16:実食、ウシガニメニュー
ウィンカァの攻撃でウシガニは体を切断された結果、切断された部位を構成していたウシガニたちはバラバラになって地面へと落下していく。
しかもその落ちてきたウシガニたちも電光石火の勢いで槍の餌食にしていくウィンカァの姿は、本体である巨大ウシガニを愕然とさせているようだ。
それだけ彼女の動きがあまりにも予想外なものだったのだろう。途中ウシガニはそんなウィンカァに向かって水を放って攻撃するが、あっさりと槍で弾かれてしまう。
そんな彼女の姿を見て日色もまた感嘆の思いを宿していたが、せっかくの大物であるウシガニにはこの手でトドメを刺そうと考えている。
その方が経験値の足しにもなるし、自分が仕留めたものを食べるという充足感も得ることができるからだ。
「……どうせ食べるんだ。このまま料理してやるか。そういや、試してみたいこともあるしな」
日色は頬を緩めると同時に、今まで日色を覆っていた『防』で作った魔力の壁が消える。どうやら一分が経って効果が切れたようだ。
新しく指先に魔力を宿し文字を書いていく。
そしてそのまま大ウシガニに向けて真っ直ぐ駆け出す。
「おいアンテナ女、巻き込まれたくなかったら離れてろ!」
ウィンカァに対しそう言うと、日色はウシガニをジャンプ台に使い大きく跳び上がる。そして指先を大ウシガニに向けてそのまま文字を放つ。
飛ばされた文字を、大ウシガニに命中する前に発動すると、突然少し粘り気のある液体状に変化して大ウシガニに降り注いだ。
そのまま地面に降りた日色は、さらに新たな文字を書いていく。
「よし! 最後はこれだ! 燃えろ! 《文字魔法》!」
またも放たれた文字は、今度は大ウシガニに命中して、
――ボウッ!
命中したところから小さな火が生まれて、
――ボボボボボボボボボボボウッ!
一瞬にして大ウシガニを業火が包み込んだ。
まるで爆発したような炎の燃え方に、アノールドたちも唖然としている。
「ギギギィィィィィィッ!?」
ボタボタと崩れ落ちていく大ウシガニだが、落ちたウシガニにも炎は乗り移っている。
だが彼らは水で火を消そうと言う判断ができないのか、動き回るだけでやがて力尽きてバタバタと倒れていく。
そしてしばらくした後、泉の傍には数多くのウシガニたちが、香ばしいニオイを漂わせながら散在していたのである。
「よし、殲滅完了!」
日色は一人で頷いているが、無論アノールドたちは説明を欲しているかのように呆けていた。
生き残っていたウシガニたちも泉へと逃げ帰っている。もう十分狩ったのでわざわざ追いかけるまでもなかった。
頭の中でレベルアップの音も鳴ったので、さらに満足気な表情になる。
「い、一体どういう魔法なんだよお前のは……」
アノールドは頬を引き攣らせている。
同じように日色の魔法を知らなかったウィンカァが興味が湧いたのか、ジッと日色を見つめている。
「ヒイロ……火属性魔法使える?」
そうアノールドに聞いてみたウィンカァだが、アノールドは難しい顔をする。
「ん~、実は俺もよく知らねえんだよなぁ~。さっきのだって火属性って感じじゃねえ。変な文字みたいなものを放っただけだしな。ヒイロは魔法のこと喋らねえし。見たのもこれが初めてだ。でもまぁ、すっげえ魔法ってのには違いねえよ。魔力消費も半端ねえし、見たところ多分ユニーク魔法だろ? 喋りたくねえのは分かるからな」
ユニーク魔法はかなり強力な魔法だが、もし目立つことをして権力者たちの目に止まれば利用しようと近づいて来たりする可能性が高い。
だからこそユニーク魔法使いたちは、自分の魔法を大っぴらにしない者が多い。
「ヒイロ…………すごい」
魔法が使えないウィンカァにしてみれば魔法は未知のものであり興味対象でもあるようだ。
しかも日色はその中でも稀少なユニーク魔法使い。彼女の興味を惹かせるのは当然だったのかもしれない。
「なあヒイロ、お前今何やったんだ?」
「答える義務は無いな」
「はぁ、これだよ」
アノールドは肩を竦めながらやれやれと言った感じでウィンカァに顔を向ける。すると少し考え込むような仕草をしていた彼女が、
「ヒイロ……油使った?」
ウィンカァの言葉に思わず日色は眉をピクリと動かしてしまう。
今回、日色の戦略は至って簡単である。まず『油』の文字を使って大ウシガニ全体を油塗れにする。
そして『火』を使えばあっという間に火だるまにすることができる。そうすれば全体に攻撃できるし、バラけても火は消えない。そう考えた。そして見事成功した。
また以前なら『油』の文字を使って、効果が切れるまでは新しい文字は書けなかった。
しかし今回《多重書き解放》のお蔭で、油の効果を消すことなく続けて『火』の文字で追い打ちをかけることができた。試してみたいことというのはこのことだった。
ぶっつけ本番だったが、相乗効果とはこういう意味でもあるのだと確かめることができて幸運だった。
しかし気になるのはウィンカァの発言である。
こちらの世界では『油』という文字を書いてもウィンカァには読めるわけがない。漢字なのだから。なのに何故彼女は迷うことなく油と答えたのか内心では驚愕していた。
「油のニオイする」
鼻をヒクヒクと動かす彼女の言葉で納得した。
「そう言われれば油のニオイだなこりゃ」
アノールドも油だと感づいたようだ。確かに油のニオイを知っているのなら、日色が油を生み出したことは想像できるだろう。
「ていうか……よく気が付いたなウイ。俺でも気づけなかったのに……」
アノールドが不可思議な気持ちになるのも無理は無い。
今この場ではカニが焼かれた強烈なニオイで溢れているのだ。
その中から料理人であり、五感の鋭い獣人のアノールドよりも先に油のニオイを嗅ぎ分けるとは、純粋な獣人顔負けの芸当である。
ウィンカァは褒められたことが嬉しかったのか、「えっへん!」という感じで胸を張るが、無表情なのが少し残念である。しかし大きな胸はプルンと盛大に揺れた。
日色も感心したというより呆れた感じで肩を竦めているのをアノールドが見て、
「ん? 油ぁ~? つうかヒイロ、否定しねえってことはやっぱ油なんだな? おいおい、お前油まで生み出せんのかよ……どんだけだよホントまったくよぉ」
アノールドの驚きも当然のことだ。
「あ、いや待てよ、油かぁ……油ねぇ……ふむふむ」
日色は、明らかに何か良いことを思いついたようにほくそ笑んでいるアノールドの考えを読んでみた。
「残念だが、料理の時に油を出せとかは聞かないぞ?」
「はあ? な、何でだよ!」
「オレの魔法は確かに万能だが、それゆえに制限もある」
「せ、制限?」
「オレが出した油は一分で消える」
「……そうなのか?」
「たとえ油を利用して調理したとしても、一分経つと油があった存在そのものが消えるから、調理法としてはオススメじゃない」
つまり油を使って調理をしていたとしても、一分経てば油が無くなり、油の風味なども消え去るので、調理法としては扱い方が非常に難し過ぎるものなのだ。
「そっかぁ……油代が浮くと思ったのになぁ」
「まあ、火を点ける時の着火に利用する程度なら問題は無いが、調理法としては止めておけ」
アノールドは肩を落とし明らかに落胆している。
きゅるるるるるる……。
急にウィンカァの腹から可愛らしい警告音が鳴り響く。当然日色たちの視線はそちらに向く。
「お腹……減った」
ニオイに当てられたのか、ウィンカァは物欲しそうな表情でアノールドを見つめてくる。
「お? よ、よっしゃ! とにもかくにも獲物は手に入ったんだ! 今から俺がウシガニ料理を食わしてやる!」
「おお~」
ウィンカァは嬉しそうに拳を突き上げている。
「ミュア! 手伝ってくれ!」
「う、うん!」
近くまでやって来ていたミュアに声を掛けて、そこらへんで横たわっているウシガニの方へと歩を進めていく。
ウィンカァも手伝うみたいで、その細腕からは想像できないほどの怪力ぶりを発揮して、一人で何匹ものウシガニを持ち上げてアノールドの所へ持って行く。
日色はというと、その場で腰を下ろして静かに料理ができるのを待っていた。
「いやいや、手伝えよなぁ!」
アノールドの叫びを無視して一眠りをするつもりだ。木にもたれ目を閉じた。オレは十分働いた、後はお前の仕事だと言わんばかりの態度であった。
日色のそういう性格には、もう慣れたのかアノールドは愚痴を溢しながら、そしてミュアに慰められながらも料理を進めていった。
机などが無いため、大きな葉っぱを地面に敷き詰めてシート代わりにした。そしてその上にアノールドが作った料理の数々が並べられてある。
「さあ食え! 俺が何でここまで連れてきてまで食べてもらいたかったのかが理解できるはずだ!」
日色はさすが料理人だと思ってしまうほどの、料理の出来栄えに圧巻の思いを宿す。ウシガニが、こうも様々な料理に変化するとは、全く持って感心する。
見ればウィンカァも瞳を輝かせどれから食べようか迷っているようだった。
「《ウシガニソテー》に《ウシガニフライ》、《ナッツとカニのサラダ》に《ウシガニの甲羅蒸し》、その他いろいろだ!」
しかもあれだけのウシガニだったため、その量も半端無かった。
日色も唾液が流れ出てくるのを必死に押し留めて、まずは自分の目の前にある《ウシガニフライ》を手に持ち齧り付く。
「はむ……おっ!」
サクッとした食感と同時に口の中に濃厚なカニの味が広がる。しかもソースはカニ味噌で作ったもので、味噌なのにあっさりとした味でフライによく合った。
次は《ウシガニの甲羅蒸し》だが、これは蒸すことで甲羅ごと食べられるようになっているらしい。
一口齧ると、まるで小龍包を食べた時のように、中から熱いカニ汁が流れ出てきた。
火傷しそうな熱さだが、中にはカニの卵が入っており、プチプチした触感が堪らなく、手が止まらない。まさにカニ道楽といったところだ。
「どうだヒイロ?」
アノールドは笑みを浮かべながら聞いてくる。
「ああ、ホントに料理だけは認めざるを得ないな」
「ほっほっほぉ~、そうだろそうだろ~。まあ、だけっていうのは後で話し合うとして、さすがは俺!」
完全に有頂天になって笑っている顔がウザいが、今は気分が良いので無視する。それに確かに彼の作る料理はどれも自分が満足するものばかりなのだ。
「はむはむ……もぐもぐ……ごくごく……はむはむ」
まさに一心不乱とはこのことだ。ウィンカァなんかは、脇目も振らずに高速で手を動かし、料理を喉に流し込んでいる。頭の上のアンテナも嬉しいのかピョコピョコ動いている。
「あ、あの……ヒイロ……さん?」
「ん?」
気付けば、いつの間にか隣にミュアが来ていた。
その手にはコッペパンのような長めのパンがあった。中央に切れ目があり、その中にカニの身がギッシリ詰まっている。
「こ、こここれをどどどうぞぉ!」
そう言って突き出してきた。
「何だ? お前は食べないのか?」
「あ、その……これは……」
何やら頬を赤く染めてチラチラこちらを窺っているが、何とも要領を得なくて顔をしかめてしまう。するとアノールドが不機嫌混じりの声で言ってくる。
「けっ、それはミュアが作った《カニクリームパン》だよ…………羨ましい」
何でヒイロにだけ手渡しなんだよとグチグチ言いながら、自棄気味に料理を口に放り込んでいる。
「ほう、チビが作ったのか」
「あ、は、はい! ど、どうぞ!」
受け取り一口食べてみる。
「もぐもぐもぐ……んっ!?」
「ど、どどどうですか!?」
不安気に眉を寄せながら聞いてくる。
口を動かしカニクリームコロッケのような味がすると思った。だが見た目以上にカニがギッシリ詰まって美味かった。
「……そうだな。悪くないが、このパン、焼けばもっと美味いかもな」
「あ……そうですか」
少しシュンとなってしまうミュア。だが日色は手に持ったパンを残しはせずに全部口に入れる。
「ヒ、ヒイロさん!」
「だがまあ、味は美味かった」
ぺろぺろと自分の指についたクリームを舐めとりながら答える。その言葉にぱぁっと表情を明るくするミュア。
「そ、そうですか! えへへ! 次はもっと頑張ります!」
「ああ、期待してるぞ」
「はい! えへへ」
ミュアが可愛く微笑んでいる姿を見てアノールドは複雑な気分そうだ。愛しの娘が喜ぶのは嬉しい。だがその笑顔が男に向けられているのが気に食わないみたいだ。
「くそぅ…………ミュアはやらんぞミュアは!」
盛大な親バカっぷりを発揮しているアノールドだった。
ジー……。
「ふぇっ!? ウ、ウイさん!」
いつの間にか傍にウィンカァがやって来ていて、ジッと見つめていたのでミュアは驚いたようだ。
「……ウイも欲しい」
「え……あの……」
「パン……ちょうだい?」
コクンと首を傾けて言うウィンカァを見て、ようやく真意を理解できたミュアは慌てて、
「わ、分かりました! 今用意します!」
「ん……待ってる」
ミュアがウィンカァの分を取りに行っている間、アノールドは何気無い感じで食べながら話してきた。
「なあウイ、お前さんは何の種族なんだ?」
「……?」
「ああ悪い、また聞き方が悪かったみてえだな。えっとだな、お前さんは獣人のハーフだろ?」
「うん」
「その獣人の種族の話。つまりは親父さんの種族のことだ」
しかしウィンカァが答える前に日色が口を開く。
「何故そんなことを聞くんだ? 何かあるのか?」
「いやな、俺ってよ、こう見えても『犬人族』でよ。嗅覚には自信があるんだよな」
アノールドは、先程自分には気づけなかった油のニオイの話を持ち出してきた。
『犬人族』というのは優れた嗅覚を持っているため、ウィンカァが気づいて自分に気づけなかった理由を知りたいとのこと。
「なるほどな、プライドを傷つけられたってことか?」
「いやいや、そんな大げさなもんじゃねえよ! ただまあ、何となくウイの秘密が知りたかったというか……」
「おじさん……女の子の秘密……そんなに知りたいの?」
「へ? ミュ、ミュア……?」
手にウィンカァから頼まれていたパンを持っていたミュアだが、その手は小刻みに震えている。
自分の保護者であるアノールドがまさかそのようなことを言うとは考えたくなかったのだろう。
「ちょ、ちょっと違うぜミュア! かかかか勘違いすんなよっ! 俺はただな、ウイの親父さんの種族が気になっただけで!」
「へ? 種族?」
ミュアにも説明すると、彼女は本気で安堵したように胸に手を当てて息を漏らしていた。
しかしミュアはというと、すぐに不安そうな表情を作りアノールドの顔を見つめる。
「でもおじさん、ウイさんにも話したくないことがあるかもしれないよ?」
「…………そういや、そうだったな」
二人だけで会話が完結したような空気を出すが、
「種族……知らないよ?」
当の本人であるウィンカァは全く気にしていない様子だった。話を聞く限り彼女は父親の種族については何も聞かされていないらしい。
「そういや、親父さんと別れた時ってまだウイは幼かったんだよな」
「うん」
「で、でも気になりませんかウイさんは!」
「何が?」
「自分の中に流れる『獣人族』の血がです」
「ん~…………別に」
サバサバした彼女の性格に、アノールドとミュアの空笑いが響く中、日色は一つの話題を振る。
「だが嗅覚だけを見ればオッサンよりも上なんだろ? そういった種族は他にいないのか?」
「う~ん……一応現存してる種族の中では『犬人族』が一番のはずなんだよなぁ。まあ、『犬人族』の中でも、俺みたいな『青耳族』や、赤毛が特徴の『赤耳族』とかいろいろあるが、ウイは黄色だからなぁ。そんな『犬人族』は見たことねえけど、嗅覚が良いからウイも同族かと思ったんだよなぁ……」
ウィンカァを観察するようにアノールドは目を凝らして見つめてから首を傾ける。
「でもな~んか違う感じがするんだよなぁ」
「現存する種ってことは、昔はいたのか?」
「あ? まあそうだな。昔っつうよりは伝説になってる種族の中には、そりゃいただろうよ」
「ほう」
日色は知的好奇心が疼いたのか目を光らせている。
「《三大獣人種》って言ってな、今じゃもう幻獣扱いされてる血族なんだが、その中の一つにある『金狐』って種族なら『犬人族』よりも嗅覚は上だろうな」
「ほう、そんな種族がいるのか。初耳だな」
「まあ、あくまでも伝説だけどな。特に『金狐族』の中の『九尾』って呼ばれた人物は特に凄かったらしいぜ? 自由に獣化して、それこそ身の丈を山のように大きく変貌させたりできたらしいしな」
日色がいた日本でも『九尾』というのは特別な妖怪の一つとして語られていた。その力は強大であり、他の妖怪にも畏怖されるような存在だったらしい。
この世界でも『九尾』という名を持つ持つ者は、特別だったということだ。残念ながらもう絶滅してしまっていると聞くと落胆の思いは消せなかった。
日色はもう一つ気になったことがあったのでアノールドに尋ねる。
「獣化って……そんなことができるのか獣人は?」
「ん? まあ『九尾』の獣化は別格だな。普通はできねえ。それどころか、獣人の血を引く奴の中には、自分の中の獣の力をコントロールできずに暴走させちまう奴だっている」
「ほう、それはまた興味深い話だな」
「まあ、そうなったら後が大変だろうけどな」
遠い目をするアノールドを見て、それ以上追及はしない日色だった。何かそれにまつわる事件でも経験したのかもしれない。いずれ話すのを待った方が良いと判断した。
「あ、ところでウイさんのお話はもういいのおじさん?」
「ん? まあ、ウイの場合は何の種族か分からんが、特別ウイは生まれつき嗅覚が発達していたんだろうな。そういう奴もたまにゃいるし」
アノールドはウンウンと自分に言い聞かせるように頷いていた。