10:獣人族
「……ふぅ、どうだった小僧? この肉は?」
アノールドの言葉に、目を閉じて余韻に浸っていた日色は微かに目を開け、生温かい息を小さく吐く。
「よくやったぞ、下僕ども」
「そうだろうそうだろう。何てったってこの肉はって誰が下僕だ誰が!」
「だから冗談だ。それとあまり騒ぐな。食後の気分が台無しになるだろうが」
「させてんのはてめえだろが!」
「あわわわわわ! ケ、ケンカしないでくださいぃ! おじさんも落ち着いてぇ!」
ミュアが戸惑いつつも注意をすると、アノールドは渋々といった感じで我慢する。
「ふん、まあいいか。ところで小僧、お前名前は?」
「先にそっちが名乗れよ」
「だからホントに偉そうだなてめえはよ! ったく、俺はアノールド・オーシャン。冒険者で料理人だ!」
「料理人? なるほどな、だからさっきの調理法を知ってたのか」
「まあな。世界各地を回って得た調理の知識だ。光栄だと思えよ?」
「そっちのチビは?」
「いや聞けよ人の話を!」
突っ込みを入れたところで、溜め息交じりにアノールドが続ける。
「その娘はミュア・カストレイア。旅先で……拾った。今は俺の娘だ」
少し間があったことが気になったが、聞くほどでもないと思った。
「よ、よろしくお願いしますっ!」
ミュアは日色の顔色を窺うようにチラチラと見てくるが、あまり気にせず口を開く。
「そうか、この世界では子供が落ちてるのか」
「落ちてるかよ! 何だその落し物感覚は!」
「違うのか?」
「ちっげえよ! この娘は、ある村でちょっとな」
それ以上は語れないという様子だ。ミュアも何故か悲しそうに目を伏せている。
(ワケありってことか。ま、興味は無いからいいが)
ドライな日色である。
「そんで? お前は?」
「何故名乗らなければならない?」
「はあ? お前何言っちゃってんの?」
本当に予想の斜め上を行く日色なので、アノールドは対処に困っている表情を浮かべている。
「冗談だ」
「冗談かよ!」
「オレはヒイロ・オカムラだ。冒険者で……読書家だ」
偽名でも名乗ろうかとも思ったが、見た感じ悪人ではなさそうなので本名を名乗った。それに今はかなり気分が良かったというのが、一番の理由かもしれない。
「何それ! 最後の完全に趣味だし!」
「……ふふ」
「お、やっぱミュアが笑った顔は可愛いなぁ~」
言われてミュアが照れたように頬を染める。アノールドの顔も気持ちが悪いくらいに蕩け出す。
そんなアノールドを、日色はジト目で見つめる。
「…………変態幼女趣味?」
「オイコラ待てオイッ! 今聞き捨てならねえ言葉を発しやがったな?」
「うぅ……わたし幼女じゃ……ないもん」
二人が怒りのベクトルを向けてくる。
「そうだそうだ! こう見えてもミュアは十二歳だ! 子供も生めるぜ!」
親指を立てて自慢するように言っている。
だがいいのか? 隣の幼女が物凄い視線で睨んでいるが。
「そ、そんな恥ずかしいこと言っちゃダメッ!」
頬を膨らませて怒気混じりに注意する彼女を見て日色は思うことがあった。
「……さっきから気にはなっていたが、初めて会った時とはまるで雰囲気が違うな」
てっきり活発とは程遠い、物静かで怒ることなどしない子供だと思っていた。それが戦いが終わってみれば快活に喋り、表情もかなり豊かである。
「あ? ミュアのことか? そりゃそうだろ、飯泥棒で目つきが悪い、態度が悪い、凶悪そうな野郎が現れれば、可愛いミュアじゃなくても尻込みするってもんだぜ」
「よし、どうやら刀の錆になりたいらしいな?」
「けっ! やれるもんならやってみやがれ! 俺はミュアを守るためならたとえウンコでも食ってやるぜ?」
「…………それは人として終わってるだろう」
ミュアも複雑そうな表情をして困っている。いや、明らかにドン引きしているようだ。
「はん! それくらい大事ってこった!」
ワハハと豪快に笑う彼だが、ミュアが声を掛けてきた。
「あ、あの……さ、さっきは助けてくれて、ありがとうございました!」
「む? 気にするな。見返りも貰ったしな」
ミュアは日色の言葉を聞いて、ようやく感謝できたことで安心しているのか、ホッと胸を撫で下ろしている。それでもまだほんの微かだが怯えの色が瞳の奥には見えるのだが。
「それにお前が作ったソースもなかなかに美味かった」
「……え? ほ、ほんとですか?」
「オレは美味いものは美味いと言う。やるな、お前」
「ふぇ……あああのあのあの……その…………ありがとう……ごじゃいましゅ」
噛んだのは分かったが、別に突っ込むようなことでもないと思ったので無視した。
だが日色の言葉で頬を赤らめているミュアを見たアノールドの顔が若干不機嫌になる。
それでもミュアは褒められて嬉しそうなので、言及することを我慢しているようだ。
「ところでヒイロ、聞きてえことがあんだが」
「オレの能力については一切何も話さないぞ」
「うぐ……」
やはりそのことだったかと先に手を打った。
「け、けどよぉ、あんな魔法見たこともねえ。剣を伸ばすなんて魔法はな」
「剣じゃない。刀だ」
「そういや、それって刀だよな? しかもなかなかの業物っぽいし」
「業物か知らんが、使い易さは抜群だな」
「ふ~ん、それでさっきの……」
「魔法については教えんぞ?」
「何でだよぉ! いいじゃねえか! こうして肉も食わせてやったろ!」
「それの対価は戦闘参加だろ? もう終わった話だ」
「うぐぐ……」
取りつく島もないとはまさにこのことである。
「というかだ、よくそんなに他人のことが気になるな?」
「あ? まあ、曲がりなりにもこうして一緒に食事した仲だしな。それに悪い奴でもねえみてえだし」
「そんなことどうして分かる。オレは一応人間だ。そこの『獣人族』のチビを襲うかもしれないぞ?」
「―――――っ!?」
瞬間ミュアは顔を青ざめさせて思わず帽子を両手で押さえ、アノールドは剣に手を掛ける。
その顔には明らかな敵意を孕ませていた。
だが日色は慌てることもなく黙然としているだけだ。
「な、何のことだ?」
「その反応だけで十分だ」
アノールドの反応が、日色の言ったことが正解だと教えている。
「く…………何で分かった?」
「……ん」
指をある場所へと向ける。
そこには―――――――――ミュアのお尻があった。
「き、貴様ぁ! ミュアをいかがわしい目で見てたのかゴルァッ!」
盛大な勘違いをしているようなので、仕方無く教えることにした。
「よく見てみろ、さっきからウネウネと動いてるぞ…………尻尾が」
「へ?」
今度はミュアが驚く番だった。慌てて自分のお尻を確認する。そしてハッと息を飲む。
フリフリフリと、銀色の毛に覆われたフサフサ尻尾がスカートの中から顔を覗かせていたからだろう。
「お、おいミュア……」
アノールドも固まってしまっている。
「ご、ごっごごごごめんなさいぃ!」
どうやら肉のあまりの美味さについつい気持ちが緩んで、服の中に隠していた尻尾を出してしまったようだ。
「尻尾は『獣人族』の象徴の一つだろ? それにその頭に被ってるやつ、それはもう一つの象徴である獣耳を隠すためじゃないのか?」
「…………確かにこの娘は『獣人族』だ。けどミュアは……俺たちは何も悪いことなんかしてねえ! だから誰にも言わないでくれ!」
真剣な表情で懇願してきた。
日色はただジッとアノールドを見つめている。
日色が獣人を排斥するような人物かもしれないと思っているのか、瞬間的に顔を真っ青にしたアノールドは、すぐさま剣を抜けるように身構えている……が、それも無駄になる。
「言う? 何でオレが? チビが人間だろうが獣人だろうが、オレには何の興味も無い」
「……は?」
二人はポカンとなる。
「大体種族の違いだけで、そこに生きてるのは変わらんだろ?」
「お、お前……」
「そんなことをいちいち気にするより、オレは本でも読んでた方がずっと生産的だと思うがな。種族の違いなんかより、飯の美味さや本の内容の方が普通大事だろ?」
何を馬鹿なことを、という感じで言う日色を見て、アノールドは大笑いをする。
「……ハ……ハハ……ハーッハッハッハッハ! お前面白え奴だなヒイロよ!」
「オレを見て笑うな、刺すぞ?」
他人を笑うのは得意だが、笑われるのは腹が立つ日色だった。
アノールドは日色の言葉を無視して、自分の膝をパンパンと叩いて笑う。
「いやいや、そうかそうか。そうだよな、お前みたいな奴も中にはいるんだよなぁ」
そう言うとアノールドは何を思ったか尻を向けてくる。
「……何の真似だ?」
急に顔の前に尻を向けてきたので頬を引き攣らせる。やはり一度刺そうかと本気で悩む。
「ま、見てろって」
すると服をたくし上げて、そこからニョロッと尻尾が出てきた。日色は少し目を見開く。
「……お前もそうだったのか?」
「おう、俺は、俺たちは『獣人族』だ!」
話を聞いてみれば、彼らはこの先の国境を越え、『獣人族』の大陸へと帰るところらしい。
だがここは『人間族』の大陸なので、今の世界情勢の中、自分たちの正体を知られると、間違いなく災いを呼び込んでしまう。
『魔人族』相手よりは理解があるので、即座に殺されたりとかはないだろうが、それでも皆の目を引きつけてしまうのは否めない。
それに過激派だって中にはいる。そんな連中を嫌というほどアノールドは見てきた。だからこそ正体を隠し、人間を装っているのだ。
日色はそこで、アノールドが獣人だとしたらあるものが無いと思い、彼の頭をチラリと見る。その視線に気づいたアノールドは短く笑い口を開く。
「どうして獣耳が無い……か?」
そう、彼は被り物はしていない。それなのに獣耳が見当たらない。それどころか人間のような耳がついている。だから完全に『人間族』だと思っていた。
「知りてえか?」
「別に」
「そうかそうか、そんなに知りたいなら教えてやる」
「いや、聞いてないが?」
「まあまあ、いいだろ? それに……お前にも、というより『人間族』に全く関係ねえ話でもねえしさ」
その言葉を受け、何も返答を返さないうちにアノールドは話す。
「これはだな……奪われたんだよ」
「奪われた?」
「ああ、俺は元奴隷だからな」
奴隷制度。それは主に人間が獣人を虐げるために作られた制度である。ほとんどが幼い獣人を誘拐し、『魔錠紋』という紋章を体に刻む。
それは逃亡、反逆防止の証であり、もし企て実行した者は、体の魔力に反応させて激痛を与えるものである。
遥か昔、獣人がまだ国を持たず、力も地位も権力も無かった時代に、人間の家畜奴隷として、多くの獣人が人間に奴隷化させられたのだ。
今は奴隷制度自体は無くなっているのだが、裏社会ではいまだに息づいていて、奴隷市場なども開かれているという。
アノールドもその被害者であり、奴隷として買われた先で、人間に耳を引き千切られたらしい。
その時、たまたま虫の居所が悪かったというだけで、彼は獣人の誇りである耳を永遠に奪われたのだ。
「そういうことか」
「俺は何とかして『魔錠紋』を消して、逃げ出したってわけだ。あ、ちなみにこの人間の耳は作りものだぜ? ほれ、本物にしか見えねえだろ?」
確かに見た目からは本物の耳にしか見えない。彼が言うには知り合いに作ってもらったというが、確かに獣人という種族を隠すには、良い隠れ蓑になる。
「それは簡単に消せるものなのか?」
「いや、主以外は消せないはずだ。けど主が死ねば自動的に消える」
「それじゃオッサン……」
「ああ、俺自らは手を出せなかったが、俺の、いや俺たち奴隷の処遇を知った人物がいてな。その人が助けてくれた」
主が死んだことで、晴れてアノールドは自由の身となったのだ。その話を聞いているミュアも、シュンとなって悲しそうな表情をしている。
「まあ、それで晴れてフリーダムになった俺は、世界を旅してなりたかった料理人になったってわけだ! どうだぁ! 輝いてるだろっ!」
「輝いてるかどうか知らんが、そうか、それはなかなかにハードな人生を送ってるな。普通なら人間を見て恐怖してもおかしくないはずだが?」
こうやって日色と話していること自体が不思議だ。
アノールドは自嘲するようにフッと笑みを見せた。
「そんなもん、もうとっくの昔に通り過ぎちまったよ。それに、俺を助けてくれたのも人間だったしな」
「オレだったら、間違いなく復讐するだろうな。あの手この手でな……」
日色の背後からドス黒いオーラが漂ってくる。
「こ、怖えなお前……フフン、それでもまあ、俺は今が幸せだからそれでいいんだけどよぉ」
ミュアの頭を撫でながら言う。彼女も気持ち良さそうに目を細めている。
「そういやヒイロ、お前は何でこんなトコに? 何かのクエストか?」
「答えるぎ――」
「義務は無いとかは止めろよ。せめてそれくらい教えてくれたっていいだろ?」
別に話しても実害は無いと思うが、話す理由もこれまたない。ただのアノールドの好奇心だろうし。アノールドだけではなく、ミュアも聞きたいのかジッと見つめてくる。
しばらく沈黙が続くが、根負けしたように日色は溜め息を漏らす。
「…………はぁ、オレの目的は――――」