188:古代異次元迷宮マクバラ
次々と出現する黒衣死人。背中には紋様を背負っていないので、恐らく彼らは紋様黒衣のようなアヴォロスの直近のような存在ではなく、橋で現れた黒衣と同じような意志が欠如した者たちなのだろう。
その証拠に彼らの瞳には生気を感じさせる光を失い虚無をそのまま体現しているかのような漆黒を映し出していた。
(数にして二十ほど……か?)
城を挟んで向こう側にいる黒衣の数は数えられないが、視界に映る黒衣の数を考慮して凡そを計った。
こちらは今、城の周りで立っているのは『魔人族』では、アクウィナス、マリオネ、シュブラーズ、ラッシュバル、イオニス。『獣人族』では、レオウード、バリド、プティス、クロウチ、アノールドがいる。日色と朱里にしのぶを合わせて十三人である。
単純に考えて数では不利になっている。すると空から馬車が降りてきた。それはリリィンたちが乗っている馬車だ。
どうやら先程の爆風を見事に耐えていたようだ。恐らくリリィンあたりが巨人の様子を見て離れるように指示したのだろう。
「ほう、なかなか楽しそうな状況になっているではないか」
幼いその顔に似合わず獰猛な笑みを浮かべたルビーのごとき真紅の瞳で黒衣たちを睨みつけているリリィン。滑らかな風が彼女の燃えるような髪を遊ばせながらそのまま日色の頬も撫でた。
「上から数えたが数は十九人だぞ」
「ほう、見事にこっちと数があったな…………いや、どうやら向こうは本気でこっちを潰すつもりかもな」
「……そのようだな」
見れば【シャイターン】から再び黒衣が現れた。しかも新しく現れた黒衣の雰囲気からただものではない様子を見てとれる。その黒衣たちの背中にはそれぞれ紋様が刻まれてある。
新たに現れた紋様黒衣は六人だ。フードを被ってはいないので、彼らの正体は明らかだ。
ヒヨミ、コクロゥ、ビジョニー、アビス、キルツ、ランコニスの六人。いずれも醸し出すオーラが他の黒衣たちと比較にはならないほど強い。
「テンプレ魔王も必死だってことか」
日色がそう呟いた時、誰もが視線を奪われる状況が起こる。【シャイターン】から何者かが上空へと浮き出てきたのだ。
赤黒い翼を広げゆっくりと上昇していき、一所でピタリと動きを止めて全員を見下ろしている。
(何だアイツは……?)
日色は突如として出現した金髪の人物を目を凝らしながらジッと見つめていると、
「……アヴォロス……」
その呟きはアクウィナスから漏れた。近くにいた日色は咄嗟に彼の横顔を見てしまう。一瞬聞き間違いかと思ったからだ。
「赤髪、今何て言った?」
「あれは……アヴォロスだ」
「何? アイツが……テンプレ魔王だと!?」
とても信じられない。確かに面影はある。しかし荘厳な立ち振る舞いに明らかに違う身体の大きさ。アヴォロスは見た目は小学高学年ほどの子供だった。
今上空で浮かんでいる彼は確かに金髪という共通点は備えているが、内包している力も含めて雰囲気から逸脱しているような気がする。
だが言われてみれば、あのアヴォロスが十年ほど成長したらこんな青年になるのかもしれない。人を惹きつけるような美を持ち、こうして空から見下ろしている姿が人の上に立つ者として型に嵌まっている感じが強烈に似合っている。
そしてそのアヴォロスの紺碧の瞳が静かに日色を射抜く。だがすぐに視線を切り、周囲に視線を巡らせる。
「……こうして、この身体で貴様たちを見下ろすのは実に久しぶりだ」
初めて聞いた声音も、子供の時とは違い、男性特有のバリトンボイスが響く。
「よくぞここまで余を煩わせた。その力は素直に認めてやろう。しかし、ここで貴様たちの勢いは止まる」
アヴォロスの言葉に憤慨した様子でレオウードが一歩前に出る。
「アヴォロスよ! 我らはここで貴様を討ち、平和を築くっ!」
「……獣王レオウードか、世界を知らない分際でできぬことをよく吐くものだ」
「それは貴様であろう! 貴様の言う世界の真実とやらなど知らぬが、このまま世界を潰させるわけにはいかぬのだっ!」
「それは違うな。余が行うのは創世だ」
「創世……だと?」
アヴォロスは両手を広げてレオウードだけでなく皆に向けて言葉を発する。
「貴様たちはただ黙って骸と化せばよい。あとは余が上手くやってやろう」
「何をっ!?」
レオウードの言うように、アヴォロスの言葉の意味を理解できている者は少ないだろう。日色でさえも彼が最終的に何がしたいのか理解できていない。
「まずはここで貴様たちには消えてもらおう」
パァンッとアヴォロスが両手を合わせると、彼の身体から凡そ個人では考えられないほどの魔力が溢れ出す。
「バカなっ! あの魔力量などヒイロより上だぞ!?」
それまで平静を保ってきたリリィンが初めて驚きを示す。日色もまた、自分の魔力量の多さは世界随一だと自負していた。しかし明らかに今のアヴォロスの方が魔力の量と質が上なのだ。
無論魔力の多寡で純粋な強さは測れはしないのだが、それでも彼から感じる魔力は常識を覆すような膨大な圧力を備えていた。
しかも溢れ出した魔力が巨大な腕を形成して【シャイターン】の一部分を捥ぎ取ってしまった。
(あれは……!)
日色は魔力の腕が捥ぎ取った部分に見覚えがあった。それは確かに日色がこの【イデア】に初めてやって来た場所に違いなかった。
塔のような造りになっている石造りの建造物。確か《儀式の塔》と呼ばれていたことを思い出す。
だが何故その塔の部分を捥ぎ取ったのか理由が判明しない。アヴォロスはそのままその塔を地面に突き刺すように落下させた。ドドドドンッと下の部分が衝撃で破壊され地面に亀裂を生みながらも、塔の最上部である召喚魔法陣がある部分は残し地面に突き刺さった。
そしてアヴォロスが日色と目を合わせる。その時、日色の身体に言い知れぬ不安が走った。無意識にゴクリと唾が喉へと押し流されていく。
何故か分からないが肉体が、精神が不安と恐怖で反応しているかのようだった。
「……ヒイロ」
アヴォロスの言葉は、まるで死の宣告のような響きに思えた。
「申したであろう。次に会った時は必ず絶望を味わわせてやると」
「……っ!?」
本能でこのままここにいては駄目だと訴えている。頭の中には警戒音がひっきりなしに鳴っている。
すると突然【シャイターン】が光りに包まれ、それに呼応するかのように地面に突き刺さった《儀式の塔》も輝き出した。
しかしその時――――。
「――――――待ちなさいっ!」
甲高く鋭い声が誰もの耳をついた。そこに現れた人物を見て、日色だけでなくアヴォロスも目を見開いた。しかしアヴォロスはすぐに目を細めその人物を睨みつける。
「ここへ何しに来たのだ――――――――――――アリシャ」
突如としてアヴォロスの行動を制止させた存在はアリシャ――《ティンクルヴァイクルの冒険》という本の作者であるマルキス・ブルーノートだった。
日色も久しぶりに見る彼女のその姿に、どうしてここへやって来たのか疑問に思った。正直に言って彼女は戦闘能力は低い。この場に来たとしても足手纏いになる可能性の方が高い。
日色と別れてある人物に会ってくると言って消えてから、音沙汰は一切無かったが、突然戦場に現れたことに日色も驚いていた。
またそれはアヴォロスも同じようで完全に彼の意識は彼女に向いてしまっている。
「再度聞こう。何しにやって来た? アリシャ……いや、今はマルキス・ブルーノートと言おうか」
彼女の実態を知らなくても、マルキス・ブルーノートという名は有名なのだろう。他の者もマルキスを奇異な目つきで見る。
それもそのはずだ。《ティンクルヴァイクルの冒険》が世に出回ったのは何十年と前の話であり、今目の前にいる彼女は明らかに二十代前半ほど。しかも『獣人族』にも『魔人族』にも見えない。
人間だろう彼女の姿に怪訝な思いを抱くのは至極当然の成り行きだった。
「逃げてばかりの貴様に、この戦場に立つ資格などありはしない。早々に立ち去るがよい」
「……そうねアロス」
「余はアヴォロスだ」
訂正を促すアヴォロス。瞬間、マルキスが悲しげに眉をひそめるが、そのまま口を動かす。
「……私はあの時から逃げてばかりだったわ。好きな人たちが次々と死んで、ラミルも……シンクも死んで……私は現実から逃避したわ」
「そうだ。シンクにとって、貴様も大切な存在だった。ラミルと同様に貴様のことも愛していた。だからこそ、余はシンクが死んでからも、貴様を守るために探した。だが見つけられなかった。死んだとさえ思った。しかし貴様はただ現実の苦しさから抜け出したいがために逃げた。自国の民から追われ、世界を逃げ回り、また死ぬことさえもできず……まさに悲劇だ。だから余の目の前からも……消えた」
一瞬、アヴォロスの瞳も揺らいだのを日色は感じた。
「そんな貴様が今頃何用だ? まさか余を止めようという気か?」
「……私には力はないわ。あの時も、今も、私ができることなんて本当に小さい。でも……希望はあるの」
マルキスが日色の目を見つめてきた。
「卑怯で臆病な私には、その希望に夢を見ることしかできないわ。そしてそれが私に残された最後の務めでもあるのよ」
「アリシャ……貴様まさか予見を……!」
アヴォロスの目が見開かれ、何かを言おうとした瞬間、彼の背後から何者から接近する気配を感じた。
「見えておるわっ!」
すぐさまアヴォロスは振り向き、魔力の壁を眼前に作り出す。青白い極厚な塊がアヴォロスを守る盾となっている。
そしてその盾に拳を突きつける人物。その人物を見て彼のことを知っている者は「やはりな」という具合にほくそ笑んだ。
激突した拳と魔力盾はバチバチバチッとその力をせめぎ合うようにして比べていた。
「生きておったか――――――――――――ジュドム・ランカース!」
アヴォロスの言葉でハッキリとその人物の正体が皆に届けられる。そう、死んだと予想する者が多かった《衝撃王》の二つ名を持つジュドムであった。
「あいにくタフでなっ! おらぁっ!」
ジュドムの突き出している右腕の筋肉がボコッと盛り上がり、さらなる力が拳に込められ、徐々に魔力盾が押され始める。
「……力馬鹿には困るものだ」
アヴォロスは再び身体から魔力を放出させて、するどい針状のものを無数に形作る。そしてそれをジュドムに向けて放射する。
「ちっ!」
ジュドムは一旦攻撃を中断すると盾を蹴り上げその場から脱出を試みる。だが空中で体勢を整えようとしている彼の周囲に泡が出現し始める。
「アッハハ! 僕より目立とうというのかい!」
ジュドムの粋な登場に腹が立ったのか《爆泡魔法》を使うビジョニーがジュドムを始末しようと動く。彼の作り出した泡は凄まじい爆発を起こし、魔軍の隊長の一人だったハーブリードも彼の魔法の餌食となり殺されてしまった。
しかしジュドムは慌てる様子を見せることなくそのまま両手をパンッと叩き乾いた音を響かせた。
「――《拍手掌》っ!」
波紋のようにジュドムの手から広がった衝撃が周囲に浮かんでいる泡を吹き飛ばしていく。
「ええぇぇぇっ!?」
ビジョニーもその事実に驚いたようであんぐりと口を開けて固まっている。だがすぐにキリッとした表情を作り、
「まだまだこれならどうだ~い!」
ジュドムの落下していく先に再び泡が生まれる。しかしまたジュドムは驚くべきことをした。今度は突然ジュドムの足元から風船を割ったような音が響いたと思ったら、そこから上空へと跳び上がったのだ。
「何でぇっ!?」
ビジョニーはさらなる驚きを得る。それもそのはずだ。空中には踏み台になるようなものなどはない。それなのに、まるでそこに固定された何かがあり、それを利用して跳び上がったかのごとくジュドムはその場から脱出したのだ。
(アレは……っ!?)
その光景を見ていた日色は以前あんなふうにして移動していたテンのことを思い出す。すぐさま肩の上に乗っているテンに視線を向ける。
「おい、今のは」
「んあ? まあ、そうじゃね?」
何とも適当な返しではあったが、やはりテンと同様に足元から小さな魔力爆発を起こして空を自由に跳び回ってるようだ。
ジュドムはビジョニーの攻撃から難なく抜け出して空を駆け巡りスタッとマルキスの前方へと降り立つ。
「……そうか、アリシャ……貴様がその男を助けたな?」
アヴォロスは確信を得たような光を目の中に宿し尋ねた。
「ええ、予見したからね。間一髪だったけど、何とかジュドムと国民たちは無事に助けられたわよ」
「さすがの俺もあん時は死を覚悟したけどな」
「しかしあの状況でどうやって……」
それはアヴォロスだけでなく他の者も同様の疑問だった。しかしマルキスはフッと笑みを溢すと、その艶のあるダークブルーの髪を手で払い、
「それは秘密よ」
ウィンク一つアヴォロスへと飛ばした。
「そうか……まあよい。ここでやることは変わらぬ」
アヴォロスがその視線をマルキスから日色へと移動させる。日色も反射的に身構え、《絶刀・ザンゲキ》の柄に手をかける。
「ふむ……少々ゴミが多いか。ならばまずはそれらを片すとしようか!」
アヴォロスは言葉の通り、日色以外の者たちを、まるでゴミか塵でも見るように見下すと腰に携帯している剣を抜く。
「気をつけて下さいヒイロさん! あれが《サクリファイス》です!」
クゼルから聞かされた《魔剣・サクリファイス》の能力を思い出し、日色だけでなくアクウィナスたちも警戒度を高めていく。
「ゲギャギャギャギャギャ! オウオウオウオウ! コリャ絶景ダナ! オイ主、コイツラ全員喰ッテモイインダナ?」
品が一切感じられない耳障りな声が周囲に響く。剣に埋め込まれているギロリとした眼球がその不気味さを増長させている。
「いや、貴様が喰うのは…………コレだ」
アヴォロスが懐をゴソゴソと漁り、取り出したもの――――――それは水晶玉だった。
占い師が使うようなガラス玉。しかしその中にはどす黒い靄が凝縮されているようで、見るだけで背筋が凍る感覚が走ってしまう。
「ウヒョォォォォッ!? オイオイ、何ナンダヨソレハッ!? 涎モンノ喰イモンジャネエカッ!?」
狂喜のあまり剣が嬉しそうにグネグネと動き出している。アヴォロスはその水晶玉を空高く放り投げると、そのまま《サクリファイス》も同様に投げた。
「グハハハ~ッ! イッタダキマ~スッ!」
大きな口が剣から開きパクリと水晶玉を食べてしまった。
「ウオォォォォォッ!? コレダコレダコレダコレダコレダコレダァァァァァァアアアアアアアアアッ!」
すると《サクリファイス》は剣の形を失いボコボコッと膨れ上がっていき、次第にそれは綺麗な球体状に変化していく。
赤黒いその塊からは嫉妬、殺意、悲痛、悔恨、絶望、憤怒など、ありとあらゆる負の感情が凝縮されていた。この場に立っている者はともに実力者のはずだが、ほとんどの者は恐怖を感じて身体を震わせていた。
空は薄暗い雲で覆われ、ゴロゴロと轟く雷鳴がより不安をかき立てていく。
「さあゴミども、余を止められるものなら止めてみるがよい」
空に浮かぶ赤黒い塊から言い知れぬ不安が押し寄せてくる。まるで何かが生まれるかのように胎動するその球体に全員が意識を奪われていた。
しかしその間にも黒衣の群れが《奇跡連合軍》に襲い掛かってくる。それでもさすがはあの爆風でもこの場に残った実力者たち。すぐに意識を目下の敵に照準を合わせて迎え撃つ。
「なるべく時間を稼ぐのだ。皆で味わおうではないか。絶望の誕生を」
アヴォロスは艶美に光る笑みを浮かべて自身が生み出した黒球を見つめている。
「ヒイロ、どうするのだ? どれを相手にする?」
近くにいるリリィンがターゲットとなるべき相手を尋ねてくる。しかし日色の中ではもう決まっている。
「オレが用があるのは一人だけだ」
「あの金髪か……だが一対一を作れる状況ではないぞ?」
彼女の言う通り、今は乱戦に近い状態だろう。《マタル・デウス》の戦力がひしめき合い、城を囲うようにして向かってきている。その数は全部で二十を越えている。
恐らく日色がアヴォロスへと近づこうとしたら、間違いなく止めてくるだろう。そうなっては面倒である。
そんな日色の意を感じ取ったのか、アヴォロスが視線を向けてくる。
「ヒイロ……貴様のような存在にはもう何も期待はせぬ。気になる事実は確かに存在するが、それも些末なこと。ここで貴様には絶望を見せる」
アヴォロスが、ガリッと指を噛み血を流し始める。
(何だ? 何をするつもりだ?)
アヴォロスの指からポタポタと赤い血が下に落ちていくが、まるで空中に大地が存在するかのごとく、血が空中で弾かれる。そしてその血がひとりでにズズズと動き始め何かの図を描き始める。
(……魔法陣?)
それは明らかに魔法陣だった。無論何の魔法陣なのかは分からない。その魔法陣がそのまま直下していき、城を突き抜けて地面に到達したであろうと思われた瞬間、一気に日色たちが立つ地面へと広がった。
突然のことで戸惑いを覚えるが、パンッとアヴォロスが両手を合わせて、
「甦るがよい! ――――――【古代異次元迷宮マクバラ】よっ!」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴと大地が鳴いているかのように震え出す。例外なくその場に居る者全てがバランスを失い倒れかけるほどの揺れ。
そして魔法陣から凄まじい魔力の奔流が迸ると、徐々に周囲の景色が失われていき何もない真っ白な空間が支配していく。
するとその白が、まるでガラスを壊したかのような音を立てて崩壊し、ようやく景色が拝めたと思った瞬間、視界に入ってきた光景に愕然とする。
明らかに先程いたヴィクトリアス領域内ではなかった。日色が立っているのは大地とは呼べない人工的な作りを感じさせる冷たい鉄の上だった。
まるでそう、空は宇宙空間のように遠く、小さな光が点在している不可思議な場所。周囲は幻想的な造りになっており、いくつもの扉が宙に浮かんでいる。
そして一つの扉に意識を集中させると、そこへ通じる鉄の階段が出現する。どうやらどこかの部屋へと入れという指示のようだ。
周りには日色以外誰もいない。
(他の連中もこの妙な空間の中か?)
だとすればどこかの部屋にいるのかもしれないと思い、とりあえず無数にも思える扉の中から一つの扉に目を向ける。
するとそこへ通じる鉄の道が標される。日色はひんやりと冷たい空気を感じながらゆっくりと歩を進み扉へと向かう。
そして扉の前まで来た時に、いつでも戦闘ができるように警戒度を最大限に高めてそのまま無遠慮に蹴とばした。
バキッという音とともに開く扉。しかしここから中は確認できないようになっているのか鏡のような銀で覆われていた。
チョンと人差し指で突いてみると、そこから水を打ったように波紋が広がっていく。
(どうでもいいがいきなり水の中とかは勘弁しろよ)
濡れるのは嫌だと思いながらその銀を潜っていく。中は闇に包まれていた。そしてピカァッと眩い光が生まれ、つい目を閉じてしまう。
そしてゆっくりと目を開けてみると、そこには草原が広がっていた。さらに日色の視界には一人の人物が映った。
「……占い師」
マルキス・ブルーノートである。彼女は待ち合わせをしていたかのように日色の存在に気づくと、
「遅かったわね、待ってたわ」
笑みを浮かべてそんなことを言う。
「……お前本物か?」
日色は距離を詰めずに『覗』の文字を書き始める。
「何も言わないわ。あなたなら調べられるでしょうし」
彼女の言う通り、《ステータス》を調べる。すると彼女がマルキス――アリシャだということが判明した。日色は少しホッとする思いを感じながらそのまま彼女に尋ねる。
「さっきの言葉、オレがここに来ることを知ってたのか?」
「ええ、予見してたから」
彼女の二つ名は《先見のアリシャ》。未来を誰よりも見据えることができる彼女にとっては、あの無数の扉から日色がどの扉を選ぶことは造作もないことなのかもしれない。
「ところでここがどこか知ってるか?」
「ええ、ここは【古代異次元迷宮マクバラ】よ」
「古代異次元迷宮?」
「知らないのも無理はないわ。この迷宮は遥か昔、ある人物によって生み出された迷宮で、今は存在しないものだもの」
「それなのに何故ここにある?」
「それはアヴォロスが甦らせたからよ」
「…………そんなことが可能なのか?」
「少なくとも私が知っているアヴォロスならできなかったわ。だけど今のアヴォロスならそれも不可能じゃないの」
「どういうことだ?」
「恐らく彼の胸の中にはあの初代魔王であるアダムスの《核》が埋め込まれてあるわ」
「奴が奪ったっていう《核》か」
「ええ、アダムスの規格外とも呼べる魔力を備える今のアヴォロスならそれも可能よ」
「……さっきある人物がこの迷宮を造ったと言ったな? ……まさか」
「ご推察の通りよ。この迷宮を造ったのは初代魔王アダムスよ」
やはりかと日色は納得を得る。いろいろ彼女が規格外だということは聞かされている。超越した力を有し、人望、知性、美貌など全てを兼ね備えた人物。
またその卓越した力は様々な研究も残している。その一つが《ヴァルキリアシリーズ》である。まだ国というものが初めて造られたような遥か昔に、彼女は人口生命体を生み出したり、魔法理論を解明して多くの便利な魔具を作ったりと、常人には決して届かない高みにあっさりと手を伸ばして掴める才を持つ者だったらしい。
「こんなものまで造るとは、何てはた迷惑な才能だ」
「ふふ、そうね。まあ、彼女は暇潰しに造ったみたいだけどね」
「とんだ迷惑千万だな」
こんなものを造る力があるなら、もっと他にやるべきことがあったはずだ。例えば最上に上手いグルメ食材を作るとか、無限の知識を注ぎ込んだ図書館を造るとかだ。
少なくとも日色にとっては、こんなわけの分からない迷宮よりも、そっちの方がずっと生産的だと思っている。
「ところでここから出るにはどうしたらいいか知ってるか?」
「……あなたの魔法なら出られるはずだけど?」
「まあ、オレ一人なら問題はないだろうが……」
「ふふ、彼女たちが心配なのよね?」
「……何のことだ?」
日色は目を背けて誤魔化す。しかしマルキスはまるで弟に対するかのように、
「素直じゃない子ね。正直に仲間も一緒に助けたいって言えばいいでしょ?」
「そんなことは微塵も思ってない」
「はぁ、まあそういうことにしといてあげるわよ。困った子ね」
「そんなことより他の方法を教えろ」
「はいはい。でも脱出は容易じゃないわ」
マルキスが真面目な表情を浮かべ上空を見上げる。澄み切った空が広がってはいるが、これも本物の空ではないのだろう。
「多分この中のどこかにアヴォロスがいる。彼は迷宮維持に力を使っているから動けないはず。その彼を見つけて魔法を中断させれば可能よ」
つまりアヴォロスはこの中で時間稼ぎをするつもりなのだろう。あの黒球や城復興に関して、どうしても時間を作りたいのだ。
「だけど、もちろんすんなりと通してくれるわけは……ないわ」
「そうみたいだな」
日色とマルキスの眼前に、黒衣が出現する。どうやら敵を倒さなければ先に進めない構造になっているらしい。
※
日色たちがアヴォロスが生み出した迷宮に閉じ込められている外ではミュアが心配そうに魔法陣が作り出した半球状の赤い空間を見つめていた。
巨人が破裂したことで、その衝撃を受けて傷ついた者たちを介抱していたのだが、突如日色たちの足元に魔法陣が広がり赤い空間が生まれたと思ったら、日色たちが消失したので驚いた。
ミュアだけでなく、他の兵士たちもどうすればいいか戸惑っているようだ。指揮をとるはずの隊長格が全て赤い空間に消えたのだから無理はないだろう。
しかも兵士が中に入ろうと試みるが、空間に触れた瞬間バチィッと弾かれてしまうようで、どうやら外から容易に入れるような作りにはなっていないようだ。
「おじさん……イオちゃん……ヒイロさん……」
親しい者の名を呼ぶミュアだが、できることなら自分も中に入って皆の力なりたいと思っている。しかしこと戦闘に関しては足手纏いになってしまうことは分かる。
相手はいち兵士ではないのだ。アヴォロスが隠していた戦力、それこそ強者と呼ばれるほどの者たちだろう。そんな相手に今のミュアでは勝つことができない可能性が高い。
それにまたアヴォロスに捕縛されてしまうことを考えると安易な行動は控えなければならないのだ。
上空を見ると赤黒い球体が浮かんでいる。ゴロゴロと轟く雷鳴に呼応して脈動しているようにドクンドクンとしている。
「一体アレは何なのかな……?」
かなり距離が離れているはずなのに、これ以上アレに近づきたくないという衝動が走る。気味が悪いといえば簡単だが、それだけでなく見ているだけで全身が震えてくるのだ。
あの中に何かがあるのは誰だって理解できる。しかしそれが何かが分からないのが余計に恐怖を煽いでいる。
「ヒイロさん……」
一番頼りになる彼の名前を呼ぶが、今彼はあの赤い空間の中で恐らく戦っているだろうと予想できる。
彼ならばきっと赤い空間から脱出して戦争に勝利をもたらしてくれるだろうと信じている。だけど何故だろう……?
(ものすごく嫌な予感がする……)
言い知れぬ不安。それがミュアの胸に小さな疼きとして不気味にその存在感を徐々に膨れ上がらせていく。
ミュアの感性は日色やアノールドも認める優れているものだ。大抵がミュアの悪い予感が当たったりする。それは『銀竜』という種族に与えられた才能なのか分からないが、こんなふうに嫌な予感をした時はろくでもないことが起きることが多々あるのだ。
ミュアは祈るように両手を組み、皆の安全を静かに願う。
(どうかみんなが無事でありますように)
今、自分にできることは少ないが、彼らが再びここへ戻ってくるまでに少しでも怪我人を治せるように努めようと思った。
そんな時、ざわざわと兵士たちが騒ぎ始める。何事かとミュアは視線を向けて、兵士たちが集まっている場所へと向かう。
兵士の一人にその理由を聞いてみた。
「何か助っ人がどうとか言っている人物がやって来たらしいです」
「助っ人?」
「ええ、それに英雄様がどこにいるのかってしつこく聞いてきて、どうしたらいいものか迷いまして」
「英雄って……もしかしてヒイロさんですか?」
喋っている相手は『魔人族』である。その『魔人族』の兵士が英雄と称すのはミュアが知る限りでは日色だけである。
「はい、ほら、あそこにいる奴です」
指を差された方向にミュアはゆっくりと視線を向ける。すると向こうもミュアに気づいたようで「あ!」という顔を浮かべる。
だがミュアも同じように驚きを隠せない様子で目を見開き、
「あ、あなたは!?」
ついその場で叫んでしまった。
※
黒衣の人物が目の前に現れて、マルキスから敵を倒さなければ前に進めないことを知らされると日色は仕方無く戦闘態勢に入る。
「……二人か」
黒衣は紋様を背負っておらず、恐らく死人だろうと判断する。だが二人相手というのが面倒ではある。
「おい占い師。お前は戦えるのか?」
「そうね、黒衣相手に一分もてばいい方かしら」
「つまり役立たずか」
「……ストレート過ぎない?」
「ホントのことを言っただけだ。だったら邪魔にならないように下がってろ」
「ええ、あなたなら黒衣二人相手でも大丈夫でしょうね」
マルキスは日色から離れていく。日色は《絶刀・ザンゲキ》を抜いてジリッとゆっくりと相手との距離を詰める。
(まずは相手の情報を見たいが、黒衣を身に纏っている間は『覗』の文字は効かないしな……)
相手の情報を掴み、攻撃などを予測して戦う日色のスタイルだが、それが不可能なのでこのまま警戒を高めつつ、いつでも相手の動きに対応できるようにする。
(あのテンプレ魔王とやり合う前にあまり消耗したくないしな。ここは一気に決めるか)
日色は瞬間、大地を蹴ってまず左側にいる人物へと接近する。だが相手は動かない。そのまま日色の剣線が走り、黒衣を上半身と下半身を真っ二つに―――するかと思った直後、日色の手に残った感触はまるで水でも切ったような感覚だった。
咄嗟に怪訝に眉をひそめて日色はその場から後ろへ跳んで距離を取る。
(今の感触……!)
手応えに覚えがあった。過去に経験したその感覚に、まだ確証はないがもしかしたらという思いは脳裏に過ぎった。
すると二人の黒衣がそれぞれフードを取って、腰に携帯していた武器を手に持つ。
(……!? ……やはりな)
日色の視界に映った二人の人物を見て先程の感触の答えを得て納得した。二人の人物の頭にチョコンと生えている獣耳。それが彼らが獣人だということを示していた。
そして日色の剣による攻撃を避けもせずに受け、あまつさえダメージを受けなかった理由も説明できた。
「《転化》……だっけか? まさかユニーク魔法使い以外の死人も使ってるとはな」
獣人の《化装術》の奥義ともいえる《転化》。それは身体を魔法化させることができるユニーク魔法にも劣らない反則的な能力。
以前クロウチやレオウードと戦った時も、その《転化》には驚かされたものだった。何故なら《転化》状態の相手には単純な物理攻撃は効かないからだ。
《転化》を使えるまでに技を磨いた獣人は少ないが、その力はまさしくユニーク魔法に匹敵するほどの効果を持っている。
日色はジッと二人を観察する。左側は赤い髪の毛が特徴で、ガタイも大きい。そして右側は青い毛をチョンマゲのように頭上で結っていて耳が垂れている。二人とも目が黒々と光がなく操作されていることが丸分りだった。
「気をつけなさいヒイロ。彼らには見覚えがあるわ」
ふと背後からマルキスの声が飛ばされてきた。
「まず左、赤毛の獣人はビッツ・デスティックで《水狂》と呼ばれた実力者よ」
「ほう」
「それに右側のタレ耳の方はダンド・ホース。《大土》と呼ばれていたわ」
どうやら二人はそれなりに有名なようだ。
「どっちも《転化》が使えるということか?」
「恐らくね。あのアヴォロスが起用するくらいだから」
「なるほどな。それは面倒なことだ」
日色はふぅっと息を吐くと刀を鞘に納める。
「え!? な、何故刀を納めるの!」
マルキスの言葉には応えずに、日色は両手を広げて、意識を集中し始める。右手には魔力が溢れ出し青白い光が包む。また左手には身体力を発現させて黄色が包む。
そのまま両手をパンッと合わせた瞬間、日色の身体から紅蓮のオーラが放出した。
「…………《太赤纏》……!」
マルキスの瞳は大きく開かれて虚を突かれたように日色に魅入っていた。
日色の戦闘力が莫大に膨れ上がったのを感じ取ったのか、黒衣の二人はすぐに攻撃を開始した。ビッツが振り下ろした剣からは濁流が生まれ日色に向かって飛んできた。
またダンドが、その手に持つ斧を地面に突き刺すと、ドドドドドドッと地面が日色に向かって盛り上がり下から串刺しにしようと襲い掛かって来た。
「ヒイロッ!?」
日色がいまだに刀も抜かずに立ち尽くしているだけなのでマルキスは、そんな態度を見せる日色に驚いているのか声を上げる。
しかし日色は目の前から迫ってくる攻撃に対し、キラリと目を光らせる。
そして一瞬―――。
水と大地がそれぞれぶつかり、日色が呑み込まれたように見えたが、いつの間にか日色はビッツとダンドの間をすり抜け彼らの背後へと突き進んでいた。
その手にはいつの間にか抜いた刀を持っていた。
「……え?」
マルキスの目には日色の動きは一切見えていなかっただろう。だからこそ、瞬時に日色が彼らの間をすり抜けたことに驚愕を覚えているようだ。
しかも何故かビッツたちはまるで油の切れたロボットのように身体をぎこちなく動かしているだけ。何故背後にいる日色に攻撃しないのかマルキスには不思議に思われるだろう。
しかしビッツたちが自由に動けないのは当然なのだ。何故なら……
「……《熱波突》……」
日色の呟きと同時にビッツとダンドの身体が膨れ上がり爆発した。そのまま日色は刀を納めてマルキスに言う。
「先を急ぐぞ」
まさに瞬殺であった。
カチンと日色が刀を納めてそのまま黒衣が倒れて、その背後に出現した扉へと向かおうとするが、慌てたように駆けつけてきたマルキスが声をかけてくる。
「ちょ、ちょっとヒイロ待って!」
「……何だ?」
何でもないような様子で振り返る。
「え、いや……け、怪我とかは?」
「見て分からないのか? ダメージは無しだ」
「あ、そう……そうよね。ううん、違う! ヒイロはさっき何をしたの?」
「何をしたというのは?」
「だ、だってあの二人を瞬殺するなんて……」
「いくら昔活躍した奴らだとしてもだ、今はテンプレ魔王に操られている人形だぞ?」
「……そうだけれど」
「元々死人ってのは全ての力を発揮できるわけじゃない。それは情報で知ってる」
「う、うん。それも分かっているわ。だけどそれにしてもかなりの実力者だったはずよ。それなのに……」
彼女が先程の光景が信じられないと言うのであれば、やはりあの二人は相当の戦闘力を備えた人物たちだったのだろう。
「良くて七割か八割ほど。まあそれでもかなり凄いと思うが、それでも全力は出せないし、思考や判断力だって鈍ってるはずだ。だからこそ、それを上回る速度で攻撃をすれば問題無く倒せる」
「確かに理論的には分かるわ。速度だってあなたの魔法さえ使えば上回ることも可能でしょう。だけど気になるのはどうやって一撃で倒したのかということよ。しかも爆発したわよ?」
「……お前、奴らの弱点には気がついているか?」
「じゃ、弱点?」
「ああ、奴らの胸の中心あたりには《魔石》が埋め込まれてある」
「……あ」
気がついたようで目を開かせるマルキス。
「距離を詰めて奴らの《魔石》に刀を突き刺した、ただそれだけだ」
「……それだけって、彼らの反応速度を上回って正確に《魔石》だけを攻撃するなんて……」
「まあ、爆発したのはオレの技の効果だが、そんなことは結果であってどうでもいいだろ。ほら行くぞ」
日色はもう説明することは何もないと言わんばかりに踵を返して扉へと向かった。マルキスはそんな日色の背中をジッと見つめながら、
「……あの子、こんなにも強くなってるなんて……圧倒的じゃない」
日色の成長ぶりに驚愕した思いを表していた。初めて会った時からは想像もできないのだろう。あれからまだ一年も経っていないのだ。
まさに異常ともいうべきその成長速度に舌を巻く思い以上のものを彼女は感じているようだ。
「やっぱり……《文字使い》なのね」
含みのある言葉を残して、彼女は日色を追っていった。
※
日色が黒衣を瞬殺した頃、ある場所ではここでも二対一という状況が広がっていた。ただし両者間には敵意や殺意といった感情は流れていない。
二人の方は黒衣を身に纏い、背中に紋様を背負っている。つまりアヴォロスの直近であり、実力も並外れた者たちだということ。
その中の一人が、タバコを口に挟みながら紫煙を吐いて、懐かしげに声を発した。
「……老けたなぁ…………ジュドム」
二人の目前に立っている人物。それは消失した【ヴィクトリアス】のギルドマスターだった、ジュドム・ランカースである。
「お久しぶりです…………キルツさん」
そしてそのジュドムの視界に映っているのはキルツ・バジリックス。かつてジュドムが所属していた《平和の雫》というギルドパーティのリーダーであり、ジュドムが憧れた人物だ。
「ああ、こっちの子も紹介するぜ。俺の嫁のランコちゃんだ」
「だ、だだだ誰が嫁ですかっ!?」
キルツの明らかな冗談に、憤慨して怒鳴り声を上げるランコニス。
「キルツさん、女性をからかう癖、直ってないんですね」
「ハハハ、俺は俺だぜジュドム?」
「のようですな」
「ま、彼女はランコニス、俺の今のパートナーだ」
「今の……ですか」
「不満か? 俺だって本当なら今でも俺のパートナーはテンドクだって言いてえけどな」
「キルツさん……」
憂いを込めた瞳の輝きが、彼がかけているサングラスの奥で光る。その瞳を見て、ジュドムは目を細める。
「キルツさん、そこをどいちゃくれませんかね?」
「残念ながらそいつは叶わねえ相談だな。今の俺は魔王の手下だ」
至極不愉快そうに言葉を発してくるが、アヴォロスの縛りはやはり相当なものだと考えられる。誰よりも平和の意志が強かったキルツを傀儡にするとは生半可な力ではない。
「やっぱりやらなきゃならないんでしょうな」
「だな、ここはそういう場面だ」
右手でタバコをとって、ふ~っとタバコの煙を吐くキルツ。左手はポケットに突っ込んでいる。その立ち振る舞いは、ジュドムに過去をフラッシュバックさせる。
よく彼は今のような姿を皆の前で見せていた。飄々としているが、タバコの煙を吐く姿がとても絵になると、昔からジュドムは思っており、彼に憧れていたからこそタバコにも手を出したということもあった。
彼のように似合うかどうか分からないが、少しでも彼に近づきたいと思い、形から入った記憶が甦り思わず苦笑が浮ぶ。
「そういやジュドム、あの【シャイターン砲】を受けてよく助かったな。まあ、お前なら生きてるとは思ってたけどな」
「そうですな。あの時はさすがに死を覚悟しました。まだ国民たちの避難を終えてはいませんでしたから。ですがそこへアイツが助けに来てくれたんですよ」
「アイツ……?」
「ほら、覚えていませんか? 《平和の雫》が軌道に乗ってきはじめた頃、一人の少女が入りたいと言ってきたのを」
「…………おお! いたな、そんな奴!」
「けど危険だからと言って少女を追い返しました。あれからキルツさんは会う前に死んでしまいましたが、彼女は自らを鍛えて再び姿を見せたんですよ」
「ほう、そんなことがあったんかぁ」
昔を馳せるように遠い目をするジュドムとキルツ。
「強くなって帰ってきたんですよ彼女は。けどキルツさんが死んでしまって《平和の雫》が解散した後でしたから、彼女は大いに残念がってましたが」
「ハハハ、そんなにも《平和の雫》を気に入ってくれてたみてえだな。嬉しい話だ」
「今、彼女は人間界にいる冒険者の中で、三人だけのSSSランカーの一人になっています」
「おお~それはめでてえ話だ。そうかぁ……あん時の嬢ちゃんがなぁ……時は流れてるってわけだな。時を止めてる俺とはえれえ違いだな……ハハ」
彼が時を止めた理由はアヴォロスの仕業だということは分かっている。情報では彼のように自意識を持った死人は、自らの肉体を使用されている条件を持っている。
恐らく彼が死んだ時、アヴォロスがその遺体を持ち帰り魔法を施して手駒にしたのだろう。いつ甦ったのかは定かではないが、すぐにでもジュドムたちに連絡を取りたかったはずだ。だがそれをアヴォロスは許しはしなかっただろう。
何の目的も持てないただの生。それは彼にどれほどの苦痛を与えたのか想像もできない。またこうしてかつての戦友とともに殺し合いをしなければならないことも、胸が張り裂けるような思いだろう。
平和を心から愛する彼が、その平和を崩す側に立っている。今、彼の心は寸でのところで耐えているように思える。本来なら心が壊れても不思議ではないだろう。
だからこそ、そんな彼を縛り利用するアヴォロスにただならぬ憤りを感じるジュドム。
(今ここであの人を救えるとしたら、それは……)
彼を倒して解放することだけだ。ジュドムの身体から戦うべき意志が滲み出る。それを敏感に悟ったのか、キルツは苦笑を浮かべる。
「悪いなぁジュドム、割りの合わねえ役目を背負わせちまう」
「いえ、他の誰にもこの役目を譲ることはできません。テンドクさんからも……託されてます」
「ハハハ、アイツ、今はすっげえジジイになってんだろうなぁ。一度見て狂ったように笑ってやりたかったが……」
キルツはタバコを地面へと捨てる。
「じゃあジュドム、そろそろ始めるか」
「はい、覚悟……してもらいますよ」
「……ランコちゃん、下がってな。それと、手出しは無用だぜ」
「え……ですがキルツさん……」
不安気にランコニスが眉を寄せている。
「な~に、ちょっくら死んでくるだけだ」
「そんな……」
「ハハハ、そんな顔すんなっての。ランコちゃんのことはしっかり考えてあっからさ。だから大人しくそこで待ってな」
「キ、キルツさん……」
キルツは一歩前に出てジュドムと対面する。
「さってと~、ヒヨッ子だった時と比べさせてもらうぜジュドム?」
「はい。行きますよキルツさん」
かつて仲間同士だった二人の戦いの火蓋が落とされた。




