145:マルキス・ブルーノート
ジュドムたちの目前に現れた女性は誰か。
それはジュドムたちが城から逃げ出そうとしていた時、ファラを抱えたジュドムは満足に戦えずに亡者に囲まれた状況をどう打破しようかと悩んでいたのだが、その時に助けに来てくれた女性だった。
ダークブルーの髪をポニーテールに結っており、その美貌とスタイルは世の女性が羨み、男性が虜になるほどの魅力を備えている。そしてどこか気品も持ち合わせていることから、早々お近づきになれないほどの雰囲気を持つ。
助けてもらったお礼がしたいからと言って、一緒について来るようにジュドムは頼んだが、ファラが起きた時に会いに行くとだけ言って姿を消した。
ファラが起きた時と言っても、それがいつになるか分からないし、それにジュドムがこれから行く場所も知らないはずだ。
だが彼女はこうしてここに来た。しかもファラが目覚めたタイミングまでバッチリ。
「まずはおはようと言っておくわねファラ姫」
彼女がファラを見て軽く頭を下げた。
「その態度から、この娘が王女だってことは知ってる口ぶりだが?」
「ええ、知ってるわよ。私も【ヴィクトリアス】に住んでいるしね」
「国に? ……見たことないな」
実際これほどの美貌なら噂になってもおかしくはない。何十年国に住んでいて、情報に聡いジュドムが見聞きしていないことに警戒心が湧く。
「そう警戒しなくてもいいわよ。あなたたちを助けたのは…………まあ、気まぐれなんだから」
苦笑を浮かべて言う彼女にジュドムはさらに質問する。
「俺らを助けてくれたことには本当に感謝してる。だが一体全体お前さんは何者だ?」
「……そうね、名前を教えてあげてもいいけど、驚かないでくれるかしら?」
ジュドムはそう言われ、傍にいる老人とファラに目配せして軽く頷く。
「……分かった」
女性は肩を竦めると、腰に下げていた袋から一冊の本を出し、それをジュドムに手渡す。
「これは…………《ティンクルヴァイクルの冒険》じゃねえか」
「あ、わたくしも存じ上げていますの。小さい頃、お母様が寝る時に読んで下さいましたの」
「俺も若い頃に一度読んだ。何つうか悲しい物語だけどよ、妙に感情移入しちまったことを覚えてるなぁ」
「はい、書き手の想いがこう、胸の奥に伝わってくる素晴らしい本でしたの」
「確かにな」
ジュドムとファラが手放しに褒めていると、
「いや~、さすがにそこまで褒められると些か背中が痒くなるわね」
「……あ? 何言ってんだ? 俺たちが言ってんのはこの本を書いた作者のことだぞ?」
「ええ、だから照れるって言ってるのよ。だってそれ私の作品なんだし」
…………………………え?
「は、はあっ!? い、今何て言ったお前さん!?」
ジュドムは口をあんぐりと開けて尋ねるが、ファラもそして老人も幻でも見たかのように固まっている。
だが女性は微笑を崩すのを止めない。
「だから言ったでしょ。私がその本を書いたって」
「い、いやいやいやいや、お前さん何歳だよ! 俺が読んだのは十代の頃だぞ! つまり三十年以上前の話だ! そ、それにジイサンも昔読んだとか言ってたよな?」
ジュドムが老人に聞くと彼も小さく頷きを返す。
「まあのう、わしが読んだのは今から五十年以上前じゃわい」
「ほら見ろ! 幾ら何でもどこからどう見ても二十代のお前さんじゃ……」
そこでジュドムはハッとなって、女性を観察するようにジッと見つめる。
「……まさかお前さん、人間じゃねえのか?」
その言葉にファラは納得したような表情を作る。確かに人間よりも寿命の長い『獣人族』や『魔人族』なら考えられる。
「だが見た目は人間だ…………ハーフか?」
彼女の見た目からは獣人が持つ耳や尻尾も見当たらない。かといって『魔人族』のように耳が尖っているわけでも角や翼を持っているわけでもない。
だから人間と他種族とのハーフなのかと判断したのだ。それならばたとえ外見上『人間族』だとしても、寿命の長い種族の血を引いているのなら長命の理由がつく。
しかし彼女は首を横に振る。
「いいえ、私は正真正銘『人間族』よ」
「は?」
「ただ……」
「ん?」
「ただ…………少し毛色の違う人間ではあるけどね」
彼女が浮かべた微笑は、楽しいものでもなく、寂しく悲しい想いを含んで儚げだった。
「……ま、種族のことはいい。要するに長生きしてるってこったな」
簡単に踏み入ってはいけないと感じたジュドムは、それ以上種族については追及しなかった。
「……あなた、優しいのね」
ジュドムの気遣いを感じたのか、女性は優しそうな笑みを浮かべる。
「だがアレだぞ。どうやら年上のようだが、お前さんの見た目がそれだからな。敬語は勘弁してくれ」
「うふふ、いいわよ。許可します」
嬉しそうに笑う彼女は、どこにでもいる普通の女の子のように見えた。この背中に何を背負っているのか分からないが、それは自分が聞くべきことではないとジュドムは思った。
「改めて紹介するわね。私の名前はマルキス。マルキス・ブルーノート」
「ま、まさかこんなところで『顔無し作家』のマルキス殿にお目にかかれるとはのう……長生きはするもんじゃわい」
老人は手を合わせ拝んでいるが、
「ちょ、ちょっと止めてよね。私は神様じゃないんだし。そ、それにその二つ名で呼ぶのも止めて欲しいわ」
「それは仕方ねえんじゃねえか? 大体マルキスってのがどんな顔してるのか誰も知らねえんだし。何でもある本屋や図書館に寄贈された本が、増刷されて市場に出回ってるって聞いてるしよ」
「そ、それは別にお金儲けのために書いてるわけじゃないからよ。私の本が多くの人に読まれていることは嬉しいけど……」
「けどだからこそ誰が書いたか名前しか分からねえ。故に『顔無し作家』」
「う、うぅ……」
余程二つ名が嫌なのかガックリと肩を落とすマルキス。
「まあいい、ところでお前さん、あの時言ってたよな?」
「……あの時?」
「俺らを助けてくれた時だ」
「……ああ」
「まず俺たちを助けてくれたのが気まぐれってことは分かった。納得はしねえが、とりあえず置いておく。聞きてえのは、この場所が分かったことと、ファラが目覚めるのが今日だと知ってたことだ」
ジュドムは目を細めてマルキスに問うと、彼女はクスリと笑みを溢す。
「あら、ここへはすんなり通してくれたけど?」
「それは一応お前さんが来たら通せって部下に言ってたからだ」
「でしょうね。そうじゃなかったらこうも素直にここへ来れなかっただろうし」
一応だが、ジュドムは彼女の容姿を部下に伝え、この小屋の周りに待機している部下にその女性が来たら小屋へ通すようにと言っておいた。
「だからお前ら、もういいから仕事に戻れ」
ジュドムがそう言うと、マルキスが入って来た扉の向こうから慌てたような返事が聞こえて、どこか去って行くような足音も届く。
「ったく……」
「うふふ、当然よ。彼らは私のことを警戒して、ここまでついて来たんだから」
何かあれば一斉に踏み込む用意をしていたとはジュドムは言わない。
「さ~なぁ、ただお前さんみたいな美人とお近づきになりたかっただけかもしれねえぜ?」
「あら? それは光栄ね。かの『衝撃王』のお仲間にそう思われるなんて」
満更でも無いような顔をするマルキス。
「まあ、アイツらのことはいい。それより……」
「どうしてここが分かったか……でしょ? それはね、そちらのファラ姫の目覚めを予期していたから……で全て伝わるかしら?」
「…………意味が分からんが?」
ジュドムはサッパリと言った感じで首を傾げる。
「言葉の通りじゃわいジュドム」
老人が真っ直ぐマルキスを見つめながら口を開いた。
「ジイサン、どういう意味だ?」
「マルキス殿が言っておったじゃろう? 予期していたと」
「……おいおい、まさか……」
「そのまさかじゃわい。彼女は恐らく未来予知ができるんじゃわい」
衝撃的な言葉が紡ぎ出され、その場が沈黙に包まれる。
「…………未来予知ってそんな馬鹿な……っ」
そんな中、ジュドムは大げさに両手を上げるとそのまま肩を竦める。しかし老人の顔が真剣なので、冗談ではないことを知る。
「……おいジイサン、マジか?」
「そう考えれば辻褄が合うんじゃわい。確かに先に起こることを予期しているんじゃったら、ここにこの時間に来ることも容易いわい」
「そう言われればそうだが、まさか予知なんて……」
「確かに驚くべき能力じゃが、遥か昔、そういう能力を持った者がいなかったわけでもないわい」
「へぇ~、さすが物知りねご老人」
ジュドムはいまだ信じられずに顔をマルキスの方へと向ける。彼女は不敵そうに笑みを浮かべたままだ。
「……そうなのか?」
「そうね、まあ当たらずも遠からずってとこかしら?」
「どういうことだ?」
「私がここへ来れたのは、さっきも言った通り予期したから。けどあくまでも占いの結果であって、それは決して万能じゃないもの」
「占い? お前さん占い師なのか?」
「ああ、一応本業なんだけどね」
「作家じゃないのか?」
「だから別に本で儲けようとしてるわけじゃないって言ったでしょ? 本業は占い師よ」
「……だがお前さんみたいな占い師見たことが……」
するとボンッと煙が彼女を包み込む。
すかさずジュドムは警戒してファラの前に立つ。
煙が徐々に晴れていき、中からは真っ黒いローブに包まれた老婆が現れた。
そして彼女を見てジュドムは得心したように頷く。
「そっか……お前さんだったのか。よく街中で占いやってたな」
ジュドムは彼女がこの姿で道の隅で占いを行っていたことを思い出す。
そして彼女が再び煙に包まれると、元の美しい女性の姿へと戻った。
「ど、どっちが……」
「言っておくけど、若い方が本当だから」
少しきつい言い方がジュドムの耳に届き、強引にジュドムは頷かされた。
「けどなるほど、占いか……その占いでこの場所を見つけて、姫が目覚める時間を当てたってわけか?」
「そうよ。それくらいなら朝飯前だわ」
どうやら目の前の女性は相当の実力を持つ占い師のようだ。ジュドムも今まで占い師という人種には会ったことはあるが、どれもなかなか的中率が高い人物はいなかった。
それなのにマルキスは朝飯前だという。素晴らしい占い能力だと思い感心した。
「まあ、教えてくれたのはいいけどよ、これからお前さんはどうすんだ?」
「どういうことかしら?」
「俺らを助けてくれたってことは、国で何が起こったのか知ってるってことだ」
「…………」
「俺らが何者なのか知って、しかもこうして会いにまで来てる。何が狙いなんだ?」
「あら、彼女が起きたら私のことを説明するって言ったから来たのよ?」
「そんなことする必要がねえだろ? 馬鹿じゃない限り、今の俺らに接触を図る物好きはいねえはずだ」
先代魔王はジュドムを殺そうとしてきた。
そしてここにいるファラもまた今後狙われる恐れがある。
恐らく占いでそれを知っている彼女が、何故こうも自分という存在を明かす意味が分からなかったのだ。
マルキスもまたジュドムに警戒した言葉をぶつけられたせいか、しばらく口を閉じてジュドムと見つめ合っていた。
そしてマルキスが軽く息を吐いて、その血色の良い唇を開く。
「……そうね、確かに会いに来たのはただ自己紹介しに来たのでも、感謝をされに来たのでもないわ。忠告しに来たのよ」
「忠告だと?」
「ええ」
「……一体何だ?」
ジュドムだけでなくその場にいたファラも老人もジッと固唾を飲んで見守っている。
「……国は諦めなさい」
「なっ!? 何を馬鹿なことをっ! 国を乗っ取ったのが誰か知っているのか! 信じられねえのかもしれねえがあの先代魔王なんだぞ!」
「ええ、知ってるわ」
「ならこのまま放っておけば、必ず民たちが苦しむことが理解できるだろうが! 一刻も早く手を打って民たちの安全を確保しなければならねえんだ!」
ジュドムは民たちを思い、そのまま放置はできないと主張する。
親友であるルドルフがいない今、王の代理として国を纏め上げてきたジュドム。だからこそ魔王などに国を好き勝手にされるわけにはいかないと豪語する。
「気持ちは分かるわ。だけど相手が先代魔王だからこそ、手を出すのは諦めなさいと忠告してるのよ」
「俺に民を見捨てろってのか?」
声に怒気が混じりマルキスを威圧するように睨む。
「そ、そんなに睨まないでよ、苦しいわ……」
マルキスの顔が歪むのを視認し、ジュドムは慌てて表情を緩める。
「す、すまん、少しムキになっちまったようだ」
「い、いえ」
マルキスもホッとして胸を撫で下ろす。
「けどよ、国を、民を見捨てることなんてできねえ。あそこには大切なもんが山ほどあるんだ」
「…………無理よ」
「くっ……」
「ジュドム、幾らここにSSSランカーが二人いるといっても、相手は元魔王で、その配下たちの実力も底が知れないのよ?」
「それは分かって……ん? 今SSSランカーが二人って言ったな?」
「ええ言ったわ」
「……知ってたのか?」
「当然よ」
二人のやり取りを見ていたファラは話の内容についていけずキョトンとしてしまっている。だが気になったワードが出てきたようでファラが尋ねる。
「あ、あのジュドム様?」
「ん? 何だファラ?」
「ジュドム様は冒険者ランクでSSSランクですよね?」
「ああ、元だけどな」
「ですが今、マルキス様はSSSランカーが二人居ると仰いましたの。……まさかですけど……」
ファラはゆっくりとその視線を老人の方へ向ける。
「あら? もしかしてまだ紹介していなかったのかしら?」
マルキスがそう言うと、ジュドムと老人は苦笑を浮かべてしまう。
「ジュドム様?」
「ああ……何つうかな、その……こう見えてもジイサンはSSSランカーなんだわ」
「…………はい?」
「まあ、元じゃわい」
老人が元と口にしたとはいえ、認めたということはもう間違いでは無い。
「あ、あのそれでは……」
「紹介するぜファラ、ジイサンは俺と同じ元冒険者ランクSSSで、今はしがない薬師のテンドクってジイサンだ」
「テ、テンドク!? テ、テンドク様と言えば、世界を渡り歩き数々の病や傷を治してこられたという『大薬師』のテンドク様のことですの!」
「いや~照れちゃうわい。しかしじゃ、わしゃ今はもうただの薬師じゃわい」
「テンドク様……」
「さっきのスープの作り方もジイサンに教わったんだぞ。それに三日間看病してくれたのもジイサンだ」
「そ、そうだったんですの。それはご迷惑をおかけ致しましたですの。それと長きに渡って看病して頂き感謝しておりますの」
ファラは丁寧に頭を下げると、テンドクは優しげに微笑む。
「ひゃひゃひゃ、気にせんでもよろしいわい。この三日間、若い女子とともにいて年甲斐も無く胸の鼓動が早まって…………死ぬとこじゃったわい」
「だ、大丈夫なんですの!?」
「おいジイサン、ファラは素直なんだから冗談きかねえぞ?」
「冗談なんですの!?」
テンドクは悪びれる様子も無くにこやかに笑っている。からかわれたと思いファラは口を尖らせ、それを見て楽しそうに笑うジュドム。
「うふふ、楽しそうね」
マルキスは三人の温かな様子を感じ微笑んでいる。
「ジイサンは人をからかうの好きだからな。ところでマルキス、さっきの話の続きだが、確かに俺ら二人だけじゃ国を奪い返せねえが、俺にはまだ仲間がいる」
「……外にいた子たち?」
「ああ、他にも各地にいる部下を招集すりゃ、それなりの戦力を集結させることだってできる。これでもまだ足りねえってのか?」
「ええ、足りないわね」
ハッキリものを言う女性だ。思わず反射的に苦笑いを浮かべてしまうジュドム。
「あなた、アヴォロスと戦ったことは?」
「……直接はねえな」
「そう」
「けど、昔アイツの部下だったアクウィナスとはそれなりに戦えたぞ?」
「へぇ、あのアクウィナスと?」
「知ってるのか?」
「まあ、少しだけね。でもアクウィナスは『魔人族』の中でもまともな人種。良識派といっても言いわ。それは戦ったあなたが一番良く分かっているだろうけど」
「ああ、奴は汚ねえことはしねえ。真正面から戦う奴だ」
「だけどアヴォロスは違うわ」
「…………」
「どんな手段も講じてくるわよ。それこそ人質や罠など呼吸するよりも自然に仕掛けてくるわ。残酷で狡猾で…………相手取るには最悪な敵よ」
マルキスの言い分と、その苦々しい表情を見て、彼女もまたアヴォロスと浅くない因縁がありそうだとジュドムは感じた。
「…………なあマルキス、もし良かったら俺らと一緒に戦わねえか?」
「え?」
「もちろん戦うって言っても、実際にお前さんが誰かと拳でやりあえとか言わねえ。お前さんにも、取り返したいものがあんなら、お前さんなりの戦い方で立ち向かってみねえか?」
「ジュドム……」
「何を背負ってんのか分からねえが、少なくとも女がそんな悲しい顔するもんじゃねえ」
「……後悔するかもしれないわよ? とんでもない爆弾を抱えたと」
「おいおい、俺を甘く見るなよ? たかが爆弾付きの女一人背負えねえ男じゃねえぜ?」
「あなた…………うふふ、馬鹿な人ね」
どこかスッキリしたような表情を浮かべるマルキス。だが彼女は静かに首を横に振る。
「ありがとうジュドム。だけど私にはまだやらないといけないことがあるわ。ううん、あなたの言葉でそう思えるようになった」
「……そっか」
「……本当はね、あの時私はあなたたちを見捨てるつもりだったのよ」
三人は黙って彼女の話に耳を傾ける。
「……でも無理だった」
マルキスはファラの顔を見つめる。ファラもまた何故自分が見つめられているのか分からず小首を傾げている。
「あなたが……王女だから同情しちゃった」
「え?」
マルキスが浮かべた笑みは、とても消え入りそうで儚げだった。彼女はそのまま踵を返すと、
「ねえジュドム、最後に一つだけ忠告させて」
「……何だ?」
「……戦うのならある人を仲間に入れなさい」
「ある人?」
「ええ、人というより……少年かな」
「少年……」
「きっとあなたたちの力になってくれるはずよ。その少年なら……」
マルキスは扉を開けるとそのまま出て行こうとする。
「ま、待ってくれマルキス! その少年の名前は?」
ジュドムが慌てて尋ねると、マルキスは顔だけを横に向けてその少年の名前を口にした。