192:アクウィナスとは
コクロゥが倒された頃、日色もジュドムVSキルツ戦が終わり、マルキス、ジュドム、ランコニスとともに先へと進んでいた。
またも真っ暗な闇の道が広がっているのをただひたすらに真っ直ぐ歩くだけ。
「ねえヒイロ、ヒイロなら他の人のところへ転移したりできるんじゃないのかしら?」
先頭を歩く日色に背後から声をかけてくるマルキス。
「……あの黄ザルがオレの呼びかけに応えない」
「え? キ、キザル?」
「オレが契約した小動物だ」
「……も、もしかしてヒイロ、『精霊』とも契約できたの?」
「ああ」
「嘘……だって契約できる人間なんて今まで見たことないわよ? あのシンクだってそんなことできなかったんだから!」
「知るか。才能というやつだろ」
「うわ~……自画自賛?」
「自分に自信を持っているだけだ」
「……何か本当にシンクに似てるわね」
「ふざけるな。そいつは自分を最後まで信じることができなかったから死んだんだろうが。アイツが死ななきゃ、こんなことにだってならなかったはずだ」
アヴォロスがこんな馬鹿げたことを起こしているのは、灰倉真紅の死が直結しているのだ。もし彼が死なずに今も存命しているのであれば、アヴォロスも世界を支配しようなどとは考えなかったかもしれない。
「そうね……でもシンクも最初の頃は自信に満ちていたわよ? それこそどんな苦境でも皆を引っ張り先頭に立って戦っていたもの。僕がいるから大丈夫。それがアイツの口癖だったわ。本当にこっちがどれだけ心配しても、いつもちゃっかり笑顔で乗り切るんだもの……怒るに怒れなかったわ」
「惚れた弱みか?」
「ほ、ほほほほ惚れたってそんなわけっ!?」
「ないのか?」
日色は立ち止まりジッと彼女の顔を見つめる。すると徐々にプスプスと頭から湯気を出すマルキス。あわあわとなっている彼女を見るのは何となく気分が良かった。いつも先手を取られているお返しだ。
「おいおいヒイロ、そんくらいにしといてやりな。マルキスだって一応女なんだからよ」
「ちょ、ちょっとジュドム! それどういう意味かしら? 私は一応じゃなく、れっきとした女よ!」
「だがババアだ」
「うぐ!」
日色の突っ込みに激しく動揺するマルキス。そして頬を膨らませて、
「うぐぐぐぐぐぐ~! わ、私だって見た目は若いんだから……た、確かに歳は言いたくないけど……美少女とか今でも呼ばれるし……」
少し涙目で睨みつけてくるが、日色は肩を竦めるとランコニスに近づき指を差す。
「こっちが本物の若い美少女だろ?」
「え……ええっ!? び、びしょ……っ!?」
ランコニスが頬を赤らめて叫び声を上げる。
「お前は見た目は若いが実質の年齢は……」
「ああもう! なしなし! この話題なしィィィッ!」
「ハハハハハ! 過去の英雄の一人もヒイロにとっちゃ形無しってわけか!」
ジュドムは楽しそうに笑うが、マルキスは口を尖らせて完全にすねている。やれやれと日色は溜め息を吐いて先程の説明の続きを話した。
「さっきも言った通り、黄ザルってのはオレが契約した『精霊』だ。この刀が媒介として機能してる」
腰に携帯している《絶刀・ザンゲキ》を見せる。
「これがここにある限り、黄ザルはどこにいても瞬時に転移してこられるし、それにオレが呼びかければ刀を通して返事を返してくれる。だがそれが不可能になってる」
「つまりテンに何かあったってことか?」
ジュドムの言葉に日色は微かに顎を引く。
「もしくは転移ができなくなっているのかもしれないな」
日色は闇が広がっている周囲を見回す。
「ここはどうやら空間が歪み切っている異次元そのものらしい。まあ、無理矢理脱出することもできるが、そうなれば再びここに戻ってこられるかは正直確信はない」
「つまりだ。ヒイロが外へ脱出しても、中へは入れない可能性があるってことか?」
「ああ、だから迂闊に外に出るよりかは、この迷宮を生み出してる元凶を叩いた方が効率が良い。その方が不安要素は少ない」
「テンがお前のもとに帰って来ないのは空間が捻じ曲がってるからってことか?」
「かもしれないな。どちらにしろ、あのテンプレ魔王をどうにかすれば解けるんだろ占い師?」
「……そのはずよ」
「なら目指すだけだ。幸い……」
日色は空中に『探索』と書いて発動させると、青白い魔力が矢印に形を変えて方向を指し示した。
「この先に奴がいるとオレの魔法も言ってるしな」
「は~すっげえ便利な魔法だなそりゃ」
ジュドムは珍生物でも見るように感心していた。ランコニスは何故か懐から取り出したメモ帳に何かを必死で書いている。
「おい作家見習い」
「え? あ、も、もしかしてそれって私のことですか?」
「当然だろ。何をしてる?」
「あ、こ、これはその……」
「見せてみろ」
「は、はい……」
日色が彼女からメモ帳を受け取り中を確認すると、そこには日色のことが事細かにかいてあった。容姿や性格、そして魔法など細かい字でビッシリトと。
「……何だこれは? 一つ聞くがストーカ―じゃないよな?」
「ち、違いますっ! あ、ああああなたが専属作家になれって言ったんじゃないですかっ!」
「……? だから何だ?」
確かに言ったが、それと日色のことを調べることに因果関係があるとは思えなかった。
「ど、どうせならあなたを主人公とした物語を書こうと思っているんです」
「ほほう! そりゃ面白そうじゃねえか!」
「あ、確かに読んでみたいかも」
ジュドムとマルキスは興味が惹かれているようだ。
「……ちょっと待て、そんなもん、オレは恥ずかしくて読めるわけないだろうが」
自分のことが書かれた物語など、楽しいと思えるほどナルシストではないのだ。人生録など頭の中にあるものだけで十分である。
「ダメだ。他のものを書け」
「「ええ~っ!」」
「おい、何でお前らが残念がる?」
ジュドムとマルキスを睨みつける日色。
「いや、だってよヒイロ。お前の人生を書いた物語なんて波瀾万丈できっと面白えぞ?」
「そうよ。私だってシンクを題材にした物語を書いてるけど、結構人気があるのよ?」
「あのな、お前らにとっちゃ面白いものでも、オレにとっちゃ恥辱そのものだぞ」
「いいじゃねえかヒイロ、それにそんな本が世に出回ったら、魔王ちゃんも嬉しがるぜ?」
「はあ? 何でここで魔王が出てくる?」
「……え? お前気づいてないの?」
「何がだ?」
「…………嘘だろ? 魔王ちゃんの態度なんてわっかりやすいじゃねえか……」
何やらジュドムが愕然とした様子で、日色を見つめてきているが、彼の言っていることが理解できていない日色は眉をひそめるだけだった。
「ダメよジュドム。そういうことに鈍いのは《文字使い》の宿命みたいなものだもの」
「は~他にも女を泣かせてんのかぁ……やれやれだぜ」
二人のやり取りを黙って聞いているが、物凄くバカにされている感じがして日色は得体のしてない怒りが込み上げてくる。
「とにかく! オレの物語なんて却下だ!」
ランコニスはがっくりと肩を落として明らかに落ち込んでいる。
「……ねえヒイロ、試しに作ってからでも遅くないんじゃない?」
「は?」
「私だって物書きよ。それに彼女の目の付け所は間違っていないわ」
「…………」
「だからまずは、彼女が書き上げたものに目を通してから非難するのはどうかしら? まだ何も形になっていないのに拒絶するのはクリエイターにとって侮辱よ」
「いや、そもそもオレの肖像権……いや、この世界にそんなものはなさそうだが……」
「いいじゃない! もしどうしてもダメなら、読んでからあなたが封印すればいいんだから」
「…………」
日色はランコニスの顔を見る。すると真剣な眼差しで「どうか書かせて下さい!」といった訴えを見せている。
「…………はぁ、分かった。だが書いたらまずオレに見せろよ? 他に誰にも見せるな。約束できるか?」
「は、はい!」
ランコニスは余程嬉しいのか、日色から回収したメモ帳を握り締めて嬉しそうに微笑んでいる。マルキスやジュドムも彼女に「良かったな!」と声をかけている。
(オレの物語ね…………そんなに面白いのかオレの人生?)
ハッキリ言って日色が送っている人生の濃さは、常人では考えられないほどの密度を有しているが、自分のことには疎い日色はそれをあまり理解はしていなかった。
日色たちが闇の道を突き進んでいると、そこには一つの扉を発見することができた。
「そろそろ奴がいるところだったら嬉しんだけどな」
日色はそう呟きながら刀の柄に手を添えて警戒しながら扉を蹴り破った。そこは気持ちの良い快晴が広がっていた。今立っているのは大きな窪地のようで、周囲には幾つも穴が確認できた。
「ここは鉱山のようね。何かを掘り出しているのかしらね」
マルキスの言葉通り、発掘の跡がそこかしこに見える。
「まあ、アヴォロスが作り出した異空間だし、実際にある場所かどうかは定かじゃないけどね」
「おい、あそこに人が倒れてるぞ!」
ジュドムが指を差した方向には、確かに人が倒れていた。しかも一人ではない。日色たちは慌てて駆けつけると、そこには……。
「オッサン!?」
アノールドが血塗れで倒れていたのだ。そして彼の近くに同じような姿で倒れていたのはクロウチだった。
「まだ二人とも息があるわ! ヒイロ!」
「分かっている」
一体何があったのか、二人から情報を聞き出す必要がある。日色は『治療』の文字を使い二人の身体に刻まれている傷を治していく。
(この傷は鋭い刃で刻まれた傷だな……つまり相手は相当の剣使い……か?)
しかも《転化》を使える二人をこれほどまでに斬り刻むとは、かなりの使い手ということ。それが剣によるものか、刀によるものかは定かではないが、一つ言えるのは相当の実力の持ち主だということ。
(しかもだ……)
日色は周りを確認して、不思議なことに気づく。それはどうにも周りが綺麗過ぎる。もしここで争ったのだとしたら、もっと破壊の跡が見られるはずだ。
しかしそういうものは見られず、ただアノールドたちの鮮血だけが周囲に散らされていた。
(争っていない? もしくは争いにまで発展することなく、一方的にやられた?)
後者であるなら、二人はものの数秒ほどで倒された計算になる。確かにアノールドは他の猛者たちと比べると弱い方だが、それでも倒そうと思ったらそれなりに時間はかかる。そこにクロウチ 《三獣士》の一人が加わるのだから、並の相手なら、苦戦どころか敗北することもあるはず。
(待てよ……一人か……、もしかすると相手は複数?)
もしそうだとしたら一気に囲まれて二人は成す術もなくやられたという解釈はできる。しかしそうだとしても、全く抵抗した跡が見えないのはやはりおかしい。
とにかくこの疑問を解決するためには、二人から話を聞く必要がある。日色の魔法で、今二人は淡い青白い光に包まれている。その光が徐々に小さくなっていく。治療が終わる時間がやってきたのだ。
完全に光が消失すると、そこから現れた二人を見てジュドムとランコニスは吃驚していた。
「こ、これが《文字使い》……」
「す、凄い……あ、メモメモ!」
ランコニスは再びメモ帳を取り出し、日色の魔法で一切の傷をなくした二人を見てその状況を書き記している。
「起きろオッサン」
「……うぅ」
「おい、おい起きろ!」
「う……」
アノールドに声をかける日色だが、なかなか起きない彼にイラッとする。そして溜め息を一つ漏らしてから、
「オッサン……チビが男に抱きしめられてるぞ?」
「何だとゴルァァァァァァァァッ! 誰の許可をもらって俺の愛しいマイエンジェルに手を出してくれてんだっ! ぶち殺されてえのか、おおっ!」
まるでどこぞのヤクザみたいな汚い言葉を吐きながらもようやく覚醒したアノールド。
「ようやく起きたかオッサン」
「……? ヒ、ヒイロ? ククク、そうか……ミュアを抱きしめていたのはてめえだったかヒイロ! 上等だ! ここで決着をつけて―――」
鬱陶しいので日色が『痛』の文字をアノールドへと向けて放つ。
「はっ! てめえの魂胆は分かってらぁ! そんなもん当たってやるかっ!」
日色の動きを察知して、飛んでくる文字をそのまま跳び上がってかわすアノールド。しかし日色は半目のままクイッとめんどくさそうに指をアノールドの方へ曲げると、文字もクイッと進行方向を変えて上空へと向かい、そしてあろうことか文字がアノールドの股間に直撃する。
「はんむぶふっ!?」
アノールドは股間に衝撃を感じて激痛が襲う。そして股間を両手で押さえながら地面へと倒れていく。
ジュドムも思わず自らの股間に手を当てて、心なしか内股になっている。きっとアノールドの感じている痛みを想像してしまったのだろう。
日色もその痛みは理解できるので、少し顔を歪めてしまうが、跳び上がったアノールドが悪いと思いそのまま地面の上でもがき苦しんでいるアノールドを黙って見つめていた。
「あ、あの……大丈夫なんでしょうか?」
ランコニスが尋常ではない様子で痛がっているアノールドを見て発言するが、ジュドムは頬を引き攣らせながら言う。
「いや、多分奴は今地獄の苦しみを味わってるはずだ。見てみろ……本当に痛い時ってのはな…………言葉にならねえんだよ」
「は、はぁ……」
ランコニスには分からないだろう。しかしジュドムの言う通り、「むぎ! むぎぎぎぎィィィッ!」とわけの分からない呻き声を発しながら地面をのたうちまわっているアノールドの目から大量の涙が溢れ出ている。
「……酷いことするわねヒイロ」
「知らん。オッサンが勘違いするからいけないんだ」
「……それってあなたのせいよね?」
日色の言動にマルキスは完全に呆れた様子で肩を落としていた。そしてしばらくして、クロウチの方も目を覚ました。
「あ、この子が目を覚ましたわよ?」
今クロウチは戦闘状態の黒豹人間の姿ではなく、白猫のようなモフモフフワフワしている幼女の姿である。倒されたことで元の姿に戻ってしまったのだろう。
「……ん……んむ……ヒイロの……ニオイがするニャ……」
日色は咄嗟にまずいと感じて、すぐさま新しい文字を書こうとするが、
「ニャッ!? ヒイロ!? ヒイロォォォォォォォ~ッ!」
時すでに遅し、クロウチがその視界に日色を捉えた瞬間、飛びついてきてしまった。ガッシリと正面から首に手を回して抱きついてくる。
「ああもう鬱陶しい! 離れろニャン娘っ!」
「嫌ニャ嫌ニャ嫌ニャ! ボクはすっごい怖い思いしたのニャ! 慰めてほしいのニャ!」
「お前な! そんな形でも戦士なんだろうが! 甘えるなっ!」
「甘えるのはヒイロにだけニャッ! ニャニャニャニャニャニャニャ~ッ!」
頭をグリグリと日色の胸に擦りつけるようにして動かす。
「い、痛い痛い痛い!?」
こう見えてクロウチ――本名シロップはかなり力が強い。単純な力比べだと日色でも勝てるか分からないほどの腕力を有している。その力で抱きしめられて頭をグリグリとされるととてつもなく痛いのだ。
「こ……このいい加減に……」
日色は右手で素早く『痺』の文字を使い彼女に向けて発動した。
「ニャぎッ!?」
クロウチの身体から力が失われて小刻みに痙攣し始めた。日色は彼女を身体から引き剥がし地面に置くと、ようやく訪れた解放感にホッと息を吐いた。
「ぎぎぎぎぎぎぎ……」
地面で大人しくしている彼女を見てマルキスが「何をしたの?」と尋ねてきたので、「痺れさせた」と日色は言った。
「……結局どっちからも話が聞けないじゃない……」
仕方がないだろう。どっちも扱いが簡単なようで難しいのだから。そしてこの状況に居合わせた自分の運命を少し呪った日色だった。
しばらくしてようやく話が聞ける状態になったので、二人から一体何があったのか聞いてみた。すると日色とジュドムは彼らの言葉を素直に受け入れることはできなかった。
無論マルキスもそうだが、日色とジュドムが受けた衝撃は……特にジュドムの衝撃は多大なものだったようで、時を止めたように固まったままだ。
「……おいオッサン、間違いないのか、今の話は?」
「ああ、俺だってビックリしたよ。だから俺とクロウチ様はあんなに呆気なくやられちまったんだ」
「そ、そんなバカな話が……」
ジュドムはやはり信じられないのか、わなわなと身体を震わせている。だがその気持ちは分かる。アノールドとクロウチは、嘘をつけるような人物ではない。今言ったことは実際に彼らが体験したものだし、そこに違和感を感じたとしても真実なのだろう。
「ジュドムさん、アンタが信じられねえのも無理はねえよ。でも……ホントのことなんだ」
アノールドがジュドムに視線を移して、その重い唇を震わせて改めて言った。
「俺たちを倒したのは――――――――――――アクウィナスだ」
※
アノールドがアヴォロスの生み出した【古代異次元迷宮マクバラ】に閉じ込められた時、周囲の光景が一瞬にして変化して大きな窪地のような場所に立っていた。
「ど、どこだここは!?」
まるで転移したような感覚を感じたが、アヴォロスによりあの場に居た全員が転移させられたのだろうと思った。何故なら自分一人だけということは決してないだろうと判断したからだ。
「アノールド!」
唖然として立ち尽くしていると、背後から聞き覚えのある声が聞こえてアノールドは振り向く。そこにはクロウチが走ってきていて、アノールドはホッとする思いだ。
やはり傍に仲間がいたということは素直に嬉しいものなのだ。
「クロウチ様!」
「アノールドもここにいたんだニャ」
「はい。ですがここがどこか分からなくて……」
するとクロウチが突然目を鋭くさせて、周囲に幾つも開いている穴の一つを睨みつける。
「ど、どうしたんですか?」
クロウチが敵意を込めて睨んでいるので、アノールドもその穴を見つめながら敵かと思って大剣を構える。
「……何かいるニャ」
クロウチの言葉にアノールドは唾を呑み込んでジッと穴の中を見つめ続けると、カツカツと確かに闇の中から誰かが向かってくる足音が聞こえる。
二人は最大限に警戒していると、出てきた人物を見てフッと気を緩めた。
「な、何だ……アクウィナス将軍か……」
長い赤髪を揺らしながら堂々とした様子で姿を現したのはアクウィナスだった。
アノールドはふ~っと息をつき剣を鞘に納める。クロウチからも敵意が失われていく。
「どうやら驚かせてしまったようですまない。何故か俺はこの穴の中に移動させられたようでな」
アクウィナスがそのまま二人のもとへ近づきながら弁明をする。
「ところで将軍、ここがどこか分かりますか?」
アノールドの問いにアクウィナスが周囲に目を配りながら答える。
「ここはかつて初代魔王だったアダムスが生み出した【古代異次元迷宮マクバラ】の中だ」
「それは一体ニャんニャのニャ?」
「異次元空間に作られた迷宮の中。アヴォロスの想像を具現化した場所ということだ。他の者たちも、この迷宮のどこかにいるのだろう。そこで恐らくは敵と戦っている」
どうやらアヴォロスはこの迷宮の中で自分たちを閉じ込めて時間稼ぎをするのだとアノールドは考えた。
「どうやったら出られるんです?」
「この空間のどこかにある扉を抜けると別の空間に行ける。そうして突き進んでいけば、いずれはアヴォロスのもとへと辿り着けるだろう。アヴォロスは今、迷宮維持に力を注ぎ込んでいるはずだ。それを止めさせれば迷宮は崩れて元に戻る」
「なるほどニャ~。んじゃさっそく扉を探すのニャ!」
「そうですね! 手分けして探して―――」
「少し待ってくれ」
二人が動こうとした時、アクウィナスが制止の声をかける。アノールドたちはアクウィナスの顔をジッと見つめると、彼の野太い声が二人の耳をつく。
「……お前たちはここでリタイアだ」
「「……え?」」
二人同時に目を見開く。突然アクウィナスが何かを呟き両手を動かした瞬間、複数の閃光が走ったと思ったら、一瞬にして二人の身体から鮮血が噴き出る。
「「―――っ!?」」
アノールドは全身から火傷するような熱を感じ激痛とともに顔を歪める。そしてさらにドゴッと鳩尾に伝わってきた衝撃。見ればアクウィナスがいつの間にか持っていた剣の柄で打ち抜かれていた。クロウチも同様に攻撃を受けていた。
「な、何で……!?」
薄れゆく意識の中、アノールドの視界には冷ややかに見下ろしているアクウィナスが映る。何故彼が突然自分たちに攻撃をしたのか分からないアノールドの頭の中は戸惑いで埋め尽くされていた。
そして殺されると思ったアノールドの脳裏に過ぎったのは、やはりミュアの顔だった。
(す、すまねえな……ミュア)
愛しい娘の顔を思い浮かべながらアノールドはそのまま意識を闇に沈ませていった。
※
「と、いうことだ」
アノールドからアクウィナスが突然乱心したという事実を聞かされ、日色は眉をひそめながら顎に手をやり思考を回転させていた。
何故急にアクウィナスが裏切ったのか分からない。
「そんなバカなことはあるか! あのアクウィナスがアヴォロスの側につくわけがねえんだ! アイツは魔王ちゃんを実の娘のように大事に扱っているんだぜ!」
この中で唯一アクウィナスと死闘を演じたことがあるジュドムだからこそ、アクウィナスが裏切るような人物ではないことを信じているのだろう。
「だが奴はオッサンたちを傷つけた。下手をすれば死んでいた」
「そ、それは……」
運良く日色がここを訪れたから良かったものの、あの出血量ではそのうち間違いなく死んでいた。
「……オッサン、奴が誰かに操られているように見えたか?」
「……どうだろうな。俺とクロウチ様はあんまあの人と親しくねえしな」
「それもそうか」
もしここに『魔人族』の誰かがいたのであればアクウィナスの様子に違和感を持った者が出たかもしれないが、残念なことにアクウィナスとほとんど話したこともないアノールドたちしかいなかったのは悔やまれる現実。
「考えられるのは、赤髪がテンプレ魔王に操られていたり、そもそもオッサンたちが会っていた赤髪が偽物だということ」
「きっとそうだ。そうじゃなきゃ、アイツが裏切るなんて信じられねえ」
ジュドムが日色の出した仮定を支持する。
「仮にだ。仮にそいつが赤髪であろうとなかろうと、敵に回っているのは事実だ。しかもそいつは一瞬でオッサンたちを倒せるほどの実力を持ってる」
「ゆ、油断しただけニャ!」
クロウチが慌てて抗弁してくるが、
「油断も敗北の原因だろ? 負けたのには変わりない」
「う……うぅ」
シュンとなって落ち込むシロップは、まさに怒られた子供の図だった。
「おい作家見習い。アンタは何か知ってることはないのか?」
日色はランコニスから情報を得ようと思い声をかける。しかし彼女は申し訳なさそうに頭を横に振る。
「いいえ、実は《マタル・デウス》に所属している中でも、死人と私のような者には、大事な会議などに参加させてはもらえませんでしたから」
「……なるほどな」
つまりいずれランコニスが裏切るということも想定に入れていたのだろう。それに死人も《魔石》を破壊すれば正気に戻ることも考慮に入れて、彼女たちから情報が漏れないように重要なことは何一つ教えていなかったようだ。
やはりかなり用意周到ぶりに動いているなと日色はアヴォロスに感心を覚えた。
「とりあえずここでジッとしていても仕方ない。さっさとここを攻略するぞ」
日色の言葉に皆が頷きを返す。
(あの赤髪がホントに裏切ったのかどうか、それはテンプレ魔王に会えば分かるだろう)
日色の脳裏には、アクウィナスと一緒に酒を呑んだ過去が思い出される。どうにも彼と接していると、裏切るような人物には思えない。ただもし、日色の考えを越えて敵に回っているとすれば、これほど厄介な相手はいない。
相手は『魔人族』の最強と称される男。激突することがあれば間違いなく死闘になる可能性が高い。
アヴォロスや魔神に、アクウィナスもとなるといよいよ事態が最悪へと向かっている気がしてきた。
(とにかく今は前に進むしかないな)
考えても答えを見出せないものは仕方ない。今できるのは真っ直ぐ突き進むだけだと思い足を動かしていった。
※
日色がアノールドたちと出会った頃、【魔国・ハーオス】ではイヴェアム・グラン・アーリー・イブニングがアヴォロスのもとへと向かった者たちの無事を祈り、自室のテラスで空を見上げていた。
扉がノックされる音がして、イヴェアムが入室を許可するとオーノウスが中へと入ってきた。
「陛下、周囲には異変はありません」
「そうか、ありがとうオーノウス」
この機にアヴォロスが再び国へと攻め入ってくる可能性もあると日色が言っていたので、オーノウスには周囲を警戒するようにイヴェアムが頼んでおいたのだ。
「どうやら今は、アヴォロスの奇妙な魔法によってアクウィナスたちが身動きを奪われているようですが、きっと彼らなら無事に乗り越えてくれるでしょう」
「そうだな。私はヒイロたちを信じてる」
「私もです」
すると一陣の風がテラスを襲い、思わずイヴェアムの前に庇うように立つオーノウス。その風は上空から吹いてきた。イヴェアムが咄嗟に閉じた瞼を上げて顔を上げる。そしてその視界に映った人物を見て呟くように言う。
「……ア、アクウィナス……?」
左右に大きく黒い翼を広げて悠然と浮いているアクウィナスがテラスを見下ろしていた。
目前に突如として現れたアクウィナスに半ば夢を見ているかのように呆然と立ち尽くすイヴェアム。そしてその前に立っているオーノウスもまた彼の存在に虚を突かれて黙って見つめていた。
するとアクウィナスがゆっくりとテラスへと降りてきて、その大きな黒い翼を背中へと収納した後、バサッとマントを翻して堂々とした態度でイヴェアムの前に立つ。
「……え? アクウィナス? あなた何でここに? 今は【シャイターン城】を攻めているはずでしょ? もしかして何かあったの?」
イヴェアムは王としての凛々しい口調を忘れて質問を投げかける。そこでようやく彼の口から言葉が発せられる。
「少し考えがあってな」
「考え? 何?」
「その前に……オーノウス、地下牢に閉じ込めているイシュカ……いや、ユウカ・イシミネを連れてきてくれないか?」
ユウカ・イシミネとは、日色が拉致に成功した初代勇者の一人でイシュカと名乗っていた日本人の石峰優花のことである。アクウィナスの言葉に対し、眉間にしわを寄せたオーノウスは、無論その理由を問い質す。
「何故あの娘を?」
「先程も言った通りだ。少し考えがある」
「その考えとは何だ?」
「ここでは誰が聞いているか定かではないから言えんな。何も言わずに奴を連れてきてくれないか?」
「……ここへか?」
「そうだ。陛下も許可を出してほしい」
「……アクウィナスのことだから何か考えがあるのね?」
アクウィナスが微かに顎を引くと、イヴェアムはオーノウスに彼の言う通りにするように伝えてオーノウスを地下牢へと向かわせた。
イヴェアムはその間に彼から話を聞きたかったが、全ては優花が来てから話すと言って口を噤んでいる。
(アクウィナス……何か抱え込んでる?)
元々無口な男だが、今の彼の様子には何かいつもとは違った奇妙なズレのようなものを感じるイヴェアム。
ピリピリした雰囲気を纏っており、何か重大な覚悟を背負っているかのよう。
しばらくするとオーノウスが、魔法を封じる手錠を嵌められた優花を連れてきた。優花はチラリとアクウィナスの赤い瞳を見てフッと視線を切る。その僅かな動きを察知することはイヴェアムにはできなかった。
「連れてきたぞアクウィナス」
「ああ、助かる」
「それで? 一体この娘を連れてきて何をしようというのだ?」
「……それはな」
アクウィナスが優花の手錠を凝視する。すると彼女を拘束していた手錠が砂のように灰化してしまった。
彼が『魔眼』を使ったのは明らかだった。背後にいたオーノウスは優花が拘束から逃れたことに気づかなかったが、アクウィナスの近くにいたイヴェアムはハッとなり、それを成した人物であるアクウィナスに顔を向ける。
「アクウィナスッ! どうして手錠をっ!?」
次の瞬間、優花が背後にいるオーノウスに向かって後ろ蹴りを与えて自分から距離を取らせた。
「むぅっ!? ……何っ!?」
そこでオーノウスも初めて優花の手錠が消失したことに気づき目を丸くした。そしてアクウィナスがイヴェアムの身体を小脇に抱え込むと、優花がすぐさまアクウィナスの傍にやってきて足元から水を生み出し始める。
「アクウィナス!? あなた何をっ!?」
イヴェアムが信じられないといった面相で彼の顔を見上げているが、アクウィナスは無表情で冷淡に一言放つ。
「少し大人しくしていろ」
アクウィナスの赤い瞳に見入られゾクッと怖気がイヴェアムの全身に走る。何故アクウィナスがこのようなことをするのか意味が分からずに頭の中はパニック状態だ。
まともな思考を失っているイヴェアムは、ただただ水の中に沈みゆく光景を見つめることしかできなかった。
「アクウィナスッ! お主は一体っ!?」
オーノウスが叫びながら突進してくるが、アクウィナスが前方に手をかざした瞬間、床から幾本もの剣が突き出てきて、オーノウスの進撃を防ぐ。
「待てっ! アクウィナスッ!」
しかし無情にも三人の姿は水の中へと消えてしまった。
後に残されたオーノウスは現況を把握し切れずにアクウィナスが出現させた剣を見つめながら呟く。
「何だ……? 何が狂った……?」
虚しい響きだった。
イヴェアムは水の中から這い出てきて、閉じていた瞼をそっと開く。そこは幻想的な空間であり、空中には無数の砂時計が浮かんでいる。
どこに連れてこられたのか分からず困惑しているイヴェアムの耳に男性の声だが、少し高めの音が響いてきた。
「久しぶりだな――――――イヴェアム」
声がした方向を見てみると、そこには自分と同じ金髪に碧眼を持った、芸術のような美貌を備える青年が立っていた。
「いや、この姿では初めましてか」
「…………アヴォロス?」
報告にはアヴォロスが少年の姿から大人の姿に変貌したと聞いてはいた。しかしこうして実際に見るのは初めてだった。
だが相対してみると、相手が間違いなくアヴォロスだと本能が伝えてくる。少年の頃、その身に蓄えていた力の全てを、究極までに膨れ上げさせた存在。
一目見ただけで心を奪われそうになるほどの妖艶なオーラもそうだが、目を逸らせば一瞬で殺されるという恐怖も同時に感じる。
底の知れない怪物。アヴォロスを表す相応しい言葉だ。その存在が今、イヴェアムの前に佇んでいる。
「陛下……」
「イシュカ……すぐに助けに向かわずに……許せ」
「いいえ、たとえあのまま命なくしていようが、私の心は常に陛下のお傍に」
優花は彼の前に跪き安堵したように微笑んでいた。アヴォロスもまた、彼女にかける言葉には柔らかさを感じさせた。二人の間には確かな絆があるのが分かる。
「アクウィナスも大儀だった。あとは計画通りにここで奴を待つ」
「奴? 誰を待っているというのだアヴォロス!」
「ククク、貴様も会いたいと思っている奴だ」
「まさか…………ヒイロ!?」
アヴォロスは微かに口元を緩める。それは肯定しているように思われた。
「……どうして私をここに連れてきた? いや、そもそも何故ここにアクウィナスがいる! 答えろアヴォロスッ!」
アヴォロスの真意が分からない。イヴェアムがここに連れてこられた理由もそうだが、『魔人族』からも絶大な信頼を受けて、今まで皆の先頭に立ち敵と戦ってきたアクウィナスがアヴォロスのもとにいることに理由が見出せなかった。
「答えが欲しいかイヴェアム?」
「…………」
イヴェアムは起き上がると三人から距離を取り黙って睨みつける。三人はその行動を咎めもせずにその場に立っているだけ。
そしてアヴォロスが床に手をかざすと、何もなかった床から玉座のような煌びやかに装飾された椅子が出現し、そこに腰を落ち着かせて静かに口を開く。
「まず一番貴様が気になっていることを教えてやろう。何故貴様が絶大な信頼を寄せているアクウィナスが裏切ったのか」
優花とアクウィナスは玉座の左右に位置し跪いている。イヴェアムはそんなアクウィナスを見て悲しげに眉をひそめてしまう。
「アクウィナスが忠誠を誓っているのは――――――余ではない」
「……?」
「ククク、その顔、意味を把握できておらんようだな」
「くっ……」
「より噛み砕いて説明してやろう。アクウィナスがその身を捧げ忠誠を誓った相手。それは――――――初代魔王アダムスだ」
「アダムス……?」
無論名前は知っている。イヴェアムも彼女がどれほどの偉業を成し遂げているのか知らないわけはない。【魔国・ハーオス】を造り、初代魔王として多くの『魔人族』の導き手となった偉大なる人物。
アクウィナスも彼女が生存していた時代に生まれていたようで、彼女に仕えていたというのは聞いている。ならば忠誠を誓っていても不思議ではない。
しかしそれと裏切りが何の繋がりがあるのか、イヴェアムには分からなかった。
「ククク、ヒントをやろうか」
アヴォロスが自らの右胸をトントンと人差し指で軽く叩いた。
「余のここには何がある?」
「何が……それは………………っ!?」
そこでハッとなるイヴェアム。『魔人族』の右胸に存在するもの。それは『魔人族』だけが持つ《核》と呼ばれる第二の心臓である。そして今、彼の右胸にあるものが、イヴェアムの想像通りのものだとしたら今のアヴォロスは
「気づいたか? ここには《アダムスの核》が在る。《核》とは魂そのもの。そしてかつてアクウィナスは魂の契約に従い、アダムスに忠誠を誓った」
「それは……それは……」
「理解したか? 確かに余はアヴォロスだ。しかし余の魂はアダムスの魂と同化しておる」
「っ!?」
「余はアヴォロスであって、初代魔王アダムスでもあるのだ」
認めたくない事実にイヴェアムは言葉を失ってしまっていた。
「アダムスである余と出会い、そしてアダムスが作り上げたこのマクバラの中に閉じ込められた瞬間、アクウィナスは気づいたはずだ。誰に忠誠を誓ったのかをな」
「そ、それがお前だというのか?」
イヴェアムが表情を強張らせながら、不敵に笑うアヴォロスから視線を外しアクウィナスへと向ける。
「アクウィナスッ! 目を覚ましてっ! あなたが従っているのはアダムスなんかじゃないわっ!」
「何を言おうが無駄だ。魂の契約により、アクウィナスはその全てを捧げ、アダムスを守り続けると誓っておる。契約は絶対。決して抗うことなどはできまい」
「く……アクウィナスッ!」
何度もイヴェアムは彼の名を叫ぶが、跪いたまま沈黙を守っている。
「この男が忠誠を誓ったのはあの時……【シャンジュモン洞窟】でアダムスの身体を弔った時だ」
かつて【シャンジュモン洞窟】があった場所は、アダムスの初めての友が住んでいて、そして、その命を自ら奪うことになった因縁の土地である。
「貴様もアクウィナスから聞いただろう。アダムスが何故にあの場に自らの《核》を安置することになったのかを」
確かにアクウィナスの告白によってその理由は明らかになった。
魔王だった彼女は後継者に国を任せた後、世界を回る旅に出た。そしてある浜辺で老衰によって死に絶えようとしている彼女をアクウィナスが発見。
彼女は最後に【シャンジュモン】へと――――――友の魂が眠る場所へと向かいたいと言い、アクウィナスが彼女の願いを聞き届けた。
友と自分が眠る土地を永遠に守り続けたいという思いを魂に込めたアダムスは、それから《核》は朽ちることなく【シャンジュモン】を守り続ける守護者となった。
「この男はアダムスが死ぬ直前、彼女と自分の間には、深い繋がりがあったことに気づいた。一種の覚醒だ」
「覚醒……?」
「ククク、少し説明してやろう。アダムスが愛した親友。その生物の名を……不死鳥フェニックスという」
「フェ、フェニックス……それって……」
そう、アクウィナスの名前に刻まれている文字でもある。アクウィナス・リ・レイシス・フェニックス。
「アダムスによってその命を絶たれたものの、フェニックスは死んでもすぐに復活をするという生物だった。だが同じように不死鳥として復活したとしても、また暴走する危険性を感じ、フェニックスはその復活を……歪めた」
「ゆ、歪めた?」
「再び不死鳥として復活すれば、アダムスにまた大きな悲しみを背負わせることになる。だからこそ、フェニックスは今度こそ彼女を支え続けられるような存在として復活できるように試みた。そしてフェニックスは…………人へと転生した」
「ま、まさか……!?」
「そうだ。この男こそが、遥か昔、初代魔王アダムスの親友であり、その命を奪われたフェニックスの生まれ変わりだ」
「……嘘……!」
アヴォロスの言に、完全に戸惑いを隠せずに額から汗を垂らすイヴェアム。
「貴様も愚かな奴だ。今まで聞いたことがないのか、この男の出生を」
「……聞いたことはある。でも彼には幼い頃の記憶がないって!」
「そう、記憶がない。あるわけがない。突然生まれた時は、すでにアクウィナスは現在のアクウィナスと同様の姿形を持っていた。だが復活を歪めた代償か、フェニックスの頃に培った経験、記憶などは失われていた」
「ほ、本当なの……アクウィナス?」
だがアクウィナスは答えない。
「そんな自分の名も、何もかも分からないアクウィナスは、ある時アダムスと出会った。そしてアクウィナス・フェニックスという名前を授かった。アダムスももしかしたら感じていたのかもしれない。この男が、フェニックスの生まれ変わりかもしれないと」
「…………」
「だが確証はない。調べることもできない。何せ当の本人には記憶が一切なかったのだからな。それに不死鳥が人として生まれ変わりをするなど誰も認知してはおらん。ただアクウィナスが、どことなくフェニックスの雰囲気を醸し出していたから、フェニックスの名前だったアクウィナスという名を授けたのだろう」
アヴォロスは組んでいる足を組み換えるとさらに続ける。
「そしてしばらくしてアダムスの子供が生まれる。それがシャールゥ・リ・レイシス・レッドローズ。次代の魔王として約束された存在だ。そしてアクウィナスを彼女の世話役とした。臆病で気の弱かったシャールゥだが、風貌が似通っていたアクウィナスにだけは心を開いていたからな。家族として接することになり、家督であるリ・レイシスを名乗ることを許された」
この時、アクウィナス・リ・レイシス・フェニックスの誕生である。
「……もう理解したであろう。アダムスに、何故忠誠を誓っているのか」
「…………」
「彼女が死ぬ直前、覚醒したと言ったな? その時に初めて思い出したのだ。自分が一体何者であるかをな」
「そ、それで彼女と魂の契約を?」
「彼女にはすでに意識がなかった。覚醒したが、時すでに遅かった。だからせめて、この男は魂で誓ったのだ。今度生まれ変わったその時は、必ず守り抜くと。自らの全てを捧げるとな。まあ、この男は自らの義妹が生まれ変わりだと思っていたみたいだがな」
「いもう……と……?」
「リリィン・リ・レイシス・レッドローズだ。ヒイロの傍にいる幼き『魔人族』だ。奴はいまだ幼いが、その風貌は幼い頃のアダムスとそっくりだった。だが生まれ変わりなわけはないのだ。何故なら魂はいまだ【シャンジュモン】に安置されていたのだからな」
「っ!?」
イヴェアムもまたアヴォロスの言葉に説得力を感じた。確かに魂が天に召されていないのに、転生することなどできるわけがないのだ。
「そのことにアクウィナスも気づいたが、やはり可愛かったのだろうな。この男はリリィンの兄として接し、自由に生きてもらうことを勧めた」
「…………」
「まあ、リリィンとの間にもいろいろあったみたいだが、今はそんなことどうでもよい。確かなのは今、アクウィナスが余の下についているのが事実だということだ」
「そんな……アクウィナス……」
悲しげに瞳を揺らし彼を見つめるが、何の反応も返してはくれない。まるで全ての感情を押し殺しているかのように顔を俯かせて黙っているだけだ。
するとアヴォロスが椅子から立ち上がり、イヴェアムをその鋭い目つきを向けると軽く腕を組む。
「次は貴様をここへ呼んだ理由だったな?」
アクウィナスについてもそうだったが、それについても問い質したかった疑問である。殺すのならまだ分かる。なのに何故この場へ連れてきたのか理由が判明しない。
「理由……大したものはない」
「……え?」
「ただ、貴様には絶望を味わわせてやろうと思ってな」
絶望ならすでに感じている。あのアクウィナスがアヴォロスの配下に加わったのだ。キリアの時もそうだったが、仲間が裏切るということほど悲しいものはない。
これ以上の絶望をまだ用意しているのだろうかと、イヴェアムは冷たい汗が体中から溢れてくるのを感じて無意識に震えてくる。
「しばらくそこで大人しくしていろ。そう遠くないうちに面白い余興が始まる」
「よ、余興?」
アヴォロスはそのまま背中を見せながら突き当たりにある巨大な砂時計がある方向へと歩いていく。先程座っていた椅子は粒子状になり消え失せ、跪いていたアクウィナスと優花は黙ってアヴォロスについて行く。
そして床から突き出ている石柱の前で足を止めたアヴォロスはニヤッと口角を上げる。
その瞬間、イヴェアムの近くの空間が突然歪み初め、扉が出現した。そのままドガッと乱暴に扉が開け放たれた。
イヴェアムは小さく悲鳴を漏らしながらも、扉の様子をジッと見つめる。
アヴォロスもまた、そこから現れる人物を確認するために振り返る。そこから現れた人物は赤いローブを揺らし、キラリと光らせた眼鏡をクイッと上げてアヴォロスを睨みつけていた。
「ククク、待っていたぞ――――――ヒイロ・オカムラ」




