14:ハーフ
ミュアが率先して、ウィンカァから話を聞くことにした。
それによると、ウィンカァはこの『ロギ山岳』に、ある目的のためにやって来たのだが、食糧の入った袋をどこかで落としたらしく、空腹で彷徨っているところに強烈なニオイが鼻に入って来たという。
それは温泉のニオイだったのだが、彼女は何かの食べ物だと思って必死に足を動かしてニオイを辿った。
しかしそこで見たものはただの湯。絶望を感じた彼女はその場で力尽き、日色たちが見たように岩場から落ちてきたということだ。
「はむ……モグモグ……はむはむ」
今、その彼女はというと、アノールドが保存食用に確保していた食糧を脇目も振らず食べている。それにしても……だ。
「……な、何かカワイイ……ね?」
「あ、ああ」
彼女の食べている姿が、まるで小動物が必死に餌を食べている姿と重なるのだ。
ついついその癒しを与える姿にほんわかして和みながら、ミュアはアノールドと一緒に顔を緩めている。
そしてもう一人、日色はというと、彼女と同じように保存食である干し肉を齧っていた。彼女があまりにも美味しそうに食べているので、自分も食べたくなったようだ。
「コッチはコッチで……ふてぶてしく食べる奴だしな……まるで対極」
「そ、そうか……な?」
ミュアもそう感じているのだが、失礼なことは言わないでおこうと自重した。
しばらくするとウィンカァの方の食糧がなくなって、ジッとアノールドを物欲しそうな目で見つめてくる。
「う……いや、もうねえんだけど……」
ジー……。
「いや……だから……ね?」
ジー……。
「…………ミュア助けて!」
「えぇっ! わ、わたしだって何も持ってないよぉ! ヒイロさぁん!」
すると日色の手にはまだ干し肉があり、、皆がそれに注目する。
「……ん?」
日色もその視線に気づいたのか固まってしまう。特に誰よりも熱い視線を向けてきているウィンカァを見て、
「やらんぞ」
と断固として譲らない決意を表明した。
すると彼女がヒョコヒョコヒョコと日色の傍に向かう。それに構わず干し肉を噛んでいるが、その肉を穴が開くように見ている。非常に居心地が悪そうだ。
「おいアンテナ女、向こうへ行け」
「……ここいる」
「見られてると気が散る。だから向こうへ行け」
フルフルと断固拒否するように首を振る。
日色は鬱陶しそうに彼女の顔を見つめて彼女の強い意思を感じると、諦めたように肩を竦め、噛んでいた肉を口元から離して彼女に差し出した。
「……いいの?」
「ああ……」
可哀相に、日色はどうやら食べる気が失せてしまったようだ。
ウィンカァは日色の手をジッと見た後、口を開けて干し肉を口に放り込む。
アノールドは、あの日色が素直に食糧を手放すとはと思い驚いたようで目を見開いていた。ミュアも正直言って同じようなことは思ったが。
「あ……っ!?」
ミュアは小さく声を上げるが、それを聞いたアノールドは首を傾ける。
「ど、どうかしたか?」
「え? う、ううん! 何でも無いよ!」
ミュアは慌てて首を振り否定する。
だが心の中では、釈然としない思いが生まれていた。
(ヒ、ヒイロさんが噛んでたお肉……か、か、かかか間接キシュ……あぅ……)
アノールドと同じように、日色がウィンカァに肉をやったから驚いて声を上げたのではなく、日色とウィンカァが間接的にキスをしたことに驚いていたのだ。
日色もウィンカァも全く気にはしていない様子だが、どうにも胸がチクリと痛い。
思わず日色の口元に視線が向かうが、瞬間顔が物凄く熱くなる。
それに気づかれないように両手を頬に当てるが、それでもチラチラと目だけを動かして、彼が口を動かしている様子を見るが、心臓がドキドキと激しく脈動しているのを感じた。
※
実際のところ、自分の食糧をこうも簡単に譲る日色ではないのだが、譲った理由は幾つかある。
一つは、腹一杯にすると、これから獲得するであろう極上食材の料理が美味しく食べられないと思ったこと。
一つは、干し肉がそれほど美味くはなかったこと。
一つは、ウィンカァが邪気の無い存在に見えて、純粋な子供のような彼女に対し、意地悪をしている気分になったのだ。
ジッと見られるのも気分が良いものではないし、与えればそれから解放されると思えば、別段悩む選択ではなかった。
食べ終わったウィンカァがこちらを見つめてくる。
「美味しかった。ありがとヒイロ」
「それは良かったな」
日色がその場で立ち上がるのを見て、ウィンカァは首を傾げて尋ねてくる。
「……どこ行くの?」
「お前に関係無いだろ」
相変わらずの日色節なのだが、
「教えて?」
ウィンカァ節も日色に似て頑固のようだ。
アノールドに何とかしろ的な感じで視線を送る。だが答えたのはミュアだった。
「あ、え~っと……わたしたちはこの先に行くんですけど、ウイさんは一人旅なんですよね?」
「ん……人探してる。ここ来たのもその人が通ったって噂、聞いたから」
「人? 誰を探しているのか聞いてもいいですか?」
スッと立ち上がったウィンカァは、槍を皆に見せつけるように持ち上げる。かなり重いはずなのに、幼女のような少女が片手でいとも簡単に持つので違和感が強い。
「これ造った人」
「これって……確かによく見たらすっごく立派な槍ですよねぇ」
長さは軽く見積もって百八十センチくらいはある。
持ち手の柄の部分の装飾は赤と黒の斑模様で、刃物の部分は布を巻いてあるのでどんな形なのかは分からないが、槍自体は相当の人物が作ったであろう荘厳さも感じさせた。
また槍の根元には二十センチくらの長さの鎖が取り付けてあり、その先には分銅のような物もついていた。
「《万勝骨姫》って言う」
「ばんしょうこっき……何か変わった名前の槍ですね?」
「……そう?」
「だけど、そんな長い槍、持ち歩くの大変じゃないですか? それにとても重いですし」
「ウイは力持ちだから大丈夫。あと……これ小さくなる」
そう言うと、根元の鎖を引っ張る。
するとカチャンカチャンと、柄の部分が短くなっていく。そしてその分、鎖が長くなる。
どうやら中は空洞になっていて、その部分に三分割ほどされて収まっていくようだ。最終的に柄は五十センチほどになった。
ミュアは思わず「ほえ~」と感嘆している。
聞いたところ重さは変わらないし、鎖がジャラジャラしていて、持ち運ぶ時は柄に巻くしかないので物々しくなるとのことだ。
「その槍を造った人ってどんな人なんでしょうか?」
ミュアはこのような特殊な槍を造る人に興味が湧いたようだ。
すると彼女は槍を地面に置いて、両手を広げて頭の上に持って行く。
ピョコピョコ……ピョコピョコ……。
「こういった感じの人」
三人は時を止めたように固まる。それでもなお、ウイは頭にやった両手の指を折り曲げて先程のようにピョコピョコと動かす。
「も、もしかしてその人って獣人……ですか?」
「ん……こんな人」
どうやらそうらしいが、何故口で説明しないのか不思議に思い皆が首を傾ける。三人には理解できない彼女の世界があるようだった。
「と、いうことはウイさん、その槍を造った人、しかも獣人を探しているというわけなんですね?」
「ん……そゆこと」
だがそこでアノールドとミュアは少し険しい表情になる。そこで少し怯え始めたミュアに代わってアノールドが真剣な面持ちで口を開いた。
「……何で探してんだ?」
理由が聞きたいのだろう。何故なら彼女がその獣人を探し当てて何をするか分からなかったから。もしかすると、獣人をよく思わない人物の可能性でもあるのだ。
探し当てて殺す。アノールドはそんなことをするような連中をこれまでも何人も見てきていたし、日色もそういう連中の存在が世の中にいることを認識している。
だがウィンカァは無表情のまま、アノールドが呆気に取られる言葉を放つ。
「ととさん……だから」
「…………はい?」
さすがの日色も話の流れでその言葉が出てくるのは予想していなかった。アノールドのように声は出さなかったが、目を見開いて彼女を見つめてしまっている。
(ととさん? ととさんっていうのは父親のことだ……よな? ということは、コイツが探してるのは自分の父親であり、その父親が獣人? ならこのアンテナ女も獣人? しかし獣耳も無いし…………いや、血が繋がってないって可能性の方が高いか)
実際にそういう家族だって存在することをアノールドたちにも聞いていた。
結婚して家族になったとしても、子供とは血は繋がっていない。そういうケースもあるのだ。
だからウィンカァもそういう類の子供なのかと日色は推察した。
またアノールドも同様のことを考えていたのか、疑問を口に出す。
「なあウイ、その親父さんとは血が繋がってんのか?」
「……? 何でそんなこと聞くの?」
キョトンとした表情を作るが、確かにウィンカァにとっては不思議な質問かもしれない。
「あ、悪いな。ちょっと気になっただけなんだ」
「……別にいい。血は……繋がってるよ? だってウイは、ととさんとかかさんの子供だから」
その言葉の衝撃も凄いものだった。日色もアノールドも母方の連れ子だと半ば決めつけていたのだ。まさか獣人の血を引いているとは思ってもみなかった。
だがそう聞くと、おかしなこともある。
それは獣耳と尻尾の存在だ。見たところ彼女にはそれらしきものは見当たらない。
いや、もしかしたらアノールドのように耳を失った暗い過去があるのではと思い、聞いてもいいものかどうかアノールドも迷っているようだった。
「その割には獣人らしくないなお前」
そんな悩みも吹き飛ぶような、空気を読まない日色の発言。もし暗い過去があったらどうするんだと言わんばかりの視線をぶつけてくるアノールドだが、
「ん……ウイはかかさん似だから」
当の本人はあっさりと答えるのだった。
肩透かしをくらったようなアノールドだが、顎に手をやり何かを思いついたのか彼女に質問をぶつける。
「ウイ、お前さん……ハーフか?」
「はふ……? それって何? おいしい?」
彼女の耳にはハムのように聞こえて、食べ物だと勘違いしたようだ。若干目がキラキラしている。
…………どんな勘違いだ。
「い、いや……何かコッチの聞き方が悪かったみてえだ。えっとだな、ウイのかかさんは人間か?」
「そだよ」
あっさりと答えてくれた。
(なるほどな。人間と獣人のハーフってことか)
日色は自分一人で納得したように頷いている。
「そういうことか。つまりウイは獣人の血を引いてっけど、人間の血の方が濃いハーフなんだな」
「……?」
アノールドが確かめるように言うが、意味が分からないといった感じで頭を傾けるウィンカァ。
「おいオッサン、ハーフはどちらかに姿が偏るのか?」
日色の疑問はアノールドがしっかり説明してくれた。
ハーフというのは、言葉通り半分。つまり両親の種族がそれぞれ異なることを示している。
ウィンカァの場合、母親が人間で、父親が獣人のハーフ。だがハーフで生まれた子供の姿は、一方の種族に偏るらしい。
彼女のように見た目が完全に人間になる子供もいれば、獣人になる子供もいる。
ただハーフの場合、もし獣人ならアノールドやミュアのように、人間に獣耳や尻尾を付けただけの存在ではなく、体毛や輪郭まで、まるで獣のようになる場合が多いとのこと。
言葉として説明するならば、狼の獣耳と尻尾を持った人、ではなく、狼の顔そのものを宿した狼人間といった具合だろうか。
ハーフという存在は、この【イデア】では禁忌とされているらしい。
その理由として、ハーフは『人間族』や『魔人族』が扱う魔法を使えないのだ。また、元々魔法が使えない獣人が編み出した《化装術》も使えなくなる。
「けそうじゅつ?」
「あ? ヒイロは知らねえのか? 獣人は魔法が使えない代わりに《化装術》っつう力を使えるんだよ」
そう言えばと思い出した。確かアノールドたちの《ステータス》を確認した時、魔法の欄が《化装術》に変わっていた。
てっきり魔法の別名かと思っていたが、どうやら獣人にしか使えない技のようなものらしかった。
「獣人のハーフは、獣人が使う《化装術》も使えねえ。つまりはだ、それぞれの種族が当たり前に使用できるものを、ハーフは使用できねえんだ。だから異端の存在として禁忌とされてんだよ」
「なるほどな。ならこのアンテナ女は魔法も使えなければ、獣人の血を引いているのにその《化装術》も使えないってわけか」
「そうだ」
日色は再びウィンカァを見るが、今の話でどことなく雰囲気が変わるかなと思ってはいたが、本人にとってはどうでもいい話だったらしくあっけらかんとしていた。
「しっかし、ここで獣人の血を引く奴に出会うとはなぁ、なぁミュア?」
「そ、そうだね。驚きだね」
ミュアも相手が獣人の血を引くことが分かり、ウィンカァは獣人を傷つけない人だと分かってホッとしたのか先程までの怯えが消えていた。
するとウィンカァは三人の顔色を窺うような感じで見回している。アノールドもその様子に不自然さを感じたのか、
「どうかしたか?」
そう尋ねると、ウィンカァはほんの少しだけ寂しげな目を浮かべて言う。
「……怖く……ないの?」
「は? 何がだ?」
「だって……他の人にウイが獣人の血を引いてるって話すると怖がられる。お前はキンキだ、バケモンだって言われて」
ウィンカァの表情に陰りが生まれる。
彼女がそれまでどういう扱いを受けて聞いたのか分かるような表情だった。今回も、もし話して気味悪がられたら即時に去る決意をしていたのかもしれない。
あまり話すことに抵抗感が見られなかったのは、もう慣れてしまっている部分もあったからだろう。そういう対応に慣れるというのは悲しいことである。
するとアノールドは彼女の肩にポンと手を置くと、ニカッと笑いお尻を向ける。
「ほれ」
「……っ!?」
瞬間、彼女の目は大きく見開いた。何故なら突然アノールドのお尻からポンと尻尾が飛び出てきたからだ。正確にはズボンの隙間からだが。
「……獣人?」
「そうだ。俺とこっちのミュアは獣人なんだよ」
「は、はい!」
「だから、怖くなんてあるもんか。それによ、禁忌が何だよ。そんなもん、ただ魔法や《化装術》が使えねえってだけだろ? それにお前さんのどこがバケモンに見えんだよ!」
「う、うん! ウイさんは禁忌でもバケモンでもないよ!」
二人の必死の言葉を聞いて、心が温かくなる心地好さを感じているのか、安堵の表情が見える。そしてチラッと日色の方も見てきた。
「ん? 何だ?」
ジ~っと何かを待っているような感じで見つめるが、何を考えているのか分からず怪訝な表情を浮かべる。
「あ、ああっと……コイツも俺らと同じ……っつうか、俺らよりサバサバしててよ」
日色が答える気が無いと判断したのか、アノールドが代弁する。
「コイツ、俺らが獣人だって聞いて何て言ったと思う?」
「おい」
「聞きたいだろ?」
「おい」
「聞きたいよな?」
「おい」
日色は話を中断させようと何度も声を挟むが、完全にアノールドは無視してくる。確かに言われたところで別に困るようなことではないのだが。
「うん、聞きたい」
何故だか瞳をキラキラさせて期待をしているウィンカァを見て、少しだけだが恥ずかしいという感覚が過ぎる。
アノールドは彼女に日色と出会った時のことを教えた。
特に「種族の違いなんかより、飯の美味さや本の内容の方が普通大事だろ?」という言葉には笑いが止まらなかったということを口にすると、驚くことに今度は尊敬の眼差しでこちらを見つめてきた。
「はぁ、そんな話はどうでもいいだろ? というか、いつまでこんなとこにいるつもりだ?」
この話題からさっさと脱却して、腹を満たすために行動したいのだ。
日色の言葉を受けて、ウィンカァが三人の顔を見回す。
「ヒイロたち、これからどうするの?」
どうやら自分たちの行動に興味を持ち始めたようだ。
「わたしたちは山頂まで行くつもりなんです。そこにおいしい食材があるらしくて」
ミュアが情報を提供すると、ウィンカァのアンテナのように生えている髪が、フルフルと何かを受信したように反応して動いている。まるで獣の尻尾のようだ。
「……食べ物?」
その問いにはアノールドが答える。
「ああそうだ。ここの山頂には、長年雨水が溜まって作られた泉があるんだけどな、そこに生息してるウシガニを狩りに来たんだ」
「ウシガニ……おいしいの?」
「そりゃもう絶品だってえの! 牛のように巨大な体からは想像もできねえほど、一口食べると繊細で濃厚なカニの味が口一杯に広がる! それに殻は茹でると良い出汁が……って涎すげえなオイ!」
見るとウィンカァの口からは止めどなく、涎が滝のように流れ出ていた。
「……ジュル……食べたい」
「へ? あ、ああそっか? まあ別にウシガニを狩れるならウイのも調理してやるが……」
槍を手に、山頂に向けてビシッと指を差したウィンカァ。
「……行く!」
その瞳には一辺の迷いも濁りも無かった。ただあるのは純粋な食欲のみのようだ。しかもだ。
「おい何してる、さっさと行くぞ変態」
気が付くと日色はすでに山頂に向けていつの間にか歩き出していた。
「変態言うなコラァ! つうかその変わり身ぶりすげえなホントまったくよ!」
「アノールドは……変態?」
「ほら見ろぉ! ウイが勘違いしてんじゃねえかよぉ!」
「お、おじさん落ち着いて!」
ミュアはあわあわと宥めるように声を掛けるが、そこに日色が追い打ちをかけるように言う。
「いいから行くぞロリコン」
「なぁっ!?」
「…………小さい子……好き?」
「もう止めてぇぇぇぇぇぇっ!」
あまりにも純朴なウイの目が逆にアノールドの心を抉ったようだ。
ミュアはただただその光景に呆れたように嘆息しているだけだった。