 しかし突如としてイヴェアムの背後から物凄い勢いで何かが追い抜いていく。


「っ!?」


 それはアヴォロスの手から伸びている魔力の塊だった。大きな手を形成していて、それが真っ直ぐ日色へと向かっている。

 ガシッと魔力の手が日色を掴むと、アヴォロスはニヤリと笑みを溢す。


「さあ、こちらへ来てもらうぞヒイロ」


 シュルシュルシュルと腕が縮んでいき日色はアヴォロスに引き寄せられていく。イヴェアムはすぐさま折り返し日色を追う。しかし足首を誰かに掴まれてしまう。


「く……キ、キリアッ!?」


 それは吹き飛ばしたはずのキリアだった。キリアはそのままブンブンとイヴェアムを振り回すと地面へと投げつけた。


「ぐぅっ!?」

「陛下ぁぁぁっ!」


 地面に激突する瞬間に彼女の飛ぶ先まで駆けつけてその身体を受け止めたのはマリオネだった。


「ご無事ですか陛下!」

「あ、ああ……それよりもヒイロが!」


 そこへ《奇跡連合軍》たちが集まってくる。皆も日色がアヴォロスに捕まっているのを視認している。


「ククク、これで厄介な輩は――」


 アヴォロスが視線を動かした先にあるのは《儀式の塔》の魔法陣である。


「奴は何を!?」


 レオウードが叫ぶが、アヴォロスの企みに気づいたのはリリィンだった。


「ま、まさかヒイロを異世界へと戻す気かっ!」


 その言葉を受けて誰もが絶句。


「させるかっ! そいつはワタシのものなのだぞっ!」


 背中から黒い翼を生やしたリリィンが物凄い形相でアヴォロスへと迫る。しかしその前方に魔法陣が生まれ、そこから目を虚ろにさせた黒衣の連中が現れる。

 その中には【ヴィクトリアス】で朱里たちの教育係だったあのウェル・キンブルの姿や王妃のマーリスの姿もあり、彼らと親しかった朱里たちやジュドムが驚愕の表情を見せる。


「ええい! 邪魔をするなっ!」

「ヒイロ、助ける!」


 リリィンとウィンカァが真っ先に前線へと立ち黒衣を弾き飛ばしていく。その後に続き他の者も追っている。


「ククク、無駄だ。余の方が早いわ! 準備はできているなナグナラ!」


 魔法陣の近くにいるナグナラに対してアヴォロスが声を張る。


「おっけ~なのね~」

「クク、あとはヒイロをあの中に――」


 だがその瞬間――――ブシュゥゥゥゥゥッ!


 アヴォロスの予想だにしない出来事が起こる。何者かが魔力の腕を斬り裂いたのだ。


「なっ!?」


 そして日色を掴んでいる手も器用に手にしている剣で刻み、解放された日色をその腕の中に収めた。


「ば、馬鹿な……っ!?」


 アヴォロスはそれを成した人物を射殺さんばかりに睨みつける。


「何故だ…………何故余を裏切れる――――――――――――アクウィナスゥゥゥゥッ!?」


 そう、そこにいたのは先程まで日色と戦っていたアクウィナス・リ・レイシス・フェニックスだった。幾分かスッキリした表情を浮かべてアヴォロスを上空から見下ろしていた。





 アクウィナスがアヴォロスの魔の手から日色を助け出した瞬間は、誰の眼にも驚愕に映った。それもそうだろう。何故なら彼は先程まで日色と殺し合いをしていたのだから。

 イヴェアムを裏切り、アヴォロスの配下という立場だというのに、何故アヴォロスの意にそぐわない行動を起こすのか、それはアヴォロスの様子を見ていると一目瞭然だ。

 彼にとってまったくもって予想外な状況になっているということ。つまりアクウィナスが彼を裏切ったということだ。


「アクウィナスッ!」


 彼の名を呼ぶのはイヴェアムだ。イヴェアムもまだ信じられないという面持ちではあるが、彼のスッキリとした表情を見て本能的に感じたのだ。自分の知っているアクウィナスが戻ってきたことを彼女は強く思った。

 アクウィナスはそんなイヴェアムのもとへ向かい、彼女の腕の中に日色を手渡した。


「炎は消しておいた。あの瞬間、大岩に激突して意識を飛ばしてはいるが現状命に別状はない。すぐに起こすのだ」

「あ、わ、分かった! い、いや! アクウィナス!」

「……何だ?」

「……あなたは……私の知っているアクウィナスなのよね?」

「……すまない、心配かけたな姫」


 彼女を姫と呼ぶのはアクウィナスとキリアだけ。その瞳の奥には迷いが少しも感じられなかった。


「ヒイロのお蔭だ。彼はやはり――――――最高の男だ」


 フッと笑みを浮かべたアクウィナスが再び空へと舞い上がり、アヴォロスと対面する。


「……どういうことだ? 何故貴様が裏切れる? ……まさか奴ら?」


 アヴォロスはサッと天を仰ぐが、すぐに否定して頭を振る。


「いや、それならばもっと前に裏切らせていただろう。なら…………そうか、あの時の文字」


 ギロリとアヴォロスがアクウィナスを観察するように睨みつける。そして隣に立っている優花に対してそのままの状態で尋ねる。


「イシュカ、余の……いや、アダムスとの繋がりを断てるような文字は存在するのか?」


 訪ねられた優花は難しい表情を作り、彼に答えていく。


「そうですね。四文字だとして……確か『破』の文字は確認できました。破壊……破砕……破棄? 破棄……っ!?」

「分かったか?」

「恐らく。奴は『契約破棄』、あるいは『誓約破棄』と書いた文字を放ったのではないでしょうか?」

「なるほど……契約を破棄するための文字か。確かにアクウィナスとアダムスには魂の契約が成されていた。生半可な力ではそれを断つことなど不可能なはずだが、まさか四文字まで行使して攻撃ではなくアクウィナスを救うために使うとはな。まるで考えの外だったぞ」

「彼の今までの行動から考慮して、相手を助けるために自らを危機に陥らせる文字はありませんでしたからね。こちらとしても全くの予想外でした」


 確かに日色の性格上、自分の戦闘力を激減させてまで相手を救うなんてことはしていない。何よりその後が怖い。アヴォロスが後ろに控えているのだから。

 もしその隙をついて攻撃をされれば防ぐ術がない日色は呆気なくやられてしまう可能性が高い。計算高い日色がやるべき行動ではないとアヴォロスは考えていたようだ。


「貴様、もしかしてヒイロが契約を破棄してくれることが分かっていたのか?」

「いいや、契約に縛られている状態では、ヒイロが俺のために文字を使うことなど考えられはしなかった。だが……心の奥底では彼を信じていた。俺の全力を越えた先で、必ず彼は予想を越える何かをしてくれるとな」

「……たかが異世界人にそこまで信頼を置いたと言うのか?」

「お前にとってたかがでも、俺や姫にとってはかけがえのない存在だ。そして今は、俺が命を賭して守るべき人物でもある!」


 バサァッとアクウィナスの黒い翼が大きくはためかせると、その翼が一瞬にしてオーロラ状に変化して美しき翼を作り上げる。


「む? やはり不死鳥化はできんか」


 どうやらアクウィナスも全力を出してしまったことで消耗しているようだ。だがそれでも迷わずに真っ直ぐにアヴォロスへと迫る。


「ヒイロが目覚める時間くらいは稼がせてもらうぞ!」


 アクウィナスの敵意が間違いなくアヴォロスへと向かっていることに気がついたレオウードたち。彼らも揃って突っ込もうとするが、やはり気になるのは近くで寝ている魔神・ネツァッファの存在である。

 もしここで暴れて魔神が目覚めたらと思うと皆が尻込みするのが理解できる。すると懸念した通り、アヴォロスは魔神に視線を巡らせると魔神のもとへ飛ぶ。


「行かせるわけにはいかんっ!」


 アクウィナスがスピードを上げてアヴォロスの前に立ち塞がる。


「ククク、そのようなボロボロの身体でこれを防ぐことができるかっ!」


 アヴォロスがアクウィナスに向けて右手をかざす。その手の中で魔力が極限にまで集束し始め小さな球体状のものを作り出す。さらに球体をおもむろに掴み右手の中へ収めると、そのまま急に上へと方向転換する。


 アクウィナスは眉間にしわを寄せながら上空へ向かうアヴォロスを睨みつける。


 そしてアヴォロスはそのまま握り締めた球体をさらに上へと放り投げた瞬間、一呼吸で何十倍にも膨れ上がり破裂した。そこから放たれた無数の黒い球体状の物体が天から地上へと降り注ぐ。


「ヘル・グラットゥン!」


 拳大ほどの球体が地上にいるイヴェアムたちに襲い掛かる。実力のある者はしっかりと回避することはできたが、いち兵士たちはアヴォロスの攻撃をかわすことができずに文字通り球体の餌食になる。


 触れた部分がまるで喰われたように消失するのだ。兵士たちの悲鳴が轟く。そのアヴォロスの魔法が魔神にも襲い掛かっていく。しかし驚くことに魔神の身体に触れるが逆に喰われたように吸収されていく黒い球体。


 魔神を攻撃して刺激を与えて起こす作戦が、失敗したのかと誰もが思うが、アヴォロスは笑みを浮かべている。

 すると閉じられていた六つの瞳のうち、一つが開いたのだ。


「魔法を吸収させて魔神を復活させようとしているのか?」


 アクウィナスが辿り着くアヴォロスの企み。恐らく間違いはないだろう。


「させんぞ!」


 アクウィナスが空から降り注ぐ球体を器用にかわしてアヴォロスへと向かっていく。


「無駄だアクウィナス!」


 アヴォロスがクイッと指を動かすと、通り過ぎたはずの球体が突然方向を変えてアクウィナスへと集中攻撃してくる。


「何っ!?」

「そのまま消失するがよいわ!」


 四方八方を囲まれた逃げ場のない状態に追い込まれたアクウィナス。イヴェアムたちが彼の名を叫ぶ。このままでは兵士たちのように体中を喰い抜かれてしまう。

 勝利を確信したアヴォロスは笑みを浮かべるが、アクウィナスは右手を上空へと上げ、


「――――――ブラックホール」


 最大級の魔法を放つために静かに喉を震わせる。

 刹那、彼の右手の上に円盤状の黒い物体が出現。するとまるで球体が自分の意志を持っているかのように、その円盤に吸い込まれていく。そして見事にその場にあった球体はすべて消えた。


「……さすがは最強の名を持つ『魔人族』だな」


 アクウィナスの手際に素直に感心を覚えるアヴォロス。


「見事だ。ならまずは最強を叩くことから優先度を上げようか」


 凄まじい殺意が覇気に混じって地上へとふりかかる。並みの者では心身に苦しみを覚えるほどの圧迫感。

 そんな状況の中、まるでアヴォロスの覇気に呼応するかのように意識を回復させた人物がいた。


「う……」

「ヒ、ヒイロ!? 大丈夫なの!?」


 日色の覚醒を感じたイヴェアムが日色の頬を軽くパチパチと叩く。そしてゆっくりと瞼が開いていく。その奥に隠されていた漆黒の瞳が、空でアヴォロスと対峙しているアクウィナスを捉える。


「……ふぅ、何とか上手くいったようだな」


 日色は安堵の溜め息を一つ吐いた。



     ※



 暗闇だけに覆われていた視界に様々な色が飛び込んできた。瞼を上げた日色が最初に目にしたのはイヴェアムの不安気な表情。そのまま彼女の顔を一瞥して、その先にアクウィナスを見る。アヴォロスと対峙している姿。


 どうやら『契約破棄』の文字が上手く効果を発揮してくれたようだ。彼を縛っていたアヴォロスの呪縛が、契約によってなされているものならば、その四文字を使えば解けると思った。


 しかし問題はその文字を当てなければいけないということ。アクウィナスの心根がどう考えているか分からないが、身体は日色を殺そうと全力で向かってきていた。


 そのためアクウィナスの攻撃を搔い潜り文字を当てるには、日色もまた全力を出す必要があった。そのためには《太赤纏》では心もとないような気がした。


 だからこそ精霊のテンと《合醒》して文字を使わなくても空を飛べる姿になることを選んだ。その方が魔力を必要以上に消耗しなくても済んだからだ。

 それに単純な攻撃力も闇属性の『魔人族』相手に対し、光属性のテンなら有効だったからである。


 それでも一種の賭けでもあった。アクウィナスが作り出す炎の渦は強力無比。四文字を維持したまま貫ける威力を放てるか不安ではあった。それにたとえ文字を放てる状況を整えても、本当に彼がこちら側に戻ってくるか確信はなかった。


 しかも文字を放った瞬間に、大岩が物凄いスピードで飛んできて対処が間に合わずに激突して意識を飛ばしてしまったのは運が悪かった。本来なら『転移』の文字で逃げるのだが、四文字を使用した時に、その《反動》で一文字しか使用できなくなっていたので無理だった。


 ただ《合醒》のお蔭で防御力も上がっていたので気絶するくらいで済んだ。もし生身なら…………考えたくはない。

 意識を飛ばした瞬間は、この賭けには失敗したかもしれないと思ってしまった。

 テンも分の悪い賭けになるとは言っていたが、結果的に最強を再び味方に引き戻すことができた。アクウィナスを取り戻せるなら賭ける価値のあるギャンブルだったのだ。


「ふ……計算通りだな」

「バカッ!」


 ゴツンといきなり頭を拳で小突かれて痛みが走る。それを成した人物はイヴェアムだった。


「な、何しやがる魔王! アイツを取り戻した立役者に向かって……え?」


 きっちり殴ったお返しをするため説教をしようと思った瞬間、彼女の両の眼から涙が流れていたために思わず言葉を失う。


「どれだけ心配したと思ってるのよ……バカァ」

「…………別に無事だったんだからいいだろ?」


 すると物凄い視線で睨みつけられてしまい、つい視線を逸らしてしまう。


「……でも本当に良かった……」

「当然だ。オレがそう簡単にやられるわけがない」

「……もう、みんなだってすっごく心配してたんだからね!」


 日色は上半身を起こして周囲を見る。そこには日色を見つめているミュアたちの姿が映る。誰もが日色の無事を確認できてホッとしている。

 そして日色の視線はある存在へと向けられる。


「アレが魔神か……ヤバイなアレは」


 心の底から不気味な恐怖が湧いてくる。片目が開いているようだが、まだ覚醒には至っていないようだ。恐らくあの目が全て開き切ったら暴れ出すのだろう。


 その前にアヴォロスを何とかする必要がある。しかしアヴォロスの力で目覚めた黒衣の連中が連合軍を足止めしている。しかもそれはゾンビではなく、操られているような感じ。

 連合軍たちも殺すことができないのだろう。中には獣人だけでなく三種族すべてが混じっている。


(この時のために用意していた手駒ってことか)


 ゾンビなら容赦なく潰すことはできるが、ただ意識を奪われ操られているだけであれば容易に潰すことはできない。心を鬼にして殺すこともできるが、なかなか難しいようだ。


 とりあえず炎のせいでズタボロになっている左腕に『治』の文字を書いて発動。完治するまでには時間がかかるだろうが、とにかく身体の傷を治すべきだ。残念ながら体力は回復できないが。


 日色は立ち上がり地面に突き刺さったままの《絶刀・ザンゲキ》を見つける。その傍には日色と同じように気絶しているテンを発見。近くにいって起こそうとすると、目の前に水溜まりが出現する。


「っ!?」


 そこから現れたのは優花である。そして日色を捕まえようとしてくる。


「何をっ!?」


 日色は咄嗟に後ろへ下がり回避しながら両手をパンと合わせる。


「《太赤纏》っ!」


 たとえ一文字しか使えない状態に陥っても戦闘力を上げる方法は確実にある。そのために習得した武器だ。


 ギュインッと風のごとく大地を蹴り上げ優花を逆に捉えようと近づく。しかし水溜まりの中から前に見たことのある男が姿を現す。


「お前は―――っ!?」


 それはペビンという名の研究者である。人間界を旅していた時、【ブスカドル】という研究施設に足を踏み入れたことがあり、そこにいた人物。

 他ならぬ、ウィンカァを暴走させた一因である。


 最初見た時はただのマッドサイエンティストだと思っていたが、何故か一度だけ接触した時に寒気を覚えたことがあった。その糸目の奥に隠されている不気味な殺気がそうさせたのだ。

 ペビンが日色に向けて軽く手を振った瞬間、奇妙な波紋が日色の身体を通り過ぎる。すると日色の身体を覆っている《赤気》が強制的に霧散した。


「何っ!?」


 急激に落ちる体力と精神力。立て続けに戦っていたせいか疲労感はかなり蓄積されていたみたいだ。


(いや、それよりも何で急に《太赤纏》が解かれた!?)


 だが答えは返ってこない。代わりにやってきたのはペビンの身体。懐へと素早く潜り込まれて腹に痛撃な一撃が与えられる。


「ぐふぅっ!?」


 くの字に折れ曲がる身体。


「……っの野郎っ!」


 右拳をペビンに向けて放つ。しかしさらりとバックステップでかわされる。だがこの隙を使って日色は文字を書くことに集中。


「フフ、いけませんねそれは」


 ようやく喋ったペビンが不敵な笑みを浮かべて再び日色に向けて手を振る。するとまたも文字が掻き消えた。


「ヒイロッ!」


 手助けにやってきたイヴェアムとマリオネ。


「おやおや、三人とは卑怯ですね」


 ニコッと笑顔を浮かべると、彼女たちの前に立ち塞がるヴァルキリアシリーズの二人。


「くっ! キリア!」

「ぬぅ、小癪な!」


 二人は足止めを受ける。

 ペビンは再度日色の懐へ入ると、顎を下から上へ打ち抜く。跳ね上がる日色の身体。意識が飛びそうになる。


「なかなか楽しめましたが、ここでリタイアするのがシナリオなのであしからず」


(シナ……リオ……?)


 ペビンが日色の腕を掴んで引きつけ、そのまま優花が生み出した水溜まりへと乱暴に投げつける。バシャァッと水の中へ身体が打ち付けられズズズと沈み込んでいく。


「行かせませんっ!」


 日色のもとに、まるで転移したように現れたのはミュアだった。これは日色が彼女にあげた《ボンドリング》の力である。優花はハッとなり身構える。ミュアは身体からバチバチッと放電させた瞬間、


「君が来ることも想定内ですよ竜の少女?」


 背後からペビンの声が響くと同時に放電が止まる。日色が先程経験した現象が彼女を襲う。


「えっ!?」


 ペビンに後ろからガシッと首をもたれて、右腕に嵌めてある《ボンドリング》を引き千切られる。そのまま何をしたのかリングが粒子になって消え失せた。その衝撃でミュアの表情は悲痛なものに変化する。


「あなたの出番は終わりですね」


 ペビンに外側に向けて投げ飛ばされるミュア。


「ミュアァァァァッ!」


 駆けつけたアノールドが見事彼女をキャッチする。


「ぐ……チビ……!」


 日色は成す術もなく水の中に沈み込んでいく。その状況に気づいたアクウィナスが日色を助けに向かおうとするが、足元を何かに掴まれてしまう。


「ククク、どこへ行く? 余と遊ぶのではなかったか?」

「くっ!?」


 アヴォロスの手から伸ばされた魔力がアクウィナスの足を拘束していた。

 その間に日色の身体は水へと完全に吸い込まれて、次に出現したのは大志と千佳がいる魔法陣の上だった。


「ぐわァァァァァッ!?」


 突然襲い掛かってくる痛みと酷い脱力感。全ての力が魔法陣に吸われている感覚だ。


(や、やはりあのテンプレ野郎……オレを……っ!?)


 苦痛に顔を歪めながらアヴォロスを睨みつける。

 すると魔法陣の近くに二人の存在が近づいてくる。変わり果てた姿のルドルフと、その娘のリリスである。

 アヴォロスの考えは分かっている。このままでは取り返しのつかないことになってしまう。日色は必死に指を動かして魔法を使おうとするが、魔力がコントロールできない。

 絶望が全身を走る。


「ヒイロを助けろぉぉぉぉぉぉっ!」


 その場にいる者が全員日色を助けるために全力で行動してくれる。リリィンもまた、現況の危機に焦っていた。


「ええい! 邪魔だ! どけぇっ! シウバ何をしている! さっさとこやつらをどかせっ!」

「くっ! 畏まりました!」


 しかしシウバもまたアビスとの戦いで負った傷と疲労を回復させたわけではない。その動きにはいつもの機敏さが欠けている。


「やらんぞアヴォロス! ヒイロは決して渡さんぞっ!」


 しかし黒衣は元々意識を失っているのでリリィンの相手の目を見て幻術にハメる方法が使えない。日色がこの後どうなるか想像したリリィンは顔を青ざめさせる。


「ワタシのものだ……! その男はワタシのものだァァァァッ!」


 瞬間、リリィンの身体から膨大な魔力が溢れ出て光を放ち、その光に触れた周囲に立ちはだかっている黒衣の動きを止めた。次々と地面に倒れていく。


「リ、リリィンお嬢様……!?」


 リリィンの覚醒。魔力に触れた者を幻術にハメるまでに能力が向上した。しかし悲しいかな、日色との間には距離があり過ぎる。


「どく! ヒイロはウイの王!」

「ヒイロは我らが英雄でもあるのだ! 渡すものかっ!」


 ウィンカァとレオウードもまた必死に先へと進もうとする。それでも黒衣の壁は厚く、なかなか前に進めない。しかもさらに、《醜悪な巨人》よりは小さいが、明らかに異質な巨人が数体現れてウィンカァたちを足止めする。


「やめろルドルフゥゥゥゥッ! いい加減目を覚ましやがれぇぇっ!」


 遠くで叫びをあげるジュドム・ランカース。するとその声に反応したのか、《醜悪な人形》と化したルドルフがピクッと身体を動かす。


「リリスも目を覚ましてぇやっ! 目の前にいるんは大志っちなんやでぇっ!」

「そうですよリリスさぁぁぁぁんっ!」


 しのぶと朱里の声も響き渡る。だがリリスには届いていないのか、魔法陣に手をかざし魔力を放出し始めた。


「こんの大馬鹿野郎っ! アリスを思い出しやがれぇぇぇっ! ルドルフゥゥゥゥッ!」


 ジュドムの言葉――――――アリスという響きにルドルフは「ア……リズ……」と復唱する。アリスとはルドルフが人生で一番愛した女性の名前。結果的に彼女の死が彼を破滅へと向かわせた原因でもある。


「もう、さっさと終わらせるのね。ワタシは早くゆっくりとお菓子が食べたいのね」


 そう言いながらルドルフに近づき注射器のようなものでルドルフに赤い液体を注入するナグナラ。すると突如としてルドルフが苦しみだし、頭を大きく横に振り出した。

 だがその眼にリリスが映る。不意に訪れた奇跡なのか、彼の眼に光が戻る。


「リ……リズ……リリ……ス……ワ……ワジは……!」


 大きな咆哮を上げながら、何を思ったのか隣に立つリリスを掴むとその場から投げ飛ばした。


「リリスゥゥゥッ!」


 軽い身体であるリリスは大いに飛ばされてしまいジュドムがいる方向までやって来た。ジュドムが優しく彼女を受け止めると、すぐさま顔を上げてルドルフを睨みつけた。

 その表情は自分の娘に対し何をやったのかと怒りが込められている。しかしルドルフはジュドムを見て確かに笑みを溢した。久しぶりに見る輝きを宿した瞳。

 そして確かに彼は口を動かしてこう言ったのだ。


 ――――――――――――すまなかった。


「ルドルフ……お前……!?」


 しかしフッとその瞳が醜悪な色に戻ると、再び魔法陣に魔力を流し始めた。

 凄まじい光の柱を立ち昇らせる魔法陣。

 日色は光の中で自分を助けようと向かってくる者たちを見つめることしかできない。ぐぐぐっと手を上げる。

 それに応えるようにミュアもまた遠くでその手を繋ごうと必死に伸ばすが届かない。イヴェアムも、リリィンも、ウィンカァも、日色を慕う者全てが手を伸ばす。


「ククク、これが貴様に与える絶望だ――――――ヒイロ・オカムラ」


 アヴォロスの声がきっかけとなり、さらに光が激しく立ち昇り天を突く勢いで昇っていく。数秒後、光の橋が徐々に収束していく。

 魔法陣は光を失い、その上にいた三人の存在は――――――。




 ――――――――――――この世界から忽然と消えた。








     ※



「クハハハハハハハ! どうだ貴様ら! イヴェアムよ! アクウィナスよ! これで潰えたぞ!」


 悔しげに歯を食い縛るイヴェアムとアクウィナス。彼女たちだけではなく、日色を慕っていた者たちが揃って言葉を失って硬直してしまっている。

 それがアヴォロスにとっては何よりも愉快なことだった。


「貴様らの英雄は消えた。貴様らの架け橋は消えた。貴様らの希望は――――――消えた」


 日色の存在がどれほど大きかったのかがよく分かる。それほど彼の成す所業は神の如きに思えていたはずだ。誰もが成しえないことを平然と成し、絶望の中から希望を見出す。

 アクウィナスを復活させたのが良い例だ。それに数々の伝説まで残している。日色はまさに奇跡そのものであり、《奇跡連合軍》の支えでもあったはず。

 それが今、失われた。数的にいえばただ一人がいなくなっただけ。何ら支障は出ないはず。だがその一人の存在が大き過ぎた。


 アヴォロスは見事計画が遂行されたことに満足気に口角を上げている。計画上、日色の存在は目障りこの上なかった。そして彼に計画を遅らせられたこともいかんともしがたい事実だった。

 そのため彼には相応の絶望を与えようと決めていた。彼と『魔人族』最強を戦わせて四文字を使わせる。その隙を狙って送還の儀式を行い日色を元の世界へと送り返す。それが計画。日色がかなり成長していたことは驚きだったが想定内でもあった。


 あの灰倉真紅の後継者なのだから強くて当たり前、成長度合いが常人と比較にならないことも把握。その上で立てた作戦が見事にハマりアヴォロスはこの戦争の勝利を確信した。


「ククク……これで……む?」


 アヴォロスが見下ろす先には送還用の魔法陣があるが、何故かその傍には少し前まで《マタル・デウス》だったランコニスが腰を落としていた。


(ランコニス? 何故あそこに……? まあよい、アレが何をしようが些末なことよ)


 アヴォロスはランコニスの行動に気をかけず高みから連合軍を見下ろしながら両手を開く。


「さあ、あとは魔神ネツァッファを復活させるだけ。そしていよいよ……」


 ギロリと天空に浮かぶ大きな月を睨みつける。どうやら日も沈み、くっきりとその姿を見せている。


「待っておれ、余が落としてやろうぞ」



     ※



 連合軍の皆があまりの衝撃で誰もいなくなった魔法陣を眺めている時、無論イヴェアムも絶句して魔法陣を見つめていたのだが、他の皆とは少し理由が違うこともあった。


(い、今のは……?)


 イヴェアムは確かに見た。魔法陣の傍で突如出現した二つの人物。その一人はランコニス。そしてもう一人は――――――マルキス・ブルーノートだった。

 魔法陣が光の柱を立ち昇らせた瞬間、マルキスは単独でその光に飛び込んでいった。それがイヴェアムの目に映った。

 この場にいる誰かは気づいただろうか。アヴォロスはどうだろうか。先程ランコニスを視界に捉えたようだが、あまり気にしてはいないようだ。


 しかしとんでもない。恐らくマルキスはこの状況に、ただ一人冷静に対応していたのだ。ランコニスの魔法は彼女が触れているものを認識阻害することができる。 

 その力を利用してそっと魔法陣に近づき、マルキスはアヴォロスの目を盗んで行動した。その一部始終をイヴェアムは捉えていたのだ。

 不意に胸元が熱くなるのを感じる。イヴェアムはマルキスからもらったネックレスタグが原因であるとして、それを手に持って見つめる。中央に嵌められている紅玉が熱を持ち光り輝いている。


 マルキスが言うにはこの玉と彼女の命が連動しているとのこと。この玉が輝きを失わない限りマルキスは無事だということである。

 イヴェアムはギュッとタグを握り締めると再び視線を魔法陣へ。


(マルキス……今、ヒイロと一緒なのね)


 確信。彼女は日色の傍にいるためにともに送還されたのだと判断する。そしてそれが何を意味するのかはよく分からない。それでも彼女は言った。


『ヒイロを信じるだけでいい』


 と。


 彼女が何のために一緒に飛ばされたのか理由は定かではないが、日色は一人ではないということを知り少しだけだが力が湧く。

 イヴェアムはしっかりと大地を踏みしめ立ち上がるとアヴォロスを澄んだ目で見つめる。


「む? ほう、ヒイロが消えたというのにまだそんな目ができるか」

「ヒイロは消えてない」

「何?」

「必ずヒイロは戻ってくる」

「クク、だが残念ながら召喚できる者はおらぬぞ? 一度召喚を経験した者は、二度と召喚できぬのが決まり。この場にまだそれがいるとして、それはそこにおる醜い物体だが……」


 アヴォロスは冷淡な物言いで魔法陣の傍にいるルドルフを見つめる。するとルドルフの身体にピシピシピシィッと乾いた粘土がヒビ割れるが如く亀裂が走る。

 ボロボロと崩れていくルドルフを見てジュドムが彼の名を大声で叫ぶ。だがルドルフはすでに意識がないのか反応を返さない。


「唯一の召喚者は死んだ。教えてやろう。送還という儀式は間違いなく存在する。今見たようにな。だが送還を行った術者は例外なく死が訪れる。それが理」


 その言葉を聞いているジュドムは友を想う心に痛みが走っているのか苦痛に表情を歪めている。そしてルドルフがリリスをジュドムへと投げつけた理由もまた理解できた。あのまま送還していればリリスも間違いなく死んでいた。だが意識を戻したルドルフが、最後の力を振り絞ってリリスをその場から離れさせたのだ


「なかなかこのためだけに勇者を育てるのも一苦労したものだ」

「……?」


 誰もがアヴォロスの言葉に聞き入っている。


「人間王を動かし、勇者に絶望を味わわせる環境を整え、この世界に恐怖してもらう必要があった。そしてこの【イデア】から元の世界に帰りたいと強く考えるようにな」

「何故そんなことを?」


 イヴェアムが不愉快気に眉間にしわを寄せる。


「簡単な話だ。送還できる条件として、送還される者が心底元の世界へ帰りたいと強く願っていなければならん。そうしなければ送還の道が開かんのでな。故に余は愚王ルドルフを操作して城を乗っ取り、この魔法陣を完成させる必要があった。本来ならヒイロに【イデア】を嫌ってもらおうと思ったが、存外それは上手くいかなかった」


 どうやら勇者を使わず、日色を扇動して【イデア】に愛想をつかせて元の世界へ送り返そうと画策していたようだ。


「仕方なくだらしのない勇者を使うことにしたが、なかなか使い勝手が良い奴で助かったというのが本音だな。危ういところもあったが、大よそは計画通りだ。この世界から《文字使い》というイレギュラーは消え、余は勝利を得られる。世界を支配できる」

「お前は! そのためだけに多くの者を利用して切り捨ててきたというのか!」

「最後の一手に至るためには、捨て駒が必ず必要になる。余にとってそれがたまたま人であり、国であり、世界だっただけだ」


 愉悦に浸るアヴォロスの顔を見て、イヴェアムは言いようのない怒りが込み上げてくる。


「人は決して……誰かの駒などではない!」

「…………」

「ここにこうして立っているのは、自らの意志であり、平和を掴もうとする想いが結実した結果だ!」

「……クク」

「私は諦めない! 最後まで抗ってみせるぞ! それにきっとあの人は帰ってくる!」

「む?」

「私と約束した。あの月夜の約束。私は忘れていない。ヒイロは必ず戻ってくる! 私は彼を信じているから!」


 迷いのない真っ直ぐな瞳。見る者が見れば眩しくて直視できないと感じるかもしれない。アヴォロスもまたそんなイヴェアムの瞳を見て笑みを崩し、少し寂しげに瞳を揺らせた。


「…………ならば余は、余の望みを叶えるために貴様らを滅ぼしてやろう。全てが偽りだったということを証明する。そして―――」


 突然アヴォロスが魔神の頭上に降り立つ。するとそのまま身体ごと魔神の頭に沈み込ませていく。


「――――希望などないことをな」


 身体が半分ほど埋まった時、魔神の紅き目が六つとも開いた。



     ※



 ――――――――――――っ!?


 意識が覚醒し、ふと瞼を上げるとそこに映った光景はとても懐かしいものだった。

 目を閉じていたからといって横になって寝ていたわけではなさそうだ。そこは学校の教室。いつも通り、退屈で何の刺激もない、繋がりの薄い者たちで溢れている面白みの感じられない場所。

 丘村日色は学校の授業はすでに前もって教科書を読みつくして理解していたので退屈な時間でしかなかった。だからこそ屋上へ行っていつも時間を潰す。


 教師からは再三の注意を受けるが、単位のために受ける補習授業とテストで満点を取るので大丈夫だと判断していた。それで退学にでもなれば、それはそれでまあいいだろうと。

 確か今は授業も終わり放課後。屋上で寝ていて、教室にはカバンを取りに来たはず。


「あれ? 丘村?」


 その時、教室の中に自分以外の誰かがいることを知る。二人の人物。クラスの人気者である二人だ。名前は確か…………青山と鈴宮と言ったか?


「また授業サボってたでしょアンタ!」


 青山が声をかけたと思ったら、不愉快気に次に言葉を発したのは鈴宮だ。だが日色は無視して自分の席へと向かう。


「ちょ、ちょっと無視しないでよね!」

「まあまあ千佳、丘村はこうやって人と話すの苦手なんだよ。なあそうだよな丘村?」


 だったら話しかけるなと言いたいが、軽く溜め息を漏らすとカバンを手に取り教室から出ようとする。だがふと彼らがいる場所に違和感を覚えた。


(……二人?)


 何だか少しだけ物足りないような気がした。何故そんな考えが浮かぶのかは分からない。ただ何となく二人だけではなく……


「おい、お前らはいつも二人だけか?」


 つい尋ねてしまっていた。


「え? いつも?」

「ちょ、ちょちょちょっと! な、何か勘違いとかしてるんじゃないわよね! べ、別に放課後だからって、二人っきりで変なこととかしてないわよ! アタシと大志はただオンラインゲームのことを   痛っ!?」


 突然訳の分からないことを顔を真っ赤にして喋り出した千佳が突然頭を押さえて顔をしかめる。偏頭痛持ちなのだろうか。


「おい千佳、どうしたんだよ急に?」

「オ、オンライン……? 二人っきり……?」


 遠くを見つめるような感じで呆然としながら呟く千佳。日色もまるで様子を変えた彼女を不思議げに見つめる。すると顔をバッと上げた彼女がキョロキョロと周りを見る。


「な、なあ千佳? 一体どうしたってんだ?」

「……ううん、何でもない。だけど……」

「だけど?」

「……だけど二人だったかなぁって思ってね」

「はあ? いきなり何言ってんだよ。いつもここで家帰ってやるオンラインゲームの攻略法とか話し合ってたじゃないか」

「うん……だけどさ、何となくそう思っただけ」


 千佳は妄想癖にでも悩まされているのではと思った日色だが、確かに何となく彼らがもっとそう……三人……いや、四人くらいいて、いつもここで話していたのではと何故か思ってしまった。

 日色はそんな考えを捨て去るように頭を振ると教室から出ていく。いつもの帰り道を淡々と歩いていき、幼い頃から世話になっている児童養護施設へと向かう。

 帰るといつものように子供たちが日色に群がってくる。鬱陶しいと思いながら「後でな」と言って自分の部屋へと向かう。部屋と言っても元々施設長だったオヤジが使っていた書斎である。


 だが本好きの日色にとってはそこはパラダイスなので、オヤジが死んだ時に譲り受けたのだ。カバンを机へ放り投げると折り畳んである布団に腰かける。

 するとそこで初めて自分の右手に何かが嵌められてあるのを見つける。それは《ミサンガ》だった。


「何だこれ? オレ、こんなもんをしてたか?」


 おもむろに外し、同じように机に放り投げる。そして部屋から出ていこうと思った時、どこかから声が聞こえたような気がした。誰かが泣いているような、寂しげな声。

 部屋の中を見回して、視線が先程投げつけた《ミサンガ》へと行く。しばらく見つめていたがフッと視線を切って部屋から出ていった。


「あ、日色くん」


 この人は今の施設長。先代の娘に当たる人だ。面倒見がよく子供好きな、いつも笑顔を絶やさない女性。


「何だ?」

「もう、相変わらず無愛想なんだから。えっとね、卵を買い忘れて来ちゃってね。良かったら買ってきてくれないかな?」

「……面倒だ」

「そう言わずに。あ、それとも今日のすき焼きは卵なしで」

「買ってくる。さっさと金をくれ」

「ふふふ、やっぱり日色くんね」

「すき焼きには卵は欠かせないのは常識だ」

「それじゃあ、これ。頼んだわね」


 施設長から金を貰いスーパーへと向かう。

 卵を買って帰路を進んでいると、道の脇にザ・占い師という格好で小さな机と椅子に座っている人物がいた。


(胡散臭すぎて逆に興味湧くな)


 机の上には見事な水晶玉が一つ。ローブで全身を包んだ人物。これほど一見して占い師だと分かるのも面白い。

 だが占いには興味はないのでそのまま通り過ぎていく。しかし――――。


「おや? そこの御仁、どうかね一つ?」


 声だけ聴いて、ずいぶん歳を取った女性だと判断した。


「いや、金を持ってないからな」

「ほう、そうかね。でも御仁、そなたは何かを聞きたいというようなお顔をしているがね?」

「…………痛っ!?」


 いきなり何を言い出すのかと思ったが、するどい痛みが頭に走る。


「ふぇっへっへ、どうかなされたかね?」


 何でだろうか。この声、聴き覚えがある。今まで占い師に占ってもらった経験などない。それなのに強烈な既視感とともに頭痛が襲い掛かってくる。

 日色は風邪かなと思い、その場から立ち去ろうとする。


「……ヒイロ・オカムラ」

「……っ!?」


 何故自分の名前、いやそれ以上に何故外国の呼び方をする? 


「……明日もここで待ってるわよ」


 その声は明らかに若い女性の者だった。


「お、おい……」


 彼女に尋ねようと口に出した瞬間、ボンッと煙が出現し、彼女がその場から消失した。日色は狐に抓まれたような思いで、


「い、一体何だったんだ……?」


 首を傾げつつも、施設へと帰っていった。

 その夜は奇妙な夜だった。大好きなすき焼きを食べていても、何故か食があまり進まず占い師のことばかり考えてしまっていた。他の子供や施設長も心配していたが、日色は少し風邪気味なだけだと答えて自室へとこもる。

 布団の上に寝っころがり、日色はジッと天井を見つめ続ける。毎日見ている光景。だが何故か懐かしさが込み上げてくる。教室にいた時もそうだ。まるで長いこと夢でも見ていたかのように、あの光景が郷愁を誘った。


「オレは一体どうしたっていうんだ……?」


 自分の手をジッと見つめていると、ポワッと青白い光が人差し指の先に灯る。


「っ!?」


 思わず振り払う。


「虫……じゃない?」


 大きな青い虫でもいるのかと思ったがそう言うわけではなさそうだ。いまだ光っている指先を眺める。だが不思議なことにその光を見つめていると、心が落ち着くような気がしてくる。

 しばらくすると光は収まっていき消えた。そんな珍現象ともいうべき状況に、それほど驚いていない自分を発見して眉をひそめてしまう。

 そして自分の心に空虚感を覚える。何かポッカリと抜けているもの。それはとても大切なことのようで、決して忘れてはいけないかけがえのないもの。


「くっ!?」


 またも頭痛。ドクンと身体全体が心臓のように脈打つ。


「オレは……何かを忘れてるのか……? だとしたら一体……!?」


 日色は机の上に飾られている両親の写真に目を移す。事故で他界した両親。最後の最後、母親が言ってくれた『真っ直ぐ生きろ』という言葉。


「オレは真っ直ぐ生きてた……こことは違う場所で……? いや、何を言ってるんだオレは」


 すぐさま頭を振り日色は頭から布団を被って、全てを忘れるように寝入った。

 深夜、日色が寝静まった頃、机の上に置かれてある《ミサンガ》が淡い光を放ち始めた。



     ※



 ミュア・カストレイアは現況をまだ正確に把握できていなかった。いや、把握しようとする思考を自らが無意識に拒絶していたのだ。

 それだけ今、目の前で起こったことは信じがたいことであった。しかし周囲を見れば誰もが自分と同じように愕然とした表情をしている。傍にいるアノールドでさえもまるで夢を見ているかのように呆然と立ち尽くしていた。

 それが否応にもやはり現実だということを思い知らされる。


「ヒイロ……さん……?」


 そう、彼がここから――――――この世界から消失した。

 彼やアノールドの隣に立ちたくて、ミュアは必死に修業をした。ドンドン先へ進んでいく日色には結局背中を遠くから見ることしかできなかった。

 手を伸ばしても彼には届かなかった。先程も、伸ばされた日色の手を掴むことができなかった。あまりにも遠い距離、それが彼と自分の間にある明確な距離だと認識させられる。

 日色の存在はこの戦争の要。皆が頼りにしている人物。だがミュアにとってはそれだけの存在ではない。


 日色とずっと旅をし続けて、彼の人となりを見ていてミュアは無愛想で、自分勝手で、横暴な性格を持つ人物だということも知っている。しかしふと見せる笑顔にはキュンとくるし、ミュアたちが本当に困った時は、何かしら理由をつけて必ず助けてくれた。

 落ち込んだ時は厳しいがタメになる言葉をかけてもくれた。ミュアは初めて彼に出会った頃を思い出す。最初は目つきも鋭く、怖い人という印象が強かったが、話をして旅をしてみると、彼が本当は優しい人だということが分かった。


 確かに言葉遣いや態度は困ったことも多々あるが、それでもミュアには彼の生き方はとても眩しいもので惹かれていた。

 真っ直ぐ、自分の思う通りに生きている彼。なにものにも縛られず、囚われず、ただ思うままに生きる。それがどれだけ難しいか。でも彼はそれを地でいくような人だった。

 そして彼の傍にいれば、ミュアもまた同じように生きることができると思わされてしまうほど、彼の魅力は強いものである。


 何とか彼の傍にいられるように手を伸ばし続けた。背中を見失わないように追いかけ続けた。だがもうそんな彼がこの世にいない。

 そう認識した時、ミュアの両眼から涙が流れ出た。


「ミュ、ミュア?」


 アノールドもミュアが泣いていることに気がつき悲しげに眉をひそめる。


「おじ……さん……ヒイロさんが……ヒイロさんが……嫌だよぉ!」


 ミュアは堪らず戦場だというのに彼に抱きつき嗚咽する。しかし誰もそれを咎めることはない。


「何でだよヒイロ……お前はこんなとこで消えるような奴じゃねえだろ……答えろよ……ヒイロォ」


 アノールドもまた歯をギリギリと噛み締め悔しそうに音を鳴らせている。彼もまた日色を信頼している一人で、この世界で日色の最初の仲間でもある。そんな日色を助けられなかったことに後悔を覚えているのだ。

 だがその時、アヴォロスと会話をしているイヴェアムから驚くべき言葉が帰ってきた。


「必ずヒイロは戻ってくる」


 彼女の瞳に一片の揺らぎもなかった。純粋に日色のことを信じている目だった。何故彼女がそんなにも日色のことを信じられるか分からなかった。

 そして彼女はアヴォロスと会話をしていると、


「私は諦めない! 最後まで抗ってみせるぞ! それにきっとあの人は帰ってくる!」

「む?」

「私と約束した。あの月夜の約束。私は忘れていない。ヒイロは必ず戻ってくる! 私は彼を信じているから!」


 ミュアは心にズキッと痛みが走る。同時に理解させられた。

 彼女が――イヴェアムが日色のことを好きなのだということを。

 本当に好きだからこそ、最後まで信頼できるのだと。その強さが眩しく、ミュアは彼女を直視できなかった。負けた……そう思いたくないからだ。


(わたしだって…………わたしだって……ヒイロさんのこと……)


 負けたくない。日色を好きな気持ちだけは誰にも負けたくない。誰にも。ミミルにも、リリィンにも、ウィンカァにも、彼女……イヴェアムにも負けたくない。

 ミュアはギュッと胸の前で拳を固めると、俯かせていた顔をバッと上げる。


(わたしだってヒイロさんを信じるもん! それにわたしにもまだできることがある!)


 ミュアはアノールドに顔を向ける。


「おじさん! 《転移石》持ってる?」

「え? あ……はい?」


 突然今まで泣いていたミュアがキリッとした表情を浮かべているのでアノールドは戸惑いを覚えているようだ。


「て、《転移石》ならあるけどよ……」

「ちょうだい!」

「は、はい!」


 ミュアの剣幕にアノールドは懐から青い石を出すとそれをミュアに渡す。ミュアは受け取ると、真剣な眼差しで彼に言う。


「おじさん、わたし負けないように頑張るよ!」

「え? あ、おう」

「ちょっとミミルちゃんのとこに行ってくるからね」

「こ、こんな時に? 何でだよ?」

「ヒイロさんとの繋がりがまだそこにあるからっ!」


 ミュアの言葉にキョトン顔を見せているアノールドだが、ミュアは無視してそのまま《転移石》を使用してミミルがいる【獣王国・パシオン】へと向かった。


「お、おいミュア!」


 アノールドが声をかけるが、すでにミュアはその場から消えた後だった。

 そしてミュアは【パシオン】に到着すると、一目散に《王樹》へと向かい、ミミルを探した。ミミルはユーヒットが作ったシェルターの中にいるという情報を得て、真っ直ぐ向かう。


「ミミルちゃんっ!」

「え? ……ミュアちゃん?」


 ミミルは突然のミュアの登場に目をパチクリしていたが、ミュアはココに来た目的を教えた。


「ミミルちゃん、力を貸して!」

「ち、力?」


 ミュアはサッと目線を彼女の右腕に向ける。そこにある物を見てホッとしながら、ミュアはミミルに戦場で何があったのか説明した。


「そ、そんな……ヒイロさま……が?」


 ミミルも日色を慕っている一人。彼が失っていた声を取り戻してくれたことをきっかけに彼に惹かれていったようだ。二人で遊んでいる時にも、やはり日色の話題がとても多かった。

 だからこそミュアの言葉が信じられないのか、ミミルが顔を青ざめさせミュアと同じようにやはり涙を流す。


「嘘です……そんな……嘘ですよ……!」

「ミミルちゃん……」


 彼女の悲痛な泣き声にミュアは心が締めつけられるような思いを感じるが、ゴクリと喉を鳴らしたら、彼女の手を優しく両手で握る。


「大丈夫だよミミルちゃん」

「ミュア……ちゃん……?」

「まだわたしたちにもできることがあるんだよ!」

「できる……こと?」

「うん!」

「それって……」

「これだよ!」


 ミュアが送る視線の先には、ミミルの右腕に嵌められてある《ボンドリング》がある。


「これはわたしとミミルちゃん、そしてヒイロさんの髪の毛を編んで作ったもの。これが無事だってことは、まだヒイロさんとの絆が壊れてないってことだよ!」

「あ……ああ……」


 ミミルの目に光が戻っていく。この《ボンドリング》の効能はいろいろあるが、その一つに、もし三人の誰かが死んだりしたり重傷を負ったりすれば、その人物の髪の毛の部分が消えかけてしまうという現象が起きる。

 だが今、誰の髪の毛も消失してはいない。無論日色のもだ。つまり彼は無事。


「わたしのはペビンって人に壊されちゃったけど、まだ希望は残されているんだよ! ここに!」

「ミュアちゃん……で、でもどうすれば? ヒイロさまのように転移できるのでしょうか?」


 同じ《ボンドリング》を持つ者のところへ転移できるというのも効能の一つ。


「ううん、世界を越えることはできないって前にヒイロさんから聞いてた。だけどね、これにはまだできることがあるでしょ!」

「…………!?」


 ミミルも気づいたようでハッとなる。ミュアはニコッと笑みを浮かべると力強く頷く。


「一緒に呼びかけよう! わたしとミミルちゃんで! ヒイロさんを取り戻すために!」

「は、はい!」


 二人は互いに手を取り合って同時にそっと目を閉じた。







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