168:誘い
【ドーハスの橋】ではイオニスと黒衣を纏ったニッグの戦いが繰り広げられていた。とは言っても、ニッグそのものではなく、ニッグが《憑依魔法》で乗っ取ったモンスターとイオニスは対峙している。
モンスターの名はメガレッドグリズリーといって、その体長は最大で十メートルにもなるという巨躯の怪物である。特徴としては大木も一振りで破壊してしまうその剛腕と燃えるような真っ赤な毛に包まれている姿。
そして何よりも怖いのは爪から麻痺性の毒を生み出すことができることだ。Sランクに位置付けされているユニークモンスターでもある。
メガレッドグリズリーが見下ろすイオニスは、自身の膝ほどもない小さき存在。少し力を込めて弾けば即死しそうなほどか細いその身体。
しかしイオニスは自分の何倍もある怪物と相対して、微塵も恐怖を感じていない。それどころか、
「さっさと来るの」
挑発するくらいだ。メガレッドグリズリーがその巨体を動かして、彼女を踏みつけようと足を上げる。しかしゾンビ化しているせいで動きはやはり遅い。
「そんな動きじゃ、ダメなの」
イオニスは大地を蹴って空へと飛び上がる。そして自慢の武器であるヨーヨーの《回迅》を両手から放つ。
ウネウネとまるで意思を持っているかのように動き、メガレッドグリズリーの頭部に直撃する。骨が折れたような小気味の悪い音が響くが、やはりゾンビ、痛みを感じていないようでダメージを受けたのかどうかなど判断できない。
次にイオニスは地面に降りると地面にそっと触れる。そんなイオニスに隙を感じたのか、メガレッドグリズリーが手から鋭い爪を伸ばし、そこから毒々しい液体を出しながらイオニス目掛けて攻撃を繰り出してきた。
空気を力づくで斬り裂くような音を立てて凶刃がイオニスに向って来る。しかしイオニスは少しも焦っておらず、ただ一言、
「もう詰んでるの」
言葉の終わりに、突然メガレッドグリズリーの頭が地面に盛大な音を立ててめり込む。そしてメガレッドグリズリーの身体が、まるで地面に吸い寄せられているかのようにベタッと張り付きだした。
ギギギと身体を動かそうとしているが、まるで自分が毒で麻痺したように動かないメガレッドグリズリー。
「《磁気魔法》をたっぷりと堪能すればいいの」
彼女が使用したのは自身の持つユニーク魔法である《磁気魔法》。《回迅》に磁気を流し、相手の頭部にぶつけた時、その磁気を流した。
そして地面にも同じように磁気を流す。これで地面と相手の頭部は磁気で引き寄せ合う性質を持ったのだ。だから攻撃をしかけたメガレッドグリズリーは、まるで自分から地面に突っ込んだように頭をめり込ませてしまったのだ。
頭部に流れた磁気は次第に身体にも伝わっていき、全身が磁石のように地面と引っ付いたというわけだ。これがイオニスの魔法である。
横たわっているメガレッドグリズリーの身体から黒い影が出てくる。フードはもう取れてあり、その顔が頬がこけた三十代の弱々しい男だと判断できる。
その正体はニッグであり、無機質な表情を浮かべながら、今度はイオニスの方へ向かってきた。
何をするつもりか、それは一目瞭然だ。彼はモンスターではなく、今度はイオニスの身体を乗っ取ろうとしているのだ。
ニッグはその長い手を伸ばしてイオニスに触れようとした瞬間、
――ドガァッ!
彼もまた地面に盛大にめり込んだのだ。それでも必死に身体を起こそうと、イオニスに震えた腕を伸ばすが、イオニスはそんなニッグを冷ややかな目で見下ろし一言。
「だから言ったの。もう詰んでるって」
イオニスVSニッグの戦いは、イオニスの圧倒的勝利で幕を下ろした。
※
イオニスがニッグを撃破した頃、【ムーティヒの橋】でも《魔軍総隊長》であるラッシュバルと、《変性魔法》の使い手であるスーツォフとが火花を散らしていた。
スーツォフが得意とするのは魔法属性を任意で変化すること。恐らく彼もまたゾンビであり闇属性を備えているようで、魔法を放てば属性を闇に変えられ相手の力を増すことに繋がる。
故にスーツォフに向けて属性魔法を放つわけにはいかなくなった。本来なら魔法の得意な『魔人族』が不利な戦いを強いられるのだが、ラッシュバルの口角は楽しそうに上がっていた。
「さて、こうも早くコレのお披露目ができるとはな」
ラッシュバルの手に持たれているのは全体を布で覆われた長い物体。ラッシュバルはブンブンと頭を上で振り回すとガキンッとその長物の根元を地面に突き刺すように置く。
「さあ、暴れようか―――」
次第に覆われていた布が頭から取れてその正体が明らかになっていく。
「―――《キラージャベリン》」
彼の手元にあったのは、かつて『魔人族』と『獣人族』が雌雄を決した決闘の時に、彼が獣人のユーヒット相手に使用した武器だった。
しかしその時はユーヒットと引き分けのような形で終わり、戦っている最中に《キラージャベリン》を奪われてしまったのだ。
それは自分が未熟だったことで招いてしまった事実であり、彼は相手に返せとは一言も言わず諦めようとした。しかしユーヒットは一通り研究し終えれば必ず返すと約束してくれた。
その際にかなり不吉なことを言ってはいたが、こうして彼の家宝である一本の槍が帰って来たのである。
以前は黒を基調とした装飾が成されてあり、独特の波紋が描かれている柄と、翡翠と琥珀を混ぜたような黒刃を備えていた三叉だったが今は違う。
白を基調とした造りの中に、炎が渦巻いているかのような紋様が柄に刻まれている。しかも刀身は三叉ではあるが、三つの刃にそれぞれ大きな宝石が埋め込まれてある。右に青、左に緑、真ん中は赤だ。
明らかに以前と変化している槍を手にした時、無論ユーヒットに問い詰めた。しかし彼はにこやかに笑うと、
『その槍は進化しやがりましたのです! 言ったじゃないですか、興味が出たらパワーアップさせてお返しすると! ニョホホホ!』
家宝を改造したユーヒットには怒りを持ったが、試しに使ってみればラッシュバルは驚愕に包まれる経験をした。
ユーヒットの言ったパワーアップ。それが確実に成されていたことに驚きと感心、それに歓喜がラッシュバルを支配した。
この槍ならば、これから起こる戦争でも十分戦っていけると確信したのだ。
「我が戦槍を受けてみよ! はあっ!」
ラッシュバルは大きく槍を振りかぶり、スーツォフとの距離を詰めずにそのまま攻撃した。普通なら槍の長さが足りないので攻撃は届かないはずだが、槍の先から斬撃が飛ばされる。
スーツォフが横に跳んで避けるが、斬撃はそのまま背後のゾンビ兵たちを一掃していく。地面にも抉れた後がくっきりと残ってて、その威力が窺い知れる。
避けた反動で被っていたフードが取れてスーツォフの顔が露わになる。それまで彼がスーツォフだという証拠は使用する魔法だけだったが、確かに目の前の人物は目は真っ黒に染まり切り生気を感じさせない目をしているが、過去に犯罪者資料を見て知ったスーツォフの顔を宿していた。
『ウォタ族』のスーツォフ。彼は見た目こそ、青白い肌で両方のこめかみから出ている角が特徴の『ウォタ族』だが、彼の中には同じ『魔人族』の『ブルヒルデ族』の血が流れている。
その証拠に『ブルヒルデ族』の特徴として手の甲に骨で形成された刃が突き出ていた。《骨牙》と呼ばれるそれは、生まれてから少しずつ伸び続けて二十歳で成長が止まる。
長いものだと腕一本分くらいのものになる。しかも伸び縮みが自由なのだ。《骨牙》の硬度は凄まじく、岩でも貫き通す威力を備えている。
スーツォフが何故犯罪者リストに載っていたのかというと、彼は己の強さを示したいという利己的な欲求で同族を殺したからだ。
もう三百年以上前の話だが、当時の国主が討伐部隊を編成し、討ち取ったのだ。
「その時、討ち取ったのは我が父。スーツォフよ、悲しき亡者。再び黄泉へと送り返してやろう! この《キラージャベリン》でな!」
ラッシュバルは槍を振り回しながら間を詰める。そのまま槍をスーツォフ目掛けて振り下ろすが、カキンッと小気味の良い音が周囲に響く。
見ればスーツォフが両腕から出した《骨牙》をクロスさせて受け切っていたのだ。
「やるな、だが、むぅんっ!」
ラッシュバルは全身を震わせ力むと、スーツォフの足元の地面にヒビが入る。かなりの圧力が上からかかっている証拠だ。
しかしそのまま黙っていなかったスーツォフは身体を翻して、刃のように鋭く尖った《骨牙》をラッシュバルの胸に突き刺した。
ブシュッと身体を貫いた…………が、突然ラッシュバルの身体が水になって弾かれる。
「残念だったな」
今のはラッシュバルが魔法で作り出した水分身だった。スーツォフが気づかないほどの洗練された魔法だった。そして背後をとったラッシュバルはそのまま槍を横薙ぎに振り回す。
バキィッと下手な体勢で受けた報いか、《骨牙》にヒビが入った。しかしそれを悲しんだり悔しんだりする感情が無いスーツォフを見て、
「何と悲しき存在か……死してなお、その誇りを傷つけることになろうとは。ならばこの一撃で解放してやろう!」
ラッシュバルが槍を構えると、身体から青白い魔力が溢れ出てきて、それが槍へと集束していく。
「……風」
ラッシュバルが呟くと、刀身の左に埋め込まれた緑色の石から緑色の刃が伸び、
「……水」
右側から青色の刃、
「……火」
真ん中から赤い刃が伸びてきた。それはそれぞれ魔力で構成された刃であり、属性を持っている。その刃が一つに重なり、大きな刀身を持つ槍へと変化した。
「コレが新生の力、その名も《フォース・ランサー》モードだ!」
スーツォフは手を槍に向けて伸ばしているが、それを見たラッシュバルはクククと喉で笑う。
「無駄だ。この力は魔法ではない。冥土の土産に教えてやろう。これはあの胡散臭い研究者が造り上げた《化装器》というものだ! 故に、魔法の属性を変える貴様の力は通じん! 覚悟せよスーツォフ!」
ラッシュバルは両手で槍を構え突撃する。スーツォフもまたさらに《骨牙》を伸ばして突進していく。互いに距離を詰め、橋の上で二人は交差する。
一瞬の風切音が耳をつき、両者の呼吸音が止まる。大地が強く踏みしめたせいで軋み、鋭い凶刃がそれぞれの急所へと伸びていく。一直線に伸びる刃線が先に相手の喉元に辿り着いたのは
ゴロンと地面に転がる大きな物体。それは一つの頭。そして地面に立っているのは、槍を構えたままのラッシュバルと、本来あるべきはずのものを失ったスーツォフの身体だった。
「……私の勝ちだ」
ラッシュバルVSスーツォフの勝負に軍配が上がったのはラッシュバルだった。
※
それぞれの橋で始まった対決は、どちらも危なげなく《奇跡連合軍》が勝利を収めた。そしてその報告を受けたヴィクトリアス国軍では、
「へぇ、敵もやるじゃないか。ま、陛下の予想通りの結果でもあるけどな」
【ドーハスの橋】にいるカイナビだが、その顔には一切の焦りを見せていない。負けるであろうことはアヴォロスから聞いていたのだ。あくまでも敵の戦力を見るために放った駒に過ぎないとのこと。だから別段頭を抱えるようなことではない。
そんなことよりも頭を痛めるのは……。
「アッハハ! ほらみんなぁ! こうだよ! 見てごらん! こうして右手人差し指を立てて額にそっと触れ、そして上半身を反り返らせる! こうだよ! そう、そしてここが一番大事なことだからね! 残ったこの左手で天を仰ぐようにして向け、微かに傾けた顔、そしてこの流し目……ああ、麗しいぃ……何てすんばらしいポージィングなんだぁ~」
そんなことを返事もしないゾンビ兵相手に見せつけ講義を開いている相方のビジョニー・オルバーンの痛々しさだ。
怒りや呆れを通り越して切なくなってくるようなカイナビだった。二人は紋様黒衣であり、カイナビは薔薇の花のようなシルエット、ビジョニーは星のような紋様をそれぞれ背負っている。
「おいこらクソメン! 次の計画を行うっつってんだろうが! さっさと来い!」
「アッハハ! 相変わらず女性とも思えないほど醜く馬鹿デカい声量さ~! ならば教えよう! 麗しい声の出し方はまず腹式呼吸から!」
突然発声練習を始めたビジョニーに苛立ちを露わにするカイナビ。
「だ、誰が醜いだ誰が! ああもう! だからコイツとのコンビは願い下げなんだぁ!」
「素直じゃないねカイナビ~! あ、それともアレかい? 気になる人にはいつも冷たく当たる例の何とかデレかい?」
「いろいろ突っ込むとこがあり過ぎてもうめんどくさいっ!」
「アッハハ! 気楽に行こうじゃないかカイナビ~」
クルクルとその場で片足を上げながら回り始めたビジョニーには、もうさっさと要件を伝えた方が良いと判断したのか、カイナビが橋の上をビシッと指を差す。
「いいから聞け! これから陛下の言う通りここに罠張って、一網打尽にするぞ! アイツらに目に物を見せてやるんだよ!」
「ん~それはすんばらしいアイデアさ~! それじゃ、その仕掛けの成功を祝って一曲どうさ?」
「いらんわっ!」
カイナビは完全に無視して自分のやるべきことを行うために足を動かした。
※
【ムーティヒの橋】でもヴィクトリアス国軍側に動きがあった。まるでゴリラのような体躯と、いかつい顔つきで不機嫌そうに橋の上を睨んでいるのはイーラオーラである。
彼はかつて《クルーエル》だった男で、イヴェアムからこの橋の防衛を任されていた人物なのだ。しかしアヴォロスを支持する彼は、イヴェアムを裏切り、先の戦争では《クルーエル》の《序列六位》であるグレイアルドの命を奪い、《序列五位》のシュブラーズまでその手にかけようとした。
「ちっ、ラッシュバルの野郎が勝ちやがったぜ」
大きな口からは舌打ちが鳴らされ、大げさに肩を竦めているイーラオーラ。
「それも計画通りだ」
淡々と感情の起伏を感じさせない物言いをするのは、イーラオーラの隣にいるアビスである。彼は『闇の精霊』であり、一度シウバやリリィンとも邂逅している。
二人とも紋様黒衣であり、イーラオーラの背中には握り拳のような図、アビスには赤で一つの目が描かれてある。
「オイ、こっから先の計画はどうなってた?」
「覚えていないのか?」
「ねえから聞いてんだろうが」
「何故逆切れだ」
「いいから教えろよアビスゥ」
「はぁ、いいか、俺たちの目的は、ここで…………時間をかけることだ」
「ああ? そうだっけか?」
アビスは【ヴィクトリアス】がある方向に視線を泳がせる。
「ああ、奴らが到着するまでもたせることが俺たちの任務だ」
「はぁ~そんなめんどくせえことしねえで、全員ぶっ殺しゃいいじゃねえか」
明らかに相手を下に見ているイーラオーラからは自信しか伝わってこない。
「甘く見ないことだな。ラッシュバルは《魔軍総隊長》として次期との呼び声高い男だ。それに先程見せた力は脅威だ」
「はっ! あんなもん片手で一捻りだ!」
「それに、以前お前が逃したシュブラーズもいる」
「逃したんじゃねえ、逃がしてやったんだ!」
「まあ、そういうことにしておこう……む?」
その時、再度【ヴィクトリアス】に視線を向けるアビス。気になる存在にでも気づいた様子でジッと見つめている。
「どうしたよアビス?」
「……そうか、奴は向こうか」
「はあ? 奴ぅ?」
「…………まあいい。時間が経てば俺も行くことだしな」
「オイオイ、お前どこ行くつもりだ?」
「……やはりお前は、もう少し人の話を聞くべきだ。これから俺とお前はここで奴らの足止めをし、アレが到着したら俺一人で国へ戻る。お前は引き続きここで戦闘行動を行い、橋を攻略し、魔界へ侵入する。そのまま『魔人族』を蹂躙していけばいい」
「ほほう、なら好き勝手やっていいってことだな! グフフ!」
「……橋だけは壊すな。通行手段が限られてしまうからな」
「分かってらぁ! そんじゃ、暴れるぜぇ!」
イーラオーラはその大きな拳をボキボキと鳴らし意気込みを表せる。
※
二つの橋で戦闘が勃発した頃、日色はともに転移してきた者たちと【ヴィクトリアス】の街中にいた。
しかし転移してきて街の異変に誰もが気づいた。
「人が……いない?」
日色の呟き通り、街の中に一切の人気を感じないのだ。まるでゴーストタウンになったかのように静寂が街を包んでいた。
「どういうことだ? 事前の調べでは国民は何も知らずに生活していたはずだろ?」
リリィンは腕を組みながらその吊り上った目を細める。彼女の言う通り、前日の調査ではまるで戦争など起こる気配すら見せず、街でのほほんと暮らしていた情報を得ている。
恐らく国民たちは皆、何かしらの洗脳を受けているようで、世界情勢に気づかず淡々と日々を過ごしているとのことだった。
しかし現に、日色たちの目前に広がっているのはただただ生命のいないまるで絵の中の世界のようだ。
「おいジュドム・ランカース、貴様はこれからどうするつもりだ?」
リリィンが一緒に転移してきたジュドムに視線を送ると、彼もまたこの状況は予想外だったようで渋い顔を浮かべている。
「今、この人間界に点在する反乱軍の拠点にいる仲間たちが敵を退けながらここへ向かってるはずだ。奴らならこの状況の説明ができるかもしれねえが、待っている時間もねえ」
「ならばどうするのだ?」
「とにかく俺は取り返すものがあるんでな。あの城を目指すぜ」
ジュドムは王城を睨みつける。
「ヒイロ、貴様はどうする……って決まっているか」
日色もジュドムのように城を凝視している。言葉で言わなくてもリリィンには、そこに向かう気だということは伝わったらしい。
「お嬢様、我々はいかが致しますか?」
シウバが周りを警戒しながらも今後の動きに対して尋ねる。本来なら日色のサポートに徹して、敵の攻撃を引きつける役目をリリィンたちは負っている。
何故リリィンが戦争に積極的に参加しているのかというと、レオウードとの契約だからだ。レオウードが軍議を行うために【魔国・ハーオス】にやって来た時、時間が空いたレオウードがリリィンと【楽園】について少し話したいと言ってきた。
無論話題の中心は日色が以前話した【楽園】を築園するための土地の話だ。獣人界の【ヴァラール荒野】が最適の条件が整った土地なので、そこを譲れるかという話をしたのだ。
しかしその時はレオウードが出した答えは保留だった。内容は魅力的なものだが、早々簡単に一存で決断できないと王として保留という選択をした。
いずれリリィンと話し合って決めればいいと日色はその時言ったので、ちょうど少しの間時間ができたレオウードはリリィンとそのことについて話し合ったという。
そしてこの戦争が無事終わったあかつきには、その土地を譲渡してもいいという結果になったらしい。しかしその時リリィンに与えられた条件がある。
それは戦争に勝利するために力を貸すこと。アヴォロスが勝てば、【楽園】築園という夢も泡となって消えてしまう。だからこそ現実化するためにも力を貸せと言われたらしい。
だがリリィンもまたそこに条件を出した。自分がするのは日色のサポートだけだという。それを聞いたレオウードは目を丸くして、壊れたように笑ったようだが、どうやらその条件でお互い納得したようだ。
だからこそこうして日色にリリィンもついてきたのだが、敵どころか国民誰一人いない不気味な状態に、どう動けばいいか判断に迷っているようだ。
「なに、ワタシやお前がやることは変わらん。ヒイロが目的の相手に辿り着けるようにサポートするだけだ。シャモエたちも離れるなよ?」
「は、はいですぅ!」
「ク、クイィ~」
シャモエは緊張に声を震わせ、ミカヅキはそのシャモエに抱きついている。
「クゼル殿、我々二人でシャモエ殿たちを守りますぞ?」
「ええ、ですが……」
そこでクゼルが尋常ではないくらい顔を強張らせていたので、それに気づいた日色が「どうした?」と尋ねる。
「い、いえ、この肌がザワザワする感覚……まさか本当にヒイロさんが言ったようにあの者が……?」
「……さすがあの種族だな。アンタが感じるってことは、ここに居るんだな……あの野郎が」
「ちょっと待て、耳を澄ましてみろ!」
ジュドムが何かに気づいたように静かにしろと言ってきた。どうしたことかと皆も一瞬キョトンとしたが、彼の言った意味が実感できた。それは耳に微かに聞こえてくる地面を踏みしめる足音。
まだ遠くにいるようだが、どんどん音が大きくなっていく。そしてそれはこれから日色が向かおうとしている城の方向からしていた。
音とともに微かに大地も震えている。そして目の前に黒い塊がこちらへと向かって来ていた。それは人の集合体。まるで軍隊のように隊列を作り、規則正しく歩を進めていた。
「おいおい、アヴォロスめ、やりたい放題かよ!」
忌々しく愚痴のように言葉を漏らすジュドムの憤慨が伝わっていくる。それも理解できる。何故なら、こちらへ向って来る人の群れ。それは間違いなく――――――【ヴィクトリアス】の民たちなのだから。
目の前から近づいてくる国民たちは、ゾンビ兵のように表情を消してまるで無表情だ。ゾンビ兵と違って肌の色や雰囲気から生きているということは理解できるが、一点を見つめて日色たちの方へ向かって来る。その手にはそれぞれ凶器を備えている。
「あの目……催眠状態だな」
リリィンが面白くなさそうに鼻を鳴らす。しかし彼女が言ったことは間違いないだろう。あれだけの国民が全員催眠状態という異常な事態に普通は戸惑ってしまうが、最初から国民は操られているという情報を得ているのでそれほど慌ててはいない。
「まさかアヴォロスの奴、民たちを盾に俺らの行く手を阻むつもりか?」
ジュドムが舌打ち混じりに言うが、
「そんなことは最初から予想できたことだ。とりあえず、テンプレ魔王に思い知らせてやる」
ジリッと日色が皆の前に一歩出る。
「催眠状態だって言うんなら、そこから解放してやればいいだけだ」
日色の両手の人差し指に青白い光が灯る。見た感じ淡く弱々しい光景だが、そこに込められている魔力は多大なものがある。
ジュドムもゴクリと喉を鳴らして日色を見つめている。
「……何をするつもりだヒイロ?」
ジュドムが尋ねてくるが、それに答えたのはリリィンだ。
「いいから黙っていろ。奴の真骨頂をその目で確認するのだな」
「……?」
日色は不可思議そうに顔を歪めているジュドムを無視して歩いて来る国民たちに向かって走り始めた。
すると国民たちは日色の突進に反応して、突如として「おおォォォォォッ!」と叫びながら武器を振り回してきた。
建物の隙間からも次々とやって来る。まるで地面に落ちたアイスに群がる蟻だ。これだけの人数をいちいち相手にするのは厄介である。たとえ一人一人が強くなくとも、油断すれば袋叩きに遭う。
国民の中に突っ込んだ日色は、瞬時にして囲まれて逃げ道を失った……いや、まだ一つだけ逃げ道はあった。
それは空だ。日色は大きく跳び上がり建物の屋根の上に上がる。しかし驚くことにそこにも国民たちがいた。
手に持った鍬を日色の頭目掛けて振り下ろしてきた。サッと横に身体をずらして風切音が耳に届く。そのまま相手の腹を蹴り屋根から突き落とす。だが次々と屋根に上ってくる国民たちを見て、
「まるでホラーのようだな」
無機質な表情で追いかけてくる者たちを見て、昔観たホラー映画の内容を思い出し苦笑する。
「さて、それじゃ終わりにするか」
背後から男が棍棒で叩きつけようとしてくるが、日色はそのまま屋根を蹴って空へと跳び上がった。
『飛翔』
設置文字で用意しておいたその文字を使用し、空へと翔け上がる。
日色の両手の人差し指はいまだに光を失ってはいない。空から眼下に広がる国民たちをその目で視認していく。
『正常』と『国民』
目を覆うほどの光が日色を中心にして広がっていく。その光は下にいる国民たちも同時に包んでいく。
何も感じず呆然と目を開け続けていた国民たちの目に光が戻り、次々と眩しさに目を覆っていく。光が収まった後、自分たちが何故ここにいるんだという感じで困惑している国民たちを見下ろし、日色はこれで催眠から解放できたと思ったが、ふと気になったことがあった。
(……ホントに国民はコレだけか?)
上空から見下ろしている国民の数は確かに多い。数えることもできないほどだ。しかし国の規模からして数が少ないように思える。
一所に集中しているからそんな違和感を覚えるのだろうかとも思ったが、やはり何か引っ掛かりを覚えた。
すると足元から叫び声が聞こえてきた。
「おい、うちの子供知らねえか!」
「私のところもいないわ!」
「どこにいるのぉ! リースゥ!」
次々と子供の名前を響かせる大人たち。そこで日色もようやく気づいた。
(子供が……いない?)
視線を素早く動かして眼下を確認するが、どこを見ても大人たちばかりだ。これだけの人数の大人がいるのであれば、子供の相当数いるはずだ。
それなのに子供一人視界に映らない。
「どういうことだ……?」
何故子供がいないのか? アヴォロスがさすがに戦争に子供を参加させるのを渋ったのか?
(いや、そんな甘いことをする奴じゃない)
子供すらも自分の目的のためなら平気で捨て駒にできる奴だとイヴェアムからもアクウィナスからも聞いていた。そして実際に二人きりで話してみて、アヴォロスも正々堂々とはしないと言っていた。
「なら一体……」
その時、日色に大きな黒い塊が物凄い速さで向かってきた。感じる敵意に反応して、日色も飛んでくる方向に身体ごと向ける。
そのまま突っ込んで来るのかと思ったが、ピタリとその黒い物体は目の前で動きを止めた。
「……お前は……」
ギロリと黒い塊を日色は睨みつける。それは以前に出会ったことがある生物だった。そして辛酸を舐めさせられた相手でもある。
見た目は怪鳥であり、艶やかな黒い羽毛で覆われている存在。
「――――――ついて来るのだ」
その存在から声が聞こえて日色の眉がピクリと動かす。
「やはり話せたか」
相手が喋ることは《ステータス》を確認した時から分かっていた。初めて会った時は全く喋らず見下すように見てきていたのを覚えている。
「――――――アイツが呼んでいる」
黒鳥の誘いに日色は微かに笑みを浮かべると、
「いいだろう。少し待ってろ」
日色はそのまま身体の向きを変えるとリリィンたちがいる場所へ戻って行った。見るとジュドムが混乱している民たちを纏めているようだ。こういう時に頼りになる顔見知りがいるのはありがたい。王の代役だったのだから顔見知り程度ではないだろうが。
「どうしたヒイロ? あの存在は何だ?」
リリィンが黒鳥を凝視しながら聞いてきた。しかしこの中で一番顔色が悪いのは、
「ヒイロさん……やはりいたんですね」
クゼルだった。彼は苦いものを大量に口に入れたような顔をして空を見上げている。
「ああ、今から一戦やってくる」
「何? どういうことだ?」
当然リリィンはそう聞いてくるだろう。他の者も説明を望んでいるようだ。
「アイツがオレの食糧を奪った相手だ」
「…………つまり借りを返すってわけか」
「ああ、アイツと、もう一人の奴には報いを受けさせる」
「……ならワタシも行こう」
「は?」
突然の申し出に思わず口をポカンと開けてしまった。
「敵は少なくとも二人いるんだろう? それに誘いが罠とも限らん。貴様のサポートをすると決めた以上は、ワタシの名に懸けてそれを貫かせてもらう。反論は認めん」
有無を言わせない彼女の強い言葉に溜め息が漏れた。
「俺も……行く」
カミュがそれに続き、
「ボクも師匠についていくですぞぉ!」
ニッキも言葉を被せてくる。二人の忠義は認めるが、ゾロゾロと行ったところで戦うのは日色だけなのだから意味の無い同行になってしまう。
すると突如として近くに水溜まりが出現する。皆は瞬時に警戒態勢を整え距離を取る。
ジッと見つめていると、その水溜まりから何かが競り上がってくる。それは二人の人物。一人は……
「……ヒヨミ……」
カミュの因縁の相手である頬に大きな十字傷を持った男であるヒヨミだった。もう一人は黒衣に包まれていて素顔すら確認できない。その黒衣に包まれている人物が、
「ヒヨミ、さっさと終わらせろ」
それだけ言うとまた水の中に消えていった。水溜まりが全て消失すると、ヒヨミがその低い声を唸らせる。
「カミュ……と言ったな。相手をしてやる。ついて来い」
「…………ヒイロ」
少し不安気に日色を見るカミュだが、日色は小さく頷くと、
「行って来い。そして勝って来い」
「……うん」
力強くカミュは頷くと、再びヒヨミを睨むのだが、その彼の視線が奇妙なことにニッキに向けられていた。
「……お前は……?」
「ん? ボ、ボクですかな?」
「……どこかで見たな」
「そ、それはこの前の決闘ではないですかな?」
ヒヨミと会ったのはそこが初めて。少なくともニッキたちはそう思っているはずだ。
「……いや、お前…………なるほど、あの時の子供か」
「……え?」
「忘れたか? 俺とお前は前に一度会ってる。あの……美しい竹の丘でな」
衝撃がニッキの全身を突き抜けた。
「……え? ボクと会って……る?」
ニッキは目の前の黒衣を身に纏った強者の雰囲気を醸し出すヒヨミをジッと見つめている。ニッキがヒヨミの言葉に衝撃を受けたのは、何故ヒヨミがニッキの住んでいた場所を知っているのだということだった。会ってるという言葉よりもそっちの方が衝撃が大きかったようだ。
だがその言葉を聞いていた日色やリリィンはヒヨミがどういう存在であるか確実に把握していた。ニッキの家族を奪うことになった原因を作った黒衣の人物。
それとヒヨミが符合するのは黒衣であること。日色の脳内では彼がその人物であることはすでに明確だった。
いまだに勘違いしていそうなニッキの頭に軽くコンとノックするように叩くと、ニッキではなくヒヨミに対して言葉を放つ。
「なるほどな。お前がコイツの家族を奪ったクソ野郎ってわけだな」
「……っ!?」
日色を物凄い勢いで見上げるニッキ。そしてギギギとまるで油の切れかかったロボットのようにゆっくりと頭ごとヒヨミに向ける。
「あ、あの人が……イッキと母さんの……?」
「ああ、そうなんだろ?」
「言っている意味が分からんが、あそこにいたモンスターを利用して実験したのは事実だ。そしてその傍にはバンブーベア二体とそこの子供がいた」
「身形は今と同じか?」
「……? そうだが?」
もう間違いなかった。あの【バンブーヒル】に現れた黒衣は一人。そして彼が黒衣を着ている状態であそこへ行って、モンスターを使って実験をしたのだとしたら、答えは一つだった。
「お前がぁぁぁぁっ!」
突然ニッキの身体から物凄い量の魔力が放出し小規模の嵐を生む。そしてニッキはそのまま拳にその膨大な魔力を集束させて突っ込もうとするが、
――ゴツンッ!
「のわぁっ!」
完全に怒りで暴走しかけたニッキの頭の上に拳骨が落ちる。無論落としたのは傍にいた日色だ。
「のぉぉぉぉっ! な、何するんですかな師匠ぉぉぉっ!」
可愛らしい顔を歪ませ涙目で見上げてくる。日色は腕を組みながら溜め息混じりに言う。
「怒るのはいい。けどオレとの約束は守れ」
「…………」
「もう一度教えたことを言ってみろ」
「……仇を見つけたらボクが戦う」
「それと」
「怒りを持つのはいい。だが焦りは持つな」
「それと」
「勝つために努力すること」
「……最後に」
「……絶対死ぬな」
言葉を連ねている間、ニッキの表情から硬さが消えていく。どうやら少しは冷静になったようだ。
「そうだ。それにアイツが仇なのはお前一人じゃない」
「……カミュ殿」
「……うん、俺もアイツを倒すために頑張ってきた。ニッキも……同じなんだね?」
「はい……ですぞ」
本来ならヒヨミに『覗』の文字で《ステータス》を覗き見したいところなのだが、何故か彼らには通じない。だが、ヒヨミが只者ではないことは雰囲気で伝わってくる。しかもその存在感は、あのレオウードやジュドムに匹敵するほどだ。
「いいかお前ら、奴は強い。獣王レベルかもしれん。だからこそ、不服かもしれないが、お前ら二人で戦え」
「あの獣王殿と……」
「む……」
日色の見立てにニッキは戦ったことのあるレオウードのことを思い出し顔を引き締め、カミュは無表情の中にも目の奥はぎらつかせている。
「これは戦争だ。まさか一対一じゃないと相手にできないって言わないよな?」
「無論。誰が相手でも処理するだけだ。その相手が俺を憎んでいる者ならば尚更だ」
「話が分かって助かるな。そういうわけだ。お前らはアイツを倒せ。家族の……仇を討ってやれ」
日色のその言に二人は力強く頷きを返した。
「ならばついて来い。戦い易い場所へ導いてやろう」
ヒヨミはそのまま高く跳び上がり西の方へ向かって行った。
「ヒイロ……行ってくる。そばにいれなくて、ごめん」
「別にいい。さっさと倒して戻ってこればいいだけの話だからな」
「……うん。勝ったら……褒めてくれる?」
「は? ……とりあえず勝ってから言え」
「うん」
「ああ! ずるいですぞ! ボクも勝ったらご褒美ほしいですぞ!」
「だから勝ってから言え」
うんざりする二人の言葉に溜め息が漏れる。
「ククク、いいではないかヒイロ。確約することでモチベーションが上がるのなら、結構なことではないか」
「他人事だと思いやがって……」
ジッと上目遣いで日色を見つめてくる二人。大きく肺に溜まった息を出すと、
「分かった。勝ったらな」
すると二人はにんまりと笑みを溢す。カミュも普段とは違いかなり嬉しそうだ。
「お二人とも、御無理はなさらぬように」
「そ、そそそうですよ! 危険だったらいつでも逃げて下さいです!」
シウバとシャモエがそれぞれ言葉をかける。
「……ニッキ、まけたらだめだからね!」
ミカヅキは不安を誤魔化すように大声を張り上げた。
「任せるですぞ! 必ず勝って師匠にご褒美をもらうですぞ!」
「うん、絶対もらう」
二人の目からは凄まじい炎の揺らめきが感じられる。動機が不純だが、それでいいのか敵討ちはと日色は思わず嘆息する。
「行くよ、ニッキ」
「はいですぞ! では行ってくるですぞ!」
皆に見送られ、二人はヒヨミの後を追って行った。
「それじゃオレも行くか」
「違う。オレら……だろ?」
リリィンが突っ込んできた。
「……やはり来るのか?」
「当然だ!」
どうにも言って聞き分けるような性質ではないので、もう諦めて日色は自分がこれからすることにだけ集中しようと決めた。そして視線を上空にいる黒鳥に向けると、相手もその視線の意味に気づき、ついて来いと言わんばかりに動き出した。
「仕方無い、なら行くぞ」
日色はいまだに国民たちを統率しているジュドムに視線を送ると、向こうもここは任せておけというような意味合いを込めて頷く。
ジュドム一人はさすがに不安が残るが、あっちもこっちも手を出すわけにはいかない。日色は日色でやりたいことがあるので、そちらを優先することにする。
「ところでヒイロ、あの煩いサルは何故【ハーオス】に置いてきた?」
リリィンの言う通り、いつも日色の肩に乗っている精霊であるテンがここにはいないのだ。
「アイツには何か動きがあったら報せに戻って来いと言っておいた」
テンは日色の愛刀である《絶刀・ザンゲキ》と繋がっているので、日色がどこにいても刀のところへ転移してくることができる。ただ一方通行ではあるが。
「【ハーオス】で何かが起こると?」
「さあな、それを確かめるためにアイツを置いてきた」
「フン、だがいいのか? アイツ無しではその刀の力を思う存分発揮できないのではないか?」
「問題無い。そのために今まで修練してきた」
こういう場合も含めて自分自身の力で戦える術を獲得してきた。テンがいなくても十分に日色は力を手にしている。
「まあ、貴様が言うのならそれでいいが、遅れをとって死ぬようなら手は出すぞ」
「……珍しいな」
「む? 何がだ?」
「お前がそんなにも他人の命を気遣うなんてな。雨でも降るんじゃないか?」
「ほほう、ならば血の雨を降らせてやろうか?」
ギロリとその大きな瞳を鷹の目のように細め殺気を飛ばしてきた。そんな彼女から逃げるように日色は素早く足を動かして行った。