帰ってきた父親
お客さんのいない店の中。夕方の営業は六時からなので、入口には「休憩中」という札をかけている。
六人掛けの広いテーブルに、お母さんとレオ。向かいにオムライスをさも美味しそうに書き込む男・・・父親が座っている。
私のオムライスだったのに・・・・・。
眉間に皺を寄せてあさっての方向を睨み付けながら、私は一人離れた場所に不貞腐れて座っていた。
家にいるおじいちゃんの所に戻ろうと思ったけれど、お母さんにここにいるように言われてしまったからだ。
「あー美味しかった!!やっぱり美和子さんのご飯が一番おいしいね」
にこにこと笑いながらスプーンを置く。結局二人分があいつのお腹に入ったということだ。
しかも口元にご飯粒がついている。
子供か!!
「まあ。でもあっちでも美味しい物たくさん食べてたんでしょう?」
「そんなことは無いよー。発掘してる場所なんてお店なんて無いしね。むしろ君のご飯が世界一美味しいと改めて実感したよ」
「ふふ、お世辞でも嬉しいわ、創平さん」
「お世辞じゃないよ」
どっかよそでやれバカップル。
仲が良いのは良いことなのかもしれないけれど、私は素直にそれを喜べないし、喜ぶ気も無い。
「あ、それで君は誰だい?」
今更かい!!
二人の世界に入りかけていたけれど、ようやくと言った感じであいつがレオの方に意識を向けた。
「この方はレオ・ルーデンス君よ。雛子の学校に留学生として来てるらしくて、今回一般家庭にホームステイと言う形でウチに泊まってるの。折角だからお店の方も手伝ってもらってるのよ」
「初めまして、レオ・ルーデンスです。こちらにお世話になってます」
「ご丁寧にどうも!レオ君と呼ばせてもらうよ。僕は小鳥遊創平。美和子さんの夫で雛子の父親だよ。いやー礼儀正しいね!背が高いね!男前だね!!モデルでもやってるのかい?」
さ、騒がしい・・・。相変わらず一人にぎやかな人間だ。
「創平さん、そんなに立て続けに喋るとレオ君が驚いてしまうわ。」
「あ、ごめんごめん。久しぶりに家族に会えたんでテンションがすっかり上がってしまってね。ごめんよ、レオ君」
「いえ・・・」
元々口数は多くないレオだし、めったなことで驚く人間では無いけれど、さすがに私の父親の突然の出現に少々驚いているようだ。
それはそうだ。
私はレオに一度も父親の話をしたことは無い。
私が何も言わないので、レオも聞いてきたことも無い。
恐らく父親は居ないと思われていただろう。
お母さんには悪いけれど、私はあの男を父親とは思いたくない。
「失礼ですが、お聞きしても?」
レオが一瞬私を伺うように見たけれど、私はむくれて視線を外へと向けたままだった。
「なんだい?あ、美和子さん、コーヒーおかわりくれるかな」
コーヒーを淹れにお母さんは席を立って調理場へと引っ込んでいった。
「創平さんは、普段はこちらにいないようですがどこに・・・?」
「あれ、雛子から聞いてない?僕は考古学者だよ」
私の父親はとある大学に研究室を持つ考古学者で、世界中の至る所を飛び回って遺跡の発掘を行っている。
多くのよくわからない文献を読み、新しい遺跡が見つかるかもしれないということを聞くとすぐにその場所へと向かう。
一度研究を始めると寝食も忘れ、ただ一つのことに没頭して周りのことも自分のことも見えなくなってしまう。
それが小鳥遊創平という男だった。
「今はエジプトの砂漠でずっと発掘してたんだけどね。どうしても日本に戻らないといけない用事が出来たから久しぶりに戻って来たんだ。でもすぐあっちに戻らないといけないけどね」
「学者なんですか。それで家にはあまりいないんですね」
「そうなんだ。発掘はロマンだよ!過去の偉人たちがどんなことを考えていたのか。どんなふうに生活していたのか。遠い過去の歴史を知り、新しい事実を発見したときの感動といったら、言葉にもできないくらいだよ!!」
生き生きと語る父親の声がうっとおしい。
窓に映る自分を見やると、眉間に深い皺ができているのが分かった。
「創平さん、折角一年ぶりに帰って来たのに暫くゆっくりはしていけないの?」
お母さんがコーヒーをお盆に乗せて調理場から出てきた。
「ごめんね、美和子さん。発掘が佳境なんだ・・・今発掘している場所で、もしかしたら新しい遺跡が発見できるかもしれないんだ!」
「そうなの・・・それなら仕方ないわね・・・」
寂しそうに、けれど諦めたようなお母さんの声色。
「・・・・・なら、ずっと帰ってこなければいいじゃない」
静かな店内に、私の小さな声がやけに響いた。
「雛子。そんな悲しいことを言わないでほしいなぁ。お父さんは美和子さんと雛子に会いたかったんだから。二人のことをいつも想ってるから、僕は頑張れるんだよ」
私の中で何かが切れた。
バンっと机に手をついて私は立ち上がった。
「会いたかった!?なにそれ。昔から店のことほっぽって、お母さんとおじいちゃんにまかせっきりで、自分は好き勝手にして。私達のことを想って頑張る?馬鹿じゃないの?自分のやりたいことやってるだけじゃない!!」
一度口を開くと、止めることができなかった。
「そうよ・・・昔からあんたはずっとそう!自分のことしか考えてない!お母さんたちがどんな思いで店を守ってるか考えもしない!・・・好きなことして、現実見ないで夢追っかけてそのまま一生帰ってこなければいいじゃない!!!」
これ以上あの男と同じ空間にいるのが耐えられなくなった。
そしてそのまま私は店を飛び出した。
「雛子・・・!」
お母さんの声が背中に跳ね返ったけれど、私は足を止めなかった。
シン・・・・・と店の中は静まり返っていた。
初めに動いたのは創平だった。
「・・・・いやぁ・・・ずいぶんと嫌われちゃったなぁ・・・」
ぽりぽりと頭を掻きながら、眉尻を下げた。
美和子はレオに頭を下げた。
「――ごめんなさいね、レオ君」
「いえ・・・」
レオは静かに首を振る。
「その様子だと、雛子は創平さんのことは何も言ってなかったのね」
「えっそうなの?ひどいなぁ・・・」と呟いた創平を、美和子は「ちょっと黙ってて」と制した。
「お爺さんと母親・・・美和子さんのことはよく聞いてましたが、父親のことは一度も。ヒナコが何も言わなかったので、自分も聞くことはしませんでした」
「そう・・・」
美和子は創平の隣に座ると、ため息をついた。
「創平さんは昔からこんな人でね。元々この店は創平さんが継ぐはずだったんだけど、考古学にしか興味を持っていなかったから、結婚してから私がおじいちゃん――お義父さんを手伝うようになったの。一度発掘や研究に入ると数か月単位で音信不通になってたからね。雛子の学校行事なんかにも全く参加しなかったし、行き違いも多くておかげで雛子とはどんどん疎遠になっていって、あの子全然創平さんに懐かない子になっちゃったわ。まぁ、父親としては失格だろうし、自業自得なんだけどね・・・」
「美和子さん・・・」
情けない声を出す創平を、美和子は一瞥した。
「でも、雛子に対してはともかく、私は自分に関しては別に怒ってはいないわ。創平さんがこんな人っていうのは結婚する前から知っていたことだし、嫌なら結婚もしてなかったわ。料理を作るのは好きだし、夢を追う創平さんも好きよ。雛子は心配してくれているけれど・・・」
「美和子さん・・・!」
今度は感動したように創平は美和子を見たが、美和子は話を続けた。
「雛子は昔からちょっと頑張りすぎる所があるから・・・貴女の人生なのだから、好きなことしていいのよ?って言っても、この店を絶対に継ぐと言ってその目標の為にずっと頑張ってきてくれてる。そりゃあ一緒に店をやって、ゆくゆくは継いでくれたら私もおじいちゃんも嬉しいわ。でも、少しは肩の力を抜いても良いと思うの」
「・・・・・そうですね、俺もそう思います」
レオは何かを思い出すように頷いた。
「――――ヒナコを追います」
レオが静かに席を立った。
創平も立ち上がろうとしたが、「貴方が行くと逆効果だから行かない方がいい」と美和子に言われて、しゅんと落ち込んだようであった。
「レオ君、お願いね」
美和子の言葉にレオは頷いた。
レオが外に出ると、夏の暑い日差しが全身を襲った。
一度手をかざして空を見上げると、レオは前へと歩き出した。