190:レオウード&マリオネ VS コクロゥ
キルツが語るには、ランコニスは人間界の最北端に位置する森の中に住む少数民族らしい。『森人』と呼ばれる彼らは、街ではなく小さな集落を作り暮らしている。
しかしある時、流行り病にかかり次々と『森人』たちが倒れてしまった。元々少数しかいなかった彼らはすぐに絶滅しかけていた。
他の民族とあまり関わりを持たないせいか、自然とともに生きてきた彼らは、自然に還るだけだと言ってほとんどの者は文字通り地に還っていった。
そしてランコニスもまた同じ教育を受けてきたせいか、皆と同じ大地へ還るだけだと考え、それほど恐怖はなかったという。
しかし母親が死に、父親が死に、残されたのはランコニスと弟だけだった。ランコニスは比較的症状も軽かったせいか、弟が病に苦しんでいる姿を見て初めて恐怖を覚えた。
ランコニスと弟であるレンタンはとても仲の良い姉弟だった。ランコニスはレンタンの幸せを願い、レンタンはランコニスの幸せを願っていた。
だからかもしれない。まだ八歳と幼い彼をどうにか救ってあげたいと思ったのだ。
「そこへアヴォロスがやって来た」
キルツの言葉に日色はやはりなと納得した。
「だが野郎はランコちゃんだけを完治させて、弟には延命措置しかしなかった」
「つまりはだ、実質的に人質をとられたってわけか?」
「そうだ。弟を治したければ力を貸せってな。何で奴がランコちゃんを狙ってきたのか、それは彼女に特別な能力があるからだ」
日色は説明を求めたいと思いランコニスを見つめる。すると彼女は寂しげに顔を俯かせながら言う。
「……わ、私には《隔離魔法》があります」
「……何だそれは?」
日色が尋ねるとキルツが代わりに答える。
「その手に触れたものを別空間に隔離しちまう魔法だ。ジュドム、火を出してみな」
「あ、はい。ファイアボール」
ジュドムの手から火球が生み出され、それを見てキルツはランコニスを見て小さく頷くと、ランコニスも「はい」と言ってその火球に手を出した。
「あ、危ねえぞ!」
咄嗟にジュドムが手を動かしてランコニスの暴挙にも似た行動を咎めるが、
「いいからそのまま動くなジュドム、見れば一発で理解できっから」
「キルツさん…………分かりました」
ジュドムも仕方なくといった感じでランコニスの眼前に腕を突き出す。その火球にランコニスが右手で触れた瞬間、パッと消失した。
「き、消えた!?」
思わずジュドムが声を張るが、すぐに眉をひそめてしまう。その様子を見たマルキスが「どうかしたの?」と尋ねると、
「い、いや……消えた……? ん? け、けど感覚はあるぞ? どういうことだ?」
ジュドムの言っている意味は日色とマルキスには全く理解不能だった。
「感覚があるのは間違いねえ。別にこの世から消滅したわけじゃねえかんな」
「ど、どういうことですかキルツさん?」
「今、俺たちには見えねえけど、確かにそこにはジュドムが生み出したファイアボールが存在してる」
「つまり先程言った別空間に隔離されてるってわけか?」
日色が言うとキルツは頷きを返す。
以前、彼女がミミルを攫いに【獣王国・パシオン】へやってきた時、ララシークの感知を擦り抜けて、《王樹》までやって来たランコニスと優花が、音もなくミミルを捕縛した。
あの時もランコニスが自分と優花の存在を別空間へと隔離し移動していたため、ララシークたちには感知できなかったのだ。
それと同じく、ララシークがミミルを救い出そうと、ランコニスたちの足元を凍らせた時があった。しかしランコニスがその氷に触れた瞬間、一瞬にして凍っていた大地は元に戻った。
「隔離されたものは、その存在はたしかにあるが、ランコちゃん以外感知することはできねえ。まあ、対象が魔法ならその魔法の使い手だけは感知できるけどな」
とんでもなく恐ろしい魔法だということが分かる。まさに暗殺や侵入などに最適な魔法だった。音もなく忍び寄り仕事をこなすことができる。感知できないのなら、これほど厄介な魔法はない。さすがはユニーク魔法だ。
「まあ、リスクや制限もあるけど、それはまあいいだろ。その魔法を狙ってアヴォロスはランコちゃんに近づき、今も弟を盾にその子を縛り付けている」
ランコニスが顔を俯かせながら火球があった場所から手を下ろすと、再び火球が出現したのでジュドムはその魔法を解除させた。
「もう彼女の家族はその弟だけなんだよ。だからよ……助けてやってくんねえかな」
キルツが日色に嘆願する。しかし日色は腕を組んだまま溜め息を吐く。
「ずいぶん勝手な願望じゃないか?」
「…………」
「理由があるにしろ、そいつがやってきたことは許されるものじゃない。青リボンを誘拐した奴でもある。今じゃ世界の敵だ」
いくら同情するべき点があったとしても、彼女がこれまでやってきたことは許されないことだ。
「弟と世界を天秤にかけて、弟を選んだっていうのは別に問題はない。だが付き従った相手が悪かったな」
アヴォロスの配下というだけで処刑されても文句は言えないだろう。
「それに今までアンタたちがしてきたことで、人が傷つき、悲しみ、怒り、苦しんだ奴もいるだろ。それなのに自分だけが幸せを選ぼうっていうのか?」
「ち、違います! 私は弟が助かるのでしたらどうなってもいいです! この首だっていつでも差し出します! 弟が生きてくれるなら……私は……」
ランコニスの目から滴が零れ落ちる。それを見たジュドムが日色に対し口を開く。
「なあヒイロ」
「アンタは黙ってろ」
「っ!?」
「これはオレとコイツらの問題だ。お前も……分かってるな?」
日色は隣にいるマルキスにも口を挟むなよと目で訴える。マルキスは静かにそのまま目を閉じた。何も言わないという意志表示だろう。
「確かに《マタル・デウス》に所属してた以上は世界の敵だ。それは疑いようもねえ事実だ。けどよ、少なくともランコちゃんに関しては汚ねえ仕事はさせなかったつもりだぜ」
日色は黙ってキルツを見下ろす。
「そもそも俺がランコちゃんをパートナーに選んだのも、汚れ仕事を全部俺が引き受けるためだ」
「そうは言っても、そいつが第二王女を誘拐し、今もなお《マタル・デウス》に所属してる事実は変わらんぞ」
「だな。けどよ、分かっちゃやってくれねえかなぁ。ランコちゃんはおめえさんが思ってるような悪党なんかじゃ決してねえ」
「そんなことはそいつを見れば分かる」
日色の言葉にキルツとランコニスが驚いて目を見張る。
「そいつが人殺しどころか、人を傷つけることもできない奴だってことは一目見れば分かる。それにアンタたちが嘘を言っていないこともな」
「坊主……」
キルツの坊主という呟きに少しムッとしたが、日色はその視線をランコニスへと移動させる。
「アンタ、弟が助かるなら死んでもいいって言ったな?」
「は……はい」
「つまり自分の命を対価に弟を救ってほしいってことか?」
「す、救って頂けるんですか!」
ランコニスが詰め寄る感じで声を張ってくるが、
「質問に答えろ」
一蹴して、まずは落ち着かせる。
「……はい。私が支払えるものなら何でも……」
「つまりアンタの命がオレにとって有益なものだってことか?」
「え?」
「だってそうだろ? 対価ってのはそれに見合うものが常識。オレにとってその弟を助けた方が得があるってことだ。なのにお前の命がオレの得? もしかして自惚れてんのか?」
「そ……それは……違います。私は自惚れてなんか……だけど差し出せるものなんて……命くらいしか……」
「はぁ……どいつもこいつも命を軽んじやがって。死が何の意味になるっていうんだ?」
「…………!」
「お前の命を奪って、オレに何の得がある? オレが殺人に快楽を覚える変質者にでも見えたか? あいにく人の死なんて極力見たくないぞ」
普通はそのはずだ。日色は別段死に慣れているわけではない。むしろ間近で両親の死を目の当たりにしたときから、人一倍命の尊さは知っている。
無論勝手に命を投げ出す輩にいちいち肩入れするわけではない。ただ今回の場合、報酬が命だと言われてもあっさりと許可を出すわけがないのだ。
命など重いものを託されても面倒なだけだ。ましてや死んでもいいなど言われると興醒め以外のなにものでもない。
「アンタがそれほど死にたいならオレに関係ないところで死んでくれ。少なくとも弟を助ける対価にアンタの命などいらん」
「で、ですが……弟の命に見合う対価なんて……」
「は? アンタ何か勘違いしてるんじゃないか?」
「……?」
「誰が弟の命に見合う対価を要求してるんだ? オレが要求してるのはオレが満足する対価だ。そもそも命に見合う対価なんてこの世にはない」
命は唯一無二のもの。それに等価値の存在などこの世にはあるとは思えないのだ。
日色の言葉にその場にいる誰もが虚を突かれた感じで固まってしまっている。だがその中でキルツだけはハハハと笑い声を響かせる。
「やっぱ、初めて見た時から面白そうな奴だと思ってたが、おいジュドム、そっちの英雄さんはお前から見てどう思う?」
「キルツさんの言う通り、面白い少年ですよ。誰もが彼を慕っています。魔王も獣王も、その配下たちもです。知ってますか、あのアクウィナスが絶大な信頼を寄せているんですよ?」
「マジかよ……あのクソ長く生きてる老獪野郎がなぁ…………けど、やっぱ俺の目は確かだったってわけだ」
するとその時、キルツのつま先がサラサラと崩れ落ち始めた。
「キ、キルツさん! 足が!?」
ジュドムの叫びに対しキルツはおどけた様子で、
「んお? そっか、もう時間か……まあ、仕方ねえわな」
キルツは真面目な顔を浮かべると再び日色に視線を向ける。
「なあ坊主、いや、ヒイロだったな。どうかランコちゃんを頼むわ」
「……オレは得にもならないことはしない」
「おいおい、こ~んな可愛い娘とお近づきになれること自体が得だろ?」
瞬間、ボッとランコニスの頬が染め上がる。
「それはアンタの見解だろ。オレは女なんていらんぞ」
その言葉を聞いてマルキスは、他の女の子たちが聞いたら落ち込むわねといった感じで日色を呆れながら見つめていた。
「はぁ……頑固な奴だな。だったら……金か?」
「金銀財宝に興味はない」
「ああもう! だったら何がお前にとって得なんだよ!」
さすがに堪らなくなったのかキルツが怒鳴り声を上げる。
「キルツさん、ヒイロの好みは食事と書籍です」
見かねたジュドムが助言を与える。
「え? 書籍って……本か?」
「はい」
「そ、それならちょうどいいじゃねえか!」
何がちょうどいいのか日色たちにはさっぱり分からない。ジュドムが「どういうことですか?」と尋ねると、キルツはニヤリと笑みを浮かべる。
「ランコちゃんはこう見えて物書きの才能がある」
「ちょ、ちょっとキルツさん!」
恥ずかしげにランコニスが止めようとするが、キルツは気にせずに続ける。
「対価はこれからランコちゃんが書きあげる本ってのはどうだ? 一度書きかけのものを読ませてもらったことがあったが、大したもんだったぜ?」
「キルツさん! そ、そんな私……あれは暇潰しに書いただけで……」
「暇潰しであれだけ書けりゃ十分だ。本格的に書こうとしら、ランコちゃんならきっと大成できらぁ」
「キルツさん……」
日色は彼らのやり取りを見て、どうやら嘘ではないことを判断する。
「おいアンタ、どんな本を書くんだ?」
「え……あ、その…………れ、恋愛ものとか歴史ものとか……」
「ほう、歴史ものか。それはこの世界の歴史で活躍した人物を主役に当てた物語か?」
「は、はい。私は歴史本が好きでよく読んでいたんです。それで自分も書きたいと思いまして……稚拙ながら書いていたところにキルツさんに取り上げられました」
「おいおい、取り上げたって言い草悪くね?」
キルツが頬を引き攣らせている。
「なるほどな。歴史本か……ふむ」
今まで多くの歴史本を読み上げてきたが、どれも興味深いものがあり堪能させてもらった。もし彼女がそういう本を書き上げられるというのであれば、確保しておくのも面白いかもしれない。
「……よし、ならアンタ、オレ専属の作家になれ」
「……へ?」
「それを対価にアンタの弟の病気を治してやる」
「え……あ、ほ、本当に弟は治せるんですか!」
「当然だ。オレの魔法に不可能はないぞ」
たかが病程度ならどうとでもなるという自信がある。今までも多くの怪我人や病人も治してきたのだ。
「それよりも作家になるのかならないのかどっちだ?」
「なります! その……大したものは作れないかもしれませんが……」
「いや、大したものを作ってもらう。アンタはオレが満足するものを全力で書き上げるんだ」
「…………分かりました。全力を尽くします。その代わり弟を……」
「どこにいるんだ?」
「今はある場所に避難させています。キルツさんがそうした方が良いと仰ったので」
確かにアヴォロスの手に渡しておけば、何かしらの実験をされたりする可能性が高い。キルツの考えは正しいだろう。
「分かった。弟はまだもつのか?」
「あ、はい。弟は延命措置をされていて、ずっと眠ったままなんです」
「なるほどな、生かさず殺さずか、あのテンプレ魔王のしそうなことだ」
その方が都合が良いとアヴォロスは判断したのだろう。
「分かった。なら今日からアンタはオレの専属作家だ。その対価として違わず弟を助けてやる」
「ほ、本当ですか?」
「ああ、安心しろ」
「あ……ああ……」
ランコニスは希望を見出したかのように両目から涙を流して泣き始めた。
「良かったなぁランコちゃん……」
「キルツ……ざん……わだじ……ありがどうございばす……」
「おいおい、涙で可愛い顔がグチャグチャだぜ? ほら……」
そう言いながらキルツが右手を上げて彼女の涙を拭おうとしたのだろうが、その右手がボロッと崩れ落ちて灰化してしまう。
「キルツさんっ!?」
叫んだジュドムだけでなく、ランコニスやマルキスも目を見張っている。もう彼には時間が残されていない。
しかしキルツは笑みを崩さず一つだけ生温かい吐息を漏らす。
「もう時間か……何だか妙な感じだよなぁ……あの時、俺は一人で死んじまった」
キルツが死んだのは、あるクエストに参加していた時――それはある街の人々を苦しめているモンスターがいるので討伐を願いたいというものであった。
しかしキルツが街に到着した時、すでに街は地獄絵図が広がっていた。多くの人が死に、子供や女性も無残な姿で発見された。
それを見たキルツは我を忘れたように一人でモンスターの後を追ってしまった。何とかモンスターを倒したものの、その時に受けたダメージによって息絶えてしまった。
「あの時は冷たい死だったなぁ……けど、こうして二度目の死がこんなにも温けえもんになるとは……何か皮肉だな」
「キルツさん……」
「カカカ、そんな顔すんなよジュドム。俺はもう思い残すことなんてねえんだぜ? お前にもこうして会えたし、気がかりだったランコちゃんのこともどうにかなった。それに……」
ジュドムは悲しげに目を伏せ、ランコニスは大量の涙を両目から溢れさせている。キルツは苦笑を浮かべながらチラッと視線を日色へと向ける。
「平和への意志を託せる奴がどうやらこの世界にもいるみてえだしよぉ」
日色は何も言い返さない。平和を掴むという大層な大義があるわけでもない。ただ自分が過ごすためにアヴォロスが邪魔だから何とかしようと動いているだけだ。
しかしここでそれを言ったところで仕方ないと思い黙っている。
ボロボロとキルツの身体が一気に崩れ落ちていく。
「「キルツさんっ!」」
ジュドムとランコニスが叫ぶ。キルツはそんな二人を見ながら楽しそうに笑うと、
「あとは頼むぜ……この世界をな。それと――――――」
キルツの全身が灰化して風に乗って消えていく。だが、皆の耳に確かに聞こえた。
――――――幸せになりな、ランコたん。
日色は空へと舞い上がっていくキルツだったものを見ていると、ふとランコニスが全身を小刻みに震わせていることに気づく。
「ぐす……ほ、本当に……ひっぐ……失礼な……人です……。……私は…………ランコニスですよぉ……最後まで……あなたって人は……キルツさんのバカァ……」
マルキスが彼女を支えるように肩を抱くと、堰を切ったかのように声を上げて泣き始めたランコニス。
そしてジュドムもまた、作られた大空を見上げていた。だが日色は見た。その頬に光るものが流れていたのだ。
キルツ・バジリックス。伝説のギルドパーティ《平和の雫》のリーダーだった男。平和を願い、その身も心も捧げた人格者。
その男の最後を看取れたことを、日色は生涯忘れないだろうと思った。
※
日色が最初に黒衣二人を倒した同時刻、同じように古代異次元迷宮マクバラに取り込まれたレオウードは自身の運の良さに感謝していた。
その立派な鬣を震わせ嬉しげに笑っていたのだ。それもそのはず。今レオウードの前にいるのが、どうしても自らの手で決着をつけたいと願っていたコクロゥという裏切り者の獣人なのだから。
「ずいぶん嬉しそうだなァ、王様よォ」
「ああ、これぞ宿命とも言うべきか。お主とここで相見えることができることに感謝しかないわ」
「はっ、テメエさ、状況分かってっか? テメエは一度この俺様に敗北してんだぜ?」
周囲はどこかの村の中。これもマクバラによって作り出された異空間なのだろう。その証拠に村は綺麗だが人の気配はない。
「確かにそうだ。お主の不意打ちにまんまとやられたな」
「今度はその首をすっ飛ばしてやらァ」
白と黒が斑に浮かんだ奇妙な髪色を持つ獣人の戦士コクロゥ・ケーニッヒ。かつてレオウードとともに国を守っていた最強の剣士。その実力は当時のレオウードに比肩するほどの強さを持っていた。
あれから長い年月を重ねてレオウードもまた実力を上げているが、それはコクロゥとて同じはず。レオウードは笑みを崩し、獲物を狩るハンターのように鋭い目つきでコクロゥを射抜いている。
「お~怖い怖い。王様がそんな顔していいのかねェ」
「安心しろ。アヴォロスについた世界の敵を人だとは認識せん。ここでお主はワシの手で殺してやる」
「…………いつまでも自分が上にいるなんて思ってんなよ? 時代は変わるんだぜ?」
コクロゥは手に持っていた刀を鞘から抜き、邪魔くさそうに鞘を捨てた。そして楽しそうに笑みを浮かべて周囲に視線を促す。
「なあレオウード、ここがどこか見覚えはねェか?」
「……? ……まさか」
最初は分からなかったレオウードだが、再度確認してハッと思い出す。
「そうだァ……ここは【エーグマ】。かつて俺と姉さんが住んでた村だ」
まだレオウードが獣王を冠する以前の話。彼の父であるレンドックが国を治めていた時代、まだ世界は乱世が続いており、戦いの絶えない日々が人々を苦しめている中、ある大きな戦争が『人間族』との間で勃発した。
獣人界で行われたそれは、辛くも獣人たちが勝利を収めることができたが被害も甚大だった。幾つもの町や村が犠牲になり、多くの命が散った。
そして【エーグマ】という小さな村も、その戦禍に巻き込まれて壊滅に追いやられた。
だが幸いなことに、ある一組の家族がまだ生きているという情報を耳にし、慌てて確認しに行ってみると、そこには襲い来る『人間族』から、父と母に守られている姉弟がいた。まだ二人とも幼く五、六歳くらい。どちらも雪のような真っ白い髪をしていた。
だが駆けつけた瞬間、人間にその両親は殺され、ついにその牙が姉弟にまで向かおうとした。当時の《三獣士》だったガレオス・ケーニッヒは、何とかその悪刃から二人を守ることができた。
助けた姉の名前はネレイ、そして弟をコクロゥといった。二人とも戦災孤児として、ガレオスが引き取ることになったのだ。
「何故あの時の村が……?」
「うちの大将の気の利いた演出さ。まあ、俺が頼んだってのもあるがなァ」
「……何故ここを選んだ?」
すると初めてコクロゥは悲しげに瞳を揺らした。
「……姉さんは俺の全てだった。ここには姉さんとの思い出が……平和な思い出がたくさんある。きっと姉さんもこの村で見守ってくれているはずだ。そして……」
邪悪な笑みをコクロゥが浮かべて明朗に宣言する。
「愛していた奴に裏切られ死んでいった姉さんも、その愛した奴が無残に殺されるところを見ると気が晴れるだろう!」
狂ったように笑い声を上げ始めるコクロゥだが、レオウードにはどうしても気になることがあった。
「ワシはネレイを裏切ったことなど一度もない!」
すると笑い声がピタリと止まり、顔を俯かせたコクロゥからどす黒いオーラが滲み出てきた。まるで怒りを溜めているかのように全身が小刻みに震えている。
「……一度も……ない? ……ふざけんな……ふざけてんじゃねェぞコラァ」
射殺すような殺意全開の睨みがレオウードへと向けられる。言葉の端々から尋常ではない憤怒を感じる。
コクロゥは柄をギリギリッと握り込むと、
「テメエの命で贖え……姉さんの純粋な想いを踏みにじった罪をなっ!」
刹那、コクロゥの身体がブレて、気がつくとレオウードの喉元へと刀の先端が向かっていた。あと一呼吸で貫かれてしまうという状況。
しかしレオウードはそのまま避けずに、敢えて刀で喉を貫かせた。その瞬間、奇妙な感触を感じたようで怪訝な面持ちをするコクロゥ。
「……ちっ、《転化》しやがったか」
レオウードは物理攻撃を無効化できる《転化》を行使した。この力によって、レオウードの肉体は炎と化し、コクロゥの刀を受け流したのだ。
すぐさまコクロゥはその場から離れてニヤッと口角を上げる。
「ならこっちも見せてやらァ。これが俺様の《転化》…………《暗黒転化》だっ!」
コクロゥの身体が闇色に染まっていき、まるで黒い炎を身に纏っているかのように揺らめいている。そして上空へと立ち昇る黒が集束し始め形を成していく。
「それが報告にあった《闇色の鬼》か」
レオウードの目に映る光景。彼の背後に凶悪な鬼の顔を模った物体が出現し、ただならぬ威圧感を迸らせている。目を逸らすと一気に殺されてしまうかのような錯覚さえ覚える。
二本の大きな角に血のように赤い瞳。全てを噛み砕くような牙を宿した口に恐怖を覚えない者はいないだろう。
突然その鬼が口を大きく開けると、そこから触手が幾本も伸びてきた。
(恐らくこの触手は闇属性で形作られたもの。故に当たるわけにはいかんな!)
ただの物理攻撃なら効かないが、魔法や属性攻撃はダメージを受け流すことはできないのだ。
レオウードはその巨体に似合わず素早い動きで身を翻して回避する。
「クハハハハハハ! 今回は手加減しなくてもいいからなァァァッ! 思う存分やりやがれ俺の力ァァァッ!」
前回はこの力を行使している時、コクロゥが苦しそうだったと聞いたレオウードだが、どうやらあの時は手加減をすることに辛さを覚えていたようだ。
しかし今回は相手をただ殺すためだけに発動させているので、下手な制御をする必要などないのだろう。
「厄介な力だ! まさか《転化》にそのような力が隠されていたとは思わなかったぞ!」
「けっ! 平和ボケした連中には辿りつけねェ境地だろうがよォォォッ!」
襲い掛かってくる触手が今度は形を変えて刃状になり四方八方から斬撃を繰り出してくる。不規則な動きに対応するのはかなり困難。さすがのレオウードも、徐々に身体が傷つけられていく。
「どうしたどうしたァァァ! それだけか獣王ォォォ!」
しかしレオウードは冷静だった。確かにかなりの切り傷を負ってはいるが、どれもレオウードの回復力ならすぐに治癒できるほどの微細なもの。
レオウードは最小限の動きで防御し続けていたのだ。そしてジッと力を溜め込んでいることをコクロゥは気づいていない。
触手が一斉にレオウードを串刺しにしようと迫ってきた瞬間、レオウードの瞳がキラリと光輝いた。
「ウオォォォォォォォォッ!」
突然レオウードの身体から火柱が立ち昇り、その火柱に触れた触手が一気に蒸発した。
「なにっ!?」
驚くコクロゥをよそに、レオウードは火柱を立て続けたまま突進する。
「ちィッ!」
コクロゥは鬱陶しそうに舌打ちをして、複数の触手を一つにして巨大な刃を作り、それをタックルしてくるレオウードに向かって斬りつける。
火と闇の衝突で生まれた爆風により、周囲に建てられてあった建物が吹き飛ばされていく。
「ぬぅぅぅぅぅぅっ!」
「ぐゥゥゥゥゥゥッ!」
レオウードとコクロゥは、鍔迫り合いを行っているように互いの力が拮抗して動きを止めている。しかしどちらかが気を緩めれば一気に吹き飛ばされてしまうような状況。
だがここでレオウードの纏っている炎がさらに膨大化し、コクロゥの顔が驚きに歪む。バチィィィィンッと弾かれたコクロゥの触手。そしてそのままレオウードはコクロゥへと突撃する。
恐らくこの状況を見た誰もがレオウードの攻撃は当たると思っただろう。しかしコンマ数秒ほどで、攻撃が届くといった瞬間――コクロゥの背後に浮かんでいる顔だけだった鬼から身体が出現して巨大化し、その巨腕の先にある金棒でレオウードを弾き飛ばした。
突如として出現した鬼の身体からその剛腕により吹き飛ばされたレオウードは、上手く身体を回転させて足で大地を掴み体勢を整えた。見たところ大したダメージは受けていない。
「むぅ……」
しかしながら先手をとられたという思いは拭えないだろう。あと少しで与えられた一撃だったのだが、完全にカウンターで返されてしまったのだ。
レオウードはコクロゥの背後に現れた十メートル以上はある巨大な鬼の全体を眺めて感嘆の息を漏らす。
「まさかそこまでお主が《化装術》を極めているとは思わなんだ」
「これでも若くして《三獣士》になった天才って呼ばれてたのは知ってんだろうが」
自慢気に笑みを浮かべるコクロゥ。そう、彼は【獣王国・パシオン】始まって以来の天才と呼ばれた実力者だった。その頃は、まだ今のように《化装術》が公になっていた時代ではないが、それでも剣一本で当時の《三獣士》を打ち破り、見事その地位についていた。
さらには一度見た技なら難なく模倣することができるという才能もあり、彼に剣を教えたガレオスも舌を巻いてばかりだった。
彼にとって、魔法と同等の力である《化装術》は、まさしく鬼に金棒ということだ。
「何故その力を悪の道に捧げる?」
「よく言うぜ。俺を歪めたのはテメエらだろうが」
「……先程言ったワシがネレイを裏切ったという話か?」
「ああそうだァ。姉さんは信じてた。ホントにアンタのことを信じてた。だがそれをテメエは裏切った! 俺は絶対に許さねェ! 姉さんを犠牲にして成り立った平和なんてもんも信じねェ! だから俺はアヴォロスの作り出す世界へ行くって決めたっ!」
「奴の作り出す世界に救いがあるとでもいうのか!」
「少なくとも希望はあるね! こんなくだらねェ、今の世界よりずっとマシだァッ! 姉さんが裏切られた世界なんて……消えて無くなればいいんだっ!」
コクロゥが勢いよく右腕をレオウードの方へかざして叫ぶ。
「行きやがれ――――《暗黒鬼》っ! 奴を血祭りに上げろっ!」
命じられた鬼の目が怪しく光り凄まじい雄叫びを上げレオウードへと突撃していく。レオウードは振り下ろされる金棒から回避するために後ろへと跳ぶが、その苛烈な威力の余波でレオウードの身体が吹き飛ばされてしまう。
「むっ!? 何という力だっ!?」
先程吹き飛ばされた時とは桁の違う威力だった。
(これが本来の威力か!)
レオウードは自分を悠々と見下ろす鬼――《暗黒鬼》を睨みつける。
(恐らくあれはコクロゥが召喚した『精霊』なのだろうが、こうまで奴の憎しみを顕現した姿になるとは……哀れだなコクロゥ)
本来自らに秘めた『精霊』は、心を映し出す鏡と言われている。つまりもう一人の自分自身。故に『精霊』の形もその者の本質を模った存在に成り得る。つまりこの不気味で凶悪、殺意の塊のような鬼が、今のコクロゥの本質だということ。
(それほどまでに憎いか……このワシが……世界が!)
かつてレオウードはコクロゥに期待していた。その気質、人望、実力ともに王族でなくとも持って生まれた王の資質を彼に感じていたレオウード。
いつか、自分の後継者としてコクロゥに立ってもらいたいとさえ思っていた時期もあったのだ。優秀な者を上に立たせることが王国の決まりでもあった。
故に、たとえ自分の子供が生まれたとしても、コクロゥの方が優秀だと判断すれば、彼に国を任せることを考えていた。しかしその思いは脆くも崩れ去ってしまった。
「お主は道を誤り過ぎた。多くの者を傷つけ死に追いやり、そして振り返ろうともしない。ここでワシがお主を止めることが、せめてものネレイへの手向けになるかもしれぬな」
「テメエが……」
「む?」
「テメエが姉さんの名を気安く口にするんじゃねェェェェェッ!」
さらにどす黒いオーラがコクロゥから噴出し、鬼の力が増していく。
「《暗黒鬼》ィィッ!」
獣が狂ったような遠吠えをする鬼。そしてレオウードをギロリと紅き瞳で睨みつけると、その瞳から赤いレーザーが放出される。
「なっ!?」
すぐさま反応してレオウードはバク転をして回避。しかし鬼の追撃は止まらない。次々と放たれる赤いレーザーをレオウードは巨体を動かしてかわしていく。
地面に当たったレーザーを見て険しい顔つきをしてしまうレオウード。直系二十センチほどの穴が作られており、底が全く見えない。さらに周囲に無駄な破壊を生まないという凄まじい貫通力を備えている。
「当たれば一発で終わりだァ」
楽しそうにコクロゥは笑っているが、レオウードもやられっぱなしでいるわけではない。
「ならばワシも呼ぶとしよう! 我が魂とともにある盟友をっ!」
レオウードは大きく息を吸うと、天に向かって咆哮する。
「来ぉぉぉぉいっ! シシライガァァァァァァッ!」
呼び声に応えるようにレオウードの上方の空間に亀裂が走り、ガラスを割るような音とともに紅蓮の炎を身に纏った巨大な獅子が姿を現した。
「さあ、こっからよコクロゥ!」
※
同じ頃、古代異次元迷宮マクバラの中枢部には一人の人物が佇んでいた。そこは幻想的な部屋であり、宙には幾つもの砂時計を模った物体が浮かんでいる。
部屋の突き当たりには大きな祭壇も存在し、その中央には巨大な砂時計が時を刻んでいた。まだまだ砂が落ち切るには時間がかかりそうだと一目で分かる。
そして部屋の中央に位置するその人物――アヴォロスは不敵な笑みを浮かべながら、床から突き出ている石柱に手を触れて意識を集中させていた。
ふと、アヴォロスが目を閉じて、静かに口を開く。
「……待っていたぞ」
その声はアヴォロスの前方に現れた人物に向けられていた。ゆっくりと目を開き子供の時とは違った細い視線をその人物へと巡らせる。
「遅かったではないか、我が同胞にして最強の剣――――――」
アヴォロスは確かめるようにその名を口にした。
――――――――――――アクウィナスよ。
そこにいたのは、紛れもない魔王直属護衛隊の《序列一位》の立場に立つアクウィナス・リ・レイシス・フェニックスだった。
血のように真っ赤な髪を揺らしながら、彼はアヴォロスが立つ中央へと歩を進めていく。そして《奇跡連合軍》が聞いたら卒倒するであろう言葉を言い放つ。
「お待たせしました、我が王」
あろうことか敵であるはずのアヴォロスの目前で跪き臣下の礼をとるアクウィナス。そんな彼を見てアヴォロスは満足そうに頬を緩める。
「ククク、誰も考えまい。まさか『魔人族』最強の男がすでに我が掌中にあるということはな」
「……我が王、私は何をすればよいのでしょうか?」
「ククク、簡単なことさ。彼女たちを迎えにいってほしい」
「……御意」
するとまるで転移したようにその場から消失するアクウィナス。アヴォロスは背後にある大きな砂時計を見て口角を上げる。
「まだ時間に余裕は十分にある。それまでは精々この中で楽しめばよい……虫けらども」
静かな含み笑いが室内に響いていた。
※
レオウードが呼び出したシシライガがコクロゥの《暗黒鬼》へと突進した。しかし鬼もその手に持った金棒で迎え撃つ準備は万端。そのままタイミングを見計らって振り下ろしたが、シシライガが弾かれたようにその場から鬼の左側へと移動した。
そしてその巨体を弾丸のように突っ込ませ盛大に鬼は吹き飛ばされる……が、鬼はすぐに起き上がり瞳から赤いレーザーをシシライガ目掛けて放ってくる。
しかしシシライガも器用にかわしつつ、空へと駆け上っていく。
「ちっ! ちょこまかと!」
鬱陶しそうにコクロゥが言うが、すぐにその意識をレオウードは自分へと向けさせる。
「さあコクロゥよ、こちらも一対一、存分にやり合おうではないか!」
「けっ! 後悔させてやらァ! 俺のこの刀ですぐに首チョンパしてやる!」
コクロゥは刀を構えるとジリジリッと摺り足を使い距離を縮めていく。それはレオウードも同様で、両拳に炎を集束させていつでも攻撃できる体勢を整え少しずつ距離を潰していく。
きっかけはない。ただ最初に動いたのはコクロゥだった。彼の持つ刀が下から弧を描きレオウードの顎を掠める。そのまま勢いを殺さずに身体を回転させて連撃を放つ。
無駄のない舞いのような動きでレオウードの攻め手を潰していくコクロゥ。レオウードもこの烈火のような連続攻撃の隙間を縫って反撃することは叶わない。
(奴の刀には斬られるわけにはいかん!)
今、コクロゥの刀は闇色で包まれている。《化装術》の力で刀を強化しているということ。つまりただの物理攻撃ではないので、たとえ《転化》していても大きなダメージを負ってしまうのだ。
しかしこのままではいずれコクロゥの技に捕まってしまう。それほど彼の攻撃速度は速く、正確に急所を狙ってきている。しかもどんどん加速が増していくのだ。
回転を自在にコントロールしてその遠心力を使い次々と技を放ってくるコクロゥの攻撃にレオウードは防戦一方だった。
その時、ボコッとレオウードの右足が沈みバランスが失われた。
「何っ!?」
そこは先程《暗黒鬼》のレーザーで穴が開いた場所だった。そこをうっかり踏んでしまったようだ。コクロゥは邪悪な笑みを浮かべる。
「もらったぜっ、レオウードォォォッ!」
「しまっ――!?」
レオウードは最初から彼がこれを狙って自分を後退させていたことに気づく。まんまとそれに嵌まってしまったことを悔やんだ。
コクロゥの凶刃がレオウードの首へと迫る。だがレオウードの目は違う意味で見開かれていた。その視線の先は、コクロゥの背後へと伸ばされていた。
――ズシュゥゥゥッ!
「ぎがァッ!?」
突如として感じた背中の激痛にコクロゥが顔を歪める。舞う血しぶきに、自分が斬られたとすぐさま察したようでコクロゥは咄嗟に顔を背後へと向けた。するとそこには
「私の妻と子は、こうして背後から貴様に斬られた。借りを返すぞ、若造」
《クルーエル》の《序列二位》、マリオネ・ジュドー・クライシスが立っていた。
突然現れたマリオネに背後から斬りつけられたコクロゥは激痛に顔を歪めながらも、さすがはかつてレオウードと比肩するとまで言われたコクロゥ、すぐさま前後に挟まれている状況から脱した。
そして二人、特にマリオネに射殺すような視線をぶつけて絞り出すように言葉を吐く。
「テ、テメエ……ヒゲ野郎がァ……ッ」
ボタボタと大地に赤い血を落としているところを見ると、かなりの深手だということが分かる。歯をギリギリと食い縛るその姿を見て、マリオネは笑みを浮かべている。
「これは導きに他ならぬな」
「あァ?」
「この迷宮のような場所で私が貴様と相対することができたのはもはや我が妻と子の導きに思えてならぬ」
「けっ! 何が妻と子の導きだァ! そんなもん気色悪いだけなんだよ!」
「哀れだなコクロゥ。かつて我が妻と子に行った行為を、逆にされるとは、これが因果応報というものだ」
「黙れこの腕無し野郎がっ!」
マリオネは先のアヴォロス襲来により左腕と右眼を失っている。
「獣王よ、悪いがトドメはこの私がもらう」
「……妻子の仇か?」
「ケジメなのでな」
「…………分かった」
マリオネの気持ちを察したのか、レオウードは了承した。しかしコクロゥは物凄い形相で高笑いし始める。訝しんだマリオネが「何がおかしい?」と尋ねると、コクロゥは血走った目で睨んでくる。
「クッハハハハハ! 分かってねェ! 分かってねェんだよっ! 俺様はコクロゥ様だぜ? テメエらごときに殺されるわけねェだろうがよっ!」
「負け犬の遠吠えにしか聞こえぬな」
「だったら見せてやらァッ! 凡人と天才の差ってやつをなァッ!」
するとシシライガと戦っていた《暗黒鬼》が一旦戦いを中断してコクロゥのもとへ帰ってきた。そして驚くことにコクロゥをその剛腕で掴み、口へと放り込んでしまった。
二人は絶句しながらも、最後まで笑っていた彼を見ていたので、これが何かしらの手段であることを理解して警戒を高める。シシライガも、レオウードたちの前方へ庇うように立っている。
クチャクチャと口を動かす鬼がゴクリと喉を鳴らした瞬間、鬼の身体からガラスを引っ掻く嫌な音が響き、鬼が纏っている黒い気がさらに膨らみ全身を包んでいく。
そして徐々にその気が鬼の姿を変化させていき、醜悪で恐怖の象徴のようだった鬼の顔が、コクロゥのそれへと模られていく。手に持っていた金棒も、鋭い刀へと形を変えて行き、色は漆黒のままだがコクロゥそのものに成り変わっていく。
鬼の身体は十メートル以上。つまり巨大なコクロゥが出現した。
「……これが俺様の《終の牙》……《鬼成り》だ」
不敵に笑う巨大生物。レオウードももちろんのこと、マリオネもコクロゥの変わり様に息を呑んでしまっていた。
「マリオネよ、どうやらお主一人では荷が重そうだ」
「……くっ」
認めたくないのだろうが、マリオネも今のコクロゥの姿を見て確かな実力の差を感じ取ってしまっているのだろう反論はしなかった。ただ悔しげに睨みつけているだけだ。
「この姿になると手加減はできねェ。ただ――――――殺すだけだ」
刹那、その動きは閃光の如く、前方に立っていたシシライガの身体を、手に持った刀で突き刺していた。まさに一瞬の出来事。
「ば……かな……っ!?」
レオウードが驚愕するのも無理はない。シシライガも決して警戒は緩めていなかったし、彼自体のスピードは一級品ともいえる。それなのに何の抵抗もすることなくシシライガは、その凶刃に身体を貫かれていた。
苦しそうに呻き声を上げるシシライガを刀を振り回し地面へと投げ捨てるコクロゥ。
「ほらァ……一丁上がりだァ。ククククク……」
地面に倒れたシシライガはピクピクッと身体を痙攣させている。
「くっ……何という速さだ……!?」
「獣王よ、来るぞっ!」
マリオネの指摘通り、今度も目にも止まらないスピードで間を詰めてくるコクロゥ。巨体とは全く思えないその動きに二人は動揺する。しかし二人の身体がシシライガより小さいのが幸いしたようで、突きはかろうじて避けることができた。
「ちィ……この身体になると小せェ奴が狙い難いのが欠点だな」
不機嫌そうにコクロゥは発言するが、レオウードたちにしてみれば、一撃でもまともに受けられる攻撃ではない。一瞬たりとも気を抜けないこの状況の中、必死で有効手段を考える。
「とにかくまずは奴の動きを制限させる! マリオネ、足を狙えっ!」
「分かっている!」
レオウードは全身から炎を迸らせ、マリオネは右手に持った剣を握り締めて、それぞれコクロゥの足目掛けて突撃する。
「けっ! 遅ェ遅ェ!」
半ば楽しそうに言葉を発しながらコクロゥはその場から跳び上がり、今度は地面にいる二人目掛けて巨大刀を力一杯振り下ろす。
「やらせるものかっ! 顕現せよ、《大地を司りし細剣》!」
マリオネが手に持っていた剣を腰の鞘へと納め、大地に魔力を流し込むと、突如大地に亀裂が走り、その中から一振りの剣が姿を現す。その剣を掴み上空から落ちてくる刀に向かって突きを放つ。
そしてレオウードも全身の炎の両拳に集束させて攻撃力を最大限に高める。凝縮された炎はマグマを体現しているかのようにボコボコッとその熱量を感じさせている。その両腕を腰まで引き、勢いよく前方へと押し出す。
「――《極大焔牙撃》ィィィィィィッ!」
レオウードもまたマリオネと同様に刀に向かって攻撃を繰り出す。
「纏めて吹き飛ばしてやらァァァァッ!」
衝突する三者の攻撃。その瞬間、凄まじい閃光と爆発が生まれ、周囲を根こそぎ吹き飛ばした。轟雷でも落ちたかのような耳をつんざく音が大気を震わせ、衝突した三人ともに一気に弾き飛ばされてしまった。
コクロゥの一撃と、マリオネ・レオウード両者の一撃とが、全く互角だったために起こった現象である。その結果、放った威力がそれぞれの身体に反動として返ってきて、三者同時にかなりのダメージを負ってしまったのだ。
まるでハリケーンが襲来したのかと思うほど、村があったその場所では綺麗な更地ができあがっていた。そのあちこちにレオウード、マリオネ、コクロゥが倒れていた。
しかし最初に起き上がったのはコクロゥだった。身体に少々ヒビが入っているのが確認できるが、まだまだ戦うには十分な姿を見せている。手に持っていた刀は先程の衝撃で弾け飛んだようで消失していた。
「ちィィ……このクソどもがァッ! テメエらは素直に死んでりゃいいんだよっ!」
明らかに苛立ちを表しているコクロゥの様子を、二人もフラフラになりながらも起き上がって見つめている。
「抵抗なんかしやがってェ! 姉さんは抵抗すらできなかったというのにィッ! レオウードォォォォッ!」
まるで子供が駄々をこねるような感じで足を地面に何度も叩きつけて怒りをぶつけているコクロゥ。
「許さねェ……姉さんの心を踏みにじったテメエや、姉さんを殺したこの世界なんて許しちゃなんねェんだよォォォッ!」
その時、コクロゥの身体が光り輝き、また倒れているシシライガの身体も発光した。そしてその光が周囲を包んでいき、真っ白な空間へとレオウードとマリオネは誘われることになった。
「な、何だここは!?」
「獣王の『精霊』とコクロゥが反応し合ったような感じだったが?」
マリオネの言うように、コクロゥから発せられた光に、シシライガが呼応したような感じだった。
しばらく呆然と立ち尽くしていると、ふとレオウードの耳がピクリと動く。
「待てっ! 何か聞こえる!」
「……?」
マリオネはレオウードの言に従い耳を澄ます。すると確かに反響しているように声が聞こえてきた。いや、これは聞こえるというよりは、脳に直接情報を流し込まれているような感覚だった。
そして二人の脳内に、ある者の記憶が流れ込んでくる。
「…………コクロゥ?」
レオウードはその記憶がコクロゥのものだと瞬時に判断した。いや、そう伝わってきたのだ。
マリオネも怪訝な表情を浮かべながらも、流れてくる記憶に身を委ねていた。かつて、コクロゥが経験してきた過去。それを二人は知ることとなる。




