199:ヒヨミ戦決着
ウィンカァの登場で、その場にいた者たちが唖然として硬直していた。そんな中、最初に声を発したのはアノールド・オーシャンだった。
「ウイッ! 久しぶりじゃねえかおい!」
名前を呼ばれた彼女も彼に顔を向けるとコクンと頭を縦に振る。
「ん……久しぶりアノールド」
アノールドが再会の喜びを表情に表してウィンカァに近づく。
「おお~ハネマルもデカくなったなぁ~!」
「アオッ!」
「ウイも……少し身長伸びたか?」
「ん……アノールドも強くなった」
「へへへ、俺だって師匠のもとで修行したしな!」
そんなふうに二人と一匹がかつての旅仲間に話しの花を咲かせている時、少し離れたところではリリィンが観察するようにウィンカァを見つめていた。その隣にはシウバも立っている。
「…………それで? 何故会いにいかない?」
リリィンは視線を動かさずに呆れたような声音が響く。その声の行き先はシウバではなく、背後でコソコソと身を隠そうとしているクゼル・ジオに向かっていた。
「い、いえ……」
不安気で消えそうな声がクゼルから発せられると、リリィンの眉がピクリと動く。
「貴様……ずっと放置していたせいで会う勇気がないとか言わないよな?」
「……で、ですが、私にその資格があるわけが……」
「…………」
「わ、私はこうしてあの子の元気な姿を見ることができただけで……」
「…………」
「今更私が会って何を言えばいいか……分からないのです」
ブチッとリリィンの我慢の糸が切れたようで、ガシッとクゼルの腕を掴むとそのまま一本背負いの要領で引っ張り飛ばす。
「ウダウダみっともないわぁぁぁっ!」
「ええぇぇぇぇぇぇっ!?」
リリィンの凶行にクゼルは成す術もなくウィンカァのもとへ投げ出されたクゼル。突然飛んできたクゼルに驚くアノールドとハネマル。だがウィンカァだけはクゼルの姿を見てジッと見つめたままだ。
「え、えっと……」
クゼルの身体が小刻みに震え、目線が激しく居場所を失ったかのようにキョロキョロと動き回る。明らかに動揺している様子だ。
「……ととさん」
ウィンカァの声がクゼルの耳に入った瞬間、彼の身体は時を止めたようにピタリと止まる。彼女の顔を見るのが怖いのか、ずっと四つん這いになり顔を床へと向けている彼だが、ゴクリと喉を鳴らせるとゆっくり上半身ごと顔を上げる。
そしてようやく互いの視線が合う。
「ととさん……だよね?」
「ウィ……ウィンカァ……」
刹那、カランと《万勝骨姫》を床に落としたウィンカァがクゼルに抱きついた。
「ととさんととさんととさんととさんっ!」
抱きつかれたことに驚嘆して、クゼルはまるで夢の中にいるような呆然とした表情を浮かべていたが、彼女から伝わる確かな温もりを感じてゆっくりと両腕を彼女の身体へと回す。
「……大きく……なりましたね……ウィンカァ」
「うん! うん! 会いたかったよととさんっ!」
ウィンカァの両眼から涙が流れ、そしてクゼルも彼女と同じく静かに目を閉じて涙を流した。
そんな二人をアノールドは微笑ましい様子で「へへへ」と鼻をすすり感動している。ハネマルも尻尾と翼を嬉しそうにパタパタと揺らしていた。
そんなほんわかムードの中、一つの影が二人に向かって突撃する。その正体がヴァルキリアシリーズの一人だとアノールドが気づき、「ウイィッ!」と声を張り上げた瞬間、ウィンカァの身体から赤いオーラが迸り、クゼルから離れて向かってきていたヴァルキリアの懐へ素早く入り拳を突きだした。
ドガッとウィンカァの拳により後方へと吹き飛ばされるヴァルキリア。そしてウィンカァはキリッとした表情をアヴォロスたちに見せつける。
「ととさんは、ウイが守る」
どうやらヴァルキリアが二人一遍に殺そうと近づいたその殺気に気づいていたようで、アノールドの声を聞くまでもなく対応する予定だったようだ。
「……フン、感動したまま二人一緒にあの世へ送ってやろうと思ったのだがな」
冷徹な言葉を述べるのは、いまだに自身が作り出した椅子へと楽に腰かけているアヴォロスだ。
「しかしまさか、03号の動きを捉えてカウンターを与えるとは……なるほど、あのヒイロが頼るわけだ」
「お前が……アヴォロス」
「そうだ。余がアヴォロス。いずれ世界の神となる存在だ。覚えておくとよい」
「ウイはウィンカァ。ヒイロに任された。ここにいる人たちはウイが守る」
床に落ちた《万勝骨姫》を手に取り、ブンブンと回した後にバシッと切っ先をアヴォロスへと向けて身構える。彼の周囲を囲んでいるヴァルキリアシリーズがウィンカァの敵意を感じて警戒度を高める。
「ふむ、そろそろ良いきっかけかもしれんな」
そう言葉を発するのはアヴォロスではなくリリィンである。リリィンは、アヴォロスによって怪我を負わされたレオウードとジュドムを介抱しているイヴェアムやクロウチたちを一瞥すると、その視線をアヴォロスへと向ける。
「きっかけ? 何のことだ、アダムスの劣化版?」
アヴォロスの物言いにリリィンは頬をひくつかせたが、すぐに冷笑で怒りを抑えた。
「ずいぶん余裕だが、そろそろ本気で暴れさせてもらおうか。こちらの準備も……」
リリィンが再びレオウードたちを見ると、彼らも身体に包帯を巻かれながらも立ち上がりアヴォロスを睨みつけている。他の者も武器を手に取って殺気を膨らませている。
「整ったぞ」
レオウードたちの治療もある程度は終了し、またウィンカァという戦力も増えた。これなら戦えるとリリィンは推察したのだ。
皆が戦闘態勢を整える中、アヴォロスが椅子から静かに立ち上がる。そしてその美麗に整った顔をリリィンたちに向ける。誰もが彼がいきなり攻撃をしてくると思っているようで身構えている。
「ククク、確かに大したものだ。これほどの戦力が今、余の目前にあることがな」
アヴォロスが大げさに溜め息を漏らす。
「だが悲しいかな。貴様らはこれから絶望を拝むことになる」
「何だと?」
リリィンは彼の言動に不審を感じているようだ。
「フッ、あれを見るがよい」
そうして彼が視線を促した先には巨大砂時計があり、いつの間にかその中の砂がすべて落ち切ろうとしていた。
「あの砂時計が何だという……!? ま、まさか……!?」
ある考えが過ぎったようでリリィンの目が大きく見開く。そしてサラサラサラと、最後の砂が下へと落下した。
「さあ、絶望の時間だ」
すると突如としてアヴォロスの前方に立っていたリリィンたちの姿が消えた。
※
「これでしばらくは安静にしてて下さいね」
アヴォロスの策略によって取り込まれていた多くの《魔錠紋》を刻まれた獣人や罪もない子供たち。その上、《醜悪な巨人》の自爆によって傷を受けた者たちが多く、ミュア・カストレイアは彼らの傷を手当てしていた。
子供に包帯を巻いてやると「ありがとう」と笑顔で言われたことが嬉しくて、ミュアもニコッと笑みを返す。
だがミュアの不安は消えることはない。それは目の前に広がっている半球状の赤黒い結界のようなものがいまだに動きを見せないからだ。
あの中には日色やアノールドたちが閉じ込められている。無事だと信じてはいるが、やはり彼らの顔を見たいのだ。
「ウイさん……」
ある時、突如として現れたウィンカァ。日色を探しにきたという人がいるということで、ミュアは兵士に案内されて行ってみると、そこには懐かしい顔が立っていた。
それがウィンカァだった。そしてその隣には少し大きくなったスカイウルフのハネマルもいた。久しぶりに見る彼女たちの元気な姿に思わず抱きついてしまったのだ。
ウィンカァも抱きしめ返してくれて再会を互いに喜び合った。ただ一つ気になったのは、彼女の近くに見慣れない女性がいたこと。聞けば彼女はウィンカァの師匠だという。
ミュアたちと別れてから、すぐに師匠―――タチバナ・マースティルに出会って、彼女の強さに惚れて弟子入りをしたとのこと。
それから毎日旅をしながら修業の日々を過ごし、今回の戦争のことを聞いて駆けつけてきたというのだ。
ミュアが日色とアノールドが結界の中にいるというと、タチバナが当然のように「では中に入るでござるよ」と言って結界に近づいていく。
突然跳び上がったと思ったら、自身の持っている刀で結界を難なく斬り裂いて中へと侵入していったのには正直驚いた。
ミュアたちもいろいろ攻撃を当ててみたりと試してみたが傷一つつかなかったのに、彼女はあっさりとそれを破っていったのだから驚愕する。
そしてウィンカァも日色たちを助けに向かうと言うと、槍を片手に彼女の雰囲気が変化していった。それまで彼女は人間よりの獣人ハーフだったはずなので獣耳はなかった。それなのに突然赤いオーラに包まれたかと思ったら、獣耳と尻尾が生えたのだから驚きを禁じ得ない。
タチバナと同じく跳び上がった彼女はハネマルとともに結界を破って中へと入っていった。その際にミュアに向かって「必ず二人は助けるから」と言ってくれた。
あれから大分経つが、まったく音沙汰がないのが不安で仕方ない。
(みんな……どうか無事に帰ってきて)
願うはそれだけだった。今の自分が何もできないのは口惜しい。強くなったといっても、相手のレベルが高過ぎて、アヴォロスたちにとってはそこらの兵士とミュアとではそれほど扱いに差はないのだ。
兵士とミュアの間には確実に差はあっても、やはり戦いのセンスや経験などから判断して、足手纏いになる可能性の方が高い。
(悔しいけど、仕方ないよね……)
本当は日色やアノールドたちの隣に立って戦いたい。仲間を守りたい。以前、彼らと旅をしていて強く思ったことでもある。だから必死で修行したが、それでも彼らはそれよりも遥かに速いペースで駆け上がっていく。
特に日色などはもう背中すらも見えないところまで上っている。それが悔しい。少しは成長したと思っても、彼はさらに成長している。
いつか彼の隣に立ち、そして守れるような力を得たいと思いつつも、結局はこうして守ってもらっている。それが一番悔しいのだ。
(わたしにもっと力があれば……)
自分の無力をミュアが嘆いていると、突然結界が小さくなり始めた。周りの者も騒ぎ出し、何事かと叫んでいる。ミュアもまた何が起こっているのか分からずに黙って見つめている。
そしてちょうど先程の半分ほどの大きさまで縮んだ結界。すると次の瞬間、結界の外側の空間が歪んだと思ったら、そこに次々と会いたかった顔ぶれが現れる。
「お、おじさんっ!」
「え? ミュ、ミュアッ!?」
ミュアは突然出現したアノールドに駆け寄り抱きつく。アノールドも困惑気味にだがしっかり受け止めてくれた。
「お、おじさんだよね?」
「あ、ああ……ここは? そ、そうか……戻ってきたのか」
アノールドだけでなく、レオウードたちも狐に抓まれたような表情で周囲を確認している。
「ウイさん!? 無事だったんですね!」
近くにはウィンカァとハネマルもいた。無事で何よりだ。
「ミュア……うん。でも……いない」
「え? いない?」
「ん……ヒイロいない」
「えっ!?」
ミュアもキョロキョロと周りを見渡してみるが確かに彼の姿は発見できなかった。全員が帰ってきたと思っていた。しかし改めて確認してみると何人かこの場にはいない。
「ヒイロさん……イオちゃんもいない……おじさん?」
「多分まだヒイロはあん中だ」
アノールドが指を差した先には小さくなった結界がある。
「ウイ、もっかい行く」
ウィンカァが槍の持ち手をギュッと力強く握って、結界へと近づこうとした瞬間、兵士たちの叫び声が響く。それは口々に「アレを見ろ!」や「大きくなってるぞ!」などと言って天空を指差している。
彼らの指の先には混沌を凝縮させたような不気味で赤黒い球体が空に浮かんでいる。あれはアヴォロスが《魔剣・サクリファイス》を利用して生み出したものである。
それが最初の頃と比べて急激に膨れ上がっている。まるで何かが生まれてきそうな感じでドクンドクンと脈動している。
そしてその場にいる者のなかで一早く何かに気づいたのはリリィンだった。
「おい貴様らっ! 死にたくない者はこの場からさっさと離れろっ!」
しかし彼女の言葉はやや遅く、突如として赤黒い球体からバキィィィッと、まるで卵の殻を突き破る感じで巨大な何かが出てきた。
それは血が変色したかのごとく黒い肌を持つ手のような部分。いや、足かもしれない。極太の指は四本しかないが、その先には鋭い爪が生えている。
だがそんなことよりも、その割れた部分から漏れ出ている魔力の圧力に息苦しさを覚える。恐怖や憎悪など、あらゆる負の感情で構成されたような気持ちの悪い魔力。
しかもその密度が桁違いに濃く、見ているだけで全身に怖気が走る。だから簡単に理解できた。
アレはこの世に現れてはいけないものだと――――。
次々と殻を破りドンドン力が溢れ出てくる。あのレオウードやジュドムでさえその魔圧を受けて知らず知らずか後ずさりを起こす。
そして突然、球体に細かい亀裂が全体に走るとバキィィィィィッと全ての殻が粉砕して、中からは、あの《醜悪な巨人》も可愛く見えるほどの巨大で凶悪な存在が降臨した。
「あ……あ……」
ミュアはその姿を見て言葉にならない恐怖を感じて、全身が無意識に震え出す。混沌を体現したような姿。
一見してドラゴンのような印象も受けるが、驚くほど巨大な体躯に、六本の剛腕。真っ赤な瞳が細長い顔に六つ見える。その顔の頭の部分には大きな角が二本生えている。
そして一口で山をも噛み取れるほどの大きな口。するとその口が大きく開かれ、そこからレーザー砲のような赤黒い塊が放たれる。狙いは幸いにもミュアたちがいる地上ではない。
遥か彼方に見える山だった。気まぐれに放ったのだろうか、そのレーザー砲は山に衝突すると、その山自体が巨大な爆弾だったのかと思われるほどの爆発が起きる。
見ると一瞬にして山が消し飛ばされていた。まさに戦慄。戯れのような一撃で山が吹き飛ぶ威力を持つ存在。
その存在に恐れ戦きながら、レオウードが低い声で正体を明かす。
「――――――魔神・ネツァッファ……」
とうとう恐れていた事態が起きてしまった。
ミュアたちの目の前に顕現した魔神・ネツァッファ。その存在感は、ただそこに在るだけで地上に住む者たちを恐怖で震え上がらせるほどのもの。
獣王であるレオウードや、【ヴィクトリアス】のギルドマスターで人間の代表として戦っていたジュドムですら、まるで悪夢でも見ているかのように硬直している。
魔神の持つ六つの紅き瞳が怪しく光り、それはまるで地上の全てを把握しているかのような感覚を起こさせる。眼球の僅かな動きでさえ察知されるかもしれないという考えが皆の脳裏に過ぎっている。
だからこそ下手に動けばそれで終わってしまう。そこで命が摘み取られてしまうというような雰囲気をただそこに佇んでいるだけで漂わせるのだから、あのレオウードたちが動けないのも無理はない。
そんな中、リリィンを守るように立っているシウバが口だけを動かし始める。
「……お嬢様、ここはどうか逃げ道を模索する必要があるかと思いますが?」
顔はシウバにしては珍しくお茶らけた様子は微塵も感じられずに、強張った表情を浮かべている。彼にとってもこの状況は一分の隙すら見せられないところなのだろう。
「まさかこれほどの奴だったとはな。……化け物め」
悪態をつくリリィンだが、いつものような強気が薄れている。相手の枠外の強さを感じてさすがのリリィンも額から汗を流している。
「お嬢様の魔法をかけたとして、どのくらいもちますか?」
「……数秒……いや、ほんの一瞬程度かもしれんな」
リリィンの魔法は相手の強さによって幻術にハメる時間が変わる。無論相手が強ければ強いほど効果時間や威力があまり見込めないが、それでも相手を夢の中へと誘い込み、その隙をつくこともできるので凶悪な力でもある。
しかしこれほどの相手にとってはほんの一瞬、動きを奪えたとしてもほぼ意味がないだろう。それどころか下手に刺激を与えると怒りを買うだけだ。
「それにあの目……少しでも動けば、きっと――――」
リリィンの懸念が当たる。魔神のプレッシャーに耐え切れなかった兵士の一人が我を忘れたように相手に向かって魔法を放ってしまった。
「バ、バカ者ぉっ!?」
叫んだのはマリオネである。しかし兵士は恐怖から耐えられずに火球を飛ばしてしまっていた。だがその火球は、魔神に当たった瞬間にバシュンッと打ち消されたように消失した。
ドラゴンのごとき細長い魔神の顔が攻撃を放った兵士に向けられる。
「あ……ああ……!?」
兵士も自分が何をしたのかようやく理解したようで、その場で尻餅をついてしまう。すると魔神の六つに分かれている尾をブンブンと動かして天から地へと、その兵士に向けて振り下ろした。
「逃げろぉぉぉぉっ!」
比較的、兵士の近くにいたマリオネの叫び声が轟くと同時に、皆が悲鳴を上げながら兵士から距離を取る。もう彼を助けようという思考は皆には働いていないようだ。
打ち下ろされた一つの尾。六つに分かれているといっても、長さ五十メートル以上、太さ十メートル程度はある。それが遥か上空から凄まじい勢いで落下してきたら、その破壊力はいとも簡単に大地を割るほどである。
もちろん直撃を受ければ即死は免れないだろう。そして逃げ道を失ってまともに受けてしまった兵士の末路は誰にも分かる。
だが衝撃による風圧も並ではなく、周りにいた兵士たちも吹き飛ばされてしまった。
魔神にとってはハエでも払ったかのような感覚なのか、ヒュンヒュンヒュンと尾を無造作に動かして、まるで遊んでいるようだった。
「こ、こんな奴……どうやって倒せというのだ……!?」
リリィンの呟きはこの場にいる誰もが思い浮かべているものだ。たかが尻尾を落としただけで大地を割るような生物相手に、効果的な対処法などあるのか。
もし魔神が本格的に暴れ出したなら、ここ一帯は全ての生命体が滅ぶだろう。しかしここで魔神の動きがピタリと止まり、瞳の光も徐々に小さくなっていく。
「な、何が起きたのだ?」
リリィンは険しい表情のまま観察するが、魔神から威圧感が減少していき、しばらくして魔神は六つの瞳を閉じた。
「ま、まさか……寝てんのか?」
信じられないといった面持ちで言葉を発したのはアノールドだ。
彼の言う通り、目を閉じて動かなくなった魔神を見て、誰もがそうかもしれないと思い始めていた。
「も、もしかしたらまだ目覚めたばかりで本調子ではないのではないか? それで眠りについたのでは?」
レオウードが見解を述べ、それにはジュドムが答える。
「かもしれねえな。これほどの奴なんだ。アヴォロスも復活を急いでたみてえだし、まだ動く気力が十分じゃねえのかもな」
「つまり先程の兵士は、せっかく眠ろうとしているところを邪魔されたため攻撃されたということか」
残念なことに藪を突いて蛇以上のものを出してしまったということだ。気の毒な兵士だったが、今の魔神の様子を見ていると見解は正しいように思える。
「そういうことだ。皆の者は下手に奴を刺激することのないように注意しろ」
比較的小さな声で周りの者に注意を促すレオウード。また安眠を妨げられたとされて暴れられたら堪ったものではない。
「ウイは、ヒイロのとこ、行っていい?」
ウィンカァがアノールドとクゼルに尋ねるが、レオウードがそれを否定する。
「いいや、下手に力を使うな。あの結界を破って侵入したいのはやまやまだが、それで奴を起こしてしまえば元も子もない」
ウィンカァにとって、せっかく日色の力になれると思っていたのか、レオウードの正論にその場の者も賛同してシュンとなっている。そんな彼女をミュアは、背中をポンポンと叩いて慰めている。
「レオウード様、じゃあ俺らはこれからどうするんです?」
アノールドの質問の答えに、全員が注目する。
「まずはいつでも戦えるように準備を整えることだ。怪我の手当てもそうだが、とにかくあのデカブツを攻略しなければならんのだ。何か策を企てねば……バリド、クロウチ、プティス、お主らは奴をできる限り観察して何か攻略法が見つかるかどうか探ってみてくれ」
「「「はっ!」」」
《三獣士》の三人は返事をすると、すぐさまその場から魔神へと向かっていった。
「マリオネ……どうやら魔王は中のようだな」
「ああ……アヴォロスめ……」
この場にイヴェアムがいないということは、彼女は日色と同じく結界の中にいるということ。マリオネは忌々しげに結界を睨みつけている。
そんなマリオネの肩にポンと手を置いたレオウードが、
「とにかくワシらは体力を回復させるのだ。必ずやってくる次の戦いのためにな」
「……分かっておる!」
彼の苛立ちも分かる。今イヴェアムの傍には誰もいないのだ。アヴォロスに殺されているかもしれないと思うとやるせなくなってしまうのも当然だ。
マリオネはラッシュバルに近づき今後の対策について話し合っているようだ。
「ヒイロさん……」
ミュアは不安気に言葉を漏らして結界と魔神を交互に見つめる。何とか一つの危機は過ぎ去ったものの、まだ楽観はできない。
それにこれからが一番大変なのはミュアにも分かるはずだ。皆の顔も命拾いしたような表情をしているが、ガッツリ精神的に疲れたような雰囲気を醸し出している。
それもそのはずだ。もしかしたら先程、全員がこの場で死んでいたかもしれないのだから。かくいうミュアも、戦っていないというのにまるで三日間不眠不休で過ごしたかのような表情を浮かべている。それだけ魔神の存在が強烈だったということを物語っている。
「ミュア、とりあえず俺らも怪我人の手当てしようぜ」
「……うん。ねえおじさん」
「ん? 何だ?」
「ヒイロさん……大丈夫だよね?」
「もちろんだっての! だってアイツだぜ? たとえ相手が誰だってアイツなら勝ってくれるさ!」
「……そうだよね」
「ああ! だから俺らは俺らで今できることをやるだけだ!」
アノールドがニカッと白い歯を見せる。その笑顔に元気をもらったのか、ミュアも笑みを見せる。そしてウィンカァとハネマルもまたコクンと小さく頷く。
《奇跡連合軍》は魔神を起こさないように注意しながら、情報統制を整えていった。
※
突然目の前からマリオネたちが消失したことで、イヴェアムは呆気にとられた感じで固まっていた。今、彼女の周りにいるのはただ一人―――マルキス・ブルーノートだけである。
マルキスは険しい表情を浮かべてはいるが、イヴェアムのように困惑のまま硬直をし続けてはいなかった。
「……皆を外へ飛ばしたわねアロス?」
「何度言えば分かる? 今の余はアヴォロスだ」
対面する二人。だがアヴォロスの周りには依然としてヴァルキリアたちが守るように佇んでいる。とてもではないが、今この状況でイヴェアムたちが戦っても勝ち目などほとんど感じられない。
「今頃奴らは絶望を感じていることだろう」
不敵に口角を上げたアヴォロスは再び椅子に腰を落ち着かせた。
「……どういうことかしら?」
「分からぬか? 何故奴らをここから飛ばしたのか……」
「ま、まさか!?」
「ククク、そのまさかだ」
マルキスは大きな砂時計を見て、上にある砂が落ち切っているのを確認して顔を青ざめさせた。
「あなた……まさか彼らに魔神の相手をさせているの!?」
掴みかかろうとマルキスが歩を進めるが、無論前方にはヴァルキリアが立ち塞がる。
「くっ!」
「何をそれほど憤っておる。どうせ奴らは死ぬのだぞ? それが早いか遅いかの違いだ」
「あ、あなたは命を何て思って――」
「そう」
「え?」
アヴォロスの言葉にマルキスは眉をひそめると、彼が不愉快気に顔をしかめている。
「命は大事だ。だが今のこの世界に存在する命など、そこにあってないようなものだ」
「そんなことないわ! 現にあなたも私もこうして生きているもの!」
「ククク、よく言う。貴様は生きているのではなく、ただ死ねないだけであろうが」
「…………」
図星をつかれてのか彼女は悔しそうに下唇を噛む。アヴォロスはその美顔に自嘲気味な笑みを浮かべる。
「この世界は死んでいるようなものだ。だからこそ余は、世界が生きていた頃に戻す。そして二度と奪わせはせん」
力強い言葉だった。揺らぎのない真っ直ぐな。だがその言葉を聞いて、マルキスは悲しげに瞳を揺らした。
「私はあの日からずっと逃げ続けていたわ。どうせ敵わないのだからと決めつけて、せめてこの世界の行く末を見届けようって……だけど…………だけどあなたは違うでしょ?」
「…………」
「あなたは強いわ。誰もがシンクを裏切る中、あなたは真っ直ぐシンクを見ていた。そしてずっと彼の傍にいたわ。今もそう、シンクの傍にはあの子と……あなたがいつも傍にいた」
「…………」
アヴォロスはただ前を見据えて押し黙ったままだ。
「どうしてこんなやり方をしたのよ? もっと別のやり方だってあったはずよ? あなたなら見つけられたはずだわ! だってあなたは私と違って……」
「シンクを裏切っていない……か?」
「……っ!?」
マルキスの顔が悲痛に歪む。彼女のその表情を素直にとるのであれば、彼女がシンクを裏切っていたということになる。
「確かに、余はアイツを裏切ったことなどない。高みから見下ろしている者どもにも意識操作などされてはおらん。それが何故か……気になるか?」
「…………」
「この世界にいる者は例外なく、奴らの手の中で動く駒でしかない。そしてそれはこの世界の住人である余も例外ではない」
「な、ならどうしてあなたは、いいえ、あなただけでなく、そこにいる優花も意識操作されている様子はなかったわ」
話を聞いていたイヴェアムも、興味を惹かれたのかジッと見守っている。話題に出されたアヴォロスと優花を交互に見つめている。優花は無表情のまま静かにアヴォロスの傍に控えている。
「申したであろう。この世界の住人はと。ここにいるイシュカは元々異世界の者だ」
「っ!?」
マルキスも気づいたようでハッとなる。確かにアヴォロスの言う通りだとすればこの世界の住人ではない優花は対象外になる。しかしそうだとすれば一つ疑問が残る。
それは何故アヴォロスは自我を失わずに保てたかということ。
すると驚くことにアヴォロスがおもむろに上着を脱ぎ始めた。
「「え?」」
当然マルキスだけでなくイヴェアムも戸惑う仕草を見せる。上半身を露わにした彼が、二人に向かって背中を見せる。だが長い髪の毛で隠れてハッキリとは確認できない。
「見るがよい」
そう言いながら髪の毛を後ろ手に上げると、その下から驚愕すべきものが現れる。
『絶対不変』
まるで血で書かれたような真っ赤な文字がそこに刻まれていた。
「そ、その文字って……!?」
「そうだ。これは《文字使い》――――――シンクが残した最後の文字だ」
「っ!?」
イヴェアムにはそれほど衝撃はなかったが、マルキスは盛大にその整った顔を驚きに変えていた。
「かつての仲間が次々と豹変したかのようにシンクから離れていき、貴様も突然シンクのもとから去った頃、余も微かに意識が途切れる瞬間が何度かあった。そしてラミルが死んだ時、益々意識が遠ざかるような感覚を覚えた。だがある日、シンクが二人きりで話したいことがあると申してきた。奴は全魔力を自身の血液に混入させて余の背中にこの文字を書いた」
その時は何故彼が文字を刻みつけたのかアヴォロスには理解が及ばなかったという。
『君は変わることなく、幸せを掴んでくれ』
その言葉を放った直後、シンクは倒れてしまった。そしてずっと眠り続ける彼だったが、アヴォロスが気づいた時には寝ていた場所にはいなかった。
意識が戻ったと喜び、仮死状態だった優花の復活も重なって流れが向いてきていたとアヴォロスは考えていたとのこと。
しかし彼を探し続けて、見つけたのは孤島である【エロエラグリマ】。すでに冷たくなっていた。
「シンクは奴らの存在に気づいていた。だがいくら試しても奴らに届きはしなかったと言っていた。それでも、自身のほとんどの生命力を注ぎ込んで書いたこの文字だけは、奴らでも越えることはできなかった」
アヴォロスは再び服を着用して椅子に腰を下ろした。
「それから二度と失われることのない自我を持ち、余は世界の真実を突き止めた」
「そ、そんなことが……」
「マルキス、いや、アリシャよ、余はシンクから命そのものをこの背中に刻まれた。これはたとえ肉体を変えても消えることはなかった。どうやら余の魂そのものに刻まれたものなのかもしれぬな」
アヴォロスは天を仰ぎ手を伸ばす。
「余に揺らぎなどない。支配もない。この文字に誓って、余は奴らから世界を取り返して見せる」
伸ばしていた手をギュッと力強く握る。
「そして必ず〝月〟を落としてやる!」
※
ニッキは目の前で起こっていることに驚嘆していた。
「もう終わりかしら?」
ニッキを助けに来てくれた『精霊』のヒメ。彼女は長い白髪をバサッと手で払い、キリッとした表情で眼前に立つヒヨミに、余裕のある態度を見せつけていた。
それもそのはずで、先程からヒヨミが作り出す木々が、全て一瞬にして白い炎で燃やし尽くされているのだから、ヒヨミも迂闊に近づけなくなっている。
炎と木という相性が抜群に良いヒメというアドバンテージもそうだが、彼女から発せられる強い存在感が、ヒヨミを不気味なほど大人しくさせているのかもしれない。
「ニッキ、そのリボンの使い方は理解できたわね?」
「あ、はいですぞ。頭の中に情報が流れてきましたですぞ」
「よろしい。では今度は二人でアイツを潰すわよ」
「わ、分かったですぞ!」
ニッキは右腕に巻いているリボンをサラサラと左手で取る。長さで言えば大体一メートルほど。
「や、宿って下さいですぞヒメ殿っ!」
ニッキの発言で、ヒメの身体が発光してパンッと弾けたと思ったら、そのまま粒子状になってリボンに吸収される。
するとリボンそのものが白炎化しているみたいで燃えてしまっている。しかしニッキにとっては熱くなどなく、むしろその燃えるリボンを握っていると安心感を覚えてくる。
「行くわよニッキ」
「はいですぞ!」
ニッキはバッと大地を蹴り上げてヒヨミに真っ直ぐ突撃する。だが当然ヒヨミが何もしないわけではなく、壁のように丸太が連なった状態で地面から突き出てきた。
すると身体を回転させたニッキが、そのまま鞭をうつようにリボンを振り切る。
「――――――《炎塵全壊》っ!」
突如リボンが何十倍にも広がり壁となっていた丸太を横薙ぎで瞬時に焼失させた。
「何っ?」
ヒヨミも驚愕の声を漏らし、抵抗なく壁が消えたことで虚を突かれていた。その隙を狙いニッキは突き進んで懐へと迫る。
しかし一度ニッキは彼に攻撃を当ててはいる。その時、彼は体勢を崩すこともなく、まるでダメージを受けていなかった。恐らく《爆拳》を行使しても、体中に木の鎧を纏っている状態の彼に大ダメージを与えることはできないだろう。
突進しながらニッキもそのことを考えて不安気に歯を噛み締めるが、
「安心しなさい。貴方はただ信じて拳を突き出せばいいの」
ヒメの言葉が耳に入り、ニッキはリボンを持っている右拳をさらに固める。そのニッキの思いに応えてなのか、リボンが一人でに動き、ニッキの拳を覆っていく。
その拳の状態を見たヒヨミもまた、先程のとは違う見解に至っていた。余裕のある表情からは一変して焦りを含んだそれに変わる。まるでニッキのその拳だけは受けてはいけないと心から思っているかのよう。
「そうそう当たるとは思うなよニッキッ!」
ヒヨミは持ち前のスピードを駆使して、その場から離れていく。ニッキは追いかける。しかしなかなか差は縮まらない。
その間にもヒヨミは地面から木を突き上げてニッキを攻撃しようとするが、
「左! 右! 次も右よ!」
ヒメが的確にニッキを移動させていく。そのお蔭で、まるで先読みしているかのようにニッキは木をかわすことができている。
「魔力を感知すればこの程度造作もなくてよ! ニッキ、貴方は私を信じて最後まで走り続けなさいっ!」
「オッケーですぞぉっ!」
額から汗を流しながらも、ニッキはヒメのことを信じて突き進む。その右拳を当てるまで、その足を絶対に止めないと心に決めて。
それでもほぼ無傷のヒヨミ。逃げ回る彼をなかなか捉えることができない。
(おかしいわね……あの男も確かに強いけど、これだけ魔法をつかっていればバテもするはず……それなのに少しも疲弊感が見えない……?)
ヒメはニッキの拳からジッと逃げるヒヨミが、魔法を次々と繰り出しながらもその魔力の枯渇からまったくといっていいほど遠のいているのを感じている。
(これは何かタネがあるわね……)
ヒメはニッキの動きに注意をしながらも、その意識を広げていく。魔力感知に関して絶対の自信があるヒメは、不自然な波動を感じないか意識を集中させていく。
するとそこで奇妙な魔力の流れを地面から感じる。そしてそれを辿っていくと、ヒヨミへと流れていることが理解できた。
さらにその原因となるものを探っていくと、地面に広がる根のような物体。それが大地から魔力を吸い上げて、それをヒヨミへと還元しているのかもしれない。
その還元方法は、驚くべき速さで行われていた。ヒヨミの足元に注目すると、彼が動き回って、少し足を止めた瞬間に、地面から根が伸びて顔を出し、それが彼の足に触れると一気に魔力が注入されていく。
(……なるほどね。ずいぶん用意周到だわ)
恐らく最初からこの大地には、彼に魔力を与えられる状況を作り出していたのだろう。地面に広がっている根は恐らく彼の魔法ではない。その根の深い部分、核となるものへと意識を伸ばしていくと、かなり遠くに一本の大木がある。どうやらそれが大地に根を張って、ヒヨミに魔力を与えているものらしい。
その樹には多くの実が成っていて、それが一つずつ減っていっている。
(恐らくあれは魔力を蓄えた実ね。大地から魔力を吸い上げているのではなくて、元々蓄えてあった魔力を根に流して、あの男に還元している……ということみたいね)
これでは魔法勝負しても勝ち目がないはずだ。まだまだ実はたくさん成っている。アレを全部失うまで戦うなどできないだろう。そのうちニッキたちの方がゼロになってしまう。
ヒヨミは魔力を使いたい放題。ニッキたちは制限がある。そして元々の実力の差。
(まるで出来レースね)
ヒメは卑怯とは思わなかった。これは世界を懸けた戦いなので、何をしても勝つことを優先するヒヨミの策はむしろ褒めるべきものだ。だがそれでも……
(あのすまし顔を歪めたいわね)
白い炎で包まれたニッキの右拳から、ボタッと炎の一部分が地面へと落ちる。するとそれが形を成していき、白ヘビと化した。これはヒメの分身のような存在である。
分身はキョロキョロと周囲を見回して体力を回復するために休息しているカミュに視線を向ける。
(あの子に動いてもらおうかしらね)
分身体はニョロニョロと身体を動かしてカミュのもとへと向かった。
そして本体を持つニッキにもさすがに動き続けて疲労が溜まっていく。
「あと少しよニッキ、踏ん張りなさい」
「わ、分かりましたですぞ!」
いくらヒメの的確な言葉でヒヨミの攻撃をかわしているとは言っても、一撃でも喰らうわけにはいかない緊張感と、慣れないヒメの力を使っていることで、次第に消耗していく。
それでも歯を食い縛り、その小さな身体を全力で動かしてヒヨミを追い続ける。
「ずいぶんと疲れが見えるがニッキよ、そろそろ決着がつきそうか?」
不敵そうに笑みを浮かべて発言するヒヨミに対し、ニッキは何も返さずにただ追いかけるだけ。
「フッ、ならばこれでどうだっ!」
またも木のモンスターが幾つも地面から出現してニッキに襲い掛かってくる。
「ニッキ、拳を地面に突き立てなさい!」
「はいですぞっ!」
そのまま白い炎を見に纏った右拳を地面に突き立てると、前方から襲い掛かってくるモンスターたちに向かって、大地を伝って炎が走る。
ボボボボボウッと白い炎に包まれてモンスターは先程の丸太の壁のように焼失する。
「ククク、無駄だ。こちらはまだまだ――っ!?」
その時、ヒヨミの顔が固まる。そしてその視線が大地へと向かう。
「どうしたのかしらね……色男さん?」
ヒメが意地悪に窺うような物言いをヒヨミに与える。ヒヨミはハッとなって先程ヒメが確認した大木へと視線を走らせる。
そこには真っ二つに切断された大木と、それを成したであろう人物がいた。
「カ、カミュ……!?」
「これで貴方はもう土俵際よ」
「くっ!?」
ヒメの分身体がカミュに大木を破壊するように頼んだ。疲労困憊の彼には辛い任務だったかもしれないが、彼はヒヨミを倒せるならとその身体を動かしてくれた。
「さあ、貴方の言った通り、そろそろ決着をつけましょうか!」
「くっ!」
ヒヨミの表情に明らかな焦りが見て取れた。やはりヒメの考察通り、ここから少し離れた先にあった大木から魔力を補給していたことは間違いない。
それをヒメがカミュに頼んで破壊させたお蔭で、ヒヨミは補給地を失い、徐々に魔力も減少していき疲労感を感じさせる。
「どうやら貴方の魔法はずいぶんと魔力を食うみたいね!」
ニッキの右拳と一体化しているヒメからヒヨミに向けて言葉が発せられる。彼女の言う通り、先程から彼が魔法を使う度に魔力がかなり削られていっている。
これがユニーク魔法のリスクでもあるところ。確かにユニーク魔法は、普通の魔法と比べて強力無比な効果を備えてはいるが、その反面使いどころが難しかったり魔力を多大に要求されたりする。
彼の場合は後者。今彼は木を体中に纏っているが、纏っている間も魔力減少は続いている。恐らく鎧を発現させている間はずっと魔力を消費し続けるのだろう。
「たとえ補給地を失おうとも、残った魔力でお前たちを倒せば済むことだ!」
ヒヨミからまたも膨大な魔力が吹き荒れ、地面へと注がれていく。明らかに今までとは違い、見た目も威圧感も大きな大樹のモンスターが出現した。
「さあ我が大樹よっ! ニッキを殺せっ!」
命を受けたモンスターがギロリと側面に備わっている目をぎらつかせニッキをターゲットに入れる。そしてバキィッと瞳の下が割れて口を大きく開けたような状態になる。
その口の中から先端の尖った木でできた角のような物体を無数に放出。真っ直ぐとニッキに向かって飛んでくる。
「無駄よ! ニッキ、拳を広げて前へ突き出しなさいっ!」
「はいですぞ!」
ヒメに言われた通りにニッキが右拳をパーに開いてそのまま突き出す。すると拳に纏っている白い炎が巨大化して次第に形を成していく。それはモンスターにも劣らない大きな白ヘビだった。
白ヘビはそのまま突っ込んでいき、飛んでくる木々の塊をものともせずに焼失させる。そしてガブリとモンスターの側面に噛みつくと、そこから一気に燃え上がりモンスターは断末魔の叫びを轟かせ燃え散っていく。
「何だとっ!?」
「だから言ったでしょ! 相性は良いってね!」
巨大白ヘビからヒメの声がヒヨミへとぶつけられる。次第にヘビはニッキの拳に戻っていく。
ヒヨミは先程のモンスターにかなりの魔力を注ぎ込んだのか、歯を食い縛り額からも汗を大量に浮き立たせている。
だがニッキも度重なる攻防によってヒヨミと同じく疲弊していた。
「踏ん張りなさいニッキ! 貴方ならやれるわ! この私が認めたのだから!」
「は、はいですぞ! うおぉぉぉぉぉぉっ!」
ニッキの身体から噴出する魔力。その魔力量を見てヒヨミは目を丸くする。
「ま、まだそれだけの魔力があるのか……!? 一体お前は何者だ……!?」
完全にニッキの気迫に気圧されているヒヨミは舌打ちと同時にどこかへと走り去っていく。
「待つですぞ!」
ヒヨミが向かった先は大木がある場所だった。魔力を補給することはもうできないはずなのに何故と思うが、すぐにヒヨミの企みが明るみになる。
疲労困憊で倒れていたカミュの身体を抱えてまさかの人質をとってきた。盾のようにカミュを前方へと押し出し、不敵に笑みを浮かべている。
「き、汚いですぞ!」
ニッキはギリギリと歯を噛み締め怒りに表情を変えていく。
「ククク、これは戦争だぞ? 勝った者が強い……正義だ! ならば勝つためにどのようなことをしても勝てばそれが正義なのだ!」
カミュの細い後ろ首をヒヨミの剛腕が締め上げる。いつも冷淡で平静を装っていた彼だが、今はもう生きること、勝つことに必死になっている姿は、浅はかで人間らしい一面でもあった。
「うぐ……!」
カミュから苦しげな呻き声が聞こえる。
「いいかニッキよ。そこから動けばコイツは殺す」
「くっ!」
だが先程から何も言わないヒメ。ヒヨミも不思議に思っているのか彼女に対しても口を聞いた。
「どうした『精霊』よ? 悔しくて言葉もないか?」
「…………そうね。言葉も出ないくらい驚いているわ」
「ククク、だろうな。しょせんは綺麗ごとの上にしか戦えない者たちの集まりだからな、お前たちは」
「何を言っているの?」
「……?」
「私が驚いているのはこんなにも――――――――――――こんなにも私の思惑通りに事が運んでいるという驚きよ」
「な……に?」
刹那、苦しそうに目を瞑っていたカミュの目がカッと大きく開かれる。そして即座に刀を抜き、背後にいるヒヨミにそのままの状態で突き刺した。
「がふっ!?」
見事右腹部を貫き、ヒヨミは激痛と衝撃によりカミュから手を放してしまう。カミュはすかさず振り向きざまにもう一つの刀を抜いて双閃。赤いバツ印がヒヨミの身体に刻まれる。
魔力の枯渇により彼を覆っていた木の防御力は見る影もない。
「この刀は……父さんの刀。思い知れ!」
「な……ぜ……っ!?」
ヒヨミは何故カミュがそれほど機敏に動くことができるのか不思議なのだろう。あれほどの魔法を使い戦ったカミュがそんな簡単に回復するわけがないのだ。しかも大木を破壊するためにも体力を使っている。
だからこそ彼がこんなにも素早い動きで攻撃に転じられる理由が思いつかない。
「残念だったわね。カミュには私が魔力を与えておいたのよ」
あの時、カミュに大木の件を報せたヒメの分身体が持っている魔力を彼に分け与えていたのだ。それでも僅かなものだったため、決定的な瞬間までは動かずにジッと体力の回復を続けてほしいとヒメはカミュに頼んだのだ。
恐らく追い詰められたヒヨミなら、疲労で動けないカミュを人質に取るかもしれないと。その時にヒヨミに驚きとダメージを与える機会を得るために。
すべてはヒメの思惑通り。ヒヨミは最初から最後までヒメに動かされていたのだ。
「ぐ……はっ」
カミュの渾身の攻撃によるダメージが大きく、よろめきながらも必死に足は大地を掴んでいる。
「覚悟はいいわねデカ男」
「ま、待て……!」
ヒヨミは口から鮮血を流れ出しながらも必死に言葉を紡ぎ出そうとする。
「ニッキ、決めなさい!」
ヒメの言葉に反応するようにニッキの身体から今までで一番の魔力が迸る。
「――――――っ!?」
凄まじい魔力量にヒヨミは愕然とした面持ちを浮かべる。それほどの魔力量。そしてその全てが右拳へと集束。
「……師匠に教えてもらったこの技で、お前を倒すですぞ」
「ま……待て……!」
「お前だけは……お前だけは絶対に許さないですぞぉぉぉぉぉっ!」
ニッキは全ての力と想いをその右拳に宿らせ、大地を蹴りヒヨミの懐へと入った。
「大・爆・拳っっっ!」
突き出された拳がヒヨミの腹部へと吸い込まれていく。衝撃に折れ曲がるヒヨミの身体。瞬間、彼の身体が白い炎に包まれ、そのまま花火の如く天へと昇る。
「が……あ……ニッ……キ…………カ……ミュ……っ!?」
彼を包んでいた白い炎が莫大に膨れ上がり、まるで風船が中の空気に耐え切れずに破裂するように超爆発を起こした。
文字通り全てを込めた一撃だったのか、ニッキはフッと意識を失って倒れそうになる。そこを人間化したヒメがそっと抱えて受け止めた。そしてニコッと笑みを浮かべて一言。
「よく頑張ったわね……私の小さな契約者さん」
ヒヨミとの戦いに決着がついた瞬間だった。